オリッピックを強行するのはなぜか (国民の反対を押し切るのは自民独裁政権のためだ)


オリッピックを強行するのはなぜか

(国民の反対を押し切るのは自民独裁政権のためだ)

オーシェ氏は、菅首相は五輪反対という国内世論は懸念していないのではないかとみている。その理由として、日本の選挙は非常に投票率が低い上に、特異な選挙システムであるため、自民党は政権維持のために有権者の大多数を勝ち取る必要はなく、65年間中61年間も政権を握ってきた点を指摘している

そういうことなのか、ならばわかる
なぜこれほど国民が反対しているのにオリッピックを強行するのか?
そのことが理解できなかった、それは菅首相にとっても自民党にとっても公明党にても有利とはならない、すぐに選挙があるのだから大負けすることもありうる
国民全体を敵に回したらそうなる、でもあえてオリッピックを強行するのはなぜだろうとなる
国家の威信だというがオリッピックが国家の威信と関係するのか
国民の安全の方が大事でありそれを国民が望んでいる

国民をあえて敵に回してもオリッピックは強行する

そこまで危険を犯してもやるというのが理解できない、自民党内でも選挙があるのだから反対する人もいるだろう、その声も表に出てこない

つまり菅首相は国民のことは恐れていない

どうせ選挙で勝つ、多少の増減があるだけで勝つ

だから国民のことは眼中にない!

これはもはや民主どころではないい、独裁政権である、菅首相の独裁政権である
国民のことなど眼中にないとなればそうである
選挙などどうせ自民党が勝つのだからどうでもいい、何の役割とないまでなる
ただの儀式のようなものだとなる
ということはすでに選挙しても無駄だとなるから民主主義の根幹の選挙制度自体が崩壊しているともなる、それは前から言われて来たことである
選挙はする前から決まっている、その勝敗は決まっている

またシルバー民主主義であり若者は数が少ないから投票もしないとなっていた
つまり実質民主主義自体が崩壊している
また資本主義自体も崩壊しつつある、世界の富が数パーセントの人たちに吸い上げられている、株式市場はそれは一部の人によって操作されているマネーゲームに過ぎないとかいろいろ言われきた
そうなるとみんな働くのが馬鹿らしくなるのだ
それでアメリカでもコロナの支援金をもらったら働かないとか中国では寝そべり族とか日本なら前々からニートとか引きこもりが問題になっていた
それは働くことは結局一部のものに搾取されるだけだということでそうなっていた
働くことが一方的に善だとされていた時代と違ってきたのである

働くことにはもともと人間の基本として奨励されてきた、働くことなしで社会は成立しないのも真実である
その労働観も崩れつつある、働くことに対して何か積極的な価値を見出せなくなっているみんながコロナウィルスで苦しんでいる時、株で大儲けしている人たちがいるのもそうである、そういう人にはかえってコロナウィルスはいいものだったのである
だからグロ−バルに何かモラルが崩壊しつつある、働くことは一部のものために働いているのであり大多数は貧困にあえでいるとなる
働くことのモラルが崩壊しつつある、投票することの民主主義のモラルも崩壊しつつあるそこで自民党の独裁政治となり国民のことなど無視してオリッピックを強行する
これだけ国民が反対しているのに強行すること自体何なのだろうとなるからだ

国民のことなどどうでもいい

どうせ選挙では自民党が勝つんだから

国民は無視だ、オリッピックは強行する

国家の威信がかかっている、そっちの方が大事だ

これは独裁政治であり民主主義などは言葉だけになってしまったためではないか?
もう機能しない、そして資本主義ももうモラルは崩壊して機能しない
極端な格差社会になり崩壊しつつあるということである
だから一見中国のことでG7で対抗姿勢を見せても実際は共同に対抗するのも見せかけだけだとなる
そもそも民主主義でも資本主義でも機能しなくなりつつある、それはアメリカの大統領選挙でも現実化した、議会に暴徒が乱入したからである

いづれにしろ民主主義が資本主義が崩壊しつつあるとき何が起きてくるのか?

武力革命が暴徒化するのではないか、それしか方法がなくなる
これほど国民が反対するオリッピックでも止められない、止めるにはどうするのか?
大きなデモを起こして暴力で阻止するしかなくなる
ミャンマーでは軍事政権に独裁政権に対抗して武装化したように対抗することができないつまり選挙とかではもう対抗できないからそうなった
それは日本でも自民党独裁政権であり対抗手段がなくなったときそうなる
選挙では自民党に勝てないからである
ただ日本人はそこまで危機感を感じしていない、だから政府でも国民を甘く見ているとなる
でもこうして大きな時代の変わり目になると何が起きるかわからない
日本が経済的窮地に追い込まれるとやはり我慢できずに何か暴力でも起きてくる
それだけ今世界全体でも大きな変革の時代に入っているともなる

posted by 天華 at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

余裕がないことの怖さ (戦争も貧困化して余裕がなくて起きた)


余裕がないことの怖さ

(戦争も貧困化して余裕がなくて起きた)

この危険思想、日本でもかなり増えてます..不景気の国に蔓延する危ない考え方とは?


なぜ福祉が厳しくなるのか?
前に私が述べたけど人間は余裕がなくなると他者に寛容でなくなる
貧乏になれば生活保護なんて働かないで俺と変わりない金もらっているとかなる
つまり40万くらい月給もらっていたら生活保護12−3万もらっている人をうらやましいと思わない、でも15万くらいになったらなんでこっちは毎日苦労して働いていてたいした金をもらっていないのに生活保護は働かないのにもらっているとなる

福祉でも国全体が裕福なら成り立つ制度だったのである、それで今や生活保護は十パーセントも減らされているのだ、それで抗議したというのもわかる
それは国全体の財政が苦しくなりまた貧乏人が増えると国全体に余裕がないのだからそうなる、むしろその風当りはそうした生活保護であれ障害者であれ弱い人に当たるとなる
それは結局余裕がない人は他者を助けられないためである

事業失敗で多額の借金を抱えた人が私が介護とか病気とかで苦しんでいる時来た
そんな人は人を助けることはできない、かえって相手を苦しめることになってしまう
〔俺は苦しいんだよ、俺の借金をなんとかしてくれ、他人のことなどどうでもいい、自分を助けてくれなんとかしてくれ」こんな人が来たても助けることができない、かえってさらに苦しめることにもなる

それと同じように貧乏で困っていても他に障害者でも病気の人でも人を助ける余裕がないもう弱者は死んでくれとまでなる、だから余裕というのが意外に大事なのである
それは金だけではない、時間の余裕とかも大事である
金があっても毎日仕事に追われているとかすると相手を想う余裕もなくなる
とにかく経済的に苦しくなると日本全体に余裕がない人が増えて来る
それは必ず周りに影響する、例え金持ちでものうのうとはしていられない
回りがみんな苦しい苦しいというとき回りでも金持ちでもその影響を受ける
また犯罪も増えて来るのである
そういう国には金持ちすら住みたくないとなる
もし回りがスラムのようになっていたらそんな場所に住みたくないとなるからである

