埼玉県では25人に1人が「ヤングケアラー」 (自分優先か家族優先か-自分の人生が奪われる)


埼玉県では25人に1人が「ヤングケアラー」

(自分優先か家族優先か-自分の人生が奪われる)


家事や母親の世話で自分の自由な時間がもてなくなり、「何で私が?」と、よぎる瞬間もあった。思いが行き違い、母親と何度もけんかした。


ひとり親家庭 増加が背景に
 若年介護者が増えている背景には核家族化の進展、ひとり親家庭の増加があるとされる。群馬県人口は減る一方で、世帯数は右肩上がり。1950年代まで5人台だった1世帯当たりの人数は2019年に2.40人まで減った

「限界だった」たった1人の介護の果て なぜ22歳の孫は祖母を手にかけたのか

これは残酷である、10代から介護になるとすると自分の人生が介護で消失する
精神疾患が多いとすると親か若いうちに介護状態になっている
ただこれから祖父母が介護になったとき家に人手がないから孫が介護する家が増えてくるかもしれない、どうしても介護はつききりになるからだ
すると誰かが働かないと収入もなくなるからだ
その年でまず介護がどういうものか理解する人はいない
だから相談相手もいないし介護サービスのことも知らないとなる、手続きもめんどうで受けていないというのもわかる

家族が優先か自分が優先で悩むというのもわかる、何か親のためにしなければならないというになる、家族のためにやらなければならないとなる
でもそもそもそんな子供の時は家族にしてもらうのが普通である
家族が与えてくれるのが普通である
それで進学も大学にも入れないとか結婚もできなかったとか様々な障害が生まれる

これは悲劇だ!

私自身は介護は苦しかったけど介護して良かったと今では思っている
というのは60まですべて何でも身の回りのことをしてくれたからである
これもまた普通ではありえないのである、引きこもりでも世話してくれたのである
そこで一切働けとか言われなかったのである
引きこもりで親に殺されている人もいるからそれだけ恵まれていた、親が世話してくれたただそれがマイナスに働いたことはある
人生には何でもプラスに働くのとマイナスに働くことがある
だからそんな若い時から介護になっているということでも何かプラスになることはある
でもこれは余りにも過酷だとなる

そしてこの人たちが成長した時どうなるのか?

親が死んだりして親をどう思うのか?

親を怨むとなる、そういう人が自分の親戚にもいた、親を介護したわけではないが親に苦しめられた結果、死んでも親のことを想わない、墓参りもしないとなっている
おそらく親を恨んでいるとなる
これは双方にとって不幸である

自分が優先か、親が優先か

この年なら確実に自分が優先である、それは責められない、親のために人生を捧げるというのは生物的にもありえない、親は子供のために命までささげるからだ
でも戦前とかまでは後進国などでは今でも子供は親の犠牲になることが強いられている
子供は労働力として見られているし外国人労働者も親に仕送りしているからである
私の母なども親のために早い時期から働かされて稼ぎを親に出していたのである
それは戦前とかでは普通にあったことである、親孝行が優先されていたのである

何か母の実家では母親が病気にもなり若い時それで苦労したとは聞いた
大正生まれだから今との価値観は違う、でも結果として母は働きづめであり何か余裕ある生活もできなかった、それで花にすら興味を示さなかった
庭に花より野菜を豆を植えていたのである、食べることを優先されたとなる
それで遊んでいた自分とは合わなかったのである
母にって働かないで遊んでいる人生など考えられなかったのである
ただそういうことができたのは母だけではない姉がいて私は自由な人生を送ることができた、母だけったら若いころから働きづめであり大学などにも行けなかったのである

若い時やりたいことをやらないとあとはやれない、時間ほど人生にとって貴重なものはない、それもあっというまに過ぎる、だから青春時代を介護になるということはあまりにも過酷だとなる、ただそれだけ苦労するということはプラスの面はある
でもやはり人生でやりたいことをやれなかったという後悔になる
これはみんな老人になれば後悔しているのだがこの場合は

親の介護で自分の人生は犠牲にされた!

必ずあとでこう思うようになる、それは親と子供にとって不幸なことである
親を恨むようになるからである、やがては親の供養もしないとなる
ただ苦しめられたという思い出しかなくなるからだ

私は介護では苦しかったけどそれも当然だという感覚になっていた
それは普通の人より良くされたからである、だから苦しくても当然となっていた
それは無理やりでもない、自然にそうなっていたのである
60年間一方的に世話になるだけだったからである
だからこんな若い時から介護になることは余りにも残酷であり理不尽だとみたのである
ただ家族に人手がなくさらに介護者が増える、2025年問題がある
団塊の世代が介護状態になる、認知症になる数もすごい、そうなると孫とかに介護が強いられる時代にもなる、それは本当に孫を不幸にするのである
そして祖父母でも恨むことになる、それは双方にとって不幸なのである

私は何か30頃なのか登山した、体力かないので死ぬように疲れた、その時親戚の人が病気で輸血してくれと言われた、でもしなかった、その時確かに罪悪感を感じた
10代から20代でも家族のためにしないことで罪悪感を感じているのもわかる
それは家族だから余計にそうなっている
ただ正直自分の人生まで犠牲にして親の介護に貴重な時間を消費していいのか?
これは本当に疑問である、強いられてしょうがいなともなるが過酷である
結果としてあとでふりかえり親のためにやりたいこもやれず親のために犠牲にされたと思うよりなり親を恨むようになる
私はふりかえれば介護して良かったと思っている、恩返しできて良かったと思う
それだけ世話になったのだから当然だと思っていたし感謝して死んでくれたから心も安らかである、それで死後も供養して思っているのである

いづれにしろ2025年になると介護者が膨大に増える、そこで孫もその介護者になり犠牲者になることも増える、それだけ介護問題は深刻なのである
個々の家族で事情が違っていてもそれは大きな社会問題になるしすでになっている
金銭的にも日本が貧困になり援助できないからとなり家族に押し付けられる
それで孫まで犠牲になりそして祖父母でも恨むとなる
これも悲劇なのである、ただ確かに介護のことを同世代で理解することはむずかしい
介護自体もまた経験して見ないとわからないからである

まず親に良くしてもらわてかった子供は親にも良くしない、これは確かである
だからただ親に苦しめられた子供は親に良くしないし介護だってできないのである
それで兄弟でもお前は一番親にかわいがられたから良くされたからお前が親の介護をしろというのもわかるのである
それだけ介護は誰もしたくないのである、でも誰かに押し付けられるのである
これからそうして介護殺人も日常的になる、それだけ介護問題は深刻なのである