2021年09月21日

飯館村村議会選挙運動で思ったこと (よそ者はうろうろするな、邪魔だ、かかわるなと運動員に言われた)


飯館村村議会選挙運動で思ったこと

(よそ者はうろうろするな、邪魔だ、かかわるなと運動員に言われた)

何かわからなかったが飯館村の村議会選挙だった
それで道の駅のところと住宅地の所で合ったので興味があり聞こうとした
そしたら運動員がうろうろするな、邪魔だとか関係ないからかかわるなとか言う
でも南相馬市の者だと言って関係あるから聞いたのである
現実に放射性物質とか飯館村から南相馬市にでも相馬市でも流れてゆく
放射性物質の汚染では広範囲にかかわっているから聞いたのである
でも確かに一票は持っていないから飯館村の村議会議員でもかかわらないとなる
もし一票を持っていたらこうはならないからだ
村議会とかなると一票でも貴重になるからだ

ただこう言った運動員は江戸時代の人間だった!

江戸時代の村に住んでいる人間の感覚のままなのである
江戸時代だったら隣の村と村すら交わらない、よそ者となり受け入れないとなる
そういう感覚の人がまだいんたということに驚く

第一飯館村自体がもう村として成り立っているのか?

よそから入った人が100人くらいるという、実際に住んでいる人はどれくらいいるのか空家だらけだとなる
そういう村でよそ者はうろうろするなとかかかわるなと言えるのか?
実際に飯館村の住民は南相馬市でも相馬市でも川俣町でも移住している
それは浪江町の復興団地も鹿島にあったり広範囲に移住しているのだ
もちろん今回の原発事故で飯館村は責められない、それはわかるにしても現実問題として放射性物質に汚染されたことは南相馬市とも深く関係する
新田川は飯館村の中心が源流となっているし大倉村では真野ダムがありそれは鹿島区に流れるから密接に関係しているのである
それで放射性物質のフレコンバックが破れて流れ出した、すると南相馬市まで流れてくるのである

原発事故では広範囲に被害があり結果的に合併したような状況になった
大熊でも双葉でも浪江でも南相馬市に移り住んでいるからだ
そしてその人たちが何かなのか身分がはっきりしないのである
依然として移り住んでも家を建てても浪江町の人は浪江町民であり税金も払わないということがある、飯館村の人でもそうである
他に移り住んでも飯館村の住民なのである、そうしているのは補償金をもらうためだともなる、別な場所に移るとその権利がなくなるからそうなる
そういう不安定な状態にある

今までなら飯館村にかかわる必要もなかった、ただ花を見て帰るとかで終わりである
でも原発事故以後はそういかなくなったのである
飯館村は地理的に南相馬市と一体だったのである
一見は離れているようでも水は飯館村から流れて来るから繋がっていて一体なのである
それで飯館村の森が除染されないからそこから放射性物質が南相馬市にも流れてくるのである、また真野ダムの水でも飲料水に利用しているとなると相馬市も関係しているとなる
ともかくその人は本当に江戸時代の感覚の人だった、原発事故以後は自分の村だけで閉鎖して暮らしていけないことを身をもって知ったのにそうだった
飯館村の人は回りの市町村に世話になっている、それで小高の人が鹿島区の仮設住宅に移ったとき文句を言う人がいた、補償金をもらって高速無料とか医療費無料は十年つづいてさらにまた引き伸ばされたのである
鹿島区は同じ南相馬市でも半年で医療費無料は打ち切られたのである
この差も大きかった

ただ南相馬市民となれば南相馬市全体を問題にして議員でも運動する
だから鹿島区の議員でも仮設の小高の人を応援したのである、一票をもっているからだ
それで市町村レベルだと狭い範囲だ一票の重みが違ってくる
でも現代は広域化社会になっている、さらにグロ−バル化社会になっているから広くかかわらざるをえないのである
そして飯館村は飯館村民だけのものではない、こういう事故になったときみんなよそ者かかわらざるをえなくなったのである
だからもう他に家を建てて移り住んだ人たちは権利がなくなったのかともみる
いつまでも帰らないとか住まないとなると権利も消失する

いづれにしろ飯館村の村議会選挙によそ者はかかわるな口出しするなということ江戸時代の人かと思った
そんな江戸時代の村意識で復興などできるのか?
そもそもよそ者が百人とか住んでいるとか広範囲にかかわらざるをえなくなったのが
原発事故だったのである

とにかくこの辺で原発事故で明らかになったのは何か狭い地域エゴとか自分だけの利権を得るとかが露骨だったのである
漁業者は自分の前の海も自分のものだとして補償金をもらおうとしていた
船主は海は自分たちのものだとして漁業権を東電に売り多額の補償金を事故前も後ももらっていたのである
そもそもここは俺の物だと主張する、そんなこと主張できるのか
飯館村は俺の物だ、村人のものだとか言えるのか?
そんなこと江戸時代なら言えたかもしれない、今これだけ人が交わり物を運んでいる時代にそんなことを言えない
別に飯館村を自転車で回っていてもうろうろするなとか言えないだろう
ただ村の政治に口出しするなとは言えるかもしれない、それでも今や不可分に土地でもつながっているのだからそんなことどこでも言えないのである

今や飯館村のものは飯館村の人達のものとはならない、、そこにいつまで空家にしておくのか?そこに住まないのならいづれ権利を失う、誰でもいいよそ者でもいい住む人があればその人に権利が生まれるとまでなる
別荘のようにして時々来る人は住民なのだろうか?
そういう人はその土地に責任ももたなくなる、なぜなら住んでいないから回りで何かあっても関心がなくなるからだ、住んでいればそこに住む以上関心をもつ、なぜなら無関心だったら今回のように住めなくなることがあるからだ
つまり原発事故でわかったことは人間は住んでいるだけで責任を負わされていたのである
だから一番被害があった大熊とか双葉とか浪江とかではその責任をとらされた、住めなくなったからである、住んでいること自体に責任が課せられていたのである
でも別荘のように時々来るとかなるとどうなるのか?何か住んでいないから関心が薄れることはありうる

もう今や日本は日本人のものだとかすら言えなくなる
例えば人口が減って日本を維持できなるなとき移民が入って国を維持するようなこになれそうなる、別に国を維持するのは日本人でなければならないいうこともないからである
飯館村とか他の避難区域でも住民は流出したのだから他から来た人が住んで町村を維持する、地元の人だけで維持できないからそれを止めることもできないのである
つまり故郷に住む権利を失ってもしょうがないとなる
空家だらけにして誰も住まないようりはいいとなるからだ

ただ前時代的人間はいた、そういう人はかえって飯館村では生きていけなくなるかもしれない、ただ津波の被害地でもよそ者が入ってきて同じような問題が起きた
でもよそ者を受け入れざるを得なくなったのである、住む人がいなくなんたからである
うろうろしているという人も必要なのである、別に泥棒するわけでもないし運動していたり自然を鑑賞したりしているからである
マウテンバイクを走らせるルートを作った場所もある
飯館村では人をよそ者を入れる必要があるのだ
なぜ南相馬市から来てうろうろするなとか言えるのか?
そこの土地はお前だけのものではない、みんなのものなのである
漁業者でも漁業権を盾に東電から多額の補償金をもらっていた
それも結局自分たちの海だとしていたからである、実際はその自治体のものであった
みんなのものだったのである、ただ漁業権は魚を取り過ぎないために与えられていたのである
たから原発によって魚も食べられなくなったのだから原発に反対するのが筋だったのである

とにかくこの辺で起きていることは何か様々な問題を露骨にしている
飯館村は南相馬市と合併しなくて良かったとしているがそれも補償金を村でもらい分配することがなかったからである
飯館村は特に補償金を他より多くもらったからである
でも今になると本当は飯館村は一見離れているようでも南相馬市と一体であり川でも通じているから放射性物質も流れて来る
それで南相馬市と一体の地域としてあり合併しても不自然ではなかったのである
歴史的にも鎌倉時代の鹿島区の岩松氏の領地ともなっていた
その後相馬氏が支配したのである、歴史的にも地理的にも一体だったのである
だから南相馬市と関係ないとかは言えない

ただ別に他の人は五人山とか塩の道の宿だったという人が説明してくれた
飯館村の人が全部こんな人ではない、そういう人もいたというので驚いたのである
何も普通にこういうことが争点になっているとか話ししてもいいからである
なぜなら南相馬市は無関心ではいらないからである
一票にはならないにしてもそれだけで判断するのは地域エゴだとなる

今は広域社会でありあらゆることか広い範囲で関係しあっている
江戸時代のようにはならないのである、そのマイナス面としてコロナウィルスとかで苦しむことになった、でももうとても江戸時代には戻れないのである
何か人間の社会が時代を逆戻りできないのである
コロナウィルスで閉鎖的になるにしろやはり別なように閉鎖的になる
同じように閉鎖的にはならないのである、テレワークなどでもそうである
家にいながらつながるということもあり江戸時代のようにはならないのである

それで今気をつけなければならないことは一個人でも報道する道具をインタ−ネットで
もった、確かに私は新聞記者でもない、一個人だからなんの権力ももっていない
でもプログとかで報告できる、それを読む人もいる
すると少しでも何か影響する、こういうことは今までなかった
リアルタイムで報告する、だから一個人でも権力がないとして軽くみられない時代にもなる、だから一個人でも馬鹿にして対処するとそれが飯館村全体にも影響する
それを注意すべきである、ただその人はそういう現代の情報社会のことを知らない
でも今やネットの時代でありスマホをもっているし何か多少でも影響するので注意すべきである
S議員でもそういう運動員がいることはマイナスとして働く、そんな人が議員の運動員なのかとなるからだ、するとS議員の印象も悪くなることもありうるからだ
こんな人が飯館村にいたのかというとき村の印象まで悪くなることもありうる
これは私憤から言っているのではない、公憤ともなっているのである

posted by 天華 at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2021年09月22日

原発は地域エゴから始まりさらに地域エゴで分断された (飯館村でも南相馬市と合併するべきだった)


原発は地域エゴから始まりさらに地域エゴで分断された

(飯館村でも南相馬市と合併するべきだった)

●東京の地域エゴで原発は作られた

原発事故のことをいろいろ追及して来たけどそこで思ったことは
地域エゴがその原因ともなっていた
そもそも原発が福島に作られたのは東京の地域エゴだった

東京では危険だから福島に作れ

これも身勝手な地域エゴだった、自分たちの安全を計るためにそうしたのである
つまり原発とはこうして地域エゴから始まっていたのである
原発を作る場所は過疎的な場所がいいとされるのもそうである
そこに金をばらまけばいいとなるからだ、またそうして立地された場所は金が欲しいとなり積極的に誘致したのも地域エゴだったのである

極端な話では原発を建てる場所の地権者と県の許可があればそんな危険なものでも建てられた、ただその周りの自治体には金を与えたり仕事を与えたのである
それも地域に利益を誘導するものとなった地域エゴである
他の自治体では恩恵がなかったからである、だから県全体で見ても一部のものが利益を得ていただけであった

でも事故になった時広範囲に被害になった
つまり広範囲に原発は影響する、それ事故になったとき吉田所長は東北に住めなくなると言ったのである
原発事故は広範囲に影響するから市町村の範囲を越えて協議する問題だったのである
それが狭い地域でエゴで決められていたのである

県庁のある福島市でも被害が大きかった!

