2021年06月09日

グロ−バル化ボーダレス社会で歪めれた世界 (その土地土地の生態系が無視されて文化が生まれない)


グロ−バル化ボーダレス社会で歪めれた世界

(その土地土地の生態系が無視されて文化が生まれない)

自立を目指すということは境界線を閉ざすとういことではなく、それをうまく管理することである、各地域社会は各地域内の生命の営みの調和と一貫性を損なうことなく互いの境界線を介して交換活動を行う能力をもたなねばならない


健全な生活と地域社会と人間の幸福には「場所」と境界線が不可欠だという認識だ
そしてその認識が今度は多様性を賞賛し、人間と地球の利益のための国際協力を支持すると同時に、地方の独立性を守ろうとする新しい「建設的ローカリズム」を生み出している
(  ポスト大企業の世界ー貨幣中心の市場経済から人間中心の社会へーデビット・コーテン)

●自然の境界としての生態系の境界

●人為的人工的歴史的境界

●二つ合わせた境界

グローバル社会とかはボーダレス社会をめざした、境界を廃止することを目指した
多国籍企業となると境界があると障害になるから廃止されるのがいいのである
多国籍企業とはその土地とか風土とか国土とかを無視する、それが障害になるからである工業化すると国土とかとは関係なくなる、国土は無視されるのである
電気でも原発を地域に作る時、その土地のことは生態系などは考慮しない
一旦事故になったら空気、水、土、森とかが放射性物質に汚染されて住めなくなった
それはその土地の自然や風土の生態系を無視して作られたからである
つまりその土地の生態系など無視して破壊してしまうのである

グロ−バル化がなぜ危険なのか、それは人間も生態系の中でしか生きられないからである生態系を無視して生きられないのである、そして生態系にはそれぞれの土地に国土にあり境界がもうけられていた、それでコロナウィルスでもウィルスが風土病と言われたようにその土地特有のものとして生まれていた
それでもそのウィルスはその土地内でとどまっていた、でもグロ−バルにボーダレスになりたちまち世界に広まったとなる、人から人へと伝染するから人の流れが無制限になればボーダレス社会になればとめることができない
江戸時代でもコレラが長崎から入り日本中に広まったことでもわかる
それだけ伝染力があるのがウィルスである、でも全く秘境として閉ざされていた桧枝岐とかは伝染をまねがれた、城のある会津の城下は蔓延したのである

人間はその土地土地の生態系の産物だともなる、食料もそうであるが人間も生態系から離れてありえないのである
人間の体そのものがその土地土地の生態系から長い時間をかけて作られてきている
なぜ日本人に糖尿病とか前立腺癌とか他の癌でも増えたのか?
それは欧米型の食事になったことが影響している
そもそも体の構造が欧米人とアジア人とか日本人では違っているからだ
欧米人は余分な糖分を脂肪に買えるとかりそれで太っているとか肉を消化する酵素がでるとかある、アジア人に日本人にはそうした体の機能が備わっていないのである
日本人はもともとやせている人が多かった、太る人が増えたのはやはり食の影響である
痩せる体質でも食の影響で栄養をとりすぎると太るからである
それが何らかの病気をひきおこしている、食べるものが人間の体を作るからである
つまり人間も生態系の産物だとなる
日本人はもともと肉食はわずかしかしていなかった、でも明治維新後外国にまねてに肉食が増えてきた、それが影響して体でも心まで影響されたともなる

これは体とかの問題としても現れた、精神的問題としては国々の文化が破壊されて喪失したともなる、文化はcultureでありculitivateから来ている、その土地を耕すことから生まれている、その土地土地に根ざしたものが文化なのである
それはその土地土地を耕すことで長い時間をかけて育成されてきた、ヨ−ロッパてもワインでもその土地の名がついていてそれぞれ別な味を作ってきた
それは日本でも同じである、農産物でも果物でも味が違ってくる
それはその風土から土地から育成され作られるからである
外国で河があれほど重要なものとなりヒンズー教でガンジス河が聖なるものとなったのもそうである,河が生態系として風土として国を作ってきたともなるからだ
それで日本ではそうした大河がないから外国を基本的な所で理解できないとなっている
父なるラインとかエジプト文明はナイル河の賜物とかが理解できないのである
日本はむしろ山の国であり海の国だからそうなる

グロ−バル化とかボーダレス社会は人間の多様性を失う統一された規格品を作り売るのにはいいが多様性である文化は失われる
それが様々に影響したのが現代だとなる、コロナウィルスもこんなに急速に広まったのもそうである、日本人に欧米人と同じ病気が増加したのもそうである
食べもの自体がそれぞれの国の文化の基本となっていたからである
その食べ物の影響で日本人は欧米人と同じになり病気も同じく増えたともなる
それで世界から和食が見直されるのもわかる、和食は健康的なものだったとして見直されたからである

ヨ−ロッパはエジプト文明とかペルシャ文明とか中国文明と違って多様性がある
その源でありギリシャでもその国土が地勢が多様なのである
山あり海あり島々があり多様な自然風土である、だからそこでボリスが生まれ民主主義の発祥の地となったとなる
一方でエジプトとかペルシャとか中国でもその地勢は平坦でありあまり変化がない
ただ共通しているのは長大な河があるとなる、そういう所は大帝国が生まれて圧制にもなる、その点イタリアなどは山があり海に面しているとか多様な地形がある
それで都市国家が生まれたともなる、ただローマ帝国もそこから生まれた
そのローマ帝国もアジア的専制とは違ったものであり土地土地の自主性を重んじた共和制とかになった、ペルシャとか中国の様な強烈な専制政治ではなかったともなる

とにかくヨ−ロッパは多様性がある、都市国家とかがあり地方都市が栄えた
小さな都市が国家となり自治が発達した、それは河を通じて商業が発展したからだともなる、その多様性がヨ−ロッパの文化を作って来た
ベルギー人が俺はベルギー人だというときそういう小国でも自負があるのはそのためである、ただヨ−ロッパでは絶え間なく戦争があったとなる
ただ多様性がある所に文化が生まれるがペルシャとか中国になると大帝国となり圧制となる,一将成って万骨枯るとなる、中国は今でもそうなのである

そして不思議なのはなぜヨ−ロッパには天才か多く輩出したのかとなる
それはやはり大帝国ではなく小国に地域的に分立した都市国家体制がそうしたともなる
地域の風土からまた歴史から独自性が生まれて天才を作り安い要素があった
天才と言ってもそれはやはり歴史とか風土と深く関係して生まれているからである
そういう天才が集まりルネサンスが生まれたともなる
その天才が生まれる基盤があり多様な地域があり生まれたとなる
天才という時以外と大都会から生まれると思っているが大都会から生まれない
地域の小都市が生まれている、これは何を物語っているのか?
小都市国家に何か独自性を育むものがあったとなる

大都会になるとそういう基盤がなく一千万の大都会から天才は生まれなかった
第一フィレンツにしても五万くらいの都市国家であり小さいのである
それなのにあれだけの芸術が創造されたなのである
今の大都会だと文化が生まれないのである、天才も生れない
日本でも何か文学関係でも地方の富裕層が生まれている、太宰治は豪邸に住んでいたし
宮沢賢治も金持ちの家で自由に才能を伸ばすことができた
そしてその土地に根付いた農業指導者だった、つまりそのバックグランドが田舎であり土地に根ざして文化が生まれともなる
どうしても大都会となると政治都市であり商業都市になり工業都市となってしまうからである
そしてそれだけの人口になると大衆群衆となり人間は統計的数字でしかなくなる
大衆を相手にするとき本来の文化は消失して消費が主になる
何か独自に作りだすものがない、民衆は民謡とか文化を作りだしたが大衆は作りださない宗教でもカルトとなりただ数を増やして社会を威圧することだけになる

