2021年08月01日

芙蓉、雷、鬼百合(海老浜の漁船と釣り人の写真)


芙蓉、雷、鬼百合(海老浜の漁船と釣り人の写真)


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海に向き芙蓉の咲くや船の行く

揺れる船近くに見ゆや雷鳴りぬ

鬼百合や波打ちしぶき船のゆる

鬼百合や浪打しぶき釣りの人

しぶきあび釣り人あれや夏の海

波ひびき浜通りなれ雷鳴りぬ

雷鳴りて濡れて帰るや自転車に


暑くてぐったりした、それで曇ってきたので海の方に行った
海老の浜に行くと芙蓉が咲いていた、芙蓉というと秋にもなるが芙蓉は広い海にもふさわしい、芙蓉は好きな花である、何か大きくゆったり咲くからである
女性でも性格がいろいろありゆったりとした女性がいるし神経質な女性もいる
それは男性でも同じである、私は神経質なのでおおらかな女性がいいのである
細かいことを言う人にあっていない、それで私の姉はそういう女性だったから良かったのである、でも母は自分と似て神経質で繊弱だからかえってあっていなかったのである
人間はやはりこうして家族に影響を受けやすいのである
夫婦になってもそうである、性格が同じだとかえってうまくいかないとういこともある

漁船がまじかに見えた、かなりゆれていた、それでカメラが20倍とかなっているので乗っている人が見えた、二人である、この船は烏崎港から来たものである
こうして船でも魚をとっているとき人も活きているのである
ただ相当に海で魚をとることは危険である
とにかくこの辺は変わりすぎた、前は松原がありその松影で私は休んでいたのである
その松は全くなくなって風車の風景になってしまった

海老浜の部落は消失した、そこは原になってしまった
鬼百合が咲いていた、そして崖の下で釣りする人がいた、そこはかなり危険な場所である波しぶきをあびる場所である、釣り場としてはいいが危険である
時々釣りして死ぬ人がいる、ただ釣りは生業ではなく遊びだとみられる
でも海はやはり危険ともなう、川でも時々釣りして死んだ人がいるからそれなりに危険だとなる

とにかく突然雷が鳴ったがすぐやんだ、多少濡れたが涼しくなって良かった
今は山の方が晴れている、たいしたものではなかった
雷はパソコンが危険になる、雷で突然停電になったりするとまずいから困る
浜通りは福島県の海側であり海の景色になる
それが普通なのだけど中通りから会津になると山側なのである
この山側の感覚がわからないのである、また山しかみないとなると海のことがわからないただ海側だと海から涼しい風が吹いているからそれほど暑くないから気候的には助かるのである

2021年08月02日

アメリカ芙蓉、鬼百合、ニイニイゼミ


アメリカ芙蓉、鬼百合、ニイニイゼミ

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にいにいの街中に鳴きめずらしやその声聞きて朝を迎えぬ

大輪の芙蓉は花の王者かなとりどりの花囲みて咲きぬ

鬼百合の花十輪大輪の芙蓉を囲み燃えて咲くかな

庭広くアメリカ芙蓉の隠れ咲くとりどりの花も映えにけるかな

駅に咲く芙蓉の花にとりどりの花や乗り降りの人


芙蓉は南国産である、やはりこれだけ大きいと南国産になる、でも北方系では北海道などにシラネアオイとか咲くから大きな花はある
これはしかし色も鮮やかで南国産である、写真のはアメリカ芙蓉である
これが駅前と他の家の庭にも咲いていた
これだけ大きいと目立つ、花の王者にも見える
蓮の類だとするから確かに大きいことで似ている、大きな花は牡丹でもそうである
これも花の王者なのである,カンナなども大きな花でありこれは外の畑などに咲いているのが似合っていた

芙蓉が俳句では秋になっている、でも夏でも映える、夏にふさわしい、この花を中心に様々な小さな花も咲く、中心になる花になる
ただ俳句にするとどうしても芙蓉だと秋になっているからこまる
今日も暑くて外に出れない、朝のうちに写真をとった

駅にもアメリカ芙蓉が咲いていた、でも駅には本当に人がいない、今は何もしていない、できないのである、やはりもっと人が多くないと淋しいとはなる
ただ高校生の見守り役がいて一応駅員にはなっている
高速のSAと比べると人の乗り降りが少なすぎるのである、高校生の通学のためにあるとなっているのがローカル線である
なんか推理ドラマでどこの駅で切符を買ったとか無人駅でおりたとか映していた
それは30年前くらいの映像なのである、なぜなら万博のことを話題にしていたからである

何かテレビのドラマを見ると30年前とかになっていて昔を偲ぶとなる
今は切符でもあまり使わない自動化しているからだ
いちいち切符をはさみで切ったりしない、あれば乗ったという印しだった
今は自動化しているから切符を切る駅員はいなくなったのである
ただ注意すべきは監視カメラで見ている、それで駅長から自分は駅内に入った時とがめられた、無人駅でゴミなどを見ていたからである
意外と無人駅でも監視カメラがあり出入りを見ているのである
ただ30年前となると駅員が人の出入りを記憶していてそれで犯人を探すが今はそういうことはない、自動化しているからである、そしてみんな監視カメラで犯人を捜しているのである

玄関にいたらニイニイゼミが鳴いていた、めずらしいと聞いた、蝉は鳴き始めたがまだ少ない、ニイニイゼミはあまり聞かない、とにかくこれからも暑くなる
コロナウィルスで外に出れないし暑くて外に出れない、夕方やっと出るだけである



2021年08月03日

医療従事者が東京五輪を怒り憎悪している (日本の金メダルラッシュも喜べないー同じことが原発事故でも)


医療従事者が東京五輪を怒り憎悪している

(日本の金メダルラッシュも喜べないー同じことが原発事故でも)

英高級紙「ガーディアン」は、新型コロナ禍の深刻化により日本の医療界で東京五輪に対する「憎悪」が増幅していると厳しく糾弾した

こういう矛盾は混乱状態の中で起きやすい、五輪とは何なのか、そんなことしていれられるのか、コロナウィルスで生命の危険があるときに五輪なんかしていられるのか?
金メダルなど喜んでいられるのか ?
こういう疑問が一番出ているのは医療従事者である、俺たち必死で治療したり看護したりしているのに金メダルラッシュで騒いでいるのが腹正しいとなる
そういうことは平和時だったら見逃される、でも緊急事態になるとそういう人たちは非難される、それは遊びじゃないかとも見られるからだ