なぜ自分自身が介護病気で苦しんだのか?
それが余裕がない人が来たからである、金で苦しんでいる人が来たからである
だから犯罪にもなった、その人は他人でも余裕をもってみれないからである
その前に自分のことをなんとかしてくれ、もう生活もできないんだとなっていたからである、すると相手が苦しんでいることなど関心もない、かえってチャンスだとなった

それで何か数万だったのか、わずかの金で友達に金を貸して返さないとかでもめて殺人になったとかニュースであった
たった数万で殺人になるのはなぜなのか?その人は金に余裕がない、だから数万でも大きな金になっていたのである
普通だったらそんなのはした金だからくれてやるとなるだろう
ただ正直自分も金の余裕がなかった、余裕がないと人間はみんなそうなる
何か自分は金をあるように見られているが働いていないのだからなかったのである
まず百万という金を使ったことがない、でも貧乏性になっているから今でも使えないのである、それが習性となってしまったのである

そうなると海外旅行に行った時アジアではその時十数年前は円高で物価が安かった
でもそんな所でも節約していたのだ、それが失敗だったとなる
なぜならその時は物価に十倍もの差があった、そしたら思いやりがあっても良かったのでる
多少の金は払っても良かったのである、そうし貧しい国の人たちに思いやりもあって良かったのである
それができかったのは日本での貧乏症になっていたのと海外のことを知らなかったこともある
貧しい人たちへのことがわからなかったためである
私が余裕ができたのは両親が死んでからなのである
すると金銭的に余裕ができて金にそれほどこだわらなくなったのである
気前よくなったのである、だから金に余裕があるのとないのとでは気持ちまで変わってくる

ただそれだから金ですべてが得られるとういのではない、不思議なのは一億円もっていても余裕がない人もいるしもっと欲しいとなる、一億円で安心がないという人もいる
ところが一生貧乏だった人は10万すら大きな金であり10万も貯金していると何か大きな金をもっていると気持ちが大きくなったと言っているのである
私自身も親から金をもらっていたからそういう経験はしている
その時々の金しかもらっていなかったからである 

その人は毎月いつも電気ガス水道代が要求されて払えない、それで自転車を治すにしても余計なことをしてくれたとか怒っている
何かしなくてもいいことをして金をとられたとか言っている
でもその人は病気なのである、病気でも仕事している、そしたら余裕のある人だったら
治療費もかかるから大変だな少しくらいは金がかかってもいいなとみるのである
つまりこうして金に余裕がない人は相手をのことを思いやることもできないのである
それは医者にしろ職業でも余裕がなかったら相手の経済状態でみれない、他でもあなたは貧乏だから安くしまとかもならないのである
そういう自分も今まではそうだったのである、節約ばかりして金の無駄ができなかったのである
ただすべて金がなければできないということはない、何も例えば道で倒れて苦しんでいる人がいればちょっとなら助けることができる、でも金がかかることだとできない
だから別に金がなくても何もできないということはない
ただ金に関しては金に余裕かなければできないとなる

これから日本が貧乏になることはかなり危険なことになる
おそらく戦争とかは国全体が貧乏とかで追い詰められるとき起きて来るのが多いようにも見える
モンゴルとか遊牧民が農民国家の中国を襲ってきたのは食料が欲しかったからである
それで万里長城ができた
戦争の原因はこうして国自体が貧困化して追い詰められた結果として戦争が起きた
ドイツでナチスがが勃興したのは失業者が増えて貧困化した結果として起きた
物価も異常に高騰して紙幣が紙切れ同然になったとかあった
そういうときナチスが起り優生思想が起り弱者は始末しろとユダヤ人は不当にもうけているとかなり虐殺が起きた
その原因を探るとやはり経済的困窮がそう仕向けたとなる

それは日本の戦争だって太平洋戦争でもそういう原因があった、アメリカに経済封鎖されて石油が手に入らないとかなり経済的に追い詰められた結果だったとしている分析もある人間は経済的に追い詰められると何をするかわからなくなる
数万のことでも殺人になる、だからこうして日本が貧困化してくることは怖いもものになる、みんな余裕がなくなるからだ
それで金持ちはそういうことを見過ごしているとその貧困化した社会で襲われるともなるだから格差社会を金持ちが見過ごしているといづれは金持ちも安閑として暮らせなくなるのだ

余裕がないということはそれだけ怖いことなのである、ただ余裕といっても高い車を持ち大きな立派な家に住み食いたいものを買いたいものを買うとかの贅沢ができないとかで
余裕がないとなるのは問題である
でもまた一旦豊かな暮らしをするとそれが普通になる
その生活を落とせないとなる、それで貧困を感じるというのも現代である
それで余裕がないというのも問題なのである、そういう人は借金までして贅沢を維持しようとする、その借金をかかえて犯罪を犯したりもするのである
そういうことは現代社会ではまた多いのである

余裕がない人は人を助けることができない 
(余裕なき現代はみんな疲れ、人を思う余裕すらない)

2021年06月25日

夏の朝の海、薔薇の花、車輪海、睡蓮


夏の朝の海、薔薇の花、車輪海、睡蓮

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右田浜

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海老浜

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一つの木に二つの色の薔薇が咲いている


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光学30倍だと大きくとれる、でも汚点(しみ)が見えた



夏の朝波打ち際に釣りの人

夏の海朝日光りて釣りの人

夏の朝波のひびきて雲雀鳴く

木にとまり朝の河岸鷺休む

睡蓮の近くに寄れば汚点見ゆ


車輪梅海老浜に咲く村は消えしもここにまた咲く

津波跡松の育ちて車輪梅海老浜に咲く村は消えしも

ほのあかく薔薇の花咲く我が庭に雨しととふりぬれし梅雨の日

薔薇の花一つの木にそ二色や朝日のさして映えにけるかな


梅雨になりこもるだけである、だからなかなか俳句短歌はできにくい
今日は朝晴れたので海の方に行った
そしたら雲雀が鳴き波打ち際で釣りする人が何人かいた
あれはなかなか豪快だと見た、釣りは自然と一体になったものとして見る
だから釣りする人は絵にもなる

ただこの辺の海は津波で余りにも変わりすぎたのである、もう前の面影すらなくなった
わずかにこの砂浜だけが残ったのである
ただ前も砂浜はなくなっていた
今は松原もないしキャンプ場もない、防波堤が高く作られて囲み風景が失われた

