2021年07月23日

のうぜん、夏の海、黒揚羽ー右田浜に釣りの人(エイとコチを釣った)


のうぜん、夏の海、黒揚羽ー右田浜に釣りの人(エイとコチを釣った)

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こちをつりあげる

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津波にも残った右田の木ー後は何も残らなかった



のうぜんや我が家栄い幸分けつ

夏の雲海に湧くかなひびく波

夏の海エイの子どもを釣りにけり


ノウゼンの我が家を飾りあまたかなまた一輪の今し散るかな

夏蝋梅高くも伸びてその葉陰ノウゼンの花からまり咲きぬ

朝静か黒揚羽一羽舞い入りぬ石の黙して引きこもるかな

我が庭に一羽とまりて黒揚羽休むもよしや石は黙しぬ

津波後三本の木の残りけり十年過ぎても離れざるかな


ノウゼンが今盛りと咲いている、我が家は栄えた、二代でも栄えた
残されたのは自分一人でも栄えた家である、そこには犠牲があった
不幸もあった、でもなぜかこの家と家族で育てられて自分はたいして才能もなかったが
才能を個性を出すことができた
おそらく一人の人間の才能を開花させるには親は犠牲にされるとなる
また次代のものを育てるために親は犠牲になる、だから一代で栄えるのはむずかしい
あまににも貧乏では才能を開花させることはできない
辛い仕事で余裕もなければできない、それで才能を開花せずに終わった人も多いのである才能といっても生まれつきなにかあったとしてもそれを開花させる環境なかったらできないのである
何か自分は特別恵まれていたのである

そこであまたノウゼンが我が家を飾り咲きその幸を分かつとなる
これが咲くときは野馬追いになるが今年も中止になった
夏蝋梅は茎が高く伸びて広い葉が覆う、そこにノウゼンの花が蔓が伸びてからまり咲く
いかにも夏らしい風景だとなる、狭い庭でも庭を楽しめる

ただ黒揚羽が舞い入り石は黙している、そのように自分も石のように黙して引きこもる
それが長年の自分の生活だったのである、そこで引きこもり時代のようになったがそれは自分にはふさわしいのである、でも家族に恵まれたからそんな生活をできたとつくづく家族を全部失って感じたのである
今は全部自分でしなければならなくなったからである、家事を全部やることは手間だからである



エイの生息分布は北は北海道南部から南は東南アジアまで、広い分布域を持ち、日本を含む東アジア地域位生息しています。 浅い海の泥や砂地を好み、特に幼魚では海水浴場の浅瀬や川の汽水域にも生息していることがあり、海水浴場に遊びに来た人や潮干狩りに来ている人は遭遇するかもしれません。

エイの釣り情報 釣り場 5月から10月にかけて広い時期に釣れる。

エイは群が集まる河口の周辺で釣るのがおすすめで、エサとなる底生動物が溜まる淀みの部分や消波ブロックの周辺などを狙うのが狙い目です。 釣り方は仕掛けをポイントに投げ、置き竿であとは狙いがエサを食べるのを待つだけです
https://kurashi-no.jp/I0012414

まず「カスベ」はエイに良く使われる名前で、魚のカスっぺというところが由来です。なんとも悲しい名前ですね…。

また「スベスベ」というのはそのままで、鱗が少なくて触った感じがスベスベというところが由来です。
https://aquariumpicks.com/deep-sea-ray

「大言海」には、『昔の公家などが正装した時に手に持つ細長い「手板」を「笏(こつ)」といい、今も神官が儀式の時に用いている。魚形が「笏」に似ているところから訛ってついた。』とある。

ガラゴチ(瀬戸内)・・・・「ガラ」は「瘡(かさ)」の方言で、体皮の粗雑なことを言う。この魚の鱗が堅くカサカサしているこ
              とからの呼名。
ゼニゴチ(長崎)・・・・・・銭瘡ゴチの略称で上記と同様。
ヨゴチ(富山)・・・・・・・・「ヨ」は「エ」の転で「善」や「吉」の意。ヨゴチとは上等のコチを呼ぶ。
ムギメ(四国)・・・・・・・・麦の穂の出る晩春初夏に旨い魚の意で呼ぶのであろう。

