2021年09月09日

人生は時間切れで終わる (人生は短いから何でもできない、チャンスも一回くらいである)


人生は時間切れで終わる

(人生は短いから何でもできない、チャンスも一回くらいである)

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リストラ40代50代が転職相談で地獄を見る

ここで言っていることはリストラされて40代50代で事業をはじめる、フランチャイズ店の経営する、それは独立した経営者ではなくただ本部に金を吸い上げられる
始めるのに金がかかりそれを支払わせられるからだ
何も経験もなかったら大企業の役職をもった人でもただのおじさんに過ぎない
一から始めなければならない、アルバイトして飲食店のことを知ることが大事だとしている、一兵卒から始めねばならないとしている

今までの経験が何ら役にたたない!

こうなると40代でも結構むずかしい、結局何らか仕事は経験を積まない限りできない
自分自身も何ら仕事の経験を積んでいないから失敗した
一二年とか教師のまねごとをしたけど失敗だった、どう教えるかの経験を積んでいなかったからである
どんなことでもいかに経験が大事なのかわかる、そして経験の積み重ねで仕事ができる人になる

ところが

人間の経験する時間が限られている!

これが最大の問題だったのである、それで他の人も言っているけど35以上は人生の余禄だとかいうのもわかる、人間は30くらいまでで決まってしまうとなるからだ
20代で底辺だと一生底辺になり引きこもりだと一生引きこもりになる
これは相当に怖いことである、人生は長いのだから何があわてる必要もないとか
先はわからないとか思ってもそうではない
人生ではっきりしていることは先は確かにわからない

でも確実なのは何するにも時間が限られていることなのだ!

私の場合正規のルートからはずれた結果職にもつかず旅していたら一生が旅になってしまった、また別な道が開けるとかまだまだ人生は長いからどうにかなるとか思っていた
でも20代で人生の方向が決まり30以後は余禄だともなる、何かするものはこの世にいくらでもある、でも何かを選びする時間が限られているのである
だから40代50代でリストラされると厳しいとなる、まだ時間があるのではないかというけどジャンルの違う飲食店とかで商売始めるのは実際相当に厳しい
アルバイトで見習で一から始めろとしても厳しい、それは全く別な分野でありこれまで積み重ねたものを活かせないからである
それで失敗する人が多い、ただ起業資金を奪われただけだったともなる

ある人が経営に失敗したのは技術力があったのだが会社でも経営することがどういうことかわからなかった、確かに技術面では優秀でも小さな会社でも自営業でもするとなると
それは技術者として雇われるのとはまるで違ったものとなっていたのである
だから会社をやめて失敗だったとなる、やめなければ給料も良かったのだから困ることもなかったのである、結果的に借金を背負い込んだだけだともなった
つまり雇われる者と経営する者とは相当に違っている
でも普通は雇われる経験はしている、でも人を雇い使う経験はしていないのである
人間はまずいろいろな経験ができない、いろいろな経験する時間が与えられていないのである、だからあらゆることを知っているとか優秀な人はこの世にいないのである
もし人生が千年でもあればいろいろな経験を積むからできるともなる
でも人間の一生は短いのである
失敗したらやりなおせばいいというがそのそのやり直す時間がないのである

菅首相も官房長官では優秀だったとされる、でも総理になるのと官房長官は相当に違ったものである、官房長官を経験しても総理の経験などできない、誰もできない、それでピーターの法則のように無能化されるともなる
技術者として優秀だったから経営者としても優秀だとはならない、それでかえって出世すると無能化するという法則が成り立つのである、つまり人間は限られた時間しか与えられないからあらゆることを経験できない、もし時間があったなら千年でも生きていろいろなことを経験できたらこの仕事はこういうものだったのかと実感して知るのである
でも人間はわずかのものしか経験できないからあることで有能でも別なことでは無能化されるのである

そして最後はどうなるのか、時間切れで終わりだ

こうなる、おそらく老後に好きなことをしたいとか計画していても病気になってできないとか何か不測のことが起きてできなくなる
そして退職してやりたいことをやるとしてもできなくなる
人間のの一生はそれだけ短いのである
そのために(若い時に神を知れ)となっていたのである
それも若い時はそんなこと思わないのである、それは老人になっても時間が十分あるのだからできると思うのである

