2020年11月27日

日本は緊急事態に対処できない国になった (医療崩壊は起きないー医者、看護師は十分にいる)


日本は緊急事態に対処できない国になった

(医療崩壊は起きないー医者、看護師は十分にいる)

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絶対報道できない真実※ 皆さん政府の嘘に気づいていますか?日本の対応はもはや中国以下です

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週間新潮12月3日



テレビを見ていると言われるのが医療崩壊する、もう限界だという医療関係の人たちの声である
でも素人的にみても重症者でも死者でも日本は百人以下とか少ないのである
そんな数もこなせない日本がの医療体制なのかと疑問になる
外国だと重症者でも死者でも十倍とか百倍とかにもなる、日本でそんな医療体制がないのか?
それが本当に素人的にみて思う
武田邦彦氏が指摘していることが本当だと素人でも思う

ではなぜ医療崩壊、医療崩壊と言っているのか?

それは医者でも看護師でもコロナウィルスにかかわりたくない、感染するのが嫌だからとなる
それで医者でも高額な給料を国民が払っているのだからこういうときこそ働くべきだとしている、医者はコロナウィルスで患者が来なくて暇なのだからそれができるのにしない
要するに自衛隊とか消防隊とかは戦争になったら真っ先に戦場に行き火事場に行きそこで命を落としても仕事するのが勤めだとなる
そのために国民が金を払っているのだ、だから国家の緊急事態にこそ命をかけて働いてもらわないと困るとなる
特に医者は高級取りなのだからその務めを果たすべきだとしている

おそらく日本という国はあまりにも平和が戦後70年もつづいたので国家の緊急事態に対処できなくなった、国家自体で困難に当たるという経験をしてこなかったからである
だから国家の緊急事態があっても国民が一体となって緊急事態に対処する、戦うということができなくつなった
だから日本はもう戦争があったりしたり中国が攻めてきたりしたら対処できないのではないか?
それを右の人たちが憂いるのもわかる、日本は国民が一体となるから強いと言われて来たでもそういうことは戦前までであり戦後はただ銘々が個々人が経済活動に集中して豊かになることが国家目標になったのである
それで高度成長時代があった、その時国家のことは考えない、ただ各自の利益であり金だけが価値となったのである、金になればいいしかなくなったのである

医者になる人ももともと金になるから医者になるとか家の跡を継ぐために高額な大学の授業料を親に払ってもらってなるとかそういう私的な利益として医者になる
そこに医者の使命感などない、どこでも第一は金だとなってしまったのである
職業倫理などなくなったのである

戦争のことは常に戦後は否定され続けてきた、だから戦争とは何か不明になった
でも私の姉はシンガポールの今のマレーシアのジョホールバルでで従軍看護婦として4年間必死になって働いた、それこたそ命がけだったのである
そこはまさに野戦病院であり医療道具すらもたりない極限の状態だったのである
チフスとかにもなり苦しんだ、第一傷病兵は看護するのだから並大抵のものではない
それはそこだけではない、戦争の時はどこでももう生きる死ぬかであり日本人が火の玉のようになって一体となり戦っていたのである

戦争を美化したりいいとは思えない、ただ国家の緊急事態になればやはり国家のために犠牲になっても務めるということが強いられる
それぞれの職業でもみんなそういうことが求められる、特に医療関係者は第一線に立たされる、それを否定してとにかく安全第一で身を守ることしかない
ただ給料だけは金だけは得るでは成り立たない
だから医者だけは今でも金だけで恵まれるのではない、特別尊敬もされているのである
あとは学校の先生とかいろいろ職業があっても尊敬などされない、第一議員すら尊敬されない、まず今の世の中で尊敬される人は医者くらいしかいないのである
それだけの地位もあり金も得てさらに尊敬される立場にある人が肝心な緊急事態に働かない、コロナウィルスとはかかわりたくない、伝染されたくないということでいいのか?