飯館村は放射性物質ブルームの塊りが流れる通り道となり被害が大きいものだった
ただここは別に自治体でも原発の恩恵はなかった
でもやはり金になるから原発で働いていた人がいたのである、原発だと三倍くらいの給料になっていたからである、この影響は大きかった、原発の回りでこうして働いて人が多かったのである

だから県庁のある福島市まで被害があったのはカルマだったともみる
遠いから原発と関係ないとみていた人が多かったからである
私の住んでいる場所も30キロ離れているから関係ないと見ていたのである
でも30キロ内は補償金が三倍以上もらっていたのである
一応南相馬市ということで鹿島区までは補償金をもらった
隣の相馬市となると一人6万しかもらっていないのである
原町区は鹿島区より三倍もらっていた、その差も大きかったのである

●事故後も補償金で分断

そして原発事故以後様々なエゴで金を得ていたことが判明した
漁業者は船主などは事故前も多額の補償金もらい原発御殿を建てていたとか周りからうらやましがられていたのである
漁業権がありそれを盾に東電からもらっていた、ところが同じ港に住んでいてももらえない人がいて不満だったのである
エゴむきだしになったのは家の前の海は自分のものだとして補償金を払いとまでなった
原発事故以後は補償金の奪い合いになったのである

それで飯館村では補償金をめぐって二つに分裂して争うことになった
その後どうなったかわからないが長年町長をしていた人はやめた
こうして補償金で原発周辺は分断された、それが伊達市とかでもそうだったと聞いた
親戚間でも補償金をもらう人ともらえない人がいて争うことになったと聞いた
つまり隣がもらってももらえない人がいたのである
鹿島区だと塩崎の人がそうなって女の人が泣いて訴えていたのである
子供でも争いになったとか聞いた、これも人間のエゴがむきだしになり争うようになった
今回の飯館村議会選挙でもS議員の運動員がよそ者はかかわるなとうろうろすると困るとか言って聴くこともできなかった、でも南相馬市と地理的にも深い関係があり放射性物質でも川を通して流れてくるのだからそうはいかないのである
でも一票をもっていないから南相馬市は関係ないとされたのである
でも現実に原発事故以後は飯館村の人でも広範囲に移り住んでいるのである
その人達は他の地域に住んでいても依然として飯館村の人なのである
税金は住んでいる場所に全部は払っていないだろう
なぜなら補償金をもらう関係でそうなっている

こうして広範囲な被害があり広域的に政治でもかかわるものとなったのである
だから飯館村の人達は南相馬市と合併しなくて良かった、補償金は特別もらえたからと言っていた、これもおかしいと思った
確かに飯館村には原発事故の責任はない、だから同情された
でもその後はやはり南相馬市とか回りと関係ないとはならないのである
現実に飯館村の住民がその周りに移り住んでいるからである
そしたらその周りにも南相馬市でも世話になっている人がいるのである

それをここは俺たちの土地でありよそ者はかかわるなと言えるのか?

例えば相馬市のトマト農家に飯館村の人が雇ってくれと言って断られたと不満をNHKで言っていた、でもその理由が相馬市の松川浦の津波の被害者を雇ったのは補償金をもらえないからである、それはそのトマト農家が冷たいということではなかったのである
ただ飯館村の人達は何かと同情されたことは確かである
原発事故の無惨さが飯館村に顕著に現れたからである
だか飯館村は補償金が特別多かったのである、実際に今でも放射性物質が特別汚染された地域になっているからだ

●飯館村は南相馬市と合併するべきだった

結局原発事故とその初めから東京地域のエゴで福島に作り自分たちは安全を計ろうとしたこと自体地域エゴだった、それで東京に原発を作れというのが正論だったのである
もし東京に作っていたらかえって事故にならなかったともなる
ただ原発は様々な危険性が指摘されていた、でも東電は無視していたのである

結局原発というのは東京の地域エゴから始まりまた誘致したのも地域エゴだった
自分たちだけは原発で金になればいい、自分たちの市町村は金になればいいという地域エゴだったのである
でも事故になり今度は逆に広範囲に人が移動して広範囲に広域的に政治問題化かしたのである
だから今回飯館村選挙でよそ者はかかわるな、この地域をうろうろするなとか言うのは信じられないとなる、それも地域エゴでありる

現実に回りに南相馬市でも飯館村の人達が移り住んでいるから広域的な問題であり飯館村の一地域の問題でなくなっているからだ
それが依然として飯館村のことは飯館村でする、よそ者は関係するなとかなっているのも全く現状を理解していない、こうして何か権力がないものは無視される
でもインタ−ネット時代には一個人でも発言したりできる
ただ読む人が少ないから影響はわずかにしてもやはり何らか影響するのである

こうして今経済でもなんでも広域化しているとき広く合併することはやはり時代でそうなった、そうならざるを得なかったのである
だから飯館村も地理的歴史的に一体化した地域だったから南相馬市に合併するべきだったということもありえた、現実問題として合併したような状況になったからである
南相馬市でも川俣町でも関係ないとならないからである
それで風車を作ったら川俣町の人に景観のことで勝手に作るなと言われたのもそうである川俣町も隣町だから相当に影響したからである、飯館村の人でも移り住んだりしているからである、でも補償金は全然もらっていないのである

だから何か飯館村自体だけで解決することは全くない
住民自体が周りに分散しているのだからそうなる、だから本当に南相馬市から来て聞こうとしただけでうろうろするなとかかかわるなとか言うこと自体、自分たちの現状を全く理解していないのである
そういうことは小高区の人達にもあった、とにかく自分たちは被害者であり援助されるべきものとして鹿島区のことなど眼中になかったのである
毎日ボランティアがきて援助していたのである
飯館村もそうしして他から援助されていたのである
だから俺たちは常に援助されるべきものとして見るようになったのかもしれない
そこに地域エゴがむきだしになったのである

相馬市のトマト農家で飯館村の人を雇わないとNHKで報道して暗に批判したのもそうである、相馬市の松川浦などの津波の被害が大きかったのだから当然だったのである
でもNHKでは特別飯館村の人がかわいそうだとしてそのトマト農家を批判したのである
これは常に原発事故の避難者は援助されるべきものとしてありそれがつけあがらせた原因にもなった、その周りにも津波でも苦しんでいた人がいたが無視されたのである
ただこうして最初から東京の地域エゴで福島に原発を作らせたのも地域エゴだったしそれが原発事故以後も地域エゴとして補償金獲得競争で分断されたのである

●地域エゴは人間が存在してからあった

ただ地域エゴは今に始まることではない、人間が存在し始めてから地域同士で利権で争うことがありそれが戦国時代にもなったとなる
だからこうした問題は人間社会からなくなっていない、地域地域で利権で結び合いまた争うのも人間の津ねだからである、水争いとかいろいろ地域でも争ってきたからである
それがこの辺では原発事故で露骨に現れたというだけなのだともなる
ただ現代はこれだけ広域社会になったとき地域だけの問題として処理できないのである
原発は広域的にかかわるものであり一時吉田所長が東北には人が住めなくなると言ったのもそうである、福島県だけではない、東北全体の問題でありまた全国的な世界的な問題でもあったのだ、海でもトリチウムの汚染水流すと世界から批判されているからである

地球とはみんなつながっているからそうなる、グロ−バル化すると余計にそうなのである人間はもはや江戸時代のような閉鎖した空間で生きていけなくなっている
私がグロ−バル化を批判してきたときそのマイナス面が大きくなったから批判したのである、でも現実問題として広域化グロ−バル化した世界に生きているから相互の調和を計らざるを得なくなっているのだ
ただそうはならずに地域エゴとか国家エゴとか対立が激しくなり戦争にもなる
そうならそれぞれに別々にかかわらないで生きればいいともなる
しかし現実にそれができなくなっていたのである、江戸時代にももどれないということである

どうししても広範囲な政治が必要になった、そこで問題を解決するほかないのである
グロ−バル化は別にして広域化政治は不可欠である、経済でもそうである
グロ−バル化ではなく大きなブロックに分けた政治になる
それで原発事故以後避難区域になった大熊とか双葉とか浪江は合併案が出たのである
現実にそうなっているのだからそれに合わせるためにそうなった
南相馬市だって飯館村の人でも浪江の人でも双葉でも大熊の人も現実に住んでいる
そしたらすでにこうして広範囲に問題を解決するものとならざるをえないのである
それなのに飯館村では南相馬市とは関係ないとかするのは信じられないとなる
もうすでに飯館村は飯館村だけで問題が解決しない、飯館村議会選挙があっても
回りの市町村とも関係している、飯館村だけでは解決しないのである
原発は世界の問題にもなった、海にトリチウムを流すことは海を汚染することだから世界から批判されたからである

ただその人は例外的な人だからとなるが個人として南相馬市民とショックを受けたのである
今は情報社会でありネット社会だからそういうことも伝えられるから気をつけろとなる
一億総記者時代になっている、個々人でも記者になっているから伝えられ拡散されることもありうるからだ、それが情報社会なのである
とにかくこれだけ変化したのに依然として江戸時代の村意識に生きていた人がいた
だからやはり南相馬市と補償金では得したが住民も周りに移住したのだから
南相馬市と合併するべきだったとも今になると思う
飯館村の問題は飯館村だけで解決しなくなっているからだ

ようやく矛盾が矛盾として意識され、当然あるべき葛藤が生まれるのは、実際に『迷惑』が我が身に降りかかってきたときである。そういう立場に置かれてみてはじめて、人は現実(リアリティー)の痛みに目覚めて思わず大声を上げる。

このサイトでは環境倫理学とか提唱している、本当にこの辺で起きたことはこのことでもあった

●水俣病と補償金  村は保証金で破滅した

1次産業と工場が支えだったのが、漁業は壊滅、農業は落ち目、工場の雇用は細々。貧しくても助け合ってきた村はなくなった。水俣病のせいで村が潰れたわけじゃない。補償金で潰れたんです。

 命や健康は返らない。補償金を取るしかない。でも今度はカネで村が破滅する。公害は起こしたらおしまいということで

水俣病のせいで村が潰れたわけじゃない。補償金で潰れたんです。

これは原発事故でも同じだった、それなりに細々として生活をしていた
その時は助け合っていた、でも事故後は多額の補償金をもらうことが生きることの闘争となった、そして飯館村でも補償金の問題で分断して住む人が流出した
残ったのは老人だけであり村の未来も消失した
第一何億円とかの補償金をもらったら今までの生活感覚とは違う、補償金をもらって楽に生活した方がいいとなる、また老人になれば年金をもらい楽した方がいいとなる
飯館村でもなぜ村に籍を置き村会議員にとかなりたいのかとなる
それは補償金が依然としてもらえる、利権となるからだともかんぐる
それは他の原発の避難区域でもそうなったからである
町とか村の復興よりまずは補償金をもらうということが生きることになった
老人は特にそうなりやすいし若い世代はその補償金を元手に流出して帰らなくなったのである

だからみんな金が欲しいとしてもそれがかえって徒(あだ)になり復興できなくなったともされる、それが水俣病でも公害になるとそうなりやすいと経験者が語っていたのである
しかし補償金はいつかもらえなくなる、今はもらってももらえなくなる
すると何か持続可能な収入が必要になる、農業とか林業とかは持続可能だから貧乏でも江戸時代でも人は住んでいたのである
持続可能でないのものは一時的には恩恵をもたらしても永続的にはもたらさないのであるすると今回のように人は故郷に住めなくなる、人は流出して廃墟と化する
補償金でもそれをうまく活用しないと消費されて終わりだとなる
現実にはそうなっている、復興といっても補償金で他に移住することになったからである

飯館村村議会選挙運動で思ったこと
 (よそ者はうろうろするな、邪魔だ、かかわるなと運動員に言われた)


posted by 天華 at 18:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2021年09月23日

秋の蝉、露草、秋涼し(飯館村の秋ー飯館村議会選挙(2)


秋の蝉、露草、秋涼し、芙蓉(飯館村の秋ー飯館村議会選挙(2)

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あいのさわの羊草

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亀石
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臥牛石

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清流や露草咲きて竹真すぐ

コスモスにまわりとまらぬ風車

秋涼し峠を越えて飯館へ

秋の雲影を落として村一つ

秋の蝉一つ鳴いてそ峠越ゆ

山鳩に遊びの庭や芙蓉咲く


また一つ森の広きも石重く道の辺にあり秋となるかな

秋の蝉一つひびけり我がたずぬ飯館村を我が帰るかな

広々と大池に咲く羊草風のかそかにトンボ飛ぶかな

飯館の人の作れるダリヤかな我が部屋にさしめでにけるかな

飯館の地は荒れにしも様々の色のダリヤ畑に映えぬ

家々に芙蓉の咲くも人住まず花のみ映えて我が見て帰る

亀石に臥牛石かな秋の日や飯館村に落ち着き住みぬ

十五夜の満月輝き我が家かなかつて共に住む姉をし思ふ


一昨日は飯館まで行ったけど涼しかった、やはり涼しいと疲れない、気持ちよく運動できた
飯館村では森に囲まれている、そしてその森に様々の形の石がある
だから石の村だともなる、その一つ一つに名前を付けると面白いとなる

