2021年02月26日

テレビの時代劇で善人顔の俳優まで悪い人に見えた (情報社会ではみんな人を疑い悪い人に見られる)


テレビの時代劇で善人顔の俳優まで悪い人に見えた

(情報社会ではみんな人を疑い悪い人に見られる)

必殺仕事人を見ているとそこに悪役の俳優がでる、顔まで悪役として一目見てそういう役を演じている、いかにも悪い奴だという顔なのである
でも今回の大きな店の旦那の妻は別に悪役に女性ではない
役としては普通の女性役であり顔でも悪役ではない、女性はあまり悪役の俳優はでないしわかりにくい
でもその女性は店の旦那の妻となりその店をのっとろうとしていた
そこの番頭とか役人もからんでいた
それを見ていたらその旦那を裏切る妻の役をしている女性が悪人に見えた
顔までそうではないのに悪人に見えた不思議がある
その女性は役ではそうなっていてももともと顔にしても善人役でしか見ていない
それが合っているのである
でも悪役になったら回りが悪人でありその女性でも顔でも悪人に見えたのである
善人面しても悪人だと見えた不思議がある

それはあくまでもドラマであり架空のことである
でも人間をみると特に現代では常に事件が報道される、すると何かこの世は悪い人ばかりかともみる、子供への性の事件もありそういう悪いことばかり興味があり報道される
そういうことをまた知りたいというの視聴者にある
この人は善人で普通の人ですよという人は興味をもたないのである
だから常に報道するのは悪人であり犯罪人なのである

それがどういうふうに社会に影響するのか?

人間はみんな悪人だ、疑ってかかれとなる、人を見たら泥棒と思へとなる
それは確かに現実にある、だからこそ疑い警戒する、それで近くのコンビニに入ったら
手までとりあげられて盗んでいないか調べられた
そんな強引なことを大人にしていいのかともなる、それ以来そこのコンビニには入らないそこでは監視カメラをつけて警備会社が監視もしている
その店にすれば盗まれることが多いからそうしているのである
つまりそうしないと被害が大きくなり店もつづけられないともなるからだ

警官になればまず疑うことが商売なのだから人間はみんな悪い奴だ、犯罪人としてみる
だからみんな犯罪人と見て調べるのである
現代は情報社会になった時、テレビでも絶えず事件になること犯罪の報道する
すると何かみんな犯罪人に見えるのである
それが極一部でも全体が全員が犯罪者のように見えて来る
そして過剰に警戒するようになる、他のコンビニでもそういうことを経験しているからだまた駅でボランティアで案内したときも警察に通報されてみんなの前で職務質問されて
こいつは怪しい奴だと公衆の面前でされた

つまり今やこうしてみんな人は悪人だと見ている、犯罪者とも見ている
そういうことがテレビの報道とかで助長された時代である
犯罪や事件は報道する、それが狭い範囲で情報も噂くらいの時代なら全国に起きることはわからない、するとそんなに犯罪がないとなる
全国規模で世界規模で犯罪を報道していたら当然世界中の人が犯罪者なのかとまでなる
世界でも常に犯罪の報道はされるからである

また犯罪報道すると遠くても危険を感じる、自分の身に及んでくるのではないかと危険を感じる、実際は遠くならそういうことがないとしても危険を感じるのである
だから世界で起きる犯罪でも自分の身に及んでくるのかとまでなる
そのためにマクルハーンが世界が村になったと警告していた
世界で起きる犯罪も村で起きたのと同じように見てしまうのである
それはグロ−バル化して現実に外国人でもいくらでも入ってくるから、外国人労働者でもそうである、するとその外国人でも恐れるようになる
でも実際は日本人の犯罪の方が多いし怖いのである
そして犯罪率は実際は低下している、でもそういうことは全然感じないのである
人間は統計の数字とかで全体を見るより一人でも悲惨な犯罪に合えばそのことに注目するその犯罪によってベトナム人が犯罪を犯せばベトナム人全体が犯罪者集団のように見えて来る

幼児とか子供は人間をこのように犯罪者には見ないのである
悪を知らないから見ないのである、それは悪が心の中にまだ芽生えていないからだとなる大人になると中学生からでも悪が生まれてくる
心の中に悪い心が生まれて来る、その心の悪が生じるから人間はみんな罪人だともなる
現実に悪いことをしなくても心の中で悪いことを思っただけで実は犯罪者だというときそうである
悪は犯罪でもまず心から起きて来る、憎いとかまず心の中で起きて現実にそれが最悪は殺人となるからだ、だから人間はみんな善人を装っていても悪人だと見ることもできる
まず心で悪を犯さないことはないからである、だから人間をみんな悪人と見ることが間違っているわけではない、そして人間の欲は消えることがない、その欲からも悪が生じて犯罪にもなるからである

だから人間社会とはこの世とは罪の世界であり悪い想念に充ちている
それはそうであってもその悪に興味を覚え絶えず悪を犯罪を報道して興味をそそる
そういうことがテレビとか情報社会になって余計に過剰化したのである
だからみんな警官になってしまった、それが江戸時代とか戦前でもその情報は限られていた、今は悪でも犯罪でも全国でありグローバルになっている
すると世界になれば何十億も人口があるのだから世界は悪で満ちているとなる
そうなるととこかで何か犯罪が起きる、凶悪な犯罪が起きている
それをいちいち見ていたらきりがなくなる