ただそういうことは日本社会全般に起きていることであり責めるということもできないのかもしれない、日本にはもう国家というのはなくなった
ただ個々人の私的利益の追求社会になった、別に医者になるのも崇高な目的などない
金になるからだとなっているからだ、だから当然命にかかわるとなるとコロナウィルスにはかかわりたくないとなった
それでただ医療崩壊医療崩壊と言っているだけだとなる
それよりコロナウィルスにかかわりたくないからそう言っているのだともなる
だから個々人は家で各自治療しろとまでなった
医者は肝心なとき安全地帯にいて何もしないということである

日本はもうこうなったら国家を守るとかはできない、なぜなら誰も国家のために死んだりするのが嫌だからである、ただ利益だけを追及するだけの社会だからである
国家があったとしてもそれは各自が個々人で利益を得るものとして国家があり国家のために犠牲になることなど常に否定されてきたからである
だから日本の国家自体物的なもの武器があるとかないだけではない、日本を守る精神が消失しているからもう守れないともなる
私自身は右でもないし左でもない、ただ国家の緊急事態になったら右も左もなくなる
国家総動員令のようなものが必要になりそれて国民が一致して戦うことが強いられる
そういう自覚が国民自体にも政府にもない、だから都市封鎖しろとかではない
それはと必要ないと武田邦彦氏も言っている
そのことではなくなぜ医療崩壊のみが声高に叫ばれるのかというのはおかしいのである
マスコミもこのことばかり医師会の拡声器のようにして放送するだけなのである

要するに日本は緊急事態に対処できない国家になったのである
それは原発事故でもそうだった、最初に頼ったのがアメリカだったのであれ、アメリカ人よ、助けてくれとスピーディの放射線量の結果を送ったのである
そして地元の人には避難指示もしない、どこに逃げるべきかも指示しないから浪江では一番危険な山側の津島に町長の命令で避難したのである

何かコロナウィルスでもこういうことが起きているのではないか?

政府の誤った指示が出されて国民は間違った方向に導かれる、それが医療崩壊、医療崩壊と騒いでいることになるのではないか?
それに追随するのがマスコミである、原発の安全神話に参加したのもマスコミだったからである、地元の新聞でも安全神話の加担者だったからである
それに地元住民も追随したからである
とにかく何か歴史は繰り返すカルマである、戦争のことは否定されつづけたけど同じようなことが国家にも起きてくる、これだけ次々にいろいろな災難が起きているのもそうであるだから戦争でも国家でもすべて否定するのは問題だとなる

国家を維持するために命がけで戦った人たちがいる、それをひべて否定することはできない、現実に今は国家のために犠牲になる人はいない、最前線に立つ医療関係者もいない
そうしたら極端になれば国家滅亡にもなる
だから歴史は常に現代を考える時ふりかえることが必要だった、それは津波でもそうだった、それを忘れる時人間はどう対処していいかもわからなくなる
ただ私益のみが優先されて国家が全体が崩壊するともなる

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従軍看護婦の姉と招集令状の電報


posted by 老鶯 at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

無人駅でまだ利用の仕方がわからない人(老人)がいた (無人化で弱者は捨てられる)


無人駅でまだ利用の仕方がわからない人(老人)がいた

(無人化で弱者は捨てられる)

久しぶりで駅によった、昼間には弁当など必ず買うので駅に寄っていた
それで無人駅であり聞かれることがあり案内していた
その後いろいろあってしていなかった、仕事も終わったと思っていた

ただ今日老人が電光掲示板を見ていた、そしてノートにその時間を書いていた
時間を知りたかったらである、つまり時刻表がないからわざわざノートに書いていた
別な場所に一日の時刻表の掲示板があったが電光掲示板の方を見ていた
それで案内した、カメラがあれば写せばいいものだった

そして乗車証明書のあることも知らなかった
たいがいもう地元の人だったら知っているはずだからである
だから地元の人の案内は終ったと思っていたのである
それからコロナウィルスがあり話しにくい、外から来た人もなかなか話しにくいことがあり駅によることもなかった

鹿島駅は高校生の見守り役がいるとしても昼間はいないのである
ただ駅の業務をするなという約束で高校生の見守り役をしているのである
なぜそうなったのか、それは駅の業務をするとJRで金を払わざるを得なくなるからだとみている、それで前の自転車屋までにその高校生の見守り役に何も言うなと言ってきたという、それほど何か駅のことにかかわらせたくないのである
見守り役は特別そうしたのであり市の方で金を払ったりするから仕方なくそうしたのである