でも海老浜では車輪梅(シャリンバイ)が咲いていた、この花は南限の地として海老浜が有名だったのである、奄美大島辺りから種が流れついて咲くようになった
ただこの辺は気候の変わり目でありそうなった
真野の草原の万葉の歌はそうした気候の変わり目として境として歌われたのである
海老村は津波で消えてしまった,50軒くらい家があったのか残ったのは数軒になってしまった

薔薇は根付きやすい、そしてこんなに咲くのが意外だった、私の庭は土が悪いので根付かないのである、でもこんなに多く薔薇が咲くのは不思議だとなる
ただ多少肥料をやったせいかもしれない、花も野菜と同じで肥料をやらないと咲かない
でものうぜんかずらは玄関のコンクリートに囲まれた中のわずかの土でもその下に深く根付いて咲くのである、花でも木の花だと土深く根付くと花も栄養をとるので咲きやすい
でも根を張らない花は咲きにくいともなる

パナソニックのLUMIXは光学30倍であり鳥などをとるにはいい、いいカメラである
倍率が高いカメラを欲しかったので買った、それで今回鳥を撮ったのである

雷が鳴り虹がかかり鮎が跳ねる


雷が鳴り虹がかかり鮎が跳ねる

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鯉が泳いでいる

睡蓮やゆうたりと浮かび鯉泳ぐ

次々に鮎の跳ねたり雷鳴りて虹のかかるや夕べの川かな


雷が鳴った、でもすぐに止んだ、雨はぱらぱらしか降らなかった
なんか雨がこんな感じで長く降らない、だから川に水が流れていない
でも下の方に行ったらそこは水がかなりある
堰で水の流れが止められているためである
そこで鮎が次々にはねていた
上流では鮎が上るのを見ていない、だから今年も鮎が上ってこないのかと見ていた
去年は鮎を放流したのが群れて上っていた、それは大きい方だった
でも放流しても次の年は上ってこない
鮎は一年で死ぬとするとその親が子を産み下流から海から上ってくる

秋に河の河口近くで孵化したアユの仔魚は河口から遠くない範囲の海にでてプランクトンや小さなエビなど動物性のものを食べて育ち、春になると5〜10cm程の稚魚となり河を遡上しはじめ、食性も主に岩に付いている藻を食べる

 秋になると産卵期を迎え、体色も婚姻色へと変わり、1匹のメスの産卵に対し、複数のオスが射精することが知られています。通常アユは1年でその一生を終えます
 
 一年で死ぬから年魚ともいう、私が見た鮎は去年放流した鮎が産んだ子なのだろうか?今年また放流したのだろうか?その辺がわからない、漁業組合に聞けばわかるかもしれない、確かに鮎が跳ねていた
もし去年放流した鮎だとするとそれは自然の中で鮎が育ったから自然が回復したともなる
川を観察するのは10年くらい鮎を見なかった、見たのは放流した鮎でありその鮎が子を産んで川に上ってきたというのは見ていないのである
もしそうなら自然が回復したと見るからだ
この辺では自然が回復することはやはり人間の営みだけではない、それはやはり復興になる
それで田んぼが回復して蛙の鳴き声がひびいたとき復興したと感じたからである
するとその蛙を食べる鷺がもどってきたのである
つまり田舎では生態系を身近に観察できる
ただ何か川で子どもの頃、カジカとかいてとっていたが川に魚など見ないのである
ただドジョウがいたのは見たことがある
やはり生態系を見るのは人間と関係しているからである

光学30倍のカメラでその鮎の跳ねている姿を撮ろうとしたができなかった
動画でとれば良かったとなる,光学30倍でも小さいものを撮るのはむずかしいとなる
真野川には鯉がいる、これは目立つ、それは放流されていついたのである

とにかく虹がかかった、でも虹も半分くらいの虹だった
でも今日は暑くなった、夏らしかったとなる

 



2021年06月26日

都会と地方の格差、広域グロ−バル化は分断社会 (東京の寿司が三万円ーひろゆきの体験談から)


都会と地方の格差、広域グロ−バル化は分断社会

(東京の寿司が三万円ーひろゆきの体験談から)


1人〇万円の超高級寿司!「銀座 すきやばし次郎」を語るひろゆき 

日本のここが凄い!日本のある技術についてひろゆきがべた褒め

なぜひろゆきが人気があるのかわかる、まず海外で生活して働いていたのと幅広い経験をしていることである
もちろん最先端のIT技術者でもあり2ちゃんねるの創設者だったことである
ただなぜこれほどの広範囲な知識がそれも実体験からの知識があり経験を語れる
本読んだ知識とは違うのである
何かを語れる人物はたいがい外国に実際に仕事したとか暮らしたとか経験している人なのである
それが加治将一チャンネルとかもそうである、武田邦彦氏でもそうである
そこで現実に外国人と渡り合い仕事している
そうすると日本がどういう国か日本人がとういう国か見えて来る

ただそれでもやはり見方は相当に違ったものにもなっている
明治時代になるとやはり新し時代を築いたのは外国留学派とかである、たいがい外国で学んで大学で創始者になったりしているからだ
だから海外の留学経験がのちのち大きな遺産となる
ただ海外旅行だと表面的なことしかわからない、それでも地理を知るだけでもそのスケールの大きさを知るからいいのである

何か壁職人のような人が外国にはいないというときもそうなのかとその相違の説明に感心する、外国では壁塗りにこだわらない、コンクリートだとただ平面にするということだけであり日本の様な土壁のような丁寧な作り方はしないという
自分の家は古く土壁だった、その土壁にしたのも自分の家で最後だった
そしてその後は土壁職人いなくなったのである
土壁となると手間暇がかかるしめんどうになるからだ
だからこれを見て土壁とは壁塗り職人とは日本文化なのだとわかった

それはなぜわかったのか?つまり外国と比較してわかったのである
第一コンクリートの技術は相当に古い、ローマではコンクリートの技術があったから建築でも壮大なものが作れたし道も作れたしインフラを整備できたともなるからだ
ただコンクリートだとでこぼこになっても気にしないとか何か日本の壁とはまるで違った感覚になっていたのである、ペンキを塗るというのにはこだわるが壁を平面にするとか日本のように丁寧に壁を作るということにこだわらないのである
それがまさに文化の相違だったとわかった
いづれにしろこういう相違は身近でも外国で生活してみないとわからない、そこで外国で生活した者としないものの差が生まれているのである
それはささいなことでも日本との差に気づきそれで日本に住んでいる人より日本を外国と比較して知ることになる、だから外国での生活経験はあとで活きてくるのである