あいのさわには羊草が咲いていた、広い池だから気持いい、近くに大きな石が五つくらいある公園がある、あそこもいいが草に埋もれていた、あまり人が行き来しないからだともなる、外部から来る人が減ったからだろう
あいのさわでもキャンプしている人も見かけなかった、今は休みだから来ていてもいいと見たがいない

飯館村でにぎわっているのは道の駅のまでい館だけである、昼間は食事する人で満員だった、その裏の子どもの遊びの庭があり芙蓉が咲いて彫刻がありそこに山鳩がとまっている何か飯館村には山鳩が似合うのである、ただまでい館の彫刻に男女の像があるのは似合っていない、森の国だから森と小鳥とか石の彫刻だとあっているとなる

飯館村には何か芙蓉があう、芙蓉が山の村にゆったり咲いているのが似合うとなる
ただ正直やはり人が住んでいないということで前とは違う
私が芙蓉が見た家も空家だったからである、ただいつも花を見て飯館村を帰ってきた
それで畑のダリヤを栽培している所があった
そのダリヤをまでい館で売っていたので買った、250円は安かった
その畑だけが彩り鮮やかで活きていてなごんだとなる

までい館の前の農産学校は廃墟であり壊すほかないとも見た
あそこの学校に南相馬市の鹿島区の人が学んでいたことを聞いた
なぜわざわざそこに入ったのかわからない、事情があって入っていたとなる
でも高校までも一応あった時代があった
ただその人はすでに40以上になっている、その頃学生の数も多くてそこに入ったのかもしれない、必ずしも高校となると地元の人が入るとは限らない
何か他でも空家が多く古い兜屋根の養蚕していた家はまるで文化財のようにも見えたのである
実際今は空家だらけなのである、生活でもどうして成立っているのかわからない
おそらく補償金で生活しているのかとも見る、相当に飯館村だともちっているからその金で生活できることはある、ただいつまでも補償金で生活できるのかとなる
近くの復興団地でもそうである、だから生活が苦しい人がいて電気を消している人がいる
ただ今回は不愉快だった、選挙中であり運動員がうろうろするなとか邪魔だと言われた
田舎だととにかく姑息な人が多いのである

それで何度言うように飯館村であれ暮らしが隠されている所が自然につつまれている所がいいのである、そこでこのように人と接する時、必ずどこでもそういう嫌な人と逢うことになっている、田舎の人とかがみんな素朴だとかそんなことが今はない
だから補償金もらえるとなると金しか見えなくなり村は分断されたのである
要するに人が出てこなくて自然の中につつまれ隠されて花だけが映えるようだと良かったのである
ただ原発事故以後はもうそういう村でありえなくなったのである
不思議なのはそもそも議員になる人自体飯館村に住んでいるのかとなる
一応籍があっても外に住んでいるかもしれない、前の村長がそうだったからである
そして孫は外部から学校に通っていたからである
ただ今全体的どういう状況なのかはわかりにくい、でも子どもも住んでいないというときその未来はどうなるのだろうとなる、外部から来た人も年配の人が多いからだ

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こういうことを言う人がいる、だからみんなが外の人は何もいうな目障りだというのは異常だとなる
このように外からの意見も聞くとしているからだ
ただこうして一人でも印象が悪い人がいるとどこでも嫌になる
人間はやはりそこに住んでいる人が作るのでありそこに住んでいる人の気持ちとかその人となりが影響する、今だと何か人間ではなく建物だとか機械だとかが社会を作っているように見える、でもすこに住んでいる人の心持ちだとかその場所を良くしたり悪くしたりもする、そういう気持ちがあれば人がいれば復興もするともなる

第一よその声無視できないのは学校でも村内の学校に通うより外部の学校に通っている人が多いとなるか、そうしたらよその声を今は無視できないのである
ただ田舎の人が何か姑息なのである、視野が狭いのである
よそ者を嫌うということはある、南相馬市の人すらよそ者として受け入れない人がいたからだ、だから自分の場合は今までは別に飯館村の人とは接していなかったのである
要するにその時はかえって良かったとなる、なぜなら花を見て帰るだけだったからである
posted by 天華 at 12:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2021年09月24日

abstract painting -mountain and river-flower field


abstract painting -mountain and river-flower field

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goldentunnel11.jpg

hokkaidouflower111.jpg


写真の一部と合成して作った、山は創作でありと花畑は他者の写真である
ただこういう似た写真があるからどれなのかわからなくなる
写真には似たようなものがあるからだ
これも著作権違反になるのか?一つの創作ともなる

The mountain is a creation and the flower garden is a photograph of another person, which was created by synthesizing a part of the photograph.
However, I don't know which one because there are similar pictures like this.
Because there are similar things in the photos
Is this also a copyright violation? It can be a creation

地域エゴは人間の争いの原因として常にあった (飯館村はそもそも村を維持できるのか?)


地域エゴは人間の争いの原因として常にあった

(飯館村はそもそも村を維持できるのか?)




印旛地域の行政中心地は成田市の2つ隣に位置する佐倉市だ。江戸時代には老中を輩出した佐倉藩があり、明治時代には7県が合併した印旛県の県庁が置かれた街である。現在も、保健所やパスポートの交付窓口などがある。博物館も美術館も大学もある。東京から帰る電車が深夜まで走っている。成田市民は、佐倉市民が羨ましいんだな。

しかし成田市域の大半は幕府領。下総佐倉藩の「領地」ではなかった。よそ者の私などは「一通り窓口や施設の揃った街に暮らしているんだ、という気分が味わいたいなら、佐倉市に吸収合併されるのがいちばん安上がりだ」と思うのだが、賛同されたことはない。佐倉の下に入るなど考えられない、らしい。

地方自治体の境界線は、住民の心に枠を作ってしまう。中小の町村が、何でも自前で施設を持つ必要はない。隣町に一定のお金を払って、施設を使わせてもらえばいいのだ。が、「我が町の土地にない施設に公金を投入するのは、どうしても許せない」というのが住民感情である。

県も同じだ。「なぜ我が県には空港がないのだ」と考えてしまう。そうして、どれだけ無駄遣いをしてきたのだろうか。県単位で人口の増減に一喜一憂したり、県単位で産業メニューをフルコースで揃えようとしたり。地域エゴのために合理性がどれだけ歪められてきたか

夕張市だって、「札幌市の辺境部」だったなら、無謀な人口維持策を講じることなく、静かに滅びていくこともできたろう。限定された行政区域の内側で自立しなければならぬ、という強迫観念があるから、衰退の道に甘んじるという選択ができないのだ。

 地域エゴに固執する者は自己が災難に見舞われたときに他者の地域エゴの報いを受けざるをえまい。他者を助けずして自己のみが生存(ながら)えようというのが道理であろうはずはない。瓦礫の広域処理は同胞の相互扶助の精神の如何(いかん)を問う重大なテストケースである。

 今後も、自分を中心に考える自分中心、自国エゴ、地域エゴ、民族エゴの流れは進んでいきそうです。



●自治体でも衰退して維持できなくなる 

人間のもめごとは様々なエゴから起きて来る、要するに自分さえ良ければいいということであり自分さえ利益になれば他は関係ないとなる
諸悪の根源はここにある、そもそも部族同士の争いから人間の戦争は始まっている
日本でも村同士の争いから戦国大名が生まれた、何か山林の入会権の争そいとかあった
この辺で有名なのは丸森の森林資源をめぐって米沢藩と伊達藩と相馬藩が熾烈に戦った歴史がある、そういう歴史がそもそも人間の歴史だったとなる

佐倉市と成田市の争いでもそうである、歴史的にもそうなのである、よそから来た人にとっては佐倉市と成田市は合併した方が事務手続きでも便利だとなるからだ
東京から近い人が移住しやすいからよそ者にとっては佐倉市とかに大きな市に合併された方が住みやすいとなるのだ
つまり現代ではみんな広域的にグロ−バル化して生活しているから一地域に限定して生活することが合わなくなったのである

何かこの原発事故は本当に相馬藩領域が最大の被害地になったのである
大熊双葉浪江でもそうだし飯館村も相馬藩領域だった、だから伊達藩との境目で森林資源の争そいがあったのも丸森と似ている、飯館村は森林資源が豊富だったから同じようなことが起きた

夕張市だって、「札幌市の辺境部」だったなら、無謀な人口維持策を講じることなく、静かに滅びていくこともできたろう。限定された行政区域の内側で自立しなければならぬ、という強迫観念があるから、衰退の道に甘んじるという選択ができないのだ。

こういう考えもある、日本で少子高齢化で人口が減るとそういう所が増えてくる
今でもすでに日本全国で空家が800万軒あるとなるからだ
この辺で原発事故でゴーストタウンにもなり町自体が空家の町になってしまった
そして若い世代が流出して子供がいない、極端なものになった
老人ばかり住んでいてその町であれ村であれ未来があるのかとなる
ただ南相馬市の小高区は南相馬市内に入っているからかえって移住するにも南相馬市内だと問題がない、だから原町区が便利なので移住した人が多い
でも他の人達も移住している、大熊とか双葉とか浪江とかからも復興団地があり移住している、四階建てのビルでありいくつも建ったからである

そうして浪江町とか双葉町とか大熊町とかでも復興しないから帰れないのである
また飯館村の人も相当数近辺に散らばり住んでいる、もちろん南相馬市にも住んでいる
川俣町とか福島市の方にも新しく補償金で家を建てて住んでいる人もいる
第一学校自体他の土地の学校に通っている人が多い
いくら立派な校舎を建物を作っても親たちは住んでいない、飯館村の外に住んで通っているのである、それも数名とかしかいないのである
こういう状態でよそ者はうろうろするなとかかかわるなとか飯館村選挙で言っている人は全く自分たちの現状を理解していないのである
ただこの人は特殊な人だったのかもしれないがそんな人がまだいるということに驚いた

●地域エゴは根強い問題

でも現実問題として地域エゴは根強いものだから歴史的にも常に問題になってきた
そもそも国(くに)というとき漢字だったら回りを囲むとなり閉ざすそこが国となる
クニは区切るなのである、一つの境をもうけて区切った場所がクニなのである
そこで内と外を意識させて生活していたとなるから
だから江戸時代なら村と村の境界とかが大事になる、そこで常に境の石とかあり境界を明確にしていたのである、そこで強い村の結束が生まれた

それにはいい面と悪い面が常に生まれる、村だけで閉鎖的になってしまうことである
江戸時代の村は本当に閉鎖的でありよそ者は簡単に入れない、すぐ目立つからわかる
それで明治になって合併がすすめられたとき飯館村の大倉村と佐須村が合併しなかったのは民情が違うからだとなっていた
民情が違うというのはわかりにくいがやはり何か隣村でも通じないものがあったからそうなる
つまり村は隣村の人さえ自由に交わらない社会だったのである
そこで民話の伝説では隣村から来た麦付きの男が蛇だったとかなる
隣村さえ得たいのしれない者となっていたのである
日本人は長い間そうして閉鎖的な生活をしていた、そうした村意識は簡単に消えないのである

ただ原発事故以後はそうした江戸時代の感覚の村の維持は不可能になった
飯館村の住民自体が周辺でも遠くでもばらばらに住んでいるからである
不思議なのは村議会選挙があるとして立候補している人は飯館村内に住んでいるのか?
それも疑問なのである、なぜなら前の村長は飯館村内に住んでいなかったからである
もはや飯館村自体が飯館村だけで成り立たなくなっている
外部から百人とか移住しているのもそうである
何か議員にとしてもそこに住んでいないかもしれないのだ、飯館村はどうして成立つのだろうか?

その村が補償金を得るための利権の場のようになっているかもしれない
巨額の補償金がばらまかれたからである、そのために村は分断された
その補償金が入ってきたがそれも十年すぎて村の予算としてと財政的にどうなるのか
何か村自体が維持していけるのだろうかという疑問がある
だからよそ者はかかわるなとかならない、南相馬市であれ福島市であれ伊達市であれ川俣町であれ広範囲にかかわざるをえないのである

●復興はできないとしたらいつまでも予算でつぎこむことは無駄?