飛鳥、奈良とか京都とかなると文化都市でもあった、それは規模が小さいからなりえたともなる、その都市が巨大化すると文化は生まれない、自然と遊離した人工的世界となる
グロ−バル化とかボーダレス世界からも何か世界の人が交流するのだから新しい文化が生まれように見える、でもグロ−バル化とは地域性を喪失させる
するとその土地を耕すcultureは生まれないのである
そして経済のみが優先される貨幣が世界を均一化するともなる、すべての価値が貨幣で計られるからである、世界市場化して金の力が増大する
そこで極わずかの人がアメリカを中心に数パーセントの人たちが莫大な富を得るのであるでもフィレンツのように芸術家のパトロンともならずその莫大な富で文化が生まれていないのである、アメリカには文化がないからである
映画が確かにアメリカが産みだした文化とはなる、でもそれも大衆的であり本当の文化は生まれていない、作られていないのである
ただコンピュターはやはり文化を作る基ともなったことは確かである
とにかく芸術的分野とか哲学思想とかの分野ではみるべきもきがない、ただ工業と技術と商業の実用主義の社会になる

いづれにしろグロ−バル化とかボーダレスの世界は何か文化的には不毛なのである
ただ大都会そのものが文化を生まない、そこはカオスでありもう文化を産む基盤を失っている、文化とはギリシャのポリスとかヨ−ロッパの小都市国家から生まれてきたことでもわかる、巨大化するとそこは政治国家になる、それが中国である
中国にも文化があるか大帝国を作るから政治軍事国家となりやすい、14億人を治めるには政治軍事力を前面に出さないと統一できないからである
そういう政治軍事国家からは大帝国が生まれても文化は生まれないとなる

健全な生活と地域社会と人間の幸福には「場所」と境界線が不可欠だという認識だ
そしてその認識が今度は多様性を賞賛し、人間と地球の利益のための国際協力を支持すると同時に、地方の独立性を守ろうとする新しい「建設的ローカリズム」を生み出している

これを目指すべきなのだが地方の問題は経済の衰退が影響している
ヨ−ロッパの都市国家には貿易などで富が生まれていたからである、やはりある程度の富か生まれないと文化も醸成しにくいのである、そのアンバランスがあり国家自体が歪になっているのであるし

コロナウィルスがグロ−バル社会をを変える
(人間には境界が必要でありそれぞれの風土に適応して生きるのが自然)


2021年06月10日

最後は記憶したことが人生となる―心に印されるものの怖さ (記憶をしたものの整理に追われる)


最後は記憶したことが人生となる―心に印されるものの怖さ

(記憶をしたものの整理に追われる)


何度も言っているけど人生とは最後は何を記憶したかになる
その記憶はみんな違ったものになるからそれぞれの人生の結果は多様なのである
だからどんな人でも何かしら語るべきものがあるとなる
なぜなら違った経験をしているからである
それで老人からその経験を聞くことはどんな人でも参考になる
失敗の経験でも参考になる
つまり事の真相は経験している時はわからない、時間がたたないとわからないことがあるからだ
それで何か事件が起きてもその時に真相はわからない、時間がたって判明して来る
歴史的な事件でもそうなのである、明治維新が何だったのか、今になると否定的に見る人もでてきているのもそうである
ただ歴史的なものになるともう50年くらいすぎると遠い過去になり不明になりやすい

私が経験したことは勤めたこともないのだから限られている
ほとんど旅に費やされたということである
ただその経験でも何か歴史を見ることでも役にたっている
地歴が科目となったように歴史と地理は不可分なものとしてあったからである
そして記憶たどる旅をしているのが時分である
いくら記憶が人生だとしても人間の記憶力は本当に弱い、それで記憶するために写真でとっておくとかメモを書くとかしないとその記憶自体があいまいとなり思い出せなくなる
それでこれまで書いたものが膨大になるので整理している
毎日整理するのに追われている
プログはインタ−ネットでは何か記録するのに優れているのだ

sdメモリーとかこれだけ小さいもの記録する量が映像でも驚くほど記録できる
そのメモリーは格段に進歩したのである
人間だったら脳にこんなに記録できないのである
それで自分の書いたものすら忘れていて読み返してみてこんなことを書いていたのと感心している
おそらく歴史でも文字ができて記録できたということで歴史が生まれたといのもわかる
それだけ文字の発明は人間にとって大事なものだったのである
それでエジプトでは神聖文字が生まれたのである
文字が神聖なものにヒエログリフになったのである

とにかく人間最期は記憶したことが人生になる、それで私の姉は従軍看護婦で4年間シンガポールの向かい側のジョホールバルで苦しんだからそのことを死ぬ間際まで語り死んだその前に千回もそのことを語っていた、認知症になっても過去のことは忘れないからである、特に印象に残ったことは忘れないのである
そういう戦争ということはもう経験した人しかわからない、いくら映像で見ても残されたものを見ても読んでも実感できないからだ

そして何か経験したことでも後からその意味がわかる、経験したことを後から深く考察してその意味を知ることにもなる
それは歴史的大事件でもそれが起きた時はわかりにくいのである、でも後から解明されて真実が明るみに出される
隠されていた悪が暴かれることがある、いくらその時は隠されても遂に明るみに出される若きの至りとかで若い時に力まかせにした悪行でも暴かれて老人になってから良心の呵責とかなり苦しめられる

人の行った行為はみなカルマとなる

それが隠されたり忘れ去れることもない、神は見ているとまでなる
そうなると本当に奔放な若い時の行動も悔いるとなる
そういうドラマも多いのもそのためである
警察につかまるとか刑罰を受けるとかではない、そういうことと関係なく良心の呵責に苦しむことになる
だからどんな人でもカルマをつまない人はいないである

原発事故とかでもそうだった、それを追求してきたが「安全神話」を作った人々は共犯者であり悪人だったとまで暴きだされた、ただその責任はとっていない
東電に天下りして金を得ていた官僚とか高級国民なども責任があった
でも責任は誰もとっていないのである
でも十年過ぎ二十年過ぎとかなりその悪が暴かれる
悪が暴かれないのはその時の政権によって隠されるからである
オリンピックのJOCの経理部長が自殺したのも大事件でもその真相は何も語られないし騒ぎもしないのは上からおさえられているからだとなる
何か都合の悪いことが出てきて今の政権が追及されるからだとなる

その人の一生は何なのだったのか?

それは記憶されたものともなる、何が脳に記憶されたのかとなる
それは各人か違っている、その人の経験と学習から脳も作られるからだ
人間の脳とか性格とかは遺伝子的に決められているのかとなると人間の場合はそうはならない、人間は人生の経験の中で作られていく
何か臆病とか気弱な人でも一瞬の行動で勇気ある人にも変わる
たいがい英雄とか天才は生まれつき優秀だったからそうなったともみる
天才の場合はそうである、でも一般人でも人生を経験してゆくなかで変貌することもありうる   

だから人間がすべて生まれつきで決まるわけではない、そうして人生の経験の中で神が関与することもある
それは不可解なものである、そもそも人生そのものがそれぞれか小説より奇なりともなっているのだ
聖書が理論とではない、実際に起きたことを記したものでしる、そこに必ず神の関与がありそれを記したのである、だから奇跡を信じ無くして理解できないのである

では人間が死んだらそうした記憶とか記録とかも全部消えて空になるのか、もしかしたらそれば消えずにあの世にもってゆくものかもしれない、なぜならみんな消えるとしたら
それぞれの人生が無意味なってしまうだろう

神があなたは何を見て何を聞いて何を見ましたか?

