2021年06月17日

日本が中国に売られる、 (土地利用規制法に反対した創価公明党の危険)


日本が中国に売られる、

(土地利用規制法に反対した創価公明党の危険)

自民党と連立を組んでいる公明党もまた〔土地利用規制法)の可決に対して足をを
引っ張った

公明党は(反日勢力)だということが今回も露呈した
公明党は与党に食い込んでいる売国政党なのである

なぜか良くわからないのだけど創価というのは中国様様なのである
中国で布教が許されるからだとか言うがそれも簡単にはできないだろう
共産党は宗教を警戒しているしカトリックのキリスト教を弾圧もしている
なぜなら中国の革命は黄巾の乱とか宗教団体から起きてきた歴史的経過があり警戒している
ただ別に創価だけではない、自民党に二階堂氏とか中国派の勢力が多い
それで公明党と二階堂氏が手を組んでGO TO キャンペーンが実施されたと言われる
それは中国派として共同できるからだともなる

創価というのはそもそも政治色の強い団体でありそれが教理からも肯定されている
王仏冥合という王は政治であり仏は法華経のことである
これが合体するという中世的なものを教理にしているからだ
それは完全な政教一致であり憲法に違反している
日本でも天皇制で政教一致になった反省で政教分離の法律ができたからである

ただ日本というのはこれは苦難な時代になる、米ソ冷戦の時は何か日本は傍観者でありかえってアメリカから優遇されていて高度成長時代を築いた
それはソ連のアメリカの防波堤として位置づけられていたからである
共産主義との戦いの中で日本は別に血を流す必要もなく経済的繁栄を求めるだけで良かったのである
でもベトナムなどは中ソ冷戦で多大な犠牲が強いられたのである

自民党でも公明党のようなものと組むと二階堂氏とか中国派とそれに反発する派で分裂する、また創価は衰退の一途をたどっているからもう選挙でも力を発揮できない
百万票でも減ったということは大きい、なぜなら創価公明は選挙にすべてのエネルギーを費やしているからである
二年前からも選挙態勢であり常時選挙態勢でありそうして座談会でも選挙の一票を獲得する場としてある、なぜなら座談会にも出ない人が膨大だからである
それが幽霊会員なのである、ただ会員となっているだけでありあとはなにもしない人たちである
そういうことでも全然気にしない、なぜならなんであれ一票になればいいのである
信心など関係ないからである

本当にあれだけ中国様様になると何なのだろうとなる
それはもしかしたら中国にもう日本が支配されるとなると中国様の配下となり権力の座につくことを目的にしているのだろうか?
今アメリカ様の配下になっているがまもなく中国様の支配下になればそうなる
もともと権力に異常に執着しているからそれを目指しているのだろうか?

日本はこれから日本自体が弱体化してロシアは北方四島など手放さない、そこがアメリカの基地にされたくないからである
また実質アメリカ軍が駐留して守られているのが日本である
でもアメリカが弱体化すると日本がから引き上げるとなったらたちまち日本は中国が侵攻してロシアが北海道にも侵攻するかもしれない、日本が大国の狭間で分断されるという恐怖の時代になる
その時創価公明はいち早く中国にすりより権力を中国の後ろ盾で得る

何か宗教というとき右よりになるが創価公明の場合は違っている
もともと極端に中国よりなのである、だから土地規制法すら強硬に反対していた
創価公明は中国に日本を売ることに抵抗感がない、それは相当に危険なことである
でも不思議なのは鈴木傾城は創価のプロパガンダの佐藤優の本を推奨していたのである
こうして創価公明を批判しているのにそうだった
何か知識人は創価公明を宗教団体でいい人たちのように見ている
個々人をみればそうかもしれないがそれが組織化して団体化して活動するときそうはみれない、組織団体には必ず目的があって成り立っている
それでNHKですら組織団体でありその組織団体には意志があるから中立ではない
単なるメデア、仲介するものではない、そこに在日などがかかわり政治的な意志があって報道もしているのである、右寄りの報道はしないのである

国際関係としては日本はこれから苦しい立場に追い込まれる、それは中国の巨大化なのである、中国の問題は隣国だから大量の中国人が移動して住めるということがある
それはウィグル問題のようにたちまち漢人によって国がのっとられるともなるのだ
そこで思想弾圧もあり宗教も否定される、共産党の支配下でそうさせられる
だからなぜ創価公明でも宗教だとなると除外されるのか?
ともかく日本はこうして中国派と欧米派とかに分断される危機に直面する
ただそういう危機感が平和になれて日本には消失しているのである
でもそういう現実が迫り平和は維持されなくなる、そういう時代になってきている

中国とどういう付き合いをするのか、それが真剣に模索される時代になる

それはアメリカが衰退するということで余計にそうなる、力のバランスが世界で変わってしまうからそうなる
反日勢力というとき在日もそうである、ただ在日と中国の関係となると複雑になる
なぜなら在日でアメリカ国籍の人もいるし駐留しているアメリカ軍と懇意の人もいる
すると中国との関係はどうなるのか?反中国になるのである
それもまた複雑で理解しかねるとなる,反日なことはわかるが反中国にもならないから理解できなくなるのである
つまり在日でも一つではなくなく反日でもアメリカ寄りの人と中国寄りの人もいるとなる国際関係となると複雑化するのである

ただ在日というのはあいまいな白黒はっきりしない存在なのである
ただこういう人達によっても日本は分断される、内部から分断される
そして日本が二分されて争うともなる、自民党にも右派がいるしその人たちは分裂して強硬右派になり袂を分かつようになる
それは中国が迫ってきて軍事的侵攻してくれば必然的にそうなってくる
そこであいまいさは許されなくなるからだ
ただ確かなことはアメリカが衰退して日本の国力が弱体化しているからそうなる可能性が強いのである

posted by 天華 at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

山元町の地名の解説 (合成地名は本来の意味を失うから問題 )


山元町の地名の解説

(合成地名は本来の意味を失うから問題 )

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【「祖先」のルーツ】名字の8割は「地名」に由来!《47都道府県「地名の謎」》
https://www.excite.co.jp/news/article/BestTimes_00699240/image/1/

このサイトの地名の絵地図がわかりやすい、日本の地形から苗字が生まれている
山下から山元とか山口は山と関係している  

 昭和 30年2月1日 - 山下村と坂元村が合併し、 山元町 が発足
 
 実際は地形と関係なかったのである、こうして合成地名は本来の地名の成り立つ意味を失わせるかから問題なのである
 飯館村でも飯樋と大舘村が合併してそうなった、こういうのが明治以降多いのである

それでなぜ山元町と山下町があるのか、常磐線で行けばそこはどっちかというと広い海の方を意識する、でも駅名は山元町であり山下町もある
その町名からは山を意識するが海を意識しないのである
その感覚はどうして生まれたのかとなれば海より山の方に村落や町が生まれたためではないか?本来は山元町ではなく山下町であるべきだったともなる
なぜなら山下村という地名はもともとあった地名だからである
山の方から水が流れて来て田が作られるということがあるからだ

上山(うわやま)

上山は(うわやまーわやま)は地区にとって欠かすことのできない山で用材の刈りだし
はもちろん薪山としても農家の草刈り山としても人々を入れまた水源涵養の山として地区をうるおした山である
(山元町ーふるさと地名考)

これは端山ー葉山であり里山であり入会の山であり生活に密着した山である
羽山―葉山信仰は有名である、草刈場としてあるとき鹿島の右田の農家の人に聞いたが
馬車で橲原(じこさばら)まで草刈りに行ってそれを肥やしにした
そこに入会権として右田の人たちが所有していた、それで津波で家を流されたので家をそこに建てたという、その土地は右田の人の所有になっていたのである
山というのは実際は深く平地とか海の方まで結びついていたのである