だから本当は犯罪をすべて報道していいのかも疑問である、知らなければ犯罪はないともなるからだ、その時幸福だったともなる、人間の暗黒面ばかり見せられているとそもそも安眠もできないとなってくる
いつ犯罪に逢うかとなりまともに歩けなくもなる、でも情報化社会で流通するのは逆にそうした悪であり犯罪や事件なのである
当たり前に平和に暮らしていますとなると話題にもならないし見ないのである

ともかくこの世にいる限りこうしてそもそも心で罪を犯しているのが人間である
するとその想念で犯罪にならなくても汚れることになる
天国では一切そういうことはない世界である
何かを悪く見たりしないのである、それは幼子とか無垢の子供の世界なのである
だからそこで悪い報道は一切ないのである
犯罪者もいない、心で罪を犯す人もいない世界なのである
だからそこでは悪いことは起きない犯罪者もいないし報道もされない世界である
つまりそこでは善いことしか起きないのである
悪は生じることのない世界なのである、それが天国なのである、神の国なのである

ともたく引きこもりになっているとき不思議だが社会とかかわらないとき悪は見えないということがあった
どうして出家したりして社会から離れて生活する僧とかが生まれたのか?
それはこの世が悪でありそれにかかわらないためでもあった
とうしても社会にあれば悪とかかわるし自らはそうでなくてもかかわるし悪を見るからである
その後私自身も社会とかかわり社会のあまりにもどす黒い人間の悪に接する見たとなる
その悪は人間の欲望から起きる、その欲を人間はたつことができないからこの世は欲で滅びると言っている
人間の欲は本当に恐ろしいものである、自分の欲のためには簡単に他人を殺すからである
たとえ殺人でなくても心の中で殺人を犯すからである
それは技術が進歩しても変わらない、人間そのものの欲は消えることがないからである、個々人はエゴてありそれが消えないからである

震災から十年ー(復興予算は何に使われたか) (復興とは何かー補償金をもらうことだけになった?)


震災から十年ー(復興予算は何に使われたか)

(復興とは何かー補償金をもらうことだけになった?)

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“国民1人あたり25万円” 復興予算はこう使われた
〜人口減少時代の災害復興〜(クローズ゙アップ現代)

インフラに建物や道路などで三分の一くらい使われた



復興とは何なのかというとき町を元の状態にもどす、前よりもいい町にする、創造的復興をするということで国の税金を一人当たり25万円も出した
でも結果的に復興はすすまない、原発避難区域はその補償金で故郷を出て行った
そして立派な家を建てそこで仕事をもち定着して子供も育てている
そうしたらその人たちは故郷には戻らないし復興など関係なくなっているのである

ただ残された親は老人は子供たちに帰って欲しいとなる、元の町にもどしてほしいとなるこうして内部でも心も分断しているし現実生活でも分断してしまったのである
それで復興とは補償金をより多くもらうことであり肝心の町の復興はみんなで一致して考えない
そのことは家族でも子供世代と親世代で分離してしまったことでもわかる
親たちはいくら戻って欲しいとしてももう生活が別々になったのだから帰らない
すると残された親世代は元の町に戻してほしいという切なる願いがあっても
老人だけではもう町自体成り立たないのである
それで少子高齢化であり人口減少が前からありそれも影響したのである
だから老人だけの町、シルバータウンが成り立つのかということである

また子供世代が帰らないとしても残された親世代の老人は帰って元の町にしてほしいとなっても現実に世代間で分断している現実があり修復はもうできないのである
それが外部の人を入れて復興しようとしたがこれもなじめず定着しないというのが多いという、だから国民一人当たり25万円もの復興予算をつぎ込んでも道路とか建物とかは立派になり復興したとなるが肝心のそこに住む人がいないのである

それで奇妙なのは飯館村である、農家でもこしんまりした新しい家が建っているので住んでいるのかとみたら住んでいないのである、それでそれはそこに住んでいた人が時々帰ってくる別荘だという、また施設とか学校でも50億とかかけて立派にしても肝心の生徒は5人でそれも村内には住んでいないのである
おそらくたいがい福島市であれ村の外に出て家を建て住んでいる
テレビでも見たが浪江の人が本宮町にあたらしい家を建てて住んでいる
でも時々浪江に来て自分の家をみたり田畑を見たりしている
でもそういう人はもう浪江町に帰らないのである

そしてもっと補償金をくれ!