何か復興させたいとしても最初はそう思ったが現実問題としても復興をあきらめるということも考えざるを得ない状態になっているのではないか?
なぜなら未来を担う若い世代が流出して子供もいないからである
老人だけが住んで成り立つのかとなる、そこに予算をつぎこむことも無駄になるのではないか?
それで津波被害の三陸地域に官僚の人がジジババに金をつぎ込んでも無駄だと本根が出たのである
そもそも住民がその村内とか町内に住んでいないということはどういうことなのか?
飯館村の瀟洒な建物は別荘であり人が住んでいない、時々帰ってきているだけだという
これも何か不思議なのである、軽井沢のような所だとそういうこともありうるが
そもそも貧乏な村で別荘にして維持できるのかとなる
またそんな暮らしが成り立つのかともなる、別荘村にするなら福島市とかに住んで金持ちでないと無理である、でもいづれはそんな収入は得られなくなるだろう
補償金でも使えばなくなるからである

確かなことは飯館村だけでは維持できない、他の大熊とか双葉とか浪江とかでもそうである
小高の場合も実際は維持できないとしても南相馬市だからそこを捨てても南相馬市内の問題として処理できるのである
もはやかたくなに町でも村でも維持できなくなる、それはここだけの問題ではない
少子高齢化と人口が激減してくくとき全国で起きて来る
ただここでは原発事故で極端な現象として現れたのである
だから大熊とか双葉とか浪江とかが合併するほかないという案もでたのである
もはろ飯館村は飯館村だけで維持できない、それで南相馬市と合併するべきだったとなる確かに原発事故では補償金を十分に村でもらったから合併しなくていいとなった
でもこれから先の問題としてもう補償金だけでは維持できない
やがて廃墟の村になってしまう、現実問題として住民が住まない村は誰のものなのか?
回りの市町村に住民が新築の家を建てて住んでいて飯館村の住民となりうるのか?
また権利でもあるのかとなる、つくづくこれもむずかしい問題である
ただ飯館村に所属して利権を得るためなのか?補償金をもらうには飯館村の住民でないともらえない、他でもそうだったからである

それで飯館村の人が相馬市に移住してトマト農家に雇ってくれと言ったが断られたとNHKでそのことを訴えていた、NHKは原発避難者側についた、それを見た人はなんでそんな冷たいのだと瞬間的に怒りになる
でも相馬市の海側では松川浦などでは津波の被害が大きかったのである
そこでは補償金ももらっていない、だから津波の被害者を雇ったのだから別に冷たいことはなかったのである
こういうふうに広域的なものとてし飯館村住民もありそれをよそ者だからうろうろするなとかかわるなとか邪魔だとか言う人がいるのは信じられないとなる
つまり現状を全く理解していないということである

今までとは全然違った状態になっていることを理解していないのである
ともかく飯館村が維持できるのか?それ自体が疑問なのである
ただいろいろな人がいるからその実情がわからないから何とも言えない
確かなことは飯館村だけでは問題は解決しないし維持すらできないことである
別に江戸時代の様な村であれば自給自足であり自立しているから大倉村と佐須村が合併しなかったようにそれでも良かったのである
でも今になるとそんなことでは成り立たないのである、村自体が維持できなるのかと見るからである

●復興できない、自立できないとしたらどうするのか?

浪江の人が近くの復興住宅に住んでいる、それで選挙の時、議員になる人が運動する人が車で回った、そしたらよそ者は来るなとなったらどうなるのか?
政治運動するなともなる、ただそういうふうに今は原発避難区域の人達は散らばって住んでいるのである、そして働かないという時回りの人は不満だった
補償金で金があるから高いものを買っているとか見ていたのである
その人は相馬市の人だったのである
それはいわき市とかでもそうだった、2万人とか避難してその人達は補償金で新築の家を建てた、地元の人は建てられない人たちがいたしそれでうらやまく思い嫌がらせが起きた普通避難民世界ではテントを張って暮らすとかもうぎりぎりの生活なのである
でも原発避難民は避難民様となり貴族にもなっていたとなる
だから傲慢になっていたともみる

何かこの原発事故は原発か近い所遠い所と距離で分けられた、双葉とか大熊は一番被害が大きかったが恩恵も一番あったのである
それでここにもカルマの法則が適応されたともなる
原発は距離に比例して被害が大きかったからである、それ故にカルマとなりカルマとは責任であり恩恵があればそれに比例し責任も大きく課せられていたとなる
ただそういうことは自覚しない、得すればいいとしかなかった
飯館村は確かに恩恵を受けていないから余計に同情された

でも今になればもう十年を過ぎればどうして復興するのかが問題でありいつまでも外部であれ頼るというわけにはいかなくなる
いつまでも特別優遇されるべきだとはならなくなっている
それは他の避難区域の人達でもそうである、一体どうして復興するのか、それは外部まかせでできるのか、何らか自助努力もしないと復興できないしそうできなければもう復興をあきらめて別な道を模索しなければならない、現実はもうあきらめているとなるとそこにいつまでもこだわっていても無理であり一層見捨てるということにもなる
北海道の夕張ではそうするほかないとなる、いつまでも夕張市を維持しようとしてもできないからそう言っている

そういうことは誰の意志で決めるのかわからない、ただいつまでも復興できないのに復興にこだわっても無理だとなる、ただ費用だけがかかってくるからである
一層会社でも倒産して整理した方がいいともなる
ただそこには会社の社長もいないし従業員がいたとして町民とか村民とかいたとしてその人達の意志で決めるとなる
でも一方ですでに分散して住んでいるのだからその住民は別な市町村の一員になる
しかしまだ別な市町村に籍を変えたということでもない、その辺の所属とか身分があいまいなのである
いづれにしろ原発避難区域はそこの住民だけでも決められないようにもなっている
だから夕張市が札幌市になっていればその周辺として処理することができるとなる
だから浪江とか双葉とか大熊とかが合併するとか提案された、それより南相馬市と合併すればその周辺地域として処理するともなる
ただそういう地域を背負うことは負担になるのである
言えることはもう自立した自治体として機能できないような状態になっている
だから今になると飯館村は南相馬市と合併していた方が良かったともなる
なぜなら自立しようとしてもできない、そして広域化した社会で自立することは地域エゴになってしまうのである、

それは世界的にみてもアフガニスタンが自立するのはいい
でも食料不足になり自立できない、そうしたらいくらタリバンでも国を守るとしてもできないのである、外部からの援助が必要なのである、つまりよそ者を入れないということ
外国人を入れない排斥するのはいいとしてそれは経済的にも自立していればできることである、江戸時代の村は貧乏でも自給自足が基本であり自立できていたのである
今はできない、グロ−バル化してさらに国内でも広域化した社会で生きているからである例えばなぜ都会の人達が東京の人達が過疎地域とかに不満なのかというとそういう地域を維持するのに80倍とかの金がかかる、インフラ整備に電気であれ水道であれかかる
そのために税金を地方交付税をとして払うことに不満だからそうなる
でも江戸時代とか戦前では水道がなくても江戸の水を利用するとか燃料は炭だとか電気もなかったのである、葛尾村村など戦後遅くやっと電気が通ったのである
そういう村だったら自立しているから東京とか大都会とは関係ないともなる
そして逆に木材であり石材であり石炭であれ様々な資源を地方を頼りにしていたのであるそのために蒸気機関車で東京にそうした物資を運んでいたのである
それが外材とかなったとき地方は衰退した、そこで東京の人は地方に税金を払うのは馬鹿らしいとなって不満になりそういう過疎地域はもういらないと見るようになったのである

●ソーラーパネルの村になっていもいいのか?

飯舘電力では、耕作放棄地となっていた広大な農地にソーラーパネルを立てて発電し、その売電収入を復興の資金にしようと考えます。

畑があっても、耕す人がいなくて放っておけば農地は荒れてしまいます。だけど僕らがそれを借りて発電をすれば地代も払えるし、農地を管理することもできると考えたんです。
2019年4月1日現在で飯舘村の避難者は4358人。村内居住者は1258人(内、帰還者は1118人)、帰還者は村の人口の20%ほどにとどまっています。戻らない理由については、避難から7年以上が経ち、生活基盤が他でできてしまっていることも大きいかと私は思います。

ソーラーパネルがやはり希望となっているのか、これも景観破壊である
でも土地利用できないから収入がないと生きていけないからそうなる
要するに住民は飯館村に住まなくても土地を貸して収入になる、それで他の土地で生活すればいいともなる、こういうことが果たしていいものだろうか?そして時折別荘に帰って故郷をなつかしむのかとなる
それはもう昔のまでいな暮らしの飯館村とはならないだろう
そんな生活がありかるのかと思うからだ

でも荒地のままにしても置けないからどこでもソーラーパネル化しやすいのである
その時飯館村はソーラーパネル工場となり昔の飯館村ではなくなる
現実問題としてはどうすればいいのかと自分に問われてもわからないとなる
自分自身はただ飯館村に来て花を見て帰ってきたというだけだからである
その時はそれで良かったのだが今になると昔の飯館村は消失した
ただ外部からの人がいろいろと尽くしている、つまり今や飯館村は外部の力に頼ることが多い村なのである、だから南相馬市から来てよそ者がかかわるなというときまたうろうろするななどと言う人がいることが信じられないとなる
なぜならこうして原発事故以後外部の人と接する村になったからである

どこもかしこもソーラーパネルにしていいのだろうか?

丸森も山が全体がソーラーパネルになった場所がある、そうすると景観が失われる
ただそうなるのも外材で木が利用できない、つまりそこに木材でも利用して森も活かされるし住民でも住めるということがあった、それは江戸時代ならそうだったのである
その時景観も保たれていたのである
だから自然保護といってもその自然が人間の生活に活用されないと守れないということがある、かえって自然は荒廃するともなる
ただ山を所有しても生活の足しにならないとなりソーラーパネルにして金にした方がいいとなるからだ
とにかく飯館村をどうするのか?他の原発避難区域でもどうするのか?
それを決めるのは誰なのか?そこの住民だけなのかとなるとこれもわからないのである
現実に周りの市町村に住んでいるからである、新しい家を建てて住んだら帰らないからである
そういうことで何か空白状態になりそういう場所には外部から人が入り安い
また空家化して荒地化すると猿とかイノシシが増えてくる、そして恐れもなく道を歩いている、イノシシとか猿が増えたからである、そこの住人は獣にもなってしまうのである

ただ外部から多方面の経験知識をもった人たちが入ってきている、そういう人達が復興の鍵を握っているのかもしれない、新しい村作りの主役となるのかもしれない
その辺については詳しくない、ただよそ者を受け入れざるをえないしもう飯館村だけでは成り立たない、周辺地域とも深く関係せざるをえないのである
それも選挙は飯館村だけのものであり外部の者は南相馬市でもかかわるなとか関係ないとうろうろするなとか言うことが信じられないとなる
そんな人がいたら復興自体不可能である
posted by 天華 at 17:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2021年09月25日

感染症の歴史をふりかえる (人間が広く交わると感染症もグロ−バルに拡散したーそして変わる社会)


感染症の歴史をふりかえる

(人間が広く交わると感染症もグロ−バルに拡散したーそして変わる社会

6世紀〜 天然痘の日本定着。もともと日本には無かった病気だが、中国・朝鮮半島との交流が盛んになり日本に上陸した。以後治療法が確立され、全国に普及する19世紀半ばまで猛威をふるう。

平安初期の貞観富士山噴火(864年)のときは、咳逆病(しはぶきやみ・インフルエンザ)の流行が続いていた。
『日本三代実録』には「863年は前年から咳逆病が大流行し、大納言・源定、内蔵権頭・藤原興邦、平城天皇皇女・大原内親王、大納言・源弘などが相次いで死去した」と書かれている。

