2021年10月01日

医原病とは (医者も病院も病気を治せない、かえって悪くする?)


医原病とは

(医者も病院も病気を治せない、かえって悪くする?)

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【武田邦彦】病院に行くと病気になります
https://www.youtube.com/watch?v=ZpHoR-JKyoM

医原病
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E5%8E%9F%E7%97%85


知っている人は病院に半年くらい入院してかえって悪くなった
その原因が食事にあった、毎日同じオカズであり食べたくなかった
そのために栄養不足になり体力がなくなった
確かに糖尿病だから食事の制限があるにしても栄養不足してはまずいとなる
その人はかえって家に帰ったら運動したり食事も自分の好きなものを食べて回復したという、これも医原病なのかもしれない、もうその人は病院に行きたくないと言っている
ただ娘は離れて暮らしているので病院に入れたいのである
病院に入れて世話する人は楽になるのである
私も介護していて入院したとき楽になった、そしてそのまま病院で死んだのである
また施設に入れると金はかかっても楽なのである
在宅介護は患者にとってはいいものでも介護する家族にとって負担になるのである
在宅介護がいいとしてもそれを負担させられる人は苦しいのである

ただ家族に何人かいてそういう体制があれば別にいいのである
私の場合は一人で二人の介護とかにもなりその時自分自身も病気になり二回も入院したのである
だから一人は一時介護施設にあずけて病院で自分は手術したのである
そこで孤立無援になり死ぬほど苦しみを味わった
そこで大金を盗まれるとか脅迫じみたこともされた
相手が事業に失敗したりとても助けられる人ではなかったからだ
苦しい時来た人は何かこっちが苦しいという時、チャンスとなり金をとることしか思わなかったのである
ただそれは自分自身のカルマだったのである
助けてもらえるような関係になかったということである

ここで問題にしているのは病院とか医者のことである
病院でも医者でも病気をすべて直せる訳ではないことである
ただその判断は素人ではむずかしい、だから医者でも病院でもまかせるほかないとなるでもすべてを医者や病院にまかせることも危険だとなる
この辺の兼ね合いがむずかしいのである

日本の医療が金だけも目的にするようになったというとき、過剰な医療で金をとるというときそれは問題である
だから医者とかは本当は公務員にした方がいいようにも思う
開業医の組合が医師会でここは力をもつのは開業医だからとなる
そこで医療でも強力な利権団体となり歪められる
また開業医は開業するにも金がかかり機械とか用意するのに金がかかる
何かと金がかかるから過剰な医療でもする、金儲け第一になる
中国でもヨ−ロッパでも医者は公務員なのである
開業医がこんなに多いのは日本だけだとなる

公務員になれというときそもそも警察であれ消防であれ自衛隊であれ何か国家公務員としての仕事となる
安全を守る者が国家公務員となる、すると医者でも看護師でも健康を守る者として国家公務員がふさわしいとなる
なぜなら今回のコロナウィルスでも開業医の団体がこの機会に金儲けをたくらみうまく機能しなかった、ベッド数は十分にあったとしても国家では何もできなかった
それだけ日本では私立の開業医が多いからそうなった
つまり公務員だったらそうはならなかった、政治家が命令できたとなるからだ
中国とかでは強力にトップダウンで決めたからである
それは医者や病院でも公務員となっていたからである
日本では開業医中心であり政治家が命令できなかったのである
医師会とは私的な営利団体であり開業医の利益を守るものだからそうなっていた
公務員だったら命令できたのである

ともかく医は算術になった、それは金がかかりすぎるからである
高価な機械を買えば金がかかる、その元をとるために金がかかる、だから開業医だけでは今や患者に対応できない、最近ではAIが医療にかかわるというときむしろそうしてコンピュターを操作して医療にかかわる人が求められる
それは開業医では無理になっている、それだけ医療も変化している

要するに今回のコロナウィルスでも国自体でもその体制を見なおすことが強いられた
だから医者でも病院でも公立化して公務員にするのがいいとなる
給料はそれなりに高くする、そして開業医の問題は必ずその子供を医者にしようとなる
その子供に受け継がせようとする、するともともと医者に向いていない人も相続するために金をかける、だからまた金が必要となる
医者になる人とか教育とか安全を守る警察とか消防とか自衛隊とかは公的な役割があり
それを私的なものとしにくいことがある
私的な営利事業にするとうまくちいかないものがある
仕事の性質が利益を離れて行うものだからである
今苦しんでいる人がいて「金をいちら払うなら診てやる」そんなはした金では診ることはできないとかなったら困るのである
でも現実には今や医は算術でそうもなっている
コロナウィルス騒動では病院にも入れず自宅療養で死んだ人がいるからだ
コロナウィルスは国家的戦略で対処しないとうまくいかなかったのである

