2021年02月01日

コロナウィルスと原発の相似ー天災は忘れた頃にやってくる)) (何を優先するかが問題)


コロナウィルスと原発の相似ー天災は忘れた頃にやってくる))

(何を優先するかが問題)

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歴史は利権と関係していない


コロナウィルスでいろいろ言われるが何か原発事故の時と似ていると思った
その理由は現代では必ず科学がかかわるから同じような問題が起きる
毎日感染者の数で怯えているのは放射線量で怯えていたのと似ている
それで科学者が一ミリシーベルトを越えてはならないと警告した
その人は武田邦彦氏であった
でも今回は逆にコロナウィルスはインフレインザの一種であり過度に恐れるなと何度も言っている
だからなぜ原発の時は厳しい基準を出したのに今回はそうではないのか理解しにくいところがあった
やはり共通の問題として科学がかかわっていたことは確かである
そこで科学の専門家が前面に出るとなった、でもその人も御用学者であり政府にとって都合のいいことしか言わない人となり批判された
そして政治的判断があり経済的判断がある、それも共通している
政治は経済と一体であり政経学部があるのもそのためである

ただ科学的判断でも間違うことがある、放射線被害についても良くわからないからだ
それは今回のコロナウィルスでも同じである、科学的判断がすべてに優先されるとはならない、それは放射線の被害がどうでるか未知だからである
コロナウィルスはさらに未知なものとして出現したから正確に科学的判断ができないのである、専門家でもできないのだから素人はさらにできないのである

でも政治家はなんらか決断しなければならない、それで経済優先でGO TO トラベルになったのである、ここには二階氏と観光業者の利権がからみそうなったとしている
原発でもいろいろな利権がかかわっていた、原発は金の鳴る木だったからである
そこに利権を得ようとして群がったのである、地元の人でもそうである
だから地元の人は東電を批判しにくいと言っている

原発事故では補償金でもめた、それで南相馬市は分断された他でも分断された
それは利権となり経済問題であった、政治の役割りは政府の役割りは具体的にいくら金を出すかということを決めることだという
そのために予算を組み配分するのが仕事だとしている、他は何かできないとしている
でもその金を配るにしても必ず不公平が生れてもめる
コロナウィルスでももめた、補償金を過分にもらった人もいるしもらえない人がでてくるからだ、それも原発事故と似ていた

ただコロナウィルスと原発事故の大きな相違は必ずしも政府が政治が優位にたっていない専門家の科学者の言い分を尊重しなければならない、原発で政治の力で専門家の言い分はおさえつけられた面がある、だから御用学者が発言したのである
政府のいいなりになり危険を無視した発言をしたのである
もともと原発は政治の意向で作られた面が大きかったからである
それはアメリカの押し付けがありそれぶ古い型のマーク1の原子炉を買った、買わせられたのである
今回のコロナウィルスでもアメリカとかイギリスのワクチンを買うというときそこに利権がかかわる、莫大な金が動くからである

ただコロナウィルスでも原発事故でも意外と見逃されていたのが歴史だったのである
原発事故では津波が関係していて津波の歴史が注目された
相馬藩政記にも津波で700人溺死というのが記録されたが誰も注目していなかった
でも津波の後に発見されたのである
だから400年前に慶長津波がありここでも大きな被害があった
でもこの辺では津波が来ないとしていたのである
その歴史に注目していないからそうなった

でも東電では地震の専門家に依頼して津波のことを調べていたのである
それで十数メートルの津波が来ると警告していた
でも東電ではそれに従わなかった、何の対策もしなかった、コストがかかるとしなかったのである
そして今になって防潮堤を作ったのである
原発ではいろいろ安全対策が不備だったのである、それはコストがかかるからそうなったそれが致命傷になったのである

ただ歴史的なこととして津波も起きていたしコロナウィルスとか伝染病は人間の歴史が始まってい以来深刻な被害を与えていたことは知られていた
ただその歴史も津波のように忘れていたのである
だから災害は忘れた頃にやってくるというのは伝染病でも同じだったのである
カルマとして繰り返しているからである
それで歴史は大事なものとして認識された、郷土史なども歴史なのだが好事家がするようなもので重要な命にかかわるものとして見られていない
でも歴史だからそこに命にかかわることもあったと気づいたのである

歴史は繰り返すというのはまさに現実として津波でもコロナウィルスでも自覚させられたのである、それに備えることも大事だった
でも日本では備えられていなかったのである
かえって外国の方が備えられていた、それは公立病院が8割とかであり政府の命令で動かしやすかったからである
でも日本は公立が二割であり開業医が8割であり政府の命令で一括して動かせなかった
それで医療崩壊が騒がれたのである
開業医の団体が医師会でありここにはやはり利権が働き迅速に動けなかった
意外と開業医は伝染病にはせ役立たなかった
病院の勤務医が懸命に働いたとなる、開業医は何か跡継ぎ問題があり世襲になる
そして利権になるのは政治とも似ている
つま0り利権化するときそれが国民にとってはいいことにならないのである
利権のみを受け継ぐとかなり肝心の医療はないがしろにされるかさらである
それが今回のコロナウィルスでも見えてきたのである

コロナウィルスでも原発でも利権がかかわっていた、政治家であれ科学の専門家であれ様々な団体、マスコミなどでもそうである、不可分に利権とかかわって歪めるということがあった
でも歴史的判断になるとそういうことはない、それは過去にあった事実であり客観的に見るだけでありそこに利権は働かないから公正なものになる
何かこの歴史的なものが見逃されていた、歴史の重要性を津波とかコロナウィルスでも見逃されていたのである
それは人間はとにかく忘れやすいからである、伝染病でも周期的に起きていて大きな被害をだしたのは百年前のスペイン風とかでもあった
でも忘れていた、ましてや400年前の慶長津波のことは忘れられていたのである
ここに人間の弱点がある、大被害になったものでも忘れるということである
それでまたカルマとなり被害があり苦しむとなる
それで天災は忘れた頃に災害かやってくるとなる

posted by 老鶯 at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年02月02日

ピーターの法則ー昇進すると無能化する (階層社会で菅首相もそうだったのか?)


ピーターの法則ー昇進すると無能化する

(階層社会で菅首相もそうだったのか?)