オリッピックの意味はギリシャで戦争が絶え間なく行われてオリッピック期間だけは戦争はしないということで始められた、ある意味で神に捧げる奉納として成された
それでゼウス神殿が建てられて立派なのである
つまり祭りの期間のときは戦争はしていけない、神の祭りを汚すからだともなる
一種の聖なる祭りだったともなるからだ
またその時疫病もありその回復を願いオリッピックをしたというのも当時は伝染病のことがわからないからそうなった、人が密集することが良くないということがわからないのでそうなった

いづれにしろ何か人がいろいろ働いている時働かない人にニートとかに不満になるのは
俺たちはこんなに苦労して働いている、真夏の最中でも汗流して働いているのにのうのうと働かずいる奴がいるのはなんなのだと憎らしいとなり憎悪になるのである
今それが医療従事者に起きている、そこでは必死にコロナウィルスと戦っているからである
そういうことは津浪とか原発事故でも起きていた
原発事故の避難区域から大量の人たちが避難して仮設住宅に住んだからである
でもその時ボランティアも全国から集結したが地元の人たちは毎日することがなくパチンコ通いだったのである
それでボランティアが怒っていたというのもわかる、また自衛隊なども必死で働いていたのである、ただ肝心の地元の人たちは避難者は何もしない、パチンコとギャンブルをしていた
そして自分が介護で苦しんでいる時も親戚の人はそのパチンコ屋で働いていたのである
借金のためにそうしていた、その時自分も苦しんでいるから腹正しくなった

何かそれと似たことかコロナウィルスとかオリッピックでも起きているのである
何かと津波とか原発事故と似ていることを書いてきた
それは人間が緊急事態になると普通ではないから変わるからそうなる
普通だったら平和だったら見逃すことも見逃せなくなる、なんで俺たちが必死にコロナウィルスで戦い働いているのにオリッピックで騒いでいる
そのことになんの意味があるのだ、かえって医者と看護師がオリッピックで奪われているともなる

つまりそれほどまでにしてオリッピックする意味があるのか?

それはお祭りであり世界的な遊戯にすぎないのではないか?
何かこうも苦しんでいる医療従事者に見えるので怒りとなるのである
もちろん自分自身も八沢浦のことで報告して叱責された
そこでは死んだ人もいるし泥をかきだして死んだ人を取り出している人たちもいたのに
八沢浦が美しい入江にもどったと報告した時地元でもなんなのだとなる
ただそれはあまりの変化に驚嘆して報告したのである
その時自分自身も介護とか自分の病気で苦しんでいたのである
それはやはり郷土を伝えるものとして記録として残すことに意義があったとはなる

とにかく何かこうして異常事態に緊急事態になるといろいろな問題が噴き出す
オリッピックでもなぜこんなときにするのだろうということが根本的な問題だった
それは政府が人気取りに批判をそらすためにしているとかとも言われるのは当然なのである
一部の人たちの利権者の金儲けのためだとされるからだ、ぼったくり会長のバッハが200万のスイートルームでもてなされるというのもそうである
みんな困っている時なんなのだとなる、こんなときオリッピックをしている時なのか
そういうことがを一番感じているのは医療従事者なのである
それは結局そこで一番苦しんで働いているからそうなる
だからこの辺で津波や原発事故でも同じことが起きたのである
ボランティア来て自衛隊が来て必死に働いているのになんなのだとなる
自衛隊では三人くらい現実に過労死しているからである
要するに緊急事態は平時と違うからそうした矛盾が露骨に現れるのである

だからどうしても日本人の金メダルでもオリッピック自体が喜べないともなる
それで自分は熱心には観ないとなる、それは日本国民だけではない世界でもそうなる
熱中できないとなる、こんなとき一部の利権者のためにオリッピックなどしていていいのかとなるからだ、それが普通の感情である
復興五輪というのも偽装であり何ら復興など福島ではしていないからである,オリッピックと復興はなんら関係ないからである
それでオリッピックをあえて実行したことは後で失敗だったとされるかもしれない
そこで菅首相のもくろみがはずれたとなり猛烈な批判となり政権も危うくなるかもしれない、感染者はますます増えて収支がつかなくなる、一方では金メダルラッシュとかマスコミで騒いでいる、マスコミでは視聴率がとれればいいということでそうなる
何かこうして混乱してきて収支がつかなくなる
ともかくオリッピックは日本が金メダルをとっても素直に喜べないということはアスリートにとっても喜べないともなる
医療従事者にしてみればただ腹正しいというのが理解できるのである

posted by 老鶯 at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

今年も野馬追なし(北郷の旗ー只野氏の旗)


今年も野馬追なし(北郷の旗ー只野氏の旗)

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鹿島区(北郷)に只野の姓は多い、杉が旗印であり多いことがわかる

仁とあるのは同じ系統の親戚なのである,多田部ともあるが本は只野だったと思う


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川の側の保育園の所の新しい家に入った人

どこから来たのか?鹿島の北郷にもこの紋があるにしても他でもこの紋は
多いからわからない、ここには移り住む人が多いからだ
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井形の紋は多い

野馬追いの旗印の由来 (井形と升形の紋ー原町区の古い農家をたずねて探る)
http://musubu.sblo.jp/article/176728425.html

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菊の紋の南朝の旗が見える

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南相馬市の鹿島区の北郷の野馬追の旗の中心は只野氏の旗である
只野氏は郡山の多田野村に由来して霊山の南北朝の争いで鹿島区に落ち延びた
江垂村の小高い山が中館としてありそこに居を構えたのである
とにかく鹿島区は只野氏の町というくらい只野姓が多いのである
電話帳を見れば50軒くらいが只野氏になっている、漢字は違っていても只野氏なのである
その只野氏の中心となるべき人が鹿島の街の中に住んでいた、同級生だったので意外だった、江垂村のお浜下りで重要なおつづら馬という役職を担っていた
荷物を馬にのせて運ぶ役である
街というときあまり古い家はない、後から入ってきた家が多いのである

野馬追というとき旗とか鎧を保存されているのは農家の方だからである
相馬市でも原町市でも街内からはほとんど野馬追いには出ないのである
それで原町が原町村があり一騎野馬追に出ている
雲雀が原はもともと野馬追いの原であり馬を放牧していた
だから原っぱだったのである、街が大きくなったのは常磐線が開通して駅前通りができて大きくなった
戦後雲雀が原とかでも開墾したらしい、鹿島区でも小池で戦争の引揚者が開墾した
そこは街から近いのである、飯館村の辺鄙な所ではない
とにかく仕事がないからそんな不便な所に開墾して暮らしていたのである

相馬藩では相馬市の城下の城勤めする侍は少ない、農業もしていた郷士が多い、その郷士から野馬追いにでる、だから街内から野馬追に出る人はまれなのである

あと目立つのは菊の紋の旗であるがこれは南朝の旗なのである、天皇は明治でも南朝を継ぐとしてあり南北朝の戦いでは南朝についたからである
それで鹿島村に南朝の菊の紋の旗がある、それは菊池氏になっている

