2021年09月01日

学歴にこだわるのはなぜか? (人間はなぜ優秀さにこだわるのか?あらゆることに優秀な人はいない)


学歴にこだわるのはなぜか?

(人間はなぜ優秀さにこだわるのか?あらゆることに優秀な人はいない)


学歴の前に人間はともかく優秀さに異常にこだわる、学歴はその一つの目安である
ただYAHOO ニュースが解説している人は高学歴でありそれも必ず海外でアメリカなどに留学した人が多い、その留学経験が高い見識を持つたとになる
むしろこの留学経験とかの差が大きいように見るのである
また有名大学の理系の人も発現している、となるとこういう人は優秀である

なぜ留学経験や海外経験で差がつくのか?

それはそこで学問したからというものでもない、外国を肌で知る、単なる本の知識ではない、そこで暮らして肌でしる、それが貴重なのである
その土地のことでもそこで一年も暮らしていれば肌でしる、それはちょっとした経験でもそうである、なぜこんなに日本と違うのだろうとなりその比較で日本を知る
アメリカとか中国などでもあまりに広すぎてその土地自体を知ることができない

私はアメリカに一回とか中国に三回とか旅行してもそんなことでまずその広さを理解できないのである、ここからして大きな誤解が生まれるのである
再三地理を知らなければ外国でも日本ですらわからないと書いてきたがその地理が広すぎてわからないのである
グランドキャニオンなどはまるで別な惑星に来た感じになったからである
全く異質な風土だからあんな所に住んでいる人の気持ちもわからなくなる
イギリスなら島国であり多少日本と似ているから理解しやすいとはなるかしれない

とにかく何か人間は俺はお前より優秀なんだと比較して俺はお前り上なんだと必ずマウントしようとする、学歴もその一つなのである、ただ実社会では仕事ができるかできないかで判断されるからそれほど学歴は通用しない、ただ文系とかはあまり学歴が関係しないように思う、理系で一流大学なら別である、その差が大きいのである

人間は優秀だというときあることで優秀なのでありあらゆることに優秀な人はいないのである、それはどんな優秀な人でもそうである、ある一部に優秀なだけなのである
全能なのは神しかいないからである
優秀だという時知識だけではない、江戸時代とかには農業は力仕事が多いから力あるものが優秀とされた、それで比べ石があり石をもちあげることで一人前とされたのである
その時代は知識ではない、力が優秀さの基準だったからである

今なら機械でするということで力だけでは優秀とはならない
でも依然として建築現場とかでは力仕事が多いから体力があることは優秀だとなる
私は体力がないからもっと知識を身に着ければいいと後悔している
社会がどういう所なのかわからないからそうなったのである
つまり体力がない者は必死で知識を身につけるべきだとなる、そうでないと体力仕事をさせられたりもう寿命さえ縮まるとなるからだ
設計するものと現場で働く者の差が余りにも大きいからである

なぜその大工さんは体力も見るとまるで柔道の有段者のように体力がある、それで体力がない自分はうらやましいとなる、またコミニケーションも優れている
だから一人親方かできる、また庭作りも家作りもできる、万能選手ということもある
それで常にそのことを自慢してマウントをとりにくる
それでも自分は認められないとか不満なのである、その人は十分に優秀なのである
ただ私のように知識の面ではないが庭作りだから植物のことにも詳しいし社会で現実に稼ぐ能力がありたけている、そしたら自分から見たら十分に優秀なのである
でもそれでも自分は認めらていないとか不満なのである

私の姉も看護婦であり保健婦であり優秀だった、体力があり気丈夫でありただ太っているだけではない動きも機敏なのである、頭の回転も速いのである
そして何より男でも恐れない、相手をにらんで恐れないのである、男の方が恐れていたのである、まるで女親分という感じだったのである、だからこそ父親が死んでからこの家を作り守ることができたとなる
そして死の時最後に言い残した言葉だ「私は優秀だった」という言葉だったのである
それもやっと聞き取りわかった、そのことで悲惨だったのはひどい認知症になっていたからである、その介護のことをプログで書いてきた
ただそんになまで優秀だということにこだわるのには驚いた、最後は認知症になり馬鹿になったということでそういうことを言い残して死んだのかもしれない
俺は馬鹿じゃない優秀だったのだと言いたかったのかもしれない、だから悲惨だったとなる

ただ女性でもそうであり異常に優秀さにこだわるのが人間なのである
女性の場合は美にこだわるのが異常だともなる

「鏡よ鏡、国じゅうでいちばん美しい女はだれ?」
と聞いて、鏡が、
「あなたです、お妃さま、あなたが国じゅうでいちばん美しい」

白雪姫の童話でもそうである、異常に美しさにこだわる、それが男性の場合は優秀さにこだわる、ただ女性でも今では仕事をするから仕事の優秀さにこだわる

でも人間でも向き不向きがあり医者でもいくら大学を出て資格をとっても向き不向きがあり医者の腕には相当な差がある、だから下手な医者にかかると大損になる
それはsあらゆる場所そうであり教師でもなんでもそうである
その差が大きいのである、だから例え有名な大学が出たから腕のいい医者となるとも限らないのである、医者とか手術するとき知識ではなく手の器用さが大事になるとかそれに向いていいなと駄目なのである

結局人間の優秀さも限定的である、万能にはなれない、そして何かを習得するには時間がかかる、もし一つの楽器でも時間をかけて訓練すれば上手になる
でもあらゆる楽器を習得することはできない、時間が限られているからだ
たからあらゆる楽器を習得する人はいないのである
そして人間の経験はあらゆることを経験できない、ほんのわずかのことしか経験できないそこでどうしても視野が狭くなるのである
またそうして何するにしても時間がかかる、その時間がなくて時間キレで人生も終わる
あの時こうしていれば良かったとかもっと勉強していれば良かったとかいろいろ反省して最後は終わりだとなる

会社に就職することは実はそこで経験を積むことがのちのち役にたつ、会社に就職した経験の人はまず会社のこと自体わからないからである
そこで引きこもりは社会のこと自体わからないとなってしまうから危険なのである
ただ引きこもりで自分のしたいことがありその能力を伸ばすということはありうる
私は自由な時間があったから旅ばかりしていたとしてもそれで地理に興味を持ったということがあるからだ、また詩の創作もしていた、それは自由な時間が与えられたからできたことなのである
つまり人生を振り返ると人生は短い、だからどんなつまらない経験でも役に立つとなる
失敗でも役に立つとなる、そもそも人間は経験でも知識の習得でも時間がないので限られたことしか知りえないしできないからそうなる
何か訓練するにもその時間がないのである、そして最後は時間切れで人生も終わるのである、人間がなぜこれほど優秀さにこだわるのか?

それは俺はお前より優秀だとということで優越感をもちたいからだとなる
でもあらゆることに優秀ではないから劣等感を持つ、十分にあることで優秀でもあらゆることに優秀だとはなりえないからである
そして神に認められないということでこの世では不満でありこの世のことの優秀さにこだわる、結局人間はみんな死ぬ、そして人間の優秀さも虚しくされる
だから永遠の命が与えられる神が最高のものでありその外の能力はたいしたことがないともなる、人間は万能の力を持つことはできない、それは神しか持つことはできない
そして人間は科学技術で優秀とかなってもそれが呪いともなる
それはプロメテウスの神話とかで言われてきた、火を盗んで過酷な罰を受けた
それが今になって原発事故でそれが現実化したのである
人間の業には技(わざ)には呪いが隠されている、技(わざ)はわざわいになる
すべていいものとして働かないのである、科学技術がパラダイスをもたらなさないのである、そこに人間の限界がある
つまり人間はいくら優秀だと言っても限界がありその優秀さも神によって砕かれるのである、それが原発事故でもあった、そういうことは他でも必ず起きて来る

聖書で不思議なのは優秀な人間が選ばれたのではないしまた優秀だから勝つともならないむひろ優秀でない人が選ばれた、ではなぜそうして戦いでも勝ったのか
それは神の働きが関与があって勝ったのである、その人の力ではない、現実にその選んだ人は優秀ではないからだ、天才という人はいる、でもそうして特別優秀な人は神に選ばれなかったのである、そういう人は自分自身の力を過信するし自分の力で行おうとする
でも神には選ばれない、そういう人は自分自身の力で成せると思うからである
すると神がかかわることができなくなる、何かこの世で大きなことはとても一個の人間ではできないと思う、何かしら神の関与があって成さる

また戦いでも

淝水の戦いひすいのたたかい)

百万の兵が八万の兵に敗れたとか大軍でも敗れる、その原因は大軍となると統率できなくなりうまく責められて大混乱になり敗れたとここのyoutubeで分析している
百万は多いにしても必ずしも数が多いから勝つとはなっていないのである
信長の桶狭間でも大軍を相手にして少数軍で勝っている
どこで勝敗が決まるかわからないということがある
それが大国のアメリカでもベトナムに負けたとかアフガニスタンでも負けた
圧倒的に武器でも物量でも優っているのに負けたのである
中国は巨大だからそれを統率することがむずかしくなり絶えず分裂してきたのが歴史である、そこに弱点があり歴史は繰り返すとなる

