2021年09月02日

死者と家(死んだ母が家にいる)



死者と家(死んだ母が家にいる)



時々死者を想ふ
死者は語らない
死者を語るのは
遺された者である
母はなお家に現れる
この家に苦労して70年もいた
母に不幸あり苦しみがあった
この家は母にとって
必ずしもいい場所ではなかった
ただ母はその運命に耐えた
母は死んでこの家見ているかもしれない
静かな大人しい母が見ている
この家になお心残りがあり見ている
死者は今騒がずに凝視する
秋雨がしとしと庭の石を濡らしている
その石のように母はいるとも見える
死者は今は安らぎの中にある
こごこの家で苦労したことをなつかしむ
それで死んでもなかなか家から離れられない
死者は何も語らない
遺された者が語る
そして死者も生き続ける
ただ死者もこの家がなくなったとき
その拠り所をなくして悲しむ
そこに長く住んだ人はやはり愛着があり
依然として共に生きようとするから・・・
雨がしとしとふる
石は黙している
死者は生きている者がいると思えばいる
いないと思えばいない
死者はいないと思えばたやすく消える
ただ生きている者がいると思えばいる
死んでも交流はつづく・・・



人が死ぬと不思議である、家族は全部死んだ、姉は死んで早くも十年とかすぎた
母は四年くらいだから日にちがそれほど過ぎたわけでもない
10年過ぎるとやはり一昔になる
死者の不思議は生きて残された者があると思えばいる、何かに憑いて石でも木でも憑いているとかなる、死者がそこに浮かんでくるとかなる
でも思わないものは浮かばないしいないのである
だからいつまでも死者を想っている人は死者が現れているのである
じっとこちらを見ている感じにもなる
特に家にいることが長いから家にいるという感じになる
70年とかいれば長いからである、だから死者は家にいる
墓にはいると思えないのである、墓とは一つの記念碑のようなもので墓に死者がいるとは思えないのである

近くの人は相当に妻を愛して思っていた、妻を供養しつづけている
でもそういう家に知人の女性が介護のようなことをしている
女性は70くらいであり男性は85くらかもしれない、糖尿病である
それで時々介護のようなことをしている、現実に訪問介護の人が来ている
ただその女性は体が弱っているから何かできないのである
でも生前から親しいから通っている
でもその男性が妻のことを依然として思っている、十年以上過ぎても思っている
それでねんなに妻のことを思わなくてもいいのにとその女性は言う
それもわかる、死んでもやはり愛していればそこに妻がいる感じになるためである
つまり姿が見えなくてもその家にいた年月が長いからやはりいる感じになるのである
これもだから家に入り新しい関係を結ぶことがむずかいともなる
その女性は妻が死んで十年以上過ぎている15年は過ぎているとしても何か死者でも見ている感じになるからだ
それでその女性がいつまでもそんなに妻のことを思わなくてもいいのにというのもわかる
死者に嫉妬することもわかるのである

つまり家には何か長く住んでいたから死んでもいつづける感じになるのだ
死者とは何かわからない、謎である、それは遺された生きた者が死んでもいると思う時やはりいるのである
もう愛もなにもなく、やっかいなものとして苦しめられただけだとなるとき肉親でもなんでもその人は完全に消失する、そういう人も親子でも結構いる
実の親で近くにいても顔合わせても何の関係もしない、困っていようが関係ない
何でそうなったのかわからないが近くに住んでも家族遺棄しているのである

とにかく死者は家に依然としている、ただ残された者がいると思う時いるのである
それはもしかしたら家がなくても死者はいるのかもしれない、どこでも生きている者が死者を想いいると思う時いるとなるからだ
ただ恨んで死んだ人がいるからその時は死者は恨みとして幽霊のように現れたりしたら怖い、人を殺して十数年とかたって自主した人がいた、何か亡霊のようなものが夢で現れたりして耐えられなくなったのかもしれない、そういう人も現実にいる

急に秋になった、雨しとしととふり庭の石を見ている、そこに母がいる感じがしたのである、母は台所で60年間とか働いた、それを当たり前とか見て私は感じなかった
でもそれがカルマとなっていたのだ、私が今度は台所で食事のよういから皿洗いからとしなければならなくなったからである、片付けもするからである
なんらかでこうして必ずカルマとなって苦労となって相手のことがわかる
生きている時はその苦労もわからないのである、自分が苦労してわかるからだ
家事を一人ですることは楽ではない、途中で立つことがありゆっくり食事できない
ところが母は店をしていたとき必ず食事中でも立っていたのである
それが嫌だった、ゆっくり店をしていると食事ができなかったからである
今も何か自分で用意して片づけるとなるとゆっくり食事ができないのである
ただこれもカルマだったのである

虫の声夜にかすかに我が母の台所にありその日の長しも

カルマとは何らか同じようなことを背負わされるのである
戦争などで死んだ人のことなど実際は経験しない限りわからない、でもまた戦争になった時、苦しんだからわかる、だからアメリカでも原爆落としたり相当に戦争で人を殺している、アメリカは戦場になったことがないからその苦しみがわからないのである
世界でほとんどの国が自国が戦場になっているからだ,アメリカだけはならないからである,カルマはいつかめぐってくる、介護になって私が四苦八苦したようにカルマがめぐってくる、それが怖いのである

abstract flowers (cherry blossoms)


abstract flowers (cherry blossoms)


sakuratree111.jpg

これも原画のアレンジだけど別なものになっている
つまり創作でもある、山が全然違ったものとして創作されているからだ

This is also an arrangement of the original picture, but it is different
In other words, it is also a creation, because the mountain is created
as a completely different thing.


sakurajp1.jpg

abstract sakura1122.jpg

flowerabtulip112.jpg

abstractblueff1.jpg




インターネットではどうしても著作権の問題が出て来る
この抽象画とかでもソフトで変化させたものである
だからオリジナルからみると著作権違反にもなる
でもまた明らかに別な新たな創造にもなっている
音楽だったら変奏曲なのである、アレンジしたものとなる


Copyright issues always come up on the Internet
Even this abstract painting was changed by software.
Therefore, from the original point of view, it is also a copyright violation.
But it's also obviously another new creation
If it's music, it's a variation, it's an arrangement.