時間などいくらでもありあまっている、暇で暇でしょうがないんだよ

こういう若い時は思っている、でもこうして最も浪費しているのが時間だったのである
時間が最も消失しやすいものだったのである
40、50から一から始めることはできなる、60の手習いとかもあるからできることはできる、でもこれまで積み重ねたことが後年活きるのであり何も積み重ねのないと本当に一から始めるのだから苦しいとなる

そしてあっという間に老人となる、ただ今は60代では老人とは言えない、でも何らかそれでも病気になる人が多いのである
何か学問であれ芸術であれ詩歌であれそれを目指すならまず今なら世界旅行が欠かせないそれで失敗したのは50代から海外旅行をバックパッカーでその経験は貴重だった、何か世界のことについて書くにしてもその経験がないと何も書けなかったからである
だからたいがいヤホーニュースの記事の解説している人は留学している人なのである

この人のyoutubeがなぜ人気があるのかというといろいろな経験をしている、その経験談が面白いし役にたつのである
今まではこういうことはなかなかできなかった、テレビに出て延々と自分の経験など語れないからである、そこがインタ−ネットで変わったことである
何か実際に経験したことは訴えるのである、その人の書いていること語ることは経験したことでありそれが見る人に聞く人に訴えるのである
それがただ本を読んで語っているだけでは訴えないのである
ただyoutubeにはいろいろあって本の解説番組がありそれは
それなりに面白いとなる
youtubeは何か老人でも経験を語れるから老人でも向いているのである
若い人は経験がないから語れないのである
だから老人の経験を知って聞くことは有意義だとなる
ただ自分にしても本を読んでも理解できなかったかとなる経験がたりなかったら若い時は理解できなかったとなる
老人になると理解力だけは深まる、だから評論に向いてくるのである

ただ人間はどんな人でも時間が限られているから人生は時間切れで終る
時間の過ぎるのが早いからである、無常迅速というのもそうである
人生をふりかえればあっという間だったともなる
こんな簡単に終わるのかと唖然としてしまうのである
そして残るのは後悔だけでありその最たるものか時間を無駄にしたということなのである



密集が避けられないからコロナウィルスも止められない (ワクチンの副作用も怖い)


密集が避けられないからコロナウィルスも止められない

(ワクチンの副作用も怖い)

実際にワクチン打った人がが体調を崩して復帰できないでいる
明らかにコロナに罹ったほうが軽症なんだよな
ワクチンは感染も重症化も防げないし重篤者も多い
後遺症もワクチンのほうが多いこれが現実
それでもワクチンを打ちたいなら打てば良いと思うが

70歳の女性は肩が痛くなり腰が痛くなり立つのにも苦労して二回入院した
もともと腰は悪かったが立つのにも苦しくなったり全体的に弱った
これは明らかに副作用である
このワクチンは結構副作用がある、死んだ人もかなりあり報告されいるがマスコミでは言わない、ワクチンの副作用は見逃すわけにはいかないがこれがマスコミではあまり報道されないのである
調べれば相当に数が多いとしてもそれが報告されないし報道されないすると危険を感じない人もいる
ただこれも危険を過度に言う人もいるし情報が混乱する

ただワクチンは今や強制的である、職域で強制されたりするからワクチンしない人は少数派である、田舎でもそうである、たいがい打っている
私がワクチンを打たないのは人と接しいないからである、一人として接していない
ただスーパーとかに買い物に行ったりしている、でも田舎だとそれほど混まない
東京だとまず人流を抑えることは不可能である、特に喚気の悪いデパ地下が移り安いことは素人でもわかる、人でむんむんしていて喚起がないからである
そして空気感染しているということでそこが危険なことがわかる
他でも都会はまず人が密集しているのだから三密をさけられないのである

コロナウィルスで感じたことは都会はウィルスに弱かったことである
つまりあれだけ密集した生活は人間として生物として生活していること自体が異常なのである、分散して生活するのが生物的に本来の姿なのである
あれだけ密集していれば地震でも何でも災害に弱くなる
逃げる場所すら空間すらない、それで江戸の大火では逃れるための空地を作ったのである防火のためにはそうした空き地が必要だったのである
それが無用のようで無用の用があったのである
とにかく現代文明社会は用で埋め尽くされている、都会となれば空き地は活用しなければならないとなる、だから建物でも人でもびっしりと建ち密集するのである