一つ橋

その橋は上平のただ一つの橋であったことから一つ橋の名がついた

橋はなかなかない、だからその一つ橋が目立ち地名化した


坂元神社は妙見社として蓑首城跡にあったが明治元年に北辰社と改称した

妙見神社とか日吉神社とか山王神社は相馬藩内に多い、それが亘理の方まで移動したともなる

かすべ田

土地の人が少しづつ開いて小さな田んぼにした、田んぼがちいさいので魚のかすべくらいの田んぼということからかすべの名がついた  

カスべ田というのは変わった名だがやはり海があり漁師が暮らしていたからその魚と田の形をイメージした、それはまた日本にはとにかく小さな田が多いのである
わずかの平地でも田にして米をとることをしてきたのである
だからどこにでもとにかく小さな田が多いのである
でも津波とか原発事故とか小農が成り立たなくなり耕地整理して田んぼを広くした
小さな田んぼは耕作放棄地となって草ぼうぼうになっているがそこはソーラーパネルとかなるのも多いのである
山元町の津波の被害は大きかった、海岸沿いの家は流されて山の方に新しい住宅が建った海の方は壊滅状態だった

ともかく山下とか山元町は相馬から連続したものとしてみる、常磐線でいつも通った場所だからである
ただ仙台市まで通勤地帯でもあるが電車で行くと何かやはり街道筋の歴史とかが見えないのである、だから街道筋を浜街道を一回自転車で山下まで行ったことは貴重だった
そこで郷土館がありこの本を手に入れたからである
こうして少しでも歴史を知らないとただ通り過ぎて何も感じないとなってしまうのである
ただ正直近くでも山元町でもわかりにくいのである、いつも山を見ていると低いのであるだからあまり景観的に魅力を感じていなかった
でもそこにも歴史がありそれをふ知れば興味を覚えるのである
それでも地形とかは実際にそこを行き来していないとわかりにくいのである
飯館村とかなると標高が600メートルとかなり高いのである
山元町の山脈は低くいのである、それで魅力が感じられないのである

こうして私の場合は地名から地理とか歴史に興味をもつようになった
その興味は尽きないのである、なぜなら地理だけはその地を自ら踏んで踏査しないと実感できないからである


2021年06月18日

坂元ー山下の浜街道と鉄道の短歌 (街道と鉄道を偲ぶ)

坂元ー山下の浜街道と鉄道の短歌

(街道と鉄道を偲ぶ)

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磯山に正宗休み椿散る松に寄りにつ海を見るかな

坂元宿夕べ来たりて春の月海より昇り光りけるかな

相馬より海沿い来たり磯山に地元の人と語る春の朝

坂元の名の古しかな古代よりその名のありて春の日暮れぬ

浜吉田駅の前にそ津波来ぬその名のごとく秋のくれかな

仙台より帰る電車の窓に見ゆ山元町の秋のともしび

仙台に電車に通ふ月日かな山下駅に菖蒲咲くかも

新しき逢熊駅や蝉の鳴き三分止まり待ちにけるかな

新しき新地駅かな春の日に牡鹿半島と金華山見ゆ

新地駅6分とまりて虫の音を我が聞きにつつ月も光りぬ

夜のふけて津波の前の新地駅虫の音聴きて六分とま

鹿島駅八重桜咲き我を待つ人もなくして木もなくなりぬ


陸前浜街道というとき伊達藩の領域として新地からあった
新地は伊達藩なのである、それで新地の人でだっちゃ、だっちゃという女性がいた
このだっちゃは仙台弁なのである
新地のなまりは方言が伊達藩だからこそあり仙台弁なのである
だっちゃだっちゃと相馬弁とか福島の方だとんだんだとなる
この感じがかなり違ったものなのである
それで丸森の人が相馬市の病院に入院していてんだっちゃと言った時、んだーだっちゃが結合してそうなったと聞いた
丸森とか新地は相馬藩との境になっていたからである
丸森でも最初に金山に城を築き城主となったのが相馬藩の武士だったからである

岩沼宿−亘理宿−山下宿−坂本宿−新地宿−駒ヶ嶺宿−黒木宿−中村宿−鹿島宿−原町宿−小高宿−高野宿−長塚宿−新山宿−熊川宿−富岡宿−木戸宿−広野宿−久之浜宿−四倉宿−平宿−

黒木宿となると相馬の城跡から離れているが昔の道がそっちの方にあった
あとはそんなに変わっていない、双葉には長塚宿と、新山宿があった、二つの宿場があり経済的負担から二の村が代わる代わるに担当したとなる
要するに参勤交代とかあり接待するのにも負担になったからである
長塚宿は昔は常磐線でも長塚駅があった、双葉駅の前は長塚駅だったのである
高野宿は浪江である、後は常磐線の駅名と同じになっている  

山元町内遺跡 発掘調査情報
https://www.town.yamamoto.miyagi.jp/soshiki/20/3693.html  

坂本願という土器に残された文字は古代のものでありもともと坂本であった
坂本は各地ありそこが宿場となる地形にある、坂を上るということでその手前で休むということにもなる、区切りの場所ともみる

陸前浜街道では渡来人などが来て製鉄が行われていた、山元町の海岸沿いにある犬塚遺跡は銅の鐙が発見されている、これはめずらしい、鉄だけではない銅も作っていたのである津神社とは渡来人が祭った伽耶国の王子のツノガノアラシトのことである
八重垣神社が海岸沿いにあるがこれも出雲系であり渡来人とも関係しているのである
国引き伝説ののように渡来人と出雲は密接な関係があるためである
出雲とは蝦夷のことでもあったからである

その静鉄族の跡は石巻から北上川をさかのぼる登米に残っている
そこに真野氏とかの印された木簡が残されていた、この真野氏一族は渡来人系統であり
南相馬市の鹿島の真野郷はそこに由来している
その跡は明確にたどれるのである    

磯山では正宗が休み唐番所とかあり外国船を来るのを見守っていた

私が印象に残ったのは仙台市まで電車で通うにして行っていたことである
だから街道の方は一回くらい自転車で行っただけなのである
それでいつも仙台からの帰りで車窓から夜になると山元町の山の方に灯る灯を見ていたのである

そして津波で山下駅とか新地駅が流れて新しい駅になったのである
ても私が記憶しているのは古い駅である、なぜか新地駅では交換の電車を待つ、それが六分だったのである、その時電車の外に出て息抜きをする
海岸には屋並が見えた、そして虫く声が聞こえていたのである
でも今は高い所にあるからそういう虫の声は聞こえない、でも高い場所にあるからその駅から牡鹿半島とか金華山がはっきり見えるようになったのである
ただ昔の駅を知らない人はそれをイメージできなくなった   

何か鉄道は駅で止まったりするときそこに人間的なものが生まれる
何か時間の無駄なようでもそこに人間的なものが生まれる
今は逢熊駅で三分くらい交換列車を待つ、そこで蝉が鳴く声がひびく
それがまた人間的なのである、たったの三分くらいでも何かそこに人間的なものが生まれる、電車には待つ時間がある、駅でも電車を待ち人を待つ時間がある
それで駅なら人間的なものを情を育む場所となっていたのである
新幹線とかなるともう待つ時間もないのである
そこに何かもう余裕がない社会になる、、駅は半分以上無人駅になる
効率的でないものは省かれる、車社会になったとき余計にそうなったのである
車は何か私的なものであるが駅だとみんなして待つとかまた電車に乗り合わせることは共通の空間を共有する公共的な場なのである
車は個々人とか人を分離させるものなのである、そこに人間の情は養われないのである
それで鉄道の歴史は長いから人生を演出する場ともなっていたのである

