2020年11月28日

未来とは何なのか? (今していることが未来を作っている)


未来とは何なのか?

(今していることが未来を作っている)

willには何かをしたい達成したい作りたいとか強い意志を示している
未来への強い願望がある、だから単なる・・・になるとかの意味はない
日本語だと何かあいまいな言葉なのである
英語だったら必ず主語がありI will make my house とかなる
それは主語があって自分の家を作るということである

willは強い意志として家を建てることを目的としてある、そこに主語もありその主語となる人物が家を建てる目的がありその目的に向かって強い意志を働かせるということである日本語だと何か未来というとき未来は何か・・・だろうとなり未来は何もしなくても人間の意志を働かせなくても棚からぼた餅のように与えられる感覚になる

未来とは何かとなれば今していることが未来なのである、家を建てたいと思えば何かしらそのために資金を集めるとか計画して実行しない限り建たないのである
それをもし自作するとしたら土地を買うとかそこに地盤を作るとかしなければならなくなる、その時家が建つという未来が生れてくるのである
ただ何もしなければ未来は生れないのである

本一冊を読むにしてもそれはその時理解できなくても理解しようとしたその人の意志があり読書もできる、その意志がなければ本でも読まないからである
何か音楽でも楽器を覚えたいとしたらすでに楽器を買い楽器を練習しているだろう
何もしなかったら一つの楽器でも覚えることは不可能である
そこに未来はないとなる、だから今なにをしているのかが未来なのである

奇妙だけど引きこもりでも未来がある、何もしていないようでもその人の好きなことをしていればそれが未来に通じているのである
芸術とかを追及しているとかでもそうである、それは認められないにしろ引きこもりその人が今していることが未来なのである
未来とは今何をしているかなのである
未来があるとか未来がないという時、すでにその人が何かをしていて芸術でも何か萌芽があれば未来があるとなる
現実に私自身は俳句とか短歌を二十代からはじめたとしてもただ五七五とか言葉でも並べていただけなのである、でもそれをつづけいたら未来がありえたのである
今になるとそれなりのものを創作できるようになっているからだ

未来は何か何もしなくてもただ幸運のようにやってこない、今何をしているのかが未来なのである、未来とは今のことなのである
例えば今作られているものはすべて最初からあったわけではない、鉄道にしても道にしても作られたものなのである、建築物でもそうである
それを作ろうとした人がいてできたものでありそれが形となったのである

だから今を無視して未来はありえないのである、時間にしても今があるが過去とか未来の時間はないともなる、それが時間の不思議である
死ぬということは今の時間がなくなることなのである、何かをするということもできなくなるからである

要するに今という時間にしてきたことが積み重ねが知識でも技術でもなんでもその人を作るということである、ある人が楽器をうまくひけるな、絵をうまく描けるなとかいい文章を書くなとかでもそれは一朝一夕にはできない、相当な訓練と積み重ねが必要になる
この人はピアノがうまいなというときそこまでうまく弾けるのはそれだけの積み重ねがあったということである
今の積み重ねによって上達したとなる

例えばこの辺の津浪とか原発事故の復興でももう被害にあった人は十年過ぎても何もしない、ただ他の人が復興してくれるとかの意識になっている
あとは補償金をもっとよこせという運動することであるとかなる
個々に何か復興するということをしていない、土地があってもそこで畑を作り実りをもたらそうとすることもない、ただ荒地になっているだけである
そこに人間の意志(will)が働かないからである、だから未来がないともなる
未来が生まれないのである、未来とは人間の意志が作るものであり誰かが作ってくれるものでもないからである

この辺には未来がない

こういうときその人たちは今何もしない、何かわずかでも努力する試みもしない
もちろんその試みをしている人たちもいる、それは外から来た人たちでもある
そこに未来が生まれるとなる、花栽培しようとかなればそこに未来が生まれているのである
未来は棚からぼた餅のようにやってこない、未来を開くというときもそうである
拓くために力をそそがねばならない、道一つにしてもそれが何もしないでは生まれないのである

だから今何をしいるのか?毎日テレビばかりとか何か無駄なことに時間を費やしていると未来はないとなる、何か勉強するわけでもない、ただ馬鹿騒ぎを見ているだけだともなるからだ、やはり本を読んだ方がいいとなるのである
そして遂にその何かをする今の時間が消失するのが老人なのである
老人は何もできなくなる、ただ今までしたことを時間を費やしたことを表現するとなるだけである
その表現するにしてもただ無駄な時間を過ごしていたら表現することすらないとなる
今の時間に経験をしなかったら将来も老人になっても何も語るものもないとなってしまう時間はたちまち飛んでゆくからである、そして人生に何も残さず死んでゆくともなる

とにかく未来とは漠然としてどこからかやってくるわけでもない、今それぞれか何をしているかが未来なのである、だからこそwillは意志なのである
何かを達成しようとする作る意志なのである、その意志があって未来がありうる

結局時間は限られている、その限られている時間を必ず無駄にしているのが人間なのである、そのことを後悔するのは老人になって痛切にわかる
残された時間がわずかになり後は死ぬだけだとなるからだ、もう何かをする時間はなくなるのである、ただその人がしてきた結果があるだけである
老人に未来がないとはそのことなのである、子供や青年に未来があるというとき何かを今にする時間が豊富にあるということなのである
でもその時間が消失しやすいのである、そして時間は戻ってこない、人生の時間はたちまち切れてしまい死ぬだけだとなってしまうのである

また未来というのは方向でもある、右に行く道があり左に行く道がある
右と左では違った風景が開ける、でもそこで選択しなければならない
それは若い時に起きる、ある会社にとどまるかとどまらないかとか決めるのもそうであるもしその会社にとどまっていればそのまま悪い方向に行くかもしれない
ただ決断して別な道を行けば未来が開けるということもある
それは時間がたってみないと人生をふりかえってみないとわからない
あの時あんな会社やめて良かったとかふりかえるのである

例えば日本航空をハイジャックして北朝鮮に渡った赤軍とかの若者たちはそれからそこで暮らして二十代の子どもいる、
(よど号はハイジャック事件)そして何か北朝鮮のスパイのようなことをしていたのである、それで日本に帰りたいとなったのである、でもそこで方向が間違っても引き返すことができなかったのである、それが人生の怖さだとなる
間違ったからと何回も引き返すこともできないからだ
その人生は北朝鮮に向かった時決定していたのである
若い時に未来を決定したのである、若い時にはこうしてその人の方向が決まるから怖いのである、間違った道を行けばそのまま間違った道を行きもどれなくなるのである
若い時に未来は決定されたともなるのである