国家の役割は安全を担うことだった、原発事故でもそうだった
これはせ国家的なものであり安全を担うのは一私営の東電ではなかったのである
でもその国家の役割を果たせなかった、保安院は不安員であり飾りに過ぎなかったのである、そうして大事故になりその責任は誰もとらなかった
東電でもとらてかったし国でもとらなかった、それは国家的犯罪でもあったがそれを罰することはできなかった、司法でも検事でも東電に天下りしていたからである
高級官吏でも天下りしていたから追求できなかったのである
国家的犯罪になると誰も罰することができない、日本の東京裁判があったが外国人によって罰せられたからである、そのアメリカにしてもまた犯罪者であり犯罪者が犯罪者を罰することなどできないものだった
だから巨悪は誰も罰することがてきなくなる

いづれにしろ自民党にしろ地域の有力者である開業医の医師会に逆らうことはできない
選挙でも重要な役割を果たしているからである、だから医師会自体が問題であり解体して国家運営にするということも考える必要がある
そもそも医療は警察とか自衛隊とか消防とか安全を受け持つものであり仕事として私的にするより公務員になるのがいいとなる
現実に公立の病院がどこにでもありそれは市町村で運営していて看護師でも給料を払っているからである、つまり一部は公営化しているからである

ともかく医原病というのはある、医者にかかり入院するとかえって病気が悪化する
それはいらない薬とかを飲まされたり治療してかえって悪化する
それは全部ではないにしろそういうことは結構あることでありみんな経験しているのである、病気をかえって悪化させるのが医者であり病院だとなると怖いとなる
でも実際は全部がそうではない、そこで素人は判断しにくいのである
医は算術となったことが問題なのである

教育でも算術となるとき問題になる、何かこうして私的利益を追求することが特に問題な分野がある、そうして常に人間は歪められるのである
常にどこでも金に支配されて本来の役割を果たせなくなる、尾身会長の病院が工作してコロナウィルスで巨額の国家の金をせしめたというときもそうである
つまりその先頭に立つ医者でも自分の経営する病院をコロナウィルスがチャンスだとなりもうけることを優先するのである
原発も巨大な利権となりコロナウィルスでもこれも巨大な利権となる
製薬会社では莫大な利益を得たからである、それでこれも陰謀論になったりするのであるその使われる金が得られる金が莫大なものになるからである

確かなことはウィルスに対応できる国家体制を作らねばならないことは今回のコロナウィルスで判明したのである、医師会とかは対応しないことがわかったのである
そこに政治で変革しなければならないと見た
ただ今度の新しい政権が実行するのかわからない、でもまたウィルスが周期的に襲ってくるとすると国家的体制を作っておかないと対応できなとなる
要するに日本は医療だけではない、様々なことで制度疲労とか起きていて経済は衰退するのもそうである、大きな変革が必要なのである
そうしないと日本は経済的にも凋落して貧困国家になりあらゆることで後進国となり世界での存在感もなくなる

でも変革する力が生まれない、おそらく明治維新のような変革が望まれるとなるかそれができない、自民党議員は既得権者でありそういう人達は現状を守ろうとする
明治維新では下級武士が革命を担ったことでもわかる
既得権者が変革したり革命になると損するから自らはしないからである
また野党も力なく日本は政治的にも衰退を進める、何か新しい力が起きることを期待するのだが高齢化ということが足かせになる
簡単に政治体制でも変えられないということである
老人はどうしても保守的になってしまうからである、既得権者もまた現状維持がいいからである、ただそうしているうちに日本全体が衰退して沈没してゆくともなる
そういう時に中国が攻めてきたりして支配されることも考えられるのである

これからの教育はどうするのか (思考脳、感性脳、遊戯脳の育成)


これからの教育はどうするのか

(思考脳、感性脳、遊戯脳の育成)

