2021年09月20日

思考脳、創造脳を鍛える時代 (数学も考える手段としてあった)


思考脳、創造脳を鍛える時代

(数学も考える手段としてあった)

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私は文系であり数学が苦手だった、その原因が必ずしも生来的なものではなく学校での暗記教育にあった、だから高校まで自分で考えて勉強したこともない
何か興味あって自ら勉強したこともなかった
まず家には一冊の本もないのだから家で自主的に勉強する環境がなかった
また成長しても30才以上になっても家に一冊も本がなかった
それでいつも本を買うために仙台市まで行くほかなかった
専門的な本がまず売っていない、そして仙台市でも本は限られていたのである
これは相当なハンディキャップがある、なぜなら文系となると本を読めば知識が広まるからである

本が買いないとすると知識を広め深めようがないのである
それで町の本屋では「冠婚葬祭」とかが百万部も売れてベストセラーになっていたのである、要するにそんな本しか置いていない、田舎では専門的な本を読む人自体極端に少ないからである
東京だと古本屋もあり本は手に入る、それでわざわざ東京まで行って全集を買ったりしたまず本を手に入れることが知識を広める深めることでありそれ意外にないとしたら
勉強しようがないとなってしまうのである
ただ田舎は感性を磨くのには適している、自然があるから適している
逆行に東京とかなると感性は磨けない、自然がないからである
すると俳句とか短歌でもなかなか作れない、季語が必要でありその季語は自然の中で農民が暮らしの中で作りだしてきたものだからである

勉強とは試験のためにしているのではない、でも実際は試験のためでありそれも暗記だけの教育でありそうなると何かに興味を持つこともできないのである
だから高校まで何か考えたことはなかった
人間が生きることは無数の疑問がありなぜかと考えることが人間たらしめている
それで宇宙は考えないが人間は芦のように弱い存在だか考えることで宇宙より優っているとかにもなった
考えない人間はそもそも人間でもないとなる、奴隷だともなるし機械だともなる
現実にこれほど文明化しても自ら考えない人は多数なのである
それでカルト教団とか大衆を洗脳するマスコミに支配されることになる

数学でも実際苦手でも考える手段として学べば専門家になれなくても興味をもつ
ただ暗記だけだったらそれは考えないのだからつまらないとなる
でも江戸時代辺りまでは実用として読み書きそろばんが必修であり自ら何かを考えるということはできない環境だった
でもそろばんができるとか子供のとき自慢になったがコンピュターがでてきて何の役にもたたなくその労力も無駄になった
活字拾いをして印刷していた文選の仕事も能力として認められていたがそれもコンピュター化して役たたないものとしてその技術で就職しようとしたが採用されず犯罪者になったというドラマを見た

人間社会にはこういうことが常にある、もともとあった技術が進歩して新しい技術になったとき不用になる、そのために職を失う
静岡では大井川の渡しの仕事をしていた人が明治になり失業した、その人達はお茶作りをするようになったのである
人間社会には常に技術とか時代が変わりこれまでの技術でも知識でも無用化される
そういうことは常に起っている
もし技術でも時代が変わらなければ経験あるものが歳の功となり偉いとなっていたのである、老人は尊敬されていたとなる、でも今は技術革新の時代であり老人の経験も活きてこないから老人はいらないとなるのである

要するにこれから大事なことは思考脳と創造脳を鍛えることである
ただ暗記していては世界の競争に勝てないからである、日本は暗記脳に優れていて明治維新とか戦後の高度成長を成すことができた
それもものまねに優れていたというにすぎなかった
日本で戦後電器製品が売れたのは別に発明でもなかったのである
日本で優れているのは改良改善だというとき何か全く新しいものを作りだしたことではないのである、日本人はそもそも自ら考えることがない同調民族でありみんな同じにしようとする、だから異質な者を特に嫌う、村社会なのである
だから何か変わった奴は嫌われて排除される
でも大陸となると違っている、中国でもあれだけ広いから変わった人間もいる
そういう人間も役立つとかとみる、寛容さがある
それで「奇貨置くべし」とかの格言が残る、変わった奴も何かに役立つとして食客として食わせておくとなる
こういう志向が日本人にはないのである

いづれにしろ自分はもともと学問とか好きだったのだが学校での暗記脳教育で自ら考えることをしないので興味を失った、私が自ら勉強しはじめたのは大学を出てからだったのである、それで何か理解することが遅すぎたのである
もはや死ぬ時期になり理解力と思考脳ができてきたのである
第一50歳からバックパッカーになって世界を旅行したことも遅かったのである
それで相当に時間を無駄にしたのである

例えばグロ−バル化を考える時、数学的に考える時どうなるのか?

