2021年10月09日

デジタル社会になじめない高齢化社会 (でも適応できないと生活もできなくなる)


デジタル社会になじめない高齢化社会

(でも適応できないと生活もできなくなる)

darkness11.jpg

darkness-鈴木傾城
https://bllackz.com/?p=10290

デジタル化は老人にとってはハードルが高い、ただ老人と言っても60代と70代ではまた別である、70代になるともうついていけないだろう、
自分自身すらスマホがしていないからこの人は老人でありもう時代の技術についていけない人だと見られる
ただパソコンだとすでにWindows 95(1995年)から出ていて自分もしていた
その前にワープロ通信までしていた、パソコン通信までしていた
だから私のパソコンにかかわった歴史は長いと思った
別に自分はパソコンマニアでもなかった、たまたまワープロ通信した結果としてそれで
パソコンの世界に入ったのである
自分は理系でもないしそういう技術的なことにうといからである
それからインタ−ネットが急速に発展したのである

とにかく技術は日進月歩の時代である、古いテレビのドラマで経理の人がソロバンをしていた、まだそういう時代があったのかとふりかえる
ソロバンは習ったけど何の役にもたたなかった

電灯が灯されれば、用なしのランプが駆逐されてしまうだろう。ランプに生活をかける巳之助は電気の導入に頑強に反対したが、結局のところ村への電気導入が決まってしまう。巳之助は逆恨みして、電気導入の寄り合いで議長を務めた区長さんの家に火を放とうとする。

そして50個ほどあった全てのランプを池の縁の木にぶら下げて火を灯すと、泣きながら石を投げつけ、その何個かを割り、ランプに別れを告げるのだった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%A2%E3%81%84%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97

これは時代の変化によってこうなった、ランプは電気になりいらなくなったからである
ソロバンでも文選とか活字拾いとかもなくなりそんな技術は役にたたなくなった
その人が職がなくなり犯罪者になったとかのドラマを見た
明治以降大井川の渡しもなくなり静岡では茶を作るようになった
侍が商売してもうまくいかず極貧になった人もいる
汽車が生まれて馬車もいらなくなる、こうして時代の変化で技術の進歩で今まで通用した技術が無用となり仕事がなくなる

社会のデジタル化もそうである、まず新聞でも雑誌でも売り上げが激減してゆく
もうやっていけなくなる、コストがかかりすぎるからである
ネットだと本当は数人でも新聞並みのものが作れる、一人ですら作れる
ただ取材などできないとか設備費はかからないにしてもそうしたもので人件費ではかかるプログでも手間なのである、ワードプレスをしようとしたりSSLしなかったのも失敗だった、何かめんどうでしていないうちみんなSSLになってしまったからである
httpsにしないと危険とみられてアクセスされないことがある
だからこうして技術が変わる時早く手を打たないと遅れたままになり損するのである
それがどういうことかわからないうちに技術が変わってしまっているからである
インタ−ネットの技術は変わり安いからである

だからデジタルになじめない老人はかなり現代社会では不利である
ところが金を持っているのは老人であり数も多い、だからここが足かせとなってデジタル化がすすまないとなる
つまり社会を変えられないでそれで日本は発展もしない取り残された世界の後進国に落ちてきたともなる
老人は新しいものを取り入れることができないからである
機械の操作だけではない、アナログ環境になじんでいるからデジタル社会に適応できないのである、現代では車社会であり車をもたないものは遅れた人、社会に適応できない人にされている
私は自転車を使う人と話が合う、でもそういう人は社会の底辺層になっているのである
車も持てない人は底辺層なのである
私はただ自転車が好きだから乗っている、別に車が無くても生活できるからである
でも車を持たない人は仕事もできないし現代の社会に適応できない人となる
それはスマホを持たない人が現代に適応できないと同じなのである
生活保護の人でも連絡用に携帯を持つことが命令されているからである
それでその費用が払えないと嘆くのである

とにかく否応なく技術は進歩してゆく、それができないと日常生活すらできなくなる
ただデジタルがむずかしいといってもこれも慣れの面がある
最初はむずかしくても操作しているうち慣れてくるのである
ただスマホと携帯は違っていてハードルが高いとなる
デジタル社会になるとそれに適応できないと日常生活すらできなくなる
社会がデジタル化すればどこでもそれを知らないと買い物すらできなくなるからだ
そういうふうに今なりつつある
でも日本では何かデジタル化に抵抗するのはなじめないのは日本の文化が原因しているのかもしれない、日本人は腹でわかるとか話せばわかるとか面と向かったコミニケーションをしてきた経緯がある、直接合わないと信用しないしコミ二ケーションにがとれない
そこでテレワークになってもうまくいかないとなる
それは日本の文化と関係しているからであり必ずしも技術の問題だけではない
AI化も遅れたのはそのためだともみる

ここで共感するのは日本が高齢化社会だということが新しい技術でも社会を変えることがむずかしいたとである
だから高齢化社会はイノベーションできないから遅れる
70以上になるとデジタル化した社会に適応できなくなる、でも団塊の世代とか人口が多いから金ももっているから社会の足かせとなる
もう新聞などは過去ものものである、新聞紙であり紙でしかなくなる、中味がないとそうなる、一軒一軒に配達すること自体もうどれだけ遅れているかとなる
ただ金だけがかかることをしているとなるからいづれは終わりになる

インタ−ネットだと特別のプロだけが報道分野にかかわることではない、別に一人でも新聞でも作ることができるのである
ただ手間になるからその時間を省くことはできない、やはりインタ−ネットだと速報性があるからそれが大きな武器となる
リアルタイムの交信もできるからである、ただインタ−ネットは検索とかで時間がかかるしわからないということがある、そこが手間なのである
でも新聞の記事でも対話的であり自分でプログでコメントして長い文でも書ける
すると相手が知らなくても共同作業しているのである
新聞とテレビは一方的メデアであり視聴者は何も言えない仕組みだったからである
でもNHKですら批判できるのである、そこが変わったことである

2021年10月10日

貧困の深刻ー電気、水道、ガスが止められる (世界的に食料も不足して日本にも回ってこなくなる)


貧困の深刻ー電気、水道、ガスが止められる

(世界的に食料も不足して日本にも回ってこなくなる)


現代の貧困は見えない、汚い恰好していま人はいない、江戸時代とかつぎはぎだらけのものを着ているわけでもない、何か貧乏という時一目見てわかった
今は見た目はこぎれいな恰好をしているからわからない
一番深刻なのがガスを止められることである
電気とか水道は多少余裕があるがガスはそうなっていないのは最初は払わない人がいて
取り立てが厳しくなっているからだと思った
実際はシステム上そうなっていたのだ




料金を確実に徴収できないと見なすと、その資金を使ってガス供給の安全を維持できないことを同時に考慮することになります。つまり、ガス料金は単にガスの使用量に対する料金だけでなく、ガスシステムを安全に運営し続けるための財源も含まれていると言えるでしょう。

ガス料金の滞納に関して他の光熱費比べて対応が早いのは、ガスは民間サービス性が非常に強いからの一言に尽きます。水道や電気は国との関連性が非常に強いですが、ガスはそれほど国との関連は大きくないと言えるでしょう。

ガス会社は料金の徴収に関しては非常に強気でして、滞納が一旦起きると契約者がどのような経済状態であるかを問わずに供給を停止するスタンスを取っています。これは安全確保の名目で進められますが、事実上は収益性を悪化させないための対策であることも事実です。
https://www.tainavi-switch.com/contents/541/



ガスは特別厳しい事情があった、つまり支払いの猶予がないのである
その人がガスで泣くように訴えていたがこういう事情があったのである
何か非情に見えたのだがその裏の事情がわからなかった、何か日本が貧困化して払わない人が増えて警戒して取り立てが厳しいのかと見ていた

その人が凄く憤っていたがその裏の事情がわからないからそうなっていた
つまり何事に理由がある、その理由がわからないとただ憤るとなる

とにかく現代の貧乏は目に見えないが電気ガス水道が止められることでわかる
なぜならそれによってもう食事もできなくなるからである
東北の震災の時、電気がとまらなかったので米とノリくらいあったのでそれで二週間くらいしのいだ、それができたの電気が使いたからである
水道も使いた、でも電気が使えなくなった場所もあり水道も使えなくなった場所もあったのである、そうしたら水をもらいには行くことができたが電気はもらえない、するとガスが頼りとなるがそれもできない場合はお手上げになる
三陸とかの他では裏山の清水を使い燃料は森の木とかを使い米をたいてみんなでしのいでいたのである、今はそれができないのである
ただ子供の頃は水は井戸水であり燃料は炭とか木材であり新聞紙とかをたきつけで使っていた、ただ木材でも製材して余った端切れの木であったする
でもこうした原始的生活はかえって災害に強いのである
電気,ガス、水道が止まるとお手あげになるからである