そして江戸時代の末期にはコレラが蔓延。
これも外国船から人や物と一緒に上陸し、大阪や京都、江戸にも広がって行き、多くの犠牲者を出すことになります。
1853〜1860年にはペリーらが来航し、江戸幕府に開国を要求。
黒船騒動が起こります。
コレラ(罹ると短時間で亡くなる為、コロリとも言われた)のような恐ろしい病気も振りまいていく。日本はシベリア出兵を行うなどし、第一次世界大戦に関わりを持ちます。
それはスペイン風邪を受け入れることも意味していました。
ヨーロッパを中心に広がったこの疫病は、同盟国、敵国を問わずに感染者を増やしていきました。
どの国も戦線を維持することさえ難しいほどになり、戦争終結の契機へとなったと言われています。
日本では大正7年5月から9年の5月までの間、合計3回の流行(第三波)がありました。

東アジアと西アジア・地中海世界をつなぐシルクロードは、絹や漆器、紙などを西方に、宝石やガラス器、金銀細工や絨毯などの文物を東方にもたらしたが、同時にさまざまな感染症を交換させた[17]。天然痘や麻疹は西から東に運ばれ、ペストは東から西へともたらされた[17]。こうした感染症に対し、人びとは免疫をもたなかったので、東西でパンデミックが生じ、多くの人命が失われた

シルクロードの東西それぞれの起点となった漢帝国と古代ローマは、大人口を抱えて繁栄した当時の超大国であったが、2世紀以降、時を同じうして感染症の大流行が発生し、人口が激減し、帝国の分裂と混乱を招いた[17]。11世紀以降繰り返された十字軍遠征、また、それによって活発化した交易もまた、ヨーロッパ大陸にペスト菌による感染症拡大をもたらしたと考えられる]。13世紀のユーラシア大陸で巨大な版図を有することとなったモンゴル帝国では、シルクロードの大部分が支配下に置かれることとなり、ユーラシアを横断する交易をいっそう拡大させたが、感染症もまた東西に拡散されることとなったのである。

コレラ、インフルエンザ、マラリア、麻疹、ペスト、猩紅熱、睡眠病(嗜眠性脳炎)、天然痘、結核、腸チフス、黄熱などが、ユーラシアとアフリカからアメリカ大陸へもたらされた

免疫をもたなかった先住民はこれらの伝染病によって激減した

1331年の元の時代に大流行が発生し、1334年には河北省で人口の9割にあたる500万人規模(推定)の死亡患者が出たという隊商などによってイランやシリア、パレスティナに拡大し、エジプト、さらにチュニスなどの北アフリカを経てヨーロッパに感染を拡大させた[18]。特にイランやエジプトでは猖獗をきわめ、人口の3割をこの時期のペスト感染で失ったとみられる

ヨーロッパの疫病が新大陸で猛威をふるった顕著な例として、1545年から1548年にかけてのメキシコ(ノビスパニア)での大流行があり、このときメキシコ中央部では先住民(インディオ)の約8割が死亡したといわれる。征服から1世紀経ったのち、メキシコの先住民の人口は征服直前のわずか3パーセントにすぎなかったという試算もある[

梅毒は、元来はハイチの風土病だったのではないかと考えられ、コロンブス一行が現地の女性との性交渉によりヨーロッパにもち帰ったとされる。梅毒は、ヨーロッパ諸国も介入した16世紀のイタリア戦争を通じてヨーロッパ各地に広がったため「ナポリ病」と称することも多い。

アジアへはヴァスコ・ダ・ガマの一行が1498年頃インドにもたらし、日本には永正9年(1512年)に中国より倭寇を通じて伝わったとされ、江戸時代初期には徳川家康の次男結城秀康も梅毒に罹患している。



感染症は人と交わることによって感染する、するともし人と人が交わらなければ感染しない、人が病原体を運ぶのであり人が移動しなければ感染しない
古代に天然痘でも朝鮮半島からもたらされたというきそうである
朝鮮半島とは一番日本は交流があったからである

江戸時代の末期にコレラが流行したのも長崎に外国人が入ってきて流行した
江戸時代でも鎖国していても長崎の出島から外国人が入り貿易していたからである
このコレラは北前船で新潟まで来て阿賀野川を通じて城のある会津若松まで広がった
江戸時代でも結局外国からウィルスが侵入して日本に広がったのである

スペイン風邪でもそうである、世界第一次戦争があり広く人々が国を越えて交わる結果として広がった
何か隣の人は戦争で東南アジアとかに行き梅毒にかかったらしい
それで変になった、土地の女性と性交したとかあったのかもしれない、戦争は感染症を拡散されるのである
日本軍は東南アジアの熱帯で感染症にかかり相当死んだ
従軍看護婦だった姉もマレーシアのジョホールバルで腸チフスになり苦しんだ
熱帯は感染症にかかりやすいのである

世界史的にも巨大帝国がローマでも中国でも東西が交わると感染症が世界的に拡散する
モンゴル帝国は西側の国を攻めるとき感染した死者の死体を城壁に投げ入れて感染を広げた、つまり感染者を武器としてまで使っていたのである
戦争でも国境を越えて人と人が交わるから感染症が広がる

大航海時代でも南米にウィルスがもたらされて原住民であれ免疫がないので感染して多数が死んだ
これらを見れば人間がそれぞれの国だけで生活していれば感染症は拡散しない
でも人間の歴史は必ず領土拡大してゆくからそこで他国と交わり人とも交わるから必然的に感染症も拡散される運命にあった

グロ−バル化することは必然的に感染症を拡散させることだった
つまり必ず何でもプラスの面があってもマイナスの面が生まれて来る
それが感染症だったのである、おそらく生態系の維持というときある一定の地域で範囲内で機能している、だからそこで感染症は風土病と言われた
ある地域の生態系から生まれるからである、その風土病でも人から人にうつるのだからある一定の地域内で暮らしていれば拡散されないのである

現代のグロ−バル化は頂点に達した、世界中の人達がこれほど交流して交わる世界はなかったからだ、それは一部の人でない、あらゆる人が世界で交わる社会になった
だから最初にイタリアで被害が大きかったのは中国人の労働者がイタリアに多かったからである、そして日本の感染は観光で中国人を入れるのを早い時期に止めなかったためだとしている
ただこれだけグロ−バル化しているともう感染は世界的にたちまち拡散されて止められないということになった
つまりグロ−バル化の負の面が感染症で露骨になったのである
それでも人間の交流を止めることはできなかった、世界史でも世界との交流は感染症があっても止められなかったからである
ただグロ−バル化の負の面が最近は目立つようになった
世界経済でもグロ−バル化すると必ずまた反面に対立が激化してくる、それが米中対立でありまた世界戦争の恐怖になる

感染症は人の交流を止めることになる、それもまた大きな視野でみれば人間にとって必要だから感染症かあるのかともみる
外国と交わることがすべていいようでも必ずしもそれが平和的な交わりではなく必ず対立激化して戦争になっていたからである
異質の文明が出会うことは必ず苛烈な覇権争いになり戦争になっていたからである
その犠牲も莫大だったのである
それで老子の「小国寡民」の思想が生まれた、いわば小さな村で外と交わらないで平和に暮らすということである、それはグロ−バル化は人と広く交わることはまた対立激化して戦争になって犠牲が多かったからである
グロ−バル化はすべていいものとして作用しないからである

現代ではもうフロンティアもない、アメリカ大陸とか南米とかフロンティアはなくなったそして地球の人口でもアフリカでさえふえない、少子高齢化するのは世界的なものなのである、つまり世界の人口はこれからは増えない、もう地球で人口が増えても養えなくなっている、限界現象が起きているからである
持続可能な世界を作るにはもうグロ−バル化して貿易を盛んにするとか資源を多国籍企業が食いつくしてゆくとかしたら森林ても喪失して持続可能な社会はなくなってゆく
江戸時代の様な自給自足のリサイクルな循環型持続可能型の社会がこれからの人間の在り方なのである
コロナウィルスもグロ−バル化を抑制するものとなったから今までの世界と社会を見直すものとなった、世界が無限に拡大するとかはない、縮小化するダウンサイジングした社会となる

つまり日本の江戸時代のリサイクル社会とか茶室とかのシンプルなわび、さびとかの日本文化を見習う社会にもなる、大陸の無限に拡張拡散拡大する世界は限界に来たからであるそれをつづければ世界第三次戦争で人類は滅びることになる
何か拡散拡大ではない、抑制して制約する限界をもうける社会である
内なる世界に向かう、内なる精神性の世界を追求するようになる
それは宗教とか哲学とか芸術の世界の探求にもなる、ただカルト宗教は内なる世界より外なる世界を求めて会員を増やことが目的だから違っている
禅宗のように座禅して内なる世界を究めるともなる

また物量とか量で計る世界ではなく、意味を求める社会になる、哲学的な社会になる
それはオリッピックが一部の金儲けのためのものであったし意味がなくなったことでもわかる、いくら金をかけても何か意味ないことはもうつづけられないのである
だから宗教や哲学の時代になる、そういう変化は今回のコロナウィルスでも起きたということである、巣籠り生活とかでもそうだったしテレワークでもそうだったからである
コンピュター時代になるけどこれは今までの重厚長大な技術とは違う、人間の知能と深く関係している、人間の知能開発の道具でありまたそれは精神とも結びつくのである
AIとかもそうでありそれは今までの機械と道具と違って人間の知能と精神に結びつく
それは時代を象徴するものでありそこに変化がありそれに適合することで時代が変わってゆく
posted by 天華 at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年09月26日

若い人の甲状腺被害が多いのははやはり原発事故の結果か (復興しない原発避難区域―飯館村など)


若い人の甲状腺被害が多いのははやはり原発事故の結果か

(復興しない原発避難区域―飯館村など)

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30 倍となる多い

低線量被ばくの発がんリスクと福島の甲状腺検査の結果の解釈


radiotionfff1.jpg
2012年の調査である、10年過ぎたらどうなるのか?

福島で最も恐れていたアレが遂に急増し始めました 
ここまで深刻だったとはもう言葉がありません・・・
https://www.youtube.com/watch?v=ZeYEd2Ksor4

●放射線により甲状腺被害が増えたのは確か

津田教授 福島の有病率は、全国平均甲状腺発症率(5〜24歳)の17〜22倍と多発であるという結論になります。2巡目の検査で新たに見つかった甲状腺がんは、1巡目の検査後の約2年の間に5.1mm以上に成長したと考えられます。これらの腫瘍が、その後も同様のスピードで成長する場合に一生発症しないと考えるのは困難です。

原発事故の放射線被害もわかりにくい、でもやはり確実に被害が5〜24歳)の17〜22倍と
多いとしたらこれは具体的でわかりやすい、明らかにここに被害が見られたとなるからだ武田邦彦氏もこのことを指摘している、でも報道がされないとしている
福島医大と長崎医大で甲状腺癌の共同研究をするというときやはり事実として被害があったからだとしている
でも原発事故前でも危険が報道されない、事故後も報道されない

ここにマスコミの問題があった、報道できない何かがあるのでできない
県の政府の広報となっているのが福島民報でもあるからだ
県の出資が50パーセントにもなっているからだ
また創価の聖教新聞を刷っているから公明党は政府側に自民党につくからそうした報道を抑えることができる、だから報道機関が自立していないと大事なことでも報道されないのである、それが原発にありとりかえしのつかない事故になったとなる
原発マネーはあらゆる所に流れていたのである
報道機関ならマスコミなら全部であり丁度爆発した時全マスコミが朝日新聞社の幹部まで中国に招待されていたときだったのである

それはコロナウィルスでもある、本当のことが良くわからないからである
また科学的なこと専門家しかわからないから簡単に騙されることにもなる
自由な報道にするには何かの団体とか権力者に忖度するとできないのである
でも今まではマスコミしか報道できないのだから一個人などではできないからそこで報道されないとわからないのである

だから飯館村では子供が住めないから学校でも村外から数人通っているだけである
空気に放射線が依然として放出されているとなると飯館村内に入ることや住むことはむずかしいとなる
ただ老人は関係ないとしている、飯館村の老人は山菜を食べていると言っていたからである、老人は気にしなくてもいいとなる
放射線被害があるのは若い世代であり子供に影響したことが致命的だったともなる
もし子供に影響がなかったら親でも一緒に住めるとなっていたからである
それでいくら立派な建物を建ててもそこで子供が学べないということにもなった