科学技術でも万能ではないから原発事故になったしコロナウィルスでも実際は科学者でも医者でもわからない未知なものだからである
そういう未知なものが依然として起きて来る、人間の体でも全部はわからないからであるこの世には依然として未知の領域が大きいのである
要するに神のみぞ知るという他ないのである
神が導かない限り人間は知りえようがないことがある、ただどういうふうに人間社会に神が関与するのか?それが良くわからない
でもアメリカがなぜ小国のベトナムでもアフガニスタンでも征服できなかったのか?
力の差が格段にあるのに征服できない、あんなふう無様に撤退してゆく
あれが大国のアメリカなのかと唖然とした、だからすべてこの世の中力だけでは治められないのである、そこに何らか神の関与があるともみるのである


2021年09月02日

abstract flowers (cherry blossoms)


abstract flowers (cherry blossoms)


sakuratree111.jpg

これも原画のアレンジだけど別なものになっている
つまり創作でもある、山が全然違ったものとして創作されているからだ

This is also an arrangement of the original picture, but it is different
In other words, it is also a creation, because the mountain is created
as a completely different thing.


sakurajp1.jpg

abstract sakura1122.jpg

flowerabtulip112.jpg

abstractblueff1.jpg




インターネットではどうしても著作権の問題が出て来る
この抽象画とかでもソフトで変化させたものである
だからオリジナルからみると著作権違反にもなる
でもまた明らかに別な新たな創造にもなっている
音楽だったら変奏曲なのである、アレンジしたものとなる


Copyright issues always come up on the Internet
Even this abstract painting was changed by software.
Therefore, from the original point of view, it is also a copyright violation.
But it's also obviously another new creation
If it's music, it's a variation, it's an arrangement.

死者と家(死んだ母が家にいる)



死者と家(死んだ母が家にいる)



時々死者を想ふ
死者は語らない
死者を語るのは
遺された者である
母はなお家に現れる
この家に苦労して70年もいた
母に不幸あり苦しみがあった
この家は母にとって
必ずしもいい場所ではなかった
ただ母はその運命に耐えた
母は死んでこの家見ているかもしれない
静かな大人しい母が見ている
この家になお心残りがあり見ている
死者は今騒がずに凝視する
秋雨がしとしと庭の石を濡らしている
その石のように母はいるとも見える
死者は今は安らぎの中にある
こごこの家で苦労したことをなつかしむ
それで死んでもなかなか家から離れられない
死者は何も語らない
遺された者が語る
そして死者も生き続ける
ただ死者もこの家がなくなったとき
その拠り所をなくして悲しむ
そこに長く住んだ人はやはり愛着があり
依然として共に生きようとするから・・・
雨がしとしとふる
石は黙している
死者は生きている者がいると思えばいる
いないと思えばいない
死者はいないと思えばたやすく消える
ただ生きている者がいると思えばいる
死んでも交流はつづく・・・



人が死ぬと不思議である、家族は全部死んだ、姉は死んで早くも十年とかすぎた
母は四年くらいだから日にちがそれほど過ぎたわけでもない
10年過ぎるとやはり一昔になる
死者の不思議は生きて残された者があると思えばいる、何かに憑いて石でも木でも憑いているとかなる、死者がそこに浮かんでくるとかなる
でも思わないものは浮かばないしいないのである
だからいつまでも死者を想っている人は死者が現れているのである
じっとこちらを見ている感じにもなる
特に家にいることが長いから家にいるという感じになる
70年とかいれば長いからである、だから死者は家にいる
墓にはいると思えないのである、墓とは一つの記念碑のようなもので墓に死者がいるとは思えないのである

近くの人は相当に妻を愛して思っていた、妻を供養しつづけている
でもそういう家に知人の女性が介護のようなことをしている
女性は70くらいであり男性は85くらかもしれない、糖尿病である
それで時々介護のようなことをしている、現実に訪問介護の人が来ている
ただその女性は体が弱っているから何かできないのである
でも生前から親しいから通っている
でもその男性が妻のことを依然として思っている、十年以上過ぎても思っている
それでねんなに妻のことを思わなくてもいいのにとその女性は言う
それもわかる、死んでもやはり愛していればそこに妻がいる感じになるためである
つまり姿が見えなくてもその家にいた年月が長いからやはりいる感じになるのである
これもだから家に入り新しい関係を結ぶことがむずかいともなる
その女性は妻が死んで十年以上過ぎている15年は過ぎているとしても何か死者でも見ている感じになるからだ
それでその女性がいつまでもそんなに妻のことを思わなくてもいいのにというのもわかる
死者に嫉妬することもわかるのである

つまり家には何か長く住んでいたから死んでもいつづける感じになるのだ
死者とは何かわからない、謎である、それは遺された生きた者が死んでもいると思う時やはりいるのである
もう愛もなにもなく、やっかいなものとして苦しめられただけだとなるとき肉親でもなんでもその人は完全に消失する、そういう人も親子でも結構いる
実の親で近くにいても顔合わせても何の関係もしない、困っていようが関係ない
何でそうなったのかわからないが近くに住んでも家族遺棄しているのである

とにかく死者は家に依然としている、ただ残された者がいると思う時いるのである
それはもしかしたら家がなくても死者はいるのかもしれない、どこでも生きている者が死者を想いいると思う時いるとなるからだ
ただ恨んで死んだ人がいるからその時は死者は恨みとして幽霊のように現れたりしたら怖い、人を殺して十数年とかたって自主した人がいた、何か亡霊のようなものが夢で現れたりして耐えられなくなったのかもしれない、そういう人も現実にいる

急に秋になった、雨しとしととふり庭の石を見ている、そこに母がいる感じがしたのである、母は台所で60年間とか働いた、それを当たり前とか見て私は感じなかった
でもそれがカルマとなっていたのだ、私が今度は台所で食事のよういから皿洗いからとしなければならなくなったからである、片付けもするからである
なんらかでこうして必ずカルマとなって苦労となって相手のことがわかる
生きている時はその苦労もわからないのである、自分が苦労してわかるからだ
家事を一人ですることは楽ではない、途中で立つことがありゆっくり食事できない
ところが母は店をしていたとき必ず食事中でも立っていたのである
それが嫌だった、ゆっくり店をしていると食事ができなかったからである
今も何か自分で用意して片づけるとなるとゆっくり食事ができないのである
ただこれもカルマだったのである

虫の声夜にかすかに我が母の台所にありその日の長しも

カルマとは何らか同じようなことを背負わされるのである
戦争などで死んだ人のことなど実際は経験しない限りわからない、でもまた戦争になった時、苦しんだからわかる、だからアメリカでも原爆落としたり相当に戦争で人を殺している、アメリカは戦場になったことがないからその苦しみがわからないのである
世界でほとんどの国が自国が戦場になっているからだ,アメリカだけはならないからである,カルマはいつかめぐってくる、介護になって私が四苦八苦したようにカルマがめぐってくる、それが怖いのである

2021年09月03日

生活保護「月の生活費たったの7万」これに嫉妬している層とは一体なんなのか?


生活保護「月の生活費たったの7万」これに嫉妬している層とは一体なんなのか?



5ちゃんみたいな底辺多いところほどそういうのが多いけど
まあ7万に嫉妬するような惨めな人生だとナマポや無職叩くぐらいしか優越感感じる手段がないんだろ

高齢だろうが障害者だろうがとにかく死ぬまで働け。なんとしても仕事を見つけろ。働かずに金をもらうなど死刑より重い大罪。

昼間の派遣って手取り15〜16万くらいよ
そりゃナマポ死ね穀潰し!てなるわな

医療費無料、バス電車無料、消費税以外税金なしだろ
手取り15万くらいが何もしないでで貰えて何が不満やねん

7万円で嫉妬てどんだけ貧しい生活してるんだよ

ジジババは年金貰ってんじゃねえのかよ
年金貰ってないやつは自業自得だろうが

家賃も医療費も無料で丸々7万だろ?
国民年金とか40年フルに収めて月6.5万くらいじゃね?ここから全部払わないいけない


生活保護というのは実際は人によって自治体によってその支給額も様々なのである
ただなぜ生活保護への風当たりが強くなったのか?
日本が底辺層が増えてぎりぎりで生活している人が多くなったためである
日本の貧困化のためなのである

7万円で嫉妬てどんだけ貧しい生活してるんだよ

こういうことである、生活保護がうらやましくなっているのは低賃金で働かせられている人達の不満が生活保護に向けられる度合いは強くなったからである
貧困化してくると不満がつのり何かに対して不満をぶつける対象が必要になる
それで生活保護者がその標的になる
ところが今は生活保護といっても様々であり自治体によって相当な支給額の差がある
みんな一様ではないのである、ただ東京とかは恵まれているとみる、財源が豊かだからである

この七万というのは竹中平蔵が提案したベーシックインカムの額である

ともかく七万もらって生活できるのか?また生活保護は年金をわずかでももらうと4万もらっているとそれにプラスして一万とかももらえないとかある
医療費も全部無料ではないのである、だからそういう人はどうして生活するのか?
この辺でそういう人がいる、だから自治体によって相当に差がある、ただ全般的に福祉関係全体で減らされている、日本が貧困化しているからだ

