2021年07月04日

集団組織が社会であり個人は無視される (世界はすべて全体主義である)


集団組織が社会であり個人は無視される

(世界はすべて全体主義である)

人間社会というのはどうしても現実になれば一人一人が力となり、すると一人一人でも集合して組織化するものが力となり権力を持つようになる
このことから逃れられない、一人一人を大事にしろというときその集合したものが大事に白しろとなり社会はその団体を組織を優先せざるをえない

人間一人でもその人は民主主義だと一票を持っている、それを多数集めた方が力を持つそれが正しいか正しくないかなど関係ない、数は力となり数が優先される
一人など相手にしない、選挙ではいかに数を獲得するかで決まるからである
個人はむしろ排斥され社会の敵と化す、だから個人が社会を相手にするときバックに必ず団体組織が存在するのである
その個人を見るより背後の団体組織を見て文学賞なども与えるのである

ともかく人間は一人でもその人が飲んだり食ったり買ったり消費活動をする
すると経済的にそれなりの力を持つ、それが団体組織化すると経済的にも力を持つようになる、その団体組織に非買運動されたら困るとなるからだ
そういうということは国の間でも起きる、国が敵対すれば物を買ったり売らないとなるからだ、自国優先となり食料でも入らなくなるのである
つまり経済力とはこうして常に強力な力となる
だから敵対すると経済でしめあげる、それで日本はアメリカに経済封鎖されて石油など入らなくなり戦争に突入したとか言われる、経済的に追い詰められてそうなったと見る人もいる
それが国と国では敵対すると常套手段になるからだ

民主主義でも個人の自由があるとしても一票があるとしても何の力もない、民主主義とは実際は全体主義になる、ギリシャのボリスのような一万くらいの人数で行われていたものとはまるで違った社会になっているからだ
だから世界で民主主義に疑問を持つようになったのはそのためである
田中首相が政治とは金と数だと言ったのはそのためである
政治とはまず一人一人が経済活動する、それがまとまると数として統計的に力となり権力となる
その国の力もその経済活動でGDPで計られる、ただ中国が人口が多くても全体の経済活動生産と消費力がない時はいくら数が多くても弱小国家と見られていたのである
だからすべてを数で計られないことがあった
GDPでも日本の十分の一とかの時代があったからだ
インドではまだ人口が中国と同じように多いのにGDPが少ないから大国に見られないのである

ともかく人間は個人として見ている人はいない、何かの組織団体に属していることからその属性によってその人間を見る
会社自体そうである、どういう会社に属しているかでその人を見る
大企業に属していればその人は価値ある人となり一目置かれる
トヨタの社員ですとなれば一目置かれる、でもその会社の価値が下がるとその人間の価値も下がる、それは国でもそうである
今や日本が経済的に落ちぶれると中国でも物価が同じくらいでありむしろ日本の方が安いとなり日本の価値は低落した
それで今度は日本では外国人をもてなすようになる、中国人様となる
日本が高度成長になり金持ちになったとき日本人は同じようになっていたからである
日本人は上客となっていたからである
政治と経済は密接に結びついている

でも個人的価値というのは人類全体でも別にある、絵の才能とか何か文学でもその人独自の才能がありそれは別に国とも関係なくある、ただ芸術にしてもバックにその国の歴史とか風土とかから生まれるから純粋に個人のものとはならない
そもそも精神的価値となると集団組織から産みだされるのだろうか?
政治経済としては数として価値を持つが芸術とかなると価値は個人が産みだすものとなるその人独自のものとして産みだすものである
だから政治経済とは権力化するが個々人を基にしたもの、芸術でも何か精神的価値あるものはそうはならない、いくら数を集めてもそこに価値を認めないからである

宗教でもすべて組織団体でみる、私は何の団体組織にも属していませんが神を信じていますとしてもそれを認めない、ただ数を集める時社会では認めるのである
つまり宗教でも権力化するとき認めるのである
個人は認めない、排斥されてないものとされているのである
でも「神は人の心を見ている」というとき集団組織を見ているのか?
それぞれ心が違ったものでありその個々人を見る、多数の人々がいてもその個々人を見る組織団体化して信じても実際は救われることはないのである
神にこれだけの数を集めたから認めてください、救ってくださいと言っても神は認めないのである

結局集団組織は政治的経済的なもの数とかで計られる、だから民主主義とはすべて数の多寡で決まる時、全体主義に最もなり安いのである
だからナチスは民主主義から正当な手段で選挙で政党として選ばれて支配したのである
つまり膨大な数を力とする民主主義は容易に全体主義になりやすいのである
それで世界的に民主主義が行き詰まっているということがある
例えば中国では民主主義は結局敵対勢力を産むものとして危険視するのもわかる
反対勢力を容認したらたちまち崩壊してしまうからである
それがソ連でもあり中東でもあり結果的にその民主とは自由とは外国勢力に操作されたという一面があったからだ
中東で起きたことでもそうである、国自体がシリアなどでは社会主義で政治的に安定しても民主主義の自由を取り入れたとしてもアメリカとかヨ−ロッパとかソ連の勢力争いの場になり悲惨なものとてってしまった、自国がなくり国自体が難民化してしまったからだ

政治と経済と軍事力は一体化する、権力化する、そういう宿命がある
宗教もまた政治化して権力化する、だからこそ権力をいかに抑えるかが課題になる
三権分立もそうだし政教分離でもそうである、日本だって神国だとかなって宗教が権力の道具となったりしたからである
宗教となるともともと権力の否定から始まったのである、それは仏教でも老子の教えでもキリスト教でも同じである、だから誰が治めるべきかというときみどり子に治めさせろと聖書にある、幼子だったら権力を悪用することなどできないしそもそも権力などの必要性を認めないしいらないからである
そして欲もないから悪いこともしないからである
要するに人間社会を治めることは至難でありいくら制度を変えても結局失敗しているのである、民主主義とか資本主義とか社会主義とか制度としてあってもそれもまた内部から崩壊してゆく、機能しなくなる、もう資本主義も社会主義も制度疲労を起こしていて賞味期限切れになっている、そしてまた混乱状態になる
70年くらい過ぎるとか必ずどんな制度でも腐敗してまた新たなものを産みだすしかなくなるのである、そういう変革の時代に今来ているということである

人間は人間を治められない

人間は制度があってもその制度が絶対ではない、だから制度は70年くらいすると制度疲労になり機能しなくなる、資本主義も超格差社会になり極わずかの人が富を独占するようになる、それは社会主義でも同じ事が起きる
人間は人間を治められない、例えば家族でも血縁でも必ず問題が起きる
家族すら治められない、だから宗教は血縁を否定したのである
この世は結局こうして常に問題が起きて混乱して来る、宗教だって権力の道具となる
神の国というとき神が治めるかから治められるとなる、人間では治められないとなるのだ