それから1人3万円の超高級寿司のことを聞いて驚いた
この人は相当な金持ちであり貴族なのだと見た
まず田舎で私自身は貧乏症であり千円でも料理は高いと思っている
だから千円以上のものを注文することができないのである
また田舎ではそんな3万の寿司など食べる人はいない、またフランス料理店などもない
たいがい千円くらいである、需要がないからだ
そこで気づいたのは東京と田舎の差だった
寿司の味はその素材で決まる、素材が良くなければいくら料理がうまくても基本的にうまい寿司は作れない、素材の差をごまかすことはできない、マグロでもいろいろあり安いマグロではうまい寿司は作れないというのわかる

でもここで考えたのはこの東京と田舎の格差である
田舎で地方で苦労してとった魚のいいものは東京の金持ちが食べているのである
そこでは輸送費もかかる、新鮮なものは飛行機で送るからである
寿司は新鮮でないとうまくない、魚自体がそうである
それで松川浦の漁師が私は二三日過ぎた魚は食べないと言っていた
それが魚をじかにとるものの贅沢だったのである
でもここで考えたのはこれはまさにグロ−バル化経済の格差を産みだしているのと同じだと思った

そこには百倍の差がとんでもない格差がある!

地元の人が漁師が苦労してとった魚は東京の金持ちが食べる、地元の人の漁師くらいは食べても地元の貧乏人は食べられないのである
それはタイとかで海老の養殖をしている人はその海老を食べられないとか放送されたこともある、何かそうして食べ物でも格差がある
そういう経済は実際は歪んでいるのである、そのことは前々ら指摘してきた
新鮮な魚をとったものは地元の人に回っていたのである
ただ地元でもまた金持ちの人がその魚を買っていた

松川浦でとれた魚を売りに来る人がいた、石鰈はこの辺で美味であった、でも高かったのである、ただ高いと言っても寿司を三万で食べるのとはせいぜい二倍くらい高いとなる
東京だと十倍以上にもなっていたのである
それは運送費がかかるのも加わったそれだけ高くなっていたのである
もともと江戸前寿司というのは江戸の海でとれた新鮮なものを食べるということでた始まったのである、その活きのいい魚が今は地方から田舎から運ばれるようになったのである
ともかくこういう広域経済とかグロ−バル経済というのは何か歪みをもたらしていたのである
地元の人は地元でとれる魚を満足に食べられずにいいものは東京の金持ちが食べている
それだけ価格差があれば当然漁師でも高い方に売ることが第一となるからだ

地方の地元の貧乏人など相手にしても金にならない!

こうした経済の歪みが実は原発事故の原因ともなっていたのである
近くの人は東京の金持ち相手にログハウスとか別荘とかを提供する事業を始めて失敗した
それはこれと同じだったのである、田舎の貧乏人を相手にしては金にならないということなのでる
漁業組合とかは船主とか漁業権を東電に売り渡して原発御殿を事故前にも建てていたのである、それで地元の回りの人たちはうらやましがっていたのである
私は知らないから漁師は危険な海で魚とるのが大変だなとか漁師で暮らすのは大変だなと見ていたのである
でも実際は全然違っていたのである、船主は悠々として金には困らない、事故後も立派な家をいち早く建てた、その補償金が他とは違って大きいものだったからである

なぜそういう矛盾が生まれたのか?

経済が広域化してグロ−バル化したからである、遠くから運ぶことができるようになったからである、どんなことしたって寿司の魚を江戸時代なら新鮮なものを運ぶことは不可能だからである、だから江戸前の魚になっていたのである
それがまた逆に経済の歪みを作り出していたのである

地元の貧乏人を相手しては金にならない!

その差は3万の寿司で十倍にもなっていたからである、これはグロ−バル経済となり同じようなことが世界で起きているのだ
数パーセントの人に世界の金が集められその人たちは贅沢し放題となっている
その人たち3万どころではない、10万でもそういうものを食べるのである
そこに具体的に現代のグロ−バル経済の歪みが見えて来る
ただ東京でその格差が大きいのである、コロナウィルスで物乞いも増えたというのもそうである
それは今までありえないことだったとしているが表面化しのである
だから東京でもみんな三万の寿司を食べていないのである、その格差も大きいのである

ただ私自身の価値観そもそも都会は性にあわない、ごみごみした密集した所に住みたくないからである、だから別に食べなどどうでもいい、腹を満たせばいいとしかない
だからうらやましいとも思わないのである、車も欲しいとも思わない
それは私はそもそもずぼらであり運転に向いていない、都会に住むのも向いていないからである
でもこのことを聞いて何か現代の経済の矛盾を感じたのである

つまり簡単に言えばこうである

漁師さんたちは東京の金持ちの方が優先で地元の貧乏人は相手にしないのですね

すべて金持ち優先であり地元の貧乏人のことなど関知しないとなっていたのである
結果的にとうなったのか?
今度は東京から東電が来て原発を建てるとなると多額の補償金をもらいるから漁業権を売りわたしたのである、そして大事故になった
それで今度はトリチウムを海に流すなというけどそもそも漁業権を売りわたしたのだから反対も本当はできないのである、金は具体的な責任でありカルマとなっていたからである
なぜそういうことになったのか?

それはまず地元の地域の経済で共同体をベースにした経済ではなくなっていたからであるそこに地域の繋がりとか絆というのはなくなっていた
地元のことをまず考慮することはない経済である、まずは金だ、金だ、すべてが決まってしまうのである
漁業が苦しいという時も金だ、東京の金持ちに魚を売れ、原発も金になるからいい
補償金ががっぼり入るからいい、それも金が第一だからそうなったのである
金が大事にしてもすべて金を求める時何か歪んでしまうのである
何か本来あるべきものが金によって無視され歪められるのである

それは今の資本主義とかグロ−バル経済で起きていることでありその矛盾が限界に達している、そこは道徳無き経済とかなって世界中が環境でも破壊されたり矛盾が現れて崩壊するともなる
そもそも世界的公平な市場などありえないのである、貿易とか商業とかが必要でもそれが度を越えたものとなり社会自体を歪めてしまったのである
その結果として地元に人が住めなくなって町や村が消滅してしまったのである
深く原因を考察すればそうなる

ともかく日本に住んでいても日本のことはわからない、また田舎に住んでいると都会のことはわからない、都会にすんでいるとまた田舎のことはわからないのである
そういう矛盾が広域経済とかグロ−バル化経済で矛盾が現れて是正する時が来たのであるコロナウィルスでもそうである、これもそうした世界の人々が自由に往き来するとか
モノ、ヒトが行き来するというのにも歯止めがかかったからである

本来人間がどうあるべきか、どういう生活をするべきなのか?