ともかく陸前浜街道は今や六号線でひっきりなしに車の通る場所でありまるでベルトコンベアーのように車を運ぶ道路となる
昔の街道を偲ぶということもしにくいのである、ただ自転車だとある程度昔に還り旅の気分を味わうことができる
浜街道の特徴として海が近いから夕べに坂元に春の満月が出ていた、それは海から登ってきたもののである

ただ私は仙台から家に帰るにしても家では誰も待っていない、待っている家族はみんな死んだからである、前は鹿島駅に八重桜が咲いていたがそれもなくなった
それも淋しいのである、八重桜ほのぼのとして咲く、そこに家族の愛があったなるからである
駅にはとにかく何か人間的なもの情が生まれるのである
ただそれも無人化したり機械化すると失われてゆく、その駅に出入りするのを監視カメラが見ているのである、人間がじかに接するものがなくなる、そこに人間喪失の時代になったのである、どこでも機械になり人間がいなくなっていくのである
何か無機的な索漠とした世界になってゆく、今やロボットが駅員となり迎えるのも送るのもロボットがするともなる、それも味気ないとなる
私は何か鉄道の旅が長いから鉄道に思い入れが生まれたのである

それで無人駅でボランティアのまねをしたのはそういう経過があったからである
ただそこでは排斥されるだけだったのである
つまり何か人間的なものが社会から喪失しているから邪魔だとなる
人間がもう邪魔な社会にもなっているのだ、ロボットがいればいいとまでなっているしなってゆく、そういう社会は索漠としたものになる
そういう社会に住みたいと思うだろうか?
でも人はただ便利さをもとめそういうことを感じることもなくなる
車社会に恩恵を受けても自分はなじめない、でもとうにもならない
今日駅に来ていた人は新地に車を置いて鹿島でおりた
つまり車と電車の併用だったのである、それが現代社会である
ただ車というのは人間の情をはぐくまないのである、それは鋼鉄の部屋に閉ざされで外部との人の接触を拒むのである
そうは言っても田舎だと車無しでは暮らせないからとやかくは言えないとなる





2021年06月19日

【ひろゆき】資本主義の限界について語る (価値観が変わると見方も変わるーニートと引きこもりの問題)


【ひろゆき】資本主義の限界について語る

(価値観が変わると見方も変わるーニートと引きこもりの問題)

https://www.youtube.com/watch?v=iWXlqJppEas

武田邦彦氏がひろゆきなどを労働を否定しているので批判している、労働は国民の義務だとしている、それが普通である、日本人はもともと労働することが強制というものでもなく労働自体に価値を見出してきたからだとしている
欧米系統になると聖書の教えで神からの罰として労働が強いられたとしている
だから労働はするべきではないということで奴隷にさせたとなる
またヨ−ロッパとかで奴隷階級が生まれたのは大陸では支配するものと支配されるものとに分かれた、常に大陸はつながっているのだから領地争いになり万里長城もできる
そこで支配する者と支配される者が生まれる
スラブ民族はスレーブは奴隷の意味なのである、それは東欧がそういう民族だったとなる日本ではそういう歴史がないから特殊な民族だったとなる

武田邦彦氏が旧来の労働を言うとき何か自分は反発する、それは結局人間は自分の経験から語るからである、一流の科学者技術者が労働について語るのと底辺労働者が労働について語るのとはそもそも根本的に違っているからだ
そういう人は労働はもう楽しいものであり苦痛ではないのである
でも底辺になると食べるための強制になる、私は底辺であり流れ作業や肉体労働などばかりさせられていたら労働自体嫌悪するのである
ただ肉体労働でも例えば職人を見ているとその人は生まれつき職人のようにみえる
仕事ができるし仕事が好きなのである、そういう人は別なのである

仕事というのは強いられたものと自ら望んでやる、適正があり興味があるのとは雲泥の差がある、でも一流の科学者技術者が労働を語るのと底辺労働者が語るのでは全然違ったものになる
だから武田邦彦氏がベーシックインカムは日本を滅ぼすというときもそうである
でもベーシックインカムは時代で言われてきたのである、機械化ロボット化する社会で言われてきたのである、特に知能労働でもAIが発達してきて言われたきた
ロボットというのは昔の奴隷の代わりになるものである
したくない仕事をロボットに機械にしてもらうのである、そして人間は人間にしかできないものを仕事とする、実はそれこそ理想なのである、実際ロボットではできないもの機械ではできないものAIではできないものがありそれをするのが人間的なものを追求する社会になるからだ

自分の場合は社会からはずれて旅ばかりするようになったのは底辺でしか働いていないからである、それで労働に嫌悪するようになった
たまたま家庭環境に恵まれてそれができたのである、だから親に感謝しているのである
どうしても自分にとって学校とか社会とか集団生活にてじめないからである
でも自分に興味あることを追求してきたのである
それは金がかかっても一銭の収入にもなっていない、社会から認められたこともない
でも遂にもう死ぬ時期になってその成果をプログなどで出すようになった
何か自分は自分一人でもこうして発言できるものに向いていたのである
ジャーナリストとかにも向いていたがそういう場に職を得られなかっただけなのである
まず人間は自分の向いている仕事などになかなか普通はつけない、不本意なものをさせられている、だからこそ会社員は自らを社畜と言っている奴隷と言っているのである
そういうふうに言うこと自体労働がすべていいものではないことを知るべきである
ただ人間は労働なくしてありえない、社会の存続もありえない、ただ本来は社畜とかではなく自ら選んで自分の適性ある労働するのが理想である、ただそれは本当にまれにしかないように思う

職人でもうまれつき職人のような人がいる、その人は仕事ができる、仕事を追求しているいい庭も作る、家のことも知っている、その人はだから仕事をするというとき金のためでもあるがその仕事が向いているし仕事ができるということでそれを他者に示したいのである、だからしきりに自分の仕事を自慢するのである
その人は自分が仕事ができて才能でも体力でもあることを示したいとういことで仕事している、だから単に金だけが動機ともなっていないのである
ただそれだけの仕事ができるのだから相応の金は欲しいとなっている
でもその人は仕事をするというときその仕事そのものに熱中するのである
だからいやいやながら仕事するのは違っているのである
おそらく本来の仕事は別に金をもらえなくてもやりたいことをすることである
確かにそこには訓練も必要だがそういう仕事はいやいやながら金のためにやらされる仕事ととは違ってるのである

ともかくなぜこういうことが今問題になるかのかというと本当に引きこもりとかニートとかが普通にいる社会である、それでそういう人と田舎で自分は逢う、なぜこんなに働かない人が多いのか、それも普通にいるのか、それが労働を強いられた高度成長時代と違っている、企業戦士として働いた時代とは違っている
そもそも老人がこれだけ多くて働いていない、おそらく日本では三分の一くらい働いていない、こういう社会はありえなかったのである
その数が多から社会でも困るとなる、団塊の世代などはまず働かないとか無職とかなると本当にまれである数百人とかの単位かもしれない、それが60万人とかそれ以上になるのは考えられないとなるからだ
それで社会でも困るからなんとかしろとなっているのである
本当は無職とかはアウトサイダーであり芸術家とかに多かったのでありそれは特殊な才能がある人でそうなったのである、だからそういう人は悲惨なことになった
ゴッホとかいろいろいる、それらの人は天才であり今のニートとか引きこもりとかは全然ちがったものである、ニートとか引きこもりは普通の平凡な人が今ではなっているからだ

