2021年02月16日

チャートは正しかった、株が上昇する時買っていれば良かった (銀行の営業に頼ってしまい失敗)


チャートは正しかった、株が上昇する時買っていれば良かった

(銀行の営業に頼ってしまい失敗)

私は株のことなど全くわからないから銀行の営業の人にまかせた、銀行員だからプロだったと思っていた、本人も東京の証券にかかわり働いていたというから詳しいと思いまかせた
それがそもそも失敗だったのである、その人は株式についてのプロではない
そもそも株は機関投資家のプロでも運営がうまくいかないのである
ギャンブル的なものがあり訳わからないのである

銀行の営業が一番気にしているのは自分のノルマを果たすことである
銀行の利益を上げることである、それが常に頭にあり客をもうけさせることではない
第一に客のことは考えていない、自分のノルマを果たすことと銀行の利益をあげることが第一なのである
でもそのことで客は損するのである

それが象徴的だったのは一旦半分まで下がったリーマンショックの時の株が元にもどしさらにこれだけ上がったことに驚く、その理由がわからない、景気はコロナウィルスで停滞しているしとても株が上がるとは思えない状況だからである
実体経済と離れているからである、だからこんなとき株が上がるとして買う人は普通いないのである

でも確かなことはその営業の人はチャートを常に見せていた
でもそのチャート通りに投資していない、それより自分のノルマと銀行の利益を優先するだからリーマンショックで半分に下がった株を元にもどしチャートで上昇しているとき
それをJ=REITに回したのである

なぜそうしたのか?

チャートでみれば上昇しているのだからそのままにしているのがいい、上昇している時は売らないからだ、ただ営業のノルマを果たすことと銀行の利益を計ることしか頭にないから転売して手数料とるとなる、自分の利益と銀行の利益が優先されるのである
だからその営業の人はチャートを常に見せるがそのチャートに従うわけではなかったのである、もしそのチャートに従っていたら損しなかったしこんなに株が上がっていたら大儲けとなっていたのである
ただ自分のは場合は不安になるから途中で売っていたともなる
たた上り調子の時は売るべきではないことは確かだったのである
それはただ営業の人と銀行の利益を優先するからそうなったのである

その後J-reitはコロナウィルスで急激に下落した、でも損しなかった

それは銀行の営業の人を信じられなくなったからだ!

そのために一月に売って損をまねがれたのである
ところが何カ月か前にその営業の人がチャートをみせて株を買わないと来た
私はコロナウィルスでとても景気が良くなるとは見えなかったら買わなかった
その営業の人も信じられなくなったからだ
つまり自分の場合自分の判断よりその営業の人に頼ったことが失敗だったのである
そうしたらその営業の人の判断ですべて決まってしまうからである
そして営業の人は自分のノルマと銀行の利益を優先するからもうかることは少ないともなる

ただチャートを見せることは正しい方法である、ただ銀行側でも営業ではそのチャートと通りにはしないのである、そこに誤算が生じる
だから銀行の営業マンよりかAIの判断の方が株ではもうけられるともなる
そうした私的なことは機械には働かないからである
銀行をもうけさせようとか自分のノルマを果たすとか機械は考慮しないでただ株の上昇を冷静に計算して答えを出すからである
ただコレかすべてに正解とはならい、常に不測の事態が起きるからAIは万能ではない
でも銀行の営業の人のように私的な都合が働かないので公平だともなる
ただ株はチャートが大事でありそれを見ていると何か間違えない方法だとなる
ただその銀行員はチャート通りにしなかったということである

銀行員の営業には頼るな!

それで判断が誤る、そしてその営業の人を恨んだりするし裁判にもなる
銀行というのが今危機になっているのはメデアとなるもの仲介するものは必要なくなっている
それでマスコミの新聞とかテレビが衰退しているという、銀行も仲介業者であり苦しくなっているという、新聞でもテレビでもまた出版でもメデアは仲介するものだからそうだという

今は別に新聞社に頼まなくても自らインタ−ネットでも発信できる
出版さえアマゾンで電子化すればできる、ただ出版社とか書店ではできない
そういう会社はメデアなのだがこれまでは力をもっていたのである
でもインタ−ネット化して衰退して新聞などは十年後に消失すると言われている

つまり今このメデアを発信する人がもつことは大きな変化なのである
このプログなとほとんど無料である、でも表現がこれだけできるものだと自分自身がかかわって理解した
自らメデアを持つことはそれだけ情報社会にとって大きなことになっていたのだ

