2021年03月01日

金は具体的責任でありカルマとなる (そのカルマは苦しみとなり現象化するー世界恐慌にもなる)


金は具体的責任でありカルマとなる

(そのカルマは苦しみとなり現象化するー世界恐慌にもなる)


武田邦彦】ついに特定!メディアが一切報じないSTAP細胞事件の真犯人が判明しました!
やはり小保方さんは…


武田邦彦氏が小保方さんには責任がないと言っている
その理由は無給だったからだとしている、研究者として無給で参加させていた
だから小保方さんには責任がない、雇った方に責任があるとしている
それで上司の人が自殺したというのはそのことだったのかとなる

何か責任とかカルマとなると金でみるとわかりやすいのである
借金は明らかにカルマとなる、カルマとは何かとなるといろいろあり複雑だからその人のカルマを知ることはむずかしい
でも金から見るとわかりやすいのである、カルマとは借金を背負っていると同じだからである、だからその借金(カルマ)を払うことを強いられるのである

親戚で叔父にあたる人から墓を守ってくれと300万もらった人がいる
私でも叔父になるが交渉はなかった、でも今になるとそんなこと頼まれなくて良かった
墓を守れというけどそれも簡単なようでそうでもない
墓とは何か良くからないからである、そこに何もないとなればない
でも何かあるのかもしれないとかなりわからない
でもいづれ墓を捨てることにはなる、墓を捨てても別に誰も何も言わない

でも墓を守ってくれと言って死んだ人から呪われるかもしれない
「300万墓を守ってくれと頼んだ、あなた守りませんでしたね、私はあなたを呪うでしょう」何かこんなふうになったから怖いとなる
もし半分づつで分けて墓を守ることを自分がしていたらその責任が生じていたのである
だからそんなこと頼まれなくて良かったとなる
ただその頼まれた人は育ての親すら生前に捨てたような人である
だからそういう人がどうして墓を守れるのかとなる
世話になった親すら捨てた、その墓は別にある
いづれにしろそれもカルマとなってその身にりかかる

一見金をもらうことは無条件でいいように見える、でもそれがカルマとなる
ただそういうことを意識しないのである、後でなんらかカルマとなり災いとなる
弁護士に何もしないのに相談するだけで百万を払ったというのもそうである
それは何のとかめられることもない、しかしそれが具体的な金としてもらったことで後でカルマとなって苦しみとなって現れる
金は具体的なカルマとなるからである

原発事故にしても漁業組合の船主などは多額の補償金を事故前からもらっていた
もし金をもらわなかったら責任はないし東電でも政府でも責められる
でも金をもらったことが責任となる責められないのである
事故周辺ではそうして金をもらい恩恵を受けていたから東電を責められないというのもそのためである
ただ事故後に補償金でももらうのは当然だとなり批判はされなかったである

それでドラマでたいした金でもないのに江戸時代のヤクザが殺人に手をかしたとかある
それは金をもらった責任を果たすためにそうなったとなる
そこまでしなくてもいいとなるがそれでもそこまでしなければならないとなるのがカルマだともなる、だから借金を軽く考えるのは疑問なのである

また借金した人はすでに負い目をもっているのだから人を愛すことはできないとしているだから私が介護て苦しんでいる時来た親戚は助けることもできない
借金で苦しんでいるからまず金を要求してくる
負い目をもっているのだからその時点で何も助けることはできないとなる
借金は大きなカルマなのである
そのために自分は苦しめられただけなのである、ただ相手はそのことを意識していない
でも多額の借金で苦しんではいる、たいだい犯罪の動機は借金が多いのである
それがカルマとなって苦しみ犯罪になる
だから借金することはすでに犯罪に近いともなるのである
ただ借金にもいろいろあるから一概には言えないにしろ借金そういうふう怖いものなのである

いづれにしろ金の怖さは具体的なカルマとなるから怖いのである
そして親のカルマが子に残されるという時何か不正であれ子に残された金は得た金はまたカルマとなり子を苦しめる、それが自分にあったと思う
遺産にしてもどうしてその金が残されたかが問題になる
それで金のことで親の介護から死で問題になり苦しんだとなる
だからどうしてもコロナウィルスで苦しんでいる時株が上がりもうけて笑っているという経済の仕組みは必ずカルマとなりそのもうけた金が呪いともなる

つまりそもそも今の資本主義のシステムはもうまともなものではない、だから巨大なカルマとなって恐慌とか起きて破綻する運命になる
国際金融資本家がギャンブルのようにして世界から金を集めている
その金がカルマとなり呪いとなってゆくのである、そのカルマが巨大な重荷となりそれで破綻してゆくのである
金には責任が課せられている、もしそうした巨額な金をもっている人がいたとしたらそれを世界的に有効になるように使わないとカルマとなり呪いとなってゆくのである
だからアメリカは衰退してゆく、世界から過剰に金を集めて豊かになったからである
ただ何かを世界の利益になるものを与えたということもある

そういう責任が大国には覇権国になると課せられている
そのために金が集められるからである、でもそれができないときカルマとなりその国に責任がのしかかりそれが果たせないとその国は衰退してゆく
それがアメリカの超格差社会の現実でありアメリカはもう衰退するほかないとなっているそれは中国でも同じである、覇権国となると世界から金が集まるからである
すると世界的責任が生まれるからだ、それが一部の支配階級のみに金が集まりすぎる格差社会になると中国では必ず革命が起きてきたのである
つまりカルマが積み重なりそれで自壊してきたのである

posted by 老鶯 at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年03月02日

衰退した漁業をテーマにしたドラマ


衰退した漁業をテーマにしたドラマ

(漁業は衰退して観光とか原発に頼るようになった)

1970年代には、各国の200海里宣言で漁場が狭まり、遠洋漁業画が打撃を受けました。1980年代後半からは、日本近海の水産資源が減ってきたことなどから、沖合・沿岸漁業の漁獲量も急激に減少しました。

漁獲量も減り、とった魚の値段も上がらず、収入に繋がらないこと、また自然相手の危険で厳しく、そのうえ長時間労働の仕事であることから、特に若い人が漁業から離れていきました。

現在、漁業者は約20万人と過去40年間で3分の1以下に減り、現在働いている漁業者の約30%が65歳以上の高齢者となっています

漁業が最大の生活手段である離島では、人口の減少が問題となっています。例えば長崎県の五島列島では、1960年代に14万人いた人工が、今では半分近くに減り、高校卒業者の約8割は、進学や就職のため島を離れています