そのことはあなたの心に脳に記されている、それを神の前であからさまに示されるともなる、そうなると怖いことになる
その時心に記された悪も暴かれる、それがまざまざとして可視化される
つまり死ですべてが消えるわけではないとなると怖いのである
もちろんそういうことをありありとイメージしたら本当に悪いことなどできない
だからこそ平気で生きていられるとなる
死んで裁きがあるということをありありと思う人はいないからだ
だから平気で悪を犯して罪を犯しているともなる

何か悪いことをしましたとかなっているのである、ただそれが死んだ後にあの世で暴かれるとなると怖いとなる、そういう恐怖心があれば簡単に悪は行わないし心にも思わないとなる
そうした裁きとかは個々人になる、人は神の心を見ているという時、集団の心は見れないからである、いろいろな集団に属していてもそれで罪を裁きを逃れられない
要するにそうした宗教団体とはこの世の隠れ蓑であり死後は何の効力もない、個々人の罪は消えないとなる

いづれにしろ自分は今や記憶をたどり記録をたどり整理している
それが膨大なものだから苦労している、つまり分厚い一冊の本のように整理するとなる
人間の一生はいづれにしろどんな人でもそれぞれ一冊の本にもなる
ただ表現力のない人は読者に感銘されるものを書けないとなるだけである
旅をしてもその時見たものを経験したものを回想して深化する、それができれば充実したものとなる
だから旅でも記憶されるような旅をしろと言ってきたのである
それは車では無理だと言ってきた、電車でもそうである、歩くか自転車の旅でないと旅というのを記憶してたどることはできないともなる
ただこれは外国では無理だからそうとはならない、国内の場合は記憶する旅をすらなら歩くか自転車でないと記憶に残らないともなる
ただ自分も最初は電車旅行でありそれはある目的地に行くのにはいいが旅を経験するには歩くか自転車でないとできないのである

2021年06月11日

脳卒中,糖尿病、ガンで苦しむ人 (その負担は大きくみんなが苦しむ高齢化社会)


脳卒中,糖尿病、ガン や介護で苦しむ人 

(その負担は大きくみんなが苦しむ高齢化社会)


年齢階級別自殺者数は、「60歳代」が4,325人で最も多くなっています。次に「40歳代」が4,234人、「50歳代」が4,181人、「70歳代」が3,508人、「80歳代」が2,457人。中高年齢層(40歳代〜50歳代)と高年齢層(60歳代〜80歳代)で二分しているのが現状です。

自殺の原因・動機に限定すると、約7割が健康問題。国立精神・神経センター精神保健研究所の資料によると、高齢自殺者の90%以上がなんらかの身体的不調を訴え、約85%が入通院による治療を受けていたと言われています。

高齢者虐待の問題は見て見ぬ振り?「地域包括ケアシステム」の大義名分で在宅介護が増えれば、虐待も増えかねない!?  

虐待者の約6割が息子or夫。特に男性にとって、介護は大きなストレスに!?


私の家族も死にたいといい本当に死ぬところだったが危機一髪でまねがれた
それだけ病気の問題は老人の大きな問題なのである、病院で虐待されたからこれも経験ずみである
これだけ老人とか病人増えればもう世話する人も嫌になる、老人嫌いになるのもわかる
老人と病人に使われる社会、時代となってしまうからである
これが高齢社会の最大の暗黒なのである、自殺したくなる気持ちもわかるとなる

糖尿病の人が半年も入院していた、最近また入院した、薬代に10万かかるとか聞いた
それは保険がきかない特殊な薬だからである
糖尿病は結構金がかかる病気である、百万くらいまたかかるとかも聞いた
糖尿病も日本では5倍とか増大した、食習慣が変わって欧米型になったからだとされる
太る人が多いからである、ただやせた人もなるから一概に言えない
まず半年も入院していたらうんざりする、私は一か月入院してもう限界だったからだ
ただ糖尿病とかでもなかなか経験しない病気は理解しにくい
そもそもあらゆることで他人のことは理解しにくいのである
職業が違うと理解しにくい、住んでいる場所が違うと理解しにくい、男女になると根本的に理解しにくいとかなる

ただ病気の場合は家族が病気になるとその病気を治してやりたいとかで詳しくなる
それは家族の一人が認知症になったことでその病気に自分が詳しくなったことでもわかるこれは介護してみないとわかりにくいのである、何か医者すらわからないものだった
そのために四苦八苦したが病気について理解が深まった

とにかく病気になっている人が身近でも多い、脳卒中、ガン、糖尿病が目立つ病気であるあと心臓病になっている人もいる、肝臓が悪くて死んだ人もいる
それが不思議に78歳の歳で4人死んだ、狭い範囲でそうだったのである
だから78歳になると急激に老いるというのもわかる
この年は鬼門なのである

現代では脳卒中でも糖尿病でもガンでも簡単に死なないということはある
でも実際は隣の女性は何か急に死んだ感じになる、その人はガンだった、もう一人の人はガンでも依然として仕事をしている、だからガンでも簡単に死ぬ人と死なない人がいる
最近やはり78歳で死んだ人は病名はわからないが一か月前くらいまでスーパーとかで見かけたがみかけなくなって一か月もしないで死んでいたのである
だから簡単に死ぬ人は死ぬ、死なない人はなかなか死なない

高齢化社会の暗黒面はやはり病気になる人がどうしても多くなることである
その負担が大きいのである、治療費でもかかる、介護になるとさらに金だけではない人の労力がかかり金だけでみれないことがある、それで自分は四苦八苦して苦しんだ
遂に近くで認知症になった母親を殺した事件があった
それはオムツをとりかえることで暴れたから殺したとしている、だからそれも同情する
もう限界になっていたのである
また施設に入れたとしてもその後金を要求されている、その人は収入が少ないのに仕送りしているのである、これも負担だと思った

とにかく老後の問題で金の問題も大きいが健康が一番の問題になる
病気になったらもし寝ているだけになったらいくら金があってもどうにもならない
確かに治療費とかで必要でも根本的に健康が回復しないとすると何もならない
そして老人の病気は治りにくいし死につながっている
人間は必ず病気で死ぬ、老衰は病気ではなく自然死だとなるがほとんどは病気で人間は死ぬ、だから最後に死ぬ前に病気でみんな苦しむのである

ただ簡単に死ぬ人もいるがなかなか死なない人もいる、ガンでも簡単に死ぬ人が二人知っている、でもなかなか十年くらいでも死なない人がいる
だからガンでもいろいろな癌があってそうなる
治療が手厚くなり医療が発達するとやはりなかなか人は簡単には死なない
でもその負担がまた大きくなる、それがなにしろ今度は団塊の世代が75以上になると病気とか介護になる人が増大する、それが若い世代の負担になる
それは国民的負担にもなる、これが高齢化社会の最大の闇黒である
ただ病気をしなければ長生きは悪いとはならない、何か成せる時間が増えるからである
ともかく何か一つのことでも理解するのに時間がかかるからだ
特に自分などは何かを理解するのは遅かった、でも時間をかければたいして能力がなくても理解できることが増えてくるのである

私の母親は百歳まで生きて老衰のようにして死んだ、ただそれでも五年間は寝たきりで介護しなければならなかった、でも比較的楽だったとふりかえる
なぜならポータブルトイレに死ぬ一か月前とかまで自力で行っていたからである
これがオムツとかなったら耐えられないとまでなり殺してしまった息子のことを同情するヤングケアラーのことが問題になったがこれも残酷だとなる
老人のために自分の人生が犠牲にされるとまでなる、若い時に成すべきことができないとなる損失は大きいとなる
そういう人が近くにまたいたのである、だから病気と介護は常に誰かしら関係しているのである
ただ自分は特殊な事情で特別良くされたからできたともなる
他の人はそういうことがない、すると介護もしにくいとなる

老人の問題はこれから何を生きるのかというより何を生きたのかともなる
これから何かしようにもできない、ただこれまで何をしてきたかが問われる
何か木を庭に新しく植えたがこれも成長するには時間がかかるとなる
でも若い時なら十分に時間があるから庭作りが好きなら時間をかけてできるとなる
ただその時金がないとできないとなる
その人が立派な庭を作ったのは若い時でありその時金もかせいだから500万かけて作った、その石作りの庭が立派なのである
もしかしたらそれが人生の一つの成果なのかもしれない
私の家でもそうである、家族が働いて苦労して残した物だからである
それをただ自分は享受しているだけだとなる、そういうことは常にある
死んでから何を残したのかということがある、家とか庭が死後も残されたものだとなるからだ