距離、時間、スピードの関係で考えると距離は変わらないが時間は短縮できる
スピードを速くすれば短縮できる、10キロを一時間で行くとして徒歩で行くのと車で行くのと違ってくる、100キロを時速50キロなら2時間で行く時速70キロなら
100÷七〇=・・になる1・4時間とかなる

AからBまで行く時間は短縮できる、距離自体は変わらなくてもスピードが速くなれば短縮できる、そうして世界には相当な距離で隔てられていても世界の物流が早くなる
物を運ぶにしても船と飛行機では格段の差かある
百倍とか千倍の差がある、なぜなら船だと一か月とかかかってしまうからである
その差が大きくヒト、モノの交流が盛んになりグロ−バル化社会が生まれた
そして時間でもそれだけスピードによって変わった時、空間も拡大して認識する

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正方四辺形を一周する時間を図式化する、一辺一時間で行くすると一周するのに四時間かかる、次にその倍の面積になると二時間で一辺を回ると八時間かかる、次に一辺を三時間で回ると一二時間かかる
つまり空間軸が広がるとその広さを理解するにも到達するにも時間がかかる
ただスピードを速くすれば早く回れる到達するとなる
それで空間の理解が深まることはないのである
確かなことは空間軸が拡大することによって比例してそこを回り理解するのには時間がかかることなのである、空間軸が拡大すれば時間軸も拡大する、比例する
ただそれは数学的な思考でありその空間を理解することは数学のようには理解できない
ただ空間が拡大すれば時間も多く必要になることは確かなのである
でも飛行機で世界を回っても空間を理解することはできないのである

いづれにしろグロ−バル化するということは距離を短縮する、距離自体は不変だがスピードによって距離を短縮するとなる
空間が拡大してスピードが速くなるとどうなるのか、世界の経済成長とか技術が伝播する時間が極端に短縮したのである、中国が十年そこらで急成長したのも交通の発達で空間が狭められたからである、すぐに先進国に追いついたのである
飛行機がないような時代はそういうことは不可能だった、船で運ぶような時代では不可能だったのである
またインタ−ネットとかで通信で世界が結ばれるのもグロ−バル化を促進した
江戸時代のように飛脚で手紙でも運んでいたら時間がかかりすぎる
瞬時に世界と交信できるので世界が村となるというマクルハーンが言ったようになった
ただ通信でも映像でも瞬時に送られてもそこにはぞの場のこと空間を地理を理解することはできない、それで誤解が生まれて油まみれの海鳥を世界では誤解した
イラク戦争でイラクが悪い奴だとすりこまれて怒りになったのである
その周りは別に油に汚染されていなかったのである

ともかく文系であれ理系であれ思考脳を鍛えることが大事になる、数学をただ暗記だけで教えないことである、図形を使い考えさせる思考脳を鍛える教育が必要になる
思考脳と創造脳を感性脳を鍛えることが必要になる、これからのグロ−バル化世界では思考脳感性脳創造脳が求められているからだ、これは子どもの時から訓練していないと身につかない
簡単なことでも計算でも思考脳を鍛える、だからソロバンのようなものはもう役に立たない、それはあくまでも暗記脳だけのものだからである
そうなれば計算機とか機械に変わられたのである
暗記脳的なものはコンピュター化される、AI化される、翻訳でもAI化されている
ただ思考脳と創造脳は絶対にAI化できないのである
つまり思考脳と創造脳が人間たらしめているのである
結局人間の能力は実は見出されていない、開発されていないのである
何か素質があり生まれつきなものがあったとしてもそれが開発されないと埋もれたままなのである、その素質が遺伝で決まっているとしてもそれが見いだされ開発されなかったら才能も開花しないのである

これからの教育は一律に学ぶ暗記脳から思考脳と創造脳を鍛えることである
それは別に特別な人だけのものではない、鍛錬で身につくものでもある
もちろん天才とかはごくごくまれにいるが一般の人でも思考脳と創造脳を鍛える時代なのである、そもそもコンピュターとかAIとなれば機械的なことはしなくつてもいい、必要ないのである、だからコンビニでもスーパーのレジでも機械化されて人が必要なくなる
人間に必要なのは何かと問われるのであり今までの教育の仕方では現代のグロ−バル化には適合できないとなる


posted by 老鶯 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育、心理学など

廃屋から感じる淋しさ (原発避難区域の復興はない)


廃屋から感じる淋しさ

(原発避難区域の復興はない)


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飯館村の養蚕していた家



廃屋だらけの村とか街とかを普通は経験できない、そこは遠くから来るなら別に感じることはない、通り過ぎてゆくだけだからである、ただ面白いとかなるだけである
それで廃墟の村を訪れて紹介する
でもこれが近くだと違ってくる、廃屋には何か荒寥としたものを感じる
それが数軒とかなていれば感じない、どこでも今は空家がいたるところにあるからだ
でもまだ人がそれなりに住んでいるから感じない
ただそれでも廃屋には何か一段と淋しいものを感じる
その理由は何かわからない、やはり人が住んでいたということで人が住まなくなったとき一段と淋しいものを感じる
それで庭でも石でも人が住んでいないと一段と淋しいものを感じる
その庭の石は人間化した石とばなっていたからである

