2020年12月01日

なぜ山村の人口が減っていったのか? (石炭から炭焼きから石油へ、電気製品への変化)


なぜ山村の人口が減っていったのか?

(石炭から炭焼きから石油へ、電気製品への変化)

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飯館村の人口をみると戦争が終わりそこで引揚者などが開墾に入り人口が増えた
6000人の人口が倍にも増えたのである
不思議なのはどうしてそれだけの人口を養うものが飯館村にあったのかとなる
それは飯館村だけではない、日本全国で同じなのである
戦後は団塊の世代が生まれ人口が急激に増えたのである
でもその時は日本は戦争が終わり焼野原であり戦地から帰って来た人の働く場所もない
だから困難でも開墾に入ったのである
飯館村の木戸木となると峠を越えてさらに飯館村の中心地の草野までまた七曲の峠を越えねばならない、そんな不便な所になぜ住んだのか?
そういう土地しか住む場所がなかったということである
そこは無人の地だから開墾に入ることができたのである
でもそこをみるとわずかな田畑があるだけである、平地が少ないからである
だからそこでどうして暮らせたのかというと不思議になるが農業だけではない林業があったからだとも思う、その頃まだ炭焼きなどをしていたから木材を利用していたからである燃料は炭だったからである

木材だけではない、石材とか資源が山にあり鉄道が全国に伸びてさらに伸びた
鉄道はもともと石炭を運ぶものとして全国にできた、常磐炭田でもそうである
北海道でも石油をエネルギーとする前は石炭だったのである
石炭を運ぶために鉄道が作られたのである、だから北海道の市町村は石炭をとるために作られた所が多い、でも石炭から石油に変わった時、廃れたのである
つまり戦後まもなくは日本は日本がの資源を利用していた
石油を輸入したとしても石炭が主なエネルギー源だったのである
それで原町機関区から森林鉄道があり浪江だと高瀬川から葛尾村の落合まで森林鉄道が伸びていたのである、全国的に網の目のように森林鉄道が張りめぐらされた山の資源を石材でも木材でも運んだのである
それが東京に運ばれたのである、また戦前になると原町紡績がありそこにも鉄道がひかれていて引き込み線があり横浜に生糸が運ばれていたのである

だから飯館村でも6000人の倍の人口を養えたのかとなる、それだけの数があるいうことは山村でも相当ににぎわっていたということである
それは日本全国で団塊の世代の子どもたちが増大して子供の遊ぶ声がいたるところに木霊していたのである、それはうるさいくらいだった
不思議なのはその時はみんな貧乏だったのである、電気製品も一つもない、家にあるのは飯台一つだったとなる、それはみんな同じだったのである
だからそんなに貧乏なのに良く子供が育てられたと思う、私の父親がミルクをもらうために並んでいたとかあり子供にまともに食料を用意されてもいなかったのである

そうした生活が戦後十年くらいで急速に変わった、日本は工業化して電気製品を輸出するようになった、その時山村の生活も変わった、人手は工業製品、電気製品を作るために必要となり中卒が金の卵として集団就職で東京に流れた
その時、下町の中小企業でも人手を必要としていたからである
その時から炭焼きの時代は終わり三種の神器の電気製品が人気になりもつようになった
白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫 この時から電気の時代になり炭の時代は終わったのである
そこで山村でも人手が必要とされなくなり人口が減っていった
産業構造ががらりと変わった、養蚕も消失していった
それとだんだん農業も機械化した結果が余計に人手がいらなくなったのである

何かこれまでの農村風景は村総出で田植えしたり稲刈りした風景が見られた
それは江戸時代からの光景である、それが機械化すると消えていった
何かそれでも人の活気が感じられなくなった 

稲作の国、日本の神事。住吉大社の「御田植神事」の田楽

村人の総出で田植え赤々とツツジの映えてにぎわう時かな

田植え自体が村人総出の祭りのようになっていたのである、そこで民謡が生まれた、共同で仕事することでそうなった、それで村には活気があった、早乙女が田植えの中心になるということはまさに若い人が中心であり活気があるとなった
今やそういう風景が消えてしまった、田があったとしてもそこに祭りはない、ただ米をとる場所としてある、村の共同は消失したのである
そこで文化も消失していたのである

とにかく飯館村とかどこの山村でも人口が今の倍とかありにぎわっていた
それだけの人口を養えていたのである、もちろん貧乏ではあるけどそれだけの人口があれば活気がでてくる、それも子供が多いから余計に山村でも活気があったとなる
それは産業構造とか機械化とかグロ−バル化による外材とか石油の利用とかがあり山村が衰退した

日本がなぜ衰退しているのか?また山村とか地方が衰退しているのか?
産業構造の変化でそうなった、そもそもなぜ原発事故でこの辺が住めなくなったのか?
それも産業構造の変化だった、電気社会になれば電気が一番重要な産業となるからだ
現実に事故になったと原発で千人の電気関係者が働いていたというのもそうである
つまりそのことが産業構造の変化を示していたのである
今度はロボット化とかAI化とかで人手がいらなくなり人手不足も言われたが人手を極力省くとなり失業者がふえるとなる
第一銀行などは相当に無駄でありAI化しやすいものだった
営業の人がプロだと思ってまかしたがまずAIに頼んだ方が良かったともなる
AIの方が人間より優秀なのである、翻訳でもAIの能力には驚いたからである