ただ鹿島区に北郷から「御家」という旗が出るのは小高の人が原発事故で移り住んだからである、もともと御家という旗は北郷にはなかった
小高は相馬市が最初に拠点をもうけた所でありそれで小高の城跡は古いのである
御家という旗はもともと小高の城があった所にふさわしいとなる
藩というのはなく御家と呼んでいた、御家中となっていた・・御家中のものとしてあった相馬市はもともとは中村であり中村御家中となっていたのである

ヨ−ロッパでも有名なハウスブルク家というときハウスは家でありブルクは城なのである
まさに家と城が一つのものとして一体となっている、もともとは日本でも家が農家が掘りで家を囲んだりして
防衛していたがそれが城に発展したのである、意外と日本とヨ−ロッパの歴史は城があるから封建制だから似ているのである


posted by 老鶯 at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2021年08月04日

福島県のコロナウィルスの感染地図 (人流をおさえないかぎりとめられない)


福島県のコロナウィルスの感染地図

(人流をおさえないかぎりとめられない)

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福島県の感染者数を見るとやはり人口が多い所と交通の要所になっている所は多い
郡山は交通の要である、会津にも鉄道が通り東北線があり新幹線が通る
いわき市も東京から常磐線の通勤列車の終点にもなっている
ただ白河市とか須賀川市が救いなともみる、、南相馬市はちょっと多いともみる
最初は東京のライブハウスに行った人から感染した
交通の要所になっている所は人の流れがあり東京からも来るから感染しやすい
郡山市と福島市とか二本松市とかにはさまれた大玉村などが少ない
人の流れがあるから増えてもいいとも見る
ただウィルスは人口が多ければ比例して増える、それはその通りになっているからだ
白河市は少ないとみる

この地図でわかるのは棚倉町とか古殿町とか阿武隈山中の地域が少ない、棚倉町でも鉄道が通っているとしてもあまり乗らないからである
東北線とか新幹線ではないからだ
郡山市から会津へ行く磐越西線は結構乗るだろう

このウィルスは交通と深く関係している、江戸時代のコレラでも長崎から入り北前船で
新潟に入り阿賀野川を通じて会津若松の城がある所に入ってきた
そして南会津の方に広がったのは会津若松の城のある所が中心になって広がった
南会津の方から会津若松には広がらなかったのである
それは交通の関係でそうなっていたのである、交通が頻繁な所は人から人へうつるのだから感染者が広がるのが普通なのである

ただ古代となると棚倉にヤマトタケルの伝説があるように茨城県から久慈川をさかのぼり棚倉に出る道があり川が道となってそこで戦いがあった
古代になると交通路としてあったとなる、白河市も棚倉町もみちのくに入る関だったのである、それは古代からそうだったのである
その辺は石川とか浅川とか阿武隈山中であり辺鄙な場所だった、そんな場所へ自転車で行って万(よろず)屋があり御飯と味噌汁を御馳走になった、今時そんなことをしてくれる人などいない
ということはそこが辺鄙な場所で昔ながらのものが残っていたとみる
第一万(よろず)屋などはなくなっているからだ、コンビニになってしまっているからだ

草深き山里にあれ万屋によりて馳走や心に残る

とにかくこのウィルスは人流と交通と深く関係している
これをおさえないかぎりどうにもならないのである、だからもう東京とかその周辺とか大都会では人流をおさえることができないから減らすことができないのである
江戸時代のコレラでは桧枝岐(ひのえまた)などは本当に秘境であり人との交流もない
そこでは米が食べられずソバが主食となっていた、本当に辺鄙な場所だったのである
でも尾瀬の観光で観光地になったのである
そういう場所だったら伝染病でも防げるのである
現代とは逆にウィルスには弱かったのである、交通が発達し人流が抑えられない、車でもどんな辺鄙な所にでも行くしおさえられないのである
ただ田舎では一人でも感染者が出ると恐れる、それで近くの人は窓ガラスを割られたとか住めなくなり引っ越したとも聞いた、それは東京のライブハウスに行った人らしい
このように敏感に田舎では反応するから都会よりはおさえられるとはなる
南相馬市でも一時増えたがまたおさまった、ゼロになっている
飯館村とか双葉とか大熊は人が住まなくなった地帯であり感染者も極端に少ないとなる

ウィルスは人から人へうつる

人流をおさえないかぎり感染を止めることができない、ワクチンがあってもこれの効果もまだすべてではない、新しい変異株に対応できていないとか完全ではないからだ
一番の対応は人の流れを減らすことしかないのである
それが現代では一番むずかしいからつくづく現代文明はウィルスには弱かったことが判明したのである
こういう時は引きこもりが有利となる、人と接しないからである
私自身も一人しか人と接していない、今は仙台市にも行っていない、また暑くて原町にも相馬にも行っていない、閉じこもっている
こういう生活はウィルスに対しては安全だとなる

何か人が密集するとか交通が盛んになることにも問題があったとなる
グアム島では観光客が来ないから苦境に陥っている、そういう隔絶した島で自給自足の生活をしていたらウィルスから守られていた、でも外部の人が来ないともう生活が成り立たなくなる、そういうことは他でもあった
現代ほど外国であれ人ととの交流が増えた時代はないからである
それが裏目に出たのである、やはり基本は自給自足でありそれがないと危機の時は生きていけなくなる、ただ交通を止めることはできない、ただ基本的なものとして自給自足の生活を基にしていないとこういうとき困るとなる

福島県会津へのコレラの流行 (伝染病は交通と密接に結びついていた)
posted by 老鶯 at 08:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年08月05日

abstract river and mountain and forest the Great Hall of Nature on the base of LOGOS (POEM)

abstract river and mountain and forest

the Great Hall of Nature on the base of LOGOS
(POEM)

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自然のロゴスの詩

天からの声を言葉(ロゴス)を受けとめる者
天からの宣託を授かるもの
そこは聖なる場である

千歳の岩があり
霊峰の聳えたち
千尋の谷かあり
山々の壁をなし
急峻な崖の阻み
滝が轟きひびく

そこに可憐な花も咲き
神の瞳にその花を目にとめる
そこにロゴスは自ずと成就して
調和の唱和は経文となる
岩に人の顔が彫られ
その口は堅く閉じられる
沈黙の行者のように

かしこ小鳥は美声で歌い
山羊は絶壁をものともせず上り
鷲は崖に巣を作り
鷲は翼を張り獲物をねらう
急流が滝となり轟きわたる
真実の巨木は不動なり
石は心ゆくまで黙しぬ