この放射線の被害のやっかいなのはセシウムの半減期が30年とかプルトニウムだと二万年消えないとかなりこうなると住むこと自体が不可能にもなる
飯館村はそういうレベルにあるのかもしれない、土壌でも山林でも放射性物資に汚染されてそれを除去することは不可能になっているからだ
最近私は放射線量を計っていないが空間線量みたいのが減っていなかった
ここは放射線量が0.2とかそもそも低くかったから減らなくてもいいのかと見ていた
飯館村では0.7マイクロシーベルトとかある、でもモニタリングポストの線量は低くしている、その下の土を除いて設置されているかである
それを大成建設とかで設置していたのである、そのことを飯館村の人が指摘していた
何かこうして政府のしていることが原発ではごまかすことが多かったのである
それに加担したのが御用学者だったのである

●放射線の被害は長く続くからやっかい

原発の放射線被害というのが具体的に見えるものとて提示されない
すると危機感も感じないのである、何も被害がないじゃないかとなる
コロナウィルスでも具体的に被害があり苦しみ死んだりすると危機感を感じ外出や遠出でもひかえる、具体的に被害が出ないと危機感を感じないのである

もう十年も過ぎると外部でも関心がなくなる、ただそこに住み南相馬市でも現実問題として放射性物質が依然として飯館村から川を通じて流れて来るのだから敏感にはなる
でも今年は明らかに鮎が海から上ってきた、それは今年放流したものとは違う
自然に繁殖した鮎が海から上ってきたと見た、なぜなら小さい鮎だったからである
もともと事故前でも鮎はこの辺では小さくなっていたからである
すると自然も回復したのかともみる

チェルノブェリでは子供の甲状腺癌が多発してそれを見た時悲惨だったのである
福島でも増えたとしても報道しないからわからなくなっていたのである
やはりその時の映像のインパクトが大きかった、福島では全然報道されないのである
ただ飯館村は回復していない、田畑でも回復しない、ただダリヤを250円で買った
ダリヤ畑があった、花栽培は放射線の被害がないからできるとなっていた
他の農作物は依然としてまだ放射性物質がふくまれて安全とは言えないのか?
ただ測定して安全だとはしている、でも回りの山林から放射性物質が流れ出して来る
それを止めようがないのである、それは雨で流されて真野ダムにたまりまた新田川を通じて原町区にも流れて来る
それで放射性物質を含んだ土を入れていたフレコンバックが破れて流れ出したことがあったからだ

いづれにしろ原発事故で避難区域になった所は復興していない、帰還もしていないから
放置されて田畑は原野化して荒寥としている
ただそうした地域でも補償金をもらったから生活している人はいる
でもなにか生活の持続可能な場所とはなっていない、原発事故の補償金をもらうための利権の場所のようになったのかもしれない、除染では何兆円もかけたしその金は相双リテックとかに流れて幹部で何億円とか山分けしたとかなる
また建築土木関係では仕事が増えてもうけたとなる
それでいわき市の足場会社の会社の息子がプレジャーボートを買って子供を殺してその母親の両足を怪我させた、切断した、それを見た時ショックだった
何か関係ないようでもこれも原発事故が回り回って影響したのかとなる
金回りが良くなってそれが事故につながったのかとなる
高級な車を買った人も多いからである

●放射線量で補償金で分断されたのは政府の策略だった

とにかく原発は莫大な金が流れた、事故前でも事故後でもそうなのである
こんなに莫大な金が使われることに驚いた、でもいくらそんなに金が使われても復興にはつながらないともなった

 村民の1人はこういった。「原発事故のせいで村が3つに分断され、賠償額にも差ができた。事故の前はみんな気持ちが通じ合い、トラブルなんてなかったのに、ねたみやひがみが生まれている」
 
 星英雄:先が見えない−−分断と風化に抗して希望を模索する飯舘村〈飯舘村レポートA〉
http://rentai21.com/?p=833
 
 飯館村などは一様に放射線が高かったのだから賠償も一律で良かったのである
これは今になると政府が住民を分断させるためにしたとも思える
隣同士で補償金の額をめぐって争った所がかなりある
実際に放射線量はほとんど変わらないのに差をつけたのである
鹿島区は30キロで区切りそれで原町区は三倍ももらい、医療費も十年過ぎても延長してもらい、高速も無料だったのである
この差別は大きかった、相馬市でも市内を計ったら放射線量は変わらなかった、かえって高い所もあったし他にも周辺地域で伊達市でも隣同士とかで親戚でも補償金をめぐって争っていたのである
こんなことしたのは政府の策略だったのかとなる
なぜなら分断されることは被害者一致協力できないことになったからである

●ハコモノに金をかけて作っても復興にならない

奥尻町では被災者一人あたり、405000万円が復興で使われ、義援金も一人あたり1000万円ぐらいあった。そこまでしても、それだけにしかならなかった」

飯舘村・菅野典雄村長「経済一辺倒のままでいいのか」 将来を見据えた復興のありかたとは

奥尻島でも津波の被害で建物とか公園とか箱物を作っても復興できなかった
被災地に求められているのは『何かを生み出す人』です。お金を使う人はいらないんです被災地に多いのはお金を使う人たち

https://www.huffingtonpost.jp/2014/03/02/reconstruction-of-the-great-east-japan-earthquake_n_4886571.html

これは事故から7年後とかその前に言っていることである
10年も過ぎたらまた状況が変わっている、一番変わったのが外部でも関心が薄れて内部のことがわかりにくくなっていることかもしれない、飯館村の村議会選挙のことを知ったそこで運動員にうろうろするなとか南相馬市なのにそんなことを言っているのは信じられなかった、つまり飯館村内にもいろいろな人がいるにしても外部の人が相当にかかわってきているのに南相馬市なら地理的にも一体なのにそんなことを言うこと自体信じられないとなる
おそらく議員選挙に出た人も飯館村には住んでいないのではないか?
外部に新築の家を建てて飯館村を利権の場として利用していることもある
住んでいれば住民になるけど実際は住んでいない人が多い、それでこじんまりした新築の別荘を建てていて時々帰ってくるというのもそうである

いづれにしろ十年過ぎても復興はしていない、ほんの一部であり全体的には原発避難区域は復興していない、全体的に田畑は荒れ果てて住んでいる人は老人であり若い世代は流出したのである
最近では小高区の大工さんが立派な家を建てていたが原町に中古の家を買って移り住んだとかある、飯館村の人でも周辺に移り住んでいるのである
補償金で新築の家を建てた人も多いだろう、すると生活する場所が村外であり通うにしても村の住民という感覚になれないだろう

金をいくらつぎ込んでも復興にならない、それは奥尻島でもそうだった、補償金でも援助金でも相当にもらった、そして菅野町長がさらに支援金をもらうためにテレビで宣伝したのを見た、そんなに金をもらっても復興できていないのである
湯水のように金を使っても復興しないのである
それはなぜなのか?金を使う人ではない、何かを新しく作りだす人が必要だというのもわかる
でもそれはたいがい外部から来た人達がしている、外部頼みなのである
ただもう外部の人でも関心あるのは減少して一部の人しか継続してかかわらない
それで川俣町の山木屋の人が大学の人が来たが一時期だけかかわって後は来なかったとなる、そういうボランティアでも多いだろう
継続してかかわることはむずかいしからだ、ただ南相馬市とかだと地理的に一体だから無視できないのでかかわるとなる
飯館村は飯館村だけでは自立できないのではないか?
それで南相馬市と合併すれば復興を広域的に考えるからそこに何か開けるものがあるかもしれない、ただ全体的に原発事故の避難区域になった所は十年過ぎても復興していないのである


posted by 天華 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2021年09月27日

人生百年は嘘、活動する時間はその前になくなる (人間の最大の後悔は時間の浪費だった)


人生百年は嘘、活動する時間はその前になくなる

(人間の最大の後悔は時間の浪費だった)

いくつまで生きているのか」ではなく、「いくつまで健康なのか」であり、それはきっと「70歳くらいまで」であろうということです。
そして、本連載の最大のテーマは「60歳で仕事を辞める」ということであり、その根拠になるのが、「60歳というのは、QOL(生活の質)が高い人生が、あと10年しかないこと」です。
これをきちんと咀嚼したら、答えはひとつです。「大好きではない仕事は、60歳で辞める」これに尽きます。

人生百年時代といっても活動できる正味となると短いのである
ただ活動時期でも10年は確実に伸びている、60から70はかなり体力的にきついことでもできる人はできる
それで退職した人がよほど自由な旅行したかったのだろう
鹿児島から青森まで歩いて旅していたのである
この人はそれだけ旅したかったが公務員とか会社員だと時間がとれないのでできなかったそのためにそうしたエネルギーが退職して爆発したとなる

60から70はまだ体力的に充実している、だからそんなことまでできる、私はこれだけ旅行しても歩いた旅行は近くでもしていなからである
本当の旅したいなら歩いてみることである、全然違った感想を持つようになるし江戸時代のことを体で理解することになる

私の場合は60から十年は過酷な親二人の介護だった、それで自由な時間は完全に奪われたでも50代からバックパッカーで海外旅行したから良かった
なぜなら今になるとできない、体力的にも気力的に海外旅行は苦しいからだ
つまり意外と人間に与えられた時間は短いなのである
これが人生の最大の盲点だったのである、急速に時間が飛んでゆく消失してゆくのである女性でも30まで結婚しないと婚期を逃して結婚するのがむずかしくなる
婚期が長くなってもそうである、容姿も衰えてくるからである
そして30以上になると子供を産むことの限度になる、子供を産むのは30前の方がいいとなる
女性でもいくらでも時間があっていい人を選べばいい、気に入った人と出会うまで待てばいいとかならない
そのうち時間が過ぎて婚期を失う、つまり人の出会うチャンスも何回もないのである
気にいったいい人を待っていたらいつの間に歳とって今度は誰も相手にしないとかなる
男女でも出会う機会も一回とかなる、それは若い時が短いからそうなる
その若い時の十年くらいに出会いないとあとはないとまでなってしまうのである

結局男女にかかわらず人間は30までにその一生が決まる、方向が決まる
男性だと30までに会社員であれ何か仕事でスキルを身につけないと後はなかなかむずかしくなる、人間は何度も挑戦して何か身につけることはできない
経営者でも一回失敗するとまた再挑戦すればいいというがそうもならない
一回で成功しないともうそれで終わりだともなる、何回もやり直すことが簡単にできないのである
それはなぜか、人間の時間が限られているためなのである
人間は何回も失敗して挑戦できるとかやりなおしができるとかないのである
30過ぎて40になるとおっさんとか言われることでもわかる
時間だけは無常に過ぎてゆく、無常迅速なのである

ともかく人間には不測のことが起きて人生が一転する、私の姉は突然召集令状の赤紙が来て従軍看護婦として戦地に行かされた、そこは地獄だったのである
突然地獄に落とされたともなるのだ
母は東京の人と結婚したけど夫が事故で死んで後妻になったとかそういう不測のことが常に人生にあり予定が狂わされる、時代の影響も受ける
常にまた時代も変転しているから思わぬ予測されないことが起きる
要するに自分で決めようとしても大きな力に運命に翻弄されだけだともなる

だから求道というとき若い時しないならできない、信仰とかは老人になってするものとか思っているが老人の宗教は慰めである、最も若い時エネルギーがあると求めるものなのである、その時期を逃すと神を知ることができないというのも恐怖だった
私自身はカルト教団に入っても神を求めていたのである
とにかく人間は30まで人生が決まるとまでなる
その後の人生も長いとしてもたいがい30までその人の未来を決めている
それで就職とかでも新卒を一括採用しして重んじるのは会社で働かせて活用するには就職して30くらいまでが仕事を覚えるからである
それは職人でも20代で教えられると身につく、後から確かに身につくことがあるとしてもむずかしくなる

人生の勝負は一回

チャンスは一回

良く侍が仕官するために御前試合などがある、でもそういうチャンスは何回もない
でもそのチャンスをものにすれば仕官の道が開かれる、だから一回でもチャンスをものにしないとその後はチャンスがなく浪人暮らしが一生つづくともなるから怖い
若いとき、就職に失敗したとか会社をやめたとかなり引きこもりになると一生引きこもり人生になる
宮本武蔵でも大きな勝負したのは二回くらいしかない、その二回でも勝ったから名を残したとなる、人生の大一番一回であり何回もないのである