ただ山村とか地方に活気をとりもどすにはどうしたらいいのか?
やはり早乙女踊りのように何か若い人中心となった祭りとがあり子どもが多いとなれば活気がでる、今や少子高齢化でありもう原発事故周辺の避難区域になったところでは老人しか残っていないのである、それで町や村が維持できなるのかとなる
飯館村でも貧しくても人が倍以上いたしそれも若い人たちが多かった
すると村自体に活気が生まれていたのである
何か変だけどネパールに行ったら山の上でも若い人が多いなとみた
何かそこに仕事する若い女性がいて万葉時代のようにすら思えたのである
第一靴もなく裸足で歩いているのだからそういう時代がつづいているともなる
ただそういう場所でも若い人が多いということは活気があるとなるのだ

老人だととにかく病気の人が多い、その治療代とか薬代とかそういう費用がかかる
それが負担になる、仕事もできない、あとは介護してくれとかなる
自分自身も何か最近足が痛くなったり不自由になった、そんな人ばかり増えたら何であれ活気もなくなるし衰退するのは当然なのである
ベトナムなどはまだ若い人が多い、だからそういう国は伸びるのである
日本では東京すら今や老いる社会なのである、集団就職で集中した人たちも今や老人になっているからだ、日本全体が於いてく、老大国になってしまうのである
このこと自体が最大の問題でありいくらいろいろ言ってもここが解決しないと日本は衰退するばかりだとなる
ただ飯館村が1920年(大正9年)に6000人であり原発事故前も6000人だった
そもそも日本全国でも日本の国土の適正人口は6000万から8000万くらいなのかもしれない大正時代は東京でも三百万とかだったからである
つまり今からすると相当に閑散としていたが何か空間的には人工的にも余裕がある社会だったともなる、日本は狭い国土に密集しすぎたとなるからだ





posted by 老鶯 at 10:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

冬の鳥(ジョウビタキの写真)


冬の鳥(ジョウビタキの写真)
   
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冬の鳥来たりてうれし朝の庭
                                                                      

冬の鳥としてはこれは良くみかける、今日の朝に来たので写真をとった
これはメスだった、でもオスの方が色がきれいである
わかりやすいのは羽根に白い斑点があることだった

今度のレンズは接写して背景をぼかすのにはいい、花をとるにはいいがちょっと離れるとうまくとれない、鳥はどうしても遠くからとるから望遠になっていないととれない
何か写真はレンズの方が大事なのかもしれない、多様なレンズが本当に多いからだ
この鳥をとれたのは庭に来たからであり外てとるのはむずかしい
なぜなら鳥はすぐ飛んで消えるからである
だから鳥をとるのはむずかしいのである

鳥とか来るのはいいが人間が来るといろいろと嫌なことがある、だから自分は人嫌いで引きこもりになったのである、ただ自然とは接していたのである
不思議なのは意外と身近でも写真になるものがあることだった
最近は遠くに行っていない、どうも何か足が悪くなったり体が痛んでくる
自転車でも遠くに行くと足とか何か痛んでくる、そうなるとますます近間しか行けないともなる      

車がないから余計にそうなる、とにかくカメラを趣味とする人は多い
その理由もわかった、いい写真をとるということで自然を見る目が違ってくるからだ
そして写真は本当にとる場所とか構図になるポイントを見つけることも大事である
だから常に行ける身近な場所だとそれを発見する
遠くに行くと旅行するといい写真をとれるかと思うと簡単にできない
どういう構図でとるかを常に見ていないと試さないととれないからである
すると旅すると通り過ぎることがそういうポイントを探すのに時間がかかったりする
そこに住んでいればだんだんわかるのだが旅しているとわからないということがある

ともかく庭でもこうして鳥が来て変化をもたらす、それを写真にとるとそれが記憶となる写真の魅力が大きいとなる

2020年12月02日

冬の灯、冬薔薇、冬ごもり(俳句十句)


冬の灯、冬薔薇、冬ごもり(俳句十句)

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この薔薇は実際はこういう色していない、だから写真の方がきれいに見える場合がある
カメラで調節できるのである、だからカメラの技術をみがけばいいものがとれる
ただレンズとかがいろいろありめんどうになる
このレンズは安くても意外と花をとるにいいものだった
背景がぼけるようになるからだ


寂けさや庭に二色の冬薔薇

庭の石黙して静か冬薔薇

寂けさや塵もつかずや冬薔薇

開かじや蕾一輪冬薔薇

冬の鳥一羽来たりて去りにけり

狭き庭木の葉二枚の散りにけり

猫一匹我が家にともに冬ごもり

明るしや家居ともしく冬の月

冬の灯や障害者ここに住むを知る

猫一匹我が家にともに冬ごもり

家事追わる男やもめや師走かな

自分の性格は何かじっと見ていることに向いていた、まず人と付き合うことが苦手であり学校とか会社とか集団生活に向いていない、ただ若い時それではだめだと思い必死になり集団にとけこもうと努力していた、それで大学では一時体育会とか入ったりカルト教団に入ったりしていた
20代の時はむしろ集団生活に溶けこもうと努力していた
でも30代からは旅ばかりしていた、それも一人旅でありそこには人付き合いはなかった
そして引きこもりになった、家族が二人いてその二人とは親しくしていた
その二人は自分のために食事の用意から何でもしてくれたのである
それが60までつづいたのだから異常だった