だから既存のメデアに頼らずとも自分の創作をプログですら展開できる
それは個々人がメデアを持ったことによるのである、それでこれだけプログで書いてきたのである

投資でも最近わかったことは個々人が物を作ったり売ったりする人に直接投資する
それがインタ−ネットでしている

クラウドファンディングとは、「群衆(クラウド)」と「資金調達(ファンディング)」を組み合わせた造語で、「インターネットを介して不特定多数の人々から少額ずつ資金を調達する」ことを指しています。

資金調達といえば、一般的に金融機関からの借入や関係者・ベンチャーキャピタルによる出資などがあげられます。クラウドファンディングは、そういった資金調達にはない「手軽さ」や「拡散性の高さ」、「テストマーケティングにも使える有用性」といった点が魅力的な新たな資金調達の仕組みとして近年注目されています。

中でも、「こんなモノやサーヒ゛スを作りたい」「世の中の問題をこう解決したい」といったアイデアや想いを持つ人は誰でも“起案者”として発信でき、それに共感し「応援したい」「モノやサービスを試してみたい」と思った人は誰でも“支援者”として支援できる、双方にとっての手軽さがクラウドファンディング最大の特徴といえます。

これが新しい投資なのである、これこそ投資の原点だったともなる
そこに仲介するメデアがないからである、銀行は仲介するメデアだったとなる
みんなから金を集めそこで銀行がその金で投資して利益をだす
でもこれだと直接物を作る売る人に投資できる、これはグロ−バル経済の世界的市場でもない、何か小規模の個々人の人を支援するものである
こういうのが本来の投資だったのかもしれない、そこでは投資する人と物を作り提供する人と直接結びつくからであるこれが新時代の投資形態となりメデアー仲介業者はいらないとなるから銀行は役割を失い危機となっている
でも新しいビジネスモデルを銀行は作れるのか、それができないと銀行はなくなるという危機なのである
これもインタ−ネットで変化したことなのである

そして今銀行は福島銀行もSBI証券に合併させられその配下に入ったように大東銀行も
SBI証券が株を20パーセント近くもっているのは驚きである
だからこそSBI証券と合併してその配下に入ると雑誌で書かれたのである
銀行は新しいビジネスモデルとか投資方法を作らないと瀬う経営はできなくなっている
時代に合わず消えてゆくともなる、何か時代が変わる時それを良く理解できないのである金融でも複雑だから理解できない、自分自身も理解できない、ただインタ−ネットにかかわっていたからそれで全般的に社会をインタ−ネットがかかわり変えられていることを知った、技術の変化は進歩はそれだけ影響が大きいのである

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株主を見ると東北電力が東邦銀行の株主になっているのはいかにも東北らしいとなる
東北では一番大きな会社となるからだ
そして大東銀行の株主が東邦銀行になっている
やはり東邦銀行と大東銀行は合併しやすいとなるのか?

一番の問題はSBI証券がすでに20パーセントの株主になっていることである
だから将来的に大東銀行はSBI証券に買収されてその配下に入る
SBI証券は外資でありそき資金がアメリカに流れるとかその仲介者が竹中平蔵だともしている
ただ金融の仕組みは複雑である、カステデイ日本銀行というのはわかりにくいからである金融が常に陰謀論になるのはこうしう金がどう操作されているのかわからないからである

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クラウドファンディングの例

走行距離が短いのが問題である、でも50キロだと長いともなる、もっと長いのもある
そうういものが欲しいというときこのように直接インタ−ネットで投資して買うとなる


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posted by 天華 at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

忘れられる東日本大震災から十年 (でも原発事故被害は継続)


忘れられる東日本大震災から十年

(でも原発事故被害は継続)

人間は本当に忘れやすい、第一一週間前でも何が起きたか何をしたか何を考えていたかも忘れる、覚えていないのである、それでプログでもこんなことを書いたのかと自分で書いたのにこんなこと書いていたのと新たに発見する
それが十年過ぎると十年一昔であり昔のこととなってしまう
だから地元でも自分自身も被害でも関心がなくなる、テレビでも最初の家は食い入るようにしてみていたけど今はいろいろその当時の被害を言っても関心が持てなくなったのである

ただ地元だから津波の跡は家がなくなり回復していないし原発事故の避難区域には人が戻ろないし回りは田畑が回復しないから草ぼうぼうでありそれを見るから地元では復興していないと見て外の人が見るのとは違うのである
そういう現実をいつも見せられているからだ
それでも原発避難区域ではそうでも他はそういうことはない、かえって原町とか鹿島とか相馬市とか新地とかは前と変わりない、前より人口が増えて新築の家も増えた
新しい街が二つくらいできた感じなのである
だから自分の住む所で原発事故の被害は感じないのである
そして今はすべて仮設住宅は取り壊された、原町の道の駅の仮設も今年になって壊されただから仮設住宅はもうないのである

