2021年09月12日

文明をどうみるか、世界史を理解するには (農業と遊牧民の世界)


文明をどうみるか、世界史を理解するには

(農業と遊牧民の世界)

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文明の生態史観
https://www.youtube.com/watch?v=ajyyGn9MexU

●生活形態ー狩猟採集、遊牧牧畜、農業(稲作ー麦)商業

●気候ー寒帯ー温帯(照葉樹林文化ー熱帯)


文明という時国家から見ると誤解が生まれる、国家は近代になって生まれたものである
では国家の前にあったものは何かとかなる、それは文明である
四大文明論が言われるのはそのためである、文明とは何かが問題になる
文明とは必ずしも民族でもないし国家でもないのである
ただイスラエルは神に選ばれた選民思想があり別である

文明を分類すると狩猟採集時代とか遊牧牧畜民とか農業文明とか商業文明とかある
こうして生活形態で分ける方が民族で分けるより先にある、なぜなら生活形態の方が人間の文化を文明を作るからである、だからその時色が黒いとか黄色いと白いとかで判別するのでない、どういう形態の生活をしているかげ判別し分類するのである
日本だったら狩猟採集時代がありそれが縄文時代になったし弥生時代になると稲作中心の生活になった、また日本は温帯地域であり照葉樹林文化帯にあった
それは中国の雲南地方とか中国の温帯地帯の植生に影響されてそうなった
また農業でも麦地帯と稲作地帯がありこれは別なものなのである
麦はナンとかのパンが主食になり稲作では米が主食となるからだ

不思議なのは韓半島の最先端の古代の伽耶地方が照葉樹林帯に入りそこがもともと任那があり日本府があったとすると日本と一体のものとしてあった
ただ韓半島になると寒い地域でありオンドルが発明された、そのオンドルも日本で発見されていることは寒い地域からも日本に渡来してきていたということである
つまり文明は気候とも深く関係して作られている
たいがい暑い場所に最初文明が作られる、エジプト、メソポタミア、インダスなどは暑い地域である、黄河となると寒い地域であるが暑い所が文明の発祥地になる
南米でもマヤとかなるとジャングルで暑い地域だからである

そしてなぜ四大文明が大河があるかというと大河は交通を盛んにする道でありまたエジプトはナイルの賜物と言われたのは洪水になり泥が運ばれそこが肥沃な土地として麦がとれるとなったからである
その他でも大陸の河は長大であり交通路となる、商業も盛んになる
そのために文明が生まれたとなる、そこに文明が生まれる共通性がある
遊牧牧畜民から文明は必ずしも生れていない、農業を基礎にしたところから生まれているエジプトであれメソポタミアであれインダス文明であれ黄河文明でも長大な河があって生まれた、それが交通路となり商業を盛んにさせる

交通は商業と深い関係がある、そもそも道がなければ行き来できないのだか商業が成り立たない、商業は物を運ぶことだからである、だから川は道になる
特に大陸の河はまるで運河のようになっている、流れは日本のように急流ではなからだ
だから道になる、日本でも古代でも森に覆われていて道がない、また湿地帯で道がない
だから物を運ぶことに難儀したのである
それで南相馬市の泉官衙遺跡があるが新田川があるとして短くても運河を作ってそこに物を運んでいた、湿地帯になっていて運河を作っていたのである
そういう場所は日本では古代ではかなりあった、森で覆われいるから道がない、すると川を通じて物を運ぶのが便利だとなるからだ、

南相馬市の鹿島区の塩崎に船着という地名があるがあそこまで海が入っていて物をは運んでいた、でもそれは今の東北電力がある所で鉄など作っていたからそこから舟で運んだ
船着に隣接して市庭という市が立っていたからである、そこで物の売買が行われていたからである
つまり短い距離でも船で運んだ方が便利だったのである、森で覆われていたら道がないからである
それは江戸時代でも北前船があり船で物を運ぶ、その北前船が新潟まで来て阿賀野川を通じて会津まで物を運んでいたのである

ただ大陸だと草原とか平原があり砂漠がありそこはかえって商業路になる、道になりやすいのである、それで馬でもラクダでも物を運ぶ商人になり遊牧民はもともと羊を追って生活しているのだから商業の民に自ずとなったのである
それで遊牧民が移動する民がやがて地中海に出てきて航海民になったというのも納得する例えばフェニキア人は今のレバノンとかでありそこはやはり遊牧民の地帯だからである
何か誤解しやすいのはイスラエルというのは砂漠地帯の延長である、だから半分は砂漠なのである、ユダヤ人が入植して灌漑して肥沃な土地にしたのである