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菅首相も官房長官としては有能だったが最高位の首相になったとき
無能化したのだろうか?
官房長官で有能でも首相となるとその能力は全く別物ともなる
するとピーターの法則があてはまる
階層社会で昇進したともなるからだ、何か人選でも官房長官だから次は首相だとなった
その人選の仕方は階層社会のものであった
政党でも今は階層社会でありそれに適応したものが昇進してゆく
必ずしも能力とは関係ないとなる

人間は能力でもあらゆることにたけた人間はいない、一部分として優秀なだけなのであるだから昇進すると仕事の内容が変わり無能化する
教育でも教えることが上手な教師が校長になって優秀とはならない、でも教師で優秀なものは昇進して校長になりやすい、階層社会ではそうなる
そして無能化するとなる、つまり教えることが上手な教師はその方面の能力を活かしていた方がよいのである、そういう教師はある科目をいかに学ぶかという本を出したりするのがいいとなる、校長とか教育長とかは別な仕事てあり能力も別なものが要求されるからである

正直そういう人は教育というとき親との付き合いとか様々な付き合いとかを無視して
いかにうまく教えるかに集中すすべきでありそれは研究者のようになる
でもそこに人事とか付き合いとかいろいろありそれは苦手となり親から評判が良くないともなる、要するに研究者に向いている人は研究一筋な方がいいとなる
そこに様々な余計な人付き合いとかに労力をかけるべきではないとなる

技術者として優秀だった人間が独立して事業をはじめて失敗した
それは本当に無謀だったのである、なぜそんなことをはじめたのか?
技術者として非常に優秀な人だから回りから優秀だとされてきたから事業を始めても成功すると確信していたのである
でもその人は経営者になる相談すらしなかったろう、事業を起こす前ら成功者になると確信していたのである、それで失敗した

人間の特徴はあることに優秀でも他のことになると優秀でなくなる
機械マニアのような人は機械については詳しい、でも社交的なことになると人付き合いができない、変人だとかなる、でも日本が製造業でのしあがったときそういう若者は機械に熱中していた方がいいとしている
英語など必要ない、機械に詳しくなればいいとしている
そういう人が何か別なもので能力を活かすことができないからだ
そういう人はまた経営者には向いていないとなる

とにかく人間が無能化するというとき本当にこの辺で起きた原発事故がそうだった
これの原因を追及してきたけどこれも基本的には人間の無能化から起きた
その内容は相当にずさんなものだったのである
津浪が来たから起きたというのでもない、内部の人が配管などが老朽化して壊れるということを指摘していた、でも上の人は取り合わなかった
不備があってもとりあわなかった、そういう危険なことが指摘されてもとりあわなかった

そして結局「安全神話」だけ権力化して強調されたのである
その安全神話の内容がいかにずさんなものだったか、それは津波が来たから事故になったのではない、その前に事故なる原因が山積みされていたのである
でも権力があり「安全神話」だけが強調されたのである
これも人間の無能化の結果である、
その無能人間の集団が「安全神話」を作ったのだから事故は起こるべくして起こったとなる、その中に有能な人間がいても階層社会の中で無視されたとなる
提言しても取り上げられないとかなっていたのである

ただ原発事故でもコロナウィルスでもいかに総合的に判断できるトップが大事かが問われた、普通の時は別に階層社会でもそれなりに仕事はできる
でも原発とかコロナウィルスとなるとそれは総合的な問題として解決しなければならないものとなる、その時それに対処できないのである
一つの限界は理系と文系があり理系だけだととんでもない専門家がでてきて40万人が死ぬとかいう人もでてくる、それが社会にどういう影響するかを考慮しない
そういう専門馬鹿が生まれのも現代社会である
一方文系になるとこれもまた理系的知識がないから対処が謝る
どうしてもgo to トラベルが感染が拡大しているとき政策としてはまずかったとなる

ただ科学者でもコロナウィルスは普通の風邪でありインフレインザと同じでありなぜこんなに騒いでいるのだという見解もある、経済を重んじないと自殺者の方が増えるとしている、ここでも危険をあおる科学者とそうでない科学者が専門家がいて混乱する
だからそうして様々な分野の意見を取り入れて首相がトップが判断するとなると容易ではない、それで判断を誤るのである
右に行けという人と左に行けという人がいて判断する人が誤るとなる
その判断の過ちが致命傷ともなる、それは戦争となり3百万にも死んだとかなるからだ
また原発事故では故郷に住めなくなったからである
原発は実際は相当なずさんなものであり安全などもともとないし考慮もされていなかったのである、そういう危険なもの平気で作っていたのである

いづれにしろ人間社会はバベルの塔でありそれが崩れて混乱する、分断される
それが科学でも起きる、原発はまさにバベルの塔でありコロナウィルスでもそうである
何か未知なことが起こりそこで混乱して人間社会がばらばらになる
それは原発事故でもそうである、家族が分断されてばらばらに住み故郷には老人だけが取り残されたからである

人間の宿命として人間の無能化がある、神のみが全能であり治めることができる
人間にはできない、そこで混乱が起きてそれを治めることがてきない
コロナウィルスでもそうである、未知のものでありこれにどう対処していいか混乱してわからなくなる
ただ人間社会の問題としてピーターの法則があてはまる、階層社会で昇進してきたものが首相というトップにたったとき無能化する
その人が指導者として適切なものとして選ばれた訳でもない、階層社会の中で昇進した結果として首相までのぼりつめた、でものぼりつめた地位で無能化したともなる
つまり階層社会は普通の時なら機能するが緊急事態には機能しなくなる
弱いのである、民主主義でもそうである、緊急事態にみんなで相談したからとそれで解決するわけではない、かえって即断しなければならないのにぐずぐずして会議ばかり開いて議論てもらちがあかないとなる
何かそういうことがコロナウィルスでも起きている
ただ結局人間は無能化して滅びるというのも感じる
結局人間の力では世界を治められないいうことになるからだ



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posted by 老鶯 at 14:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年02月03日

四街道市の地理がわからない (半杭氏のプログを読むーコメント(2)


四街道市の地理がわからない

(半杭氏のプログを読むーコメント(2)

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千葉県でも実際に私は何回か行っている、千葉県となると相馬氏が出た所で相馬という地名もあるから歴史的つながりがある
それで半杭氏が小高出身で関心があり手紙ももらった
それからプログも詳しく読んでいなかったが読んだ、やはり今の時代に何か表現する時プログとかが必要になる、そこでその土地のこと人間のことがわかってくる
ただ地理だけは本当にわかりにくい、千葉県で実際行った場所は富津とかあり他に行っている
富津だと風の強く吹いたことで覚えている、それで千葉県が台風の被害で風の被害で屋根に一番被害があった、富津が風が強かったのでそういう場所なのかとも思った
では四街道市の地理でも歴史でもわからない
半杭氏のプログの写真などを見て何かそこが田舎的風景なのである
でも東京に近いとなるからそんな場所があるのかとも見る
でも何か写真からはのどかな田舎の風景なのである
そこが一番わかりにくいことだった