私の母親は60歳で3万年金を支給された、でも5年延ばすともっともらいたので損したと言っていた、その時は全然年金のために払っていなくても国からもらっていたのである
それは国に財政的余裕があったからそういうことかできたのである
今は全くその余裕がないのである
だから最低限の生活も保証されない、国民年金にプラス一万で五万でどうして生活できるのか、確かに家賃は無料だが電気,ガス、水道費と連絡用の携帯料金とかも払えないのである、だからどうしてこれが生活保護なのか、恵まれているのかわからない
もう最低限の生活ができないのである
また生活保護で高齢者が増えているのはぎりぎりの生活をしているからである

万引きについては、15年から24年までの間に、他の全ての年齢層が減少する中、高齢者だけが増加し、24年中には、高齢者の検挙人員が最も多くなり、全年齢層に対する割合でも約3割を占めた。

もう日々の生活に事欠いているから犯罪になる、ただ一人暮らしが増えてただ注目されたくて万引きする老人もいる、これもまた現代的である
孤独な老人が増えたことである、そして現代では老人がこれだけ多いのだからその医療でも老人の負担が大きくなりすぎたのである、それが若い世代の負担になるから老人でも生活保護でも風当りが強くなる
つまりみんな余裕がないから余計に生活保護とかに怨嗟になる
豊かであり余裕があったときはそうはならないのである
そのくらいしょうがないかと余裕で見られるからである
金持ち喧嘩せずというのはそのためである

でも手取り15万とかで働かせられている人は不満になる、全く余裕がないからである
だから余裕がない社会はますますぎすぎすして暮らしにくくなる
貧困者同士で生活保護への不満がつのりそうなる
それで60歳で3万とか65歳でさらに年金を積み立てていなくても国から支給されていたときは余裕があった時代だと思った
余裕がない社会は別に生活保護だけではない金持ちへの怨嗟も強くなる
底辺層が増大してくるとそういう社会は不満が大きくそういう人があふれているとギスギスした社会になる、それは全体に影響してくるからである
犯罪者も多くなり安心して暮らせなくなるのである

老人に冷たいっていうより、若い人が老人より疲れてるんですよね。だから思いやる余裕なんてない。不親切なんじゃなくて、自分のことで精一杯なんです。

ヨ−ロッパの老人は社会保障が充実しているから余裕がある、日本はそれがない、つまり若い人が老人に不満なのである、増えすぎた老人になけなしの金が税金として奪われる
老人が早く死んでくれと内心思っているからそういう心は必ず表に行動となって現れる
要するに老人など何かあっても困っても助けないという行動になる
だから老人ホームでも病院でも虐待される、自分も身寄りがないから病院で虐待された
余裕がないということは恐ろしいことになるのである

毎日仕事に生活に追われている人は余裕がない、それで生活保護であれ老人であれ何か攻撃の対象になる、貧困化したりするとドイツではユダヤ人が不正に金もうけているとか差別され迫害されうになる
それが生活保護者にもなっている、結局貧困化するわずかの差でも敏感になる
貧乏だとわずかのものでも奪い合いになり殺し合いにすらなる
そういう社会風潮は実際怖い、それでナチスが生まれたとなる
経済的困窮がひどくなり失業者があふれ戦争になった、その膨張した不満を外部に外国に向けたのである
中国でも内部の不満を反日に向ける、すると日本が悪いんだとなり攻撃してくる、戦争をしかけるともなる

だから日本が貧困化することは相当に怖いことである、金持ちもうかうかしていると狙われ金持ちは不正に金を得ているんだとなり襲われる、奪ってもいいんだともなる
超格差社会になるとそうなりやすいのである
そういう不穏な状態になっている、誰かに不満がぶつけられる、それが正当化される
現実にそういう人は貧乏なのは自分が悪いのではない、たとえなまけていてもそうは思わない、金持ちに搾取されているんだとしか思わない、現実そういうことはある
資本主義社会は一部の者が総取りする仕組みでもある、だから陰謀論が盛んに言われる
そこには確かに真実も含まれているのだ

2021年09月04日

菅首相の総裁選出馬辞退の波紋 (大きな変革の時代でそれを担う人は誰なのか)


菅首相の総裁選出馬辞退の波紋

(大きな変革の時代でそれを担う人は誰なのか)

ヨーロッパでは、古代においては宗教的意味をもって王を殺害する習慣があったとする説がある。これは、王が本来人間の身でありながら、宇宙の秩序を司る存在として君臨していたことに由来し、そのための能力を失った王は殺害して新たな王を擁立して秩序を回復させる必要があると考える、神秘主義的な古代概念である。ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』の中でローマの逃亡奴隷の祭司長である「森の王」の殺害を取り上げている。

王は暗殺などで殺害される歴史


菅首相の総裁選不出馬で退陣で感じたことはいかにそのトップに不満が集積されるトップに全責任が負わされるようになるかである
コロナウィルス対策のまずさでそれがすべて菅首相の責任のようにされた
ところがGO TO トラベルとかは二階とか公明が提案してその圧力でしたものである
またオリッピックは電通などの利権があり無理して実行したのである
その背後に巨大な利権がありそれは首相の独断でやめるわけにもいかなかったということがある、つまりいくらトップでも自分の一任で決めることはできない
その背後に巨大な利権団体がありその意向にそわなければならないからだ
ただその利権は国民全部ではなく一部の利権者たちのものだったことが問題だったのである

でも何か、あのように国のトップとなるなと責められる、おそらく誰がやってもトップは責められる、そしてその責めに耐えられなくなりやめたとなる
そこで考えたのは菅首相にすべての責任をおしつけて悪魔祓いのようなことをする
すべての悪をトップにかぶせて終わりにするように見えた
すべて悪いことを菅のせいにしてまた新たに首相を選ぶ、悪いのはすべて菅だったとするそうすると何か自民党にとって今までの失敗が無きものにされるとまでなる

ともかく民主主義社会ではフレザーの指摘したように王殺しは起きない、禁止されているでも王殺しとか暗殺は常に起きてきた、王には絶大な権力がありそれが腐敗すると全体も腐敗する、だから王殺しをして新たな体制を作り新しくやり直すことである
王殺しでなければ現代では革命だとなる、その革命で武力革命となるとやはり王は殺される、つまりトップに立つことはそれだけ責任が重く危険なものである

何か王とかなるといい身分とも見るが危険な立場にもなる、犠牲にもされる
生贄にもされるとなる、何か農作物の不作とかなると犠牲にされた生贄にされた人がいたからである、人身御供にされた人が現実にいたからである
コロナウィルスとかでもこれはいろいろ言っても未知なものだからどう対処していいかわからない、でもその失敗の責任は首相に王が負うことになる
だから菅首相でも王でもトップにたつものがやめてまた昔だったら殺してコロナウィルスも背負ってあの世にもっていって消してくれとまでなる
まずGO TO トラベルとかオリッピック開催は大失敗だった
それが強行されたのは利権のためだったのである
この世の中とにかく利権で金で歪められる、原発ももの凄い利権の塊りだった
原発事故以後も何兆円という除染でも金がきりなくつぎ込まれたのである
それが有効だったかどうかは不明であり徒労とも見えた
森など除染できないのだからそこから放射性物質がきりなく流れてくるから不可能にもなる

政治の問題は必ず利権と結びつく、その利権と政治家が一体でありそれで歪められるのである、人間が公平になれないのは利権と結びつくからである
そして選挙でも票が得られる利権団体に忖度せざるを得ない、そうしなければ選挙に勝てないからである、正義を振りかざしても通用しない、利権団体の意向に沿わなければ当選できないからである、そして自民党は二世が多いという時、地域でも世襲になり地域の利権団体により票をもっていて当選するとなる
自民党はそうして世襲であり二世とか三世でもその利権を受け継ぐのである
それは江戸時代の御家を守るとかの跡目相続とかと似ている
そこで安定はするが革新はできなくなるのである
だいたい日本は自民党一党独裁と同じであり戦後70年で二三回しか政権交代していないからだ、そのために世襲議員が多くなっているのである
自民党で慶応大学出が多いというときもそうである、東京に住んでいてそこで地方の議員は子供を慶応に子供の時から入れておくからそうなる
そこですでに身分制であり貴族のようになっているのである

ただこの利権から逃れることは不可能にも近い、何らか利権と関係しないで生きていけないからである、つまり全く利権と関係しないのは神だけだとなる
なぜなら神は別にこの世から離れているし人間の力を必要としないからである
だからこそ公正な目で見れるのである、また公正に裁くことができるのである
また人間は個々人でも欲があるからその欲に左右される、その欲によって左右され歪められるのである、でも神は欲がないから歪められることはない

それで聖書ではみどり子におさめさせよということになる
幼子だったら何の欲もないから治めることができるとまでなる
政治とはそれだけ人間の欲と利権の世界なのである、だから政治家になること自体もう
欲まみれになり普通に犯罪者にもなってゆく、ただその犯罪でも権力があれば隠すことができる、権力が腐敗する絶対的に腐敗するというときそのことなのである
そして宗教も利権団体でありなんらか利権と結びつき利権を得よとする御利益を得ようとするだけである、その利権のために毎日祈っている、一票を得れれば成仏するとかなり
それで創価などは二十四時間選挙活動なのである
他の宗教団体でも実際は利権団体なのである、だからこそカトリックが利権団体だったからプロテスタントが起り利権団体から離脱する運動が起きたのである