    11月頃になると瀬戸内海の水温も20℃を切るようになる。春に20℃を越すのが6月なので、陸上での季節感とはややずれたものがあるが、魚たちにとってこの20℃前後が暮らし振りに変化をもたらす温度帯である。
    
    コチの頭は嫁に食わせ・・・・・・棘だらけで食べるところがないコチの頭を食べさせて、にくい嫁をいびるという意味。
コチの頭には姑が知らぬ身がある
                ・・・・姑はコチの頭だけ与えて嫁をいびったつもりでも、実はコチは頭部にある頬肉がカサ
                   ゴなどと同じで一番旨い。どんなにつまらなく見えるものでも、よく探せば捨てがたい、 価値があるというたとえ。


                   
                   
今日夕暮れに右田浜に行ったら10人以上の人が河口で釣りしていた
波が寄せる場所でも三人とかいたし多かった
最初にマスクしろとか言う人がいた、ここでマスクをしろというのも何なのかとも思ったマスクをしていたが鼻までしていなかったので隠せとなった
他の人別にマスクをしていないのである
ここに来ているのは福島ナンバーだから遠くからは来ていないのである

最初に出会った人はエイを釣っていた、それも小さいから子供である
ここでエイがとれるのかとめずらしかった、エイで調べたらこれは実際は北海道まで結構とれている、北海道の方が水揚げ量が多いのである
ただこれは水温が上がるとやってくる、あたたかくなるとやってくる
魚は回遊していて水温かあたたかくなるとやってくる魚がある、釣りの時期として5月頃から夏がいいというのもそのためである

次に寄ったのが郡山の人でありハゼを釣っていた、私がいるときも一匹釣った
これはどこでも釣れる、この人はエイを下流で釣ったと言っていた、大きいものだった
エイは結構いるのである
またウナギの小さいものを釣ったとも言っていた、ウナギがまだいるのかと思った
天然のウナギなどいなくなったと思っていたからである

私は前は浅瀬でしじみをとっていた、津波の後に浅瀬がなく上流の方でしじみをとる人がいた、ただ前とは相当に川が変わったのでしじみをとる人はあまりみかけない
しじみはスーパーで買った、地元でとれればいいがそれもできないのは淋しいとなる
この人は郡山市から来た人だった、釣りを始めて十年だという、小名浜とかにも行っているという、ここに来ているのは地元の人でない、福島ナンバーで中通りの人がほとんどである、中通りには海がないから釣りのために海に来るのである
そして浜風が涼しいから魚はつれなくても気分いいとなる
ただ右田浜の松原がなくなり高い堤防になり家もなく風車になった
あまりにも変わりすぎたのである、昔の面影は何もなくなったのである
その人はそういう光景を知らない、ということはここには釣りに来たことがなかったとなる

次に波を寄せ九方見たら一匹の魚を釣り上げて車の方へ向かう人がいた
その人の所に行き魚を見たらこれはコチだという、、その魚をはじめて知った
意外と海側に住んでいても魚ことや海のことを知らないのである
そして魚の種類が多すぎてわかりにくいのである
魚の生態もわからない、地域によって呼び名が変わるというのもわかる
同じ魚でも地域によって変わる

今日はオリッピックの開会式だけば見ない、NHKでも最近ほとんど見ていない
何かオリッピックには興ざめしたからである、そんなもの見る価値もないともなった
それは世界中で起きている、もうオリッピックは今までのように見ないと思う
一部の利権であり利益のためのオリッピックだったことが可視化されたからである
それが極端だったのである、オリッピックがこんなに汚れたものだとは思っていなかったからだ
今や関心あることは分散する、今日は海岸に行って釣りの話を聞いてそっちの方が面白かったとなる