地理というのは一回その地を踏むのと踏まないのでは相当に差がある
地理は実感として感じないとわからないのである
地図を見ただけだと東京に近いからそんなに田舎的風景があることが実感できないのである、だから地図だけ見てもわからないのである

ただそこから富士山が見えるの?これも意外だった、千葉県からあんなにはっきりと富士山が見えるというのも意外だったのである
こうして地理はわかりにくいのである、どうししても四街道市というのがわかりにくいのである、名前からすると四つの街道が交わるとあるからそういう場所だとはなる
でもその地理でも歴史でもそれだけではわからない、だからいかに地理でも歴史でも理解するのが難しいか知る

確かに利根川とか鬼怒川とか東京とか千葉県の方に流れてそこで運送があった
でも利根川というのも一度を見ていないのである、するとイメージできなくなる
確かに千葉県には何カ所か行った、でも千葉県全体はわからないのである
それは福島県にも言える、福島県は広いからである、海側の浜通りと会津は全く違った景色になり別な世界にもなるからだ
つまり千葉県でも実際に多様な場所なのである、これを旅したとしても一部でありそれで全体像はわからないのである
なんか大学の時も茂原から通っていた人がいた、通うだけで二時間かかっていたようだ
なぜなら私の大学は神奈川県であり東京からはずれた場所だったからである
そこは相当に遠いけど通っていたのである
だからどうしても東京が通勤圏にもなり近いと感じる

結局人を理解するとき人そのものもあるがその住んでいる土地の理解が欠かせないのである、そして日本の地形は複雑でありその土地を理解することがむずかしいのである
私はだから全国を隈なく旅しているからだいたいイメージできるのだがそれでも日本でも広いし地理が複雑だからわからないのである
その人がまずどんな場所に住んでいるのかを知ると通じ合うということがある
そこでまずお国はどこですかとなる、でもその国に行ったことがないとイメージできないのである
だから富士山が写真ではきれいに見えているのが意外だった、あんなにきれいに見えるのかと意外だった
埼玉県でも富士見野市とかあるから富士山は埼玉県とか茨城県でも見える
それも意外と大きくきれいに見えるのである

ともかく人間は二つの世界に生きると豊かになる、それで外国生活した人は日本を見る目が比較するからより日本がどういう国か見える、それで辛辣な批判にもなる
でも日本だけに住んでいる人は日本しかしらないから日本の国がどういう国なのか偏るとなる
半杭氏の場合は中国でビジネスしてきたことがあり中国を肌で知っている
また相馬の小高出身であるがまた四街道市が第二の故郷ともなっている
それで二つの世界に生きているから精神的にも豊かになる
私の場合は旅行しただけだから外国の深いところはわからないのである
つまり人間とは本だけの知識とかだけでは駄目である、私は50歳から海外旅行したので辛うじて目が開けたとなる、でも深い所は外国で暮らさないとわからないのである
そういうことで若い時の留学などは相当に価値がある
外国で暮らす経験は簡単にできないからである
半杭氏の場合は中国とのビジネス経験しているから実感としての中国を知っているとなる

「貴方は何処の国の人ですか?」

英語でお聞きしたら

「ベトナムです。」との事です。

今度は、中国語で聞いて見ました。

「日本の印象は如何ですか?」

若い研修生は、シッカリとした中国語(普通語)で答えてくれました。
https://cutt.ly/jkscewy(半杭氏のプログ)

ベトナム人に中国語が通じる?これは疑問になるがベトナムでは一時漢字を使っていたのである、漢字圏の中に入っていたのである、だから今でも中国がまじっている
日本でも中国の漢字を使っているがその音は中国語であり呉音とかになる

ベトナムの首都ハノイ。かつてベトナム王朝の中枢であったタンロン王城跡の南側に「文廟(ぶんびょう/ヴァン・ミウ)」と呼ばれる儒教の開祖「孔子」を祀った霊廟があります。そこはベトナム最古の大学でもあり、官僚の登用試験である「科挙」が行われていました。敷地内には歴代合格者の氏名が刻まれた石碑が並んでおり、ハノイの受験生は試験前に必ずお参りに行くという、ベトナム屈指の合格祈願スポットです。

文廟の創建は約千年前の1070年、李王朝の第三代皇帝であった李聖宗(リー・タイントン)によって設立されたと伝わります。それまでのベトナム王朝は仏教国でしたが、国として結び付きが強かった宋(中国)から儒教が取り入れられ、その開祖である「孔子」を祀る文廟が築かれました。

その時漢字も使用されていた歴史がある、中国と東南アジアは深い関係がある
カンボジアのアンコールワットの遺跡に中国兵が壁画に彫られている
今でも華僑が東南アジアでは勢力をもっているから歴史は古くから継続されていたのである
そういうことで中国との関係が深く中国語で答えてくれたというのもわかる

ともかく人間を知るのは地理と歴史であり地歴なのである
この両方を知ることによって理解が深まる、でもどっちも現実に知ることがむずかしいのである、日本ですらそうなのだから外国だったらさらに理解できなくなる
だから一度だけでもいいからその地を踏むことは本を読むより価値あることなのである


四街道市の人

四街道市に住む人や
道の辻道祖神の碑
ここに住みつつなじむ人
畑に冬菜や日没るや
寒夕焼けに染まり
かなた富士の峰映える
相馬の小高出身の人
そこもまた故郷や
その土地に老いぬ


中国では紀元前から祀られていた道の神「道祖」と、日本古来の邪悪をさえぎる「みちの神」が融合したものといわれる

道祖神も中国由来だった、半杭氏の写真では大正時代とかあり新しいものだった
そうなると価値が低下する、江戸時代だったらなんでも価値がある
墓を見て歩くがどうしても明治以降は価値がないと見るからだ

いづれにしろ二つの故郷に住むということは精神的に豊かになる
とにかく人間は住んでいる土地の影響を受けてその土地と一体化してゆく
そして死んでその土地の土となりその土地に眠るとなる
そこが死ぬ場所だというとき深い愛着も生れるのである
そういう年までその土地に生きたということである、相馬と四街道に生きたとなるのである
流山市とか北相馬郡とかがあり流山市は相馬氏の軍歌であ相馬流山の民謡がある
そういう歴史としてくながりがある場でもある