それが問われたのである、それでコロナがうつるから東京の人は来るなとなった
前は放射能がうつるから福島の人は来るなと言われた
この原発は東京の人にも大きな責任があったのにそういうことを言ったのである
だから今度は東京の人は来るなとなった、カルマとなったのである

結局広域経済とかグロ−バル経済とかが一見いいように見えても様々な分断を世界でもたらしたというのは本当である、移民が流入すれば人種差別となりまた金持ちと貧乏人の格差で分断が起きて都会と田舎の分断が起きたのである
だから今はその反省の時期となり社会の在り方を見直す時期になったともみる



posted by 天華 at 16:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年06月27日

広域化グロ−バル経済の負の面の増大 (地域の絆は失われ遠くの金持ちのために働く社会)


広域化グロ−バル経済の負の面の増大

(地域の絆は失われ遠くの金持ちのために働く社会)

経済が生活が大きく変わったのは明治以降と戦後である
明治以降はそれでも第一次産業中心であり農民中心の社会である
それは絹織物でも生糸の生産、蚕を飼う農家が本当に多かったからである
それは今でも兜屋根の家がそちこちにあるからわかる
養蚕は農業でもあったからだ
すると農民共同体があり江戸時代からの継続でもあった
確かに侍とが支配していた江戸幕府の封建体制は崩壊した
でも生活の継続があり依然として農民中心の社会になっていたのである
すると農民共同体というのがまだ活きていたとなる

戦後でもやはりその継続があった、農民の割合が依然として多かったのである
でも電機産業に変わった時農民の役割は激減した
今だともう第一次産業は一割にも満たない生産しかない
漁業でも林業でも農業でもそうである
戦後まもなくは東京へまだ石炭とか木材とか石材でも東京に送っていた
それで網の目のように森林鉄道が張り巡らされていた
そのために原町機関区があり平駅についで大きな駅になっていたのである
その時はかえって農山村の人口が多かったのである
飯館村でも一万以上いたとかなる

でも一次産業は衰退の一途をたどった、電機産業工業中心の社会となったからである
そこからグロ−バル化経済になり工業製品を電気製品を外国に売ることで高度成長時代を築いた
でもそれも一時的な繁栄だったのである、日本の電器産業が中国や韓国と同等なり追いつかれた、それはまねすればどこでもできるものだったからである
それで日本人が特別優れていたということではなかった
そこで日本人は特別優秀だということは原発事故で「安全神話」が崩壊した
日本の技術力はそれほど優秀でもなかったのである
むしろ今や中国より貧困化しているという
中国の給料は確かに日本より安いというが中国では生活を安くできるのである
そもそも基本となるものが公共料金が安くされているとか日本の生活実感とは違う
この生活実感は数字だけではわからないからである
中国旅行したときその時は十分の一の物価にしろ何か朝食とかでもお粥とかでも本当に安いのである、だから今でもそういう基本となるものが安いから給料の差で判断できないのである

ともかく第一次産業が日本で衰退した時、グロ−バル経済となったときそこに現代の問題が生まれた
農業でも農業はやるなと親に子供が殴られたとかあったり山の林業は外材に押されて衰退した、それに変わったのがこの辺では原発だったともなる
漁業にしても実際はそれで生活できないと東電に漁業権を売りわたしたのである
つまり漁業も衰退産業になっていたのである
その経済の変化が実生活に大きな影響を及ぼした
これまでの産業は地元に地域に地方が生産したものが都会で利用するとなっていた
石炭があれば常磐炭鉱があり東京に石炭を汽車で送っていた
蒸気機関車でありそのエネルギーは石炭でもあったのだ
その時はかえって地方は地域は活きていたともなる
それがエネルギーでも石油となり木材は外材とかなりグロ−バル化するともともとあった地域の産物が無用化したのである
ただ電器製品を輸出して売れた時は高度成長となり問題なかった
でも売れなくなったとき日本は低成長時代となり低迷して今や大貧困国だとまで言われるようになったのである

そしてグロ−バル経済というのは人間の心を歪めるものとして働いた
何か遠くの金持ちの方が大事になり近くの金のないものは貧乏人は金にならないから相手にしない、そのことを書いた
漁業でも実際は零細でありそれで遠くの金持ちのために最高級品のマグロは青森でとれたとかしても東京の高級店に送られる、そこで3万の寿司店で食べる人がいるとなる
そして地元では漁師は食べたとしても回りの地元の人は食べられないとなる
それが昔だったら新鮮なものを輸送できないから地元で消費させるとなっていたろう
その時地元の人はありがたいとして漁師に感謝していたかもしれない
そこに地域共同体が機能していたかもしれない、ただやはり石鰈などは高いからみんなが食べられるというものではなかった
でも東京の金持ちのために漁をしていたとはならなかったのである
そこで地域の人は漁師を貴重な人として役割ある人として認めていた
だからそうして危険を犯してまでとれたものをとってくれた漁師に感謝していたとなる

でも広域化グロ−バル化するとそういうことはなくなる
むしろ遠くの金持ちの方が上客でありその人たちのために売るために魚をとるとなる
地元の貧乏人相手にしても金にならないとなる
すると漁師と地元の人との関係は希薄なものになる、むしろ遠くの金持ちのために働いているとなる、すると地域の一体感は失われるのである
震災以後盛んに絆、絆を言われたがそれはあくまでも外部との絆だったのである
外部の人がボランティアであり仕事でも来ていて復興のために働いたからである
内部の人は実際はパチンコとかギャンブルで遊んでいた人たち多かったのである
これも広域化グロ−バル化社会で起きたことである
そこにもプラスとマイナスの面が生まれた

今度は漁師にしても魚とるだけではやっていけないから原発を作る東電に漁業権を売りわたした、そして事故前も事故後も他より多額の補償金をもらい別に魚をとらなくてもゆうゆうと暮らすことができたし原発御殿が建っていてうらやましがられていたのである
もともと漁師は魚をとることで地域の人として役割がありそれで感謝されていたのであるただそれが衰退産業化したとき東電の原発に頼ることになった
それは漁業だけではない地域全体がそうなったのである
でも事故になったときその責任が漁師にも問われたとなる
それは地域全体の崩壊現象が起きて故郷に住めなくなったからである

いづれにしろ広域化グロ−バル化は地方に地域に大きな影響を及ぼした
遠くの人を大事にして遠くの人がお客様となりその遠くの金持ちのために働くのが地方の人だとなる
それを象徴していたのが東京で三万の寿司を食べる人がいてその素材はマグロでも青森とか遠くから飛行機でももたらされるとういことである
また観光にしても地元の人より外国人をもてなすのである

日本の貧乏人をもてなしても金にならない!