こういうことで人間が経験したり知識を得ることでも時間短いからみんな限られたものになる、あらゆることに通じる人などいないのである
あることには詳しくてもあらゆることに詳しい人などいないのである
だから優れているというときあることについて優れているのでありあらゆることに優れた人などこの世にいないのである
それは全能の神しかありえないのである、俺は優秀だというといあることについて優秀なのでり他の分野については全く素人と同じなのである
福島原発の吉田所長すら復水器のことを知らなかった、専門分野ではないとして知らなかった、他の社長でもあらゆることを知っているのかとなると知らないのである
そうして知らなくても社長になっているのかとなるが一応社長としているとなる

ともかく退職して60以降はその人のやりたいことをやるべきだというのは確かである
もう人生も終わり死ぬことになるからだ、だからやりたくないことをしているのは無駄だとなる、60以降になると時間の過ぎるのがさらに加速される
70過ぎると明日は死んでいるのかと毎日自覚するようにもなる
それだけ時間の過ぎるのが早いのである

そして時間を無駄にしたこと浪費したことを一番後悔する

時間をもどすことはできないし増やすこともできないからだ
ただ時間でもいつまでも健康であれば違っている、健康であれば体力もあればやはり何かをできるからである、でも健康を失えばもう何もできないのである
また家族の介護とか不測のことが起きやすい、すると自由時間は奪われて何もできないとなる
天国ではみんな歳とらない若いというとき時間がなくなることは心配ないとなる
でもこの世での時間は急速に失うのである

結局人生は予定通りにすすまない、それで意外な結果で終わる

人生は予定した通りにならない、いくら計画しても必ず不測のことが起きる
認知症になった、地震だ、津波だ、コロナウィルスだ、病気だ、日本の経済の衰退だ、貧困化だ・・・・・何か必ず不測のことが個々人でも全体でも起きる
知っている人は80歳越えて病気との戦いしかない、病院通いが仕事になっている人も多いのである
そしてみんな予定は狂うのである、また逆に思わぬ幸運がありそれで得したとかもある
介護で苦しんだが親の遺産があって自由に使えるとかもある
また逆に思わぬ不幸が常に人間にはある、だから未来をどうのこうのと予測しても思わぬことが必ず起きるから無駄だともなる
その日を精一杯に生きるほかないとなる、未来は神にまかせる、ただ今日一日を悔いなく生きることを心がけるほかないとなる

ただどんなささいな経験でも最後に老人になって活きてくる、結局人間が経験することはわずかしかないからである、いくら海外旅行するにしても限られている
中国であれアメリカであれ大きすぎて絶対にその地理を理解することは不可能である
そのほんの一部のみを知るだけなのである、それだけ地球は広いということである
結局人生の後悔は時間を活かさなかったことに尽きる
勉強でもそうである、英語でも外国語をものにするにも時間を活かせないから効率的に学習しないからものにならなかったとかなる
勉強の仕方が悪かったとなる、ただ時間が無限のようにあればまた語学でも学ぶことができるかもはやその時間がない、結局人生は時間切れで終わるのである



2021年09月28日

遊牧民の世界への影響 (モンゴル帝国が結ぶ東西の文明)


遊牧民の世界への影響

(モンゴル帝国が結ぶ東西の文明)

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Googleアースで見る歴史!通貨の始まりはモンゴルだった!|小名木善行
https://www.youtube.com/watch?v=UNpaZMCRgnM

遊牧民というとき日本ではなじみがない、なぜなら日本では魏志倭人伝で牛馬羊なしとされているからだ、つまり家畜はいなかった特殊な世界である
ヨ−ロッパでもアフリカでも牛馬がいて羊がいて放牧されている
日本にはそれがない、南米のマヤとかインカとかとも似ていたのである
遊牧民の世界を社会を知らないことは世界を知らないということにも通じている

遊牧民の世界というとき文明の発祥地でありその範囲が広いのである
中央アジアであり砂漠地帯と草原平原地帯が遊牧民の世界である
このyoutubeの番組で興味深かったのは家畜の糞尿で床下をあたためるとか火薬が発明されたことである、糞尿が乾燥するとそれができる
すると韓国のオンドルとかも床下をあたためるからここに由来しているのか
それは日本にも伝わったのだが普及しなかった、日本は高温多湿であり乾燥して寒いともなっていないからだった、徒然草でも吉田兼好は建物は夏を旨とすべしと言った時湿潤で蒸し暑いからそう言ったのである

「糞の上で生活して臭くないですか」の質問には、「臭いも気にならないし、糞が発酵する熱で床暖房のようで、とても気持ちがいいよ」でした。

韓国は寒い国であり暖房が欠かせない、遊牧民のモンゴル地帯も相当に寒い地域である
高度が相当に高いのである、自動車で内モンゴルに行ったとき高度が高いなのである
例えばこの辺では飯館村だと高度が高いから夏は涼しくなる高原になる
その高さはもう比較にならないほど高いのである、それで冬は厳しい寒さになる
それで北海道の人が羊を飼うことを学ぶために冬を過ごしたら体が一回りやせたと言っていた、それだけ冬は厳しいとなる、すると暖房が必要になる
それで床下に糞尿からあたためる技術を開発したとなる
それが韓国に入ってきた、韓国は一時モンゴル帝国にも支配されていた
それで肉料理が発達したのである

モンゴルとか遊牧民の影響が全世界的にあるというとき見逃されている、インドのムガール帝国もモンゴル帝国だった、ロシアにもモンゴルのくびきとかなりモンゴルが支配したとかありその影響が大きいものだった、ロシア人の顔はモンゴル人の血が入っている
モンゴル人と似た人がいる、プーチンとかもモンゴル人とも似たような顔をしている
ムガール帝国ではインド人がモンゴルの女性と結婚したとありモンゴル人の血が入った
大陸ではどうしてもこうして混血が生まれやすいのである
混血になると美人が生まれやすいとか言われたり人種的にも何か遺伝子が交わり人間自体が強い種を形成することがある

大陸文明はこうして人種的にも文化的にも文明的にも交配されて作られて来た
だから言葉でも印欧語とかに共通性があるのはそのためである
インド人の血にはアーリア人が侵入して混血しているからである
彫りの深い顔になっている、その堀の深いというということが仏像に現れている
彫刻にすると彫りの深い顔がいいからである、のっぺりしていると彫刻としては向かない目鼻立ちがくっきりとしていると彫刻に向いている、それで仏像でも白人系統の彫りの深い顔となったから仏像が大量に作られたともなる

モンゴルというとき何か日本になじみがない遠い世界にもなる、それは遊牧民でもそうである、その生活が理解しにくいからである
でも北斗七星とか北極星の文化が入ってきたのは遊牧民からである、相馬氏が妙見信仰がありこの妙見は北斗七星の信仰なのである、北極星は方向を見るのに信仰されるようになった、つまり遊牧民にとって方向が一番大事だからである
草原とか砂漠とかは海と同じであり方向がわからなくなるからだ
そこを行き来するのには方向が一番大事になるからだ
方向を誤ると死につながる、どこに行くかもわからなくなるからだ
それを常に自転車旅行で経験しているしまた旅をするとき方向がわからなくなるのが普通だからである

そして活版と火薬と羅針盤が中国の発明だというき活版から紙幣が生まれた、火薬は武器となり銃となり強力な武器となりモンゴル帝国に歯がたたなかった
活版は紙幣を作ることで流通した、その紙幣の起りが城壁で囲まれたオワシス都市の関税から起きていた、水が必要でありそれが城壁内の都市にあったからだとししている
その通行を許可する「鈔 」と呼ばれる紙幣を通貨の中心に置いた点が特徴がある
紙幣の起りは関税であり通過を許可するものだったということで興味深い
なぜならその許可を与えるのはバックに大きな国家がないとありえないからだ
それで元朝が衰退するとその発行された紙幣も効力がなくなった

だから今アメリカが覇権を握っているからドルが紙幣として世界で通用する
アメリカが衰退するとドルは世界で使われなくなる、金と銀ならそれ自体に価値がある
紙幣だと紙切れにすぎないから本当に紙切れになる、それを保証するものがないと紙切れになるか現実に元朝ではそうなったからである
つまりモンゴル帝国のように世界帝国となると貨幣でも紙幣でも共通ものが必要になる
今ならドルが世界基軸通貨になっているのと同じである
アメリかが世界の覇権国になっているからそうなる、その紙幣は紙きれでもアメリカが保証しているから世界的に通用する、信用されるとなる

ともかく遊牧民のことがわからないと世界のことが本当はわからない、そもそも一神教が遊牧民から生まれているからだ、アブラハムがそうであり羊を飼う遊牧民の宗教である
そして誤解しやすいのはイスラエルは半分砂漠なのでありラクダを泊めた隊商宿もある
農業国にしたのは砂漠を灌漑して肥沃なものにして人工的にユダヤ人が入植して作ったのである、もともとは遊牧民であり砂漠の民なのである
奇妙なのはキリストの生れたナザレに行った時、イスラエルの人なのか商売するために漢字を教えてくれるという、漢字を教えてくれということは中国人と商売しているからだとなる、現実に中国人が出稼ぎで働いていたのである
こうして中国人は数が多いからどこにでもいるのである

そして中国自体が遊牧民の文化が深く入っている、なぜなら始皇帝は西安(しーあん)
前の長安から出た人でありあの兵馬俑の大軍団が発掘された場所にある
そこは中央アジアであり遊牧民の世界だからである
だから兵馬俑の大軍団にはイラン人であれ他の人達も交わって作られた
それが最初の中国の国家だとなるからだ
つまり世界史を理解する時この遊牧民を理解てきないから日本人は農耕民としてありそれで世界のことがわからない
でも実際は遊牧民の影響は日本にもあったのである

ただ現在砂漠化した地域はもともと森があり緑豊かな地域だとしている
それはエジプトでもそうだったとしている、エデンの園も豊かな森があり水も豊かな世界にあった、となると実は一神教は新しいものだともなる
なぜなら森が緑豊かだったというときアニミズムになりやすいからである
だから最初の信仰は万物が神になるアミニズム的なものでありそれはエジプトでもそうだった、森があり緑豊かな地域だった、だからアミニズム的信仰がありあらゆるものが動物でも神になっていたのである

そしてなぜか、そのアミニズム的信仰が一神教に変わったのか?
エホバが現れてその神が妬む神だったのである
これも不思議なのだけど聖書は最初から偶像崇拝との戦いであり偶像を否定することが信仰になっていたのである、この自然界のあらゆるものか神となることではない
そうなっていたとき「私が神だ」と自ら現れて示したのである
その一神教になる場所は何もない砂漠が適していたとなる
なぜなら岩でも木でも植物でも神となるからである、何もなければ神になるものがなく
イスラム教でも神はメッカのある方向だとなる

方向が一番大事になる、だから外国でもメッカのある方向に向かって礼拝する
その方向信仰になるのは遊牧民は必然的に移動するから方向を知ることが一番大事だからである、それで羅針盤が発明されたと菜なる、ただ羅針盤は海洋民がもたらしたともされる、海洋民も方向が一番大事だからである

でもわからないのは今砂漠地帯になっている所が豊かな森だったということである
すると森になっているとき砂漠がないのだからそこに神は現れない、アニミズム信仰になる、とういことは神が現れたのは森から砂漠化した時からだともなる
つまりある程度文明が成熟してから神が現れたのである
キリストでもローマ帝国ができてから現れてローマ帝国の官吏が死刑執行したからである文明が成熟しないと文字などでもできないと一神教は生まれなかった
キリスト教でもローマ帝国がありそうして文明化された所に広がったからである
つまりその周辺の野蛮な部族という状態ではキリスト教は広がらなかったともなるからだ創世記にしろすでにバベルの塔とかノワの箱舟を作ったのだから相当に文明が発達した
ことを記している、全く未開の原始人がいるような世界のことではないのである
実際は聖書でも文明化した世界から始まっているのだ