漁業もグロ−バル化して衰退した、つまりグロ−バル化経済というのは全般に社会を変えてしまったのである
それが一次産業を駄目にしたのである、漁獲量も減り跡継ぎもいない、それは農業と同じだった、林業でもそうである、カナダとからの外材で家を建てる
すると江戸時代とか戦前は山持ちとかがいて山村でも金持ちがいた
それでこの辺では飯館の大倉で相馬女学校に通っていたという人がいた
親戚の家に寝泊まりして通っていた、相馬女学校は本当に極わずかの人しか入れなかったのである

漁業というとこの辺では相馬市がと漁船も多く盛んに見える、でも相馬港は天然ガスなど輸入する港に震災以後なっている、だから漁港としてあっても漁船以外で船が出入りする港ともなっている、漁業が衰退するとそっちの方が港の主な機能となっているともなる
漁業だけどだとジリ貧になる、もう漁業だけでとか専業ではやっていけない時代である
そしてどうなったのかというとドラマの舞台の伊勢志摩では観光が主要な収入となりリゾート開発が行われた、それで寝屋子として育った子供が観光開発会社の社長となり育った寝屋子の父親と争うようになる
漁業は衰退して観光に重きを置く時代になったのである
そこで観光化することに寝屋子の親は反対するドラマである

これでわかることは漁業を通じて結ばれていた共同体が時代の変化で破壊されてゆく物語でもある、それは農業でも林業でも同じである、グロ−バル化した結果起きたことなのである、その時寝屋子という共同体を維持する風習も壊されてゆく
相馬市の松川浦漁港は大きいが漁港は零細である、そういう零細な漁業でも成り立っていた、それは遠洋漁業とかに変わった、すると地元で魚をとってだけでは暮らしていけないとなる
漁業だけでは暮らしていけないとか原発があった地域でも双葉や大熊でも原町市とかいわき市から離れているから仕事がないともなっていた
それで出稼ぎ地帯になっていて出稼ぎしたくないからと原発を積極的に誘致した
それは漁業関係でも同じである、漁業だけでは生活できないとなっていた

ところが浜通りではこの辺の烏崎村には漁業をしていたがそれも零細である
東北電力の火力発電所ができたとき補償金をもらえた、それで烏崎では景気がいいと高い着物でも売れたのである、また呉服屋が旅行に招待されたりした

日本人の海外渡航自由化は、1964年4月1日のこと。この日に観光に観光目的のパスポートの発行が開始され、1人年1回、海外持ち出し500ドルまでの制限付きで海外への観光旅行が可能となった。

海外渡航の自由化から1週間後の4月8日にJTBが主催した、ハワイ9日間「第1回ハワイダイヤモンドコース旅行団」の旅行代金は、当時の国家国務員大卒初任給(1万9100円)の19倍という36万4000円。1965年4月10日に出発した「ジャルパック/ヨーロッパ16日間コース」は67万5000円だ。

これらを現在の物価に換算すると、JTBのハワイツアーは400万円、ジャルパックのヨーロッパツアーは700万円に相

このくらいの値段の時烏崎の人は海外旅行していた、ヨ−ロッパにも行っていたことに驚いた、私自身はとても海外旅行は高いから行けないと思っていたのである
それから安くなってみんな行くようになった
この時漁業関係者には補償金が入りさらに原発でも事故前からも多額の補償金が入ったのである、だから二回も大きな金が入ったとなる
実際は零細漁業は一応形だけでは漁業していてもそうした利権にあづかるためにあったのかともみる、だからこそ跡継ぎもいないのである
漁業だけで生活が成り立たないのである

ただその矛盾が原発事故であからさまにされたのである、事故前でもそんなに補償金をもらっているなど知らなかったからだ
それで原発御殿を建てていたというのもそうである
確かにこういう事情があり一概に漁業関係者を批判できないこともわかる
でもここに原発の極端な矛盾が現れたのである

漁業というのはもう漁業をしている形だけでありそれで漁業権を持っていて東電に補償金を要求するために海があったとまでなっていた
それだけ漁業が苦しい状態に追い込まれていたのである
それは農業でも林業でも同じである、それで農業していた子供が親に農業は継ぐなと殴られた、それは苦しいからそうなったのである

寝屋子とは漁業を受け継ぎその土地に生きるものとして自ずと形成された伝統である
それも結局伊勢志摩の場合は観光化してリゾート化してその土地を買い上げられるとかで問題になった、高度成長時代はこうして海外旅行ブームがあり国内の観光ブームが起きた時代だからである
つまり漁業の衰退とともに観光や火力発電所とか原発で補償金をもらうということに生活が変わったのである

ただそれが原発事故でその矛盾が露骨に現れたのである
トリチウムを海に流すなと東電に要求してもそれはまた補償金をもらうための交渉なのかとまで見られる、なぜなら漁業はこのように零細化して生活が成り立たない
ただ形だけが漁業者であり実質は東電からの補償金で成り立っていたからである
要するに魚をとらなくても東電からの補償金で生活がまかなえるとなっているからである事故後もそうである、漁業関係者は生活に困ることはないのである
ただそれは全部ではなく船主などの一部かもしれない、でも漁業組合が交渉する時、やはり補償金をもらうためなのかと見られてしまうのである

だからそもそも東電に漁業権を売りわたすということ自体それが本当にそういう権利があったのかとなる
今になるとこれだけ広範囲に被害があり別に他の人たちは補償されないからである
なぜ漁業組合関係者だけが補償されて安泰なのかとなるからだ
もちろんこのように事情があり言い分はある
ただ漁業権というのは大きな権利でありそれが零細な漁業組合のものになっていることが疑問なのである
水揚げ高でも福島県は宮城県からすると十分の一であり零細なのである
ただ事故が起きなければ問うことはなかった、第一知らなかったからである
だから知らないままで終わっていたのである

ともかく寝屋子という昔からの漁業を成り立たせるための伝統が失われというとき
それは江戸時代から明治から社会が変化して共同体が分解していったのが歴史である
原発事故ではそれが極端化したのである
一挙に限界集落化してもう町や村が消失する危機になった
それも多額の補償金をもらった結果としてグロ−バル化広域化した社会で起きてきたことである、現代の生活はもう一地域で農業や林業や漁業をして生活しているのではない
グロ−バル化であり広域化社会であり一地域でも外部からの人が入り仕事して成り立っている、だから隣の人が何をしているかわからないのが多いのである
それだけ仕事が広域化してグロ−バル化しているからである

昔だったら近くでも何の仕事しているかわかっていた見えていた
今は見えないのである、それで簡単に原発事故で広域化社会で補償金をもらって町や村を復興させるより個々人が家族でも外に出た、仙台市に出て成功した人もいる
だから時代の変化で元のような町や村に復興させることは不可能だとなった
でもこんなに簡単に共同体が崩壊することには驚いたのである
一つの町や村に住んでいても実際は共同体は喪失している
そこで力をもつのは金だとなってしまったのが現代社会なのである
だから市町村でも一時的にありそれも簡単に何かあれば崩壊するという社会なのかとなる代々住んでいてもそれが維持できない、簡単に崩壊するということである
もちろん放射線被害とかあり維持できなくなったということがあってもそういう社会になっているため起きたのかと見るのである



posted by 老鶯 at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2021年03月03日

Japanese hall


Japanese hall

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木の組子格子の表裏に絹や和紙を張り重ねた障子が衾障子あるいは襖障子と呼ばれた。

Shoji made with kumiko-goshi (a lattice made of fine materials) with silk cloth or a paper pasted on the both sides were called fusuma-shoji (衾障子 or 襖障子).

