2021年09月16日

真子様の結婚相手選びの失敗


真子様の結婚相手選びの失敗

(皇室は京都に住み伝統を守るべきだった)


明治以降に天皇が極端に持ち上げられて政教一致になったことが後に太平洋戦争で300万人も死ぬ要因になった、神道も国家神道になりこれまでの天皇の扱いと違うようになった、そして昭和天皇の人間宣言で平民と結婚したことで皇室の堕落が始まった
そのなったのはもともと京都に住むのがふさわしいのに東京に住んだことである

江戸時代までは大坂は商都となり京都は天皇が住む場所であり江戸は政治を司り権力の場であった、その住み分けができていて日本という国は調和していたとなる
大坂は商都でありか商売であり京都は長い日本の歴史の伝統を受け継ぐものだった
京都はまた工芸と芸術とか受け継ぐ役割がありだからこそ天皇が住む場所としてふさわしかったのである
人間はとにかくその場の影響を受けやすいのである、大阪に住むと何か商人気質になる
その言葉からして違っている、「もうかりまっか」とか大阪では挨拶自体が商売のことになる、京都は「おいでやすとか貴族の言葉使いになる
そういうことで気質すら住む場所によって違ってくる
何か変なのは仙台弁で必ず語尾にだっちゃだっちゃがつくのである
このだっちゃが何かあけすけというか押しが強いという感じになる
仙台は東北でも伊達政宗が出て異質な場所であり商人の住む場所にもなっていた

東北という時たいがい朴訥な農民気質だからである
東北人は一般的に商人に向いていない、農民気質であり職人気質でもる
真面目であり融通が利かないということがある
その言葉からしてそうなのである、語尾に普通はだべいとかんだとかずうずうう弁になるからだ
それで奇妙なのは宮城県になる丸森は相馬市の隣になるがその人がんだちゃと言っていたことであるんだとは東北弁で語尾につける、んだーだっちゃが合成語になりんだちゃになった、一時丸森の金山城は相馬藩の城でもあった、その麓に住んでいる人が相馬市の病院で一緒だったので私はその言葉を聞いて感じたのである
だっちゃんだでは相当感じが違う、だっちゃは何か押しが強い感じになる、ずーずー弁は内にこもる感覚だからである

とにかく人間はその住んでいる場所の影響を一番受ける、おそらく鄙の人も京都に住んだら雅(みやび)を知るし身につくともなる
京都には独特の場であり千年の都だからそこから自ずとしみだしてくるものがある
それがやはり歴史なのだろう、度々言うが相馬市は相馬藩六万石の城下町である
でも城もないし何が城下町なのかわからない、でも何かそこから城下町の雰囲気がある
高いビルもないこともあり城下町になる、ただ外部から来てもわかりにくいのである
その場の雰囲気はなかなかわかりにくい、住んでいる人でないとわかりにくいのである

天皇は今の江戸城のある場所に住むのにふさわしくなかったのである
もともと千年の都の京都に住むことによってその価値をもちえたのである
江戸はもともと政治の場、権力の場所であったからだ
結果的には天皇が祭り上げられて現人神(あらひとかみ)になり日本の神になり300万人が死んで犠牲になったのである
天皇は確かに権力を持たない、軍隊を持たない、でも権力と一体化するから政教一致になるから危険なものでもあった、国家神道ともともとの神道は違っていた
神道には日本人の精神があり文化であるが国家神道は違っていたのである
それでキリスト教徒の手島郁郎が神道を持ち上げていた、宗教でも権力とかかわらずに
あれば仏教でも学ぶことがある、それが権力と一体となるとき危険なものになる

今天皇が問題になる時明治になって神聖化されて国家神道の主催者になったことである権力に軍事に直接かかわるようになったことである
それで山の奥の村であれ小社でも戦争の勝利のために祈っていた、祈らされたのである
それはあらゆる神社が国家神道に組み込まれたからである
もともと天皇とは関係ない、その土地の守り神のようなものでも国家神道になり天皇とかかわり戦争への勝利を祈るものとされたのである
それが世界でも通用させようとしたことが失敗だった、政教一致になったことが失敗だった