いづれにしろ奇妙なことは時代が変わり価値観が変わったのである
戦後の焼け野原から始まった高度成長時代と今は違っている、物質的にはある程度満たされている、戦後十年は食べるものさえなかったのだからそういう時代とは違う
だからこそ好きなことをやれとか盛んに言う人が増えたのである
今までの労働観とは違ったものになっている、だから私はどちらかというと特殊であり
必ずしも無職であれニートとか引きこもりでもいいじゃないかということにもなる
ただこれも実際は相当な問題がある、社会性がなく将来厳しいものになる
それを親の介護でいやというほど経験したからである
だからいちがいにいいとはならないのである

人間はとにかくその人の経験から語る、その経験も限られているから偏見になる
また人間はその時代を生きて語るからその時代の価値観から逃れられない
また人間は一つの国で生活するからその国の価値観から逃れられないのである
それでひろゆきが外国旅行するならキャーバとかミャンマーとか北朝鮮がいいというときやはり広く外国を肌で知っている人は違っているなと思った
トルコのイスタンブールに滞在していたとき50歳くらいの会社をやめた名古屋の人が
シリアに行った、その人たちは純朴といいと何度も言っていた
シリアというと社会主義国だった、だからそんないい印象がない、でも実際そこに住んでいる人は純朴だったのである、それはラオスに行った人もそう言っていた
つまり資本主義国だとどこも同じ価値観になる、金が唯一の価値になる
でもそういう国ではない価値観に生きる人もある、そこで学ぶ方が多いというのもわかるだから先進国より遅れた国の方が学ぶことが多いというのも逆説である
必ず時代によって国によって価値観が変わってくるからである
これが地上から離れて天国に行けば全く価値観の違った世界に入る
この世にいればどうしてもこの世の価値観に染まるのである、これはもう絶対に脱することができないのである、死んで初めて脱することができるとなる

だから社会主義が必ずしも悪いとはならない、むしろ弱肉強食の資本主義はかえって人間をゆがめたともなる
資本主義は人間を幸福にするとはならなかったのである、民主主義も愚民主義になりいいものとは必ずもならない、とにかく人間社会はそもそもいろいろ体制があっても人間自身が変わらないから同じなのである
人間というのは決して欲から逃れられない、欲望から逃れられない、だから共産主義でも超格差社会にもなる、共産党幹部が富を一人じめとするとかなる
だから永遠にこの世は変わらない、いすいろ体制があっても機械化しても人間そのものは絶対に変わらないのである、それでなぜ宗教が生まれたかとなるとその欲をおさえるために生まれたのである
でもこれも今のカルト宗教団体とかみればわかる、かえって欲望は肯定されて欲望を満足させるものとして俗化したのである、そこであらゆる欲望は肯定されるというより欲望を強く持てとまでなっている、それがエネルギーがあっていいとまでなる
だからこそあれだけの何百万の会員にもなる、それはまたナチスとかとも似ている
要するに人間そのものは変わらない、欲から逃れられないからである
だから人間は欲で滅びるとされているのである

そもそもそうして宗教というのが仏教でも寺にこもって座禅して何もしない、働かないとういことがあった、それが修行なのである、ただ禅宗だと一日成さずば食わずとなって働くことを肯定しているが一面はただ沈黙の行をしている、働かないのである
そして人の喜捨に頼る、自ら汗して働かず恵んでもらう、これは反社会的なことである
資本主義はもともと修道院で生まれたという時労働に価値を置いていた
それは他者を助けるために働くとなっていたからだ、だから西欧的価値観だとその労働観も違っているのである、アジアは闇雲に働くということは肯定されていないのである
そしてプロテタンとが生まれたのはドイツとか北欧とか寒い地域なのである
そういう寒い地域ではどうしてもは働かざるを得ない、バナナなどがいくらでもとれる熱帯とは違うからである、そういう気候の相違でも価値観が違ってきていたのである
posted by 天華 at 09:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年06月20日

江戸は大消費地ー働かない侍が50万人 (生産より消費の経済へ)


江戸は大消費地ー働かない侍が50万人

(生産より消費の経済へ)
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新宿区千駄ヶ谷の江戸切り絵図

植木の需要が多かった



江戸時代に興味がある、でもわかりにくい、その最大の謎は侍が50万人もいたということである、百万都市でも半分が侍だった、その人たちは働いていないのである
生産者ではないのである、ただ消費する人たちなのである
ではその生活費はどこから得ていたのか?
それは国元なのである、そこに農民がいて米を作る、石高となりそれで収入となっていた貨幣でも小判でもその藩でもうけたもので得ていた、それを江戸で使っていた
江戸というのは何かそこで生産する人がいない、ただ近辺の農家では江戸は大消費地だから米とか野菜を供給した、ただ米の消費が膨大だから地方から仕入れた
伊達政宗の仙台からは石巻に米が集められて船で江戸に運ばれた
阿武隈川でも水運があり川で信達地方の米が集められて荒浜から運ばれた、ただ直接江戸には行かず川の水路を利用した、川を利用した運輸が盛んであり物資は江戸に集まったのである、

当初東北地方から江戸への廻船の入り方は、那珂湊ないしは銚子までは海路をとり、危険な犬吠埼沖通過を避け利根川の水運を利用する内川江戸廻りであった。だが寛文11年(1671年)に江戸幕府の命を受けた河村瑞賢が、東北諸藩の領内の産米を房総半島を迂回し伊豆半島の下田から外海江戸廻りで直接江戸に運ぶことに成功した

下田とはこうして港で栄えたのである、地理的には江戸から離れていても船運があり港なり栄えたとなる,下田という地名が何かもともと辺鄙な場所だったことを示している

東海道とか陸路は物資の輸送には適していない、荷物が運びにくいからである
船だと荷物が運び安居から大坂を物資の集積地として一大商都となった
それが瀬戸内海を通じて西回りの北前船が日本海を通り新潟県や山形県や青森県まで行き来した、それでそこでは銀の貨幣が流通していた
名古屋から関東から東北は金の貨幣が流通していた、つまり船運の範囲が大阪から日本海回りがありそうなった、それで山形県でもは最上川が紅花を運ぶ川となっていた
それで酒田とかが繁栄したのである
つまり日本でも河が動脈となり海が交通路となって商業が盛んになったのである
大坂だと西の醤油とか味噌とかが入ってきた
そして江戸には大阪から船でも物資が入ってきた、江戸が百万都市となり一大消費地となったからである

最上川からは米も運ばれた、蕪村の句に「毛見の衆の舟さし下せ最上川」「新米の坂田は早しもがみ河」あるのはそのためである

江戸は大消費地であり米を食べる量も膨大になる、そして江戸には優先的に米が運ばれていた、東北で飢饉があっても江戸で米が入ってきて食べられていたのである
それは米が商品作物であり江戸に売るものとして伊達藩で米を大量に作っていたからである、そのために天候不順とか不作になったとき肝心の地元では米が食べられなくなった
米だけを生産していると他の作物を作らないから米がとれないと食べ物がなくなる
それで飢饉となった、でも山だといろいろなものを作っていて稗だとか粟だとか作りそれが食料になる、そういうことはグロ−バル経済でコーヒーだけを作り他のものが作らないで後進国で食べるものもなくなるということがあった
またコーヒーが安くなるとその影響が大きいのである、それで今ではいろいろなものを畑で作るともなる、何かこうして地方でも地元でも商業が発達すると農業も影響を受けてアンバランスになる、これはグロ−バル経済で起きているから同じなのである
逆に江戸では白米を食べることができたがそのために脚気になったのである
それを江戸患いとなっていたのである、これは国土利用のアンバランスからそうなったのである
それが栄養のバランスを崩した、こういうことはやはり何か時代が変わっても継続しているのである