天からの神からのロゴスを受け止めるもの
荒寥たるシナイ山に上り神よりの啓示を受けし
モーゼは地に民にその戒めを与える
しかし今その地も民もなし
屹立する高い崖のように
ただその聖なる場は不浄を拒否して
自然の大殿堂に神の声は厳かにひびきわたる
天地創造の業はなお太初のまま
その高みに日と星を祭り
神とその奥処に隠りたまいぬ
神の座は今もかしこにありてロゴスの宮を成しぬ

 ロゴスを語り
 ロゴスを生き
 ここにロゴス(言葉)は
 本来の役目を果たす
 不破の如くに結び合い
 ロゴスはここに形成されぬ

山高くデルフィの神殿の石柱のもの寂び
技を競いし場の観客の石の座席は古りぬ
春なお純白の雪に覆われたオリンポスの山々
ゼウスは神々はかしこにありぬれ

天地創造の業よ、今こそ世界は詠われる
ヒマラヤの峰高くそを空より見ぬ
神の栄光は8000メートルの高峰に成る
風雪は厳しく人をよせつけず
なお神は不浄を拒否してそこに住みたまいぬ



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Nature formed by logos

the Great Hall of Nature on the base of LOGOS

Those who receive the voice from heaven as words (logos)
Those who receive the mission from heaven
It's a holy place

There is a rock of ages
The towers of the sacred mountain
There is  deepest vally
high walled with mountains
A steep cliff block
The waterfall is sounding out

Pretty flowers also bloom there
I see the flower in the eyes of God
Logos  certainly performed there
Harmony chanting becomes a sutra
A human face is carved on the rock
Its mouth is tightly closed
Like a silent performer

a bird sings with a beautiful voice
The goat climbs up the cliff
The eagle nests on a cliff
The eagle stretches its wings and aims for prey
The torrent becomes a waterfall and roars
The true giant tree is immovable
The stone will not shut up to your heart's content
Mysterious music can be played here

Those who receive the logos from God from heaven
Climb the rugged Mount Sinai and receive revelation from God
Moses gives the commandments to the people on earth
But now there is no land or human being
Like a rising cliff
But that holy place refuses to be unclean
The voice of God is solemnly sounding the Great Hall of Nature
The work of creation is still the first
Festival of sun and stars at that height
God want to hide in the back of forest and mountains
The throne of God is still here and there and all things form  on the base of
Logos

 Talking about logos
  Live logos
  Here is the logos (words)
  Play its original role
  Bonded like undefeated
  Logos are not formed here

The loneliness of the stone pillars of the temple of Delphi high
in the mountains
The stone seats of the spectators in the competition are very old
The mountains of Olympus covered with pure white snow in spring still
the mighty Zeus  exsist

The work of creation, the world is now being sung
Do look down the high peaks of the Himalayas from the sky
The glory of God will be performed a high peak of 8000 meters
The wind and snow are severe and do t keep people away
God refuses to be unclean
There is highly established residence













ロゴスを語り
 ロゴスを生き
 ここにロゴス(言葉)は
 本来の役目を果たす
 不破の如くに結び合い
 ロゴスはここに形成されぬ

 Talking about logos
  Live logos
  Here is the logos (words)
  Play its original role
  Bonded like undefeated
  Logos are not formed here

現代文明は互いに人と人が理解しえない社会 (無数の職業と見知らぬ人が交わり意思疎通がてきない)


現代文明は互いに人と人が理解しえない社会

(無数の職業と見知らぬ人が交わり意思疎通がてきない)

なぜ他者が理解できないのか?
その理由は職業が違っていると相手をそもそも理解できなのである、人間は何から判断するかとなると職業から判断するからである
外国で「あなたのプロフェショナルは何ですか」と聞かれたときそうである
あなたの専門は何なのですかということでその人を判断する
私の場合は無職だから答えようがなかった
別に現代だから他者を理解できないということはなかった、古代からでもすでに人間は理解し合うことがむずかしかったのである
それで鉄作りする人たちは特殊な人たちと見られて伝説になった
農民などはそういう人を理解することがむずかしくて一つ目とか足が悪いとか妖怪とかに見られていた、神秘的な存在となっていたのである
ただ稲荷神社というとき鋳成り神社であり鉄を鋳る、鉄の道具を作るということでその道具を祭ったからである、農業と道具は不可分な関係にあったからである
農民にとって鉄を作り鉄の道具を作る人は不可解であり神秘的であり謎でありそれで伝説にもなった

木地師でもそれも技術者であり曲げ物とか木の器とか山の奥で作っていたので「椀貸し伝説」が生まれた、技術者はやはりその土地の人でもできないことができるから神秘化されたのである、また天狗や山姥伝説とかでも山の中に何をしているのかわからない
互いに人と人は交わらないからそういう伝説が生まれた
この辺で残っている昔話で隣村から麦付きに来た若い男が蛇だったという伝説が残っている、隣村から来た人もそうして神秘的なものとなっている
それは隣村でも人と人はあまり交わらないからそうなる、こういう社会が江戸時代まで普通だったのである

飯館村の大倉村と隣の佐須村で明治以降に合併しようとしたとき民情が違うからできないとししてしなかったのである、隣の村でさえ理解しえないからそうなっていたのである
それからみると現代はほとんど小さな町でも見知らぬ人と交わる、隣は何をする人ぞとなっている、戦後まもなくと戦前なら農民が多いから何か見知らぬ人はまれである
狭い村内で見知った人たちとつきあい、共同作業していたのである
だからそこは閉鎖的な空間であり容易に他者が知らない人が入りこめる所ではなかった
そういう心性は田舎では村では残っている、よそ者を警戒するからである

何か戦後まもなくでも回りを見ると篭屋とかあれば竹で篭を作っていたとか塗り屋とか漆塗り職人がいたとか大工とか指物大工とか石屋とか何か近間で用をたしていて何をしているのかわかる人が多かったのである
人間は狭い範囲で生活していた、豆腐屋があって豆腐を作っていて近間で売っていたとなる、何か一万くらいの町になるとその人が何をしているかは明確にわかっていた
だから見知らぬ人というのはほとんどいないし交わることがなかったのである
それで戦後十年くらいの体験は貴重だった、第一炭が燃料だった時代だからその炭は地元の木材から作っていたからであり街内でも囲炉裏があったからである
これをふりかえるそれは江戸時代の生活と変わりなかったのである