これが最大の関心事であったし町自体の復興ということは外部の者がすることであり
そこに住んでいる人たちは補償金をもっともらいその金で仙台市とかに移り成功した人が話題になった、補償金を資本として事業を始めて成功したのである
その人は町の復興とか関係なくなっていたのである
そして親は老人は残されていて帰って欲しいとなっている

補償金をもらった⇒町を出て行く資金となった⇒故郷には帰ってこない

立派な施設や学校や道路は作った⇒肝心の利用する住人がいない

ただでは外に出て行った人を責められるかとなるとそれもできない
なぜなら武田邦彦氏などは十年過ぎて心筋梗塞とか甲状腺ガンが増えていてとてもそこには住めないとしているからだ、ただそれは明確にはなっていない

不思議なのは復興というときもともとそこに住んでいる人が中心になり復興がある
でも肝心の中心になるべき復興の主体となる人たちが流出してしまった
それで復興とは一体何なのかわからなくなった
南相馬市でも小高はやはり三分の一くらいは帰っているとしてもほとんど老人なのであるだから車が街中を通らない、もともと人は街を歩まないにしても車はひっきりなしに通っているからである、それが車が通るのが少ないのである
だから静かなのである

ただ正直自分が何か言うと批判になる、だから最初は復興してもらいたいと思っていたが今は無理だともみる、かえって最初から帰ることをあきらめた人が賢いともされる
見切りをつけて土地が安い時に買って家を建てた
土地の値段が原町とか鹿島とか相馬市とかでも上がったからである
それだけ原発避難区域から移住した人が多いからである
だからいわき市には二万とかの人が移り次々に新しい家を建ててひんしゅくをかったのである

でも十年すぎてインフラとか宮城県とか岩手県でも防潮堤とか建物とか道路は復興した
それで石巻市でも立派な会館を作ったがその維持費が高くなるので困っているとなる
そんな立派な建物が必要だったのかとされている
でもそれは市民の要求だったのである、だから市政が悪いともならない
では維持費を誰が出すのか、市で出すとしたら市民の負担にもなる
国では復興予算は減らすからである、原発事故の国からの援助も十年過ぎて縮小される
その額も大きい、そして医療費でも高速無料化も終わる
それも南相馬市だと30キロ圏内は十年もつづいたのである
でも30キロからはずれた地域は医療費補償でも半年で打ち切られたのである

それで意外と補償金をもらうにしても個々人で差がある、土地とか家をもっていたとか財産があった人は補償が大きくなる、でも浪江の復興住宅に住んでいる人は夜でも電気を消している、相当に苦しい生活をしている、それは意外だったのである
なぜ双葉の人がコンビニ強盗したのか?
これも不可解である、双葉だったらまだ避難解除されていないから確実に補償金が入っているから生活に困るはずがないと見たからである
ただその辺の詳しい事情はわからないけど意外と補償金にしてもそれだけでも生活できない状態になっている人も増えたともなる
外に生活を移してもそうなるとまた金がかかるからである
復興住宅では家賃が今ではとられている、それも負担なのである
その他そうした大きな金が入ると浪費しやすいことである、何か女遊びとかに使ったり浪費した人も多いのである
それでギャンブルに狂った人もいた、仮設に入った人たちは何もすることがないのでパチンコ通いだったのである
それで外から来たボランティアが馬鹿らしいとなったのである
モラル的にも荒廃したのである、被害者自体がそういうふうになっていると外部の人も本気で助けるのかとなる
そしてただ補償金をもっとよこせとか被害者意識のみが残る
すべてが原発事故のせいだとなる、事業に失敗してもそれせ原発事故のせいだとなり責任がないともなる

ともかく南相馬市では国の支援金が縮小される、それは相当に影響する
だから生活保護でも最低限保障されていない、医療費くらいが無料だとかなっている人がいる、生活保護でもそうなっている、それで市の財政も苦しくなっているからそうしているのかともみる
復興というと国民一人25万もの税金を投入しても必ずしも復興にはならなかった、かえってその補償金で自治体が分断されたりした、家族もばらばらになり住むようになった、それは立派な建物であれ施設であれ道路ができたとしても回復しないのである
だから金だけですべて解決するとはならない、かえって金で人の心は分断されたとなる
それで水俣病でも補償金でだめになったというときここも同じなのである
公害になったら終わりだと言っているからである
補償金をもらう闘争が復興であり肝心の町の復興とかはなくなる
だから今は自分はかかわりたくない、ただ南相馬市だと小高もそうなのだから市の財政とかで影響してくる、だから復興してもらいたいとなる

でも復興の主体になるのは誰なのか?

小高の人にとってみれば補償金を多くもらえるのは当然であるとなりそれを言うと怒る
そしてもっと補償金を出せとなる、でももう国でも打ち切りであり市の財政でも苦しくなる、つまり小高区は死にとって負担になってくるのである
そこは老人だけの町だとなれば福祉でも負担が増える、それで介護士がいないので青森の施設に送られているのである
これはここだけではない、限界集落がインフラとかで80倍の負担がかかるからもうつぶした方がいいとか都会の人が言う時もそうである
少子高齢化でもう維持できないからである、するとそういう場所に金をつぎこんでも無駄だとかなり、三陸の津波被害の時、官僚がじいちゃん、ばあちゃんの町に金をつぎこんでも無駄だと言ったのである
そのことは批判されたけど現実問題として何か解決方法がないからそう言ったのである
日本全体が少子高齢化で人口が減り空家が800万軒になるというのも驚きである
そういうことが津波や原発被害地域で極端なものとして現象化したとも見るからである
posted by 天華 at 10:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連