ともかく江戸の不思議は大名屋敷がありその敷地でも広大なのである、甲子園くらいの広さがあったというのもある、その大名屋敷に雇われる中間とかも多い、その大名屋敷の侍を食べさせる米の量も膨大なのである
侍は何をしていたのか?ただ消費するだけなのである、だからそれだけの金が国元から送られてきて生活が成り立っていた、それだけ豊かになったともなるが地方の農民とかはそのために納税することで苦しんだとなっていた
江戸の地図を見ると大名屋敷の間に点々と植木屋がある、それは大名屋敷の庭が広大なものがありその松の剪定とかで常時仕事があったからだとなる
普通は町人は長屋住まいであり大名屋敷の間に住んでいないからだ
お雇いの植木屋ともなっていたのかもしれない、それだけの仕事があったからそうなっていたとみる

経済というとき何か生産に注目する、農家だったらどれだけのものを生産するかが問題になる、でも江戸とかなると大消費地であり働く人がいない、50万人が侍でありあとは町民なのである、そして江戸に行けばなにかしら働き口があり糊口をしのげるとなって江戸に行く人が多くいた、それは今の東京と似ている
東京だと何かしら働き口があるとなり若い人が行くからである

何でも屋
「何かやる事はないかー」 などと声をあげて町を歩き、 薪割りなどこちょっとした力仕事で駄賃を稼いでいた。また、 正月が近くなると餅つきなどをして稼いでいた。
https://edo100.tokyo/freeterinedo/

これを必殺仕事人で見ている、佳代(かよ)がそうである、この女性の演技がうまいなと感心する、時代劇でも今になるとこうして演技力ある人がいなくなったこともある
田舎だと何か仕事がないかというと草刈りなのである、暇なし草刈りしているからである
とにかく何かしら江戸には仕事があり宵越しの金はもたないという生活が成り立っていたという、その日暮らしでもそれほど心配していなかったというのも不思議である
今なら一億円あっても安心がないからである、ともかく日々の生活でも最低限の質素なものでありそれで生活が成り立っていた、狭い長屋で家族が暮らしていた
今は貧乏になったといっても大家族で暮らしていない、知っている人は金がないのに苦しいのに三人の家族がそれぞれ住宅とか団地とかに住んでいる
すると三人別々だから家賃から電気代からカズ代から三人分かかるのである
電器製品でも掃除機でも洗濯機でも別々に買うから金がかかる、そしていつも壊れたとか言うのである、そこが今は貧乏だとしても贅沢だとなっているのだ
本当に貧乏だったらそんな暮らしができなくなるからである

そもそも江戸で50万人の働かない侍を養えたのかという疑問がある
でも生産と消費があるとき消費が大きなウエイトを占めるようになるのはそれだけ生産力が上がったためである、元禄時代になると地方で開拓が進んで大量に米がとれるようになったからだ、相馬藩でも松川浦の近くの新田は元禄時代に開拓された、元禄の碑があったからだ、この辺では元禄の碑があることはめずらしいのである
その元禄時代に芭蕉がみちのくの旅に出たのである、その時代に俳句が相当に興隆していた、地方の商人の金持ちを回ったのもそのためである

何か経済を考える時、生産と消費がある、でも生産に重きが置かれ消費のことはまさに消す費やすとかでマイナスに見られる
だから侍とは生産しない人達であり批判される対象にもなった、東北では安藤昌益がそうである、でも豊かになるとエンゲル係数でも食糧だけではないものに消費する割合が増えることになる、消費のウェイトが増大するのである
それで消費者は王様だとして高度成長時代に言われたのもわかる
消費すれば景気が良くなるのである、必ずしも生産することが喜ばれるとはならないのである
なぜならどこでも食堂であれ飲み屋であり食べてくれ飲んでくれ菓子屋でもうまいから食べてくれ買ってくれとなっている、家でも新しい家を借金しても買ってくれ車ででも自転車でもなんでもとにかく買ってくれとなっているのである
だから生産している人より買ってくれる人消費する人が王様だとなってしまっている
消費することが経済を回す景気を良くすることなのである
ボランティアはかえって嫌われる、消費しないからである、何かしら生産にたずさわり金をもらうとしているからともみる
会社でも組織でしていてそうしたものが入ってくるのを嫌うからである
むしろ消費してくれることが地域にとって望まれているのである
米だって余っているのだからもっと米を食べてくれとなる、でもパンもあるから米の消費が減っているのである
そして現代ではニートとか引きこもりとか老人の年金生活者とか3千万人くらいが働いていないのである、それだけ豊かになったからそういう人がいるともなる

江戸時代と対比して現代をみると見えてくるものがある
何か自分は時代劇をBSで毎日見ている、また今はアレキサンダーのインドの英雄の戦いを見ている、歴史に興味があるから見ている
そこから歴史に興味をもつこともある、ただ映画だけではなくリアルな江戸の世界とか江戸時代を知ることも必要になる
posted by 天華 at 12:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

いわき出身の医者が息子を保険金殺人(1935) (それは当時の歴史を語るものでもあった)


いわき出身の医者が息子を保険金殺人(1935)

(それは当時の歴史を語るものでもあった)

徳田寛は1913年に医師試験に合格。以後、福島県の炭鉱会社の嘱託医をしていたが、1928年、樺太に移住。1935年10月ごろまで同地で医師を務めた。

 その間、長男貢を日大専門部歯科に入学させ、長女栄子、次女秀子も上京、遊学させた。妻はまは以前産婆試験に合格し、夫に従って福島県で産婆を開業していた。栄子は1928年4月に上京。私立小石川高女を卒業後、一時日本女子大と東京女子専門学校に入学したがどちらも中退した。

 寛は樺太の小さな村で開業医をしていたが、経営不振に陥って苦慮。敷香町に日本人絹パルプが設立されると聞いて嘱託医になれば業績が上がると考え、1931年11月、敷香にほとんど全財産を投じて徳田病院を建設。

 父が主謀、母が殺害、妹が協力…一家で息子を惨殺した日大生保険金殺人事件とは

 これも恐ろしい事件であった、ただここで注目したのが当時の社会状況のことである
徳田が炭鉱会社の嘱託医ということは磐城の常磐炭鉱と関係している
それから東京に上京して大学に入った
この人は樺太で開業医をしていたということは樺太とも関係していた、当時の社会状況があった、東京まで行かないと地方でぱ看護婦免許ももらえない、それで私の姉は東京の新宿に滞在して免許をとったと言っていた

私の母は原町紡績工場で糸取りを十年間してそれから東京に女中に出た
そこで知り合った人と結婚した、ところが工場の事故で死んだのである
その夫の勤めていた会社は北区にあった、そこは工場地帯だったのである
今でも荒川線の都電が唯一ありそこを通っているのである

この息子を殺した人も福島県出身であり磐城の人でありその当時の社会状況が見えて来るなぜなら常磐炭鉱は大きな働き場所であったからだ、今の原発の様な場所だったのであるその石炭は東京に送られていたのである、絹織物の生糸は原町機関区から横浜に送られてアメリカなどの外国に輸出されていたのである
日本の主要産業は石炭と絹織物の生糸となっていたのである
だからいたるところに農家では蚕(かいこ)を飼っていた、その家は兜作りの家として残っている、だからすぐにそういう家はわかる
どれだけ生糸を作っていたかわかる、それか主要産業だったからである
その輸出によって外貨をかせぎ戦争の準備もできたとしているからだ