だからそもそも東京一極集中とか見直すべきだとしてもそれも東京遷都も誰も言わなくなった、何かこのコロナウィルスは人が密集する集まることが良くないものとなった
宗教団体でももともとここも人を集めて示威行為をして数をみせつけて権力を得るためにしている、数だけが問題にされるので要するにウィルスは大局的に見れば文明生活をそのものを見直すものにもなったのである
原発事故もそうだった、便利な生活を見直すものとなった、電気が必要でも原発はあまりにも危険なものでありそれを人間は操作できないものだったのである

その点ヨ−ロッパでは巨大都市はあまりなく小都市が多い、そこでシテズンシップが養われた、フィレンツにしても6万くらいだったとか南相馬市くらいの規模だったのである
それでルネサンスが華開いたことは驚きだとなる
そうした小都市がヨ−ロッパのアイディンティティを築いたのである
一千万の都会となればもうそれは人間的なものからはずれいる
もうそこには自然もないし政治でも経済でもただ数として数えられるだけなのである
そういう異常なものから異常なカルト教団などが生まれて来る
宗教でも森とか砂漠とか山岳宗教があり自然と密着したものならカルトのようなものは生まれないともなるからだ
神道でも穢れをこ拒み潔斎するとかあるから清らかな自然の中で育まれたものである
ただ宗教でも人間は悪人が利用するから結局堕落して俗化するのである

結局私自身が求めたのは秘境である、意外と田舎には知られない場所が依然としてある
地元の人も発見していない場所がある、この辺で山深く入って行ったらトリカブトがあった、これは毒である、でもそういうものもあった
城のある会津若松でもコレラが長崎から入り新潟に入り北前船が来ていてまた阿賀野川が交通としてあり会津にコレラが拡散したのである
ただ桧枝岐(ひのえまた)にまではコレラはうつらなかったのかったのである
桧枝岐は本当に江戸時代は秘境だった、隔絶した地域だった
江戸時代とかなるとそうした場所はかなりあった
そういう場所でどうして生活していたのか?米は食べられずソバを食っていた
またヤモリの燻製などを食べていた

ても山の中でもソバはたいして肥料もいらず育つ、救荒作物だったのである
荒れた土地でも育つものであり山には米がとれなくても生活できるものがあった
だから飢饉になるとき山に逃げろというのはそのためだった
かえって米は商品作物であり山の中でも米を作っていれば売れたのである
それで江戸時代の東北の飢饉は実は米が江戸に大量に送られていて伊達藩では石巻から送った、米は商品作物であった、だから米がとれなくなったとき飢饉になった

でも山の中だ米だけではないソバでも稗でも粟でもとっていたし山菜もあり飢饉からまねがれたということがある
つまり一様化することは危険なのである、自然は多様だからである
それで津波でこの辺にあった古い松原が全部流されたことにも驚いた
松原という一様化したものは自然ではなかった、自然なら様々な木があるからだ
そして松は深く根が張らないから津波に弱かったのである
津浪に強いのは深く根を張るのと竹だったのである
第一砂場に松があるとするとどうしても深く根を張りえないのである
そうして不自然なものは何か災害には弱いとなる

現代文明とはまさに不自然な生活が普通になっている、それが意外とその不自然さ故に災害に弱いとなる、まず大都会の密集した生活は不自然そのものなのである
そこから大きな災いが生まれて来る、それに対抗するにも科学が発達しても抗しきれないともなる、そもそもどんなことしても都会で密集が避けられないからである
だから人流をとめることが一番困難であるからだ
私自身が秘境である、一人しか人とは接していないからである
田舎だからあとはスーパーに行くにても人とは接していないから安全なのかとなる
ただそうはいっても現実には外からの物流がなくなれば生活も維持できないのである
本当に秘境に生きるために昔の山の生活をしていればできるとなる
ただ人間の生活は弱点が長所になり長所がまた弱点になる
コロナウィルスには秘境が一番強いともなるのである、でもそういう秘境は現実にはなくなっている、車だとどんな山奥までも入ってゆくからである



posted by 老鶯 at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層