でも老人になると何か時間をかけることができなくなる
小さな畑で野菜作りした人も遅かった、体がついていかず放棄したからである
体が丈夫な時にしていればそうはならなかったのである
要するにこれまでしていたことをするとなる、だから津波でも原発事故でも老人は復興の力となりにくいとはなっていたのである
木を植えるにしても育つのに十年とかかかるからである、それで何かを新しくするより
今でしてきたことを回想するとかになる
確かに60の手習いとかもあるから一概には言えないが基本的にはこれまでしてきたことの延長しかできないとなる


2021年06月12日

余裕がない人は人を助けることができない (余裕なき現代はみんな疲れ、人を思う余裕すらない)


余裕がない人は人を助けることができない

(余裕なき現代はみんな疲れ、人を思う余裕すらない)


人間は何か余裕がないと他人に対して親切になれないし助けることもできない
余裕はだから意外と大事なのである

●時間

●空間

●金(経済)

●健康問題

これらでも余裕がないと人間は自分のことが精一杯で他人のことを思うことすらできない
時間ないんだよ、ここは狭くて窮屈だ、金がないんだ、金が欲しいんだ
俺は病気なんだよ、他人のことを思うより自分の病気のことで精一杯だよ

こうなっているとどうしても余裕が生まれないからギスギスしているし他者に親切になれない

なぜその人は病気だけど仕事している、それでわずかの金でも後から払うとか貸してくれという、でもそれには応じない、そういうお願いする人はいつも金がないのである
だから相手が病気でもそのことを思わない、それより自分の金がないことで苦しめているのがその人だともなってしまうからである
その女性は米を買うにして自転車を直すにしてもそうして金で苦労している
そういう人は相手を思う余裕がないのである

ところが金でも余裕ある人間は病気なのに良く仕事しているなとか同情する
それで多少金がかかってもいいやとなる、奇妙なのはその金のない人に金を与える
その金は病気でも仕事している人に回ってゆく
なぜそうなるのかというと金に余裕があるからそうなるのである
相手が病人でも金のない人は同情しないともなる、なぜなら余裕がないからである
だから意外と余裕がないと相手を思ったり同情したりできないのである

それで自分が病気になり親の介護になったとき来た人は事業に失敗したり金がなくて苦しんている人だった、また原発事故で避難して来た人もいた
こういう人達そもそも余裕がないから人を助けることなどできないのである
大きな負担を背負っているのだからとても他人のことを思うことすらできない
なんとかしてくれとなっている人が他人が苦しんでいることも見えないのである

だから余裕がなければ愛とかいたわりとか同情とかもできない、それより自分をなんとかしてくれとなっているからだ
金に余裕がない人は金を与えることはできない、また苦しんでいる人は自分のことで精一杯だから他人のことに気がまわらないのである

だから助けてもらいたいというとき余裕のない人が来たり余裕のない人の所に行っても無駄だとなる
現代人は何か昔から比べればいい暮らしをしていても余裕がない、心の余裕がもてない
それが何か世の中をギスギスしたものにしている、まず時間の余裕がない人も多い
日本だと国土が狭いから空間的余裕がない、そして時は金なりと資本主義社会で時間に追われる、常に人は何かに追われている、一番は金に追われている
それば贅沢して金に追われている人も多い、借金しても家建てたり高い車を買ったりと金がないのにそうしている人も多い、するとその人たちは金に追われるのである
だから余裕がなくなる

こうしてこの世で余裕がない人がまわりで多くなると実際は住みにくい社会になる
現実になっている
ただ不思議なのは別に金がなくても余裕ある人はいた、そういう人はでも特別の人であり悟りを開いたような人とかなり例外だとなる
今は特に金がないと余裕がもていない、それだけなんでも金のかかる社会だからである
金を払わなければ水も得られない、もし井戸水だったら井戸水が枯れなければ水は得られるとなるからだ、現代は金がないと水道が止められるのである
そもそも昔はその日暮らしの人が多かった、江戸時代は宵越しの銭は持たないとなっていた、その日のうちに金は全部使ってしまうということである
そうなったのはそんなに金を貯えることができなかったからである
日銭暮らしが多かったのである、その日その日を暮らすのが精一杯だったのである
そうなると余裕がないとなるがそうでもなかったとなるのが不思議だとなる
今は一億円たくわえても安心とかにもならない、それはなぜだろうともなる

金でも贅沢しようとすると今は限りない、するといくらあっても金に余裕がない!

こうもなっているためだともなる、いい家が欲しい、車が欲しい、いいものを食べたい、・・・・きりなく欲しいというものがありそれで金に追われるともなる
ただ貧乏になるとその日の金に追われる、何か贅沢するのではない、その日の食べるものを得るために追われるとなる
貧乏暇なしにもなる、だから忙しく金に追われるというとき必ずしも本来はそうしなくてもいいのにしているから時間の余裕もないとなる、現代人は昔に比べると豊かな暮らしているが忙しいし余裕がなのである

私の母はまず一緒に遊んだこともない、暇なし働いていた、それは若い時からそうであるだから何か暇で余裕ある姿を見ていない、店もしていたから食事中でも立ったりしていたそれが嫌だった、でもしかたないということはあったし責められないことはあった
そうして一生働き詰めで終わった、そして花などいらないと自分を怒っていたのである
それはそういう事情があるにしろいい人生だとは思えないである
それはそういうふうに強いられた結果であり母だけの責任ではないにしろ何か全く余裕のない人生も嫌だとなるしそういう人といるのも嫌だともなる

その正反対として余裕のある人生を送れたのが自分だった、何か高校とかまでは勉強でも強いられて嫌いになった、でも大学は時間に追われることがなかった良かった
ただそのために大学が遊びの場になり勉強しなかったことを後悔している
自分の場合は母と反対に余裕がありすぎた人生だったのである、それも問題だとはなった私は旅するかただ家でじっとして黙想しているだけだったからである

だからそういう環境にあったことが奇妙であり不思議だったとなる
それでやはり引き籠もりとなり異常化した人間になっていたのである
ただそうして黙想していることで自然と山とか木とか石と一体化した詩を書いたりしていたのである
自然は山でも木でも石でも沈黙している、すると人間も沈黙しないと一体化できないのである、だから自分は禅宗に座禅して沈黙の業をしている僧と似ていたのである
でもこういう生活は本当に別に寺で修行僧になっていれば異常でもないが日常の社会生活では異常になるのである

ともかくそういうにしていることは余裕がないとできない、なぜなら必ず金を稼げと強いられるからである、そんなことして何になる、一銭の金にもならないとなるからだ
なぜ引きこもりとか多いのかというと親がいて一応食べていけるからそうしている
ということは親でも金に余裕があるから養えるとなっている
もし余裕がない時代だったらそんなことありえないからである
ともかく人間にとって余裕は意外と大事である、そもそも余裕があるから学問でも芸術でも生まれた、暇とはスコーレでありスクールになっているからだ
学校とは暇があって生まれた場だったのである、でも今は学校は全くそうしたものとは違う、受験に追われ膨大な知識に追われる全く余裕のない場なのである

でも余裕なくさせているのは社会がそうさせている、それが何か無駄なものののためにそうさせられる、強いられる、それで団塊の世代の猛烈企業戦士に全員がなったよりそこからはずれて別なことを余裕もって追求する人もいていいと今になると思う
それが自分自身だったのである、ただそのために親の介護とかで四苦八苦した
ただ全員が企業戦士となって猛烈に働くだけの人生は良かったのかとなるとそうでもない何か今になると仕事は遊びだとか好きなことをしろとか価値観が変わってしまったのである、だから猛烈な企業戦士とかは嫌われる時代にもなった

これも奇妙だと思う、それでおそらく団塊の世代は確かに遊び上手の世代ともされた
いろいろ趣味をもっている世代である、でも一方で猛烈企業戦士として会社員として働いた人も多い、とにかく時代によって価値観が変わってくる
それは戦争が終わった時、日本はまるで違った世界に価値観に生きることにてったからだそして戦争から70年過ぎた時、また価値観が大きく変わる
金だけに追われて忙しく生活するのが嫌だという人もでてくる、それは少数でもやはり前よりそういう傾向が大きくなっている、すると時代の価値観が変わった見るのである