この人の経歴はまさこその当時の歴史を語っていたのである
そういう時代に生きていたのである、まるで推理小説になっている、ただ余りにも残酷だったとなる、東京の官僚がひきこもりの息子を殺したことはまだ記憶されている
この息子も遊んでいて手を焼いていたから似ていることはあった
ただ保険金をかけて殺すということは尋常ではない
でも事業に失敗する人も多いのである、そして多額の借金をかかる人は近くにもいた
そのために自分自身も苦しめられたのである

何か事業というとき私の父親は双葉の新山で酒屋をしていたが倒産した
ただ暖簾分けしてこの地に住むようになった
また母親の実家は父親が警察署長だったが機織り工場の経営に失敗して一家離散のようになった、とにかく事業に失敗しておかしくなる人がまた多いのである
借金をかかえておかしくなる、この人も病院を経営していたがそれにも失敗していたからである

ただこういうことは何か人間の業(カルマ)として継続しているのだろう
ふしだらな親に苦しめられる人もいるしその子供に息子に娘に苦しめられる人もいる
結局そういうことはめずらしいものではなく世の常だとなる
だからそういうことは江戸時代にだってあったし継続しているのである
みんな親に恵まれたり子供に恵まれたりしないからである

歴史というとき一人の庶民の歴史をたどると当時の状況が見えてくるものがある
それを集団として見るのではなく個々人の歴史として見るのである
するとそこに当時の歴史が見えてくるのである
一人の人間がその当時どのようち生きてきたか?それを知ると当時の状況が見えて来る
ただ庶民のことは歴史に残らないのでわからなくなる、これは明治になって新聞が生まれそのことが詳しく残された結果たどることができる
新聞はそうして歴史を記録するものでもあったからだ

今になけるとインタ−ネットで個人が語る、するとそれも歴史を後世に語り残すことにもなる、この辺では津波とか原発事故がありそのことを自分はプログで延々と書いてきた
それは後世にも残されるものだとなる、ただ問題はインタ−ネットの記録は膨大であり
電子記録だから消えることがあるのが問題なのである
だから記録としてアイカーブする必要がある、それは膨大な記録を残すことができるからだでも死んでから50年とかなるとわからなくなる
本でも50年過ぎたらボロボロにてっていたからである
でも電子記録より紙の方が残るともなる、それで私は紙でもまとめて残そうとしている
それが膨大なので日々整理しても整理しきれないのである

この事件は福島県のいわきであり近いから興味をもった、そして当時の時代が状況が反映しているので歴史を知ることにもなる
小説家だったら小説にできる事件だったのである




posted by 天華 at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年06月21日

空家が800万軒になる時代 (その活用も進まないのは持ち主の個々の事情が違っているから・・)


空家が800万軒になる時代

(その活用も進まないのは持ち主の個々の事情が違っているから・・)

生活困窮者の住まいに「空き家」活用 “事故物件”を危惧し増えぬ現状も〈週刊朝日〉
飯館村の空家(養蚕した兜屋根)

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原町区の大原の空家、これはなぜ壊さないのか?
十年なのかに二十年なのかわからない
ここに入ったら気味悪かった、本当に幽霊が棲んでいると思った
幽霊が家から出てきて迎えるとも感じた
つまり物の怪がここに本当に住んでいるのである


なぜ私が空家が気になるのかというと自転車で近くを回ると空家が目立つからである
ここも空家なのかとみる、これからますます空家が増えてくる
ただこの辺は南相馬市だと小高区が街自体が空家化した、浪江はさらにひどくゴーストタウンにもなった、廃墟の街と化した
そして南相馬市に最近知っている人が移った、前にも原町に移り住んだ人を知っている
つまり小高には住まない、小高に住むことをあきらめた、また浪江町に住むことをあきらめた人が多いのである

それで復興とかはすすまない、ただ外部から小高とか浪江に入って住んでいる人はいる
鹿島区だととにかく新しい街が三つくらいできた感覚になる
外部から入って来た人が多いのである、それで一軒の自転車屋では知らない人が多くくると言っていた、でも自転車を買ってくれるのだから消費してくれるから歓迎されるのである
私の家の脇の道は震災前は車とかほとんど通らない道だった
でも震災以後ひっきりなしに通るようになった、主に小学校へ行く子供を車でのせて行くためである

こういうふうに私の住んでいる場所は空家も多いのだが新しく移住してきた人たちの新築の家が新しい街を形成したのである

それで近くでも空家がある、まだ新築の感じさえする、その空家を十年以上は見ている

なぜこんなに長く空家なのだろうか?

それが不思議になる、すぐ近くの一軒屋も空家化した、一人の女性が住んでいたが死んだのか空家になった、ただその息子が近くに住んでいる
空家でもどうして空家になったのか事情がある、それがわかりにくいのである
隣がまた最近空家化したのは新しい家を建てて引っ越したからである
それは近くであり空家化した家は前の人が借りていたのである、それも二十年間くらい借りていた
その家は庭が広く大きな石がある、ただ庭作りしていないのでただ石が積み上げられているだけだとなる、でもそこを庭にすればいいなと見ている
石が好きで私は隣の庭の石を見ていたからである

大石に洗濯物干す冬の暮

そこに人がいて生活感がでてくる、でも人がいなくなると石すら淋しく感じるのである
それはゴーストタウン化した原発避難区域に行けばわかる
何か本当に家でも庭でもその石でも淋しい感覚になる
もともと自然の石だったらそう感じない、その石も人間化して淋しくなった
長く病院に入院している人の知り合いの女性が何かお笑い芸人の素質があり「家が泣いているよ」と言ったのも面白い、その女性は留守の家の草むしりとかしていたからである

本当に人が住まない家は家が泣いているのかもしれない、家も人が住んで活きているからそうなる、一旦人が住まないと家も死んだものとなってしまうからである

ともかく空家が800万軒とかなるという時代である、それが少子高齢化となる日本を象徴しているのである、だから空家をどう利用するか問題になる
もう家の値段は十分の一とか無料でも手に入るとかまでなる
なぜなら空家がこれだけ多ければ無料でも使ってくださいとなるからである
ただ空家が放置されているのはそこにいろいろな個別の事情があるからそうなっている
それがよそからみてわからないのである

なぜいつまでも空家になっているのだろう?

それもわからない、利用してくれる人がいないからだともなるしまた将来持ち主が利用するからだともなっているかもしれない、それもわからない
ただ隣だと新しい家に引っ越したとういことでわかった
何か変なのだけどそこにある大きな石があり庭として利用したらいいともみる
でもその持ち主と自分の家は土地をめぐって争ったことがあり簡単にその土地を何か使うという訳にも買うけにもいかない
つまり土地とか家の問題は持ち主がいて個々に事情が違っているしその事情がわからないから困るのである
“事故物件”を危惧し増えぬ現状も・・・こういうことはわからないのである
ただ隣とか近くだとわかるのである
だから土地を売ったり買ったりするのがめんどうなのである

何かいろいろな物のように値段をつけて売るようなものでもないとなる
もしかしたらその家とか土地に因縁がありカルマがありたたられるとかも不安になる
本当にそういう不安がつきまといて簡単に空家でも住めない、買えないともなる
土地とか家は場所が深く関係している
私の家は土地が街で一番低い場所にあり水害で二回浸水した、それも床上だった
だから土地は悪いから問題がある、家そのものは50年過ぎても使える
ただ土地が悪いから問題なのである、だから土地とか家の値段は簡単につけられないのである