目が届かず、

手で詳しく知る事ができない」、「奥」の意味)から、身体の形を覆い

隠す服「皮衣(かわごろも)」を意味する「襖」という漢字が成り立ちました。

I can't see

Covering the shape of the body from "I can't know in detail by hand", meaning "back")

The kanji for "fusuma", which means "Kawagoromo", has been established.

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経済の錯覚ー第一次産業から工業化へ (原発事故もその変化で起きた)


経済の錯覚ー第一次産業から工業化へ

(原発事故もその変化で起きた)

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南相馬市の地域特性
https://www.city.minamisoma.lg.jp/material/files/group/3/04_3shou.pdf

経済というとき田舎に住んでいると回りは田畑である、するとそれだけの面積を占めているから農業中心のように未だに見ていることがある
つまり農業となると土地が基本になり土地から生産物を産みだすから土地が広ければ広いほど生産高はあがる
土地が二倍になれば二倍の収穫になり三倍になれば三倍の収穫になる
その土地でも平地があると田畑にしやすいのでいいのである
日本では米がとれる平地が多い場所があって大きな力をもつとなっていた
何万石とかの石高で米がとれる量でその国の力を計っていた

ただそれが戦後の工業化により高度成長時代になると農業の生産にしめる割合が極端に減ったのである、全体の一割とかになっていた、それは地方でも田舎でもそうなのである
でも田舎に住んでいると依然として田畑に囲まれているから農業のしめる割合が多いともみるのである
でも現実は農業に従事して生活している人は一割くらいだとなる
それもこの辺だと梨農家とかトマト農家とか花栽培の農家とが専業農家として成り立っているとなる、米だけでは成り立たなくなったのが農業である
そして田舎でも地方でもみんな会社に勤めている人が多いのである

でも人間はいくら数字で示されても現実と合わないのである
ただ明らかなことは戦前までは養蚕農家が多かった、いたるところ養蚕農家であり
そのために養蚕のために作られた兜型の屋根の家が今でも多く見られるのである
でも養蚕は今はしていないのである
相馬農業学校は養蚕学校から始まったことでもわかる
農業は養蚕が主なものであり絹が輸出産業となっていたからである
でも養蚕とは農業が拡張化したものでありそれも農業だったのである

グラフで見るようにいかに第一次産業の割合が急降下しているからわかる
それでも依然として田舎の風景を見ると田畑に囲まれているから農業が主体なのかとも見てしまうのである
そしてまた漁業は実際は農業よりそのしめる割合はさらに少ない
全体の一割が農業だとすると漁業はまたその十分の一くらいかもしれない
そうなると漁業は確かにこれも漁港はある、でも現実には経済活動の割合では微々たるものだとなる
第一魚にしても必ずしも地元でとれた魚を食べているわけではない、魚でも今ならどこからでも入ってくるからである、そうしてグロ−バル化して広域化した経済で地元のしめる役割りがまた小さくなっていた
ただ魚は活きのいいのがうまいからこの辺では石鰈は贅沢であり年取り魚として大晦日に食べていた贅沢品だったのである

やはり魚。特に「めでたい」に通じるタイが好まれますが、ブリ、サケも人気もので、“東日本ではサケ、西日本ではブリ”といわれるほど「年取り魚」の定番として定着しています。

こういうことが各地でもあった、だから地元で石鰈を食べれるのは漁港があり漁師がいたためであるその恩恵があったということである
ただ高度成長時代になると工業化すると農業もそうだが漁業もさらに遠洋漁業や広域化グロ−バル化で外部からも魚が入ってくるから地元だけで売り買いするものでなくなった
その全体にしめる割合が農業より縮小化していたのである

そこでどうなったのか?

漁業権は残り大きな権利となった

原発に漁業権を売りそれで成り立っていた

漁業だけではもう成り立たなくなっていた、だから後継者もいないのは農業とも同じである、ただ実質では漁業だけでは成り立たなくなっていても漁業権がありそれを東電に売るその方が大きな収入となり原発御殿が建っていたのである
漁業では成り立たない、農業でも成り立たない、後継者もいない、でも東電からの補償金はある、それで十分だとなっていた
グラフで見ればわかるようにそもそも第一次産業は急降下するばかりだったからだ

飯館村でも林業とかで木材やまた石材とかを東京とかに売っていたときは地元にあるものが資源となり村でも成り立っていた、原町機関区はその資材を東京に運ぶために作られた森林鉄道がそこから伸びて葛尾村の落合とかまで通じていたからである
それがグロ−バル化して外国からそうした木材でも資源を輸入するようになったとき衰退したのである
そういう時代の変化があり東電に頼るようになったのである
東電は巨大企業でありその経済にしめる割合も地元では大きなものでありその他は縮小化されたのである

ただこうして工業化して高度成長時代に公害問題が起きた、自然破壊が起きた、水俣病がそうだった、環境破壊の歪(ひずみ)が生まれた
それは日本だけではない世界でも中国でも経済成長すると起きた問題である
原発もまた環境破壊するものだったのである

これまでの経済は第一次産業が主体だった、農業であり林業であり漁業でもそうである
それもグロ−バル化していないから地元にあるものでまかなう経済だった
それはその土地の生態系に基づいてありえたものだったのである
だから公害とかはありえなかった、なぜなら農業でも田んぼでも水が汚染されたらやっていけない、漁業でも海が汚染されたら魚を食べられないからである
貧しくても生態系に基づいて生きるほかなかったのである
そこでは公害は起こりえなかったのである

ただ原発事故ではそうした生態系自体が汚染されると空気まで汚染されると住めなくなった、ということはここあるものをすべて失ったとまでなる
現実に多額の補償金をもらってみんな外に出て残されたのは老人だけだとなる
そしてやがて限界集落のように消滅してゆくとなるからだ
そうした大きなリスクを背負っていたのは原発だったがそれが金になるということで見えなくされていたのである
だから確かに一概に漁業者だけを責めるのは酷だともなる
ただそこに一番矛盾が露見したのである