現代の特徴はとにかく見知らぬ人が多く、近くでも何をしているのかわからないのである30年くらい隣にいる人が何をしている人なのか職業なのかわからないのである
それが一万くらいの町でもそうなのである、それだけ職業の種類が増えてわからなくなったのである、第一農民とかはもう一割くらいしかいないからである
こうして今は田舎だからといって昔のように人情にあついとかはなくなった
それは田舎でも実際は見知らぬ人が多くつながりが希薄化したからである
人間は毎日仕事をしている、その仕事の中でつながりができる、でもあまりにも多種多様な職業に分化したときそのつながもりもなくなったのである
さらにグロ−バル化すると世界のモノやヒトまで入ってくる、まず世界から物は戦後まもなくは入ってこなかった、自給自足が基本でありその土地にあるもので生活する他なかったのである、そういう生活は江戸時代からつづいていたのである
戦後高度成長時代になったときそれが急激に変わったのである

こういうことは都会では東京とかなるとすでに見知らぬ人の中で生活をともにするのが普通になった、電車に乗るにしてもそこは見知らぬ人たちが一緒になる空間でそれで江戸時代から明治時代になったとき違和感を感じたというのもわかる
汽車ができたとことで関所もなくなり一気に遠くに行くことができるようになった
でもそのことは大きな変化でありとまどうことになる、見知らぬ人とか見知らぬ世界に行くことは不安にもなるからだ
だから古代でも

山科の 石田の社の
皇神に 幣取り向けて 
我は越え行く 逢坂山を

未知の世界に出る不安があり幣を取り向けて行くとなる、これが人間の心情であり理解できる、むしろこれだけ見知らぬ人と交わる世界は人間として普通ではない、異常と感じてしまうのである、絶えず見知らぬ人と交わるのが常態化しているからである
異郷になるとやはりそこにどんな危険がひそんでいるかわからないからである
コロナウィルスのように疫病が常にあり恐れてもいたからである
現代とは例えは東京の通勤電車でも見知らぬ人がぎゅうぎゅう詰めになって運ばれる
その人たちはみんな見知らぬ人なのである、何をしているのかもわからないのである
そういう生活をしていればそれが当たり前となるが人間として異常なこと異様なことともなる、なぜなら江戸時代にはそんなことはなかったからである
長屋があってもそこで見知らぬ人が浪人など来て住むとかあるが実際は一つの長屋から別な長屋に移ることはなくそこでずっと知っている人と暮らしていたのである
見知らぬ人が交わるような江戸でもそうだったのである
おそらく見知らぬ人とは無宿人となっていたのかもしれない、そういう人は宿なしでありどこに住んでいるのかもわからないから犯罪人にもされていたのである

なぜこんなことを語るのかというと文明とかグロ−バル化社会というのはそもそも見知らぬ人と交わる世界でありそれが世界的に拡大した世界である
外国人こそ見知らぬ人であり理解できない人だからである、言葉さえ通じないからであるでも田舎でも中国人とかベトナム人とかネパール人とかいるのである
それこそ理解できない人たちなのである、こういう社会では何か人間の間で摩擦が起きやすい、要するにもう共同体というのがないのである
様々な職業の人がランダムに交わりカオス化しているのである、そもそもこうして現代は他者を理解しにくい時代なのである
一見広く交わり知らないことでも知るということでいいことのようにみえてその反面マイナスの面も大きいのである
それは人間の精神の安定性が喪失したことなのである

つまりグロ−バル化となると村でも田舎町でも実はその中に組み込まれる
物流でもそうであり炭を燃料としていたものが石油となるときその石油は中東とか遠い外国から輸入する、石油無しでは日本は破産するとまでなっているからだ
でも石油なしでもこれまでは生活できていたのだからそれで破産することはないのであるでも電機がなければもう暮らせないとなる、それで原発でも電気を作るからそれが最も大事なものなり大事故になり故郷にも住めなくなったのである

人間のアイディンティティは狭い範囲で作られて来た、ギリシャのポリスでも一万くらいの規模でありそこで民主主義の起源があり投票で指導者を選んだとなる
日本だと村の規模でアイディンティティが作られて来た、それは500人くらいだとなる、そもそも人間が顔を見合わせて関係を作るのはそのくらいの人口なのである
もう十万とか百万とかなったらそれは見知らぬ人たちの集合であり何かアイディンティティを作ることはむずかしいとなる
ヨ−ロッパの中世の都市でもフィレンツェでも五万くらいなのである
ヨ−ロッパのアイディンティティは小さな都市でありシティズンシップが形成された
それでパスポートにはシティズンシップとして都市名が記すのである

それは今の百万とか一千万とかの大都会ではない、そういう五万くらいの都市からルネサンスが生まれたことは驚異的だともなるが反面そういう狭い世界だからアイディンティティが形成されたとなる
文化とはcultureはcultivateでありその狭い範囲内の土地を耕すことが生まれている
文化とは例えば農作物でもその土地の名を印したものが多数ありワインでもその土地の名がついているものがある、基本的にその土地でとれるものが文化となる
だから土地をもたないものには文化は生まれないのである
文明と文化は違う、でも文化こそ基本的なアイディンティティを作る場所だったのである

江戸時代なら500人くらいの単位の村がアイディンティティを作る場所でありみんな顔見知りの人たちだったのである、だからそこに見知らぬ人など入りこめないのである
それで商人は村の中に受け入れてもらうために苦労したとなる
そして不思議なのは神社で市がたったがそこは無縁の場所として特別に設置されたのである、無縁だということはよそ者が無縁の人でありそこで自由に商売できたとなる
無縁のよそ者が特別に入ることが許されたの神社の市だったのである
そもそも神社となれば土地の祖先とか神を祭るのであり無縁の人は入れないのである
現代では逆に無縁社会になっている、膨大な人が大都会に集まっても無縁の人達であり
そこで孤独死などが必然的に起きて来る
ただ大都会だけではない、田舎でもすでに石油でも様々なものが外国からでも入ってくるのだからグロ−バル化して人間関係からすると見知らぬ人が交わる世界になっているのである

こうして現代の異様性が作られて来た、異常なことが異常でなくなり常態化する、見知ら人と交わるのが普通でありそこに抵抗感はないのである
そこからナチスが生まれたというとき何かつながりが得られない、そこで一つのものとして連帯を求める、それがナチスであり大衆は一体感を感じて膨大な人間が死んだのであるユダヤ人の迫害があったとしてもガス室に送ったとしてもそういう人種差別だけでない
現代文明の異常性が異常を産んだともみる
それはピカートの本でも指摘されたしまたマルクスの思想でも貨幣が神のようになるとか人間が物化して疎外される世界を指摘した
どうしても物の交換とか物流は世界的にでも広がり安い、物なら抵抗なく受け入れられるでも人間が移動してきたり移住するとなると全然違ったものになる
人間が理解しあうことが強いられるからである、物を交換するのとは違ってくるからだ
外国人労働者でもそれは背後にその出身の国を背負っているし文化も違っている
単なる労働力として受け入れることも実際はむずかしいのである