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中国旅行のお土産



今はプログとかで自ら表現しないと交流できないともなる
プログだと表現の幅が広くなる、するとその人なりの人物像とかまた地理とかを知る
それで短いコメントでは知りえない全体像がわかる
だから今はコメントはしていない、もしプログで書いていればそれを読むとその人なりがわかり返答もできる、そうでないと相手のことがわからないのである
人間は対話するとなると相当なエネルギーが必要になる
相手を知るといこかとは容易ではないからだ、でもその人がどういう人なのか知らないで対話していると部分的であり何か一過性で終わってしまう
それで深く対話できないのである




posted by 老鶯 at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2021年02月04日

abstract mountains

abstract mountains

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これは他者のオリジナルなものを変化させたのである
でもふしぎなのこは変化させた方が良くできているのである
だからこれせ創作なのかとなる
ただなんらか著作権違反に問われるもしれない
音楽でも編曲したものがありそれと似ているのである

This changed the original of others.
But mysterious saws are better made by changing them.
So this is a creation
You may just be accused of copyright violations
Some music is arranged and it is similar to that.

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仙台市に行ったら雪だった

仙台市に行ったら雪だった


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一時的に結構雪が降った、でもやんだ


立枯れの木なお残り冬の暮

寒雀二三人乗り無人駅

数人の乗り折あわれ冬芒

阿武隈川越えて岩沼残る雪

仙台や街灯に雪人急ぐ


原町に早梅さきてまた開く新しき店我がよりにけり

我が家に母と姉とのなきにしもなおもありなむ冬深むかな

長々と貨物列車のとまりけり残れる雪にまた雪のふるかな


仙台に行ってきたけど亘理辺りまで晴れていた、でも岩沼辺りから曇り仙台近くになると雪だった、それもかなり降ったがまたやんだ
そして夜になるとまたふりだしたのである、でも相馬の方に帰ると晴れて星が輝いていた仙台はやはり多少寒いから雪になる、この辺は雪になっていない
それで雪が残っていたのである
ただこの辺でも夜雪がふったので積もっていた
でも外には雪は残っていなかった、残る雪が亘理から向こう側で目立ったのである
昨日はすでに原町で梅が咲いていた、やはり気候の差が仙台市とではある
80キロ離れているから仙台市は寒く雪がふっていたとなる

パソコンとカメラのことがわからなくなってドスパラとヨドバシカメラで聞いた
実物を見て聞いたからわかりやすいとなる
どうしても大きさとか重さとかは触ってみないとわからない
それで通販は失敗することがある、今はみんなwin10を使っている
私は8.1なのである、だからもう一台必要なのである
ただ中古品でも今もっているパソコンよりずっといいものになっている
だから中古でも十分なのである,パソコンの種類が増えすぎた
だからわからなくなった、種類が多いと買うのに迷う
ただ最近は商品の説明をyoutubeでしてしいるからそれで助かるのである
でもやはり直接見て聞いて買うのも必要なのである

それでヨドバシカメラの隣のキタムラでしみのようなものが見えたのはレンズのせいではなかった、レンズをとりかえるときゴミが入ったのである
頻繁にレンズをとりかえたからである、それがあそこではわかり掃除もしてくれた
だからどうしても店が必要なのである
そういうわけでキタムラからレンズを買ったのである、中古で買った

仙台にはやはり時々行ってみる必要がある、ここではないものたりないものがあるからだでも食べ物にしてもいろいろあるから仙台市に住んだら便利だけど金がかかる
ぜいたくしたらきりがないからだ
そうはいってもみんな東北でも仙台に住みたいのである
相馬ではカメラの専門店もないしいろいろないものがある、それで困るのである
電器製品でも実物を見て買うことも必要だからである

なんか一人だと家を留守にすると心配になる
でも姉と母がやはり家に待っているような気がする、結局なぜいつまでもこうして思っているのかというと60年と長く一緒にいたためである
子供の時からそれだけ一緒にいるとやはり簡単には忘れないしいつまでも家にいるという感覚になる

2021年02月05日

2010福島県過疎地域 (震災前から山村地域は全国的にもグロ−バル化で過疎化)


2010福島県過疎地域

(震災前から山村地域は全国的にもグロ−バル化で過疎化)

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過疎化という時、山村は過疎化していた、この辺だと飯館村とか葛尾村とか浪江の津島とかがそうである、霊山周辺でもそうである
山村が過疎化しているのは全国的である、全国の過疎地域は山村に多いからである
その原因がヤマの木材を利用しなくなったことである
エネルギーを炭に頼っていた時代は山村はかえってにぎわっていた
長野県辺りでも炭焼きをして炭を運ぶ人が大勢いたというのもそうである
炭焼きは一大産業でありまた養蚕も大きな産業だった、それでいたるところに養蚕をした兜作りの家が残っている、それは山村だけでも平地でも残っている

それだけ養蚕が輸出産業であり農家の生業となっていた
絹はアメリカに輸出されていた、それで外貨を稼ぎ日本の国力を増大させたのである
日本は資源がないから輸出産業がないと貧乏になる
それは戦後の高度成長を作ったのが電器製品を世界に売って豊かになったのと似ている
現在日本の経済が停滞しているのは世界に売るものがないからである
石油もなにもないならそうなる、木材自体がカナダとか外材を輸入して日本の山村地域は過疎ともなったのである
もともと山村には山持ちがいて金持ちもいたのである
それで大倉の女性が相馬女学校に親戚の家から通ったというのもそうである
相馬女学校は簡単に入れない、エリートしか金持ちしか入れなかったのである

山村が過疎化したのはグロ−バル経済になり肝心の森の木があってもそれを利用しない
それが致命的だったのである、豊富な木材があったとしても利用されないからである
燃料は炭から石炭となり石油から原発とかに変わったからである
それで飯館村など原発が遠いから関係ないと思っていたが飯館村の人も原発で働いていたのである、それだけ原発は金になるからこの辺では働いていた人が多いのである
その前は戦争の引揚者が不便な地域に開墾に入った、その数も多い
だから戦後でも人口が一万以上もあったときがある
そんな時になぜそんな人口を養えたのかとなる
木材とか石材とかを原町機関区から明治から戦後でも運んでいた
それで森林鉄道の跡が葛尾村まである、それは全国に網の目のようにあった
それで山村でも活気があったとなる