滞納が一旦起きると契約者がどのような経済状態であるかを問わずに供給を停止するスタンスを取っています

特定のガス会社がこうしたことをしているのではなくガス会社は民間性が強いのでこうしている、その人はなんでこんなことをするんだと憤っているがそういう事情があった
何か会社を変えたこともあったがどこの会社でも共通していたのである

いづれにしろ現代の貧困の深刻化はここに現れている、さらに深刻化すると食べ物を満足に食べられず飢饉の様な状態になる、アフガニスタンでは百万単位で子供でも飢饉状態にある報告されているからだ
ただその前に電気、ガス、水道が止められる、また貧困化すると電気を節約するほかないそれで団地でも夜になると電灯を消しているという、近くにも浪江の復興団地でそうしている人がいると聞いた、こういうのが貧困として目に見えるものとなる
ただ電灯を消すという時フランスのホテルでは夜は電灯を消していた
それは節約のためなのである、だからこれだけを見てもわからないということがある
でも日々の食事にはガスと電気と水は不可欠だからここが止められると生命の危険になるだから水道とかを民間の会社にする外国の会社に委託するというのは危険になる
どうしてもここは公共的なものとして運営しないと危険になる

何か今は情がない社会ともみる、それだけ困窮して生命の危険にもなるのに猶予してもらえない、でも現代社会のシステムがそうなっていたからだともなる
いちいち個々人にそうして対応していたら成り立たなくなる
貧乏な時代はとにかく借りが多かったのである、それは日常的でありその日暮らしでもあった、それで戦前に自分の家で部屋を貸していたたとがあった
その時毎日家賃を取り行っていたという、家賃を毎日とりに行くということがあったのか?家賃も日払いなのかとなる、それも今になると考えられないとなる
それだけ金がない、その日暮らしだったからそうなっていたともみる
そもそも月給取りというけどそういうことがない時代もあったからである
それは江戸時代でありその日暮らしとなっていた、宵越しの金はもてないというときそもそも持てなかったともなっていたのである
私の父親は酒屋の丁稚でありどうも借りを払ってもらうために一軒一軒回っていたようだその手帳が残っているからだ

現代の貧困は眼に見えにくいがこうして電気ガス水道が止められるというのでわかる
また家賃が払えないとかで部屋から追い出されるということでもわかる
厥か一番深刻だから貧困だとわかる、その他はわかりにくいのである
ただ貧困とはそういう人と接しないとわからないのである
どこにそんな人がいるのかとなるからだ、それは田舎でもわからないのである
田舎でも付き合いが薄れているからである、何か助け合うこともあまりない、そして困った人は生活保護になればいいくらいしかないのである
ただ生活保護でも実際は家賃と医療費が無料くらいの人もいるのである
その人は年金をもらっているにしても4万でありあとはもらっていない
だからいつも電気水道ガスが止められている、だからこれもおかしいと思うのだが
そういう人もいるし生活保護があるから安全だとはもうなっていない
これからますます生活保護が増えてもこうしてまともに支給されない時代になる
それは日本全体が貧困化しているからでありそれがさらに深刻化してくるからである
もしかしたら日本でも飢饉のようになり食事もまともにてきない人が増えてくるかもしれない、それは一部であっても全体に影響する、そういう人は犯罪者になり安いからである犯罪が悪いとしても人間はぎりぎりに追い詰められると頼る人がなくなればそうなるからである

ただ田舎でも貧困は見えていない、それは昔のような田舎ではない、農業中心の田舎ではないし人間関係でもそうである、だから不思議なのは隣近所でも何を仕事にしている人がわからないのが多いのである、こういうことは今までなかったからである
それだけ広域社会というか仕事が複雑化してわからなくなったということだろう
ただ日本の貧困化はこれからますます厳しくなる、食料も入らなくなるとか石油が高くなるとかインフレになり金の価値もなくなる、そして遂に飢饉にもなる
そういう恐怖が迫っているのかもしれない、もう世界的に経済が成長することはない
それは中国のことでわかった、だからむしろ世界恐慌前夜のような状態になっているのかもしれない、ただ株が上がるとかいうのは管制相場であり金をばらまいているだけなのである、だからそれもつづかなくなり深刻な貧困が現実化する

何かあらゆるものが末世のような現象になる、そして飢饉さえありうるのかもしれない
食料が高くなると食べることもままならないとなる、そうなっている人がすでにいるからだ、まともに栄養がとれていないのである
それで外国に食料でも頼っていると危険になる、外国に食料があるとして輸送量が馬鹿高くなっているとか運べなくなる、中国で買い占めて日本に入らなくなる
それで中国で一部の特権階級が豊かになっても大部分が貧乏なのはかえっていいとしている、なぜなら中国人がみなん富裕層になったら地球の自然を食い尽くすともなるからだという、マグロでも魚でもうまいとなり中国人みんな食べるようになると魚も取り尽くされるという恐怖である、それも一理あるなと思った




インタ−ネットは確かに知恵袋である、何かわからないとき検索するとそれなりのものにあたる
新しい自転車を買おうとしたら今部品不足で何カ月か後でありいつになるのかもわからないと言われた、自転車でもコロナウィルスの影響を受けている、生産しているのは外国であり世界的サプライチェーンがありそれが途切れると供給できなくなっているのだ
シマノの部品がないと自転車は作れないようにもなっているからだ
コロナウィルスは世界的に影響した、半導体でも不足しているとかで作れないものがかなりある、このコロナウィルスの影響は大きいものだった
深刻なダメージを世界的に与えたのである

posted by 老鶯 at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

社会の異常性、集団の異常性、家族の異常性、個人の異常性 (人間は異常性に気づかない―家族もエゴである)


社会の異常性、集団の異常性、家族の異常性、個人の異常性

(人間は異常性に気づかない―家族もエゴである)

●個々の家族でも比較するとその異常性に気づく

「家族」であるかぎり、あるいは「夫婦」であるかぎり、それが自然と何らかの抑止力となって問題はその中で自己解決されることを期待されてきた。家族だからというただそれだけで、何か不思議な「自己治癒力」や「自浄作用」があると信じて。

私たちは「家族」を過信しすぎていないか
https://president.jp/articles/-/29907?page=2


人間はそもそも自分自身のことがわからない、自分自身のことを知りたいなら他人と比較することである、他人を鏡として自分がわかる
異常性も同じなのである、何が異常かわからないからである
家族でもそうである、家族の異常性に気づかないのである、そういう自分自身がそうだった、本当に自分の家族は異常だった、そして自分も異常だったがその異常性に気づかなかった
それはなぜか?違った家族と交流しなかったからである
違った家族と交流するとき自分の家族の異常性に気づくからである
例えば白い花に意識があればその白い花は赤い花とかと比べると意識するのである
白い花として咲いていると意識できないのである
自分の家族は異常だったけどその異常なことも日常化すると異常でなくなるのだ
憎しみ合う家族でもそれが日常化すると異常でなくなる、そういうものが家族だと思ってしまうのである、それは夫婦にも言えるのだ

夫婦の異常性も別な夫婦と付き合うと随分夫婦でも違うことあると気づくのである
子供で別な家庭に接してこんな家族があるのかと気づくのである
だから貧乏人は金持ちの家族と付き合ってみることだともなる
それができないから互いに理解しえないことことになる
毎月電気ガス水道を止められてそれが憤りになっている人がいる
でもそんなことは普通無いからその人の気持ちもわからないとなる
そういう人は底辺層であり底辺層は底辺層と付き合うからわからなくなる
たいがい共産党と創価はこうした底辺層でありだから思想的は反対でも同じ気持なのである

社会に対して大きな不満を持っていて憤りをもっている、だから社会に対して憎悪をもっていてそういう人達が同じ不満と憤りを共有しているのだ
それが一面怖いものなのである、マルクス主義が実は憎悪の宗教でもあるときそうなのである、階級制を打破しようとするときそれは恵まれない人達が恵まれた人達を恨み憎悪する気持が強いからである、だからそういう人を集めることが革命に通じる
その憎悪と憤りが非常に強いからである、それが強力なエネルギーとなり社会転覆するものとなる
本来の宗教だったらそういうことはない、出家する人とか修道院で信仰に励む人は社会を恨んだりしないのである、貧しくても清貧として修行しているとなる
ただカトリックなどは贅沢したからまた別だとなる

