2021年07月11日

貨幣(紙幣)の謎は深いー金に物のような価値を感じない (親が残した家には具体的に価値をいつも実感する)


貨幣(紙幣)の謎は深いー金に物のような価値を感じない

(親が残した家には具体的に価値をいつも実感する)

貨幣とか紙幣とか何かという時それには様々な見方がありわからなくなる
ただ単純に考えれば貨幣でも紙幣でもそれ自体にはいくら金だとしても価値を感じない
確かに小判だったら金貨なのだからその金貨自体に価値がある
その金を加工し材料として使えるからだ、だから金本位制になったこともわかる
もし今でも江戸時代の小判だったら価値がある
それは歴史的価値と金そのものの価値が減少しないからである

貨幣とか紙幣の問題としてその物自体に価値を感じない、ここに紙として一億円積まれたとしてもそれは紙に過ぎないともなるからだ
ただ黄金の貨幣を積まれると違ったものになる
私の母は紡績工場で糸取りして働いていた、その時給料代わりに米を何俵かもらった
それを親に与えたら喜んだという
それは苦労して働いて米となってもらったからだ
もともと江戸時代が貨幣の紙幣の代わりをしていたのは米だったからそれがつづいていたともなる、石高で大名の力か計られていたからである
侍の給料も米で石高として与えられていたからである
そうなると具体的に価値が実感できる

だから貨幣ではなく紙幣ではなく物で給料でも何でも与えたりすればいいという人がいるというのは米を与えればその米が農民が苦労して作ったものとしてその重みを感じるからである、貨幣になると具体的な価値をとして実感しないのである
だから人間の労働を貨幣に代えるとその時点で別なものになっていた
貨幣とか紙幣自体に価値は感じないのである
だから紙幣を一億円積んでもそれ自体に価値を感じないのである
だから本当にただ紙くずになるという不安にさいなまされているのだ
それで最近預金封鎖があり本当に紙幣が紙くずになってしまうということで不安になる
実際に私の母親は前の夫が事故で死んだとき一生食べていける金をもらったのである
でも戦争が終わり本当にその紙幣が紙くずになったのである
ただわずかの土地を買ったものが残っただけだったのである
預金封鎖とか金の価値はそうなるから怖いのである

でも何か例えば家があるとする、今まではあまり家の価値を考えなかった
それがこの家を残した親が家族がみんな死んでこの家の主になったとき家のことを考えるようになった
この家は二回も床上浸水になった、最初は伊勢湾台風とかの時であり古い平屋のトタン屋根の家だった、それでその土地は私の父親が買ったものであり街の中て一番低い土地だったのである、でもそういう土地でも戦後まもなく小さな店を開き角にあり繁盛したのである、その時はスーパーもないし車もない徒歩の時代であり近くの店で買い物していたからである、私の家族は全然商売上手でもなかった、ただ場所がいいのと時代に恵まれて繁盛しただけなのである
こうして水害で大きな被害にあったため二階建ての家を作ることが悲願になりまだ回りでも貧乏な時代にいち早く大きな二階建ての家を作ったのである
だからこの家に今一人住んでみると家の価値をつくづく感じるのである
とくに知的仕事となると大きな家に住むことがいいことがわかった
狭い家で部屋だと窮屈になり思索に向いていないことがわかったからだ
広い部屋でゆったりして瞑想したり思索したりすると何かひらめくもなることがわかったからだ

いづれにしろ自分はこうして知的仕事をできるように親によって時間でも家でも与えられていたのである、引きこもりでもそうである
別に引きこもりでも何も言われず自分はこの家に籠もり自分の好きなことをしていたからである
ただ本当は20代でも30過ぎても実は留学することができた、それだけの金が実はあったのである、自分はないと思っていた、でも家族にはそれだけの金があった
でもないと思っていたから留学はしなかった
その頃海外旅行でも馬鹿高いものとなっていたし留学となれば特別な金持ちしか行けないものだったのである、そういう時代だからそこまでは恵まれなかったのである
現実にヨ−ロッパに行った人はシベリア鉄道で行っていたのである
飛行機代が馬鹿高いからそうっないたのである