そして福島県では双葉町とか大熊とか原発のあったところは過疎地域になっていない
浪江は津島などの山をかかえていたから過疎地域になっていたのか?
そこでも原発で働く人が多かった、第一二万とかなると人口としては多いからである
とにかく山村であれ戦後の焼野原の時、団塊の世代が生まれその数が多かったのである
だからなぜそんな貧乏の時、何もない焼野原から子供が大量に生まれたのか不思議だとなる、そんなとき子供を産む気になるのか?
今は貧しいから子供を育てられないというとき何か理解できなくなる
ただ昔から貧乏人の子だくさんとなっていた
子供はまた労働力として必要だった、教育して大学まであげることなど考えていない
農家だったら労働力として子供を見ていたのである
すると子供に労力を金をかける必要もなかったのである
今でも東南アジアの貧しい国ではネパールとかベトナムでも親に仕送りしているとかなる
だから親子関係も時代の変化で変わる、親に孝行が子に親が尽くすとなるのが当たり前になった、すると子育ては金がかかるか苦労が多いとなり少子化の原因にもなったのである別に貧乏でも子供育てていたからである

ともかく山村の過疎化は深刻である、でも活性化する方法がない、もしかしたら日本がの貧困化がもっとひどくなると外国から木材を変えなくなったり石油でもガスでも買えなくなったりとかすることもありうる、そうなるとき日本にあるものを利用して生きるほかなくなる、そうなるとまた農山村でなんとかあるものを活かして生きようとするかもしれない、ただ時代は逆戻りしない、逆戻りするようでも同じものとはならないのである
でもなんらかで山村を活かすことが起きてくる
それは日本が外国から木材でも何でも物資でも買えなくなるときそうなる
炭を使いとは言えないが何か日本にある資源を活かすほかなくなる

今大きな時代の変わり目でありそこで何が起きてくるかわからない
社会の根本的見直しかあり改革が成される、そうしないと日本自体が成立たなくなる
明治維新とか戦後の焼野原からともに70年過ぎて起きた
だからそういう大きな変化が起きて来る、それが世界的にも起きて来る
そういう兆候がこの辺だと震災以降原発事故など極端なものとして現象化したからである資本主義でも民主主義でも崩壊の危機にもある
株式などは実際はギャンブルだとしているのもそんなことが許されるのか?
それでヘッジファンドに対抗して一般投資家が空売りを許さなかったというのもそうである、そのからくりに気づいたからである
自由な市場などグロ−バル経済では成り立たないのである
国産金融資本家に金が集められる、収奪されている、ヘッジファンドに対抗したのもそうである、だだ一般の投資かも損するというから株の世界はわからないのである

とにかく今は時代の変わり目であり何起きてくるかわからないのである
コロナウィルスもその一つでありこれがどうなるかも予測できないのである
そもそも未知だから予測できない、大きな時代の変わり目には予測できないことが起きるだから様々に不安があり不安の時代になる
ただこうしてまた社会は変わり新しい時代を迎える、その時に産みの苦しみがある
それを乗り越えると新たな社会に変わり新しい時代を迎える

世界的にはアメリカは衰退する、もう社会自体が分断して崩壊しつつある
その反乱としてヘッジファンドに株の不公平を正すために一般投資家が戦ったともなる
それはわからないにしても何かこうして変化が起きている
コロナウィルスでも生活の仕方を変えるニューノーマルとかが言われる
これも時代の変化で起きている、社会全般が変わる
ただ自分の場合は何か現代社会でも文明でもなじめなかった
おそらく資本主義であれ民主主義であれその根幹のモラルが崩壊している
もう金になればいいしかない、そういうモラルが消失したとき何が起きるのか?
アメリカのような混乱と分断が起きて中国でもまた大きな分断が起きるともなる
中国はもともとモラルがない、金になればいいとしかもともとなかった
商売の国でありそのために何でも盗み利用する、それが国是ともされる
そういう国だというときモラルの消失からやはり退廃してゆく

このモラルの観点からすると日本は比較してだがあまり嘘つかないとか信用するとかとなっていた、それは日本国内で身内だという感覚があったからである
日本人は外国人からも信用されるというのがそうである
もちろん日本人には様々な欠点がある、ただ日本人は商売でも信用されているということは確かだとなる
そもそも戦争でも敵味方塚など作る国はないからである、殺すか殺されるかが大陸であるそして敵はみな殺しにされたのが歴史である
中国では墓まで暴くということで敵は死んでも許さないとなるからだ

いづれにしろ今年の経済も波乱含みだとなる、株価が上がっているのはもう限界であり大暴落が来るというのは一致した見方である
それは三月になるとか言われる、そのころコロナウィルスの大量倒産が現象化するからだという、すると今年一年はやはり波乱がつづく、コロナウィルスでも収まらない
そして今年中に株の大暴落は来るのが一致した見方なのである
2020年も波乱の年だとしていた、それがコロナウィルスだったということは当てた人はいなかった、でも波乱の年だったというのは当たっていたのである

確かなことはグロ−バル経済は終わる、国内回帰に向かう、それよりコロナウィルスでデスタンスをとれと言うのが合言葉になった
デスタンスをとれとはグロ−バルに人,物が行き来することを止めることなのである
また国内的にその地域地域を見直すことや回帰することにもなる
まずグロ−バル経済ではもうモラルはない、世界がギャンブル場のようにもなる
自由市場などない、国際金融資本家に操作されているとなる
それに気づいたからヘッジファンドに一般資本家が対抗したのである
グロ−バル経済が山村を疲弊させたことも確かである
だから山村の過疎化でも国内の経済でも見直すときであり変革の時なのである
ただそれはかなりの痛みをともなうから心せねばならない、それを乗り切った時新たな時代を見ることになる


posted by 老鶯 at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年02月06日

チューリップのフラワーアレンジメント (クラウンオブダイナスティなど)

             
チューリップのフラワーアレンジメント

(クラウンオブダイナスティなど)

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仙台で買いしチューリップめずらしき王冠の名や我が家に飾る



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仙台の駅構内でクラウンオブダイナスティを買った、花は種類がないとあきる
この辺ではそもそも相馬市の花屋だと仙台の市場まで行って買っていた
でもそこは仙台まで行っていてもあとはここまで売りに来たのを買っているとかなる
だから種類が少ない、田舎では花屋で生計をたてるのはむずかしいだろう
簡単な仏壇の花などはスーパーとかでも売っているからだ