本当に原発事故以後避難区域は空家だらけになった、それをどうするんだろうとなる
そのままにしても誰も住まないし土地と家の価値もゼロになったともなる
土地と家の価値は街全体とも関係して価値がつけられていた
もう原発避難区域になると価値はゼロにもなった、もう誰でもいいから住んでくれ無料でもいいともなっている、それだけあれだけ荒廃していれば誰も無料でも住まないとまでなっている
だから小高なら原町にとか移り住む人が多いのである、だから小高の復興は無理に思えるこれも農業ではなくその土地を利用して生活していた時代と違うから移住しやすい時代だからそうなったともみる  
とにかく空家の問題は個々に事情が違うからそれが外からわかりにくいから困る
いつまで空家にしておくのかと見てもその事情がわからないからである
そして土地に因縁がカルマがありまた家にもある、それがまたむずかしくしているのである

posted by 天華 at 19:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年06月22日

人生は長い目で見れば何が役に立つかわからない (研究にかける予算は選択と集中?バカなこと言うド文系のヤツらー高橋洋一チャンネル)


人生は長い目で見れば何が役に立つかわからない

(研究にかける予算は選択と集中?バカなこと言うド文系のヤツらー高橋洋一チャンネル

studyhit1.jpg 
https://www.youtube.com/watch?v=gQIee8yDehQ

そんなものなのか?ほとんどの研究が役にたたないで終わる
理系ですらそれが役にたつかどうかわからない、だから予算の無駄だとなり選択と集中にしろとなった
ところがそもそもその選択と集中がわからないからみんなに公平に予算をつぎこむのがいいとしている

これも何なのだろうとなる、要するにおそらく研究課題が無数にありそれが将来役に立つかどうかわからない、だからこういうことを言っている
それだけ人間社会のことでも自然界のことでも科学技術のことでも種類が無数にありそれでそれを見分ける人がいない、そのことは結局この社会が複雑でわからないということなのだ

原発などもそういうものだし他でもそうである、社長すら会社のことを何もかも知っている人などいないと言っている
原発でも吉田所長が肝心の復水器のことを知らなかった

私の分野ではない、私は資材関係の分野を担当していた

こんなことがありうるのかとなると原発自体でもすべてを知っている人はいなかったからそうなる、一部分のことしか知らないのである
それはあらゆるものに言える、人間は一部分のことしか知りえないのである
それだけ複雑に分化した社会なのである

何が当たるかわからないから公平にみんなに金をつぎこめ!

これは人生にも言える、何が本当に後で役に立つかもわからないのだ
だから雑学でも無駄だとはならない、何を勉強するかでも文系でもあらゆるものが実際は結びつく、その分野も多様だから何か知ることは無駄にならないのである
ただ20年後くらいにしか成果がでないとすると無駄に思えてしまうのである

そんな勉強して研究して何になるんだ!

こう言ってもそれが無駄とは言えないのである、人間は無駄と思えるものが無駄にもならないのである
人間はそもそもその知りうることと経験することがわずかしかない、短い人生で経験することは学べることは知ることはわずかなのである
だからどんな経験も貴重であり後に役立つとなる
そしてたいだい人間はその人の個々の経験から人生を語る
でもその経験は限られているから他のことはわからないのである

この人は理系の官僚でもあり優秀だからそこで経験したことを語る
でも普通の人はそんな経験できないのである、科学技術者として一流の人でも武田邦彦氏などもそうである
そういう人が経験したことは自分の様な底辺労働しか知らない人とはまるで違ったものなのである
だから武田邦彦氏は労働は義務だとか強調するのである
自分にとって労働は流れ作業とか肉体労働とかした経験していないから嫌悪するものとなったのである

人生で無駄になることはない、雑学でも無駄にならない、第一知識は膨大だからである
そして何があたるかわからないというとき時代によっても価値観が変わるからだと思う
その時代によって必要なものが変わる、それは科学技術でもそうだとなる
ただ科学技術でも複雑だから違った分野のものでも他の分野で活かされたりする
だから何が当たるかわからないというのである

例えば引きこもりとかが問題になるがこれがすべてマイナスに働くともならないのであるもし引きこもって自分の好きなことに没頭していればそれは無駄にはならない
あなたは旅ばかりしていたとか遊んでばかりいたとか外から見ればなるがそれが無駄とは言えないのである、無駄な人生だったともならない、おそらくもし旅人として一生終わればその人は社会にとって得難い人だったともなる
なぜなら現代では本当の旅すること旅人になることは至難だからである
あまりにも便利に過ぎて旅人でありえなくなったからである

でも今になると常に好きなことをやれ好きなことに没頭しろとかいうのも不思議だとなる団塊の世代なら企業戦士となり会社のために働けとなっていた、そんなことを公に学者とかでも言わなかったろう、それが今になると堂々と進めていることが不思議なのである
それは価値観が変わったからである
また戦前の生まれるの人の価値観は働くことである、働くというときまずまともに食べられない時代は働くことが価値になる、それはそう強いられていたのである
だから大正生まれの母は働きづめであり花など無駄だとして庭に豆を植えていたのであるそれは食べることを優先して生活していたからそうなったのである
でも今はそういう価値観が変わったからそれをみたら異常人間だと見てしまうのである
趣味もない人間でもそうである、そういう人は面白くない味気ない人に見られてしまうのである

いづれにしろyoutubeの面白さは個々の経験を語っていることである
まず優秀な官僚として働いた人の経験は普通ないからそういうことがあったのかと新鮮なのである
これはテレビだったらコメントしてもその人の発言ではない、テレビ局がメデアが操作してちょっとコメントさせるというくらいになる
それが一個人がメデアをもちテレビ局まで持つということで情報環境が変わったとみた
本当に一個人がメデアをもったのがインタ−ネットである、この変化は大きいのである
そこで新聞でもテレビでも衰退してゆく、マスコミの時代は終わったのである
ただ本当にその人の経験を語るとなるとそれだけの経験をしていないと語れない
だから意外とこのメデアは若者向きのようで老人向きでもある
若者向きというときパソコンの操作にたけているとかであり人生経験が少ないから語る内容となると貧弱になるからだ

私は語るのは苦手だけどこうしてプログで文章にするのが得意なのである
それでこうして膨大に書きつづけているのである
そして不思議なのは自分の書いたものを読み直すとそれも忘れていて何か自分が書いたものでいいこと書いていたなと感心して自分の書いたものからまた学びそこからまた発展したものを書いていけるともなる
いくらでも書いてもいいとなるとそうなる、だから個々人がメデアを持つことはこれは情報革命だともなっている

テレビとかはもう衰退メデアなのである、芸人の馬鹿騒ぎをまともな人はもう見ないからである、ただ残された者はコンテンツ作りであり取材とかである
放送することは個人でもできる、でもコンテンツ作りと取材は簡単にできない、でもそれはテレビ局を通して伝える必要もない、インタ−ネットを通じてすればいいとなる
その変化が大きいとなる、ただyoutubeでもプログでもそこで読まれるということは数が多いから至難だとなる、でも高橋洋一チャンネルとかなるとまず官僚の第一線で活躍した人だからそこで語られることは内部を知っているから一般人の知りえないことを知っているから人気があるのもわかる
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2021年06月23日

老人の心境(人生の終わりに短歌十首) (世代ごとに変わる心境―若い人は理解できない老人の気持ち)


 老人の心境(人生の終わりに短歌十首)

 (世代ごとに変わる心境―若い人は理解できない老人の気持ち)

 人間の気持ちというのは世代ごとに変わっている、40才が一つの区切りかもしれない
その頃白髪でてきたりするし身体に変化が生まれる
だから40才でおじさんとかよばれてもう俺は終わりなのかとあせる
氷河期世代などがそうである、それを盛んにyoutubeで訴える人がいるのもわかる
40代になるとすぐに50になり60になるからだ
20代が人生の華だとなるが30過ぎるともうそれもなく女性でも男性にちやほやされなくなるとか言うのもわかる
それだけふりかえれば人間の一生は短いとなる

そして人間の最大の盲点が老人になるとどうなるのか?