引きこもりという時、繊細な性格で傷つきやすいとかある、そういう人は一定数いる
だからそういう人の向いているのは芸術とか宗教とか内面を追及するものである
ただ宗教となるとこれも実際は宗派によって相当に違うのである
キリスト教でもそうである、アメリカ流とかなるともうビジネスであり集団行動である
それは日本でもカルト教団があり同じである、そこは人付き合いができない人は入れないのである、第一毎日勧誘を奨励される、会員を増やすためにそうなる
そして日蓮宗きか念仏宗は一心に題目を唱えるから集団的でありうるさいのである
それで自分にあっていたのは禅宗なのである
デスタンスをとり座禅して話しもしないからである
だからコロナウィルスではデスタンスをとれというとき禅宗の時代だと書いた

三つ子の魂百までというとき何か自分は子供の時、じっとしてなにか催し物があってもじっと見ていたという、おとなしい性格だったのだろう、それは母親に似ていた
何かじっと見ている、それが性格的にあっていた
だから写生俳句というのが自分の性格にあっていたのである
芸術家とか向いていた、引きこもりはやはり性格的には芸術家が向いている
無理やり向かいなことをしてもかえって苦しくなるだけである
ただ芸術家では生活できないから回りがうるさくなるのである
自分にはそういうことはなかったので自分の性格にあったことを追及できたのである
ただ社会性が欠落して介護でさんざんな目にあったのである

冬ごもりの季節である、ここでは雪はふらない、それほど寒くもないから気候的にはいいのである、ただ家事に追われる、まず料理だけは手間がかかってできないのだ
それが一人暮らしの一番の問題である
ともかく冬ごもりは引きこもりである、今は猫一匹とあとは一人の老人の女性としか付き合わない、そういう生活が自分にあっているのである
何か犬と猫がいるとき自分は猫の性格なのである、今飼っている猫は触らせない、じゃれつかないとかかまわるが嫌なのである、そっけないのである
猫はそもそもなれなれしくない、とくにこの猫はそうである、だから自分もこの猫とあっている
あとはつきあっていてもしょがなくてしているだけなのである





冬景色、冬紅葉、冬桜、冬の菊(小高まで俳句十句)


冬景色、冬紅葉、冬桜、冬の菊(小高まで俳句十句)

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この時風が吹いて薔薇がゆれていた
それが表現されていない、ただこの写真はうまくとれた
遠くをとるレンズではないらだ

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冬桜

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冬桜が咲いていた場所


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浜街道の冬紅葉

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小高神社


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冬景色心に染みて古り住みぬ

家一軒色合い深く冬の菊 

十数輪風に吹かれて冬薔薇

奥の家知られずここに冬桜

蔵残し空家となりぬ冬の暮

社一つ落葉に埋もれ捨てられぬ

閑散と小高神社に冬紅葉

みちのくの街道暮れぬ冬紅葉  

みちのくに冬夕焼けやともに老ゆ

冬日没る余韻の深く黙す山   


今日は小高の方まで自転車で行った、冬景色がいい、それほど寒くもなく風もないので良かった、冬景色でありそれが心に染みるというとき人間はある場所に冬も住まないとその土地のことがわからないだろう、会津とかなると雪に埋もれた冬を知らなければ会津をまた雪国を知ることができない、冬景色が心に染みる、それはそこに住んでみてわかることなのである、それは厳しい冬でありそこで耐える日々であり籠る日々になるからだ
                                                        
堤谷の奥に桜が咲いていた、冬桜だろう、めずらしいと見て写真をとった

日本書紀の巻第十二「履中記(りちゅうき)」で、402年に履中天皇が磐余市磯池(いわれのいちしのいけ)で11月に船遊びをしていたとき、季節外れの桜を見つけたことにちなんで、宮を磐余稚桜宮(いわれのわかざくらのみや)と名付けた、というエピソードが記載されています。

今は磐余池(磐余市磯池)は残っていませんが、跡地とされるところが橿原市東池尻町に残っています。
宮である磐余稚桜宮の跡地と伝わるところは、現在桜井市谷の若桜神社(わかさじんじゃ)です。
若桜神社の境内にある「桜の井」が桜井の地名の由来でもあります

百(もも)伝ふ、磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を、今日のみ見てや、雲(くも)隠( かく)りなむ. 大津皇子(おおつのみこ).

この磐余の池なのである

とにかくこうして桜でもその磐余(いわれ)が古い、それだけの歴史が奈良にはある
その頃から季節外れの桜に注目していたのである
桜井の地名の由来だというのも驚きである、第一402年となればその古さに驚く
やはりみちのくとなればそんな古い記録が残らないからである 

堤谷の方で草が枯れた道をたどると家があった、その時ここには住んでいないと見た
やはり住んでいなかった、新しい蔵が残っていた、人はいなくなった
雰囲気で人がいないということを感じるのも不思議である
小高地区には歯がぬけたように空家になっているのが多い
堤谷の地区はソーラーパネルがびっしりと敷き詰められていた
あの光景も嫌だなと見たが結局土地を放置していても一銭にもならない、だから小高地区は土地があっても農業もやるのも大変だから簡単に金にソーラーパネルになりやすい
原発事故で荒地化した土地はソーラーパネルとか風力発電になりやすいのである

社一つがあった、石段を上ったがここにはお参りする人もないみたいだ、雷神社とかあった、何か捨てられる神社がある、人が住まないとそうなる
特に飯館村では人が住まないからそうなっている