ではフラワーアレンジメントする人は限られている
そしたら売れないとなる
そしてこれも金がかかる、花は枯れやすいから買っていると金がかかるのである
また暇も必要になる、だから金銭的にも時間的に余裕がないとできない
そういう人は田舎には少ない仙台辺りだと都会だからいるとなり商売が成り立つ

とにかくフラワーアレンジメントでは写真をとり記念とする
それが2現代的な鑑賞の仕方だとなる
写真のとるこつは花だと接近してとると映える
今は写真がかかせいない、そうして花だけではない、いろいろなものと結びつける
花だと花瓶が必ず必要であったりどうしたしら見映え良くするかとなりその背景も考えるただそうなるとプロ的になり時間も手間もカメラもと金もかかる
正直金はかかったとしても人間やれる時間が限られている
とても何でもできないのである


2021年02月07日

都会に出る人と田舎に残る人 (原発事故からも考える)


都会に出る人と田舎に残る人

(原発事故からも考える)

それはつまり移動が階層化されていることを意味しよう。学歴、そしておそらく特別の資産やコネをもたない者は、地方を出づらい傾向が高まっているのである。

言い換えるならば、「移動できる者」と「できない者」の二極化が、地方では進んでいる近年、国境さえ超える社会的な移動が活発になっていることがしばしば話題になっているが、移動の拡大には、あくまで学歴的、資産的な偏りが大きいのである



東北だと仙台市に住みたいという人が多い、一つの憧れになっている
仙台市に住めば一人暮らしだと金はかかるにしても食事では困らない、いくらでも多様な食事のものもが提供されているからである
私の住んでいる所は弁当さえ売っていないので困る、つまり都会に需要があるからいろいろなサービスが生まれる、田舎では需要がないからサービスが生まれない
花屋にしてもそうである、クラウンオブダイナスティとかのチューリップとかを売っていて仙台の駅で買ったのもそうである
そして買い物にしても通販はあるが直接多様な商品に触れられないのである
直接説明も聞けないことが問題なのである
ショッピングの楽しみは仙台市だったら十分だとなる

ただ田舎と都会の差が本当になくなった、田舎でも十分に快適に過ごせるというのは本当である、第一贅沢したらきりがない、欲望にはきりがないからである
そういう欲望を全面開放して追求したのが現代の資本主義である
つまり欲望を抑えろということがないのである
そのことが意外と危険なものでもあったのだ
この辺ではある人を見ると限りなく欲望を追求している、いい家が欲しい、車が欲しい、うまいものを食べたい・・・・無限に欲望が拡大する
そこで何が起きたのか?

原発で豊かになれる、誘致しろ!

原発はこうして地元の人によって積極的に誘致されたのである
とにかく第一次産業は衰退していた、農林漁業は衰退して跡継ぎもないなとかなっていたそれで漁業組合は東電に漁業権を売って補償金で事故前も贅沢な暮らしをしていたのである、ただそれは農業でも林業でも衰退して金にならないからそうなった
だかち飯館村ですら原発で働ていた人がいたのである
三倍くらいの金がもらいるからそうなったのである
欲望を無限に拡大して是認することは実際は危険なことだったのである

この記事で言っていること資産をもっていると田舎に住みやすいというのは確かである
また東京とかに出なくなったのはむしろ都会に出て東京に出て行けるのは学歴とか何かもっているものであり普通の人は田舎に残っているという
高度成長時代は中卒が金の卵として迎えられたが今は何かかえって大学出て優秀な人でないと東京では働けないという事情があるというのもそうかもしれない
そして東京に出て行った昔の世代はすでに東京で資産を築いているというのもそうである東京でも資産をもてたとものと持てないものの差が生じている

それで都会へ東京などへ出て行ける者は恵まれた人だとしている
田舎だと一億円もらえたら都会に出て行くのになという人がいた
それが原発事故で多額の補償金をもらったときこれ幸いと仙台市とかに移り住んだ人が結構いる、それでその資金で成功した人もいる
つまり田舎を出るにしても金が必要になる、その元手があれば都会に出れるとなる
田舎から出れる人はかえって恵まれた人だとしているのもわかる
田舎から出れない人はそこで安住しているのではなく出る能力もないとなる

田舎では本当に資産家であり地位がある人はボスになり住みやすいのである
でも資産家ではない人は地位もない人は住みにくい、その差が目立つから階層社会になりカースト制になりやすいのである、だから公務員とか土建業とかの社長とか農協職員とか銀行員とかは安定した職業である、特に医者などは一番威張っていられる職業なのである前は地主などいたが農家となると今は資産家にはならない
銀行員も最近は貯金しても利子もつかないから田舎でももう安定していない
                        
田舎と都会の差がなくなっても田舎で暮らすとなると階層化されて暮らしにくいとなる
でも都会に出るには資金があったり学歴があったり能力がないと出れないともなる
それは全般的に階層化する格差社会になっているからだともなる
いづれにしろ田舎の階層社会で縛られて生きるのも嫌だとなっても都会にも出れないというのが現実なかもしれない、田舎ではその人にあった職業などわずかである
東京辺りだと多様な職業があり知的な職業もある、田舎にはない、それで最近はニートなど田舎でも必ずいる、親に食わせてもらっているから田舎でも不自由でも自由に生きているという奇妙さがある、実際は自分自身がそうだったのである
田舎では親が資産家だと楽なのである、親の威光で楽できるとなるからだ
階層社会格差社会では親の資産でも地位でも受け継がれるとなるから田舎ではそうなると住みやすいとなる

いづれにしろ人間は二つの世界に住むと豊かになる、田舎だけではそうはならない
都会的なものが必要になる、でも現代は田舎でも都会的になっている
別に隣の市に行けばそれなりのものがそろっている、車があればいつでも行ける
田舎に住む不便はなくなっている、それでもたりないというのは贅沢である
その贅沢が危険になる、過度の富を求めるのは危険なのである
結果として原発事故になったのもそのためである

とにかく金になればいいしかなかったからである、そして際限なく富をもとめ贅沢をもとめた結果なのである
ただ家族がばらばらになっても故郷に住めなくなっても何かそういうふうに反省している人は少ない、原発事故の被害にあった人でも依然として際限ない欲望を追求している
それが悪かったなど反省している人はまれなのである
だから今度は補償金をとれるだけとって楽な暮らしをしようとしかない
何か故郷を復興せせるとかなんとかないのである
それより多額の補償金を得た人は東京とか仙台市に移り住んで帰ってこないのである
それは放射能被害があるということでとがめることもできないのである