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明治維新以降の教育はヨ−ロッパ文明をまねることだった、何かを日本人が独自に産みだすことではなかった
だから暗記脳で良かったのである、江戸時代でも暗記脳教育だった
「読み、書き、そろばん」で良かった、それは自ら考えることではない、暗記することである、それで子供の時そろばんが得意だったけど何の役にも立たなかった
父親が酒店の丁稚だったので子供にも同じ教育をさせようとしたのである
つまり江戸時代でも教育は読み書きソロバンである
第一文字を読めない、書けない人がいたのだから文字を読めるということだけで知識人にもなる、侍は武道だけではない、読み書きをできていたからエリートとなっていたのである

それでタリバン兵には読み書きができない人がいるというとき権力を奪っても行政になるとそれもできないとなる、字が読めないし書けないとなると何か飛行場に入る時の検査もできない、事務ができないからだ
ただ日本人は寺子屋で読み書きを習っていて読み書きができる人が多かったのが違っていた、でも明治になっても読み書きができない人がいたのである
その人はハガキとか手紙を読めないし書けないから人に頼んでいて肩身の狭い思いをしていたのである、大正生まれの母とかなると尋常小学校で一応読み書きはできたのである
その差は大きいとなる
だから読み書きは必要である、でもこれだけ高度な知識社会になると読み書きだけではもう成り立たない、コンピュター社会になるとプログラムができないとエリートになることは不可能とまでなってきている
それで小学校の時からプログラムを教えるようになる

明治維新以降の教育は基本的には画一的に暗記させる教育である、読書百遍自ずから通じるとかなる、暗記脳教育でありそれで間に合ったでいたとなる
近くの寺があったところに小さな碑が埋もれていた、そこはどうも暗唱しろということが記されていた、そこは寺子屋がありそういうものが残っていたのかとなる
例えば漢詩とかでも文学的なものでも暗唱することが教育でありその中味を理解することよりまずは暗唱することが教育だったのである
なぜ自分が勉強が嫌いになったのか、それは確かに能力がないということもあった
でも確かなことは高校まで自分で一回も考えたことがなかったことである
試験でも暗記したことで暗記脳がいい点数をとることにもなる

それでなぜ自分が数学嫌いであり興味がなかったのか、それは何でも暗記することだったからつまらないとなっていた
でももし算数でも数学でも自ら考えるものとして勉強すれば興味あるものとなったのである、そもそも足し算の意味はわかるにしても掛け算とか割り算の意味がわからないのである、そういうことを考えたこともないのである
そして意外と与えられた問題を解くより問題を自ら作り解くことが考えることに通じて
興味を持つことだと死ぬ時期になって理解したものも遅かったとなる

要するにこういうこは能力の差があっても訓練が必要なのである
ただ特別優れた人は訓練など必要ないともなる、天才とかなるもう教えなくても理解できるともなるからだ、私が言っているのは普通の人を対象にしたものである
図形などでもそれは相当に様々に考えて理解することがある
それがただ数式を暗記するだけでは興味が湧かないのである
だから算数でも数学でも図形遊びのようなことをしていれば積み木遊びでも何か具体的なものから理解して抽象的な数字を覚えるといいのである

そこで次に必要なのは遊戯脳なのである、人間には遊ぶということが基本的にある
子供の時遊ぶ時代であり遊ぶことで様々なものに関心を広げるのである
何か遊びを作り出すことは創造的な行為である
ただこの遊戯脳は学校ではそがれのである、学校だと一つの軍隊であり集団であり一律的行動が求められるからである
また学校は工場だというときその建物を工場を模したものだというときもそうである
現代の工業社会に適応させるものとして作られたからである
それで寺子屋では学校のような整然として机が並べられていない
ばらばらになっていて先生が個別指導するようにもなっていたのである
学校という形態は明治以降に作られたものなのである
大勢の人間の規格化であり一律にして工場で大量生産するものの備えとして作られたのである
これも明治以降はヨ−ロッパに習うことだからまねることだからそれでも良かったのである

それは戦後もつづいたのである、一見日本の高度成長が電機製品が売れたことで日本がは特別優秀な民族だと世界に誇ることになったがそれは何か独創的なこと発明したことではなかったのである、日本では何か独自に発明したことがない、ものまね民族だと言われていた、それは今中国でもアメリカのコピーだと言われるのと似ている
コンピュターはアメリカが発明したものだからである
そのためにバブル崩壊以後は日本は30年間停滞しして賃金も上がらない、貧困国家になってしまったのである
つまりヨ−ロッパ文明をまねて成長したのはいいが日本独自のものを産みだせなかったことが停滞の原因だったとなる