まずこの世に理想的な家族がいるのか?何かしら必ず問題をかかえているのも家族なのである、その矛盾というか隠されていたものがいつか表面化したのが様々な家族の事件なのである、個々にはわからないにしても自分自身の家族がそうだった
引きこもりとして30年家族と一緒にいたのも異常だった
ただそれに気づかなかったのである、介護になって気づいたのである
ただ自分にとっていいものでありそれで家族の異常性に気づかなかったのである
そこで死ぬほどの苦しみを味わったのである、要するに最後に家族だけでは問題を解決しない事態になる、また家族遺棄社会とかなっているように家族を過信することはできない普通に子供でも家族を捨てるからである、親でも捨てる時代になっている
だから家族だけで問題を解決することはできないのである

●家族もエゴである

ともかく人間の異常性は様々である、例えば創価とかエホバとかカルト宗教団体は異常である、そういう人達身近で見ているからみんなわかるだろう
でもその内部ではその異常性に気づかない、異常が正常になり批判すると今度はかえってその人が異常だとして集団で攻撃してくる、それがナチスでもあったのだ
個人も狂っているが集団も狂っているとしてニーチェは死んだ
ただ集団の異常性は正常とされるのである、大多数がナチスになればそれからはずれた人が異常となり攻撃されるのである

現代文明は様々な異常性を抱えている、その異常性が集団として狂気化したのがナチスである、また日本の戦争の現人神(あらひとかみ)戦争も似た面はあった
集団的狂気となり誰も止めることができなくなっていた
ナチスは選挙で選ばれたのであり民主主義から生まれたのである
暴力で政権をとったのではない、選挙の手続きを踏んで政権をとったのである
だから創価とかなると24時間365日選挙運動である、すべて選挙に勝つことにエネルギーをそそぐのである、信仰も選挙に勝つことで仏法の勝利となる
日蓮の教義ではそれが矛盾しないからである、ただ現代では政教分離の法律があっても無視されるのである

家族とは一見いいものであり家族がいないものは悲惨だとなることもわかる
弱肉強食の世界で家族がいないということは誰も守る人がいないともなるからだ
それがわかるにしても家族もいろいろであり家族に問題を抱える人はいくらでもいるのだとにかく私の母親の実家は後妻が入ってきて家族がずたずたにされたのである
継母に私の母親はいじめられたりもう家族ともなっていなかったのである
そして不和分裂の家族だったのである、そのカルマは死んでから自分にふりかかってきて苦しんだのである、結局分裂していさかいは全部親戚の縁は切れたのである
そもそもそれくらいの縁しかなかったのである
むしろ他人でも世話になったからと助けている人がいるがその人の方が家族になっているのだ、家族がすべていいものとならないのである

そもそもキリストでもシャカでも出家した、家族を持たないというとき結婚しないというとき肉で結ばれるものを否定したのである
本当の家族は天国にしかないのである、確かに家族は天国の疑似とはなっていても常に家族にも争いがあり矛盾がありそれが必ず現れて来る
家族だけでも問題が解決されなくなるのだ
だから家族で何でも問題を解決できない、家族を過信するなというときそうなる
そもそも家族というときそれは家族だけは愛すが他人はどうでもいいとなっている
そのためにキリスト教でも仏教でも肉による結婚を否定したのである
それは本能的な肉欲の結びつきでありそこから問題が生まれるようになっていたからである,愛とは恋愛とかの愛ではないのである
肉欲で結ばれる愛ではないのである、そこが混同するのである
神の愛とは肉欲とは関係ないし血縁とも関係ないのが本来の愛である
それが神の愛なのである

家族もエゴなのである、だから一つの家が中心となって権力を形成して支配する
それがヨ−ロッパでも中国でも日本でも同じなのである
ハウスブルグ家とかなるとハウスは家でありブルグは城のことだからである
まさに家とは城のことにもなる、中国でも李氏とかなると一つの国家を形成するほどの集団になる、李氏朝鮮とは李氏一族の朝鮮となっていたのである
日本でも徳川家となるとそうである、御家大事となり家を守ることで結束したとなるからだ
現代になるとロックフェラー家とかロスチャイルド家が世界を支配している、陰の支配者だという陰謀論でもそうである
家族とはこうしてエゴであり権力化することでもエゴなのである
ただ家族は必要なものであり家族なしで子供も育てられないのである
でも家族もエゴとなるからそのために様々な問題が生まれているのである

●家族でも村とかコミニュティがあって機能していた

先日、エッセイストの犬山紙子さんの夫でミュージシャンの劔樹人さんが新幹線のデッキで大泣きする娘をあやしていたところ、他の乗客に誘拐を疑われ、警察に通報されて取り調べを受けたとの一件があった。

誰かがなにかを疑問に思ったのなら、警察に通報する前にたった一声かければよかったのに、と思う。「どうしたの、大丈夫?」と。そして一緒にあやしてあげればよかったのに、と思うのだ。

監視して通報して当局に対応させる、のじゃない。困っている人を見て、手を貸す。そんな小さなことが、つまり社会で子どもを育てるということなのじゃないか。

私たちは「家族」を過信しすぎていないか
https://president.jp/articles/-/29907?page=2

これが現代社会である、もう子供にかかわれないのだ、常に性犯罪が報道されるとそれが隣村で起きたことと感じるのである
世界の果てでもそうなのである、情報というのはそういうものだということである
何かテレビでも報道されると実際ありえないことでも身近に隣村で起きたように感じる
それが現代の情報社会なのである
人を見たら泥棒と思へとなるし性犯罪者だと思へとなる
それも実際そういう面はあるにしてもみんながそう思われるのが現代なのである
だから他人の子供にはかかわれないのである、話しかけることもできないのである
それが情報社会が作りだした負の面なのである
確かに犯罪は常に存在している、世界中で毎日のように犯罪が起きているのだからそれをいちいち報道していたらそれか隣村で起きたように見るとなるともう何もできないのである、そういう社会を作りだしたのも情報社会なのである

人間は何らかコミニュティが必要なのである、過去の村のようなものでもなく何か信頼し合える共同体とかコミ二ティが必要なのだけどそれが失ったのである
グロ−バル社会はまたグロ−バル広域社会は別にコミニュティではない
そこではただ物をやりとりしているだけなのである
心でつながることなどないのである、今は物と心が分離しているのである
物という言葉はモノが憑くとか心と一体のものとしてモノという言葉があった
物心がつくとは物を通して心が一体化してゆくことである
つまり物と心はかけ離れることはない、今は物と心は分離しているのである
地球の果てから物が入ってきてもそれで心が通じることはないのである


象徴的なのが、さまざまな「仮親(擬制的親子関係)」。仮親とは、血縁関係によらず、子どもの成長のさまざまな場面で関わってくる“機能別の親子関係”。以下のようなものがあった。

 取上親 (産婆とはべつに、出産時にへその緒を切る人)
 抱き親(出産直後に赤ちゃんを抱く人)
 行き会い親(赤ちゃんを抱いて家の外に出て最初に出会う人)
 乳親(生後数日間、乳を与えた女性)
 拾い親(丈夫な子どものいる家の前に形式的に捨てた赤ちゃんを、一時的に拾って預かった人)
 名付け親(名前をつけた人。たいていは自分の名前から一字あるいは複数の字を与えた)
 守親(幼児になるまで子守をした人)
 烏帽子親(武家の元服に立ち会う)

これだけ子供に村でかかわっていたのである、だから村の子どもは家族の子供ではなく村の一員としての子供であり大事に育てられたのである
そういうコミュ二ティが喪失したときもう子育てでも家族が孤立してする
また家族でも夫婦だけとかおじいちゃんおばあちゃんもいないとか孤立しているから虐待とか起きてくる、核家族でもそうであり孤立した家族となりまた個々人でも孤立しているそして孤独死にもなる、そういう家族でも個々人でもばらばらになったのが現代なのである

つまり現代の社会は何かもうこうして常に本来の人間的あり方から離れて異常化しやすいのである、それは子育てとかいろいろそうなのである
だから他人の子供でも接することはできなくなったのである
そして家族は孤立して虐待か閉じ込められた孤立した家族の中で起きやすいのである
つまり家族と言っても過信するな家族だけ処理できなものがあるのにすべて家族にまかせられる、そして外部でもかかわることができない
かかわるときはかえって弱体化したとき他人がチャンスとして金があれば金をとろうとするし攻めてくる、つまり家族は自分の家族を守ろうとして他の家族を攻めてくる
家族と家族もエゴとなり敵対関係になっているのだ
だから文明化した社会でも何か恐ろしいと思った、そういうことを両親の介護で嫌というほど経験したからである、これも自分のカルマだとしても今はそういう社会に生きているだから今の社会が便利だと恵まれているとか言われても逆に人間は非情になり家族もばらばらになりコミニュティも喪失している

いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。

ただこの世の中いつも地獄があった、親鸞の言うように地獄が一定の世界だったのである地獄を生きることがこの世を生きることなのである
結局人間の業(カルマ)は消えない、いくら科学技術が進歩しても同じなのである
だから時代によって幸福は計れない、現代社会でもそうしてかえって過去より人間的な面を失って退化しているともなるからである
そうなるとこの世から去ることが救いだともなる、liveはlieveなあり去ることなのである、それで老人はこの世から去るだけだから気楽だともなるのである
この世にいろいろあるにしても終わり去るだけになるからである
それで意外と老人はいろいろあっても誰でも悟ったようになり気楽な顔をしているともなる


2021年10月12日

金の計算の不思議ー短期的長期的計算 (人間は長期的視点で生きられないのが問題)


金の計算の不思議ー短期的長期的計算

(人間は長期的視点で生きられないのが問題)

timemoney11.jpg

人間は時間を計算することがむずかしい、時間の働きが理解しにくい
だから意外な結果となっている


金の計算で不思議なのは私自身が20万で一か月やりくりする計算している
一か月20万だと多いともなるが実際はそんなにかからないが貧乏な人を金で支援しているからかかるのである
ただ一か月20万としてこれが一か月を一週間延ばす、また10日でも伸ばす
するとこれが一年で金の計算をすると一週間で7日を一年で掛け算すると12×7で84になる
約三カ月分になる、10日伸ばすと120日分になり4ケ月分になる
これがなかなか理解できなかった、そんなに節約できるのか?
20万円分を一週間延ばすだけでそんなに節約できるのか?
でも一年で計算ししてみると確かにそうなっている
この額が大きいと思った

3カ月分節約したら一カ月20万で生活するとして20万のままだったら一年で240万になる
でももし三カ月分を引くと240万−60万で180万になる
これは大きな節約だと思った
ただこの計算が何度しても良くわからなかったのである
それは結局長期的計算だからそうなっている
それも一年という計算でそうなったのである
だから人間は何でも金の計算でも短期的計算と長期的計算は相当に違ってくる
そのことで複利計算だと300万を一〇年で400万にできるとなる
それが意外に思えるのは何故か?

長期的計算だからである

人間の盲点は長期的計算ができないということである
長期的に見ることが苦手なのである、だから株は約一〇年ごとに大きな変動があり上がり下がりするから長期的に見れば必ずもうかるということがある
でも一〇年先だと長いとなる
それで失敗したのが銀行員の営業の人がリーマンショックでもっていた株を元にもどったときそれを勝手に転売してJ−reitに売ったことである
転売したことである、それは自分たちの銀行の利益と営業の人はノルマを稼ぐためだったのである、相手の利益なのことなど証券会社でも銀行でも考えていないのである
銀行員の営業マンは説明すらせずに強引に転売したのである
説明責任があるとしてそれすらしなかった
それ以来銀行員を信じられなくなったのである

つまり銀行でも今長期的にみて商売していない、今利益を上げることしか頭にないのである、それは銀行でも地銀でも収入が得られず追い詰められているからそうなる
顧客のことなどいちいち考慮していられないのである
銀行自体が地銀でもつぶれるというとき悠長にかまえていられないからだ
でも短期的には利益があがり成功であっても長期的には失敗ではないか?
銀行は信用が第一だとすると信用を失ったともなるからである
銀行はそんなものだったのかともなる、信用を失うことは長期的には大損だったともなるかもしれない
だから商売でも本当は長期的視野が必要なるが実際は短期的なものとして商売しているのが普通である
そんな長期的な余裕をもって商売できないからである
資金だってそんな余裕がないからである

ともかく人間は短期的に見るのと長期的に見るのでは相当に金の計算でも違ってくることである

ただ人間は長期的に見ることが苦手でありできない

人生でもそうなのである、まず短期的に見ることは常にしている、でも長期的にみることはできない、それで来年のことを言うと鬼が笑うというのは人間はそもそも長期的に見れないものだからそうなる
必ず不測のことが起きて人生でも狂ってしまうのである
そしてみんな人生は結果的に意外なものとして終わっているのである

人間の弱点は長期的に見れないことである、結婚にしてもそうである
この人と結婚していいのか?幸せなのかとかわからない、だからこそ三分の一は離婚しているのである、結婚するとき好きで結婚しても長期的に見る時それが失敗だったとなる
人間は今幸せならいいとなる、将来のことなど考えないのである
また考えられないのである、そんなことしていたら疲れるだけだとなる
それで今日の苦労は今日一日でたりるとなり明日のことは思いずらうなとなる
長期的に見て思い患っていたら生きてゆくこともできないとなる

例えば長期的に見れないことで人間は災いにあう、津波とかでもそうだった、この辺では津浪でも700人溺死とか記録があってもたった二行でありそれが全く忘れられていたのである、その事実をみんな知っていれば警戒したこともあった
でもこの辺では津波が来ないという確信になっていて逃げないで死んだ人も多いのであるだからこそ災害は忘れた頃にやってくるとなる
それは人間は長期的に見ることが苦手なのである、常に目前のことに追われているのが現実だからである、そこにやふはり長期的にみる歴史的視点が大事だとなる
千年であれ一億年でも長期的な視野で時間で見ることが大事だとなる

現代は特に長期的視点で見ることができなくなっている、江戸時代なら一次産業が主だから農林漁業が主なものだからそれは自然に依拠した生活だから長期的な視野になる
そして生活も代々親の仕事を受け継ぐとかなっていた
それで職人でも十代とか綿々と受け継がれていたのである、そういう時代は長期的視野で生きられる、木でも50年育つにかかるとしても親から子へと受け継がれのその果実は子供が得るともなる、人間が財産を築くにはそもそも一代ではできないのである
例えば近くでうまい梨を作るのに十年かかったとかなる
必ず何か実りを得るためには時間がかかる、それも一代だけではできないことがある
それで農業は親から受け継ぐことが有利になる、土地もあるしまたノウハウも親から受け継ぐことができるからである

そもそも人間は即製的にすることで何か成しえることが本当はない
そういうものは何か本当の実りをもたらさない、例えは遺産でも何か大きな金が入っても消尽されることがある、身につかないのである
それは自分が苦労して溜めた金ではないからである,ギャンブルでもうけた金もそうである、何か金が身につかないのである
ただ人間はどうしても長期的視野で見れない、何かをすることができない
今もうけなければ第一金が入らなければ事業でもつづけられないとなるからだ
十年後に金がもうけて金が入ればいいとかならないからである
すぐ今もうけなければならないとなっているからである
そんな余裕のある人はいないからである

ただ人間は短期的視野で見ると失敗する、一時的に泡銭とか入ってもそれが成功にはつながらない、そして意外と一代で成功しないというとき親の代の苦労が実はその子供の代になって得られるとかなるのである
何か今成功している人は親の代から受けづくものがあって成功しているともなる
つまり長期的にしか成功はなく成功の果実を得られないともなる
ただ人間は長期的にみれないのである
原発でも今金になるからとみんな賛成した、でも長期的に見れば事故になったらどうなるのかなど考えた人などいないのである、今金になるじゃ賛成だとなってしまうのである
今金になるということしか見えないのである

ともかく自然をみると山でも木でも石でも長い時間を感じる、山とになると億年の重みがあるとかなる、それはそれだけ変化しないものとして常にあったからだとなる
木だってやはり樹齢何百年とかなると時間の長さを感じるし石でも岩でもそうである
でも人間の世界はめまぐるしち変わるから無常だとなってしまう
人間すら今日あったものが明日はないとかなる、人間も生れては死んでゆき無常だとなる人間でも千年くらい生きていたらそういう無常を感じないだろう
老人になると人間は逢ったと思ったらあとは永遠に逢わないともなる
「さよならだけが人生だ」liveとはlieveであり去ることだとなってしまう

それで長期的視野がもてないのである、ただそのことが様々な問題を産んでいる
教育だって即製的インスタントになり長期的視野をもてない教育をする
詰め込み教育とか暗記教育が教える方にとって楽だからそうする
でも教育を長期的に見ればその仕方を違ってくる、明日のための試験のための教育ではなくなる、でも常に短期的にしか見れない、試験が常にありその合格のためにはどうするかしかなくじっくり考えて答え出せとかもない、常にせかされているだけなのである

人生百年時代はその点じっくり何でも取り組むということでいいことにはなる
マイナス面も大きいとして急いで成果を出さなくても百年あれば成果を出せするともなる自分の場合は60過ぎてとかからようやく成果を出しているともなる
つまり人生百年時代はそうなる、あせって成果を出す必要がないのである
退職してからも30年とか40年あればまだ人生の半分しか終わっていないのである
こうなると人生観も変わってしまうのである

急いで得た富は減る。
少しずつたくわえる者はそれを増やすことができる。

箴言13章11節

地道に働くことを奨めている、そうなると一攫千金は奨められない、でも株などは常に一攫千金を求めているからすすめられないとなる
いづれにしろ何事時間がかかる、その時間の計算が長期的にできないのである


posted by 老鶯 at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

先が見えないから失敗する (人間は未来を見ることができない―預言者の意味)