こうなったのも実は日本の物価が外国より安くなったからである
日本では給料もあがない、でも外国では上がっているのだ
タイすら物価が上がっている、私は海外旅行を十数年していないからわからないが
外国では物価が上がり日本では安くなったから外国人が中国人なら爆買するとかなる
そして貧乏な日本人は相手にしないとなる
これもグロ−バル化がもたらした負の面だとなる
その負の面が大きくなったのが現実に実感するようになったのである
そうは言っても日本人自身が十数年前海外旅行ブームであり安い物価の外国で楽しんでいたからこれもカルマだとなる
今度は日本人が物価が安くなり外国人をもてなすことになったのである

そこで日本の旅館でもホテルでも金のある遠くから来た外国人がもてなされる
金のない日本人は相手にされないとなった
それでコロナウィルスで外国人が来なくなったり東京の金持ちが来なくなったので地元の人を福島県だったら県内の人を安くしてもてなすともなったのである
もともと高級旅館がありそれは東京の金持ち用なのである
何にしろ金のない人は誰も相手にしないというのが現代である

でも江戸時代とか何か戦前でもまだ地元で経済が回っていた

それで芭蕉の俳句で

「語られぬ湯殿に濡らす袂かな」

とあるとき湯治というのは農民が農作業で疲れをいやす場だったのである
それは地元の人たちをその労働の疲れをいやす場として提供していたのである
遠くの金持ちのためではないのである、それで東北には湯殿の碑とか本当に多いのであるそこは湯治の場だったのである
そういう所には百万都市江戸があっても来れない、だから地元の人たちが癒す場として温泉があり湯治があったとなる

とにかく広域化グロ−バル化経済というのは限界に来た
それは人間を歪めるものとして働くことが大きくなったのである
「隣人を愛せ」というけど「遠くの金持ちを愛せ」となったのが広域化グロ−バル化社会にもなったのである
隣人がもっともないがしろにするのが広域化グロ−バル経済なのである
ただ広域化グロ−バル化がすべて悪いとは言えない、ただそれが過度になりその負の面が大きくなりそれが人間を歪めるものとなったから問題なのである

都会と地方の格差、広域グロ−バル化は分断社会
(東京の寿司が三万円ーひろゆきの体験談から)
http://musubu.sblo.jp/article/188792157.html
posted by 天華 at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年06月28日

広域でモノや人が移動する経済構造から、地域集約的な経済構造への変化


広域でモノや人が移動する経済構造から、地域集約的な経済構造への変化

こうした変化が全世界的に波及した場合、莫大なエネルギーを投じて広域でモノや人が移動する経済構造から、地域集約的な経済構造への変化が進む可能性が高くなる。広域経済が縮小されれば、資材の単価は上昇するので、これも物価上昇を誘発するだろう。

莫大なエネルギーを投じて広域でモノや人が移動する経済構造から、地域集約的な経済構造への変化が進む可能性が高くなる

コロナウィルスの影響の不思議はこうして広域経済とかグロ−バル経済に歯止をかけたことである
それはもうグロ−バル経済とか資本主義が限界に来ていたこともあった
それはもう識者であれみんなそういうようになった、
グロ−バル経済は超格差社会を産んだからである
世界の数パーセントが世界の富の50パーセントを持っているとかになった

奇妙なのはグロ−バル化とは世界の人々が世界的に連帯する、世界的に協力するものとしてすすめれられた、しかし現実はあらゆる分断が生まれたのである
EUからイギリスが離脱したりアメリカの製造業が衰退してロストベルトが生まれたとかアメリカの富も数パーセントの人たちが50パーセントの富を持つという超格差社会になった、それでトランプがそういう格差社会になり中産階級からおちぶれて低所得者になる人たちが増えたからその支持で大統領になった
そこに超富裕層と下層階級という分断が生まれたのである
これをそのままにしておくとアメリカが内乱状態になりさらに衰退する

モノ、ヒトが自由に流通する、移動するというとき大量の移民が安い労働力として入ってくる、そこでまた移民と自国民との対立が生まれ分断になる
こうしてグロ−バル化とはかえってあらゆるところで分断を生じさせたのである
国内でも広域社会になると地方と都会とか東京と地方で分断が生まれる
福島原発も東京と地方の問題が顕在化したものとして見ることもでき生る
危険なものは地方に福島に作った方がいいとなったからである
それで地方でも金になるから歓迎された、でも事故後は分断された

原発事故ではフクシマの人は放射能うつるから来るな!

今度は逆に

東京の人はコロナウィルスをうつすから来るな!

こうなったのであある、コロナウィルスまた様々な分断を生んだ
原発事故でも地元でも補償金でもめて分断した
何かあらゆることで分断が生じてきたのである
まるで時代が逆行してきたようなのである

コロナウィルスがうつるから関所を作り他国のものを入れるな!

極端になれば江戸時代にもどれとまでなる、結局広域グローバル社会の負の面が増大して限界に来たのだと思う
人間社会とはそもそも基本的につながりを共同体を作れる規模は小さなものである
顔と顔を見合わすような範囲での社会なのかもしれない
そういう共同体から世界共同体など作りえないものだったのである
こうして世界規模の経済になると「金」が最大の力となりあらゆるものが金で計られる
本当は金で計りえないものまで金で計り金にならないものは価値がないとされる
金でなんでも買えるとなり何か大事なものが金で計れないものが無視される
ところが金で計れないものの価値がありその価値が見失われたともなる
原発事故では故郷に住めなくなった、故郷に住むということには金で計れない価値があったがそれも失われたとなる

資本主義が限界にきたというときもそうである、すべてがコストと利益で計られる
そのために安全がないがしろにされて原発事故にもなった
コストとか利益とか求め効率を求めてゆくとそこで肝心な安全とかがないがしろにされたりする
そしてそのコスト削減のため資本家が経営者は従業員をいかに安く雇うかとなりブラック化する、時給千円で雇うより900円で雇い製品でもなんでも安くすれば競争に勝てるとなる、だからブラック会社には勝てないともいう
そういう極限までコストを追求して人件費を省き競争に勝つしか生き残れない
それが広域的にグロ−バル化に行われたのである
でもそれは人間を疲弊させるのである
ただ消費者にもれば安い方いいとなるからどうにもならないともなる

それで今若者が中国ですら寝そべり族とかそういう競争社会でこきつかわれるのが嫌だとなりそんな人たちが出て来た、日本でニートとか引きこもりが出て来たのと同じである
ただ団塊の世代は企業戦士になった時代でありそういう社会からはずれた人間が極わずかだったのである、それが自分であった、でもみんなその時企業戦士になっていたのであるがむしゃらに働く人がいて高度成長時代があったのである
でもそれもバブルがはじけて30年も過ぎて日本経済は停滞したままなのである
その時は物もないし何もない時代だった、家に小さな飯台一つがあるだけだった
裸電球が一つとか何もない時代だったのである、だから物欲も強かったのである
道は舗装されていない土の道路だったのである、インフラも整備されていなかったのである