いづれにしろ政治が歪められるのは必ず利権団体が背後にありそのために歪められる
今回でも二階氏がGO TO トラベルを提唱して実行したのはやはり観光にかかわる人達の利権がありそれであえて実行した
オリッピックでも電通とかの利権のためにやめることができなかった
二階氏と公明は一体化して実行したのである
だから利権から脱したところで政治でも行わないと実際は政治でもうまくいかない
でも利権から利益から脱して人間は何もできないともなっている
マスコミでも利権と深く結びついている、それは原発事故でわかった
電事連とかから800億円とかの金が宣伝費として流れていた、朝日新聞にも流れていた
なぜなら原発事故が起きたときすべての新聞社の幹部が中国に招待されて歓待されていたとき起きたからである

マスコミも巨大な権力である、テレビ局はこれまで六局した放送することができなかったまた新聞にしてもそれを刷り一軒一軒配るからその費用が莫大になる
するとその費用をまかなうために莫大な金がいる、だから福島民報でも実際は県が半分出資して創価の聖教新聞を刷っている、東電の宣伝費ももらっていたとなる
そういうマスコミはもう何も不正など追求できないのである
だから原発の危険なことを知らせなかった、科学者集団が10数メートルの津浪が来るということを警告してもそれも新聞とかテレビで大々的には報道していないだろう
それは新聞でも出すのに金がかかりすぎるからである
インタ−ネットだったら手間はかかるにしても無料だから何にも忖度することなく言えるとなる、それでyoutubeは何か学問的にも勉強なるものがあると見た
芸能的なものがあってもテレビとにも似ていたが何か勉強になるものも結構ある
やはりテレビだとわかりやすくなるから見ている人が多いのである
ただこうして個々人でもテレビ局とか新聞社ともなるとその数が膨大になるからこれまた今度は見てもらうこと自体が大変になる、テレビ時代だったら放送するだけでみんな見てくれたがyoutubeなどではそうはいかない、そこにまた問題があるともなる

菅首相の辞任しても自民党自体がもう二世議員とか世襲制度になっていてそこに新たな人材が生まれないシステムになっている、とすると自民党には期待できないともなる
では野党に期待できるかとなるとこれもできない、では新たな政党の出現があるのかとなると簡単にできない、そこに日本の政治の行き詰まりがある
でも大変革が要求する時代でありそれができないと日本は没落する、すでに貧困化しているとかイノベーションができないとかなっていて没落が現実化している
それは政治の分野でも経済の分野でも科学の分野でも教育の分野でもあらゆる分野で衰退して没落しているのが日本なのである
だから大変革の時代でありそれができないと日本は没落する、それをどうするかとなるとやはり政治だったら二世議員とか世襲とかではいい人材は出ない
明治維新で活躍したのは下級武士であり家老とかの侍の中でも保守化して利権にあづかる人達ではなかった、そういう人達は保守であり結果的に排斥された
それで藩が廃止されて北海道に開拓に入ったのである

そういうふうに時代が変わる時下克上が起きる、そうしなければ改革でとないともなる
ただ問題は高齢化社会であり若い力でないと大きな変革はできないのが問題である
この辺で原発事故で避難区域になった所は若い世代が流出して老人だけか取り残された
それで復興はできなくなった、高齢化社会になると何か大きな改革ができない
戦後の焼け野原になったときでも団塊の世代が生まれた時であり子供が本当に多かった
子供の遊ぶ声があらゆる所にあった、今は子供すら見かけないのである
戦後何もなくなったとしてもあれだけの子どもがいたということが復興の原動力となっていたのである、今はそれがないからまた没落してゆくともなる
少子高齢化の問題が深刻だからである、空家が800万軒とか認知症が800万人になるとか介護で孫の世代まで費やされるというのも異常だとなる
そこで社会全体が疲弊してゆく、ただ大きな変革の時代になっていてそれを乗り切らないと日本がは没落してゆくだけだとなる
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2021年09月05日

人権意識というのがどこから生まれたのか? (カトリックからの宗教支配からの脱却から起きた)


人権意識というのがどこから生まれたのか?

(カトリックからの宗教支配からの脱却から起きた)



1790年8月3日、政府はユダヤ人の権利を全面的に認めた。1792年5月から1794年10月まで、キリスト教は徹底的に弾圧された。当時カトリック教会の聖職者は特権階級に属していた。革命勃発以来、聖職者追放と教会への略奪・破壊がなされ、1793年11月には全国レベルでミサの禁止と教会の閉鎖が実施され、祭具類がことごとく没収されて造幣局に集められ、溶かされた
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フランス全土に網の目のように張り巡らされた教区教会は、1667年のルイ法典(フランス語版)(民事王令)以降、教区司祭のもとで洗礼証書・婚姻証書・埋葬証書の認証という形式によって戸籍業務を一手に担い、教区内住民の生誕、結婚、死や葬送に関する一切の記録を納めていた


「恐怖政治」の時期には多くの聖職者が処刑され、追放された。教会は閉鎖され、多くの建造物は破壊されて美術品も売りに出された。こうした「非キリスト教化運動」(反キリスト教運動、キリスト教否定運動)が特に激しかったのは、1793年秋から1794年春にかけてであった。この運動は、知識人の反宗教感情と国民一般の反教権主義とが結びついたもので、宣誓を拒否する聖職者は「反革命的狂信者」と断罪された[

恐怖政治」の時期には多くの聖職者が処刑され、追放された。教会は閉鎖され、多くの建造物は破壊されて美術品も売りに出された。こうした「非キリスト教化運動」(反キリスト教運動、キリスト教否定運動)が特に激しかったのは、1793年秋から1794年春にかけてであった。この運動は、知識人の反宗教感情と国民一般の反教権主義とが結びついたもので、宣誓を拒否する聖職者は「反革命的狂信者」と断罪された


フランスの人権主義はカトリック支配の反発から生まれた、その反発は凄まじいものだったのである、聖職者が革命の標的となり多数の聖職者は追放された
そして社会は世俗化して博愛、自由、平等のフランス革命の標語になった
この博愛は宗教的なものでない、人権としての博愛である
つまりキリスト教徒だから愛すとかではない、宗教にかかわらず博愛になる、広く愛すということことである、こういうことはすでに仏教でもキリスト教でも起きていた
ヒンズー教ではカースト制があり奴隷階級もあってそこには博愛はない
宗教によって縛られ奴隷にされていたのである、それをシャカが破ってカースト制で差別せずにあらゆる人間を愛すとなりアジアに広まったのである
キリスト教でも最初はユダヤ民族のためのものでありイスラエルのためのものであり他に適用されないものだった、それで異民族の善きソマリア人の例えで万民を愛すものとして広まったのである

あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、
近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った
この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」

愛をもって接した人は隣人でありその隣人が異邦人であれ黄色人種であれ黒人であれ関係ないということである
でも現実にあなたは何教ですか?イスラム教です
では私はキリスト教だから助けません
そうなったら愛はキリスト教の人だけに限られてしまうのである
アメリカても実際は黄色人種をアジア人を差別しているし黒人はもともと差別されて今でも差別されている、アメリカには根強く人種差別がある
それでなぜ日本に原子爆弾を落としたのかというと黄色人種だから人種差別があったからヨ−ロッパには落とさなかった、また白人の先祖がヨ−ロッパ人だからドイツには落とさなかったとしている,アメリカはそもそも差別の国なのである
ヨ−ロッパ人もそうである、アジア人を黄色人種を一段低いものとして差別しているから植民地にもしたとなる、それで今度は中国人の下につくようになるときヨ−ロッパ人は下位にたたされる、イスラムが栄えていたときは白人がヨ−ロッパが奴隷として女性も売られていたのである、裸にされて市場で売られていた
オスマントトルコではそうして奴隷にされた女性がハーレム中に置かれたのである
日本では奴隷にされた歴史はない、それは日本は異民族との熾烈な争いがなかったからである、日本が一つの世界であり直接民族同士の熾烈な争いを経験していないからである
その争いをヨ−ロッパがアジアに進出した時、経験したのである

要するに宗教は民族が違うと通用しない、ある国家とか民族だけのものなら世界宗教にはならないのである、だから人権主義が生まれたのはキリスト教の宗教の否定から生まれたのは宗教によって人間の自由が奪われていたからである
仏教が日本では江戸時代に戸籍係になっていたと同じようにカトリックでもなっていた
それでプロテスタントと結婚したとも認められなかった、戸籍を作れなかったからだ
カトリックはすべて宗教で縛り権力をもったために反発された
そのために宗教からの自由を求めてフランス革命が起きたのである
宗教からの自由を求めたのである、キリスト教だけを信じることを強制されることからの解放として革命があった、思想信教の自由を求めたのである
カトリックになるとキリスト教しか許されない、でもプロテスタントは抗議するということであり今までの社会をすみずみまで支配していたカトリック社会を解放したのである
カトリックは十分の一税を強制的に徴集していた、その税金も今度は国家へ納めることになったのである、政教分離になったのである