先が見えないから失敗する

(人間はは未来を見ることができない―預言者の意味)

津浪や原発事故ではいかに先をみることが大事か思い知らされた
もし先が見ることができたらこんな大惨事にはならなかった
人間は先が読めない、何でもどう展開するから読めない
それで判断に迷うことになる
道を行くにしても分かれ道があり右を行くべきか左を行くべき迷うことがある
その先が見えないからそうなる、地図もないときはそうである
そして道に迷うことになる

歴史を見る時、今ならすべて結果を見ていて結果から判断する
戦争に負ければなぜ負けたのかとふりかえる、でも戦争する前は戦争で勝つと思ってしたのであり負けることなど考えないのである
負けた結果を見て後世の人は判断する、だから歴史は結果から見る
でもその時代に生きた人達はそういう結果から見れない、どっちに転ぶかもわからないのである、それはサイコロでも振ってみないと結果がわからないのと同じなのである
それでどっちに転ぶかサイコロの丁半(ちょうはん)の世界である

必ず賭けがありその行動の結果がどうでるかはわからないのである
信長の桶狭間にしてもそれは賭けだったのである、天候も影響して勝ったとなるが
どうなるかわからないものだったのである
関ケ原の戦いでも霧が左右したとかあり勝敗はわからないものだったのである
ただ歴史は結果からみているから冷静に見るがその時代の中に生きていればどうなるかわからなかったのである
だから結果からみれば日本の太平洋戦争でもなぜしたのかとなる、馬鹿げているとかなるでもその時は決して負けるなどと思ってしたわけでもないのである
太平洋戦争でも本当はどう展開するかは未知だったのである
日本でも勝つこともありえたのである

聖書が予言者の書だというとき預言者とはあらかじめ予言する人だとなる
なぜそうなったのかというと予言することは生死にかかわることだからである
ノアの箱舟でもそうである、大洪水が来るということは生死にかかわることである
だからノワが箱船を用意したのである
それは馬鹿げていると笑われてもそうしたのである
そして助かったのはノワの一族だけだったとなったのである
予言の大切さを書き記したのが聖書だともなる

例えばソドム、ゴムラが神に滅ぼされるとき危機一髪逃れたのがロトである
まさに危機一髪でありロトの妻ははふりかえり塩の柱となってしまった
その光景を見たとき余りの恐ろしさにそうなったのである
それは津波でも経験した、もうその時瞬時に判断して逃げないと助からなかったからだ
そうして多数の人間が死んだのである
逃げる時間がなかったのである、とっさに何も持たず逃げない限り助からなかったのである

でも津波が来るとして備えていれば原発事故も防げたのである
それで仙台の方で若林地区なのか学者が津波が来ると警告したら地価が安くなるから言うなと口止めされたのである
つまり予言することは危険を伴う、もし予言しても現実に起きなかったら批判される
預言者は殺されて来たからである、つまり予言することは危険がともなうからである
地震学者でも十年以内に地震くる、二十年以内に地震が来るというがそんなこと誰でも言えるのである、でももう十年以内に地震が来たらどうするのか?
その時予言が当たらなかったら死刑にするとかなったら誰もそんなことは言わないのである、だれでも一年以内に地震が来るとか5年以内に来るとかそんなこといくらでも言えるのである、ただ適当に言っていればいいだけである、ただの無責任であり何の責任もないからである

コロナウィルスでもこれを誰も予測した人かいなかった、そして専門家も全く未知のものでありわからないものだった
だから今回は専門家の信頼を失った、これも素人並みだったのである
要するに原因がわからないのである、何で急に増えたのかまた急に減ったのかも専門家がわからないのである
いろいろむずかしいことを言ってもわからなのである
それは地震を予知する学者と変わりなかったのである、そんなこと誰でも言えるとまでなっていたのである
だから専門家会議など無駄だという人もいたのである、それほど専門家が用もないものだったとことに何なのだろとなった
そんな人達に国で金を払うとなるとこれも無駄だとなる

人間にとってあらかじめ知ることがいかに大事か

だから聖書は預言の書だとなる、預言者が中心になって記された書だとなる
預言者とは神から遣わされた役をであるからだ
その役を科学者が津波の予言でしたとき予言者と同じように批判されて脅かされたとなる人間はともかく利益を求める、欲を求める、それを止められると激怒する
不動産業の人が津波がここに来ると学者が言った時言うなとなったのもそうである
原発でもみんな利益を求めるからやめろとなるともうそういう人は住めなくなっていた
宗教は本来欲を制御するものだがそんなことを許す人はいないしそうしたら人は集まらない、だからカルト教団になるとかえって世俗より欲を追求することになる
底辺層になれば金持ちになるとか地位がある人になるとか何でも御利益であり福運だとかなる、ところが現実は底辺層は確率的には不幸からさらに不幸になる人が多いのである
それは別に宗教とは関係ない、百万人も底辺層ならどうしてもさらに底辺化して悪いことが起きる確率が大きくなるということである

ただ人間は将来のこと未来のことがわからない、何が起きるかわからない、いくら科学が発達してもわかららない、未来がいくら科学技術が発達してもわからないのである
未来を知りえるのは全能の神しかない、未来を知るというが神が未来を作りだすからである、もしかしたら今の地球を滅びても新しい惑星を作り出してそこに選ばれた人間が住まわせるということある、そんなことができるのが全能の神だとなるからだ
つまり未来を知り作るのは人間ではないのである、全能なる神なのである
この世に理想郷などできない、むしろハルマゲドンであり業火のうちに滅びる
それが予言れれ予定されているのである

だから神の選ばれたものを救出する、それが聖書に記されていることなのである
人間の未来は科学技術によって生まれない、それが原発事故で証明された
科学技術が万能になることはない、むしろ科学技術よって核戦争のように滅びるということが確立として大きいともなる
人間は人間の業(カルマ)によって滅びるということである
科学技術でもすべていいものとてしは働かないからである
その滅びの日が迫っているのかもしれない、グロ−バル化することは世界が一つのように見えてきている、またイスラエルが建国されたこともその日が近いともなる
人類の業〈カルマ)の総決算が起きてくる時が迫りつつあるのかもしれない
明らかにそこには神の意志が働くのであり何か自然現象として科学的に起こるのではない自然を越えた所に神が実在して神の意志で滅ぼされるのである




2021年10月13日

金は具体的な責任だった (原発で金をもらった官僚でも返すべき)


金は具体的な責任だった

(原発で金をもらった官僚でも返すべき)


監督官庁である経済産業省と電力会社との癒着による安全監視体制の欠如だ。原発を持つ電力会社9社に、役員として天下った経産官僚は、過去数年に限っても分かっただけで10人。天下り後は猛スピードで常務や副社長に昇格するのが通例で、年収は推定2000万円〜5000万円+退職金。無責任な官僚の豊かな老後と引き替えに、国民がモルモットにされている。

副社長の推定年俸は、有価証券報告書に記載された役員報酬総額から推定すると、低く見積もっても約4000万円。東電在任中に白川氏が億の単位の金を稼いだことは確かだ。
 白川氏が経産省時代にやっていた仕事とは電気を安定して供給するよう電力会社を指導することだった。この指導役がいったん役所を退職すると電力会社に高給で雇われたわけだ
http://www.mynewsjapan.com/reports/1416

原発事故の責任は東電でもそこで恩恵を受けた官僚でも天下りした官僚でもとっていない官僚でも海上保安庁からも検察からも警察からも様々な人達が天下りしていた
ただ官僚だけではない,原発マネーはあらゆる分野や湯水のようにばらまかれたのである電事連では800億円とかがマスコミに宣伝費としてばらまかれた
そこには朝日新聞さえ入っていたのである
丁度原発が爆発した時中国に東電がマスコミの幹部を招待していたのである
この原発マネーは地元の有力者にもばらまかれた、それで大熊町長が津波で流された5億円の金庫を探してほしいとなったのである

とにかく原発マネーは想像を絶する巨額なものだった、それは事故後でもそうである
何兆円という金が除染に使われたり延々と巨額の金がつぎ込まれたことに驚いた
原発とは普通の一企業のことではない、国家的大事業であり規模が違っていたのである
だから金でも湯水のようにそこから出て来る
それでその金でモラルでも何でも麻痺したともなる

金になればいいじゃない

まずこれしかないのである、そこで危険性は見逃されたのである
最初は高い場所に原発を建てる計画でもそれをやめた、わざわざ高くした盛り土を削って低くしたのである、地下に電源を置いていたためだともなる
地下に電源を置いたのはアメリカに習ったからである、アメリカでは竜巻があり地下に電源を置いていたからである、これも日本の風土を無視してそうなったのである
日本の技術者がそういうことを考慮しない結果でありアメリカ頼りのためにそうなったのである
日本の技術ではそもそも原発を操作することができなかったのである
だから湯川秀樹博士まだ早いとして反対したのである

科学者でも技術者でも全部が無能わけでもないし有能な人は相当数いたのである
だから配管が危ないとか危険性を指摘していたが東電は受け付けなかったのである
近いうちに十数メートルの津波が来るとして科学者集団が指摘もしていた
これだけ別に有能な科学者がいたのである、ただ東電はコストがかかるととたあわなかったのである
東電という会社自体の問題があった,コストカッターとして社長にのし上がったのが事故を起こした時の社長だったことでもわかる
コストが優先であり危険は無視されたのである

とにかく原発事故の責任は誰なのか?