人間は物ではないし人間一人でもそのバックに国を背負い国の歴史を背負いとかアイディンティティがありそこでロボットのように働かせることはむずかしいとなる
現実に低賃金で働かせられて日本人を恨んで帰る人もいるからである
グロ−バル化とは人間同士がグロ−バルに交わりいいこととされてきた
でもそれが全部はいいとはならない、そのマイナス面が大きくなってきたのである
それがコロナウィルスでもそのことが大きな問題になった
なげならウィルスは人から人へうつるのだから人流を減らすほか防ぎようがないからである、だから必ずしも人がグロ−バルに交わるのはいいとはならなかったのである
ただ文化の交流は必要である、日本だっから海に囲まれているから中国から漢字でも取り入れるとかは必要だった、ただその時文化の交流であり日本に外国人が住むということはなかったのである、その前の古代にはあったにしろ日本国家が形成されてからは無制限に外国人を入れることはない、国家ができて国家を維持するためにそうなった

いづれにしろ現代文明の問題はあまりにも無数の見知らぬ人によって交わり作られる社会である、選挙にしてもだから一票を投じてもその人の顔など見えない、10万とか百万の票を得なければならないとなる一人一人の顔をなど見えないのである
ただ市町村議会選挙などはかえって一人一人の票が重くなり一人一人の顔が見えるともなる、こうして巨大化した大衆化した社会というのは様々な問題を産んでいる
選挙にしても半分が投票しないとしたら機能していないのである
それは数が多すぎるからそうなる、地方の市町村選挙だったら一票が重くなるから顔が見えるとなる
現代とはともかく広域化とかグロ−バル化とか社会の単位が拡大してそれで社会をそのものを理解できなくなったのである、そして人間が理解する範囲は実際は顔と顔を見合わす狭い範囲でありそれが現代のようにどこまでも拡大化するとただ人間は数字になるのである、統計的数字なのである
そうしてコロナウィルスでも感染者が数字て示すけど3000人になった5000人になったとかなっても危機感を感じない、それより隣の人が家族が一人感染者になって苦しんだということが実感になる、つまり人間の感覚は狭い範囲でしか実感できないのである
そもそも中国が14億人いるとしてその社会を理解できるのか?
実感できるのは顔を知る人の話であり実際はわからないのである
それはアメリカでもそうだし外国となると余計にそうなる

そこに大きな誤解が生まれる!

それが戦争にもなる!

現代の問題は広域化グロ−バル化して見知らぬ人が交わる世界でありそこで互いに理解しあうことが実際は不可能になっているのである
ある時問題が起きる時コロナウィルスでも原発でもそうして互いに人と人がまず理解できない、感染症の専門家と政治家とかでも意思疎通がそもそもできないとかなり混乱する
原発でもそうだった、そこに働いている人は地元の人にとって理解できない人である
秘密のベールに隠された人たちである、原子力の専門のことを言われても理解できないからである
こうして理解できない見知らぬ人が交わる世界は何か大きな問題が起きると意志疎通がそもそもできないのだから収支がつかなくなる、混乱するだけだとなってしまうのである
そして遂には文明自体が自壊するともなるのである、それはバベルの塔と同じなのである文明とはバベルの塔なのである、天に達するような摩天楼を作ってその下で人間は無数の職業と専門家に分かれ意思疎通もできなくなるバベルの塔は崩壊する
原子力の言葉とか法律の専門用語とかそして外国人とも言葉が通じないとかなりカオスとなり世界が一つになるところではない、かえって分断されるのである



2021年08月06日

オリッピックはつまらない


オリッピックは観てても面白くない

(記録には限界があり意義も見いだせなくなった)


オリッピックが日本でやるにしては見ててもたいしてつまらない、また意義も見いだせない、例えば百メートルでももう記録は限界である、ホーガン投げでも世界記録が出たとしてもわずかに伸びたとしかない、いづれ世界記録は出なくなる、限界なのである
そもそも人間の体力には限界がある、いくらスーパースターが出ても限度がある
そしてその世界記録が人類にとって何か意味があるのかとなると見いだせないのである

日本のどこの神社にも力石とかある、比べ石とかあるのはその石を持ち上げる力持ち男が人気になり女性にもてる、農業社会となると力ある人が強い人が必要であり社会にとってもそうだからもてるとなる、戦国時代だったら強い人間がもてる、それより強い人間が武力が支配者になる
そういう社会では力の強い者が社会にとって選ばれた人でありエリートになる
スポーツがそもそも戦争を起源にして生まれている
円盤投げであり槍投げであれ砲丸投げであり敵を殺すものとして始まったのがスポーツとなった
だからアレキサンダーがインドに攻め入り戦象に苦戦した時、槍を投げて象を操る人も殺した、また長槍で戦いを有利にしたとかある
つまりスポーツの起源は戦争だったのである、戦争という命がけの戦いがスポーツになった、それは日本の武道でも同じである
ただ命がけの戦いとなれば真剣勝負となれば今の様なゲームとして観るのとは違ったものになる、それで観る方からするともっと激しく戦いとかなる
それでローマになると剣闘士の命がけの戦いになりそれが見世物になったのである

これは観る方でそういう刺激的なものを求めたからである、やはりこういうオリッピックでもスポーツでも時代が繁栄している、時代の影響をまねがれないのである
その時代の社会がどういう価値観があるのかということである
明治時代になれば侍はいなくなり刀も無用化する、武の時代ではなくなる
それは戦国時代が終わるとすでにそうなっていたのである
明治時代になれば侍がいなくなり侍は官僚になり事務能力にたけたものが必要になる

現代ではどうしても未だに槍投げとか砲丸投げとか円盤投げとかしているのか?
それもわからないのである、そんなことをつづけてどうなるのだとなる
それはギリシャで紀元前7世紀にはじまったことでありそれをつづける意味があるかともなる
そして筋肉むきむきの力持ちなど現代では価値がないのだ、何かそういう人はかえって野蛮にも見える、現代が要求されているのは知性であり知識である
だからこそ知性の競争になっているのが世界である、知性は技術の競争にも現れている
どれだけ科学技術で優勢になるかの知性の頭脳の世界的競争なのである
そして人間の体力にはもう限度があるオリッピックでもでも世界記録は限界に来ている
でも知性とか頭脳の開発はきりないのである、技術でもやはり限界はまだないとなる
様々な分野で技術開発はされているから人間の体力に限界があっても技術にはないとなる