大倉村の山津見神社

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国威宣揚
皇軍武運長久

百人にも満たない小村でもこうして戦争に狩りだされたのである
その証拠としてこうして全国の神社に残されている
ただこれを歴史的評価する人もいるだろう、反発する人もいる
ただこうして刻まれた文字は消えない、また別に消してしまいならない
それは歴史の証しでもある、国家神道と本来の神道は違っている
日本の純粋な神道は日本の自然との合一から生まれた、それが日本語にも残されているからである、日本語が神道を示すものだともなる、それは国家神道とか権力と一体化したものとも違う民族の文化だともなるからだ

地方(大倉村)の小さな碑が語る歴史の重い事実
(神社は国家神道となり戦勝を祈る場となった)
http://musubu.sblo.jp/article/186477520.html

天皇は日本の歴史伝統文化の象徴であり権力を自らもって支配するものではなかったからである
だからこそ平安京以来日本の歴史文化の中心の京都に住むべきだったのである
そして明治になり東京に移りそバックグランドから切り離されたことが問題なのである
第一江戸城があったところに御所があるということが何かそぐわないからである
これが京都なら御所がもともとあり日本の歴史文化伝統と一体化するのである

そういう根本的なことが背景にありそれを無視したから諸々の問題が起きて来る
江戸には東京にはふさわしくないのである
そして平民と結婚して平民化したことが天皇の尊厳を失うことにもなった
自由恋愛とか自由が欲しいとなり今の真子様の結婚問題になった
何かそうなると皇室の尊厳が損なわれて失い国民も愛想がつきるともなる
そもそも皇室の尊敬が国民でもなくなっているのではないか?
昭和天皇までは国民にあれだけ戦争で犠牲になってもあったともみる

でも今は何か天皇に何か特別のものを感じにくいのである
変なのだけど近くに今の天皇と顔が似た人がいる、その人は庶民であり天皇になっても
同じではないかとも見てしまうのである
とにかく人間は聖人であれなんであれキリストであれなんだ同じ人間じゃないかとみる
だからいづれはどんな人も卑しめられる、神が肉体を身に着けて現れてもそうだった
なんだ俺らと同じ人間じゃないかとなる、だから特別尊敬などしないのである
そうなるともう皇室も維持できなくなるかもしれない、まず国民自体が尊敬もしないからである、皇室も自由恋愛だ、何か自由が欲しいとなれば平民と同じ権利があるとかなればそうなる

確かに天皇は軍隊をもたないし財力もない、権力がない、でも権威でありその権威にひれ伏すことで日本の政治は運営されてきた、それは他の国とは違う日本の知恵だったとはなる、でも天皇がこれから維持できかどうかわからなくなっている
まず国民が天皇を尊敬するとかが希薄化している、明治生まれとか戦前生まれの人は戦争があってやはり天皇への敬愛かあった、それは権力に強制されたというのでもなく尊敬があった、そもそも日本の歴史が皇国史観になっているということでもそうである
天皇なくして日本の歴史がなくなるからである、それだけの重みを持ち続けたのである
ただ明治から戦前から戦争がありさらに昭和天皇から今上天皇から今の天皇になりその存続も危ういものとなる、そこに今の男系から女系天皇でもいいとかの議論になる

いづれにしろ天皇は京都に住んでこそ天皇の意味がありその価値を継続できていた
それが東京に移り住み失われた、そのバックグランドは徳川家康が支配した江戸にさらに東京にはなかったからである、その歴史的文化的価値をもつのは京都だっからである
だから歴史もその場から離れてありえないのである、千年の都から東京に移っんた時その価値を失ったともなるのである
昭和天皇が軍神ともなったが短歌がうまかったことである、やはり伝統を受け継いでいた
その後は短歌がうまい人が皇室に出ていないのである、俳句と皇室は結びにくいが短歌は古代から日本の文化となっているから
歌会始めがあるように天皇と結びつくのである

貴人(あてびと)に枝垂桜や雅(みやび)かな

貴人住む京をめぐりて春深む

春の日や鄙も雅に染まるかな

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posted by 老鶯 at 16:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層