トリチウムを海に流すなというときそうである、そもそも海で魚をとるということは自治体にしてもその割合が微々たるものになる
松川港にしても漁船は多いにしても現実は火力発電とか天然ガスの供給所とか他にも船が出入りする機能としてあり漁業は縮小化されていたのである
魚にしても現実的には外国からでも他から入ってくる
農業でも米でも外部からいくらでも入ってくるから地元だけに頼るとういことはない
そういうグロ−バル化広域化経済の中でも農業や漁業が縮小化されて東電に頼るになったのである

生業を返せという裁判があった

でもこれもその生業自体では生活できないとなりこの辺では原発に頼っていたのである
生業というとき何なのか?
それは第一次産業になる、その第一次産業のしめる割合が急降下してきた
だからいくら回りが田畑でもその田畑が重要なものでなくなっていたのである
そして次は荒地化した土地はソーラーパネルになった
それも原発に頼るとも似ていた、自然破壊していないようで景観は破壊されている
それで飯館村に風力発電ができると風車を見えないようにしろと川俣村から抗議されているという、飯館村でもそうして自然破壊されてゆくようになった
なぜ川俣村でそういうのか、それは川俣村では元のままでありそこに相当数の人が住んでいる、そうなると風力発電の風車でも見えるのが嫌だと抗議したのである
やはり人がそこに住んでいれば景観を気にするからである
だから人が住まないことは危険になる、人が住まない避難区域は放射性廃棄物の処理場とかソーラーパネル工場とか風力発電地帯とかになりやすいのである

原発事故の最大の被害は生態系が汚染されて住めなくなったことである
この住めないということは最大の被害であった
それで大熊の人だったか家族と故郷に一緒に住めるならロウソクでもいいと言ったことが印象に残ったのである、それは何が幸福なのかを示唆していた
そこまで極端化したことを言わせたことが原発事故がいかに家族でも自治体でも破壊してしまったかを示していたのである






posted by 老鶯 at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2021年03月04日

日本の農業も地形と風土にマッチして形成された (日本の農業を見直して日本の国土の再生を計る時代に)


日本の農業も地形と風土にマッチして形成された

(日本の農業を見直して日本の国土の再生を計る時代に)

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これはいい本である
日本の農業がどういうものかわかる


日本は外国の文明でも文化でも取捨選択して取り入れた、奈良時代でも宦官制度などは取り入れなかった、日本に合ったように取捨選択した
それは海を隔てているからそこでそれができたのである
陸続きだとそれはできない、全部強制的に変えられてしまう、その圧力が強烈だからである、だから今中国でもイスラム教でもウィグルとかが弾圧される
言葉でも中国語をしゃべれとか漢字を使用しろとかになりモンゴルでもそういう圧力があり民族独自の文化は否定される

日本だと海に遮られているから一挙に民族移動のように戦争もなかった、異民族が侵略できなかったのである、それが幸いして日本は独自の歴史を作って来た
大陸で作られてきたものがすべていいものとは限らなかったのである
日本は日本独自のものを作ってきた歴史がある
それは島国であり平地が少なく山が多い、そういう中で長い時間をかけてその風土を巧みに利用する文化を作ってきたのである

縄文時代が一万年つづいたとかいうのもそうである
それは日本を深い森が覆っていてそこで採集生活があり縄文土器が発達した
狩猟もあったが牧畜は発達しなかった、日本には牛、馬、羊がいないと魏志倭人伝に記されているからだ、これが日本の特徴なのである
大陸は牛、馬、羊を家畜化して暮らすことが基本だからである
それは最古の文明でもそうである、エジプト文明でもそうであり小麦を作っていたというのもそうである、すでにビールも作っていたからやはり大陸文明は食生活でも共通しているのである

小麦と肉食は必然的に一体化したという、小麦にはタンパク質がたりないとなり肉を食べる必要があった、麦だけはたりなかったのである
日本では米が主食だとするとき米だけ栄養がたりることがありそれに野菜とか魚とかまた味噌とかなど発酵食品でまかなった
世界ではめずらしく漁労民族なのである、海の幸に恵まれた国だった

人間の歴史をみるときいろいろあっても人間の基本が食べることにありそこから文化が生まれ歴史でも作られて来た、だから食生活が大事なのである
体自体が長年の食生活で作られてきたからである
穀物類を主食として多く食べる日本人は腸が長くなった
また肉食中心の欧米人は肉を消化する酵素を体が出すというのもそうである
だから日本人には本当は肉食は向いていないのである
そのために何か日本人の体に異変が起きてあるガンが増えたというのもそうである
それは食べ物の影響なのである

とにかく日本でもやはりその国土に風土にマッチするように営々と努力して来た
日本ははにかく山が70パーセントがあるとか山国の地形である
それで野とあるときもともとこれは傾斜地の意味だというとき納得する
平坦な地ではないのである、それだけ日本は平坦な地が少ないのである
また山というとき谷間にもなる、高い山を意識するより谷間として意識する
その谷間とは山の間から水が流れる場所でありそこが生活の根拠となる


「上農の構え」

上農の住居は背後に山をひかえ、前に水田が広がり、左側に水の流れがあり、右側に畑を配置して先祖伝来の田畑を家の周囲に多く配置するように造るものでそうしないと耕作は思うようにできない

「清良記」によれば

第一に五穀を適宜に栽培しこまごまとした野菜の畑を上手に管理して妻子に野菜や山菜の採り方などを教える

第三に手のかからない木や竹類を植え付けその実を収穫したり、家を修理したりする材料にする

第四に耕作に使役したり肥料をとったりできる、田畑の宝というべき牛馬を飼育し、犬、猫、鶏を飼うこと



これが日本の古来の農家だったとなる

第一こうなったのは日本の風土と地形から必然的にそうなったのである
その文化とか歴史を作るのはその国々の風土であり地形である
それを無視するとき不自然なものとなり何か災いが生まれてくるのである

日本の風景をみているとこの辺でも背後に山がありそれも高くない山である、小山であるそして水が流れているという時小川のようなものが流れている、この辺だと屋形とか大内だとか真野でもそうである
小山にそって農家がありそこには古くから人が住んでいたとなる
台地とかである、日本の平地は原始時代になると平地は湿地帯が多いからである
だから小山を背後にして台地に住んでいたのである