夏の日、立葵、(幅広き街の道)


夏の日、立葵、(幅広き街の道)

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声高に鳥のさえづり幅広き道に映えにき立葵かな

我が歩む常なる道に山鳩の葉群れの陰にとまり見ゆかな

雨ともし溜池ありて流れ来る水の音聴く田の畔歩む

赤々と夏の夕陽の没りゆくに声の限りに雲雀鳴くかも

我が庭に二色の花藍色に紫の花色深め咲く  


この頃暑い、それで熱中症気味になる、老人は汗がでない、自分は特に出ない、すると熱中症になりやすくなった、この熱中症は甘くみれない、一二回痙攣起こしたからである
それで死ぬということもありうる
それでアマゾンで熱中症を警告する機械を注文した
知っている人は汗かいて嫌だと言うけど汗をかくのは体温調節するから健康なのである
ただその女性は腰が悪いと常に言っている

いつもの土手の道を歩くそこの木に山鳩がとまっていた
それを写真にとった、カメラは軽いのと重いのとでは相当違った感覚になると思った
重いととっさの場面をとりにくいのである
だからこの一万の中国製のカメラは優れている、でも大きいし持ち運びにいいとはならない,ズームも弱いからだ
ただこれだけ大きくても軽いということはカメラとして優れていると知った
何か一眼レフは重いからだ

六号線に出る幅広い道はめずらしい、どうしても日本の道路は狭くなる、アメリカとか中国だととちが広いから広い空間を活かせる、それで啄木の歌があるのは札幌だとなる

幅広き街の 秋の夜の 玉蜀黍の焼くるにほひよ

北海道は日本では平原のような所があり大陸的だからである、それで梅雨の時期はいつも行っていたからぜいたくだった、梅雨も嫌だし暑さも嫌である
ただここでは海からの風は吹いて涼しい、ただ右田浜の松原がなくなったことは残念である、あそこでいつも休んでいたからである

何の鳥か一羽しきりさえづっていた、街の中に鳥が来て鳴くということは回りに自然があるということである、でも店とかはほとんどないのである
あそこはツルハのための道路だともなる

今年は雨が何かこの辺でともしい、ぱらぱらとしか降らない、それで田も一部乾いているとも見る、でも溜池がありそこから水が流れて来る、その音を聞いて安心はする
いくら雨が降らなくても水は山の奥で流れている、水をためる機能がある
だから丸森のようにソーラーパネルで山全体をおおったのは危険ともみる
木がないから水をためられないし大雨で土砂崩れもおきやすいとみるからだ

夕陽が赤々と映えて沈んでゆく、何かそれはもう人生の終わりに輝く太陽ともみる
その時雲雀がしきりになく、つまり人生の最期に声の限りに歌うのである
それで今私はそうして旅したとかを回想して作品をまとめているのである

庭にまた一つ花を植えた、この花はなかなかいい、色合いがいいのである
庭作りはやはり老後の楽しみにはいい、生け花などもいい、巣ごもり生活にもいい
ただ花が高いのと庭が広くないとそれなりに楽しめないとはなる

2021年06月13日

車がない人は通販が便利‐メデア(仲介)はいらなくなる (鹿島から原町でも送料がとられたから)


車がない人は通販が便利‐メデア(仲介)はいらなくなる

(鹿島から原町でも送料がとられたから)


なぜ買い物がアマゾンとか通販に向くようになったのか
それは自分の場合は車がないということである
車で買い物に行けない、するとアマゾンでも通販がいいとなる
量販店から近いのに運んでもらうのに3000円とかかかるからだ
それなら通販の方がいいとなってしまう
ただ車がある人は運べるからいいのである

ただ問題は設定とか何か不具合とかでうまくいかないときがある
キャノンの印刷機を設定するのに苦労したからである
何かわからなくなったけどなんとか設定できた
前にもこういうことがあった、いろいろやってみて設定できた
何かパソコンは説明書を読んでもわからないのである
いろいろ操作してなんかわからないけどできたとなる
これが設定ができないと使いないとなるから困る、それが不安なのである

でも今仲介する電器店の役目は何なのか?

それはこうして操作できないとかソフトがインストールできないとかそういう使い方がわからなくなるとき聞きたいとなる
でも今やメーカーでも直接教えるからそれも必要がないとなる
それでどうしてもメデアというのが仲介するものが必要なくなる
メデアというとき新聞でもテレビでも出版社でも銀行でも何か仲介するものであり
それだインタ−ネットだとじかに読者や視聴者に向かって伝えるとなると
メデアは必要ないとなる、youtubeとか個人でもテレビ局になるときがそうである
インタ−ネットは作者が直接伝える、何かを新聞でもテレビでもない、出版社でもない
仲介するものはインタ−ネットのグーグルだとかなってしまった
ただ依然としてグーグルとかが仲介の役目をしている
だからトランプ大統領の発言を禁じることができたのである

とにかくパソコンは設定するとか使い方がめんどうなのである
確かにプログなとは簡単である、これなどはコンテンツを作ることに時間をかければいいのである、放送する内容が問題になるからだ
操作する手間がかかったらとてもできないとなる
ただ自分の場合、ワードプレプログをしようとしているがなかなかできない
何か年になると新しいものができなくなる、結構手間になるからだ
ワードプレスはいいようで安全が確保されていないようだ
それも困るのである

車をもっていない自分でも車で配達してくれる人がいる、アマゾンで配達している人は
ずっと同じ人がしている、おそらくこの辺一体の配達を担当している
また別な配達の人も来る、だから配達の仕事は増えたのである
もうその配達する人が定住もできるとなる
それだけ配達する量が多いから定住しても生活できるとなる

ただ通販でも弱点はある、量販店で実際に商品を手にとってみると大きさとか重さがわかる、カメラだとこれが大事だとわかった
どれだけの大きさなのか重さなのかが問題なのである
それはインタ−ネットの画面からはわからないのである
だから中国製のカメラが手に取ってみて軽いというこがわかり軽いものも必要だと実感した
というのは私は車がないから自転車にのせるとがさばる、それも荷台もない自転車だから困っていた、それで重さとか大きさとか持ち具合とかが大事なことを知ったのである

自分は車がないけど通販だと車の恩恵を受けているのである
車がなくても通販なら何でも安く買えるとなる、でも通販が全部いいとはならない
どうしても買ってみて合わないとかがあり失敗がある
パソコン関係だと設定ができないとかある

キャノンのG6030はいいものだった、これも量販店では注文してもかなり遅くなるとか言っていたがアマゾンで注文した二日後に配達されたのである
本当に早いとなる、8キロくらいしか離れていない隣の街の店屋の方が配達が遅くなるというのも変なのである、そして配達料がとられるのも損だとなってしまう
だから買い物でも仲介するものはみんな苦しくなってくる
ただそれでも現物を見たり触ったり持ったり着たりしないと商品のことがわからないということがある、これは通販ではできない、だからまだまだ実店舗は必要だともなる

でもメデアは仲介するものはこれだけ通販が便利になるとやがて消失してゆく
ただ別な仕事が生まれる、操作とか設定とかがわからないとういことがあるからだ
それを教えてもらいたいとしても量販店では教えないのである
結局そうしたことは自分自身でやる他ないのである
私はなんとか自分でやるほかないのでやってきたのである

2021年06月14日

グロ−バル化を交通の歴史からふりかえる (輸送料金が高くなり物価もあがる、グロ−バル化は終わる)


グロ−バル化を交通の歴史からふりかえる

(輸送料金が高くなり物価もあがる、グロ−バル化は終わる)

ブルームバーグ): 世界的な海上貨物輸送費の高騰は思いの外、人々が毎朝飲むコーヒーや子供のために購入を考えている玩具など幅広い日用品価格に早く反映される可能性がある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b52d278a03963f34130203a2c32d276a13cff312