そのことが明確にされていないのである、そして裁判になっても無罪を主張しているのである、罪にされないのである、そもそもその裁く検察が天下りしていたのだから裁くこともできないともなる、東電で利益を得ていたからである
でも責任を問いばこうして天下りした官僚にも責任があった、それが全然問われないのである

責任が何かというとき金をもらうことが責任だとつくづく思った
でも実際はこの世の中で金をもらえばそれは何でもいいとなっている
金を得れば勝ちだともなる、でも金には何か必ず責任が生じている
金をもらうことは具体的な責任となりカルマとなる
私は何も責任はありませんと言ってもこれだけの事故を起こしたのだから
「あなたは東電から多額の金をもらっていたでしょう」それが責任なのです
あなたたちはもっと東電にかかわり安全を計る立場にあったのです
こうなってしまうのである、金をもらえばいいというだけではかたづかないことだったのである、やはり重大な責任が課せられていて多額の金をもらっていたのである
金をもらうこと金を得ることは責任なのである

それは地元の人に言えた、船主などは原発御殿が建つほど事故前も補償金をもらっていたからである、事故後ならもらっても問題ないが事故前にもらう権利があったのかとなる
漁業権を売ってもらったからだ、それで海を汚したからとして補償金をまた要求する
船主とか漁業関係者の補償は特別多かったから問題になった
つまり今になって金をもらったことの責任が問われるようになったのである
だから金をもらうことは具体的な責任としてわかりやすいのである

ただ正直人間は金をもらえばいいとしかない、その金がどういう金であれそうなりやすいそしてその金を追求すると誰しもその金が良い金なのか悪い金なのかとなると判断がつかなくなる、そんなことしていたら本当に金持ちになれないし金持ちはみんな不正に金をもらっているとなる、株とかでもうけた金も実は黒い金不正な金だともなる
弁護士でもなぜ相談しただけで百万もとったのかそれも今になるとおかしいと気づいたのである、何かそうして金は具体的な責任でありそれがやがてカルマとなって現れる

そういう自分でも親が公務員だったので得していることを知っている
するとそれも不正の金であるとなる
そういうことでもしかしたら親が介護になり死んだりして大金を盗まれたのもそういう因縁があったからなのかともなる
何かしら金にはそういう悪い金がありそれとかかわらない人がいないかもしれなからだ
ただその額は小さいが東電の場合は余りにも大きいから問題になったのである

だから東電に事故にかかわって得た金は官僚でも返すべきである
東電の原発にかかわって法外な金を得た人は返すべきだとなる
それが責任であり全く幹部でも金を返さないし責任が問われない、幹部は財産没収してもいいくらいである、でも全然その責任が問われないのである
地元の人達も責任があったが故郷に住めなくなったということで責任とらされたのであるもちろんその人達も金をもらって承認したのだから責任があった
金をもらったのだから共犯者であり何も言うなともなる

つまり金をもらうことはそういうことなのである、共犯者であり責任があるから何も言うなとなってしまう
こんなことを言っていたら確かにもう金をためること金を得ることができなくなるかもしれない、でももしそうした金をもらっていなければ責任を問われることがなかったことは確かである、そこに金の怖さがある

事故後でも補償金でこの辺はもめた、30キロ圏内は南相馬市だったら原町区までは手厚い補償金をもらったのである
そして十年間も医療費無料高速無料になっていたのである、30キロ圏からはずれた鹿島区は一人70万の補償で終わったし医療費は半年で打ち切られた
高速もそうである、最近になって高速無料にした、さらに30キロ圏内は医療費が一年くらい延期されて補償されるようになった、この差は大きいものだった

ただまたこの金のことでこれだけ補償して金をやったのだから文句言うなともなる
30キロ圏内ではそうなる、そうすると東電に文句もあまり言えないとなる
それもまた金の効果なのである、金をやるから東電に文句を政府にも言うなとなる
それをある程度受け入れるほかない、それはなぜか?

金をもらったからである

でも奇妙なのは私が住んでいる地区は一人70万しかもらっていない、隣の原町区は三倍もらっているのである

するとどうなるのか?

不満があり東電でも政府でも批判することになる、それができるのはなぜなのか?

金を少なくしかもらっていないからだ!

もし原町区のように三倍ももらっていたら批判しにくくなるのである
それで私はプログで原発事故のことを追求できるとはなったのである
でもマスコミのようにお前に宣伝費として金を払うからとなると批判はできなくなる
それがマスコミであり福島県の新聞でも雑誌でもそういうことがあったのである
何しろ新聞でも雑誌でも出すには金がかかるからそうなる
だから財界福島とかでは東電の批判を最初していたがやめたとされる
東北政経でも相双リテックの宣伝をのせている、そこで多額の除染マネーが入って幹部で億の金を山分けしていたのである、でも東北政経ではそれを批判できない、宣伝費として相双リテックから金をもらっているからである

マスコミも東電から金をもらっているから批判しにくいとなる
地元の人でも東電で金を得ているからそこで働いた人たちは批判しにくいと言っていたことでもわかる、金をもらうということはそういうことなのである
全く金をもらわなかったらそういうことはありえないのである
それでドラマにしろヤクザが親分から金をもらったから頼まれて人を殺した
それも金をもらったからだとしてる、金というのはそういう責任を課せられていたのである

だから金の流れをつかむと悪が見えやすいから裁判では金の流れを把握する
それによって犯罪を追求できる、具体的な証拠となる
そしてグロ−バル経済とかではもう金の流が天文学のような数字になって見えない
だから必ず陰謀論になる、巨額の金が不正に流れる、その金で世界が操作されているとなる、それはまさに悪魔的だともなる、ただ世界となるとその規模が大きすぎて見えなくなるのである、でもその金の流れから悪が具体的に見えることになる
ただ金にしても使う時とを使われるのかも問題になる

猪苗代湖で水上ボートで子供を殺して親の脚を切断するほどの事故を起こした人はこの辺で工事が多くなって足場事業で金が入って人だったのである
また補償金でレクサスとか高級な車を買った人も多くひんしゅくをかったのである
だから金を何に使うかも具体的なものとして見えるからそれが責任にもなる
つまり金の流れからみると具体的でありわかりやすく悪が可視化できるのである

いづれにしろ責任を追及すればそうした金は返すべきだとなる
官僚でも天下りした人達とか東電にかかわり法外な金を得た人達は返すべきだともなる
まずその人達は何の責任も自覚していない、ただ得しただけだからである
法律的には返さなくてもいいとしてモラル的には返すべきだとなる
それが責任を果たすことだがそんなこと一切ないのである
だから誰も原発事故では責任をとっていないのである
何か会社で不正な金が使われると自殺したりする人がいるがこれだけの大事故でも大惨事でも東電では一人もそういう人はいない、良心の呵責にな苦しんだ人は一人もいないとなる、幹部でも無罪だとか主張しているだけなのである
それを裁く検察もまた金をもらった有罪の人であり犯罪者だとなったら裁くことなどできないのである
だから巨悪となるともう人間では裁けないとなり神が裁くほか裁くことが不可能になるのである

posted by 老鶯 at 14:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2021年10月14日

abstract mountains-closed mountain


abstract mountains-closed mountain


vallyab111.jpg

閉ざされた山々
深い渓谷
その奥処から
一すじ水晶の流れ
山々は高くせり上がり
人を寄せ付けず
一すじ水晶の流れが光る

Closed Mountains
Deep Valley
in the back of there
The flow of one-spling crystal
The mountains rise high.
Keep out people
The flow of the one-spled crystal shines

abmmmsnowm1.jpg

snowymmmab11.jpg

closedcliff1.jpg

abmmmmm11122.jpg

rivermouth11.jpg

2021年10月15日

秋の日新地から松川浦に行く(俳句と短歌)