とにかく老後になると家の価値が大きいとつくづく思った
コロナウィルスでもテレワークとなると広い家が必要なる、なぜなら家が仕事場になるからだ、知的な仕事をするにはやはり書斎とか大きな家が必要になる
でも日本では狭い家が多く恵まれていないのである
人間が価値として認識するのは貨幣とか紙幣とかからではない
実際の具体的なものからなのである、貨幣を紙幣を使って物を買ったりしたときなのである、貨幣や紙幣をいくら貯えていてもそれが価値あるものと思えないのである
だから蔵に米俵を積んであればそれで価値を実感できるのである

何か貨幣や紙幣の価値は本当に百からゼロにもなる、でも現物だったらそんなにはならない、ゼロにはならないのである
ただ本当の価値は現物にあり貨幣や紙幣にはない、だから金の価値は大きく変動する
一定した価値を持てないのである

天皇の御製歌(おほみうた)一首

あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも

家の価値は住んでみて飽きないものがある、それもその土地の材料で作られたものでありその土地の人々の力で作られたということで価値がある、奈良の山なるということで価値がある、それは外材ではないからである
何かここに一億円の紙幣を積んでいるよりこの大きな家の方が価値があるとみる
それは家には具体的にそこに費やされた材料とか労苦と技術とかを感じるからである
ここに何か貨幣とか紙幣の根本的な問題がある
紙切れかとコインでもそれ自体に価値を感じられないからである
何か価値あるものを持ちたいという時、貨幣とか紙幣と交換して具体的なものでもっていたいとなるのは当然だとなる
ただ米俵でも積んでおくこともできない、貯蔵できない、だから家とか具体的な実物で価値を感じる、そこに家を残してくれた親に感謝するとなる
それは具体的に家から親のこともありがたいと感じるからである
貨幣とか紙幣からは感じにくいのである、そこに貨幣と紙幣とかさらに数字だけとなる金についても価値を実感できないという問題がある

posted by 老鶯 at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

文明と文化の相違 人間の業なる文明は崩壊する運命に


文明と文化の相違

人間の業なる文明は崩壊する運命に

【文明(ぶんめい)】

⇒人知が進んで世の中が開け、精神的、物質的に生活が豊かになった状態。特に、宗教・道徳・学問・芸術などの精神的な文化に対して、技術・機械の発達や社会制度の整備などによる経済的・物質的文化をさす。

「文化」=人間が作り出した全てのもの。特に、精神的なもの。

「文明」=生活を豊かにするもの。特に、物質的なもの。

文化は芸術、知識、信念、習慣、伝統、道徳、祭り、価値観、態度、習慣などを含み、これらは社会の一員として人によって受け継がれています。


文明と文化の相違は何かとなるとわかりにくい、なぜなら文明という時、エジプト文明というときそれは大きな範囲の一つの合成体であり価値体系でありその中に文化も複合されたものである
だからエジプト文明という時、何か一つのものを建築物でも取り出して見てもわからないそれは全体の中にあり部分が文明ではないからである
それで過去の文明を見る時常に一つの部分から遺物とかからみる、でもそれはその時代の文明の全体の中で機能していたものであり部分を見てもわからないのである
どうしても過去は歴史は部分として見てしまうから誤解するのである

エジプト文明というとき例えばビラミッドが文明の象徴としてあると見る
でもその一つをとりあげても切り取ってみてもわからないのである
そして何でこんな巨大な物を作り上げたのか?
それは王の力であり作ったものは奴隷だったとされる
でも今ではエジプトの民衆が王の命令と強制されたのではなく自主的に作り上げた宗教的建造物だったとされている
つまり民衆の合意があり作ったものであり王の力によって強制されたものではない
なぜならピラミッドは王の墓ではないという見解になったからである
当時の価値体系の中でピラミッドは作り出されたのである

文明というときわかりやすいのは宗教が基となっていることである
キリスト教文明がありイスラム文明があり仏教文明がある
西欧文明というときキリスト教文明でありその価値体系の中に社会があった
イスラム文明でもイスラム教の価値体系の中に社会があった
そのことが明治維新の時、西欧文明を取り入れた日本人はわからなかったし理解しなかった、また理解することを拒否したとされる
それは内村鑑三などキリスト者になった人が言っている
西欧文明とはキリスト教文明だとするときキリスト教を理解しないで理解することは不可能だとなる、またイスラム教は今でもイスラム教を理解しないで理解することが全く不可能である、その規範は社会と一体化しているからである
政教分離はしていない、社会の規範として法律も一体化してしイスラム文明を形成しているからである