グローバル経済を批判して来た、それがウッドショックで外材が入らずに国内の木材が高騰している、また輸送量がコンテナ不足とかから高くなり日用品で高くなる
輸送量が物の値段に入ると高くなる、ただそれが意識されないのである

この辺の農家で梨農家がいる、その梨をリヤカーで相馬市まで運んでいたという
15キロくらいある、するとその労力は大変なものになる
でも相馬市は人口が多いのだから売れるとなる
経済は内輪で回っていたのが普通でしる、私の家で店をしていたときも近くの農家から野菜とか仕入していた、それも姉が自転車で運んでいたのである
その自転車でも昔だからいい自転車ではなかった、つまりその時車もないのだから近間で物を回すほかなかったのでしる

それで例えばテレビがない時代にニュ―スを見ていたのは映画館だったのである
必ずドラマを見る前にニュースを見ていたからである
そのフィルムは蒸気機関車で運ばれてきたのである
情報すらそうしてフィルムを運んで手間かけてみせられていたのである
テレビがない時代に映像を動画を見ることは特別なことだったのである

1時間半ものの映画だとフィルムが5巻必要だったから、大体1巻が15分くらいかな。1970年代前半までは、1時間半の映画にフィルムが9巻必要だったんだよ。1巻あたりが10分たらず。10巻だったとすると、9回フィルムを切り返さなくちゃいけなかった
https://liginc.co.jp/277492

裏方で大変な作業をしていたのである、第一これだけ重いのだから運ぶこと自体が大変だった、つまり情報は物として運んでいたとなるのだ
その頃駅中心の街だったというのはどこも同じである、物流の拠点が駅になっていたからである

明治三七年に入ってから、これまでの馬車鉄道にかわって登場した市街電車が大量輸送を可能にしたことは、〔浅草〕六区興行街の転身をうながす引金のひとつになった。東京電車鉄道が敷設した浅草橋―雷門、上野広小路―雷門間の路線は、赤毛布の盛り場から市民の娯楽センターへと、浅草の性格を変貌させる。旧市街に居住する市民が夜になってからも、気軽に浅草を訪ねることができる条件がつくりだされたのである。
http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN6/fujioka.html

東京だと電車鉄道ができて浅草の歓楽街が発達したとなる、車もない時代は電車が交通になり足になったのである

人間社会は交通と密接に関係している、すべての道がローマに通じるというときもそうである、道というインフラがローマ帝国を作ったのである
シルクロードとかもそうである、絹を運ぶ道が中国を栄えさせた
そして海が道となったのが大航海時代でありそれがグロ−バル化の先駆けとなった
ただその時はヨ−ロッパ中心のグロ−バル化だったのである
船によって海を道とすることによってグロ−バル化がありえたのである
それでアジアは植民地化されてきたのである

次は明治時代は鉄道によって築かれた時代ともなった、鉄道が全国に通じたときそこに関所はない、どこにでも自由に日本中を行けたということが大きな変化だったのである
だから鉄道で全国の見知らぬ人と乗合すということは不思議な経験だったのである
藩内で生活していた人たちが気軽に関所がないのだから遠くに行けるようになったからである、でも実際は荷物をのせるのが主役であり乗客は脇役だった
もともと北海道とかなると鉄道ができたのは石炭を運ぶために作られたのである
石炭は今の石油と同じだったのである、それで高校でもコークスというストーブを使っていたのである
常磐炭鉱があるように常磐線でも石炭を東京に運ぶものとして作られたのである

そして原町紡績には原町駅から機関区となっていた駅から引き込み線があった
そこから生糸が横浜へと運ばれてアメリカなどに輸出されたのである
そうなっていたのは輸送は鉄道が主役でありあらゆるものが鉄道で運ばれていたからである
そして駅から網の目のように森林鉄道が発達していた、だから高瀬川のところにもトンネルを掘った森林鉄道が走っていた、そして葛尾村の方まで通じていたのである
木材とか石材を運ぶものとしてそうなっていた
だからその時意外と地方の村はかえってにぎわっていたのである
ただこの時代からやはり東京中心の経済が加速されていたとはなる
東京に運ぶためにこうした交通網ができたとなるからだ
そういう因縁はフクシマの原発に受け継がれていた、東京に電気を送るために作られたからである、東京はやはりそれだけ大きな都会となって人口が密集したからである
私の姉は看護婦免許をとるために東京の新宿で試験を受けたとかある
つまり地方ではそういう資格をとる試験を受ける場所もなかったとなる

ともかくこうして歴史を振りえると運ぶことの発達が世界を変えたのである
それがもうここにきて頂点に達した感がある
何か運ぶとういことがもう限界にきた、それがかえってマイナスに働くようにもなった
世界中の人々がモノでもヒトでも何でも運ばれて交流することはいいことだとされた
でもそこにも負の面が大きくなったのである
からたここにきて世界全体でも限界現象が起きてきた、そこにコロナウィルスが世界中に伝染した、それも交通が発達しすぎたから人々が飛行機などによって同時間で接触するからたちまち世界中に広がった
つまりグロ−バル化が負の面をもたらすことに気づいたのがコロナウィルスだったのである

グロ−バル化の負の面が目立つようになった、世界市場とかいうのも実際はもう機能していない、マネーゲームとか金融資本主義とかなりそうした中で株取引でもギャンブル化したりまともに機能していない、というのはグロ−バル化になるともう誰もその実体経済を知りうる人はありえないということである、あまりにも巨大すぎるからである
だから天変地異のように恐慌とかが襲って世界中が混乱する
要するにあまりに巨大なるが故に機能不全に陥る、だから株などは機関投資家のプロでもわからないというのはそのためである、必ずしももうけていないからである
それはとてもグロ−バル経済など知りうる人は一人もいないとなるからだ
もう人間で作りだしたものが操作不可能になったのである

だからもう人間の手では制御できずに自壊するともなる、そういう時期にきている
いろいろい経済について専門家が言っても誰もわからない、株になるとそこは博打場にもなっている、そんな経済が成り立つのかとなる
経世済民が経済の語源だとして民を救うなどありえないのである
だからコロナウィルスで窮地に追いやれても株が上がってもうけ笑っている人がいる
また数パーセントの人がアメリカの富の半分を得ているとかもう経済は破綻しているのである、そうなると誰も真面目に働こうとしなくなる
数パーセントの濡れ手で粟で金融でもうけているとかなんとかになり真面目にこつこつ働くことが馬鹿らしくなるのである

だからどうしても新しいシステムが世界で必要になっている、その大きな変わり目に来ている、この世界的システムが機能しなくなり自壊しつつある
次なる世界システムを作らなければならない大きな変わり目にきている
その時世界的大きな激変が起きて大きな痛みをこうむる
だから何をしようとしても財産でも守れないかもしれない、戦後の焼け野原のような極端なことが起きるかもしれない、その時私の母は東京で前の夫が事故で死んで補償金をもらった、それで一生楽に暮らせると言われた
でも預金封鎖になり故郷に買ったわずかの土地しか残らなかったのである
紙幣は本当に紙くずになったのである
それと同じことが起きるかもしれないというときそれは世界的な大変化の時代になるからだとなる、だから個々人で財産を守ることはむずかしいとなる
全体が世界が国家が変わる時それに個々人では対応できないとなるからだ

ともかく家にいながらにしてアマゾンとかで何でも買えるとか家にいて情報でも何でも手に入る時代である
そして個人でも放送局となっている時代である、テレビ局にさえなっている
出版社にもなっている、そこで仲介するメデアが必要なくなる
第一プログのようなものでも意外と写真でも表現できるから表現力があると思った
つまり個々人がメデアをもった時代になったのである
これは大きな変化である、コロナウィルスで巣籠り生活になってさらに促進された
家にいながらにして仕事でもなんでもできる時代になったのである
だから別に田舎にいても情報弱者とかにならない、ボタン一つ押せばアマゾンから次の日には配達されている