秋の日新地から松川浦に行く(俳句と短歌)

isohiyodori222.jpg

fishingship1.jpg

sagimatukawa111.jpg
松川浦

街道の松並木行く実りかな

白波にイソヒヨドリや秋の海

島見えて沖行く船や秋の海

船帰る漁はいかにや秋鴎

松二本津波に残り秋の暮

新地なる高台に望む秋の海

秋の灯や一軒知りぬ農家かな

松一本残りてあわれ月光る

虫の鳴く夜道を行くや知りし道


松川浦秋の夕日の水面にそ光りつまぶし月のいずかな

杉林径の暗しも黒々と森に家々秋の日に行く

秋日さし土蔵の蔵の古りにけりここに住みに歳月思ふ

夕べなお餌を漁るや鷺のいて松川浦の秋の日暮れぬ

ここになお残れる松の二本かな津波の被害語る女あり


新地まで自転車で行った、最初イソヒヨドリを見つけた、それを写真にとった
でもこれは一眼レフで撮ったものではない、記録のカードを入れていなかったので
失敗した
20倍のデジタルカメラで撮ったせのは残っていた
これはかなり遠くまで撮れるものだった

金華山とか牡鹿半島がぼんやり見えたがはっきりは見えなかった
写真では漁船がまじかに見えるように映っていた

新地は森は結構多い、杉林の中に道があったり森の中に家々がある
また高台の住宅地から海が見える
新地だったらまた行けばいい、新地まではなんとか行ける
相馬藩内だと自転車で日帰りできる範囲である、後は丸森までは行ける
葛尾村も相馬藩なのだがここだと遠くなり日帰りがむずかしくなる
ここは三春の方が近くなるのである

帰りは松川浦の方にまわった、夕方になりすぐ暗くなり月がでていた
鷺がみかけたけど鷺は夏の季語である、ただ松川浦には浅瀬がありいつも餌を漁っている鷺を見かけるのである

原釜の津浪伝承館の前に二本の松がありこれは津波でも残ったものである
この松は古い、曲がっていていい松である
そこで磯部の津浪の被害にあった人と話した、その女は家族は亡くしていなかった
でも磯部は一番悲惨だった、村ごと消失したからである
その松が残っていたのは松川浦が入江になっていて地形が複雑だからである
磯部は海岸に接してあり前に何もない、津波は地形に影響されたのである

今回はそれほど疲れなかった、秋は涼しいからいいのである、暑いともう自転車では遠くに行けない、またあまり寒くなっても行けない
今頃が一番いいとなる、だからまだ気候が良ければまだ行けるなとも見ているのである

matushinsai11.jpg
原釜の二本の松が写っている津浪伝承館の写真
https://rubese.net/gurucomi001/?id=1750664

行き場のない老人 (人生百年時代に備えられていない)


行き場のない老人

(人生百年時代に備えられていない)

ただ、定年退職者を取材した時に、私の問いに正面から答えてくれた人たちのなかには、「毎日やることがなくて困っている」、「一番自由な今が一番しんどい」、「家で居場所がない」、「暇になったのに焦る」、「嫌な上司もいないよりはマシ」などと語られることがある。なかには「このままの毎日が続くと思うと、自分の人生は何だったのかと思うときがある」とまで発言した人もいたのである。

これも老後が長くなる高齢化社会の問題である、江戸時代とか戦前とかふりかえればこういう問題はあまりなかったろう、なぜならもうこうなる前に寿命が短いから死んでいた
長生きした老人はいろいろな生きじびきとかなり教えることがあり敬われたとなる
長老となり村でも指導する立場になって役割があった
そして社会自体が今のようにめまぐるしく技術でも進歩しない社会だった
今になると技術の進歩が激しいからかえってパソコンでもスマホでも使えないとなると
時代についていけず取り残される、情報でもテレビとか新聞だけでは通用しなくなっているからだ

そして今は地域とか関係ないのである、田舎でも関係なくなっている
それがわかるのは近くでも何して働いて食べているのかわからないのである
この家の人は何して働いているのかわからない、この辺では原発事故で移り住んだ人が多いので余計にわからないのである
戦後十年だと会社員というのはわずかだったろう、小さな店とか自営業が多かった
だからたいがい近所で何をしているか仕事がわかっていた
竹で篭を作っていたとか精米屋とか漆塗りしていたとか石屋とか大工とか職人でも自営業であり会社員というのはなかった
あとはほとんど農民とか漁師とかキコリとかであった
今は会社員だとするとき個々人とか家業でないからわかりにくいのである

ともかく何か社会でも身近で理解できるものとしてあった
すると親の仕事をみて習い跡を継ぐ人も多かった、職人ですら十代以上つづいていた家もある、技術とか変わらないからそうして続けられていたのである
農業だってこれは変わりにくいものであり家の跡を継ぐことになる
そういう社会は変化がないが老人にとってはいい社会だったかもしれない
隠居するとかで自分の趣味に打ち込むとか若い人に教えることがあり尊敬されていたとなる
技術が変化しないから陶芸などの仕事など子供に教えることができるからだ

今は会社員になったとき会社を退職するとでは何を教えるのか?

例えば自転車屋だったら自転車のことを教えられる、でもそういう仕事はなくなりすべてが会社員になったとき何を教えるのかとなる、退職したとたんに何も用ない人になるのだこれは実際怖いことである、人間は仕事を見て人間をみる
極わずかの人は芸術家などはアウトサイダーになる、そうなるのは社会というのはみんな仕事をもって生活しているからである、芸術家は仕事になりにくいからである
だから今度は仕事をしないニートとか老人は社会で無用のものとされこくつぶしとなる
肩身の狭い思いで暮らすほかない、何か昼間ぶらぶらしていると警官が職務質問したりする、また勝手にボランティアなどすると怪しまれてまた警官が職務質問に来る
ボランティアは意外と簡単にやれないしめんどうなものなのである
そこにボランティアの無責任とかもともと仕事は会社でするものになったとき会社とは会社員が共同でするものであり勝手に会社員でないものが働くことはできない
そういう人は会社にとって邪魔なのである

こうして老人の行き場がなくなる、そしてどこが行き場なのか?
それが医者とか病院なのである
そうして現実に病院通いとか医者通いしている老人が多いのである
それで病院では老人が集まり病気の話をしたりサロンのようになっているというのも現実である
だからつくづくそうして使われる金も膨大になっているのだ
それが保険から出ていて財政を圧迫もしているのである
とにかく老人で盛り上がるのは病気の話なのである
何かその人はたいして病気でもないのに医者に通っているのかともいらない薬も飲んでいるのかとも見てしまうのである
ただそこで老人はいたわられ病気であることによって存在が認められているともなるのだ社会では一切認められない存在でも病気となり医者に認められ病気ではまともに相手をしてくれるとなる、他はどこでもまともに相手にしてくれないとなる
また住宅で底辺層が生活しているがネコ十匹飼っていたり光る金属片を部屋の前にぶらさげてそれが光るので眼が悪くするとノイローゼになっている人もいる
こういう用のない老人は全国で膨大になっていることは確かである
ただ迷惑人間になっているだけなのである、邪魔な老人になっているだけなのである

でも何かしようとすると

老人は何もするな、邪魔だ

こうなっているのである、こういう社会なのである、だから人生百年はただ苦痛であり
地獄だとなる人も多くなる、社会のシステム上でそうなっていることも多いのである
ただ人手不足でシニアも働く社会にはなっている、働かざるをえない社会にはなっているだから70でも働く人は多いとなる、それなら社会に認められたとなるからいいとなる
ただ社会から受け入れられない老人も多い、

ゲートボールの方は面白そうなんですけど、これは退屈で要するに単なる老人界の社交場なんでしょう。若い時に非リア充だった人には辛そうです

あと平均年齢が非常に高いです。70歳以下は居ないんじゃないかな?考えてみたら今の60歳代は普通に働いている人が多いです

こんなふうに遊んでいる老人は眼につく、でもそれは社会に何か貢献するものではないのである、何か家で邪魔になるからそこに行っているとも聞くからである

そもそも人生百年に備えることなど誰もできない、退職してから30年でもあるとしたら相当に長いからである、だから死後が無ければ暇をもてあますとなる
そして社会貢献としてボランティアすることは本当にハードルが高く犯罪者にもされる
そういう人がいて実際に問題になって事件にもなっているからだ
今野社会はみんなでチームを組んでしているのであり勝手にボランティアなどできないのである、するとどこにも自分の場がないとなるのである

人生百年に備えるのにはライフワークを持つことである、生涯エネルギーをそそぎこむものを持つことである、それが収入にならなくてもそうである
私は一切収入をう得たこともないのに芸術とかを追求してきたからである
それで最近みんなアーティスになれということも時代が変わったなと思う
そんなこと団塊の世代とか猛烈企業戦士の時代にはありえなかったからである
本当は昔の仕事は農民でも職人でも一生の仕事でありそこで技を磨いていたのである
スキルを磨いていたのである
意外とこのスキルを磨くことが大事なのである