日本人はヨ−ロッパに使節を派遣した時、ヨ−ロッパをキリスト教の文明だとみていないその技術を文明と見たののである、つまり蒸気機関車とか様々な技術を見て機械でもみてそれが西欧文明だと見たのである、だからキリスト教を基にしているからキリスト教に習うということはてかったのである
不思議なのは仏教の場合はインドから経由して中国で仏教文明化した
つまり中国でも仏教文明化したのである、その遺跡が中国には残っている
ただその仏教文明は古代であり8世紀くらいのものでありその後は衰退した
ただ宋の時代にも日本の鎌倉時代にも禅宗が栄えた
その中国の禅宗を習うために道元が寧波から天童寺で修行したのである
また鎌倉の五山文化があり禅宗は中国で変化した仏教である
仏教文明を中国でも日本でも形成されたのである
それもやはり宗教を基にした文明であったとなる

ただ今文明というとき別な見方をしている、文明とは科学技術文明であり機械文明となっている、文明の利器というとき自動車があれば自動車文明ともなる
電気を使うから電気文明ともなり石油エネルギーを基にしているから石油文明ともなる
そこに便利なものであり物質的なもの機械を使うことが文明とみる
それはグロ−バル化したものであり車も世界中で使うから自動車文明ともなる
でもそうなると宗教を基にした文明とは違ったものになる
資本主義とか共産主義とかあるがそこに精神性はない、資本主義は修道院から生まれた
というとき他者を助けるために勤勉に働き資本蓄積として富を作り出して分配する
それは神に仕えるものとしての労働でありそれが資本主義の基だとマックスウェバーは説いた

でも現実は今やグロ−バル化した経済は世界の富の50パーセントが数パーセントの人たちによって収奪されている、それはその成立ちとはまるで違ったものになった
共産主義でも中国では唯一残った国だがそこでも平等を目指したのに格差が激しいのである、毛沢東時代には何か共産党幹部でも人民服を着て平等を目指していた
今は共産党幹部は超富裕層を形成している
資本主義とか共産主義も一つの理念としてイデオロギーであり宗教と似ている面はあった理念というときナショナリズムとは違い広範囲の規範となるものがありそれが文明の意味でもある
もし狭い範囲で一国とかでしか通用しないとなる文明とはならない
ただ現代は文明の解釈は取り違えている、科学技術物質文明が文明とされたている
それは経済とか科学技術からのみ文明をみる
つまり蒸気機関車に乗り自動車に乗り飛行機に乗り船に乗るとか文明の利器を使う人が文明人だとなる、それはITが発達するとパソコンでもスマホでも使う人たちが文明人だとなる、それを使えないものは文明人ではないともなる
それはグロ−バルに通用するし理解しやすいからである

そうあるなら中国人は今や文明の利器を使いこなし日本よりIT国家となり科学技術機械文明化したのだから文明人だとなる
科学技術を機械を使いこなせない人たちは文明人でないとなる
そういうふうに文明をみるときはそうなる
でももともと宗教を基とした文明なら宗教となれば倫理的なものであり規範とする道徳がありまた法律もありそこで国家を運営するとき文明人だともされる
そのためにcivilizationのcivilは市民でありその市民としての自覚がありその市民としての義務を果たすものが文明人だともなる
だからウィグルとか人権思想があり人権を弾圧するものは文明国家ではないとして欧米が中国に敵対する、つまり文明の利器を使うだけのものが文明人ではないとされる

文明とは何かというとわかりにくい、明確に定義できない、むしろ文化はわかりやすい
ただ大きな枠として分明かあり個々に文化がある、文化は多様であり国々に文化があり国でも地域ごとに文化がある、文化はcultureはcultivate(耕す)から来ているからであるその土地土地の風土がありそこで耕してできるたものが文化だとなる
その土地土地の風土と密接に結びついている
そのためにその土地土地の名のついたワインがある、その味は違っているからだ
それは文化なのである、国々でも料理が違っていて日本料理となればそれは文化なのである