復興というとき原発避難区域になった小高とか双葉とか浪江とか富岡とかは復興していない、帰った人も一割二割とかである、小高は三割とかでいい方だとなるが街自体はさびれている、人の行き来もない、通りを歩いている人はまれである
でも通りはもともと人が歩かない時代である
でも車は通る、その車が通らないのである、だから人の行き来は相当に少ないのである
ここならひっきりなしに街中でも車が通るからである
なぜか自分の脇の道路は前はほとんど車が通らなかった
でも震災以後が車がかなり通る、だから危険にもなる
それはどうも小学校がありその送り迎えとかあり朝には混むのである
この道路をそのために学校に行く道路となりこむようになったということもある
だからここは前よりにぎわっているという感覚にもなる
そして田畑も全部ではないにしろ回復している、海岸の工事も終っている

そして原発避難区域がどうなっているのか?
若い世代は仙台市とかに出て行き帰らない、それで祖母も息子の所に行き残されたの祖父だとなる、そして一人になると祖父といっても60代では若いから女を引き入れているのが意外と多いように見るのである、一時は仙台市の方にフィリンピン女性にスナックとか店をださせてやったとか言う人もいた、それだけ補償金が入ってきたからである
補償金バブルになったからである
また飯館村の不思議は一割くらいしか帰っていない、それも老人である
でも新しい家が古い家に代わってあるので住んでいるのかと見たら住んでいないのであるそこは地元の人は別荘だと言っているという、つまり時々帰ってきて畑などで野菜を作っているともいうから不思議なのである

何かこうして家族がばらばらになりモラル的にも荒廃している、そうした廃墟のような町や村に住むというのも嫌だとなる
ただ復興していないのは南相馬市だと小高区であり原町とか鹿島は田んぼも回復したし復興している、そして南相馬市は30キロ内で補償金が三倍も違っていた
30キロ内の原町は三倍の補償金をもらい、高速も無料で医療費も十年間無料だったのである
30キロをはずれると鹿島区などは半年で医療費の補償も打ち切られてあとは補償金は一人70万もらった、これもいい方だったのである
相馬市などは一人6万で終わった、放射線量はほとんど変わらなかったのである
この差も大きかった、かならず補償金は差がでてくる、今回のコロナウィルスでもそうだったのである
でもこれも十年過ぎて打ち切りになるし国から支援金もなくなる

そこで市では相当に財政的に苦しくなる、現実に生活保護も厳しく医療費くらいもらって支給されない、最低限生活する金が支給されないのである
わずかな国民年金があるとほとんど支給されないのである
それはやはり市でも財政が苦しいからかとみるのである
本当にその人は支給されてかったら飢え死にするような状態なのに支給されないのである
また避難している浪江の人の復興住宅に住んでいる人も夜電気を消しているという
補償金を相当もらっているとしても働かないから金も枯渇してきているのか?
何かこの辺てコンビニ強盗がありその犯人か双葉の人だったというのは驚いたからである双葉となると手厚い補償金を避難解除されていないからもらっていると見たからである

ただ意外と浪費した人も多い、遊びに使った人も多いのである
人間は大金が入ると浪費しやすいのである、手にしたことかない金が入るとそうなりやすい、遺産などもそうなり安いのである、
ただ老人は相当に貧困化しているのが多い、第一まともに年金をもらっている人は少ない国民年金が4,5万の人も結構いる、その人たちはどうして生活するのだろうと思う
それで東京の老人が住むようになった団地では夜に灯が消えているというのだ
現代の貧困は見た目ではわからない、必ず月末に電気が水道、ガスが止められることでわかる、そこで待ってくれととか必死になっているのである
やがてはそうして払えないとアパートでも追い出されるとなり住むところがなくなるのである,今コロナウィルスでそういうことが起きていることでもわかる

原発避難区域に住んでいる人はほとんど老人である、それでも60代だと老人とは今はならないから何かしら働くことはできる、でもほとんど何もしていないのが実情である
そして問題はそもそも老人だけの町が成り立つのかということである
シルバータウンとなり成り立つのか?
南相馬市では介護士がいなくて施設も維持できないから青森の介護施設に入れている
立派な建物があっても働く人がいないのである
立派な学校を建てても飯館村では生徒が5人がむらの外部から通っているとなる
子供の親でも住んでいないからそうなる、小高区では原町に移り住んでいる人が多い
結局あのように荒廃した町に住みたくない、原町がいいとなる
そこの住人すら一旦あのように荒廃すると住みたくないとなるのだから外部でもいろいろ言っても無駄だともなる