それで早いなと感心する、この変化が大きいものだった、それは歴史をふりかえればわかる、情報伝達するにしてもどれだけ大変なものだったか?
それがボタンを押すだけでできるとなった時代である
私は車をもっていない、すると8キロしか離れていない原町より東京からアマゾンで配達されるものが安く早いのである、これも奇妙なのである
するとアマゾンが普及すると媒介する仲介する店はいらなくなるとなってしまう
だからなんらか店でも時代に即したものとして変化を要求されている
それは銀行でもそうだしあらゆる面でそうなったのである

戸を出でずして天下を知り、窓まどより窺(うかが)わずして天道を見る。その出ずること弥(いよ)いよ遠ければ、その知ること弥いよ少なし。是を以て聖人は行かずして知り見ずして名(あき)らかに、為さずして成る。(老子)

これは今の時代を予言していたのだろうか? 巣籠り生活を予測していたのか
家にいながられにしても情報を得られるからだし家の中で何でもできてしまうとなるからだ
ただ世界は実際にその地を踏んだりしないと理解できない、ただこれはグロ−バル化の批判なのである、何かこれも逆説を語っている

その出ずること弥(いよ)いよ遠ければ、その知ること弥いよ少なし

意外と人間は灯台下暮らしであり近間をかえって知らないのである、狭い範囲でもそこに世界があるともなる、世界の問題がつめこまれているともなる
それは人間だから共通のものが世界中にも適応されるともなるからだ

posted by 天華 at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年06月15日

なぜ人は家で死にたいのか? (人は最後に自分のしたことを語り自慢したい―老人の幸せとは)


なぜ人は家で死にたいのか?

(人は最後に自分のしたことを語り自慢したい―老人の幸せとは)

糖尿病で知っている人が半年とか入院していた、いったん退院してまた入院した
何か症状が悪い、栄養も点滴でとっている、でも家に帰りたい、退院したいと言っているでも病院に一旦入ると医者の許可でできないと退院できない
でも一応その人は自分のことは自分でできる、寝たきりにはなっていない
だから家で一応食事の用意でもできる

ともかく病院にいるのが嫌になったというのは分る、自分自身も二カ所の病院に入院した体験がある、一か月入院したときはあきあきした、また病院で看護師に虐待されたこともあったので病院を恐怖するようになった
虐待されたのは南相馬市立病院ではない、病院とは実際は怖い場所である
隣の福祉施設に入っていた男性も痰がつまり何か虐待されていた
それを見て看護師とかわらって治療していたからである、その人には身寄りがなく施設の人がつきそっていた、そういうふうに見守る人がいないと病院はさらに恐怖の場所になる

別にその人は娘もいるしめんどうみている、でも娘でも何か話しが通じないとか言っている、それで親しい日ごろ世話している女性に携帯でいつも連絡している
その女性は話しがうまいのである、何かお笑い芸人の素質がある
「家が泣いているよ」とう言うのもそうである
それで主人がいなくなった家の草むしりとか花に水をやったりいろいろ連絡している
そういう人がいれば空家にしても安心だとなる
その女性の家はすぐ近くだからそれができる
娘は隣の15キロくらい離れた場所にある、でも退院してから通って食事の用意とかしてくれていた                                  

ともかくなぜ人間は家で死にたいとか思うのか?

それは家というのは単なるモノではないのである、そこで暮らし思い出があり家族と安らぐ場所として長くあった、とくにその人が家を建てた苦労話を聞いた
立派な石組の庭と家を自力で作った
そのためにトラック運転手をして歩合制で人の倍の荷物を運び稼いだ
その話を聞いたときその家を自慢したいのがわかる
それは自分の家でもそうである、姉は常に自分の家を自慢していた
なぜなら姉が主役となって家を建てたからである、それは認知症になってもそうだった
柱は橲原(じさばら)の同級生のキコリに提供してもらったとか自慢していた

その時代普請することは一大事業だった、すべて材料も地元のものであり地元の大工さんが建てた、今の建売のハウス会社が作り売るのとは違っていた
二週間くらいで組み立てるのとは違って三カ月とか半年とかかかることもある
こういうこともあり家を買う感覚とはかなり違っていた
そういうことは田舎では普通にあり普請することは一大事業ともなっていたのである
茅葺の家などでももうそれは村人全員がかかわる仕事にもなっていた
屋根ふきでも大変な作業だったからである、そこで家の重みが今とは相当違っていたのである

天皇の御製歌(おほみうた)一首

あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも

右は、聞かく「左大臣長屋王(ながやのおほきみ)の佐保の宅(いへ)に御在(いでま)せる肆宴(とよのあかり)の御製(おほみうた)なり」といへり。

まさにこれなのである、これが外材ではない地元の奈良の山の木で作ったものである
たいがいそうして家は作られていた、そこに座(ま)すということにそれで充実感を覚えていたのである
家というのはその土地とも一体化したものなのである、家は単なる箱ものではない、
人間にとってそれは精神的なものとしての拠り所ともなる

病院とか医者とか看護師は体は診ても心はみない、そこに老人を診る問題がある
若い人なら体をみるだけでもいいとなる、なぜなら体が回復すれば元の生活にもどるからである
でも老人の病気は治らずに死にいたる、そうなると体だけではない、心を診るものとしてもあるべきだとなる、心の問題が大事だとなる
最後の短い日でも自分の家にいてその苦労して作った自慢の石の庭を見て死にたいともなる
つまり老人は自分のしてきたことを自慢したい、それを子供に次の世代に残して自慢したいとなる
だから盛んに最後に自分のしたことを認めてもらいたいと何回も言うのである
姉の場合は従軍看護婦だったからそのことを千回も言って死んだ
認知症になっても別に過去のことはわかっている、俺はこういうことをしたと自慢して機嫌良くなっていたのである
それが病院にいしても何も自慢することもない、ただ体を診る医者や看護師がいるだけだとなる、何か自慢することもないのである

家とはこうして単なるモノではいなし箱ものでもないのである
その人の妻は十年前に死んだとかでもその人はその妻のことを愛していたから手厚く供養していた、その家はそうして妻と暮らした思い出がつまった場所なのである
ただ今は近くのやはり70とかの女性が行き来するようになった

老人にとって幸せは何か?

そのことを考えさせられた、

蓮台野は、外界、幻想郷、冥界の三点が結節する場所、なのかもしれない

「病院や施設に入るのを嫌がる老人の話」をよく聞きました。歳をとって体の具合が悪くなってきた老人を家族が病院や施設に入れようとすると物凄く嫌がるケースが多かったそうです。それはその当時の老人が生まれた明治時代の初めころにはまだ老人を捨てる習慣があったというのを知っているから自分が捨てられると思って必死に抵抗するのです。幕末から明治にかけて日本に来た外国人が当時の日本人の間で行われた老人を捨てる習慣について書かれた文章も残っているし、そういう習慣があったことは間違い無いと思います
今は口減しではなくなったが、面倒見切れない老人を施設に送るという姥捨山はあるよ。
自宅介護って大変だし家族の生活も制限されたり、仕方ない理由からが多いとは思うけど。
施設も無かった時代に姥捨の習慣が有っても驚かない。

怖い所に行くのではない、仲間たちが待っている所に行くのだ

でんでら国」という小説ではこれを探求している、それは村の共同体があって成立った物語である

食いぶちを減らすためとかあってもそれはもしかしたら病院とか施設とかよりいい場所だったということもありうる、なぜならそこには村の仲間がいたとなるからだ
今になると仲間というのがいなくなっている、だからその仲間の所に行くのだというとき何か救いがある、病院とか施設には仲間はいないからである
医者も看護師もただ体をみる人であり仲間ではないからだ
病院は刑務所と同じだというときまさにそうである、それを自分も体験したからである
何か四六時中医者とか看護師とに見張られている、安らぐ場所ではない
そして死ぬときモノのように片づけられる場所である
そこに愛か欠けている、情のない冷たい場所なのである
死者は邪魔なのものとしてモノのようにかたづけられるのである
病院で番号で呼ばれて怒った議員もいた、つまり病院では議員でも番号にすぎなくなるのである

