福島県でなぜいわき市で特別増えたのか?
(東京からの人流が原因か?)
南相馬市でも少ないが二人だとしても増えている
宮城県はやはり仙台市で増えてから全体的に増える
あとは大都市の周辺が増えるのは人流のためである
宮城県が増えるのは仙台市があるからだとなる
大都市周辺が多いのがわかる
特急 2時間33分 6,170円
普通電車 4時間5分 3,670円
高速バス 3時間3分 3,450円
車 2時間43分 8,770円
いわき市となると東京圏に近くなる、スーパーヒタチだと2時間30分だとなる
普通電車だと4時間である、高速バスは3時間である
車で高速で2時間40分となる、高速料金は特急より高いのに驚いた
車をもっていないから感覚的にわからないからだ
金の節約のために上野からいわきま市まで乗ったことがある、長椅子でありこれは遠く感じた、でも通勤電車が上野からいわき市まで出でいるのは意外だった
途中で終わるものがあるがいわき市が終点になっているのだ
だから相当に長い区間なのである、ただこれは上野からいわき市までで使う人はいないだろう、でも使うことはできるのである
だから意外といわき市と上野は近く結ばれているとなる
でもいわき市から相馬とか仙台市へ行くとなるとやはり遠く感じるのである
なぜこんなことに注目したかというと自分はとにかく電車の旅が長く交通に興味がある
電車だとと全国でまあ80パーセントくらい乗った感じになるからだ
それで鉄道好きなのである、ただ車がないからここで交通を知るには相当に欠けたものになる
そもそもなぜいわき市が増えたのか?その理由は何なのだとなる
郡山市はわかる、ここは新幹線も通っているし会津へ向かう磐越西線もあるからだ
ここは前から多かった、福島市も多かった、そして郡山市と福島市にはさまれた本宮市も増えた、やはり交通と関係して人流が増えるから増えるとなる
意外と南相馬市も最初の内、すぐ近くで東京のライブハウスに行った人が感染して増えて警戒したがその後南相馬市でもそれほど増えていない
相双地域だと津浪とか原発事故の関係で一時東京などから工事関係で人流があった
その後も除染関係で東京からの人流が増えた、でもそれも一応収まった
ただ原発事故関係の仕事で東京から来る人はある
でもプレハブの工事関係者の宿舎はあちこち建てられたが減っている
だから東京から来てそれで感染しているとも言えない、どちからかというと相馬地域は仙台市との交流が多く人流がある、工事関係者でも他でも仙台や宮城ナンバーが六号線を見ていると多いからである
それで仙台市から増えてこっちも増えるのかと危惧した
でも亘理とか名取とか山下が仙台の通勤圏でも増えていないのである
その理由は良くわからない、相馬市もそれほど増えていないのである
コロナウィルスは人流と深く関係しているという時、いわき市が増えるということは不思議ではない、ただ施設でクラスターが発生して増えた、それは東京とは関係あるともみえない、第一東京から来た人から感染したのかそれを知ることはむずかしい
ただいわき市には上野から通勤列車の終点になっていることは東京圏に近いとなる
それで茨城県も増えたのである、とにかく東京圏の増え方は尋常でなくなったからであるあれだけ増えるとどうしてもその周りでも福島県でも増えてゆく
現代は交通が発達しているから人流をおさえられないのである
だからつくづく都会の密集した生活とか交通の発達とか文明的生活が感染症には弱かったのである
第一江戸時代のコレラでも北前船で新潟に来て阿賀野川が交通となり城のある会津若松中心に広まったからだ、江戸時代のような交通が不便な時でもウィルスは広がるのである
そうなると今はその何百倍なのか何千倍なのか何万倍なのか人流がある
そしたら防ぎようがないとなる、もしその交通を人流をとめると経済も成り立たなくなるそれでかえって自殺したりするとかその方が増えるともなって困るとなる
ただ感染症を防ぐには人から人へうつるのは変わりないのだから人流をおさえるほかないとなる
江戸時代辺りだと隣の村でも交流をあまりしない、隣村から麦つきに来た若い男が蛇だったかと伝説にあり見知らぬ人が交わらない社会だった
そうして隣村すら異国になっていたのである、そこで飯館村の大倉村と佐須村が明治になって合併しようとしたとき民情が違うからできなかった
民情とは何かということもわかりにくいが何か村々で打ち解け逢えないものがあったのである
それができたのは自給自足が基本の生活としてあったからである
これも今と比べると想像できないのである、なぜなら今ならグロ−バル化であらゆるもの食糧でも入ってくるからである、どうして自給自足できたのか不思議だとなるからだ
そういう生活は感染症には強いはずである、それでもコレラが長崎から入り全国に広まったのである
とにかく世界でも中国でもまた増える傾向があるとかなかなかおさえられない
変異株の問題もあるが今回はなかなかおさえこめない、そして人流を抑えられない
すると東京のような異常密集で生活すること自体が問題になる
また交通の発達がいいと見ていてもそれもマイナスに働いたのである
こうして何か人間社会というのはいいと思えるものが悪いものとなる
また逆に悪いと思ったものがいいともなるのである
日本の鎖国が悪いようでも実際はその時朝鮮使節とかきて朝鮮と友好的だったのである
もちろん中国とは関係しないから今のように侵略されるとかの脅威も感じなかったのである、第一世界大戦でも第二次世界大戦でもグロ−バル化した結果として起きたのである
だから老子の小国寡民の思想とか文明否定の思想もいいともなる
それはグロ−バル化世界の反対の思想である
おそらく現代は交通でも流通でも人流でも限界に来ていたともなる
そういう時にコロナウィルスが蔓延して社会を見直す契機になったとはなる
狭い範囲で自給自足が日本の自然的な生活であり世界の果てからでも食糧でも物でも運ぶことは異常だったともなる、その運ぶ労力も大きな負担となるからである
貿易でも江戸時代だったら長崎の出島に限定されていた、それでもウィルスはそこからでも入ってきていたのである
感染症は防げないやっかいなものだったとなる
人間社会の長所と思えるものが短所となる、短所と思えるものがかえって有利になったりする、それは人間自身でもそうである、長所も短所になり短所も長所になる
ということで東京のような超過密の社会は異常でありこれを見直さないと感染症は防げないとなる
皮肉なことは感染症に強いのは隔絶した交通も不便な場所である、江戸時代なら桧枝岐のような秘境である
人流がほとんどないからである、そこではソバとか主食であり本当に自給自足だったからである
第一物も運べないからである、そしたら人流もないのである
江戸時代ではそうだったが今ならそうした秘境にも物流があり車も通うから防げないのである
あとは奇妙なのは引きこもりになると感染症には強い、人と接しなのだから強い
自分でも家にこもり一人としか接していない、だから引きこもりの悪い点ばかり言われるが実は引きこもりにも効用がある
この世で何がいいとか悪いとかならないのも不思議である、悪いとみられるものでも良く作用する場合があるからだ