なんか小高神社でも閑散としてわびしい、老人夫婦の店があった、何か陶芸を趣味でしていた、その子供世代は小高を出て帰ってこないという
他にも若い世代が小高を出て帰ってこないで老人だけが取り残されている
小高の街は車が通らない、人を街を通らないが車は通っているからだ
このことは次に書いてみよう

小高までそれほど遠くはない、今まで行かない山の道を行った、自転車でもそれほど遠くとは感じない、浪江となると遠くなる
帰りはすでに4時ころで薄暗くなっていた、つまり暮れつつあった
日が相当に短くなっている、冬至になるまで相当に日が短くなるから早めに帰らないとまずいと思った

2020年12月03日

小高の趣味でしている陶芸の店 (小高の復興はむずかしい?ソーラーパネルの町になるのか)


小高の趣味でしている陶芸の店  

(小高の復興はむずかしい?ソーラーパネルの町になるのか)

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この緑はみんな色合い違ってる、同じではない、陶器は焼き方などで
一個一個違ているから価値がある
ただ相馬焼の緑は陰気くさい、仏壇に飾るものだかといのもわかる
相馬焼の特徴はひび割れだという

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私も緑の茶碗を集めていた

それはこの緑から草をイメージして草深いという田舎をみる
まさにわび住まいの茶室にふさわしいとなる
その辺は通じなかった、なにかバイクとか車とかの絵も描ける、でもアンバランスなのである


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これはヘルメットなのだが洞窟の感じにもなる、そこに座禅する人を配置すると面白い
いろいろ能力があるだアンバランスなのである

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座禅草に似ている




織部釉の基本は、長石と草木灰をベースにした灰釉です。そこに酸化銅を加えることで緑に発色します。灰立ての釉薬の中に、緑の銅が流れているのが分かります。
緑の濃淡で表情が柔らかくなり、色彩に味わいがありますね。


小高の通りでいろいろ陶芸の器を飾っている店があった
入ってみたらそこは主人が趣味でしているものだった
でもかなり手のこんだものを作っているから相当に年期が入っているとも見た
これは相当器用でないとできないと見た    
その人が織部釉のことをしきり言っていた、織部焼というと文様が有名だからそのことかと思ったら違っていた

その人は何かいろいろなことができることに驚いた
若い時は最近でもバイクが趣味だった、だからバイクの陶芸作品を作っている
でもバイクが趣味な人が陶芸ができるのかという疑問だった
その人は高校の時、陸上の選手でもあった
今でも体が細いが柔軟で体がきくみたいだ
ただ癌の手術をしたとか末期ガンになっていたとも言っていた
だけど元気なのが本当に不思議である
もともと陽気な人で話がうまいとはなる
ただ近くでも癌の人がいるが普通に仕事しているのが不思議なのである
もう5年とかではないそれ以上普通に仕事しているのである
その人も手術から8年過ぎても元気なのである、野球もやっているというからスポーツマンなのである
今ではガンではすぐに死なない、医学がすすんだからである

その人と現在の状況を話しした、ここでもそうだが老人ばかりでどうにもならないと言っていた、その人の息子も遠くに行って帰ってこないという、もともと理髪店していたらしくその道具はあったが帰ってこないという
他にもこういう人は多い、息子娘たちは外に出て帰ってこないのである
もう十年も過ぎると生活も別になり孫でも移り住んだ場所が故郷になってしまう
そして老いてゆく不安を語るのもわかる
つまり老人ばかりの町や村が継続できるのかという問題である

やがて介護にとかなったら誰が世話するのか?
介護士とか若い人がいないからこの辺では青森に介護になった人を送っているのである
青森では仕事がないからそうなっている
外から若い人が入ってきても一時的でなじめないから帰ってしまったとか言っていた
一時的にはボランティアで来ているがここに住むということはなかなかできない
仕事を持つということもむずかしいからだ   
今の時代は戦後の引揚者のように山村に開墾に入るようなことはしないしできない
その時は仕事がないからやむなくそうなったのである

そしてコロナウィルス騒動で原発事故とか津浪でも関心がうすれてゆく、第一地元ですら津波のことを語っても関心がなくなる、だから十年一昔になってしまったのである
ただ地元にすれば南相馬市の一員なのだから関心がないですまされない
直接行政でもひびいているからだ、税金をどう使う

とか配分の問題もありそれは鹿島と原町と小高が合併したのだから当然なのである
同じ南相馬市民として無関心にはなりえないのである
だから耳ざわりなこともあえて言わざるを得ないのである
いろいろ補償金などでももめたがこれからはやはり小高でも復興してもらいたいとなるからだ

ただ小高は老人だけでもう何か負担だけになるのではないかという不安はある
もう荒地が膨大でありそこで農業する人もいない、結果的に堤谷のところの丘がびっしりソーラーパネルがしきつめられたようにそうなってしまうのか?
なぜなら利用しない土地をもっていても何もならないからだ
そこはソーラーパネルにするのには抵抗がないからいいとなってしまうからだ
誰も住んでいないければそうなる、放射性廃棄物の処理場とかにもされる
そこに住んでいる人がいないから反対しないからである 

ともかく通りを車が通らない、通りでも今は人は通らなくても車がひっきりなしに通る
鹿島区だと今まで通らなかった道をひっきりなしに車が通る
それは学校があり子供をのせて通学させているからである
原町と鹿島は移り住んだ人が多く子供も一緒になって移り住んだからそうなったのであるこの差は相当に大きい、人の出入りが小高は非常に少ないということである
ただ前よりは食堂とかレストランとか喫茶店でも増えた、喫茶店でも三つくらいあり多いと思った、それを運営しているのは外から来た人だという
私は喫茶店が好きだからそこで休めるといい、どういうわけか原町には喫茶店が少ないのである、いい喫茶店が少ない、相馬市にはいい喫茶店がある、松川浦でも喫茶店はある
また一軒ながめのいい場所で再開したというニュースがあったからだ