国の中でも方言が訛りがあるというときそれは地域地域の文化となる
日本語は日本の文化の基幹だとなる、でもグロ−バル化するとどうしても共通の概念を理解する必要がある、そのために共通語が必要だとなりそのために便宜的に英語が世界共通語のようになっている
それは例えば数学とか数字とにている、数学と数字はそれぞれの国の言葉とは違っていて科学技術の基ともなり共通性があるからだ
ただ数学とか数字にはその土地土地などと関係ないから文化ではないとなる
数学とか数字で共通てものとして世界をするとき文化は失われるのである
グロ−バル化は国々の文化を破壊する、イスラム文明がありイスラム文化がある

文字でも言葉でも違っている、それを否定して漢字にして中国語にするとき文化は破壊されるのである
ただ中国という文明に中華文明にするときそうして文化を破壊して統一して治めるとなるだから文明と文化は対立するものとしてもある

そこで不思議なのは資本主義がある共産主義がある、でも資本主義文化とか共産主義文化がないのである
キリスト教文明がありキリスト教文化があり芸術が生まれた、イスラム教文明がありイスラム文化がアラベスクとか抽象画芸術が生まれたとかる
仏教文明があり仏教文化芸術が生まれた、でも資本主義文明があり共産主義文明としてもそこに文化が生まれないのである、それは文明とは言えないとなる
イスラム文明とキリスト教文明は対立した、資本主義文明と共産主義文明をも対立して冷戦があった、イデオロギーと理念の争いがあった
文明とは広範囲に規範として共有する理念をもつことである
その理念の対立が共産主義の中国と欧米のキリスト教文明とか人権主義文明とか何か欧米の理念と対立するものがありそれが争いとなる
ただ世界は西欧文明化したのでありそれに従うべきだということで人権主義になりそれで中国を批判する
そのヨ−ロッパにしてもアジア人の人権を踏みにじってきたのである
植民地化して奴隷化することもしてきたのである

ともかくキリスト教文明とイスラム文明の対立は宗教の相違から起きている、なぜなら規範が違うからそうなる、でも宗教となると偶像崇拝拒否では一致しているしどちらのも宗教もアブラハムを祖としているのである
要するに文明とは何なのか定義できない、西欧文明は優れているからアジアでも従いとなったがその実は力によるヨ−ロッパの支配であり植民地化だったからである
ヨ−ロッパ文明は科学技術文明では優れていた、ては人権を言うけどアジアに対して人権を言うけどアジアは人権が無視されて植民地化されて奴隷化されたともなる

ただ文明というとき現代は科学技術的機械文明としてのグロ−バル化でありそれは共通しているのである、ただ道徳なき経済であり文明の利器として自動車文明となり石油文明となり原子力文明とかなっている
それは世界共通の文明でありまた世界都市文明ともなる、世界の都市はとこでも似通っているからである
civilizationのcivil(市民)とは違う、メガロポリスの大衆とか群衆になったのである
一千万の東京都民とかとして市民とは自覚できないだろう
いづれにしろ文明とは国々を越えた民族を越えた規範を価値体系をもつものである
それで宗教が基になった、それも世界宗教と言われるものが基となった
そこにモラルがあり規範がありそれに従うということで治められるとなっていたからである

でも資本主義にモラルとか規範がない、資本主義にもない、それでどちらも崩壊するとなる、資本主義と共産主義が裏表であり実際は経済原理に基づいた同じものだということも言われる、だからどちららも国々の文化を否定するのである
アメリカだったら多国籍企業となり国々の国境とか文化を否定する
そこで経済だけを追求する、そして世界の富を収奪する、そこに経済原理だけがあり利益追及だけがあり道徳なき経済となっている
たから両方とも限界が来て崩壊するとなる
結局どんな文明も矛盾になり不公平なり崩壊する運命になる
何かマヤ文明とかインカ文明でも高度な文明だったが放置されて森に埋もれてしまったのである

要するにどんなに人間が努力しても理想の社会など生まれない、必ず崩壊する運命にある自壊する運命にある、そこに人によって作られる文明の限界がある
理想の世界は神の国にあり地上では作れないのである
だからむしろこの世は欲のために滅びるとかハルマゲドンで最終戦争で滅びると予言されているのであるそれを象徴していたのが原子力文明とも言われるものだった
大事故になりその住む場所さえ奪われた、放射能汚染は生態系まで破壊したからである
それは原子力文明の崩壊でもあったのだ
プルトニウムが二万年消えないとかなり生態系が回復しないからである