コンピュターなどは本当に人間の頭脳の代わりになり知識を知性を拡大したのである
インタ−ネットでも駆使すればたいして能力がなくても何か専門的なことにも通じて素人学者になったりする、私の場合は絵の才能などゼロなのにコンピュターのソフトの操作で抽象画を切りなく作りだしていることもそうである
ただ無数の写真があり絵がありそれをソフトで変化させているだけでも創作になっているのでやめられないとなる、つまりコンピュターがもともと才能がなくてもその才能を付け加える役割をしているのである
何か文章を書くにしても一つのキーワードから関連するものをつなぎあわせるとそれが一つの論文のようにもなるのである、要するに知の分野ではコンピュターは相当に寄与しているのである

だからインタ−ネットになると知のオリッピックのようになっているのだ
10人くらい私の抽象画を外国の人が見ているというときもそうだし様々な知の分野で世界の人たちが競うというものもオリッピックと似ているのである
体力を競うオリッピックには限度がある、今や人間の体力を評価する人はいない
比べ石とか力石とかで競ってもそんなものに関心がないのである
そんなもの機械で持ち上げればいいとなるからだ、すると機械を作る方が優秀であり注目されるのである

もうオリッピックをすることに意義を見出せない、結局一部の利権者の金儲けのためだったということが明らかにされたのが今回のオリッピックである
でもそのショーにしてもつまらないとなった、観る方でもつまらないのである
こんなことに莫大な金をかけていることが馬鹿らしいとも見る
世界の平和の祭典とかにもなっていないのである
するスポーツなら別にそれぞれが熱中して励むことはいい、また別にスポーツは観るスポーツでないなら必要なのである、心身を鍛えるものとして必要なのである

でも観るスポーツは必要なくなったのである、そこに意義も見いだせないのである
だから世界的祭典として観るスポーツとしてはもう何か見ていても面白くないとなり
その意義も見いだせなくなり今回の東京オリッピックを境に世界でも関心がなくなる
オリッピックはもう終わるのではないか?
そもそもコロナウィルスで苦しんでいるときオリッピックをやるべきではなかったとなるギリシャのオリッピックはその時代に意義があった、でも現代ではそうした意義は見いだせないのである、世界平和に貢献するということもないのである
オリッピックは観るスポーツになると魅力がなくなったのである

今娯楽として面白いのは歴史に興味があるから世界の歴史の時代劇である
最近見た、ポロス 古代インド英雄伝 とかオスマン帝国外伝 愛と欲望のハレム 
は面白かった、勉強にもなった、なかなか外国というのがわかりくいけどこうして連続ドラマ化すると興味をもつ、日本でもNHKの大河ドラマが人気になったようにである
ただ今のNHKの大河ドラマはマンネリ化してつまらないから見ない
それは脚色が多くて歴史の真実を示していないからである

「力石と文化財ー4(茨城県常総市,一言主神社))」  日本歴史と雑事記録


posted by 老鶯 at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年08月07日

金に追われ金に狂う社会 (他人は金からしかみない、死んでも金である―経験した実話)


金に追われ金に狂う社会

(他人は金からしかみない、死んでも金である―経験した実話)

人間の不思議は他者になると何を見ているのか?
その財産とか金しかみていない、他者は死んでも何の関心もない、近くで死んでもただ死んだのかで終わりである
ただ近くだと多少は身近だから驚きその人のことをいたむとか考える
でも遠い他者となると死んだのもわからないし何も考えない
他者になると家族でない者をどうみているかとなるとその人の財産と金しかみていない
その財産と金の分け前を得たいとしかなくなる
他者とはそんなものである、だから他者が弱ると襲ってくる
動物でも子供はが弱者であり餌食になる、子供が一番弱いから襲うのである
私がここ十年とかその前でも経験したことは人間が求めるのは金しかなくなったということである

それは一応身内の兄が交通事故で突然死んだことである、その時事情が良くのみこめなかった、何かトラック会社に勤めていた社長が盛んに世話したといい、そのことを盛んに言っていた、死体はその社長の家に一時安置したからである
でも骨を渡さないとかお前はなんなのだとか盛んに言われた、確かに兄に対しては私の家では良くしなかったしそれで負い目があり言われてもしょうがないと思った
それで自分自身はかかわったにしろすぐめんどうだから帰った
母と親戚の人は残って処理した、でも骨をもってゆくと言ったら返さないと墓を作ってやるとか何かいろいろ言うのがわからなかった

何が起きたのか突然のことで理解できなかった、その社長は保険金をとる代理人になりたい、保険金をとるためにそう言っていたのだとわかった
だから世話したとかなんとかいろいろ恩を着せる、つまり乞食のようにして来たということとか世話してやったとか言っていたのである
でもなぜ骨など置いて墓まで作るようなことをしようとしたのか?
そんな手間なことや金のかかることをしようとしたのか?
それが理解できなかった、手厚く葬るためにそうしようとしたのか、何かわからなかったのである、そんなことをしていたら金がかかるからだ
それで後でわかったことは交通事故の保険金を欲しいためにそんなことをしていたのである、つまり親戚でも親でもいないと見ていたのである
そして自分自身は引きこもりであり車もないから自賠責とか自動車保険のことがわからなかったのである,一緒に付き添った親戚の人が車をもっていたので教えられてわかったのである

ともかくこのことをふりかえると確かに兄を運転手と雇った時、同情したことがあったのかもしれない、兄も助かったとかなっていた、なぜなら市営住宅から借金で追い出されていたからである、どこにも行くあてがなく運送会社に行ったのである
ただそこでは別に無料で助けたわけではない、トラック運転手として雇ったのである
結構働くので重宝がられたと仲間から聞いた
だから雇う方でも働いてもらうのだから助かっているともなっていたのである
もし乞食のようにして来たというならそんな待遇をしないだろう
でも死んだとき何か豹変した、保険金のことを知っているからだ
その金を代理人になり得ようとして墓まで作ってやるとか骨は渡さないと頑張ったのである
ただなぜそんなことをするのか私も母も車をもっていないしわからなかったのである

そしてその後も弁護士を頼むと言ったら怒り絶対に骨を渡さないとかなって困った
なぜそんなに骨とか墓にこだわっていたのか?それが何なのかわからなかった
それは保険金を欲しいためにそういっていた、代理人となり保険金を相続するためにそう言っていたのである、ただ雇い主には法律的にはなれない、現実に母がいたからである
母にしても兄には負い目がありトラック会社の社長の言うことに逆らえないことがあったそこをつかれると弱いからである、でも法律的には社長には相続の権利はなかった
ただ社長と兄の関係がどういうものかわからなかった、結構仲良くして働いていたのだろう、でも交通事故で死んだ時、豹変した、保険金のことを知っていたからである
そして兄にはそうした親戚とか親とかいないと思っていたからである
とにかく頼んだ弁護士はなにもしなかった、