こうしてフランス革命からみればイスラム教など政教一致だから宗教の自由はない、また無神論も認められない、アラーの神を否定することは殺されるとなっている
そこに信教の自由はない、仏教であれキリスト教であれ宗教を選ぶことはできないのである、そこにフランス革命から政教分離になった意義があった
なぜイスラム社会が停滞しているのか?その原因は宗教にもある、イスラム社会の規範がありそれを旧弊としてあってもアフガニスタンとかでは厳格にタリバンは守る
そうなるとフランス革命で起きたような自由は極端に制限される
女性の人権も無視され抑圧され弾圧される、だから女性にも職業に就く自由をと訴える時命がけになる、殺されることもあるし現実にあるからだ

ただイスラム社会は政教分離は起こらない、それが近代化できない遅れたものになっているともみる
なぜならイスラム社会はカトリックのように強力な宗教規範が世俗を支配しているからである、信教の自由もないし女性の服装の自由もない、言論の自由もない、教育の自由すらない、女性の教育すら認めていないのである
だからイスラム社会は停滞している、でも世界と接する時、グロ−バル化社会ではそういう社会がまるで取り残された社会となる、部族が日本の江戸時代のように藩のように個々に支配している、統一国家ではない、民族のモザイクのなかで反発し合っている

言えることは宗教は強制されるべきではないことである、自主的に求めて信仰すべきものである、だから何を信じるのも自由だともなる、人に危害を加えない限り自由だとなる
しかし自由には責任がともなっている、無神論でもいい、でも本当に責任を持って言えるのか?
ただ無責任に深い考えもなく言っている、もし本当にドストフェススキーのように深刻に悩んでもう神を否定すると人間でありえないとかまでなればいい、ただ軽い気持ちで神を否定することが恰好いいとかだけで主張しているのが多いのである
とにかく圧力団体となりそれが政治と一体化して創価のようになるのは政教一致であり
王仏冥合とかの中世的思想で政治権力と一体化することは現代では危険なのである
その自由の制約が社会を停滞させるのである、権力一体化することはカトリックと同じだからである

だから創価が公明党が権力を持てば危険になる、カトリックのように社会の隅々まで権力で支配することになるからだ、そこて力を持つのは聖職者でありその宗教団体で地位をもったものが社会でも地位をもつようになる
民衆を権力で操作して宗教で操作する、地獄に落ちるとか罰当たるとかで脅し権力をもてば実効力があり支配できるからである
それがイスラム社会ではタリバンのように宗教規範に反するものは即銃殺になる
だから命がけで女性の就職の権利を主張している

つまり権力と宗教が一体化することは危険なのである
なぜなら天国は心の中にあるというときこの世の権力を得ることではないからだ
でもみんな実際の生活では権力をもとめている
それを目的として創価では日々選挙運動しかないからである
つまり宗教と政治が一体化することは危険なのである、日本でも天皇が現人神(あらひとかみ)となり宗教戦争ともなったからである、日本は神国だから絶対に勝つとなってそれを信じて戦い3百万人も死んだとなるからだ
創価の初代会長は牧ロ 常三郎は天皇に反対して戦時中獄死したのである、それは政教分離されないためにそうなったから戦後はあくまでも天皇は政治権力にはタッチしない象徴天皇となったのである

とにかくフランス革命で目指したものはあらゆる自由だったのである、宗教からの自由であり貴族が支配した身分制からの自由であり人種とかでも差別されない自由であり言論の自由もある
ただ本当に自由が実現されているかとなるとされていない、報道の自由は日本では世界的に下位である、インタ−ネットが生まれてやっと言論の自由が生まれた、それもまだまだであるがマスコミにテレズなら六局に牛耳られていた時よりは弱小な個人でも一応発言できるということで進んではいる
ただ人間には全面的自由はありえない、自由といっても必ずなんから制約される
その制約が外部のものとして宗教とかの制約ではなく内面的良心的制約ならいいのであるそういう精神的なもの内面的なものからの制約は強制されたものではないから容認される権力で内面と精神的自由を制約するのが問題なのである

そしてすべてを自由にはできない、宗教団体でも政教一致の団体は制約すべきである
信教は自由である、個々人では自由である、でも団体化して政治化して権力化して社会を宗教で支配することは危険である、その歴史がカトリックの歴史だったのである
それでフランス革命では聖人像とかまで破壊され教会の中にあった宗教的な遺産も破壊されたのである、それは度を越えたものとなった
明治維新に優遇されていた寺が国家神道になったとき仏像が破壊されたのと似ている
宗教が組織化団体化すると宗教の権力争いとなる、イスラム教でもみんな統一されているかとなるスンニ派とか熾烈な争いがあり統一されていない
その憎しみは骨肉の争いと同じである、どうしてもイスラム社会が停滞しているのは政教分離ができないためだとみる

タリバン支配になったアフガニスタンは宗教の制約が厳しくて経済でも発展しにくいとなる、女性が就職もできないとなると社会の発展もない、経済の発展もありえないとなる
不思議なのはなぜ中国が経済的にあれだけ急速に発展したのか?
それはイスラム社会とは違い宗教の縛りがないためのかとも見る
中国はもともと現世主義であり宗教的なものを拒否する社会だったからである
ヨ−ロッパが発展したのはカトリック支配からプロテスタントになり現代の先進国となった、でもカトリックが支配した南米とかアジアでもフィリピンなとは近代化に遅れたのは宗教のためかともみる、宗教が社会全般に影響するからそうなるともみる

ともかくアメリカは人権人権というがそもそもアメリカが人権を言う権利があるのだろうか?人権を言うならばとても原爆なと落とせないのである、そこには人種差別があり落としたともなる、人権を言う人が戦争になればアメリカは容赦なく殺してきた
ベトナムでもイラクでもアフガニスタンでも容赦なく殺してきた
まさになんであれ相手の人権を無視するからそういうことができる
つまり何であれ人を殺すことは人権をの最大の無視なのである
人権を言うなら内政干渉をしたりしない、その国の人はその国を造るのでありその国の人を殺すようなことはしないのである
いづれにしろ何であれ相手を殺すことは最大の人権の無視なのである
だから最大の悪は戦争だとなる、戦争になれば理由は何であれ殺すことが正当化されるからである

中国もウィグルで人権が無視されている、でもアメリカもまた人権を言うが無視しているのである,アメリカ内部でも人種差別が根強くあり人権を無視しているとなる
何か人権至上主義も実際は強い者が弱い者の人権を認めないということで共通している
力があるかないかで人権も得られるとなる、弱い者には人権もないのである
アメリカでアフガニスタンで人権を無視しているからアメリカが与えるというときも無理がある、人権はそれぞれの国で自主的に獲得しないかぎり得られないともなる
でもアフガニスタンで女性の権利を主張したことはやはり外部からの刺激でそれを主張するようにはなったのである、だから外部の刺激で目覚めたということはある

いづれにしろいくら人権といってもそれが通用するのは強い国であり強い者だけである
弱い者は人権は得られないのである,貧富の差があっても得られない、貧乏な人は人権もないのである、金がなくて医者にかかれないとかありいくら医者にかかれる人権があるとしてもできないとなるからだ、そういうことは他にいくらでもある
人権を主張しても強い者はできるが弱い者はできない、自由も得られないのである



職業で形成される人格 (職業選択は大事でもその人にあった職につけないー人格を歪める職が多い)


職業で形成される人格

(職業選択は大事でもその人にあった職につけないー人格を歪める職が多い)

人間は学生時代でもいろいろ学んでも勉強してもその目的は何なのか?
その先に社会があり職業に就くことが目的となる
ただ学生時代はどういう職がありその職がどういうものがわからないのである
例えば農家だったらいつも働いている親とか視ているのだから自ずとその職業を理解するのである、それを日々見ているから反発して嫌だとして親に逆らい農業だけはやりたくないと事件を起こした人までいる
また親から農業だけはやるなと殴られた人もいる、その人は工事現場とか原発で働くようになった、その頃から農業は金にならない割に合わない職業にもなっていたからだ
つまり農業といっても外部から見ているだけではわからない
今になると農業はいいものだともみる、原発事故が起きたことで農業をしていればこうはならなかったとも見るようにもなる

なぜ今職業が問題になるのかというと江戸時代まではたいがい親の職業を継いだのである農家でもそうだし漁師でもそうだし大工とか陶器作りとかでもそうである
家業を継いだのが多いのである、だから職業選択にそれほど悩まないのである
侍は侍であり農民は農民であり商人は商人であり職人は職人である
そして結婚するにしても同じ職業の人なのである
すると互いに理解しやすいということがあった、何か経営者は商人の娘を嫁にしろというときもそうである、それは商人も経営者であり自営業であり金銭のやり繰りとかを身近で見ているからである、嫁ぐ先の職業がのちのち影響する
その職業に向かいない人がいるからだ

天皇家に嫁いだ雅子様は宮家とかに向いていなかったのでうつ病とかなった
宮家というものがどういうものがわからずに強制的に嫁にされたからである
第一天皇家のこと自体わかる人はいない、でも宮家とかで育てばそういう環境で育っているから適合できる割わいが大きくなる、ただ別に美智子様の場合は平民で天皇家に適合したとなる、普通はなかなか適合しにくいとなる
つまり育った環境が人間に影響する、血筋より育った環境の影響が人間は大きいからだ
どういう家に育ったのかそれがその人間を作るともなる
だからカルト宗教団体などで育った者は何か偏り結婚したりするとうまくいかないともなる、常識からはずれているからである