そういう場所は原町の大原ではそうである、背後に山があり脇に新田川が流れている
そこで山の資材を利用できる、山菜などもとれるとなる
そこに前田とあるときそこはその土地の草分けが住んでいい場所だったのである
その大原に住んでいる人を病院で知り合った、でもその人は死んで今は空家になっている
ともかくこうした日本の風土に国土にあったように人間の生活は作られてきたのである
だから自給自足経済が基本である、まわりにあるものを利用して生活していた
何か買うということはあまりなかったのである、それで農家では納豆まで作っていたのである、農家という時そこは何か外から買わなくても自給できる場所としてあった
だから戦後焼野原になったときそこには食べ物があり紙幣は紙屑になり高価な着物と街の人は交換するほかなかったのである

ともかく食生活が基本だという時農業が基本だともなる
だから農業のことを知らなければならないのだが田舎に住んでいても知らない人が今は多いのである、その理由は第一次産業に従事する人がすでに一割にもみたなくなったからである
農業とか漁業とか林業とか第一次産業は衰退産業であり跡継ぎがいないとなりそれで高度成長時代は見捨てられ原発が誘致されたのである
電気工事関係者が千人も原発で働いていたというからそれだけの巨大な会社が東電であり原発だったのである
そのことによって原発事故になり生態系が汚染され住めなくなったのである

なぜ原発事故が起きたのか?

これはこうして日本の歴史をふりかえらないとわからないのである
ただ今農業など一次産業を見直すべきだということである
全体のしめる割合が一割に満たないとしても何かそこを見捨てたというかなおざりにしたというかそれが原発事故の原因にもなったからである
原発に頼りすぎてしまったのである、ある意味で原子力文明にもなっていた
その暗黒面として日本が唯一の被爆国になっていた、そして原発は平和利用と見ていたが実際はそれは生態系を汚染して人を住めなくさせる怖いものだったのである
それが権力者によって「安全神話」が作られて見えなくさせられていたのである
吉田所長が爆発した時、日本の半分に人が住めなくなるとか言ったのは本当にそうなると思ったからである、ただそれは幸運がありとめられただけなのである
そんな危険なものを日本に作ったこと自体が大問題だったけどそれは国民の議論にすらならずアメリカの圧力とかまた読売新聞の正力松太郎などの私益のために作られたから罪深いとなる

このことは被害にあったこの辺だけの問題ではない、日本全体の問題である
それで依然としてこれだけの被害にあっても原発再稼働するとか画策しているのが信じられないのである、それは別に電事連とかでもそうである、左が属する組合でもそうなのである、それはそこで飯を食べているからどうしてもそうなってしまうのである
これだけの被害があり日本にすら住めなくなるという危険なものをまた再稼働してようとしていることはもう国賊である、日本を滅ぼすのかともなるからだ
だから右が原発再稼働とか核武装しろとかいうのも恐ろしいとなる
なぜ原発がやめられないかというと何か背後に核兵器と結びつけるものが原発にありやめられないともなる、プルトニウムが核兵器に利用できるからだともなる
別に原発がなくても石油があり天然ガスがあり電気は作れるからである
それは枯渇しないとされている、だからなぜ原発にそんなにこだわるのか解せないのである




2021年03月05日

まず困ったら市民課の相談へ (弁護士に直接頼まない―相談だけで百万とられたことがある


まず困ったら市民課の相談へ

(弁護士に直接頼まない―相談だけで百万とられたことがある

5年前にかかわった通信会社のTOPPAとかから何故か一万だけど請求書がハガキでくる
それを払わないと延滞金が月ごとに増えてゆく
だから少なくても恐怖になる
それでこまって消費者相談にインタ−ネットで相談した
その政府の消費者相談は南相馬市の市民課で相談しろと言われそうした
要求されているハガキをもっていって相談した
そしたら後日弁護士が電話で相談すると言われた

それで事情を話しした、まずネットで契約が成り立つのかと聞いたら成り立つという
文書ではその時契約しなかったからだ、それで契約は成り立たないと思っていた
でもネットでも売買しているから契約は成り立つ、口約束でも契約は成り立つ
ただすでに時効になっているから払わなくてもいいとしても請求されて裁判になるかもしれないと言われた

それで払いますから待ってくださいとか言うと相手は録音してそれを証拠とするから気を付けろと言われた、確かに借金でも請求されたとき一回でもわずかでも払えばそれは借金を認めたことになるからしない方がいいとは聞いていた
相手は悪徳会社でも弁護士でも雇っているからなかなか素人だと勝てない
それで大きな会社とかを訴えて裁判で勝つことは不可能だという人もいるのもわかる
個人になると裁判では相当に不利になるのである

ただ一万くらいだからめんどうだから払っていいとも考えた
相手が通信会社であり怖いということもありそうしようかと思った
でもそのままにして一応聞いてみたのである

そもそもがその相談が市の市民課で相談できると思っていなかった

インタ−ネットの消費者相談は国で運営しているものと思ったからである
何か市民課ならすぐ近くで直接行けるし相談できるから安心だと思った
ただハガキを直接もっていったが相談を受けたのは電話である
でもその弁護士は的確に答えてくれた

それも相談は無料だった

でも兄の交通事故の時は仙台市の方へ親戚の人が相談に行っただけで百万もとられたのである
その親戚の人がまず何もできない知らない人だったのである
何か弁護士を知っているからといったので頼んだ
本当に何もしないのに裁判にもならないのに相談に行っただけで百万とられたのである
普通だったらそんな金を払わないのである
頼んだ人は本当に世間のことも何も知らない人だったのである
ただ金は交通事故で賠償金が払われるからそこから出したとなる
このことは私自身の家の落ち度でもあった、私の家の者がかかわったからである
ただその時は何か理解できないものだった

でも今ふりかえると何かおかしいと気づいたのである

何もしないの相談するだけで百万要求し払った!

今回は一万の要求だけど市民課では無料で弁護士を通じて相談にのった
何か困った時、まず市民課に相談する、すると安心だと思った

直接弁護士には相談するな!