ただその店の人が言うのには工事の人が減り食堂でもレストランでも利用する人が減ったという、相当に工事関係者が減ったらしい、だから食堂でも喫茶店でも増えてやっていけるのかと言っていた、これからも減ってゆくから客が来るのかとなる
どう見ても何か明るいものがない、マルシェなどの建物とか集会場のようなものができても肝心の人が住まない、若い世代が住まないから子供もみかけない
高校生は通ってくるとしてもそれだけでは活気がもどらない

その人の話を聞いていたらこんな多趣味の人がいたのかと驚く
どうしてもバイクと陶芸が結びつかないからだ、ただ小高には器用な人がいると思った
知っている大工さんも本当に器用なのである
大工だけではない庭作りもできるし壁塗りまでしていた、そんなに一人でできるのかと驚いた、ここの店の主人もいろいろ器用なのである
まずあれだけのものを作るには相当に手がこんでいるから器用でないとできないのであるだから小高には器用な人がいる、多彩な趣味の人がいると思った
その町や村によって実際はいろいろな人がいる、でもただ知らないだけなのである
そういう店でも出していれば活気にはなる、何もしないよりはいいとなる

小高でもそうだが飯館もそうだし浪江でもそうである、問題は人が住むことなのである
若い世代が住んでそこで暮らすことなのである
飯館村でも50億円かけて立派な建物をたてても肝心のそれを利用する人が小学校なら5人とかしかいない、それも外から通学している人なのである
飯館村には住んでいない、そして別荘として新しいこじんまりした家があるがこれも人が住んでいないのである、だから人が住まない町や村に活気はないしさびれたものとなってしまうのである
そして老人だけが取り残され介護状態になったら誰が世話するのか?
若い世代は外に出て行って介護士はいないとなって青森の施設に送られるのかとなる
住み慣れた所から離れて最期を迎えるのかとなる

要するに南相馬市全体から見れば小高は負担だけが増えてくるのではないか?
そこで生産活動する人は少ない、若い世代がいない、シルバータウンのようになる
それが負担になってくる、また浪江町とかも隣にありそれも影響してくる
避難区域になった所から移住している人が多いからである
だから原発事故が広域的に被害があったようにその復興も広域的になる
いづれにしろ小高は荒地があれだけあるのだから何か有効利用するとなるソーラーパネルにするにはいいとなってしまう
でもそういう所に人間が住めるのだろうかともなる

冬景色心にしみて住み古りぬ

なんかこんな風景ではない、人は住まず営みはなくソーラーパネルの工場地帯のようになる、これも一部はやむをえないにしても町全体がそうなったらどうなるのか?
ただ別に人が住まないとそういうことに反対する人もいないからさらにやりやすくなるのである、人が住まなければ元の自然にもどるわけではない、かえって放射性廃棄物の処理場とかにしやすいのである、反対する人が住んでいないからである
だから人が少ない過疎地が選ばれるのである、そこでは生活が苦しいとかありそうなる
土地の有効利用ができないためにそうなるのである

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堤谷の廃屋

この前がびっしりとソーラーパネルがしきつめれてい

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posted by 老鶯 at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

The art of transformation


The art of transformation

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fruit

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space river

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Inner ring meeting

Looking at the original picture is a copyright violation
Is this also a creation?


2020年12月04日

貧困とは何なのか? (エンゲル係数から歴史をふりかえり考える)


貧困とは何なのか?

(エンゲル係数から歴史をふりかえり考える)

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戦後の焼野原から何が変わったのか?
それをエンゲル係数で見た時、食費の割合が戦後十年とかは極端に大きい
70パーセントくらいになる、でもどんどん食費の割合が低くくなって25パーセントとになっている
戦後十年の暮らしのは不思議は子供の時の体験であり大人としては体験していない
確かに食費に70パーセントを使っていたというのが実感である
家にあったのは飯台一つでありそれはどこでも同じだったからだ
もしかしたら燃料代はやはり炭だから高くついていたのかもしれない
今でもガス、電気代が払えないとかなるからだ
ただ風呂は木材の廃材とかを使っていた
それを新聞紙でたきつけるのが自分の仕事だった
大きなエネルギーとなると石炭だった、蒸気機関車が走っていたからである
そもそも鉄道は石炭を運ぶために作られていた、それは北海道をみればわかる
この辺でも常磐炭田がありそこから東京へ石炭を運んでいたのである

今日本全体が貧困化しているというとき貧困とは何か?
それが問われる、私が団塊の世代か経験した貧困と今の貧困は違うからである
まず街では水道がないのだから井戸水を使っていた
でも自分の家とか他でも井戸がない家があったがそれは無料でもらっていたのである
それで子供の時、近くの井戸から風呂の水をバケツで運んでいたのである
それを自分もしたからわかる、ふりかえれば風呂の水をバケツで一杯にするのは結構な量が必要であった、でもバケツで運んでいたのである