だから中国が農業国でありその周りが草原地帯、平原地帯、砂漠地帯でありそれがイスラエルの地域まで拡大しているのである、そこは遊牧民として一帯の地域である
まさ一帯一路の世界なのである、そこはもともと自然の道となっているから商業の民と自ずからなる、遊牧民は羊とともに移動するからである
それで移動するから財産を持ち歩けない、それで貴金属を財産代わりに持ち歩く
それはインドでも貴金属を宝石などを大切にするのは飾りつけるのはそのためだとしている、それはまた貨幣の役割を担ったともされるからだ
軽くて持ち運べるもので財宝とするものが貴金属であり宝石などであるからだ

世界の生活形態からみると狩猟採集と遊牧民と農業に分かれている、狩猟採集文化が一万年つづいた縄文文化である、そして農業文明である、基本は農業文明が文明であると定義できる、遊牧民は移動する民だから商業の民だから文明を作らないのである
定着しなければ文明がないともなる、だからエジプト文明も麦を主食として定着文明を作る、定着文明は大きな建造物を作る、メソポタミアならジグラットとかでありピラミッドとかなる、定着文明と建築が一体なのである
神殿にしても定着文明から生まれる、定着しなければそうした大きな建造物は完成しない遊牧民のように移動していたらそんな大きな建造物は作れないからである
だから農業が文明を作ったのである、ただ文明には常に商業的要素が遊牧民的要素が入ってくる

中国は商業の民だというときモンゴルとか遊牧民が交わり異民族が交わるからだ
その最初の国家が始皇帝がどこから生まれたかとなると長安であり今の西安である
兵馬俑にしても馬の大軍隊でありそれはまさに遊牧民を象徴している
そこは遊牧地帯に通じる場所である、海側ではなかった、もともと農業国だったが遊牧民と交わり国家が形成されたともなる、でも基礎に農業がないと文明は生まれない
ギリシャになると遊牧民であり農業があり地中海に植民市をもったから航海の民でもあった、今でもスパルタで山に羊を追い人を見かけたからである
中国にも遊牧民が羊を追って入ってくる、テントを張っている人を見たからである
日本には狩猟採集文化があって農業があっても遊牧牧畜がなかった、そもそも牛、馬、羊がいなかったからである

世界史を見るときこうした生活形態とか気候とかから見なければわからない
それは地の利として気候でも神が備えたものでありそれにマッチしたものが生まれたからだ、ただ大陸は広いから日本の地理は孤立しているからわかりにくいのである
ただ世界をみるとき世界の問題をみるときまずこうして地理とか気候とからみる
そしてし人間が形成して来た文明をみて今の問題をみることが不可欠なのである
今だけを見ていたらわからないからだ、地理を俯瞰してまた歴史をみる
空間軸を見て時間軸でみる、それが不可欠なのである、ただ地理にしてもそれを見ることが困難を極める、時間軸でもそうである、
ただ過去から今をみるとまた未来も見えてる、世界史が理解できるとなる
なぜイスラム圏の国が停滞して近代化できないのかとか見えて来る
だからまず地理を理解することが第一だとなる

文明とは何かとなるとその定義は一定していない、実際にcivilizationとはcivil(市民)のことであり城壁とか市壁に囲まれた中で育まれた共同意識がありそれがcivilizationとなった、それは土地から分離した農民だけではない商人とか職人の連合体でありそこでシテズンシップが育まれたとなる、それは農民共同体ではないのである
だから文明という時、古代文明とかと近代の文明は違っている、civilizationは中世から近代に育まれた概念である
その前にヨ−ロッパだとローマ帝国がある、これもヨ−ロッパの基礎となる文明だった
それはもともと農民が出身であり作ったのである、だからローマでは野菜を姓にしている貴族が多いとなる、質朴な質実な農民がもともと築いた文明である
それは建築に現れている、都市化して贅沢になったのは後のことであり最初は農民が作った文明であり帝国だったのである

とにかく世界史とかなくと実際にその地を踏まないと理解できないのである、世界を二十か国くらい旅したがそれでもあまりに広すぎたのである
中国でもアメリカでも広すぎるから地理からして理解できないのである
アメリカでも一回しか行っていないし地理がわからなかった、そもそもアメリカの地理がわかるには相当な時間が必要である、どんなことしたって一部しかわからない
だからグロ−バル化した世界ではそれを理解するためにはとても百年生きたとしてもわからない、千年も生きれば地球全体の地理を理解するとなる
だから空間軸が拡大した時時間軸も長く生きなければ合わないのである
江戸時代の様な村が世界になっているのとは余りにも違うからである
だから長寿になったのはその点ではいいものとなっていたのである