桜満開ー相馬市へ行く(八幡神社ー相馬の城跡ー松川浦−写真で見る)
熊野神社
相馬の城跡
田町通り
相馬の街道
パノラマ写真
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宮の池桜満開金の鯉
着物来て桜に映える少女かな
三々五々は花見の人や城の跡
宮の池桜満開金の鯉
着物来て桜に映える少女かな
三々五々は花見の人や城の跡
初燕相馬の城下にぎわいぬ
新しき田町通りの柳かな
紫木蓮相馬へ行くや夕べかな
街道に残れる松に夕桜
走りつつ星の光るや桜かな
いづこへと我は行きなむ分れ道心気ままに春の浮雲
(八幡神社)
朝日さし桜は池に映り映え三匹ほどの錦鯉見ゆ
(熊野神社)
杉高くここに根付きて残りしも社はすたる春になれども
(相馬の城跡の桜)
城跡に咲きし桜や重なりて相馬の栄ここに築かる
城跡に花盛りかな相馬藩新たな栄ともに築かむ
相馬藩いたく傷つくさにあれど春はめぐりて新たな息吹
木蓮の真白く映えて桜咲き連なる山や陽は昇りけり
(松川浦)
松川浦春の光の水面にそはねてまぶしも霞む山かな
天地に海の展けて春日照り日本の国土うるわしきかな
大いなる旅路にあれや我が国土四海に臨み春の陽没りぬ
海広く視界開けて沖に船春日かがよひ海に没るかな
広々と暮れゆく海や春の陽の燃えつつかがよひゆらめき没りぬ
海鳴りの四方にひびきつ春の陽の山にかがよひ没りにけるかも
日本列島四海に望み輝かむ生きてこそあれ天地とともに
山に月没りけあかつき海明けて春陽かがよひ鴎飛びゆく
一二羽の鴎飛び来ぬ松川浦ここに休まむ春の夕ぐれ
相馬市へ桜を見に行った、風は吹いていたが快晴で気持ちよかった
何か今年はすでに木蓮も盛りとなり咲いている、梅が散って匂いが濃く充満していて
桜が満開となった、つまり一時に春の錦となったのである
木蓮は遅く咲いているからである
春が早めに来てすでに春爛漫になったのである
相馬市の入り口辺りで熊野神社があったがすたれていた、参る人もいないようだ
そういう神社も増えてくる、なぜなら農村の共同体の中心として神社があったからだ
それがなくなると神社もすたれる、共同体が喪失してゆくからである
あの熊野神社は杉が高いし相当古いともみる、その杉が古さを語っている
松川浦は見晴しが良くなった、前は松原があってこんなふうに見えなかった
ただ松原があったときはそれが景観を作っていた
松川浦は景観としては津波で消えてはいない、海辺の磯部村は消失した
ともかく春の松川浦は絵になり写真になる、この辺では浦とか入江がないからだ
それで八沢浦が本当に津波で入江になったときは驚嘆した
その入江に波がよせてきらきらと光っていたのである
松川浦ではあのように波はよせない、穏やかでありあのような波は寄せない
浅いこともある、あの時相当に海が入り深くなっていたから波が寄せたのかもしれない
もしあのような風景がもどっていたらここは名勝の地になっていた
今はそうした景観は変わり殺風景にもはなった
松川浦に夕日が没り一二羽鴎が海から飛んできた、松川浦に休むのだろう
休むにはいい場所だと見た
ともかく今は写真をとるにはいい季節である、絵になる風景が多いからである
桜の問題はすぐ散ることである、だから桜の名所が日本だといくらでもあるが実際は見るのは限られているのである
二週間くらいで散ってしまうからである、それで私は日本全国をこれだけ旅してもやはり桜を見たのは限られているのである
相馬市では初燕を見た、この初燕はどこで見るか年によって違っている
今回は相馬市で城下で見た
新しき田町通りの柳かな
紫木蓮相馬へ行くや夕べかな
街道に残れる松に夕桜
走りつつ星の光るや桜かな
いづこへと我は行きなむ分れ道心気ままに春の浮雲
(八幡神社)
朝日さし桜は池に映り映え三匹ほどの錦鯉見ゆ
(熊野神社)
杉高くここに根付きて残りしも社はすたる春になれども
(相馬の城跡の桜)
城跡に咲きし桜や重なりて相馬の栄ここに築かる
城跡に花盛りかな相馬藩新たな栄ともに築かむ
相馬藩いたく傷つくさにあれど春はめぐりて新たな息吹
木蓮の真白く映えて桜咲き連なる山や陽は昇りけり
(松川浦)
松川浦春の光の水面にそはねてまぶしも霞む山かな
天地に海の展けて春日照り日本の国土うるわしきかな
大いなる旅路にあれや我が国土四海に臨み春の陽没りぬ
海広く視界開けて沖に船春日かがよひ海に没るかな
広々と暮れゆく海や春の陽の燃えつつかがよひゆらめき没りぬ
海鳴りの四方にひびきつ春の陽の山にかがよひ没りにけるかも
日本列島四海に望み輝かむ生きてこそあれ天地とともに
山に月没りけあかつき海明けて春陽かがよひ鴎飛びゆく
一二羽の鴎飛び来ぬ松川浦ここに休まむ春の夕ぐれ
相馬市へ桜を見に行った、風は吹いていたが快晴で気持ちよかった
何か今年はすでに木蓮も盛りとなり咲いている、梅が散って匂いが濃く充満していて
桜が満開となった、つまり一時に春の錦となったのである
木蓮は遅く咲いているからである
春が早めに来てすでに春爛漫になったのである
相馬市の入り口辺りで熊野神社があったがすたれていた、参る人もいないようだ
そういう神社も増えてくる、なぜなら農村の共同体の中心として神社があったからだ
それがなくなると神社もすたれる、共同体が喪失してゆくからである
あの熊野神社は杉が高いし相当古いともみる、その杉が古さを語っている
松川浦は見晴しが良くなった、前は松原があってこんなふうに見えなかった
ただ松原があったときはそれが景観を作っていた
松川浦は景観としては津波で消えてはいない、海辺の磯部村は消失した
ともかく春の松川浦は絵になり写真になる、この辺では浦とか入江がないからだ
それで八沢浦が本当に津波で入江になったときは驚嘆した
その入江に波がよせてきらきらと光っていたのである
松川浦ではあのように波はよせない、穏やかでありあのような波は寄せない
浅いこともある、あの時相当に海が入り深くなっていたから波が寄せたのかもしれない
もしあのような風景がもどっていたらここは名勝の地になっていた
今はそうした景観は変わり殺風景にもはなった
松川浦に夕日が没り一二羽鴎が海から飛んできた、松川浦に休むのだろう
休むにはいい場所だと見た
ともかく今は写真をとるにはいい季節である、絵になる風景が多いからである
桜の問題はすぐ散ることである、だから桜の名所が日本だといくらでもあるが実際は見るのは限られているのである
二週間くらいで散ってしまうからである、それで私は日本全国をこれだけ旅してもやはり桜を見たのは限られているのである
相馬市では初燕を見た、この初燕はどこで見るか年によって違っている
今回は相馬市で城下で見た