私自身最初は復興してくれとなり書いたが今になると何かそれも無駄なのかとみるようになった、でも南相馬市だから小高でも復興してくれないと困る
財政的にも困るから関心はもくつづける、津波の被害への関心はなくなったが原発の被害は変わらないから関心を地元では持つ、復興してくれとなる
でもその内部でも一体として復興へ向かっていない個々ばらばらになり家族もばらばらになりモラルも荒廃している
ただモラルというとき原発事故前からそういうことはあった
すべて金になればいいとしかなかった、その欲がかぎりなく拡大してゆくのが現代であるそれで原発は積極的に誘致されたからである   

農業していた親が農業だけは継ぐなとして子供を殴ったという
その子供は原発で働いた、そして今度は親になり子供は故郷を出て行った
でも別にその子供が親不孝というのではない、なぜなら移りすんで建てた新しい家に親の部屋まで作ったからである、でも親は故郷を離れたくないとして住んでいる
つまり原発事故は家族もその住民もばらばらにしたのである
補償金はもらったとしても住民はばらばらになり家族もばらばらになったのである
飯館村でもそうである、補償金をもらって外に出る組と残る組で争ったからである

そしてそんなところに復興として道とか建物でもインフラをハードを整備しても人が住んでいないのだから無駄だという意見もわかる
そのインフラの維持にも金がかかる、その金は被害者が出すのでもないからだ
それで限界集落はつぶせと都会の人が言う、それは今は電気水道でも維持するのに金がかかるからだ、限界集落とかでも80倍の金がかかるからそれが税金になるから都会の人も払うからそういうのである  
もし自前で炭焼きのようて暮らしをしていれば都会の人も何も言わないのである

ただこれは日本の将来の現実なのかもしれない、少子高齢化で空家が800万軒になるとか日本の人口でも縮小してゆく、すると自治体タでも住民サービスができなくなるとか生活保護でも支給できないとか福祉サービス医療でもまともにできない、そして自治体崩壊も言われているからである、ただこの辺は津波原発事故で先取りして極端化した地域として現れたともなる
そしてこうした地方では原発に頼るのである、そこに大きな問題の根があった
正直地元の人では立派な家が欲しい、車が欲しい、うまいものが食べたい・・・切りなく欲望がふくらんでゆく、そのために原発が誘致された、また上級国民の天下り先として利権として原発はあったからである

そして今でも地元の人でもなぜこんなふうになったのか理解していない
そういう際限のない欲望の追求に原因があったと思わないのである
そういうことを言ったら怒る、何か原発事故の原因がなんであったのか良く反省していないのである、そういうことを地元で言えば嫌われる
だから自分は今は言いたくないのである
でもそういう原因を追究しないとまたすでに原発再稼働とかこの辺でもそうなるかこともありうる、経済的に苦しくなればそうなる、それしか救いかないともなるからだ
それは相当にに怖いことだとなる

だから不思議なのは山尾三省なのである、でも誰もパンが贅沢だというような人についていかない、それは現代では変人だからである、でも何かこの辺では共感するものがあったのだ、そういう人はこの辺でもわずかでもいたからである、部落とかでそういう人がいたのである、そういう人か原発事故で見直されたということがある
なぜなら原発事故の結果としてそういうことがリアルなものとして想像の世界ではない
現実化したからそうなったのである、つまり空想のことではなかったのである
現実に根ざしたものでありそれが原発事故でわかったからである

根本的に間違っている帰還困難区域対応

政経東北二月号

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除染費用となると7兆円かかったとか途方もないものだった、それならここで述べているように一世帯に一億円補償金を支払えばいいとなる
南相馬市なら全体で除染費用をゼネコンに回すのではなく公平に配分できたのである
そしてときたま故郷がなつかしく思って帰る人はにはそれを用意する
それが飯館村の別荘だったのである、結局それが現実的になるからだ
復興にしても余りにも莫大な金がかかりすぎてそれが地元の金でやるならいいが税金だから問題なのである、ただ飯館村は他と事情が違うのだから補償金が手厚いのはやむをえないとなる、つまり原発は距離に比例して地元にも責任があったとなるからだ
飯館村は別に原発の恩恵を受けていないからである

posted by 天華 at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連