老人の幸せを考える時、体をみるということもあるが心の問題がありそっちの方が大事にもなる、なぜなら老人の体は直らないからである、だから最後の時期は心の方を大事にする、家ですごしたい、死にたいというときそれは体の問題ではない
心の問題だからである、だからその心をくみとって家で過ごさせてやる
その方だ大事になる、ただ家で寝たきりとかなると介護するのが重荷になる
蓮台野とかデンデラノでは同じ村の者であり助け合ったということがある
それは村という共同体があってできたことなのである

結局人間はどういうふうに死ぬのかが問題になるけど人間はそれより実際はどういうふうに生きたのか大事である、なぜなら出鱈目に生きても死ぬのは簡単に楽に死んだ人もいるからだ、人間を評価するときどんな死に方をしたかではなく何をしたのか、どういうふうに生きたのかの方が大事なのである
人間を評価するときどんな死に方をしたよりその人がどういうふうに生きたかで判断されるからだ
だからこそその生きた場所が家にあるから家に帰りたいとなるのである
そこでその家を作ったとして自慢できるからである
ただ自分の場合は作られた家を受け継ぐだけだから苦労もない、でも一代で家を作った人は思いが違っているのだ
そういうことは原発の避難区域になったところである
浪江の津島辺りでは戦後開墾して苦労したから村の人たちのつながりが強いというときそれだけ苦労したからそうなる、家を作ったことでもそうであるそういう思い入れがあるからその土地から家からはなれがたくなる
金をもらってもそういう精神的なものの償いはもうできないということである

2021年06月16日

原発事故とオリンピックの相似 (巨大利権構造の巨悪が暴かれる)


原発事故とオリンピックの相似

(巨大利権構造の巨悪が暴かれる)

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https://www.youtube.com/watch?v=oroJ0FvwqNE

このオリンピックも巨大利権でありIOCがオリンピック貴族となっていた
莫大な利権がありコーツ代表が来日して接待される
今回のコロナウィルス騒ぎの中でその悪が可視化されて暴露された

なぜ日本がこんなにコロナウィルスで苦しんでいるのに接待するのか

高級ホテルに泊まらせて酒まで提供する

そこで仲間でどんちゅん騒ぎさせるのかとも言われる

なぜかこうしてオリッピックの委員が実は江戸時代の悪代官とか悪徳商人とか悪徳役人としてクローズアップされた
何か平和の祭典とかの美名の元で行われるオリンピックが汚れたものとしてイメージされるようになった

オリンピックとはこんなに汚いものだったのか?

そういうイメージが定着してもう熱狂することもなくなるかもしれない
これも金まみれであり利権オリンピックだったのである
それが国内だけではない、グロ−バル社会の中で行われたものだからまた違っていた
グロ−バル化もまた実際は巨大な悪をうみだしている、わずかの人たちが主にアメリカになるが国内でも数パーセントの人たちが富を独占している超格差社会になっている
ただそれは世界的にその悪は見えない、でもオリンピックのようにあからさまに暴露される時期が来ているのかもしれない、つまり悪は隠し続けることはできない
いつか必ず現れて白日の下にさらされる

ただこれは原発事故ともにていた、これも巨大な利権でありそこにやはり官僚が御用学者がマスコミが地元の利権者がと…群がったからである
そこには海上自衛隊との幹部とかでも天下りしているのである
マスコミというときそれはすべてのマスコミが加担して原発推進になっていたのだ
なぜなら朝日新聞の幹部が東電に中国に招待し接待されている時事故が起きたからであるこの構図はオリンピックでも同じだった
オリンピックはマスコミのテレビ放送の巨大利権となり電通などがもうかる
また放映権でも何百億とかなりその収入はオリンピック貴族に入る
その金は巨額なものとなる、その金によって人は眼がくらむ
それでこの辺の漁業組合とか船主とかは特別事故前も補償金をもらっていて原発御殿が建っていたといわれる、それで今になると地元の人は相当に反発している
また事故後は今度は除染費用に数兆円の金が費やされた
それで清水建設の下請けとなった相双リテックの幹部に数十億の金がまわり山分けされたそして社長は野球好きでありタニマチとなり銀座で豪遊してその金をばらまいたという
これも極端な悪として暴露された

でもマスコミは追求しない、政経東北でも裏表紙で相双リテックの宣伝をしている
なぜそうなっているのか、それはやはりそれでけの原発マネーが宣伝費として回ってゆくから追求しないとなる
また福島民報などは出資者が県が半分でありあと創価の聖教新聞を刷っている
それが大きな収入とてっているから何か悪を追求することなどないのである
原発のことで追求したこともないだろう
また創価でもただ利権にあづかるカルト団体であり潮の雑誌では雑誌では二番目に原発を推進する宣伝をしていたのである
他にも出版物を出しているがそこで大事なことは宣伝を出す会社を探して宣伝費をとることなのである、創価などは宗教などともまた全く関係ない
ただ利権を御利益を日々求めて祈っているだけである

ともかくこの世は何かきれいごとを言う時、その裏に汚いものが隠されている
宗教を看板にしていてもその内実は全く違う、利権を求め金儲けを求めているだけだとなる、それは信長の時代でもそうでありだからこそ信長が僧侶を敵視して大量殺戮までになった、寺というと宗教だから清い場所とみていてもそこも利権の場となり汚れていたのである
なぜこうして人間社会をみるとどこも汚れてしまうのだろうか?
美名の下にも必ず汚れたものがある、そしていつかそれが暴露される
そはは今や日本だけではない、グロ−バル化しているから悪は世界的なものとなり巨悪となる、でもオリンピックのようにいつか暴露される
もうこれだけ汚れたオリッピックなどする必要もない
人の命まで無視して日本などどうなろうと関係ない、金になればいいとなる
日本はそのために犠牲になれとまでなっている
そもそもオリンピック自体もうやめるべきだと思う
何の人類的意義などなくなった、ただ利権者の金儲けの手段にすぎない、0.1秒を早くなったとか競っても馬鹿げているとなる

原発事故は人間のモラルと関係ないようでただ科学技術の問題のように見えてやはりモラルが関係していた、既得権者が濡れ手で粟の暴利を得てそのために地域では住むことすらできなくなった、地元の責任もあったが地元では住めなくなるとういう責任をとらされたでも誰一人東電でも天下りとかした既得権者も責任をとっていないのである
オリンピックも今回のコロナウィルス騒ぎでその巨悪が可視化された
まるで時代劇のお偉い方が人を殺して犠牲にして芸者を読んでどんちゃん騒ぎしている
それは極端な悪としてドラマでは見せる、だから悪がわかりやすい
でも現実は巨悪は隠されるのである、ただ今回はまさに日本がコロナウィルスで苦しんでいる時、オリッピック貴族がそうしているから悪が極端なものとしてクローズアップされたのである

このyoutubeではかえってマスコミよりわかりやすく説明している
こういうことをマスコミでは報道しない、なぜなのか?
それは既得権者でありマスコミでも利権化して金になればいいしかないからである
また報道するのに新聞なら一軒一軒配るとか膨大な金がかかるためである
不思議なのはyoutubeで報道すれば一個人でもできてしまうのである
だから新聞は読むなとかテレビは見るなというときマスコミでは真実が報道されないからである、何かきれいごとだけ報道される、それが今一個人でも報道できるとなりインタ−ネットで情報環境が変わった
そこに真実が報道されているのだ、ただこれだけ報道量が増えるともうマスコミの報道を見ないともなる、取捨選択される一つとしかマスコミでもなる
つまりyoutubeの一チャンネルとなってしまう恐怖である
国民全員がマスコミのテレビに注視する時代は終わったとなる
私は地元の人に嫌がられても真実を報道している、その悪の面でも報道している
そんなことができるのは結局金がかからないからである、手間はかかっても報道することが無料だからできているのである




posted by 天華 at 06:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層