その時、水道もなければいろいろな物もなかった、その時の生活は食べることが第一でありその他に金をかけられなかったのだ、だからその時、電気はあったにしても裸電球一つであり外の道は舗装もされないない、土埃りのたつ道だった
そしてやはりまだ農業中心の社会だった
それで近くの農家の人が汲み取りにきていた、便所は外にあり肥料として糞尿はくみとられていたのだ、だから農家の仕事は汚い仕事にもなっていた
でもそれを汚いとは言えないものだった、なぜなら肥料となるものは貴重だったからである

要するに貧困の問題を考える時やはり歴史をふりかえる、貧困とはどういうものなのか、それを歴史的に比べてみる、それは自分自身の経験からすると70パーセントは食費に費やされあとは何も物は家にもない、本も一冊もない、それから新聞紙は風呂のたきつけとか便所紙として利用価値があった、紙は貴重なものだったのである
戦前になると鉛筆は貴重であり短くなって書くことができないくらいまで使っていた
大正生まれでは学校に通えないで小説読んで字を覚えたとかいう人もいた
つまりまともに学校にも通えない人がいたのである
ネパールとかなるとボールペンもないからくれとなっていた、書くものがないからそうなる

そもそも貧困とは何なのか?最悪の貧困は食べるものがないことだろう
まず食べるものにしても戦前だと私の母は原町紡績で糸取りをしていた
その時のオカズはタクワンとと味噌汁くらいである、そんなもので良く働けたと思う
今いくら貧困でもそこまでにはならない、何かしらのオカズは食べている
貧困を歴史的に比較すると食べることに費やされる、だからエンゲル係数でも70パーセントがその時食費に消える、現代では25パーセントになるというときその差が歴然としている

また私の家では家を貸していた、部屋を何人かにアパートのように貸していた、それで毎日家賃をとりにまわっていたと聞いた、それは戦前のことである
毎日家賃とりにゆくのはその日暮らしだったからなのか?
それも手間である、そは江戸時代の長屋暮らしのかともなる
貧乏な時代は酒でも計り売りであり酒樽から必要な分を買っていたのである
御菓子とかでも計り売りでありバラ売りだったのである
袋は新聞紙で作っていたのである、新聞紙にはこういう別な用途があった
情報を得るというだけではない用途があったのである
それは新聞紙でも紙が貴重だったからである

それでどういう状態が貧困なのか?

それは必ず電気、ガス、水道が月末に止められる人が貧困になる、なぜならその時料理すらできない状態に追い込まれるからだ
昔でも炭を使っていたから炭がないと料理もできないとなるが後は水は無料であり洗濯でも裏の堀の川でしていたのである
金がかかるのは炭代だったとなる
その時だったら電気,ガス、水道代が払えないと追い込まれることはなかったとなる

現代の貧困は電気、ガス、水道代とかあとは携帯も必需品でありその金が払えなくなる
そして田舎だと車が必需品でありこの出費が大きい、それは相当に家計の負担になっている、それが田舎の出費で大きいとなる
別に車がなくても暮らせる、自分は暮らせているからだ、ただ仕事とかなると車が必需品になる 

現代の貧困は電気、ガス、水道代や携帯や車代、冬にるなと暖房の石油代とか・・・食費意外のエンゲル係数が大きくなっている、それが負担になった貧困だとなる
それを払う金がない貧困になる、月末になるとこれらが払えない所帯が70万とかいるとなりそこが最低の貧困者だとなる
それで近くの人が電気を消して暮らしているとなる、風呂にも入らないとかなる
昔は銭湯があり自宅に風呂がなかった家も多かった

いづれにしろ何か現代の貧困の矛盾は例えば大学生が学費を払えないで奨学金とか風俗とかで稼いで学校に行っているというのも何か変である
苦学生が昔からいたにしろそれとも違う、風俗とかで楽して金を得て大学に通う
そんなことまでして大学に通うというのも疑問になる
親の生活苦とか借金で娘を身売りしたという追い詰められたものでもない
それほどまでして大学で学びたいのかともみる
そもそも大学などは戦前ではほんの一握りの人しか入っていない
今五割も大学に行っているというのも時代である
だから大学生が特別な価値をもっているものでもないのである
一部の有名大学をのぞいてはそうなる

ともかく貧困とは何か、それが問われている、高度成長時代から日本では貧困がわからなくなった、でもその貧困に大勢が直面するからとまどうとなる
それは豊かな暮らしの中で豊かに暮らすものが負担になってきたのである
電気、ガス、水道代とか携帯代とか大学の学費とか・・・食費意外のものに払う金が枯渇してきたのである
それは確かにエンゲル係数のグラフを見れば一目瞭然だとなる

posted by 老鶯 at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

大阪府 吉村知事「医療非常事態宣言」で看護師80人募集 (でも集まらない理由)



大阪府 吉村知事「医療非常事態宣言」で看護師80人募集

(でも集まらない理由)


医療崩壊の瀬戸際」大阪で何が?吉村知事に高まる批判。コロナ重症センターの看護師が集まらない?!維新の会の無策。作家今一生さんと一月万冊清水


日本は緊急事態に対処できない国になった (医療崩壊は起きないー医者、看護師は十分にいる)



一月万冊で言っていること指摘したことは共感する
大坂でコロナウィルスの重症患者が増えて重症者センターを設置してそこに80人の看護師を募集している、月給は50万だという

でもそこは野戦病院であり特攻だ!