ここでもめて弁護士を頼んだのがその弁護士もまた金をとるだけの人だったのである
相談するだけで百万を払いといわれて自分の家で払ったのである
その頼んだ人も何か社会のことをわからなかったのである、仙台市で知り合いだったというが相談するだけで百万を事前にとることなどありえないのである
何万かは相談したらとる、何もしないの相談だけで百万とることはありえないのである
また払う必要もなかったのである、そこで払う方も馬鹿だったとなる
なぜなら払う必要もないしそんな金をとるなら別な弁護士に相談すればいいことにすぎなかったのである
何か休業補償とかなんとかありその書類を渡さないと苦労させられた
その交渉したのは保険金を払う会社の人であり弁護士は何もしていない
だから弁護士もこうしてただ困った人から相談を受けて金をとるだけの人もいる
弁護士は何かこうしてもめごにからんで漁夫の利を得るような商売にもなる
でも百万を何もしないで得たのだからいい商売にもなる
その親戚の人は死んだ、何かトラック運転手の社長のことを最後まで信用していたのである、そんな悪い人ではないとして信用していたのである
その人は社会のことを知らない人だったのである、もちろん自分自身もそうである
社会を知らない人はそんな悪い人がいないとみる、その人もそうだったのである

それから今度はその兄の娘がいたが交通事故で両親はその前に離婚していた、そこで死んだ時、その妻の実家に引き取られたのである、その養育費は保険金から出された
でもその娘はその妻の実家の兄の家からでて東京に住むようになった
そして父の保険金で暮らしていたのだが金使いが荒く金がなくなり生活保護になった
娘が一人生まれていたからそれで長い間暮らしていた
ただ母は死ぬ前にその孫にあたる女性に何百万やれと大声で私に言った、母は本当に孫のことを思っていたのである、でもその孫娘はただ金のことしか見ない
それがわかったのは私の家の墓に兄の墓を作ったから墓参りしてもらいたいと言って10万送った、その孫娘はいつも金がないから送ったのである
でも墓参りには来なかった、金が欲しいだけだったのである、そうして実の親の縁も切れたとなる、親の縁も金の切れ目が縁の切れ目となった
だから母が孫娘を本当に思っていたことなど関知しないのである
その孫娘も金が欲しいということしかなかったのである
ただ親からひどい目にあったのだからそうなっても仕方がないともなるが何か悲しいとなる

それから今度は私の家族の介護で苦しむようになった、それも親戚といっても兄弟とかではないから結局金を要求されるだけだった、一人は事業に失敗していて多額の借金をしていて人のことを思いやることなどできない人だった、だから何かするにも表立っては言わないが金を要求していたのである、でも百万はくれたのである
今度はその時、原発事故があり小高の人が仮設に避難してきた、そこで何もすることがなくパチンコとかギャンブルに興じていたのが小高の人たちだったのである
そして南相馬市では鹿島区は30キロはずれて補償金は一人70万で終わった
医療費は半年で打ち切られた

でも原町区と小高は十年も医療無料高速無料でありさらに期間が延びた!

これも信じられないとなる、せめて南相馬市なのだから医療費とか高速は無料にして同じにすべきだったのである、こうしてここで延々と補償金でもめて分断された
飯館村でも補償金のことでもめて分断された
また介護中に家を留守にして金を奪われたとか延々と金の問題が次々に起きたのである
それは今でもつづいている、金に困窮した人がやはりせびるとかあり払っているからである、その金は大きくはないから払っている

とにかくこうしてここ十年以上延々と金の問題が起きている、金、金、金である
親戚でも付き合いなの女性だったがその女性は母親を介護している所に来て
「ばあちゃんは金があるんだから金でめんどうみてもらい」と血相変えて去っていったのである、子供の時一回くらいしか合ってない人だからしょうがいなとなるがそれでも信じられないとなる、その人は金には困っていないのである、何かと金が遺産とか入る人だったのである
でも実の親ではないが長く一緒に生活した親が病気になったときやはり私の家と同じように何のめんどうもみない、それで最後に私のところに電話かけて「ひどい娘だわ」と言って白血病ですぐ死んだ、すぐ死んだから良かったとなる、とても娘は介護などできないからである

こうして延々と金にまつわる金、金、金で問題が起きていたのである
これは特殊な例かとなるとそうではない、今の世の中はこうして金、金、金しかないのである
それはあらゆる場所でそうであり金を求め金に追われ金に狂う人たちがほとんどなのである
みんな金に狂いもう人間としてのモラルも消失している、金にさえなれば何でもいいとなる、遂には金のために人を殺すとまでなる、現実に心ではそうなっている
他者など死んでも関係ないしそれより死んだ人の財産が金が心配だとなる
家族の死はいたみ悲しむが他者の死はただ一人この世から消えるだけだ、数が一人減るだけだとなる、それより金と財産があればそれが欲ししとなるだけである

もちろんここには自分の家のカルマがあり自分自身にも問題がありそれがカルマとなって苦しみとなって現れたのである
必ずカルマは家でも個人でも現れ清算を強いられる、それは苦しみとなって現れるのである
ただこうしてすべてが金になっている、金てすべてがもめている、
そして最後は肉親ですら「金の切れ目が縁の切れ目」で終わっているのごこの世だとなる

雲の峰の俳句十句ー夏の雲の写真(虹がかかっていた)


雲の峰の俳句十句ー夏の雲の写真(虹がかかっていた)

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夕蝉や原町までや一走り

あらぬ方夏の雲湧き四方望む

夕日さし虹たち映えて雲の峰

六号線夕日に虹たち雲の峰

雲の峰たちまち消えてまた湧きぬ

今日いくつ競いて湧きぬ夏の雲

精一杯今に生きむや夏の雲

大空に雄峰いくつ夏の雲

涼しさや夜風を受けて走るかな

鮎上る流れや遠く雲の峰

雲の峰崩れてさらに大きかな



今日は夕方ひさしぶりで原町に行った、暑くて行けなかったが夜は涼しいから行った
最近は夏の雲を観察して写真をとっている、いい写真を撮るには常にカメラをもっていないとシャッターチャンスを逃す、一瞬一瞬風景は変わっているからだ
特に夏の雲は変わり安いのである

原町に行く六号線の坂を下る所で大きなキノコ雲がでてそこに虹がかかっていた
何かこれはめずらしい、雨が降ってこの虹がかかったとも思えない
なんでここに虹がかかったのか?
虹を研究して地震と関係づけた市井の学者が虹から地震を予知した
これは何なのか?地震と関係あるのかとなるとわからない
ただいい虹である、大きくはならない虹である

ともかく今日はなんとか原町に行けてよかった、やはり買い物があり原町に一週間に一回くらきは行く必要があるからだ、ただこの電動自転車は荷物をのせるには苦労している