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無意味化したオリッピック


無意味化したオリッピック

(膨大な金の無駄使いと化した-意味が問われる時代)

オリッピックにも莫大な金が日本の税金でも使われた、それは原発ともにていた
原発は除染でも何兆円とかこれも効果もさほどないのに湯水の様に使われた
オリッピックも国立競技場とか施設を作るにしても莫大な金が使われた
そして開会式でも無観客だとなるからそれだけ金をかけた施設も活きてこない
盛り上がらないのである

だからそれだけの金と労力をかけたものが無駄になる、活きないのである
するとそのためにゼネコンにかけた金とか労力でも無駄になる
その労力にしても莫大なものとなるからだ、国家的事業だからである
確かにゼネコンにとっては利益となった、それは原発の除染でもゼネコンが入ってきて
利益を得たからである、それも実際は効果があったかとなるとそうでもないのである
それは徒労のようにさえ思えた、なぜなら森などは除染できないからである
だから除染はいくらしてもそれは全体からすれば一部にすぎないのである

何か最近問われているのは莫大な金をかけてもそれが有効にならない、施設を作っても
有効にならない、飯館村では学校を作るのに何十億かけて施設も作っても肝心の村民は若い世代は流出して住んでいない、生徒は村外から通っている、生徒5人に何十億かけているとか言われた、つまりそうして箱ものを立派な施設を作ってもそれが活かされていないのである
それがオリッピックにも言えた、無観客とは校舎が立派でも生徒がいないと同じなのである

それで人間のやることは莫大な金をかけてもそれが必ずしも活きないと思った
何か徒労に終わることがあると思った、なぜそうなったのか?
そもそもオリッピックをする意味が何かわからなくなっていた
時代によってその価値が変わったのである、これまでは何か価値あるものだった
世界中の人が技を競うとかで何か意味があり効果があった
でも実際はオリッピックはやる意味が希薄化してきたのである
金ばかりかかり何のためにしているのかわからなくなっていた
商業主義になりなるべく安くするのがいいとかも言われてイギリスとかアメリカでは実行した、それは金がかかりすぎても国の収益ともならないとなったからである

そして現実はオリッピックは本当に一部の既得権者の利権と利益のためにされていたのである、それがIOCのバッハ会長がぼったくり会長として批判されたことで判明した
なんでも200万とかのスイートルームの部屋が用意されたとかまるで国賓並みの待遇なのである、それでオリッピック貴族と言われたこともわかる
そのオリッピックは企業の宣伝のために使われる、放映権でも莫大な金が世界から出る
一つの世界的ショーとして金儲けのためにされていたのである
それが今回露骨にそのことがクローズアップされたのである
可視化されてみんながオリッピックとは一部のものの利権と利益のためにされることがほむかったのである
第一コロナウィルスがまた増えてきたとき強行するのは命の危険にもなる
そこまで危険を犯してまでやらねばならないのかとなり日本国民も反対が過半数を軽く越えているし世界からの批判もあるのに強行するのはなんなのだとなったのである

そもそもオリッピックを誘致するとき国民でも深く議論もしないそれが本当に必要なのかどうかも検討しない、震災からの復興オリッピックだとか言ってもそれも全くの偽装だったのである、原発事故の避難区域は何ら復興していないからである
それも世界に対して欺くものとして偽装されたとなる、それが政府指導で行われた
政府の都合であり今の自公政権の都合であり自民党内だと菅政権の都合で行われたともしている、なんか人気取りとかのためとなるが実際は裏目に出た
国民の総反発をくらっているからだ、こんなときになぜするんだとなっているからだ

結局これも原発でもそうだったが本当に必要なのかどうか深く議論もしないし検討もしない、ただ利益になる金になるということしか見ないからである

何の意味があってやるのか?