まさにそうである、すでに対応している看護師はうつ病的になっているとかありそんな場所にわざわざ危険を犯して他から看護師が来るのかとなるのも当然である
つまりその動機がないからである            

誰のためにそんな危険な仕事を引き受けるのか

金のためなのか

その患者は60とか70とか80以上の老人であり80以上なら寿命じゃないの

そんなところで働く意味があるの、うつされてコロナにかかりたくない

要するにそれだけの危険を犯す動機がない、戦争の時、姉が従軍看護婦となり戦地に赴いて地獄の苦しみを味わったのは国のためにという大きな動機があった
それは従軍看護師だけではない、国民全部が兵士が命をかけて国のために戦っていたのだからである、それが赤紙一枚で招集されても行かざるをえなかった

でも現代の働く動機は何なのか?

国家は関係ない、みんな私的動機で働いている、金になるかならないかまず考える
医者でも看護師でもそうである、ただやはり他人の命にかかわるから他の仕事とは違っている、医者は特別尊敬されている、それは金銭的にも恵まれている
それだけ医者は現代では日本では尊敬されている職業である
あとは今社会で尊敬される職業はないくらいである
それだけ尊敬され待遇もいい、でもコロナウィルスでそうしした場で働きたくないとなる特に看護師は別にもともと給料もいいわけではないしそれほど尊敬されるというものでもない、医者とは待遇が違うからである
となるとそんな危険な場所には行かないとなる

現代とはそうして日本では特に戦争に負けて国家とか意識できなくなっていたのである
みんな私的なもの金のためにしか働かない、金が万能になっていた
なんでそんな危険な場所で働かなければならないのか、給料50万でも安いとかなる
それよりその動機がもてないのである
命を助けるためだコロナウィルスと戦うためだとしてもそれで犠牲になる動機もないのである
戦争の時は国民一眼となって戦っていたのだから強烈な動機がありそれで一体となり戦っていた
戦争に負けてからそういうふうに国民が一体となり協同して危機に立ち向かうという経験をしていない、そんな危険な場所では働きたくないとなる

こういう国家的危機になったら広く言えば人類的危機となれば何かしら金銭的なものだけで解決しない、人類一体となり危機に立ち向かうとかの連帯が必要になる
それは個々人がそれぞれの国々が利益を追求するのとは違った動機になるのである
それでも国でも会社でもワクチンを作り大儲けしようとかにもなる
純粋にコロナウィルスと戦いそして人類を救うとかにはならないのである
どこまでも利益が付きまとっているのが現代なのである

現代は個々の利益追求の社会である、家族のためとか個々人の利益のために働く
でも国家の危機の時は赤紙一枚で招集されて戦地に送られたのである
今なら国家が大阪の重症者センターに地方からでも看護師を募集して強制的に送るとなるそれはもはやできない、国家の強制力もないし常に国家を否定してきたからである
だから日本は中国でも侵略したら国民が一体となって戦うということもありえないとなるなんで国家のために犠牲になり死ぬんだとなるからだ
コロナウィルスは国家的危機なのである、でもそれに対して強制して看護師を働かせることもできない、それでもうコロナウィルスにかかっても病院には行けない
自宅療養するほかないとしている、病院はもう受け付けないからである

医者も看護師ももうこれ以上コロナ患者は受け付けません、医者も看護師ももうこれ以上危険を犯すことはできなません、家族もいるし子供もいるし子供も保育所でコロナにうつると差別されているという
むしろ励まされる立場の人が差別されているのである
ご苦労様と言われて感謝されるべき人が差別されているのである
こうなれば指揮があがらない、そもそも国家のために働くとかないから指揮が上がらないのである、国家のために無料で働くのか、犠牲にされるのか、そんなことしたくないとなる

何か社会はすべてが金のためであり私的利益のためであり公益のためにとかの動機がなくなった、ナイチンゲールなら敵であっても看護したというときそこに崇高な看護師の姿があり模範になった、でも今はそんなことないのである
すべては我が身大切であり金のためにしか働かないのである
別に普通ならいいが緊急事態のときはそうしていたらもう危機に対応できない
そうして伝染も防げないとかなり敵が攻めてきても戦うこともしない、犠牲になるのは嫌だとなるからだ、そうして国も滅びてしまうとなる
緊急事態にどうすればいいのか政府でも国民でもその最前線に立つ医者でも看護師でも
ただめいめいの思惑とかあり一体化しないのである

ただ日本は外国と比べればまだまだ感染者でも死者でも極端に少ない、なのにもう医療崩壊だとしうている、それ自体が何かおかしい、医療がそれほど脆弱だったのかとなる
それより政府にしても国民にしても医療関係者でも一体となり戦う体制が作れない
経済活動をとめることはできないというのもわかる
そのために自殺者が増えているというのも危機である、でも何かちぐはぐでありそれぞれの保身にばかり目が向いている

要するにどういう方針でやるのか定まらないとなる
こういうときいろいろな要求がありまた医療関係者でも犠牲になりたくないとかありそういうふうにそれぞれが勝手にすれば治められない
そこで強力なトップダウンの支持が必要にもなる
みんな銘々言いたいことを言っていたらまとまらないからである
確かなことは日本は緊急事態に対応する経験を戦後70年はしていない、そういう対応を否定してきたのである、だから危機に対応できないのである
原発事故でも全く対応できなかった、どこに逃げるべきなのか指示もできなかった
なんかそれとも似てるのある、みんな右往左往しているだけだともなる


posted by 老鶯 at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年12月05日

人間の価値は歴史的価値となり消えない (死んでから人間の本当の価値がわかる)