なぜ職業が問題になるかというと職業は人間に欠かせないものでありその職業によって人間でも作られる、職人気質とかなり人間を作る
だからその職業がどういうものか知ることが大事になる
ところが学生時代で勉強しても職業のことはわからないのである
そもそも様々な職業のことを今や複雑化して理解できなくなっている
もともと人間は職業が違うと意志疎通もてきなくなっていた
それで鉄を作る人とか山奥で曲げ物など木の椀などを作る人は神秘的な存在となった
それはその職業のことがわからないからである

ただ言えることは江戸時代の人達がみんないい顔して幸福そうな顔していたということを外人が見て言っているとかなりそれをしきりに言う
でもそうなっていたのは江戸時代ならほとど農民であり後は漁師とか職人であり職業の種類は限られていた、侍は侍の世界があり親の跡を長男が継いだ
だからあまり理解できない職業はなかったように思える
ということはそういう職業は何か人をだますようなことはない、商人とかなる口八丁手八兆で口先だけで物を売るとういことがある
商人は必要でもそうなりやすい面がある、でも第一次産業に従事する人がほとんどの時代は何か人をだますような職業がまれだった、すると貧乏でも嘘つかないとかで人々が良心を曲げることもないから精神的には安らかだったとなりそう言われるとなる
職人気質のように仕事に一途に励んでいたとなる

戦後の私の子供の時代の時、回りでは職業が見える社会だった、農民がまだ多かったし
職人も多かった、駕籠を作る人とか石屋とか漆塗り屋とか豆腐屋とか何か近隣の仕事がわかりやすかったのである、今は職業が多様でありわかりにくいのである
すると職業のことがわからないからその人に合った知っている職業に就くわけでないから適合できずにやめるという人も増える、おそらく親の仕事を見て受け継ぐとなるとそういう職業は子供の時から見ているのだからわかっているし適合する割合が大きくなる
もちろん適合しない人は常にいるけど割合的には適合しやすいのである
そこではあまり職業選択に迷わないとなる

現代は無数の職業がある、でも自分にあった職業に就く人はまれだともなる
だからこそニートとが膨大に増えたとなる、仕事に合わないとか辛いとかもある
そもそも何かその人にあった職業に就くことは簡単にできない社会である
ただ職業というとき文系は理系よりいい職業に就けない、それで理系は物作りでありいい顔になるというときそうだと思う
文系の仕事は何かいいものがない、営業とかなると何かそこで口先で騙す職業だともなるそして何か弁護士であれ証券会社であれ銀行であれこういう職業はいいとも見ていたが実際は騙すものだということがわかった
銀行など地域で硬い職業としてエリートとして見られていたが今や人をだます商売になっている、投資信託とか売り手数料を稼ぐ、投資信託が詐欺商品でありハーバード大学を出た人が良心の呵責になりそれを暴露したことでもわかる
弁護士でも何かそこに法律の知識で騙すということがある
もちろんみんなそうではないがそういう人も現実にいる
それで文系の仕事は何かそういう人をだますのが多いともみる

例えば官僚でも実際それは人をだますものであり犯罪者にあるというときそうである
帳簿でも数字でもごまかす、それでそれをごまかした官僚が良心に耐えられなくなり
自殺した人がいた、だから霞が関の官僚でもそうなる
官僚は技官は別にして文系が多いからである、文系はいい職業に就くことがむずかしいのである、何かごまかすことが多い職業だとなる
政治家となるともう政治家自身が言っている、嘘をつくのが政治家だと言っている
何か口先でいいことを言うだけだとなる
選挙の時だけいいことを言うが実行できないのに言うこと自体がそうである
それは政治家という職業がそうさせるのである、だからこそどういう職業に就くかが大事になる、その人がもともといい人でも職業によって心が歪められるからだ

銀行など地域で硬い職業と見られていた、今や高度成長時代になりITの発達とかで取り残されたもうけることができなくなった
貯金されたものを借りる人がいて自動的に利益が上がる時代が終わった時利子も貯金につけられない、銀行は今や必要ないともなってしまった
そうなると何とかもうけるために投資信託などを売りつける、そして手数料だけはもらうとなる、これも騙しなのである
ただ別に株などは自力でできる人はやればいい、銀行であれ証券会社を仲介にするとき
だまされるとなる、それも結局自己責任だとなる、銀行とか証券会社が罪に問われることはないのである

ただ職業が業となっいてるとい職業自体に何か罪なるものがありそうなった
だから農業でも焼畑とかなると森林を焼くから自然破壊だともなる
稲作でも森を破壊するからそれは人間の業だともなる
そういうことで仏教ではその業から逃れるために僧院に入り職業につかず修行したとなる職業に就くこと自体心が汚れるとしてそうなったのである
確かに今や銀行員とかはそうなる、それでアメリカの大銀行に勤めていたような人が
農業をはじめたとかある、銀行という仕事に嫌気さしてそうなったのである
金だけを操作してそれで大儲けする人を見ていたからそうなった
それが陰謀論になり批判するようになった、「つばさの党」でyoutubeで説明している人がそうである
紙幣とか貨幣とか何か架空的なものをあつかうより実物を扱う農業をするようになったのである、金融というときそれは今や数字てあり数字のゲームをしているようにもなっているからだ、何かギャンブルの世界のようにもなっているからだ
そういう仕事自体が心を歪め人格を歪めるものになっているからだ

とにかく現代は職業が無数にありその選択に悩む、ただ地方だと職業の選択は限られている、大卒だと更に限られていて自分に合った職業がないとなり都会に出るほかないともなる、私の場合は引きこもりであり職業にはついていない
でも郷土学とかを追求してきた、田舎で芸術でも学問でも追求して来た
ただそれが職業にはなっていない、一文の収入もならなかったからだ
そして自分に向いている職業はジャーナリストのなかと思うようになった
今ネットでしている「相馬新報」とかがそうである
ジャーナリストは相当な幅広い知識が必要だと思った、原発事故を追求するにしても多角的に追求する必要があったからだ、ただ文系だと理系ではないから原子力のことがわからない、そこが大きな障壁となり追求できなかった

でも郷土史とか歴史とか地理学とかこの追求はするにはあらゆることを総動員しないとできないものだったのである、そこに限界があった
ただ死ぬ頃になって自分の仕事がこれだったとかと自覚するようになった
つまり仕事は新たに作られるのである、youtubeとか意外とこれはテレビとも違って勉強になるものだとわかってきた、様々なことで経験している人が語っているからである
だから子供が一番なりたいのがユウチュウバーだともなった
テレビはこれまで一番の情報源であり親しいものである、それが個々人がテレビ局にもなるということでそうなった
仕事は新しい時代にそれに合った仕事が生まれる、ただ自分の場合はその仕事を発見することが遅すぎてとなる、今や死ぬ歳になっているからだ
それだけ人間の合った仕事というに就けないというのが現実なのである
ということでニートが引きこもりでも増えたともなる

いづれにしろ職業選択が大事なのはその人を職業が作るからである、だから人格を歪めるような職業につくと金になっても後でふりかえりいいものとはならない
苦いものとなって後悔する、さほど金にならなくても私はその仕事がその人に合っていいものならいい顔になる、それで江戸時代は外国人が見たとき幸福そうな顔していると見たのである、それは仕事はその時農業社会、第一次産業がほとんどでありそれが影響していたのである、現代は余りにも様々な職業があり選択に迷う、それより自分の合った職業に就けないとなる、そこでうつ病になっている人が多いのもわかる
つまりみんな不幸そうな顔をして不満なのが現代人なのである
そのことが社会全体を暗くしているともなる


高い地位、儀礼、富、学識など、そういうものに到達した人々について
わたしが思うに彼らが到達したもの彼らのからだと魂に結果残すものではない限り
すべて彼らの身につかず波間に消える-ホイットマン(草の葉)

彼らの体だと魂に結果残すものではない限り

からだと魂に結果を残すというとき職人とかは仕事で体も作られ魂も作られるとなる
体もその仕事に適したものになる
そして魂が作られるということがある意味で怖いのである
その仕事が悪いものであれば魂も歪められるとなるからだ
ホイットマンの時代は職人とか農民とかあらゆる人が讃美されていた
その時代は開拓の時代であり知的な仕事より肉体労働が多い、知的な仕事は弁護士とかでもだますということがあるからだ
だから江戸時代とも似ていたのである、それであらゆるものが讃美されていたのである


体(からだ)は「殻(から)」に接尾語「だ」が付いた語。
古くは、魂に対してそれを宿している身体、生命のこもらない肉体を「からだ」と言い、魂を宿した肉体は「身(み)」と言った。

つまり職業によって魂の宿さないもの、殻(から)になってしまうことである
その一生さえ空虚なものになってしまうとなれば怖いとなる
金があってもその人の実体は中味は魂の無いからだになってしまうとなるからだ

posted by 老鶯 at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年09月07日

思考脳を育てない教育-抽象化とは (暗記教育は奴隷人間を作る―学校は全体主義教育)