つまり一旦贅沢を覚えた人はもう荒廃した故郷を復興させようとかはない
戦後の戦争の引揚者のように開墾して苦労するようなことはしない
ただ補償金をもらい他に移り住めばいいとしかないのである
だから何か復興ははかどらないし無理だとなる、それは時代の影響でそうなった
ともかく都会と田舎の関係も時代によって変わる
コロナウィルスでも変わってくる、東京脱出組が多くなる
ただそれも東京周辺だとなる、そこには意外と田舎的風景があるからだ
東京の通勤圏とかにもある、だから田舎でも東京からあまり離れた所には移らないとなる


posted by 老鶯 at 09:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

みんな原発のせいだ、東電のせいだ (コロナのせいでこうなった―コロナウィルスと原発事故の共通性)


みんな原発のせいだ、東電のせいだ

(コロナのせいでこうなった―コロナウィルスと原発事故の共通性)

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週間ポスト2月12日号


自分の努力不足を棚に上げていないか
彼はコロナ前から成績が悪かった


コロナウィルス騒動と原発事故の共通性があることを追求して来た
これもだから不思議である
東京に避難した人が

放射能がうつるから来るな!

こう言われて子供がいじめられたのもそうである
今度は逆に

コロナウィルスがうつるから東京から来るな!

こうなったのである、人間にはカルマの法則がありあてはまる

この記事のように今はなんでもコロナのせいにされる、それを口実にすると通りやすいからである
原発事故でも故郷から若い人が多額の補償金をもらって出て行った
それも放射線被害がありそんな危険なところに住んでいられないということで誰も批判はできないのである
つまり何も言えなくなってしまうのである
何か言えば必ず放射線被害とか言うしそれで言えなくなる
そして何かというと被害者意識になりお前らなんで努力しないだというとお前は情もなにもない人間なのかとかなり批判される
そしてNHKでも原発避難者と津波被害者がいたが原発避難者側についた報道でも誤解を生んだ、その対立を激化させたのである

例えばもともと第一次産業は農林漁業は衰退していた、それで跡継ぎもいないとかなっていた、再三言うけど近くの漁港で漁師が何か生活が苦しいとか言ってプログで訴えていたでも今考えるとそういうことはなかった、その人はわからないにしろ事故前から相当な補償金をもらっていたから別に魚がとれなくてもやっていけたのである
その時はわからないから漁業は苦しいんだなと見ていて同情していたのである
凍み天の菓子店なども原発事故のせいで倒産したとかしているがもともとその商品はそれほどのものではなかった、商品自体に問題があって倒産したのである
これもなんでも原発事故のせいだとする

他でももともとだめになっていたのだがそれが全原発事故のせいにされる

俺たちは被害者なんだ、だから援助されるべきだ

こういう主張になる、もっと自分たちで努力するものがあるのではないかという前に被害者だから援助されるべきだ、もっと補償金をよこせとなる
つまり自らの努力を放棄して悪く言えばたかりにもなる
でも放射線の被害を言われればお前地元で良くそんなこと言えるなとバッシングされる
だからこうなると本当にめんどうになる、それで韓国とかは常に戦争の被害を言うから
付き合えないとなる、被害者と加害者であり被害者は加害者を許すことがないからである現代では被害者がかえって大きな力をもつようになる

コロナでも同じ事が起きていることが不思議なのである
様々なことで共通点がある、コロナで飲食店や旅行会社に補償金を出したこともそうである、そこでもやはり不公平があり不満が生まれる
一日六万補償されて売り上げよりもらって喜んでいた人もいる
南相馬市でも30キロ以内は30キロからはずれた人たちより三倍はもらっていたのである

高速でも医療費も十年間無料だった!

30キロはずれたら同じ南相馬内でも医療費は半年で補償されなかった!

高速でもそうであり最近やっと無料にしたがもう終わりだとなる

なぜこれほどの差が出たのか納得できないのである、コロナでもやはりこうして補償に差がでたのである、全部公平に払われることはないのである
それだけ公平になることがむずかしいとなる、必ず不公平になり不満な人が出て来る
だから補償金というのは良くも悪くも働く、それはなんでもそうだが金の問題になるととにかくうるさくなる、そこで不満が残る人があり怨恨にもなる

結局水俣病でも補償金問題でもめて復興もできなくなった、公害になったら終わりだと当事者が述懐している
過度な被害者意識をもつとそれが今度は一代でも終らない、親が子に必ず何かうまくいかないと原発事故のせいだとなる、この辺ではそういう被害者意識をもつ地帯になった
いくら努力しても無駄だとかなる、それより政府からでも東電に訴えてもっと補償金とか援助してもらうべきだとなる、つまり自ら努力することを怠る地帯となるのである

それが韓国にも沖縄にもある
自分たちで努力しろとか言っても被害者意識にこりかたまるとそうはならない
自分たちには責任がない、東電や政府が悪いとなる
それは確かにあっても自分たちで何にも努力もしないというのは無責任だとなる
地元の住民も納得して原発を誘致したからである
その責任があり東電を責められないという人も相当数いる、そこで働き贅沢できたともなるからだ、でもその責任を自覚している人は少ないのである

コロナウィルスと津波とか原発事故の相違は津波と原発事故は一部分である、広いにしても日本全国ではない、コロナウィルスは全国であり世界の被害になったことである
だから一部分を復興してかたずけるわけにはいかない、世界中が被害者になったからである
ただ全部原発事故のせいだとかコロナウィルスのせいだとかなるのは問題である
それを口実にして自ら努力を怠る理由になるからだ
だから原発事故地帯は若い世代が避難して復興できない、でももう戻らない
他の土地で家も建てたり生活がありもう帰れなくなったのである
十年も過ぎたらもう帰れない、そうして荒廃したままになる
残されたのは老人だけだとなる、でも若い世代にも責任がないのか?
やはりなんらか責任があってもそれはみんな原発事故のせいだとして放棄できたのである           






posted by 老鶯 at 15:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年02月08日

最後は記憶が人生になる (場所と一体化して記憶されるー家と一体化して記憶されいる死んだ母ー墓の意義)


最後は記憶が人生になる

(場所と一体化して記憶されるー家と一体化して記憶されいる死んだ母ー墓の意義)

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the fixed place for memory




仙台市に行ってヨドバシカメラのカードを忘れた、でも実際は財布に入っていたのである

これが忘れた原因は何であったのか?