津浪で家が流されて庭だけが残された所がある、そこにはいろいろな石がある
平板な大きな石があるとするとそれがやはり人間にも見えて庭に離れない離れたくないともなる、何かそこに住んでいた人間の気持ちが石にうつる
もともと石は一定の場所に動かない、定着するものである
そこに人間が住んでいると石も人間化する、だからもともと人が住んでいない所にある
自然の石と人間が住んで感じる石は違っている

何か飯館村とかでも廃屋だらけだからそこは荒寥としたものになる
もともと飯館村などは一軒一軒家が林の中に隠れてあった、そして前の広い庭に畑があったりし花が映えていた、だから淋しい村だったのである、隠された村だったのである
でもそこが廃屋の村となったとき隠された村とも違う、一段と淋しいものとなる
確かに瀟洒な小さな新しい家を建てている、それは廃屋ではない
でも人が住んでいなかったのである、最初人が住んでいると錯覚していた
そこはただ別荘のように時々住んでいた人が帰ってくるという
やはり人が住んでいないのである

そもそも家に感じたことは人が住んでこそ家である、人が住んで家が活きている
人が住んでいなかったいくら立派な家でも大きな幽霊屋敷になるだけである
家は死んでしまうのである、何かの抜け殻のようになる
それは村とか街でも人が住まなくなればゴーストタウンになる
そんなことを近くで経験するとは思わなかった、そういうことを実感することはなかなか普通はできないだろう
人が住まないと住むのでは相当に差がある、あばら屋でも人が住んでいれば活きているのである

もともと人が住んでいない場所で原始の森とかになっていればそう感じないのである
一旦人が住むと人間化するから人がいなくなると淋しく感じるのである
原発避難区域になった場所は全体的にそうである、住んでいるのは老人だけであり
余計に淋しく感じるのである、子供がいないということはやがて老人もさらに年をとり介護になったりしたら子どもに引き取られるとかになる
外部から来て住んでいる人も若い人ではない、その人たちもすぐに年をとる、すると病院もないし施設とか介護とかで働く人もいないから住めなくなる
そういう未来しか見えてこないのである
そのために小高とか浪江でも便利な原町に移り住んだとなる
そして故郷には帰らないとなる

ただ正直全国で空家が800万軒にもなるというのは恐怖である
いたるところに空家が増えて放置されると全体にも影響する
空家はいつまでもそのつまにしておくと問題になる、高度成長期とかなるとそういう家には何かしら利用していた、ただ家が50万くらいで持てるという時代にもなる
そのままに空家にしているより誰でもいいから住んでくれとなるからだ
空家とか廃屋があると印象が悪くなるからである

とにかく原発避難区域になった所は何か回復がむずかしいように見える
もともと過疎化していたとかもあり原発事故で最悪になってしまったのである
いつまでも廃屋としてあってもそれが印象を悪くする
何か幽霊が本当に住んでいる感じになる、そういう所にはあまり行きたくないとなる
でも建物だけ立派にしても人が住まないとやはり復興したとはならない
いくら金をつぎ込んでも建物を立派にしても復興しないのである
だから戦後の引揚者が飯館村なども木戸木(こどき)とか辺鄙な場所に開墾に入り住んだそいいう時代はかえって山に活気があった
一万人以上も飯館村でも住んでいた時代があったから山では農林関係とか石材とかで仕事があった、貧しくても仕事があり一応それだけの人が住める村だったのである
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戦後に引揚者が開墾に入った人達が多く一万人以上になった、その後は減りつづけた
ただ6000千人くらいが適正人口だったのか、戦後は引揚者で増えた




戦後引揚者が開墾に入り一万人にもなった、その後は低下するだけだった
また牧畜で牛を飼うことで仕事をもったのでなんとか人口を維持してきた
牛の村として維持できていた経過がある
それも放射線量被害で急激に減ったのである
意外と菊池製作所は残っていてまた川俣の方に働く人もいた、農林業だけではないものは残り生活できているともなる、社会がもともとそういうふうに変わっていたからである
写真の家は二階が兜作りの養蚕をした家である
そういう家は今でも全国で多いのである、また絹織物の機織りの紡績工場が全国に多かった、それがアメリカなどへの輸出品となっていたのである
そういう時代の遺産として今でもいたるところに兜作りの養蚕した家が残っているのである
不思議なのは戦後でもアメリカに生糸などを輸出して日本の経済が成り立っていたのである、だからアメリカと戦争したら生糸でも売れなくなる日本の経済が成り立たなくなっていた、だから経済的な面でもアメリカとの戦争は無謀だったのである
posted by 老鶯 at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村