南相馬市の市役所が仲介して弁護士に相談すると安心だとなる

とにかく意外と社会の仕組みとかわからないとかで人間は失敗する
何か自分自身が学者肌であり実際は社会のことがわからないのである
現実社会と理論は違うからである
それが家のことで家族が全部死んで様々なことを一人で処理するようになり責任をもたされて社会とかかわるようになって困りそうなった

ただ家族が認知症になったり介護になったりしたがそういうことは相談しても実際引き受けるのは家族しかない、誰に相談しても認知症などわからないからだ
だから四苦八苦して介護したのである

人間は何か困っても相談には限界がある、金で解決するとしてもそれを自腹で払えるかとなるとねずかしい、だから相談されるのも困るとなるからだ
だから市民課に相談しても解決するとはならない、でもその窓口がありそれすら知らなこともある
意外と市で行政サービスがどういうものがあるか知らない場合がある
コロナウィルスの支援金のことでもわからないということがある
ただ最初市民課に相談してみることである



着手金の問題(弁護士費用について)                                    


依頼者と弁護士との契約は「委任契約」です。

委任契約は家を建てることを大工さんに依頼する「請負契約」と異なり、依頼内容の実現を目的とはしません。

大工さんは家を完成させなければ契約内容を実現したことになりませんが、弁護士との委任契約は依頼内容の実現に向けて働くことそのものが契約内容なのです。

つまり、着手金には活動の対価としての意味も含まれているのです。


見極めるポイントはずばり「見積書」です。

これまで弁護士が見積書を出すことは少なかったのですが、最近では多くの弁護士が見積書を作成します。

私も昔に比べて見積もり提示する割合が大分高くなりました。(基本的には提示します。)

また、見積もり提示のタイミングも以前より早くなりました。依頼者がそれを求めるようになったと感じているからです。


兄は交通事故で死んだ、そこでもめたのがそこに勤めていた会社だったのである
会社の人が賠償金を得ようとして画策したのである
その弁護士は仙台市の人であり見積もり書など出していない
相談を引き受けるとしても最初から百万必要だとしたのである

でも実際に交渉したのは保険会社でありその弁護士は何もしないないのである
だから何か着手金として払うことはわかるにしてもこの場合は成り立たない
法外な金をとられたとしか思えないのである

見積書というとき家のリホームでも家を建てるにも見積書を出すのが常識である
そうしないと後で金を多く要求される
ユニットバスは仙台市の会社で見積書を示してくれた、そこは本当に良心的だったとなる実際は百万ではできない仕事だった、他だと二百万以上はかかるものだったからだ
とにかく見積書を示さないと仕事は頼めない
なぜなら後から法外な請求をされてもそれが言えなくなるからだ
そういう大工さんがいたからそういう人には頼めないとなる





2021年03月06日

1日6万円をもたらした「協力金バブル」の闇 商店街に軋轢発生も (原発事故の補償金でも同じ事が起きていた)


1日6万円をもたらした「協力金バブル」の闇 商店街に軋轢発生も

(原発事故の補償金でも同じ事が起きていた)

元の商店街関係者からは、飲食店には手厚い補償がなされるのに、衣料品店や雑貨店への補償がないのはおかしいと声が上がり、にわかにバブルに湧く飲食店経営者に「商店街の運営費用を渡せ」という主張する人もいる。飲食店主とそれ以外の商店主の間に軋轢が発生し、長く続いてきた人間関係が崩壊したという例もある

飲食店は良い思いをしてきたと攻撃される可能性もあるし、商店街では白い目で見られるかもしれない。以前のように堂々と元気に営業できるのか、

1日6万円をもたらした「協力金バブル」の闇 商店街に軋轢発生も

これも原発事故でこの辺が補償金でもめたのと同じだった
本当に30キロ以内は政府の補償が手厚かったのである
10年間医療費無料、高速無料だった、でも同じ相馬市でも鹿島区は30キロからはずれた地域では半年で医療費無料はなくなり高速はもともと無料でなかった
そして10年過ぎても医療費無料が延長されるとか聞いた
このために南相馬市は分断された、ただ補償金ではどこでももめたのである
必ず多くもらえる人たちとそうでない人たちがいるからだ
それで親戚同士でも口を利かなくなったというのも聞いた

つまりコロナウィルスでもこうして補償金によって商店街でも一体感がなくなり分断されるのである
飲食店だけが被害ではない、それに関連する業者も被害を受けている
なせ飲食店にだけ手厚いのかとなる
そのあとでも心が分断されて協力できないとまでなっている
原発事故の補償金ではそうなった、市町村が分断されてしまったのである

そして必ずしも補償金がいい方向に働かないのである

飲食店はいい思いした

こういうことがその後の生活にかなり影響する、一日6万もらった人と全然もらえない人の差が大きすぎるからである、この辺でも30キロ内は手厚い、でもそれ意外わずかでありもう同じ放射線量でも全然もらえない地域もある
そのために一体感が消失する、だから人間社会はなんでも金で解決できるとはならない

何かとにかくこのコロナウィルスの不思議は原発事故と同じようなことが起きていることである

放射能がうつるから来るな!

こういういじめが原発事故の避難者にあった、今回も東京からコロナウィルスがうつるから来るなとなった
これもカルマなのかとなる、カルマとは人にした行為がまた同じ行為となって返ってくるということである
人を苦しめたものはやはり同じ苦しみを受ける、それがコロナウィルスでも起きている
特に東京中心に起きている

だから個々人にもカルマがあり社会自体にもカルマの法則があてはまる
人間は繰り返し感染症では苦しんできた歴史があり津浪でもそうである
それで昔の人の苦しみを身をもって知るようになる
そして補償金でももらえる人はもらえない人のことを思わないのである
何かその補償金でレクサスを買ってまた家族で旅行とか遊んでいるというのもそうであるそれはこの辺でも補償金でそういうことが起きたからである
それで車を傷つけられたとか聞いたからである
周りの人がどう思っているか考慮しないのである

そして原発避難者は外部からかわいそうだと援助がつづいたのである
仮設住宅には毎日ボランティアが来ていた、でも周りの人は関係ないのである
原発避難者様になってしまったのである
すると俺たちは被害者であり援助されるべきだとなる、同じ市内でも特別なものとして扱われる、つまり俺たちは何もしなくても助けられるべきだとなり自助努力をしなくなるということもあった、ただ遊んでいた人いたからである

とにかくコロナウィルスが終息してもその後遺症はこうして残る
何かみんな苦しんだから一致協力するということもないのである
かえって協力できなくなさせたのが補償金でもあった
だからこの世の中のことがすべて金で解決するということはない
かえって金によって人の心は分断される、兄弟でも遺産争いとなり骨肉の争いとなる
だからもしかしたら安易に金を与えるということは問題なのかもしれない
実際に原発避難区域では多額の補償金をもらった結果若い世代はみんな外にでて家を建て帰ってこなくなったからである
それはそれだけの補償金をもらったためにそうなったからである
そうしてしそれはもう修復できなくなったからである

いづれにしろ人間公平に対処することはできない、必ず不平等になり不満な人がでてくるそれで一体感が消失して心でも分断される、すべて金で解決しようとしてもできない
そこに人間の心の問題がありできない

ただみんなで商店街で協力して助け合い乗り切ろう

こういう気持ちになるとまた違ったものになっていた
それは原発事故の被害地域でもそうだったのである、補償金でかえって人間の心はばらばらになり家族もばらばらになった、それでインフラとかは整備したが肝心の人間の心は分断されてずたずたにされて復興できなくなったのである

posted by 老鶯 at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

震災から10年―復興できない避難区域 (住民を帰還させることは無理?)