とにかく中国にも深く遊牧民文化が入っているし文化ともなっている、農耕民ではない
遊牧民文化が入ってきている、遊牧民は移動するから商業民族にもなり航海民になったとなる、そもそも移動すること自体が商人になる、商人は移動して物を運びもうけるからである、中国人が商売上手だというとき遊牧民の文化が深く入ってきていたからである
聖書が神との契約の信仰だというときこの契約とは商人が物を売買するときするのだから商業が広く通用する世界で起きたということである、商業が広く通用する世界が砂漠の民の中央アジアにあった、商業の歴史はそれだけ古いのである
日本でも遊牧民的文化が入ってきている、一時騎馬民族国家説とか入ってきたのもそうだし天皇も外来のものであり父系を男系継承なのもそうである
でも不思議なのは日本は天照大神が女性である、万葉集でも母権社会であり妻問い婚であり女性集団が子供を育てていたのである、父権社会ではない
だから父権社会の男系の天皇は遊牧民文化が日本に入ってきたためである
つまり天皇は古来の日本文化と異質なものであり騎馬民族説とか遊牧民文化が入ってきた結果なのであり天皇が外来のせのであり日本固有の文化ではないともなる

いづれにしろ遊牧民のことがわからないと世界のことがわからない
第一世界の宗教が来たユダヤ教であれキリスト教であれイスラム教であれ遊牧民のことがわからないのと理解できないのである、これらの宗教はアブラハムを祖としているからである、遊牧民を祖としているからである
遊牧民は定着しない、移動する民でありこの世にあるということもただ一時的な借りの宿としているのもそのためである、日本流になれば人生は旅とかなる西行とか芭蕉のような思想となり境地となる、一か所に定着しない旅人の思想だとなるからだ


  移住‐ゲーテ

北も 西も 南も砕け
王座は裂け 国々は震える
移り住もう 清らかな東方で
族長の空気を味わおう

その純粋 その正義の地で
私は人類の 
原始の深みに分け入ろう
そこは ひとびとがまだ神から
天の教えを地の言葉で受け
憶測して悩むことがなかったところ

ひとびとが父祖を崇め敬い
異教のつとめをすべて拒んだところ
認識は狭いが信念のあつい
若さの境地を楽しもう
そこで言葉が重んぜられたのは
一語一語が口伝いだったからだ

牧人の群れにまじって
オワシスですがすがしくなるだろう
隊商とともに旅をして
肩掛けや珈琲や麝香を商い
砂漠から町々へ
道という道を歩こう


これが遊牧民の原始的気質であるともなる、砂漠は不浄なものを砂に埋めて消し去る
浄化の作用がある、大都会のような煩雑不純なもの雑踏は消し去りそこに純粋なものが残る、そこに言葉も活きる、祈りの言葉アザ―ンのように砂漠に朗々と響き渡る
父祖からの力強い言葉がひびきわたる、それは砂漠にふさわしいのである

ここのyoutubeは勉強になる、何かyoutubeだとわかりやすい、大学の講義を聞いている感じになる、家にいながらして聴ける、無料のテレワークになっている
知識はもはや本とかだけの世界ではない、だからインタ−ネット時代は知識の探求では地方でも平等になった
田舎だとここだと仙台市まで行かないと専門の本など買えなかった
本はまた高いし仙台市でも本は一部しかない、本の世界を古本をふくめると膨大なものだった、天文学的数字ともなっていた
もし若い時こうして興味のある本を選んで買っていたら知識の探求は今より百倍とか進んだとなる

2021年09月29日

遊牧民から世界史を見る (遊牧民が航海民になる―陸の民と海の民)


遊牧民から世界史を見る

(遊牧民が航海民になる―陸の民と海の民)

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遊牧民は中央アジアから移動して地中海に至りレバノンからフェニキア人になりアルファベットを発明して商業の民となる
その前にアブラハムか神の命でメソポタミアとかの地域からイスラエルに向かった
遊牧民は移動する民であり商業民族になる、だからフェニキア人のように航海の民となっても不思議ではない、シルクロードは陸の道でありオワシス都市が海であれば港なのである、当時の国家とは都市国家であり城塞に囲まれた中に都市民が住んでいた
城壁とその外に生活する者は別だった、つまり城壁の外にいる者には安全は保証されていないのである
だから当時の国家とは今の国家とは違う、城壁に囲まれて安全を保証された場所が国家なのである

そして砂漠地帯であれ平原であれオワシスがありそこに都市が生まれる
そのオワシスの都市を結んで物が運ばれる、一旦城壁の外に出ると危険になる
商業になるとその安全を保証されることが大事になる
その保証をするのは大きな帝国でありその軍隊だとなる
モンゴル帝国に紙幣が通用したのはモンゴル帝国という権力があり軍隊があり保証されていたとなる
今いろいろな国家があるのとは違ったものである
だから砂漠の民はもともと国境があいまいであり遊牧民は自由に往き来していたとなる

遊牧民は広大な砂漠であれ平原であれ移動するのだから方向が大事になる
それでたいがい国旗は星印になる、特に北斗七星の北極は方向をしるの大事だから信仰とまでなる、日本にその文化が韓国経由で入り妙見信仰になったのである
日本の場合何でも韓国経由になり大陸の文化が入ってきたのである
ただ朝鮮半島の先端は照葉樹林帯であり日本と生活形態が残っている
でも朝鮮半島の大部分は遊牧民の影響を受けているのである

日本にはレンガの技術とか石の技術が入らなかった、石窟庵の石仏は見物である、石塔もまた多いのが特徴である
韓国の武寧王とか日本の王でもあったシマオウの墓はレンガ作りでありアーチにもなっていて銀製の(さじ)も使っていた
これはと中国の南朝から入ってきたし中国には大陸の文化が入っていたからレンガの技術も入ってきていた、日本にはレンガの技術は入っていないのである
ただ明治になってからレンガの技術が入り建築でも普及したのである
日本でもモンゴルが日本本土を侵略していたら確実に遊牧民とか大陸の文化が入って歴史的なものとして残された

遊牧民自体の国家というのは形成されない、エジプトは巨大な農業国家であり中国でもそうでありインドでも農業国家であり国家が形成される
国家とは広い領土を有するものであり都市国家とは違うからである
つまり大地に根付くものが国家である、そういう農業国家は定着文明であり巨大な建築物を残すことになる、ピラミッドとかそうでありメソポタミアのジグラッドとかもそうである,マヤとかインカの文明でもピラミッドと似た建築物を作ったのは農業文明だったからである
遊牧民はオワシス都市は作ってももともと大きな領土を支配する国家は作りにくかった
移動する民だからそうなる、ただ巨大な帝国は作ってもその盛衰も激しく継続しないとなる、農業国家のエジプトは三千年とか継続しているし中国の漢民族国家も農業国家であり現在まで継続しているとなる
ローマ帝国でももともとは農業を基にして興ったものであり農民国家だった
そしてこの農民国家は定着文明であり継続するのである
オワシス都市だと本当に楼蘭(ローラン)のように砂漠の砂に埋もれて消えてしまうこともある

農業国家は陸の民であり遊牧民は陸の民であってもやがて移動するから海の民、航海の民となる、遊牧民が地中海に出て航海の民となったということは納得する
そこは丁度航海するには太平洋とは違い人間が航海しやすい海だったのである
それげてまずフェニキア人が航海の民となり貿易の民となったのである
最初はギリシャが島々を渡り船で行き来した、多島海であり島を港のようにして航海しやすいからである
トロイはマルメル海の入り口にあり戦いの伝説を残した
ギリシャは多島海で航海していたから海の民となっていたのである
ペルシャは陸の民でありそれでギリシャの戦争で船の戦いで敗れたとなる

それで私はイスラエルからギリシャまで船で旅した
途中6時間くらいキプロスによったのである、それが気持良かった、春でアーモンドの花が咲いていた、そこに春の地中海が開けていた
キプロスは歴史が古い、エジプト人もここにきていてその跡が発掘されたりする
ここは後悔の中継地点になるからそうなる
一時はイギリスが支配したりしている


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キプロスの歴史

紀元前1450年頃には、古代エジプトの支配下に入り
    紀元前1400年頃には、アカイア人(ギリシャ系)が
    入植してきました。その後、アカイア人はキプロス人
    のルーツの一つになりました。

    紀元前800年もには、地中海全域を舞台に活躍した、
    フェニキア人が入植し、さらに、紀元前709〜670年
    には、メソポタミアを支配した、アッシリアによる
    支配も受けたそうです。

    紀元前560年頃には、エジプト王国に、紀元前525年頃
    には、アケメネス朝ペルシャ帝国、そして、紀元前
    300年頃には、プトレマイオス朝エジプト王国、さらに
     紀元前333〜325年頃には、マケドニアのアレクサンダー
    大王、紀元前76年には、ローマに支配されました。

    ローマ帝国による支配の下でキリスト教が伝えられ、
    島にはキリスト教文化が繁栄しました。ローマ帝国の
    分裂後、395年に、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)
    の支配下に入り、1192年まで支配が続いたそうです。

    この間、488年には、教会による自治が認められ、また
    650年頃には、アラブ・イスラム勢力が侵攻しました。

    1191年には、十字軍の途上にこの島に立ち寄った、
    イングランド(イギリス)の王で、獅子心王として
    知られる、リチャード1世によって征服されました。
  

  

ここが交通の要衝だからこういうふうに支配する国が変わったのである

陸の民と海の民の争いは世界史に基本的にある、地中海の覇権を握る争いがつづけられるオスマン帝国が地中海の覇権を握ったことでもわかる
ローマ帝国も陸の民であるがカルタゴとの戦いでも地中海での海戦となり地中海で争うことにある
海の民と陸の民のせめぎ合いその後も舞台を大西洋とか太平洋とかに代えて継続される
イギリスが覇権国となったのは七つの海を制したからである
次に日本の戦争も太平洋戦争となり太平洋を制覇する戦いだった
そしてアメリカが今度は陸の道の要衝であるアフガニスタンを捨てて太平洋にその兵力を集中して中国との覇権争いに備えるのも陸の民と海の民の争いが続いているからである
中国は典型的な陸の民であり海の民でなかった
でもその海へ進出してきたて世界の覇権国になろうとしているのである
つまり太平洋をめぐる争いとなっている、

いづれにしろ歴史は地政学である、地理がわかれば世界史でも大雑把に理解できる
それで世界旅行したことが今になると貴重だったとなる
大学生で中国からカザフスタンとかに行った人もいる、十数年前は世界旅行するのに向いていたのである、日本の円が高かかったからである
中国だったら十分の一で旅行できた、そして日本人は金持ちとして世界で歓迎されていたのである
自分自身はバックパッカーで安宿めぐりだった、まともなものを食べていない
実は世界のことがわからないのでそうなっていたのである

アジアだったらもっと金を使っても良かったのである、でも日本での貧乏暮らしでその金の差がわからなかったのである、それで失敗したのである
実際一ドル80円とかのときがありそれだと外国で価値が馬鹿高くなっていたのである
今になると日本は物価が安い国であり東南アジアより安い国になっている
タイなどだと日本の方が物価が安いとしている、それでめっきり日本人が減ったと報告がある,アメリカとかヨ−ロッパでも中国でも物価が二倍以上になっいるからもう貧乏人は世界旅行がむずかしくなる、その時は貧乏人でも日本人は世界に出ると金持気分を味わいたのである

こうして人間は時代によって経験することが相当に違ってくる
それもまだ十数年前のことである、そうしてたちまち時間が過ぎてそれは過去の物語になってしまったのである
中国に今行ったら日本人は貧乏人だとなり肩身が狭くなる、威張っていられないのであるそれもカルマだった、日本人はその時何か威張っていて傲慢だったとなるからだ
そして今や外国人をアジア人でも中国人でもおもてなしとか言って歓迎してへつらう金をもらうほかなくなったのである
これもつくづくカルマだったのである、なぜなら外国ではそういうことを日本人が見下して威張っていたからである、それが逆になったのはカルマだったのである


キプロスに寄港した一時(詩)

(6時間ほど船で寄港した思い出)