人間の価値は歴史的価値となり消えない

(死んでから人間の本当の価値がわかる)


人間は死ぬと何も残らず消えてしまうのか?
人間が死ぬと十年くらいすぎると家族だと何か死者はどうなってゆくのか?
それで弔う(とむらう)とは問い明らかにすることだというのもわかる
死者のことを問い明らかにする

それは死んで十年くらい過ぎると人の心は死者をいたむことから冷静になりその人自身が何であったのか問うことになる、それが弔うになる
その時真にその人の価値を人間の価値を問うことになる

価値と言っても人間にはいろいろな価値があり多様である
家族で生きるとその家族の中でどういう役割を果たしたのかという価値を問う
ぐうたらで迷惑ばかりかけていたような人は死んでも血がつながっていても弔うこともできない、ただ苦しめられ迷惑ばかりかけていた親だったら弔うことすらできない
何ら価値を認めることができないのである

ただ人間の価値というときそれが様々でありだから他者からみてその価値がわからないのである、家族でどういう役割を果たしたのかとなるとそれも他のものはわかりにくいからだ、家族でも一様ではないからわかりにくいからである
人間の価値はそれだけ多様なのである
この人間は生きる価値がないとか生きた価値がないとか社会で言ったとしても家族では価値ある存在の人も普通にいるからだ

歴史的価値というとなるとそれは一家族の問題ではない、日本国家から日本の歴史から世界史での価値とまでなる
それで戦争のことをその価値を弔う(とむらう)問うことがむずかしくなる
それで自分の家族の一人が従軍看護婦だったということでその歴史的価値を問うことになる
今でも墓に二等兵だとか一等兵だとか日本軍の位を墓に刻んでいるのが普通にある
でもそれを見て日本軍の位がどれだけの価値が今認めているのか?
この人は日本軍の位で高いから価値があったと認めているだろうか?
今になると何か自分自身でもそんな位が意味あるのだろうかとなるし注意している人すらわずかだと思う、つまり価値を認めなくなったのである

ただ私の姉が従軍看護婦としてマレーシアのジョホールバルで四年間苦しみ働いてことを聞かされた、そのことが戦争に負けたからといって全く価値がないとはならない
それを感じたのは今コロナウィルスで医療崩壊するとか危険だから募集しているけどやりたくないとかなる
それを見ていて国家のために命をかけて働いた看護婦がかつていたということをふりかえる
それが価値ないこととはならない、今はただ金のために働くだけであり医者は危険をさけているしそうできるが看護師はできないという、つまり看護師の方が直接危険にさらされている、いくら50万もらっても割に合わないとなるかだ

つまり人間の価値はどうして生まれるのか?

その時々や時代によっても違ってくる、また歴史的価値となるものは百年後でも二百年後でも見直され注目されることもある、でも全く捨て去れる価値もあり人間もある
ただ長く歴史の中で生き続ける価値がありそれが本当の価値だとなる
それは死後もさらに歴史の中でその価値は衰えることなく生き続ける
その時その人は死んでも生き続けるとなる、つまり死ですべては終わらないのである
ただそれだけの価値を持ち続ける生き続けるとなると相当な功績がないとありえないとなる

今日ドラマで特攻隊のことをやっていた、その特攻隊員は出撃する前に5日間くらい恋人とあい別れた、でもそれが最後の別れではなかった、途中徳之島とに不時着して生き延びていたのである、でもその後は戸籍からも存在を消して亡霊のように生きていた
そして40年後くらいなのか恋人とあった、でもその人に何か価値があったのか?
その人は特攻隊として死んだ時価値が生まれていたのである
その後の人生は別であり身を隠して生きていてもそこに価値は生まれなかったのである
それは新たに別な価値を作りだして生きることになったからである
40年となれば長い、だから昔の恋人とかはもう価値を共有できない
その人が特攻隊として死んだ時、国家的価値として残されるともなった
ただそれを無価値だともされるがその人の価値は時代を生きることは特攻隊になり死ぬことだったのである

人間は死ぬと最初はただ悲しいとかなる、でもだんだん時間が過ぎるとその人を弔う、
その人を問うということで弔(とむら)うになる、その人の価値を問うということになるその人の一生の人生を問い弔うとなる
本当に価値ある生を送った人は死んでも生き続ける、不朽のように生きつづける
その時、その人は死なないともなる
ただそれは今を見てはわからない、今は価値のない人でも作品でも価値あるとされる
でもその人は死んでも百年後とかに価値ある人ならその人は歴史の中で生き続ける

歴史の中で不朽の価値を残す者
それは死んでも歴史の中で生き続ける
その価値は衰えることなく
純金のように輝く価値
それは色あせることなく価値を増して輝く

ともかく歴史の中で何が価値あるものなのかというときまだ見出されない価値もある
百年くらいではまだその価値が確定されないとなる
歴史的価値とは百年では短く判定されないのである
それで明治維新でも今にになるとその価値判断が変わったりするのである

2020年12月06日

冬夕焼け(スーパーヒタチの写真)


冬夕焼け(スーパーヒタチの写真)

expresshitachisunset1.jpg
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写真はある場所を決めてとるといいもしれない、特に動く電車などはそうである

それで塩崎のところは構図としていいから撮っている
今回は冬夕焼けを背景にしてスーパーヒタチを撮った
ただ電車に明かりがついていないので物足りないとなる
時間的に5時ころになるがその前にもう夕焼けになっていたのである