震災から10年―復興できない避難区域

(住民を帰還させることは無理?)  

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飯館村は建物は立派でも人は住んでいない
(人が住まない村では復興はない・・・・)
http://musubu.sblo.jp/article/187349335.html


どうみても双葉とか浪江町とか大熊とか富岡とか飯館村とか原発事故の避難区域は復興できないとみる
なぜなら高齢者が多かったが10年過ぎてさらに高齢化進んだことである
双葉町の牛を飼っていた人は67才とかであり夫も事故後に死んでいたのである
生き残っていた牛はその飼い主を覚えていた
でも家は取り壊すほかなくなっていた、10年間洗濯物が干されていたのも不思議だとなる
飯館村では長泥でも避難区域で未だに解除されていない地区である
そこへの思いがあってももう帰ることは不可能だとみた
もう一つの原因が高齢化なのである
60過ぎたら農業するのは苦しくなる、農業は結構な重労働にもなる
それで70才になるの女性は畑をやっていたがやめた
腰が悪く病院通いが仕事なのである

もともとこうして地方の田舎は少子高齢化で後継ぐ人が減っていて維持することがむずかしくなっていたのだ、それに追い打ちをかけたのが津波とか原発事故だったのである
だから本当に津波で死んだ人の慰霊碑に刻まれた人でも高齢者が多いのである
それは漁業でも同じであり第一次産業の割合が一割とかに下がってきたのが日本の経済である
農業ではやっていけない、漁業ではやっていけない、林業もないとかなって地方の農山村は衰退して限界集落化するところが増えてくる
つまり跡継ぎもそういう場所では育たない、それが原発事故で極端な過疎化から無人化した町村になった
ただ老人は長年生きた場所に愛着があり帰りたいとなるが若い世代はそういうこともないのである
すると多額の補償金をもらって都会にでも出た方がいいとなる
実際にすでに家を建てて移った場所で仕事を持ち子供はその都会の学校に通っているともなる、だからその子供たちにとって飯館村でも故郷ではなくなる

でも飯館村とかなると愛着があるから福島市であれ外に家を建ててもなつかしいからと家は残している、その古い家があったところにこじんまりした家を建てている
それは新しいしゃれた家でありそれは別荘でありたまに畑の野菜をなどを見に来ると言っている
これも不思議なの光景である、軽井沢の金持ちになったのかともみる
別荘となればそうなる
ただ長泥は放射性物質に汚染された土を利用する工場を作っている
それでまた農業を再生させようと努力している

いづれにしろ10年過ぎて避難区域に帰ることはもう無理に見える
何か人のつながりも希薄化したとか人のつながりがなくなったという
その人のつながりは場所を共有して仕事をしていることでありえた
田舎だととくに農業している人は人のつながりは濃密なのである
だからその土地から離れて十年とかなり仕事を通じたつながりもなくなるとそうなる

それで外人の文化人類学者の人が墓地がつながりをもつ場所だと言っていた
何か不思議なのは津波の被害地域でも高台に墓地が残っているのである
でも人が住まなくなると他に移りすむとその墓も移動するのである
子供が移り住んだ場所に移動するからである
そうなるとその場所とのつながりも消失してゆく
でも飯館村だと別荘としてたまに昔をなつかしむ場所として行く
ただそんなことがこれからも成り立つのかとも思う
軽井沢のような地域ではないからだ

10年過ぎてむしろ元の状態の復興はかえって遠のいた、そしてもうあきらめる他ないとまでみる、政府では全地区避難解除してもどすというけどそれは今の現実をみたらその政策は合わない、ただそうしないと政府で補償金を払い続けることがありそうしようとしているのかともみる
でも現実的に元の状態にもどすことは無理だとみる
現実は他に家を建て子供たちはその土地の学校に通い十年もすぎたからである
この十年の時間の重みがありそれで元の状態の復興はもうできないとまでみる
それをしようとすると何かかえって徒労だともみる
金をつぎこんで立派な施設を作ってもそこに肝心の人が住まないし活きないのである

学者がふるさとは場所と人間があるが人間があって場所があるのであり人間がいなくなれば人のつながりも消える
歴史も場所と密接につながっているのだが人間が住まなくなるとその歴史も途絶える
神社とか古碑とかも埋もれてゆく、しばらくは廃墟として残るがいづれ草に森に埋もれてしまうのである
そして新しい歴史が移った場所ではじまる、そうして先祖は忘れられる

要するに時間は貴重なものであり十年一昔になる、それは昔のことだとなり関心もうすれてゆく、何か地元でも津波の被害を語っても関心がなくなる
ただ原発事故は依然として継続したものとしてあるがこれも忘れられてゆく
今の関心はコロナウィルスになり津浪とか原発事故でもそれは昔のことだとなってしまうそして今に生きることで精一杯になっているのが人間なのである

だから政府のいうように避難解除して元の町や村にもどすことは不可能だともみる
その政策自体が間違いである、となればどうするのか?
一つの解答が飯館村の別荘化だったともなる、そこで場所とのつながりを依然として一応持ち続けるとういことである
ただ将来的にそういうことがつづくのかはわからない、それがいいともならないがそれも一つの解答だとなる、ただ村でも人が住んで暮らしがあって村だとなる
それで風力発電を見えない場所にしろと隣の川俣町から言われた
川俣町は避難区域ではないから人が住んでいるから景観を気にしてそう言ったのである
人が住んでいると毎日そこから見えるものが気になるのである
人が住まなければ気にならなくなり放射性廃棄物の処理場になろうがソーラーパネル工場になっても抗議する人もいなくなるのである
むしろ土地を持っている人は金にしようとするから余計に景観のことなど考えなくなる
こうして人が住まないと荒廃してゆくのである

災害で村人が助け合った江戸時代の話に共鳴
(原発避難民は補償金で町も村も家族もばらばらに分断された)
http://musubu.sblo.jp/article/187785463.html


3月6日のTBS 報道特集を参考にしました

posted by 老鶯 at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2021年03月07日

春の日、梅の香、紅梅、春の鴨(近くを回る)


春の日、梅の香、紅梅、春の鴨(近くを回る)
                            