これからの教育は思考脳と遊戯脳と感性脳を育てることである
遊戯脳というときただ遊ばせるかのかと反対されるが人間の本質として遊ぶことが重要な要素としてある、ただ動物でもそうだがチンパンジーに数を教えさせた、そしたら興味をもってしていた、チンパンジーでも遊ぶことがありそれを自ら楽しむことがある
ところが数を覚えることでその度にご褒美でバナナをくれたりしていた
そしたら関心がバナナの方に移って数字を覚えることに関心がなくなったという
何かこれは遊び自体で楽しんでいたのにバナナというご褒美をもらうことが目的になって興味を失ったとなる

これは人間にある、画家でも絵を売ることが目的になりどれだけ金が得るということが目的となり肝心の絵を追求することがなくなる
何かそういうことが人間の仕事には多い、肝心の仕事に興味を覚えるより金のためにするとういだけになり歪められる
そういうことは人間社会に日常的にあるからである
人間にとって関心とか興味が大事であり遊びも大事である、でも金にならないなら利益にならないら無駄だとされてしまう、利益が上がらないからやっても無駄だとなる
人間には本当は社会の中でも遊ぶ空間が必要だとなる
その遊ぶ空間でも遊園地とかなると遊ぶことが利益の追求になる
ともかく人間はどれだけ常に利益を求めることで本来の目的とは違って歪められるからである
第一宗教とは利益とは関係ないものであった、それがただ御利益追求となり権力となったことでもわかる、利益を得るために肝心なものが必ず歪められるのである
だから私はベーシックインカムに賛成する、つまり各自利益だけを追求するものではなく各自の興味を追求して各自の個性ある人生を生きるためにいいとなる
ただそれは理想論であり実際はそうならないにしてもその思想には賛成するのである

ともかくこれまでの教育は暗記脳しかない、創造脳をもつには思考脳、感性脳、遊戯脳を開発促進することである
感性脳となるとこれはコンピュターにはないものでありこれから重要なものになる
コンピュター化できるものはもともと創造脳とか感性脳とか遊戯脳とは必要ないものとて作られている、まずコンピュターには美の感覚をもつことができないからである
確かに計算脳があっても人間的なものとは思考脳、感性脳、遊戯脳にある
これはコンピュターにはもてないからこれからの時代では重要になる
だからこれまでの工業化の大量規格製品を作る時代の教育とは違ったものになる
そうしなければイノベーションも興らず日本は停滞したままだとなる

おそらくその見本がオランダにあるのかもしれない、オランダの教育は世界でも優れているとされるからである、少人数で自由な教育をして思考脳、感性脳、遊戯脳を高めるものとして評価されている
団塊の世代などは一クラス50人とか教室がないとか騒いでいた、それだけ人数がおおかったからそうなる、そういう時代は一律な規格品を作る教育でも良かったとなる
第一学校に行けない国とかもあり学校に行けるだけでいいともなるからだ
実際に私の家には本一冊もなかった、もし家に本があり自ら読んでいたら考えることもしたかもしれない、家で読んでいたのは貸本屋から借りた漫画本だったのである
ただ今になると知識を探求する場が拡大した、インタ−ネットとかのyoutubeの教育番組がそうである、これは相当に勉強になる、無料で学べる
だからこれから自主的に思考脳、感性脳、遊戯脳を鍛える環境が整う時、日本でも何か発明する人がイノベーションを起こす人が出てくるということはありうる

とにかく自分が本格的に勉強したのが大学を出てからだった、そこで旅をして地名に興味をもったり地理に興味をもった自ら学習することになったのである
本だけ読んでもいても今日を持つとはならない、外国を知るには百聞は一見にしかずであり実地にその場に行った人が一番実感として理解するからである
いづれにしろ日本は少子高齢化であり今までの様な大量規格製品を作り出す時代でもない創造的な能力を高めることがこれから大事になる
少数精鋭主義になる、それでオランダの教育に習うのがいいとなる
オランダは小国でも貿易では大国になったりしている、小国でも大国にもなる
ポルトガルでもスペインでもイギリスでももともと小国でも大国になったからである
中国とかアメリカは大国なのだからそこから優秀な人が必然的に出て来る
でも小国でも優秀な人を才能を育てることができるということでオランダが見本になる

100校あれば100通りの教育がある国」オランダ 日本が学べるものは?

そもそも机の配置が自由である、それは日本の寺子屋と似ている
posted by 老鶯 at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育、心理学など