これがわからないのである、20代だといつまでも青春とかがつづくと思ったり時間がいくらでもあると思っている、体力もあると思っている
でもこれもふりかえるとあっというまに過ぎる
そして若い時老人になるとどうなるのか?それは体を見れば衰えているからわかる
あんなよぼよぼになりたくないと見る、でも何か若い人は自分自身がそうなるとは見ないのである
若い人が老人を理解できないのである

ただ本当に老人の心境になるのは本当は60過ぎであり今は長生きだから70過ぎにもなる
ただみんな老人が一様ではない、もう体力的にもふけこみ見た感じでも10年くらいの差ができる、60でも70に見えたりするしその人は85歳の女性だったけど60代の人より若く見えた不思議がある、こうして老人と言っても個人差が大きくなる
その人は70才でももう80歳にも見える、眼が悪くて文字を満足に見えないからである
眼が見えないと耳が聞こえないとか常に腰が悪いとかなるとやはりもう本当に弱った老人にしか見えないのである 

老人になって一番意識するようになるのは何か?

それは明日死ぬかもしれないということを現実として見ることである
それは同じ世代の人が実際に死んでゆくことでもそうなる
同世代で一割が死んでいるとか近くで子供の時遊んだ人が死んだとかなる
だから常に死を意識することになる
そして人間のことはこうして70以上とかならないと知ることができない
天命を知ることができない、70以上になると明日死ぬということが現実化するからであるそして常に一生をふりかえる、人生とは何だったのだろうと振り返る

そししてまた意識するのがなぜ人と人は逢うのか?

これも意識する、なぜなら二度と逢えなくなるからである、するとなぜ人と人は逢うのかとふりかえる、つまり死んだら永遠に逢えなくなる
これも不思議なこととなる、人が逢うなど別にありふれたことでありそんなことを意識しないともなる、でも人間がこの世で逢うとは何なのか、それも不思議になる
なぜなら永遠に逢えなくなるからである
今や家族すら全部死んでもう二度と逢えなくなったからである
人間が出会い逢うということそれは永遠に逢えなくなるものとして逢っていたとなる
すると人と出会うことは貴重なことだったとふりかえる
それで一期一会の思想が生まれたとなる

つまり今の世に生きていて逢っていることは深い縁があったからだともなる
そのことがわかるのは70代だともなる
誰しも70過ぎると人生はこんなものだったとか知らしめられる、別に優れた人だけではない普通の人でもそうなのである、それで老人は何か悟ったような雰囲気を持つようになるのである、これはとても若い時はなりえないからである
つまり人間は悟ったり賢くなれのは老人にならないとなれないともなる

自分自身は何かいろいろ理解することが遅かった、受験勉強などで勉強嫌いにもなった
でも旅をしたりいろいろ自由に引きこもりでも学んで学問好きにもなったのである
だから60過ぎて70過ぎてこうしていろいろなことを書けるになったのである
それは理解力がついた、深く自分なりに理解できるようになったからである
本当に智慧がつくのは老人になってからである、ただ求道は若い時しないと神を知ることはできない、それも盲点だったのである
だいたい青春時代は欲が爆発して享楽する時代だからでもある
ただそうして一番大事な時期に生を消耗すると神を知る機械を逸することも怖いことだとふりかえる、ただ誰もその時そんなことを想わないのである

私がカルト教団に入ったのは選挙運動するためではない、宗教を求めていたからである
ただそこはそんなものとは全く関係ない場所だったのである
ただ自分が求めていたのは死の問題でもあった、死を意識するということは実は老人になれば否応なく現実問題として意識する
でもその時死を意識しても遅かったともなる
その解決は若い時していなければできないともなっていたからである
そこが人生の落とし穴だったともなる
宗教など老人になってからでも求めればいいやとかなっているからである

人間は死ぬ、この世から消えるのもまもなくだ

そしてこの世で人と逢っても永遠に別れる、逢わない

このことが現実化するのだ、何かと人ともめたりしても遂には永遠に逢わないのである
すると逢うだけでも貴重だったともなる、それが老人には嫌でも知らしめられるのであるそれで老人は常に後悔するのである

人間は結局最初に老人になる、それから若くなる

こうなれば失敗もないのである、そうしたら馬鹿なこともしないのである
老人になることがをどういことか知れば失敗もないのである
老人になれば誰しも悟り知恵かつき愚かなこともしないともなるからだ
ただその老人でもいろいろあるし迷惑老人も多いからいちがいには言えない
でもどうしても若い時は老人のこと老人の心境を理解できない
もしそのことを知れば若い人は失敗もしないし悔いのない人生を送れる
老人になると時間ほど貴重なものがなかったとふりかえる

ああ、時間を無駄にした、馬鹿なことに時間を浪費した

それが一番の後悔になっているのが普通だからである
その時莫大な富が金があったとしてもそうである
老人になると体力なるからきついことはできなくなる
いくら金があっても何かいろいろなことができなくなるからだ
旅でも登山でも億劫になるし体力がなくなりできなくなる
だから私は株などしたくない、これも自力で取引きをパソコンで覚えればいいがそのパソコンの画面を見ていると時間がとられるからしたくない
だから銀行の営業の人に頼んだのである、でもそうしたら株ではもうけられないことを知ったのでやめたのである
その株で何億でももうけても果たしてそれだ人生の成果となるのだろうか?

そもそも人生の成果とは何なのか?

これは財産を築いたとかあるにしても金を残したとかで計れないのである
芸術家だったら後世に残る作品を残したとかある、職人でもいい庭を作ったとかありそれが残されているということもある
何か他にもいろいろある、眼に見えないものとしても遺されるものがある
だからいくら金を残してもそれがすべて成果として評価されるとはならない
金がなくてもいいということではない、それがすべての成果とならないということである
要するに時間を何に費やしたかでその成果が計られる

これが人生だともなる、時間は限られているから例えば一つの楽器でも覚えるのに時間がかかる、時間を費やす、すると一つの楽器を覚えることが人生だったともなる
そして天才でもいくつもの楽器に習熟することはできないのである
その時間がみんな平等に与えられて限られているからである

また普通は会社員となれば会社のために尽くす、銀行員だったら銀行に所属しているのだから例え相手をだますものでも投資信託などでも売る
そういうことは別に会社に属していれば必然的にそうなる
そうなるとその会社の価値がその人の個々人の価値ともなる
それで有名な大企業に所属していればその会社名がその人の価値となる
人生全体もそうなる、でも一旦退職するとその価値も喪失する
それで人生の先が長くなると会社をやめると価値のない人間になってしまうのである
いづれにしろ人生とは何だったのか、70くらい過ぎると否応なく知らしめられるのである



人生の終わりに(短歌十首)

この世にそ生きる日短く逢うとても再び逢わじ人は逝きにし

人はみな死に別るかなその最期手を握りて心通いぬ

人はみな死にて別れぬ何気なくありにし日のなつかしきかな

老人の残れる生の短きを徒(あだ)に過ごさじ深く思わむ

この世にて生きる日短く逢うとても再び逢わじ人は逝きにし

人の世を生きるは短く徒言(あだごと)語るは許さじ明日はなきしを

人の世を生きるは短く人は逝く貫くもののあるべしかな

常に思へ明日無き身なれ時々を徒に過ごさじ実りあるべし

その人の何を生きなむ最期かな徒にすごせし月日悔いなむ

まことにそ生きにし人のその生の後に明らかに輝きあらむ