カードが多すぎてわからなくなったこともある、それよりヨドバシカメラのカードをいつも部屋の手の届く所に置いていたことが記憶となっていたのである
ヨドバシカメラのカードはその場所にあると記憶していた
それをいつも見ていたからである
でも実際は財布に入れていたのである

つまり記憶は場所と関係している、カード単体で記憶しているのではなくその場所が関係している、場所と一体化して記憶している
人間は何か単体では記憶しにくい、何かと関連して記憶している
ABCとあるときAだけ単体として記憶しにくい、原子でも結合して一つの物になる
人間の記憶のメカニズムは機械と違う、一つの場面でも単体では記憶しない
家を記憶するにもその周辺の情景から記憶する
田んぼの中に家があるとか線路の脇に家があるとか坂の上に家があるとビルがあって家があるとかその家の隣の家があって同時に記憶する
家一つを単体では記憶していないのである
何か記憶して思い出す時でも単体では思い出せない、その周辺の情景があってつないで思い出すのである

例えば緑がありその中に赤がある、緑として単体で記憶されないのである
赤、緑、青とかあって赤が記憶される
それは極めて人間の記憶のメカニズムとしてある
人間の特徴としてとにかく忘れやすいのである、そのためになんでも記録しておけというとき忘れるからである、そして忘れるということは何なのか?
それがあっても存在しないことになる、認知症になると子供の名前すら忘れる
すると自分の子どもなのに「あなたは誰ですか」というときその自分の子供さえ存在しないことになる、記憶されないことは存在の否定なのである

それは人間に認知症でなくても常に起きている、とにかく人間は忘れる
人間は死んだ時点でその人は肉体も消えるから忘れてしまうのである
そんな人いたのとまでなってしまう、肉体を実在しないのだからその存在さえないものとされる、忘れられるのである
それでいかに記憶することがまた歴史では記録することが大事なのかを知る
それで文字が発明された過去に起きたことを記録したことが文明を作ったともなる
その文字が神聖なのはヒエログリフとなったのはまさに記録したものが神聖だとなるからだ、もし文字で記録されていなかったら過去の文明も謎になる
エジプト文明は文字で記録されていたからなんとか解明できるとなる
マヤ文明とかは文字がないので謎になりジャングルに埋もれたとなる

そしていかに記録が大事なのかを知ったのはこの辺の津浪だった
相馬藩政記に生波で溺死者700名あったと記録されていたのである、生波(いくなみ)とは津波のことだった、その時津波という言葉はなかったのである
これはたった二行だったがこの記録ほど貴重なものはなかった
なぜならそれを知ったのは津波の後だったからである、誰も知らなかったのである
そして400年前に津波があったということを知らないからこの辺では津波が来ないとしていたのである、もしこのことを知っていたら警戒していたとなる
だからこそ天災は忘れた頃にやってくるとなる
それだけ人間は忘れやすいのである
自分自身膨大なものをプログに書いたけどその自分で書いたものを忘れているのである
そして読み返して自分自身が感心しているのも奇妙なのである

いづれにしろどうしたら記憶するかということが意外とあらゆることで旅ですらそうだった、どんなに旅しても記憶しているかいなかが大事になる、何が記憶されるか大事になるもし記憶されないならそこに行ったということなかったとまでなる
実際に行ったとしてもそうである、団体旅行した人はどこに行ったかわからないと言っていた、その場所に行ったことすら覚えていないのである

ともかく人間の記憶が単一ではなく場と結びついて記憶される
それで寝る時、広い八畳間で寝ている、そこに本を置いてある、するとき寝る時毎日その本をがそこにあり見ているからその本の内容も記憶していることに気づいた
場と一体となり記憶が定着している、でも本がいくらあってもみんな記憶できない
本がありすぎるとまたどこに何が書いてあったかもわからなくなる
それだインタ−ネットだとキーワードで検索できるから便利なのである
蔵書でもそれができれば便利になる、なぜなら前に読んだ本もたとえ赤線でも引いても忘れていたのである、本を読んでもは忘れてしまうのである

人生をあとでふりかえるときとにかく記憶したものを語る
でも旅でも記憶していなかったら存在しないと同じになる
そこに旅したともならないのである、でもいくら旅しても人間は忘れる
そうなるとせっかく旅したのにその経験も無駄だったともなる
記録と記憶は違う、記録は何かあったことでも機械的に記録することである
でも記憶はその場から全体から思い出すのが記憶なのである
ただ記録したことから記憶が蘇ることがあるから今ならデジカメでもいいから印象的な場面を記録する、フィルム時代と違うからそれは後で思い出すのに効果的だとはなる
でもそれは他人にとっては一場面であり部分であり全体ではないから記憶とはならない
だから何かテレビの旅番組を見ても旅したとはならない
それは一部分を切りとったものだからである
そこに行くまでの行程も旅でありそれが省かれているから旅を経験できないのである

人間はとにかく親しい人でも死んだりしたらただ忘却があるのみだとなる
それで死んだ人でも場所と結びついて記憶している
百才で死んだ母のことを書いてきた、その母がいた場所がありその場所に自分が座っていると不思議になる、そこに母は70年とか座っていたからである
するとそこに母がいるような感覚になる、いつまでもそこにいる感覚になる
その場所から離れずいる感覚になる、形は無いが確かにいるとなる
結局それだけ長くいたからその場と一体化したのである
それで嫁とは女と家のなのである、家と一体化して記憶されている

そして墓とは何かと言えば記憶を物体化したものである
墓に来て死んだ人を思い出す装置なのである、それは人間は死んだ人を忘れるからであるそれでいつも母の実家の墓参りしたときそこに肺病で27歳くらいで死んだ人を思い出すのである、この人はかわいそうだったなとみる
でも今は墓参りもしていない、その墓を継いだ女性が異常人格者だから怖くて行けなくなったのである、母の実家はもともと分裂不和の家だったからその後にのこされた人も分裂不和になったのである
そうなると自分自身からもその実家のことは忘れる、墓参りのときは思い出すがそれなくなったからである、とにかく墓参りとは死んだ人を記録する場であり思い出す場所だということである、場所と結びついて思い出すのである
だから墓がないとさらに死んだ人は忘れられる、全く存在しなかったともなる
そういう人も多いのである、墓の効用は記録して死んだ人を思い出すということにあったからである