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金沢の一番星


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東風(こち)吹いて桜井古墳や海近し

春の雲ふらりとよりぬ喫茶店

蔵ありてここに休むや松と梅

春の空高速より見ゆ鹿狼山

平穏に日がな匂いぬ梅満開

紅梅や山鳩来たる庭広し

紅梅や牧に馬かな草もゆる

ふるさとの墓地に眠るや春の山

                        
春の日や若き女(ひと)あれ我老いて昔を語る人となるかな

隠されて溜池ありぬ春の鴨あまた群れいてここになごみぬ
      

先日は桜井古墳をまわり金沢の一番星の喫茶店に行った、あそこは松と蔵なのである
今回のその松の隣に梅が咲いていた
そこで火力発電所がある前に私は砂浜がつづいていて歩いていたとか話しした
でも右田の松原は流された、金沢にも松原がありそのマツは太かったのだ
それは津波でなくなったのではなく火力発電所ができたりしてずっと前になくなっていたのだ
あそたでキャンプする人もいたのである
松が太いということはそれだけ古いということである
金沢は元禄時代に開拓された場所だから実際に古いのである
松と蔵があるから松倉珈琲店なのである

今日は寒いけど晴れていたから鹿島の高速のSAに行く食事した
あそこは鹿島では一番にぎわう場所である、街中とか鉄道の駅は閑散としている
でも車時代だからあそこは一番にぎわっている
そこから鹿狼山が見える、あそこもすでに三年以上すぎるとなじんでくる

紅梅も咲いた、山鳩が飛んでくる、牧場に馬がいる、野馬追いに出すために飼っている
この辺の風景である

それから小池の奥の方に溜池があった、そこは行ったことがない
一回くらい行ったのか忘れていた
こんな所に溜池があったのかと新しく発見した感じだった
意外とこの溜池は多く知らないのがまだある、それだけ溜池が日本では多いのである

そこに鴨が群れていた、隠されて群れていた、鴨は秋の季語であり冬の鴨があり春の鴨がある、こんなところで鴨が群れていたというのは意外だった
何か隠されていることが神秘的だとなる
飯館村はそうした隠された村だった、それが原発事故以後は様々なことで醜い場所になったのである、これまでは問題があるにしろひっそりと隠されていたから良かったのであるそもそも人間は醜い、でも自然の中に隠されているとその醜さが現れないからいいのである

ただ今回は鴨がこんなにここに群れていたことは発見だった
ただ水が相当に少なくなっている、雨がふらないからだ
今日は春と言っても寒い、春寒しだとはなっていたが天気がいいから出かけたのである







2021年03月09日

いぬふぐり、梅、椿 (原町の道の駅公園から上高平の綿津見神社を回る)


いぬふぐり、梅、椿

(原町の道の駅公園から上高平の綿津見神社を回る)

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(原町の道の駅の公園)


春日さすベンチあたたかいぬふぐり

公園に雀群れ来ていぬふぐり

春の日や母と子遊び木の根あり

(上高平)

山鳩の来たりてにおう庭の梅

また一つ綿津見神社や椿咲く

古碑並び大木の下に落椿

元文の碑我が目にとめて落椿


原町の道の駅の公園に休み上高平の方を回った
道の駅には良く行く、あそこで買い物したり食事したりする、また高見ホテルの食堂にも行く、原町というとき駅前通りとかには行かない、道の駅周辺で買い物をして駅前の方には行かない、イオンには時々行くけど遠い、イオンは離れすぎている
今の時代でわかることは街中には行かない、そこか古町のようになっている
原町だと街道があった所が最初に栄えて次に駅前通りが栄えて次に六号線の道の駅周辺が栄える、このように常に街は変わる、それは昔からそうだった
つまりこれは浜街道があり次に駅前通りがあり次に車社会になったとき六号線の道の駅周辺が新しい街になったのである
交通によって街が変化したのである、だから交通の影響が本当に大きいのが人間社会なのである

あそこの公園には良く行く、それも地の利があり便利だからである
あの辺で買い物して道の駅で食事して休むのに便利になっているからである
街というときいろいろなものが一か所に集まると人も集まり安いのである
そういう所に公園があると利用される、夜の森の公園となるとそういう場所ではない
公園として孤立しているのである

あの公園で目に留まるのが木の根っこなのである
それで木の根公園とかなる、公園にも特徴があるのかもしれない、何でも特徴はある
ベンチに座ると下に犬ふぐりが咲いていた
雀が群れてくる、母と子が遊び平和な光景である   

それから桜井古墳の方に行きそこは運動場であるが公園でもあり新田川沿いを必ず散歩している人がいる
そこで木の写真を撮った、あの木はなんでもない木のように見ていたが写真を撮ってみて一列に並んでいる、それが神殿の柱のように見えた、列柱のように見えた
何でもないものでも発見がある、それでカメラは欠かせないのである  


春の樹々

大地に根づきし樹々の
ここを離れずさらに
強く根を張り動かじ
春の光の柔らかくさし
樹々はここにあることの
冬を耐えて喜びに満ちる
十羽ほどの山鳩の群れ飛びきて
平和の日はもどりぬ
鳥は自由にそちこちの樹に
飛びて止まり飛びまわる
梅の香は馥郁と流れ
樹々はここに深き契りを交わす
その誠は変わらず
この地に根を降ろして動かじ
ここは安らぎの地なり
ここに人は離れず
ともにありしを喜ぶ

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それから上高平の方を回ると綿津見神社がある、相馬地域ではとにかく綿津見神社が多いのである、神社の半分くらいが綿津見神社に思える
後は八坂神社が多い、この綿津見神社は海人族の安曇氏などが移住してきたことに由来している、縄文時代があり弥生時代がありその弥生時代のものだと思う
だから相当に古いしここの先住民が残した神社ともなる
ただそのことについてまだ深く考察した人はないようである
ただ西殿とかは殿とあるごとく古い場所である、すぐ近くに南北朝時代の五輪塔があるからだ

そしてこの綿津見神社の古い碑があるが元文というのは相当に古い


元禄げんろく    1688.9.30    〜    1704.3.12     
宝永ほうえい    1704.3.13    〜    1711.4.24     
正徳しょうとく    1711.4.25    〜    1716.6.21     
享保きょうほう    1716.6.22    〜    1736.4.27     享保の改革
元文げんぶん    1736.4.28    〜    1741.2.26     
寛保かんぽう    1741.2.27    〜    1744.2.20     
延享えんきょう    1744.2.21    〜    1748.7.11     
寛延かんえん    1748.7.12    〜    1751.10.26     
宝暦ほうれき    1751.10.27    〜    1764.6.1     宝暦事件
明和めいわ    1764.6.2    〜    1772.11.15     
安永あんえい    1772.11.16    〜    1781.4.1     
天明てんめい    1781.4.2    〜    1789.1.24     天明の大飢饉


元禄まだはいかないにしても相当に古い、つまりこの神社は古い
ただ古い碑にしても江戸時代のものである、弥生時代とかではない
ただ神社自体は弥生時代にさかのぼる由来がある
とにかくこの辺は歴史が古く考察する必要がある