いづれにしろ何でも金で計られるということが人間を歪める、すべてを金で計れないからである、何がどれだけの値段になるか、それが公平になりえないのである
それが世界でドルが基準通貨になったとき一番得しているのはアメリカであり覇権国になる,アメリカに富が別に何も生産しなくてもドルを刷れば世界から物が買えるとなった
それも理不尽なのだけどアメリカが覇権国であり逆らうことはできないのである
中国を批判するけどアメリカもやはり貢物を要求しているのである
公平な市場などなくアメリカに富が収集してくる、覇権国になったら必ず世界の富がその国に集中して来る、そこに公平な市場の経済原理など成り立たないのである

この辺でも経営者になった人でも東京の金持ちのためにの別荘とかを建てる
地元の貧乏人相手では金にならないとしてそうなった
遠くの金持ちのためにそれも世界になれば見たこともない接したこともない大金持ちのために働いているともなる、それがグロ−バル経済だったともなる
そしてみんな頭に金のことしかなくなったのである
震災以後絆を盛んに言われたが内部ではかえって絆は消失していた、外部との絆は生まれたが内部の絆は消失していたのである
それは経済の構造が変わったからである、グロ−バル化することは一地域の経済規模とは天文学的な数字となり違っている
そこで経済の動きなど誰もわからないのである
だからこそ覇権国になったアメリカのそれも極一部の数パーセントに金が集まる、そこでアメリカ内部でも分断が起きている

要するに「道徳無き経済」にもなり情なき経済となりただ過酷な資本主義のルールだけが貫徹される、それは何か時代劇で相手が病人でも借金でもとりたてるとか娘は売られるとかなる、そして地域の絆は喪失した、あらゆるものが分断される社会になったのである
情がどうだこうだといえばもうからないと甘いとかされる
そんなことでは生きることもできないよともなる
本来のまともな経済は貨幣を介さないものであるがそれはできない
そもそも貨幣が発明した時から貨幣によって社会が乱れたことを嘆いていた
紀元前7世紀とかから嘆いていたのである
貨幣そのものが不公平をもたらすものだった、でもそれを否定して社会が成り立たない
確かなことは狭い範囲の村の様な範囲の経済だと貨幣は力はもたない
その住んでいる社会が拡大するに比例して貨幣の紙幣の力は強大になってくる
それが可能にしたのが運送する技術の発達だったのである

この辺で梨農家がありリヤカーで相馬市まで売りに行ってたという
そうなると苦労になる、それより近くの人に売った方がいいとなる
でも相馬市だと売れるとなるから苦労して運んだとなる
今なら車ですぐに運べれるからその経済の範囲が拡大する
それが世界的にグロ−バルに拡大したのが現代経済だとなる
ただそこに様々な歪みがもたらされたのである
コロナウィルスがそういう時に流行したというのも不思議である
時代の節目に流行したともなる
やはり人間だけの力ではないものによっても社会は変わる
原発も津波によって砕かれた、そのままだ日本中が原発に埋め尽くされてどうなったのか本当に日本崩壊になったからである、その歯止になったのが津波だったともなる
コロナウィルスもそうでありこれは自然の作用でありそこに神の関与があったともなる
つまり社会を見直して大きく変革する時期になったのである


posted by 天華 at 13:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年06月29日

オリッピックも原発も戦争も是非を議論もせずに大被害になった (今や何をすべきしないべきかを考える哲学宗教の時代に)


オリッピックも原発も戦争も是非を議論もせずに大被害になった

(今や何をすべきしないべきかを考える哲学宗教の時代に)

東京大会を開くかどうかも、政治家だけで決めるのではなく、選手自身や国民の意見をもっと聞くべきだったと僕は思う。今回の大会誘致のとき、福島第一原発事故の影響を心配する意見に対し、当時の安倍晋三首相が「アンダーコントロール(制御下にある)」と発言した。事実と違うのではといわれたけど、誘致が成功したから黙殺された。そんな経緯があるから、新型コロナウイルスの流行が収まらない今、「中止すべき」という声も黙殺されているように疑問を持たれてしまう。

本当にオリンピックが必要なのかどうか?
そのことが国民的に議論もしない、何か上の方でいつのまにか決まっていた
ただオリンピックが経済的効果があるから外国人が来るからいいとしかなかった

ただ利益だけから利権だけから見る

金になればいいじゃないかとなる、オリンピックは何なのか?
その意義は何なのか?それが追及されなかった
今になるとこれは一部の特権階級の利権のためにするということが判明した
ぼったくり会長としてIOCの会長が世界から批判されたからである

前の東京オリンピックが日本が戦後の焼け野原から目覚ましい発展を遂げてそれを世界に示すものとして意義があった
では今回のオリンピックの意義は何なのか?それが議論もされずただ誘致が決まった時
国民もそれでいいとした、関心もなかった人も多いだろう
オリンピック自体それほど悪いものに見えなかったのである
ただ福島原発からの復興オリンピックは偽装だったのである
地元では復興などしていないからである、避難者は町や村に帰っていない、大きな限界集落のようになっているだけである

ともかく何か大きな事業でも国民的なものでも本当に議論すらされないのである
それで今になってコロナウィルスになり日本人の命よりオリンピックが大事なのかと問われる、オリンピックは一部の特権階級の利権と利益のためだったのかこんなに汚れたものなのかと判明した
要するに世界的ショーでありそのショーを催す者たちが巨大な利権を得る、利益を得るとなっていたのである
それが見えなかったが暴露されたのである

それは原発事故ともにていたのである、原発に関しても地元でもそれがどういうものか知ることもなく議論されることもなかった、ただ利益になればいいじゃないかしかなかったそしてそれを作る方は原子力村を作り「安全神話」を作り何も言えなくさせた
そうして重大なことでも議論すらされないとなると民主主義があったのかとなる
そして常にこうして後から問題が起きると騒ぐだけなのである

でもオリンピックでもすべきかすべきでないか、する意義あるのかないのか?