思考脳を育てない教育-抽象化とは

(暗記教育は奴隷人間を作る―学校は全体主義教育)

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人間の能力は抽象化能力だった、この世に具体的な事物があってもそれを理解するには抽象化能力が必要になる、抽象化能力とは外界のものをどうして理解するかとなる
例えば話する時でも実際は抽象化しないと話しができない
対話もできない、そこに山があるとしていちいち山がなんであるか説明していたら話しもできない、川があるのに川という言葉がないと話もできない
山という言葉があり川という言葉があるとき別にじかにそこに山がなくても川がなくても話しできるようになるからだ

ただ山と言ってもいろいろある、ネパールのように8000メートルの山もあるし川でも外国の川は長大である、だから山であれ川であれ多様である、ただ基本的に山とはこういうものであり川とはこういうものだという共通認識がないと話しもできないのである
一応外国人と川について共通認識があるから対話でもできる
それが言葉の力だとなる
例えば砂漠というとき日本にはない、それをどうして理解するのか?
どこまでも砂しかない世界というのをどうして理解するのかとなる
そこで外国を理解するのが不可能にもなってしまうのである

基本的に数字と文字は抽象化されたものでありこれが文明の基本にもなった
漢字だと象形文字であり具体的な外界のものを絵のように理解してそれを記号化したのである、だから漢字の方が具体性がある、他の言葉はみんなアルファベットが基本である
表音文字になった、漢字は世界では特殊なのである、韓国のハングルでもやはり表音文字化したものである、漢字は絵画的なものであり具体性があり表音文字のアルファベットなどより抽象化されていないから理解しやすいとなるか反面抽象化されないことで覚える漢字が多すぎるから複雑になる、それで韓国ではハングルにしたのである
漢字だけ覚えるだけ相当な労力が必要になるからだ

いづれにしろ人間の能力は抽象化能力でありそれが文明を作ったのである
例えば数字自体が抽象化能力であり何でも数で数えるという時、その属性を無視する
人間が一人いるとして男女がいるし背の高い人もいるし太った人もいるし黒人もいるし
見た感じはみな違っている、でもそういう属性を消去してただ一個として数字で数えるのは数字によって抽象化したということである、それは究極の抽象化なのである

それは四角があるとするでも四角ということでも面積が違ったりする、ただ四角ということでA=Bとなる、でも実際はA=Bはない、石があるとして全く同じ石はないからである、一つの属性をもって同類として分類する、それも抽象化なのである
数字化することは最も抽象化する作業である、だからエジプトでは穀物の量を計算して数字化した書記が神のように崇められ権力をもったのである、それは今の官僚に通じている抽象化能力が数字で数学で一番わかりやすく現れるからである

ただ抽象化の危険は実際はあらゆるものを数字化するとき人間の実体現実から離れたものになる、この人間の数量化抽象化から何が起きたのか?
それは人間自体が抽象化され数字化されてしまった
人間は数字であり番号であり人間という実体が抽象化されて喪失した
村の様な単位て生きているときは感じないがその生活する範囲が規模が大きくなると
日本のGDPはいくらだとか今年の経済成長率はいくらだとかあらゆるものが数字化するからである
カルト教団なども宗教とは関係ない常に数で計られ数が多ければそれが権力に結びつく
民主主義は選挙で決まるのだからすべて数で決まるから権力を得るために数なのである
人間一人で主張しても相手にしない、10人でも集まれば必ず相手にする
ボランティアでも20人集めないとできない、つまり権力をもたないとボランティアもできないのである

ここから何が起きてきたかというとナチスが生まれたのであるファシズムが生まれたのである、様々な人間の属性の多様性を無視してただ人間は数となった、すると人間は番号となもなり数と処理されるものとなり大量殺戮になっても何も感じなくなったのである
しょせん人間も数であり番号に過ぎないとなるからだ
それは民主主義でもそうであり数の民主主義であり百万票を得なければならないとなれば人間を数として見る、一人一人のことなど見ないのである、要するに人間は数であり番号にすぎないとなる、だから簡単に数として処理されてガス室送りにもなる
ガス室に送る事務官は人間を人間と見ていない、数として帳簿を見ていただけだとなる
でも一人一人の人間が苦しむのを現場で見ていたら恐ろしいとなったろう
でも別にそういう現場を見なければ人間も番号であり数として処理するだけなのである

例えば原始部落のような少人数のコミニュティで暮らしていたら日本の村のような所で暮らしていたら人間を数字で処理することはない、一人一人が別であり数として見ることはないそもそも数として見ることは非人間的なことである、でもそれが文明を作ったのだから
抽象化するということがすでにナチスのような大きな災いを産む原因があったともなる
それで文明自体が滅びるということにもなる、現実の実体から離れて抽象化されてすべてを数字化することがそうなるのである
だから原発でも常に問題になるのが放射線量で数値化することでありコロナウィルスでも感染者を数値化することであり数で判断するのである
実際はすべての感染者が同じ感染者ではない、症状も違うし同じ感染者はいないともなるただ現代文明はあらゆることが数化する、数でみて人間は番号化されて管理されるのである、一人一人は番号にすぎないのである

文明社会はどこでも常に数の計算している、つまり常に数値化しているのが日常であり
そこで人間はただ数にすぎないとなっている
だからそうした文明が世界で共通化した、グロ−バル化したとき戦争になったとき何千万人も死んだとなる、それも人間が数字として処理されるだけのものとなったからだともなる、そもそも中国であれインドであれ十億の人間がいるというとそれは理解不可能になるそれはただ数とみて脅威だとなる
聖書では数を数えて神から罰せられたことがあった、数は結局常に権力となるからである十人より百人が集まれば権力となる、だから民主主義では数が権力なのだからカルト教団でも数を集めることが第一目的となる、その内容など関係ないのである
だから暴力団だろうが有象無象のものが雑多に入り込んでくる
一人一人などどうでもいい、数が集まれば選挙に勝てるとなるだけである

結局こうして現代文明社会でまともでありうるのは人間でありうるのはアウトサイダーになる、後は百万分の一とかの数にすぎないのである、数として番号として処理されるだけだとなる
ただ人間の能力は抽象化能力であり学問でもそうである、抽象化して思考できないことからその差が大きくなる、人間の学力の差は抽象化能力の差なのである
思考するのも抽象化できないから思考できないともなるからだ


私は数学とか苦手でありそのために劣等生であり大学を出たとしてもFランに近い
その原因は数学が苦手だったということである、それは学校が暗記ばかりの勉強だからそれで学問に興味をもてなかったのである
数学でもやはり暗記しているだけでは思考脳が身につかない、数学は高度なものでもないにしろ暗記脳ではできない、身につかない、応用となると思考脳が必ず必要になる
だから思考脳の訓練をしないとだめなのである、それが学校ではないのである
学校は軍隊であり工場なのである、ただ暗記して上の命令に従うだけだとなる
こうした学校教育が全体主義をナチスを産んだ素地としてあったのかもしれない
その学校からドイツのヒットラーユーゲントとか生まれたのもわかる
学校は全体主義を育てる場所ともなる、民主主義でありながら学校は全体主義てある
ただヨ−ロッパとかアメリカの教育はデベートとかあったり何か個性を育てるということがある、でも教育にしてもやはり大衆教育となると全体主義的になる

だからなぜヨ−ロッパから天才があれほど生まれたのか?その原因は貴族社会であり個人に家庭教師をつけていたからだともなる、学校がなければそうするほかない
学校ができたのは近代化されて大衆教育になったからである
そうなると一対一となると相手をの個性を見て教育するとなるからそこから個性を才能を伸ばした人達が生まれたともみる
そして何より教育される環境があったとなる、書斎があり本が家庭にあるのとないのとは相当に違う、私の子供の時高校までも家に一冊の本もなかった
ただ鉄腕アトムとか鉄人二十一号とかの漫画を貸し本屋から借りて読んでいたのである
つまり家で読んでいたのは漫画だったとなる
私が本当に勉強したのは大学出てからの方だった、それは日本全国を旅して地理に興味をもったからである、本の世界ではない実物の世界に接して興味をもったのである
だから教育は学校でも本からだけでも学べない、実物から経験から学ぶのである
それがないとただ本だけの世界とか学校のような無味乾燥なものの中では興味を覚えないのである、外国のことならいくら本を読むより一回でもその外国に行った人の方が実感をもつから知っているとなる、百聞は一見にしかずとなる

ともかく教育というと教えるというとき実はそれが創造的な作業である
どのように教えるかはその教師によってみな違ってくるということありうる
つまり教師が思考脳をもたないと実際は創造的教育はできないのである
ただ暗記教育だけになってしまうのである

学歴による社会の分断 「日本人の3人に1人は日本語が読めない」

【1】日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない(正しく読解できない)
【2】日本人の3分の1以上が小学校3〜4年生以下の数的思考力しかない
【3】パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない
【4】65歳以下の日本の労働力人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない

数式として抽象化できていると解きやすい、それを図形化するとめんどうだともなる、ても具体的図形化するわかりやすいのである、図形には具体性があるから数字だけではない図形化して思考する
それが絵画は世界共通化している、絵の価値は世界で理解できる
言葉となるとむずかしくなる、それで私の抽象画でも理解されて世界で見ている人がいるとなる、それは全く絵の才能がなくてもソフトで変化させてできるのである
これはコンピュターがうまれてできたart(技術)だったと理解したのである
これは結構むずかしい、つくづく自分は数字に弱いから文系なのである
ただ抽象的思考と思考脳が人間の能力を作ったことは確かである

正直文系は数字に弱い、ところが文系でも言葉の抽象能力は優れている、ただ物を考えるというとき数学でも同じものがある、抽象化することで同じなのである
だから数学でもそこで思考脳を鍛えるものとしてやると興味をもつ、ただこれも先天的なものかもしれない、どうしても高度なものになるとついていてなくなる
ただ確かなことは思考脳を鍛えることが訓練することが大事なのである
でも学校教育は暗記脳一点張りだから思考脳が育たないのである
そうして理系の優秀な人でもオウムのようにロボット化奴隷化されたのである
ただあのようになるのはナチスとかまた現代的な文明社会から生まれたものだったのである、理系文系と分れるのではなく総合的思考脳が育ちにくいからである
もはや全体を総合的に見れる人はいない、だからコロナウィルスでも理系の細菌学者とか文系の政治家とか官僚がいてもそれを束ねる人はいない、そんな両方の知識を持っている人はいないからである


秋の蝉、虫の音、桔梗、秋柳( 秋の相馬市に行く)


秋の蝉、虫の音、桔梗、秋柳( 秋の相馬市に行く)

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街中に二つほど聞こゆ秋の蝉

女一人一本松に桔梗咲く

我が家に一人聞き入る虫の声

城下町六万石や秋柳

誰が家や城下町に咲く桔梗かな

秋の蝉いくつか聞こえ城下町

秋の雲影を落とすや城下町

紫の木槿に暮れぬ旧街道

旧街道虫の音聴きて帰りけり

一本松残りて暮れぬ実りかな


女一人寄るべく人もなかりしに松一本に桔梗咲くかな

宇多川の流れに秋の日の光りつつ暮るるもあわれ久々に来ぬ

親しくも松に寄りつつもの思ふ秋は来にけり虫も鳴くかな



女一人で住んでいる人がまた近くに何人かいる、これも不思議なのである
女性でも一人暮らしが多くなっている、老人でも多くなっている
子供と一緒には住まない人が多くなっている、老人の一人暮らしが相当に多くなったのである、庭に松一本がありそこに桔梗が咲いている

6月の始めに相馬市に行った、それから二カ月以上行っていないだろう
というのは梅雨になり暑くなったら行けなかった、7月には暑いとか8月の後半は秋雨になるとか季節が変則的になる二カ月以上相馬市に行かないというときめずらしいともなる暑いと自転車だと熱中症になりやすいから行けなかった
それから何か雨がふりつづいてことで行けなかった
原町も行けない日が続いたのである、まさに巣籠り生活である

相馬市に行く途中の五本松は三本松があったが一本しか残っていなかった
それも淋しいが一本でもあればいいなと見る
五本松から三本松となり一本松となってしまった
これは何か家族を象徴している、家族がみんな死んでいなくなったとか見るからだ
松は人間のように見えるのである、だから古来松は短歌でも俳句にもなり安いのである
田た松並木はかなり少なくなっている、相馬市への旧街道は松並木が残っている
やはり旧街道を行くと道が狭いからそこで自然でも感じる、今回は木槿が咲いていたとか虫の鳴き声とかを感じる、だからこそ「奥の細道」だったのである
細道だから車も通っていないから自然を感じていたのである

ともかく相馬市の不思議は原町では感じないものを感じる、一応六万石の城下町ということで違ってるともなる、ただ外部から来ても城もないし感じにくい
碁盤の目のように細い路地がありやはり城下町なのである
高いビルがないもの影響しているのだろう
公共の建物も入母屋作りに統一しているのも風情を作っている
でもどこが城下町とかになるのか外部から来ても感じにくいだろう
一応石垣などは残っているが他はなにもないからだ
もしビルとか高いものを建てたら違って城下町ということを感じなくなっていたかもしれない、ただそうした雰囲気をかもしだすのはやはり歴史があるからだとなる

秋になったから気持良く相馬市に行けたので良かった
暑いと今は出かけられない、日射病になるからだ、またコロナウィルスの影響で遠くに行きにくい、すると運動不足になるのだ
日本は狭い国であるが四季がありそれが変化をもたらし旬の食べ物がありそれが日本の文化なのである、それがなくなると日本の良さまでなくなってしまう
だから温暖化の影響は大きい、でせ実際は温暖化はないとしている
人工的に温暖化になったのでありコンクリート化した都市とか地方でも道路のコンクリートの反射とかで暑くなった、クーラーの使用でも暑くなった
二酸化炭素が出し過ぎるというよりコンクリート化の影響も大きいのである

秋はやはり芸術の秋になる、プログだと今経験したものをすぐ書いて出せる
こういうことは今までできなかった、雑誌に投稿しても一か月後だったからである
ただこうして自分はプログに書きつづけている、結構これも疲れる
それでコメントに答えられない、プログに書くことを優先するから答えることができていない、後は家事に追われているのである、今は一切の家事を一人でしているからである







秋の蝉、虫の音、桔梗、秋柳( 秋の相馬市に行く)


秋の蝉、虫の音、桔梗、秋柳( 秋の相馬市に行く)

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街中に二つほど聞こゆ秋の蝉

女一人一本松に桔梗咲く

我が家に一人聞き入る虫の声

城下町六万石や秋柳

誰が家や城下町に咲く桔梗かな

秋の蝉いくつか聞こえ城下町

秋の雲影を落とすや城下町

紫の木槿に暮れぬ旧街道

旧街道虫の音聴きて帰りけり

一本松残りて暮れぬ実りかな


女一人寄るべく人もなかりしに松一本に桔梗咲くかな

宇多川の流れに秋の日の光りつつ暮るるもあわれ久々に来ぬ

親しくも松に寄りつつもの思ふ秋は来にけり虫も鳴くかな



女一人で住んでいる人がまた近くに何人かいる、これも不思議なのである
女性でも一人暮らしが多くなっている、老人でも多くなっている
子供と一緒には住まない人が多くなっている、老人の一人暮らしが相当に多くなったのである、庭に松一本がありそこに桔梗が咲いている

6月の始めに相馬市に行った、それから二カ月以上行っていないだろう
というのは梅雨になり暑くなったら行けなかった、7月には暑いとか8月の後半は秋雨になるとか季節が変則的になる二カ月以上相馬市に行かないというときめずらしいともなる暑いと自転車だと熱中症になりやすいから行けなかった
それから何か雨がふりつづいてことで行けなかった
原町も行けない日が続いたのである、まさに巣籠り生活である

相馬市に行く途中の五本松は三本松があったが一本しか残っていなかった
それも淋しいが一本でもあればいいなと見る
五本松から三本松となり一本松となってしまった
これは何か家族を象徴している、家族がみんな死んでいなくなったとか見るからだ
松は人間のように見えるのである、だから古来松は短歌でも俳句にもなり安いのである
田た松並木はかなり少なくなっている、相馬市への旧街道は松並木が残っている
やはり旧街道を行くと道が狭いからそこで自然でも感じる、今回は木槿が咲いていたとか虫の鳴き声とかを感じる、だからこそ「奥の細道」だったのである
細道だから車も通っていないから自然を感じていたのである

ともかく相馬市の不思議は原町では感じないものを感じる、一応六万石の城下町ということで違ってるともなる、ただ外部から来ても城もないし感じにくい
碁盤の目のように細い路地がありやはり城下町なのである
高いビルがないもの影響しているのだろう
公共の建物も入母屋作りに統一しているのも風情を作っている
でもどこが城下町とかになるのか外部から来ても感じにくいだろう
一応石垣などは残っているが他はなにもないからだ
もしビルとか高いものを建てたら違って城下町ということを感じなくなっていたかもしれない、ただそうした雰囲気をかもしだすのはやはり歴史があるからだとなる

秋になったから気持良く相馬市に行けたので良かった
暑いと今は出かけられない、日射病になるからだ、またコロナウィルスの影響で遠くに行きにくい、すると運動不足になるのだ
日本は狭い国であるが四季がありそれが変化をもたらし旬の食べ物がありそれが日本の文化なのである、それがなくなると日本の良さまでなくなってしまう
だから温暖化の影響は大きい、でせ実際は温暖化はないとしている
人工的に温暖化になったのでありコンクリート化した都市とか地方でも道路のコンクリートの反射とかで暑くなった、クーラーの使用でも暑くなった
二酸化炭素が出し過ぎるというよりコンクリート化の影響も大きいのである

秋はやはり芸術の秋になる、プログだと今経験したものをすぐ書いて出せる
こういうことは今までできなかった、雑誌に投稿しても一か月後だったからである
ただこうして自分はプログに書きつづけている、結構これも疲れる
それでコメントに答えられない、プログに書くことを優先するから答えることができていない、後は家事に追われているのである、今は一切の家事を一人でしているからである