それがわかったのは全く絵の才能もない自分がパソコンのソフトで抽象画を大量に作ったことである、これは技術があればできる、artは技術なのである
つまりコンピュターが生まれて新たな技術が生まれてできたものなのである
そのスキルを身につけると大量の抽象画ができることがわかった
その素材はインタ−ネット上に無限にあるからそれをソフトで変化させればできるのである、全く絵の才能がなくてもできるのである

とにかく人生百年の問題は今まで経験していないことだからいろいろな問題が生まれる
ただ会社員になっていると会社を退職したた同時に無用化される
それははっきり見えている、その後は用なしのごくつぶしにされるから問題なのである
それは苦痛であり何をすればいいのかとだらだら暇つぶしに過ごすことになる
でも芸術家なら自分の作品の完成に産後まで励むからいいとはなる
ただみんなが芸術家となるわけにいかない、ただ人生百年時代の備えは早めにしていた方がいいとなる、金の問題でも暇の問題でもやはり何か打ち込むものが人間には必要なのである、会社を退職したときその仲間でも生きがいでも失う、でもなかなかその前に備えるのがむずかしいのである人生百年時代を実りあるものにするのは大きな課題になっている
仕事を持っている人は金も必要だか人生百年では勝ち組
仕事の持たない人はごくつぶし、誰も価値あると認めない
金があってもただ食べるだけのごくつぶし

この辺では原発事故で補償金暮らしになった人が多い、その人たちはパチンコとかギャンブルするしかやることがなくなった、それでひんしゅくをかった
でも仕事をしている人がいてそういう人は必要であり価値あるものと認められる
だから金も必要にしても仕事も大事になる
仕事をしていれば他の人も価値ある者と認めるからである
金があっても仕事をしていなければ認めないとなるからだ

人生百年となると教育でも変えねばならない、知的能力の進歩とか何か人間が今までの様な肉体労働だけではない知的な方面での進歩をうながしている、別に特別な人だけではないあらゆる人にうながしている
だからみんアーティストになれというときそうなのである
他にも素人学者になれはかもある、そういう過渡期に起きたことでもある
そこでこれは教育から子供の時の教育から見直す必要がある
自分が好きなのもを早めに見出して一生続けることが大事になる
そこで暗記教育とか受験教育はかすべて実用に結びつくのではない遊びの要素を多く取り入れたものを追求することである、もう読み書きソロバンの時代は終わっている
創造的教育が必要な時代なのである


2021年10月16日

田舎で凶悪犯罪が増える-安心院町の事件 (日本が貧乏になり犯罪が増えてアメリカのようになる?)


田舎で凶悪犯罪が増える-安心院町の事件

(日本が貧乏になり犯罪が増えてアメリカのようになる?)

大分県宇佐市安心院(あじむ)町荘の民家で昨年2月、住人の郵便配達員山名博之さん(当時51歳)と母親の高子さん(当時79歳)が殺害された事件で、同県警は15日、大分市緑が丘1、会社員佐藤翔一容疑者(36)を強盗殺人容疑で逮捕した。

 発表によると、佐藤容疑者は昨年2月2日、山名さん方で、刃物のようなもので2人の首を突き刺すなどして殺害し、現金数万円を奪った疑い。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c7ebc51a9f9f37e1f930fdde2516dedb3bb6ea61

農村の民家に泊まり、食卓を共にし、
田舎のあるがままの生活を体験する「農泊」。
安心院は「農泊発祥の地」です。
https://www.ajimu-ngt.jp/

数万で二人も殺すということが信じれない、これは何なのだろう
それも田舎町なのである 安心院(あじむ)とは安心できる町だともなる
最近凶悪な犯罪が増えているというときなぜだろうとなる
これも金が欲しくての犯罪である、ただ会社員なのだからそれもわからない

ただ今田舎でも金のない人が増えている、金がなく追い詰められている人がいる
この人もそうだったのか、でもこれほどの凶悪な犯罪になるのが理解できない
それでもわかることはこうした犯罪は起こり安いのは泥棒でも顔を見られると襲ってくる泥棒でも捕まることに恐怖しているからそうなる
だから家の中でばったりでも犯人と出くわしたら危険だとなる
また犯人を捕まえようとしたら争うなとも警察の経験者が言う
つまり泥棒の方が真剣であり顔を見られることなどで凶悪な犯行になる

そういうことで自分の家にも泥棒が入ったのである
なにかがたがたしていた、でも自分は寝ていた、その泥棒とは顔を合せなかったのが良かった、金はなく盗られたものもなかった、金庫は空けられていたが金はなかった
ただ前にはかえって家を手伝ってもらった人に留守の時大金を盗まれた
たまたま金を下ろしていたのを盗まれた

なぜ今田舎でも凶悪な犯罪が起きているのか?

それはみんな生活が苦しい金がないからである、これは明確なのである
老人でも年金で生活できない、10万ももらっていない人がいる
厚生年金でも平均15万くらいだとぎりぎりだとなる
それくらい今は老後生活でも悠々自適の人は少ないのである
それで老人の犯罪を増えているのがわかる
こうして追い詰められている人間は善悪の問題もてくなる
目前の金が欲しいというだけで凶悪な犯罪にもなる
田舎でなぜ起きるかというときこれも田舎でも生活が苦しいからである
田舎がのんびりしているとか素朴などない、やはり今の時代は金がなければ余裕が生まれないのである

田舎は金がかからないということはない、物価でも東京より高いということもあるし必ず一人一台車を持っている、その金も馬鹿にできないのである
また毎日十円でも節約するために安いものを買うことに苦心している人もいる
その人はもう生活できない状態である、だから果物でも高いと食べていない
体も普通の人より老いて悪くなっている、だから今度は薬代とか病院代とかかかる
本当だったら医者にかかることもできないのだが援助があり辛うじて行っている
知っている人はまた糖尿病で退院しては入院してやはり金がかかっている
保険があっても金がかかることが結構ある

でもこの事件でわからないのは年齢的に若いし会社員でもあり無職でもない
だからなぜ数万でこんな凶悪犯罪を犯したことが理解できない
ただそれは事のなりゆきでそうなったのかもしれない、そんなつもりがなくても事の成り行きでそうなったのかともみるが理解しにくい
数万で二人殺して死刑になるとなれば馬鹿らしいともなり理解不可能だとなるからだ
数万のために死刑になることは理解不可能だとなる

もう田舎が安心だということはない、安心院とかあるが安心はない
田舎でも金がなければ生きていけない、この辺では原発事故があり多額の補償金がもらえるとなり眼の色を変えてその金で地域も分断された
地域の復興がどうのこうのとなったけど実際は金をくれ、もっとくれしかなくなったのである、そして暇になり仮設に入った人達はパチンコとかギャンブルだったのである
あとは補償金くれしかなくなった、故郷とは補償金をもらう場所としての利権の場ともなったのである

自分が病気にもなり二人の親の介護で苦しんでも今度は金をとるチャンスとなるだけだった、借金している人が来たりしてある人に大金を盗まれたりさんざんな目にあった
もはや田舎とか関係ない、金がすべての時代になっている
第一こんな凶悪な事件が起きること自体信じられないとなるからだ
それはこの事件ではわからないが金に追い詰められている人が増えたことである
もうぎりぎりの生活であり食べることもままならないとしたら何か善悪とか関係なくなるだから追い詰められた人間は一番怖いとなる
でもこの会社員がそんなに追い詰められていたのかとなると理解できないとなる

でもこれからの日本は犯罪が増えてゆくことは確かである
もう老後でも食べることもままならないとなればそうなってゆく
だから物騒な時代になったのである、田舎でも安心院にはならない、安心できないのである、ただ犯罪を犯した人はもともとそこの町に住んでいた人ではないみたいだ
ただそれにしても怖い時代になっている
その原因はみんな金に困り余裕がなくなっていることなのだ

すると田舎の金持ちでもまた都会の金持ちでも危険になってくる
高い塀を作り鉄条網まで備えている家があるということもわかる
外国ではアメリカなどはそうして守らないと住んでいられない、日本だってそうなってゆくかもしれない、そういう前兆が出てきているのかもしれない

日本が貧乏になることはどうしても犯罪が増えてくるのである
格差社会でもそうである、そうなると金持ちでも安心して暮らしていけなくなるのであるアメリカの投資家が日本でも犯罪が増えてアメリカのようになると警告している
アメリカに習った日本は何でもアメリカと似てくるのである
日本の良さは豊かになっていた時代がなくなると犯罪国家にもなる
そういう兆候がすでに現れている、それが田舎とか都会とか関係なくなっているのであるすべてが金だというときそうなってゆく社会だからである
posted by 老鶯 at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層