このことが深く検討されない、国民側にしてもやはり観光客が増えるとか金になりあとは一部の者の利権と利益のためにやるとなるだけであったのだ
ただそういうことが原発でも可視化されない、眼に見えたものとして現れない、第一IOCのことなどわからないからである

2018年から何年かは危険な時なのかもしれない
こんなとき東京五輪などやるべきではなかった
なぜなら東京五輪はやる意義もなくなっていたからである
ここに予算をつぎ込むのは日本をかえって衰退させる
それからカジノも中止になる、日本にまた大きな災害が来たら地震がくるとなれば
外国人も来ないからだ、外国人をいくら金もうけでも際限なく受け入れるのは問題だからである
北海道でも外国人が多いがこういう地震があると外国人も来るのを控えることになる
それでは観光で困るとなるがやはりあまりにも外国人に頼りすぎるのはどうかと思う
日本人が自分の国土でゆっくり観光ができないのもおかしいと思うからだ

自然災害もカルマなのか?
(カルマは蓄積されたものが放出すると安定する?)

ここで自分は書いていた、2018年に危険な年としたが2020がコロナウィルスが流行した年だった、災いがつづいていたのである
その時国民もオリッピックにはとんど反対していないだろう
何か景気良くなるとかしか考えていなかったのである、それは原発でも目の前の巨大の利益利権に目がくらんで地元でも積極的に誘致したのと似ている
人間はどうしても目の前の利益を優先する、それは誰でもわかりやすいからである

オリッピックする意味があるの?

こういうふうになるとなかなか考えることだからわからなくなるからだ
ただ実際オリッピックする意義は希薄化していたのである
前の東京オリッピックは意味があった、日本がの戦後からの復興オリッピックとして世界に示す意味があった、そしてそこで東洋の魔女とかでバレーボールで日本が優勝したのも日本の高度成長時代を象徴していたのである
では今度のオリッピックが震災からの復興オリッピックになるかとなるとそんなものが最初からなかったのである、それは政府の偽装でありそれは地元でもわかっていた
原発事故から復興などしていないからである、避難区域は依然としてゴーストタウンのようになっているからである
結局その偽装はいつか暴かれる、原発の「安全神話」も暴かれた
今回のオリッピックもこれは一部の者達の利権利益のオリッピックだったのである
それが露骨に可視化されたのである、何かいつか悪は暴かれるというときオリッピックもそうだったのかとなる
もうオリッピックを強行するのは狂気の沙汰だともなったからである
そうして菅政権は崩壊するとまでなったからである
何か人間社会でもやはり天災があったり神の意志が働いているのかとなる

原発はやめろ

カジノはやめろ

オリッピックはやめろ

何かこういうことが天からの意志、天意とか神意があってそうなったのかともなる
それでもしかしたらリニアなどもいらないともなる、大事業でもそれが無益化すると莫大な損失に奈留だけだからである
でも例えばエジプトのピラミッドなどはこれも莫大な労力をかけて作ったのだが何か意味があるのかと今になって問われる

何のために作ったのか?

それが問われる、でもそれも定かではなくなっている、ただこれが今になって無駄なものとも必ずしも見えないのである、一つの巨大な文明の記念碑だったとなる
歴史的にそうした巨大建造物は世界に残っている、ただなぜ今になるとなぜこんなも巨大なものが残ったのかとなる、意味が問われるのである
オリッピックも世界的行事だからこそその意味が問われる
とにかく最近は現代は何かと意味が問われる時代になったのである
何のためにこんなに金をかけてするのかと問われる時代になった
高度成長時代は橋がなけれはインフラを整備しなければならない時代だった
でもそういう時代が終わると何か公共事業でも無駄が多くなったのである
だからこそ何のために何か意味があってするのかとが問われるようになったのである
戦争で三百万人も死んだのはなぜかなると今になって問われる
必ず過去にしたことでも歴史的なことでもその意味が問われるのである
それが人間の人間たる所以だとなからだ

posted by 老鶯 at 08:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層