こういうことが議論されるべきだった、その意見が分かれるにしても国民的に議論することが必要だったがそれもなかった
こういうことは常にある、大事業とかになると必ずある、戦争だって大事業でありこれには国民の生死がかかっていた、でもそれも国民的議論もなく、真珠湾攻撃で後にひけなくなり3百万人が死んだのである
それは予想もされない結果になった、これも国民が納得してそうなったものではない
強権的に上からの命令でそうなった

それで私の姉は突然赤紙が来て戦争に招集されて従軍看護婦としてシンガポールの向かい側のジョホールバルで地獄の苦しみを受けたのである
それはあまりにも突然のことであり有無を言わさず戦地に行かされたのである
それは国民がみんなそうだったのである、どうして戦争するかなどわからないままに強制的に地獄の戦場に連れて行かれたのである
そして三百万人が死んでその戦争が何であったのかと反省することになったのである
国民はまず何で戦争するのかもわからない人が多かったろう
鬼畜米英とか感情的に朝日新聞などでただあおられて良く考えもしないで強制的に戦地に送られたのである

とにかく人間は何かをするにも深く考えない、共同でするのにも議論もしない
事業を起こした人も地元では金にならないから東京の金持ち相手に別荘など建てるのが事業の目的だったとかある、そこでもただ利益になればいいとしかないのである
それで失敗して借金をかかえて苦しむとなる
そのために自分にしても周りにしても大迷惑になる、苦しめられたとなる
そうして事業に失敗すると家族でも回りでも苦しむことになる
そのとっばちりを受けるからた
だから回りにどういう動機で目的でするのか説明することも大事だとなる
人間は何でも勝手にしていいものなのか?
それがただ自分だけで始末できればいい、でも借金をしたということですでに周りに迷惑をかけるのである

とにかくまず金になればいい、利益になればいいしかないのである、カルト宗教団体でもそうである、御利益になればいいしかないのである
でもその御利益になればいいということが大集団になって社会に主張するとき他の人も巻き込まれるのである、民主主義といってもそれは利権利益民主主義である
その利権と利益のために集団化して組織化して社会に主張するだけだとなる
誰かが一人でも深く考えたことも数が多い方で物事は決められる、そうして後で問題が起きて国民全体が戦争では三百万人死んだことで責任がとらされるしまた原発事故でも
利益になればいいやとなって故郷に住むことすらできなくなったのである

現代はいろいろなものが整備されてできあがった社会になっている
戦後焼野原になったら何もなくなったからいろいろなものインフラでも整備される必要がありそれは考えることもなくみんな必要だから考えることもしなくても良かったのである例えば橋がなければ不便だということが目に見えてみんな要望だから橋でも道でも作る必要があった
でもインフラでも整備されると本当にこれ以上道が必要なのかインフラが必要なのかということが問題になった

リニアなどでもそういうことが起きている、そんな大工事していいのか、自然の影響がどうなるのかとか問題になる、新幹線は意味があってもそんなに早くして景色も見えないようなものに乗って快適なのかとなる
そもそもそんなに早く早くとすることが必要なのかとなる
それがコロナウィルスでヒト、モノの自由な行き来が止められた
それはグロ−バル化経済を止めることになった、それは世界に対する神からの警告だったのかともなる、そこに世界的に大きな歪が生まれたからである

いづれにしろ現代は何か重厚長大な産業とか外延的経済とか外に膨張する社会だった
でもそれがコロナウィルスで抑制された、またがむしゃらに働く社会だった
それで中国の若い世代でも寝そべり族とかが生まれそうしてがむしゃらに働かされることに抵抗するようになった、日本では前からニートとか引きこもりがいたからやはり中国でも同じことが起きてきているのかともなる

現代は物質的には交通でもその追及が頂点に達していたのである
グロ−バル経済でもそうだし科学技術でもそうである、原発などでもそこに相当な無理がありずさんだったのである、安全神話どころではない、内部の技術者がそれを知っていたのである、それでも強行された、それは利権と利益のためでありオリッピックと同じだったのである

現代で問われているは何か強引にすることではない、何かをするべきかしないかを考える時代にてったのである、哲学とか宗教の時代になったともなる
宗教でもカルト団体は全く無思考の団体だからそれは現代文明のナチスのような病的現象として現れたのである、大衆は考えないからである
そして現代では外延的に拡張拡散する世界ではなく、内面化する哲学宗教の時代になる
それは芸術の時代にもなる
それで私は木や石とかと自然と一体化するアイディンティティ化することを追求してきたのである,詩にしてきたのである
とにかく哲学宗教芸術の時代となると何かをするにも意義と意味とかが求められる
オリッピックでも一体これは世界の祭典として何の意義があるのかと問われたからである
コロナウィルスで生命の危険まで犯してする必要があるのか、結局利権利益のためだったということが判明したからである
posted by 天華 at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

夏の雲、木陰、花台の石、一輪の花の写真


夏の雲、木陰、花台の石、一輪の花の写真

vaseflower1.jpg

真日さして道幅広く立葵

朝よりし夏の雲湧く走るかな

夏の雲湧きあがるかな海広し

朝ひびく波の音かな夏雲雀


一本の木の木陰に我が休む故郷のその木を今日知りしかな

家の跡一本の松ありにしを遂に切らるも根っこ残りぬ

花台の硬き石にそ一輪の清楚なる花我が挿しにけり


梅雨の晴れ間に夏の雲が湧いた、でも山の方は梅雨の雲でふさがっている
これで感じたことは浜通りというとき海が見える地域である
でも中通りと会津では海は見えない、阿武隈山脈にさえぎられて浜通りから中通りの高い山とかも見えない、猪苗代湖も見えない、その相違は大きいのである
地理的一体感を持てないというときハマ、ナカ、アイヅと福島県が分れて地形も違っているからである、むしろ太平洋沿いの宮城県の方と地理的一体感を感じる
現実の世界でも常磐線で仙台市まで通勤圏になっている所もあり仙台市の方に一体感を感じる
会津となると別世界なのである
それで山から太陽が昇る感覚がわからないのである、また日本海だと海に太陽が沈むというときそれは太平洋から昇る太陽とは逆になるからこれも感覚的にそういう場所に住んでいたら相当に違ったものになる

夏の雲湧きあがるかな海広し

広々と太平洋が広がり山の方は梅雨の雲で塞がっているが朝に夏の雲が湧いている
この句は単純でも浜通りを象徴している

一本の木があった、そこに木陰がありそこを通る、その時その木を始めて意識した
なぜなら暑くてその木陰が気持よかったからである
だから自然にあるものでも何かみんな意識しないのである
なにかのきっかけで意識する、木があるところはいくらでもあるからなかなか意識しにくいのである

近くの家の跡に長く一本の松が立っていた、でも遂にその松が切られた
そして松が残った、家の跡に人も住まなくなって長い、ただ一本の松がそこに人間のように立っていたのである、松はそれほど高くないから人間のように見えるのである
何か長くあるものはそれがなくなってもすぐには忘却されない
長くあったからいつも見ていたからそこにまたあるような気になる
それは人間でも同じだったのである
長く一緒にいれば死んでも家族でも消えないのである

花台の石は浜に行って拾ってきた、でも暗くて映っていない、花台にはいい石だった
ここに昼間また花をさしてみよう
花台は男なのかもしれない、そこに一本の花を挿す、まさにこれは幽玄の美である
生け花とかフラワーアレンジメントも芸術である
それは花瓶とかその花台とか背景とか全体が関係しているのである
一つの美的な場を作ることだからである
だから花台の石も関係していたのである