とにかく全国で無人駅はこれからも増えてゆく、第一東京とか大都会でも無人駅にしているからである
それで盲人の団体が抗議していた、やはり危険になるからそうなる
でも実際車椅子とか盲人のためにわざわざ隣の駅から呼び出されて案内するというのも手間だとは見ていた
嫌でもしょうがなくてしていたのだろう

ともかく鉄道は赤字路線が多く維持できなくなっているのだ
コロナウィルスも相当に影響した、その損害は大きなものだった、何百億の損失とかにもなった、人との行き来が制限されると交通関係は大打撃になったのである
これはバスとか航空会社でもそうである、
最近また感染者が増えたからまた乗客が減ってゆく

航空会社が鉄道と関係ないようでもしている、なぜなら仙台空港が名取にありそれを利用して大坂とかから来ている人が結構いたからである
仙台空港は直接に仙台駅と結びついているからである
このコロナウィルスの交通の影響が大きかった、ウィルスは人から伝染するから人の行き来することが一番のリスクとなったからである
それで江戸時代のような交通が発達しないと見ている時代でもコレラとかの感染はとめられず拡大したからである
だからこれだけ交通が発達した時代はかえってウィルスにとっては広まり安かったとなる便利なものがかえってウィルスには都合いいものだったとなる

だから何かグロ−バル経済とか交流とか交通が発達することがいいものに見えていた
でも物事には必ずいい面と悪い面がでてくる
グロ−バルに人、モノが自由に国境もなく出入りする、それが限界に来たともなる
そのマイナス面が出てきたのである,ウィルスにグロ−バル経済は弱かったということである、だから社会自体の見直しまで要求されるようになったのである

いづれにしろ前からも言っていたが時刻表がない、配られていないことが問題だった
おそらくその人は老人だからネットを見れないこかちそうなっていたのである
無人化すると老人はITに弱いからそうなる
IT弱者の問題が無人化ででてくるのである
ただコストの面でそうした弱者は切り捨てられるのである

人は経験からしか学べない (聖書でもいくら読んでもわからない-農業もわからない・・・)


人は経験からしか学べない

(聖書でもいくら読んでもわからない-農業もわからない・・・)

経験が人間を作るのであって知識とかではない、いくら知識があっても経験しないとわからない、それで失敗したのは海外旅行だった
50歳から海外旅行したので遅かった、それまで外国についての本は読んでいた
でも外国を知るには外国に実際に行ってみることである
百聞は一見にしかず...なのである
例えば日本に来た人が富士山はきれいだよと伝える時いくら伝えられてもわからないのである、写真を見てもわからない、百聞は一見にしかず・・になってしまうのである
だからこれほど海外旅行が盛んになった理由もわかる
いくらテレビで放送されても実感できないからである

経験しないとわからないことがこの世にいくらでもある、結婚していない人にとって結婚とは何かもわからない、子育てしない人でもそうである
そこに経験がないから理解できないのである
職業が違うとその職業が経験しないからわからないのである
医者の人を理解するにしても医者としての経験もないのだから理解しようがないのである患者としてみてもらうだけであり医者の人の気持ちとかその職業がどういうものか理解できないのである
農業でもそうである、農業がどれだけ大変な仕事なのかその仕事をしてみなければわからないのである、ただ農業をしていた人に経験した人に直接聞いたのでその苦労がある程度はわかった、でもこれも実際に農業してみて農業とはどういうものか知る   

こういうことは経験かしか詩にもできない、そこには語り尽くせない何かがある
それは経験者しかしらないものがあるからだ
スーパーでただジャガイモを買っていてはそれを生産する人のことなどわからない
だから食料が貴重なものだということもわからない
ただ安いか高いかうまいかうまくないかとかしか見ないからである
つまりそれを作っている人の気持ちは農業だけではない、何でもそうだとなる

それで山尾三省が東京暮らしから屋久島で極貧で農業をした、その経験を詩にしたりしたそこに農業をしている人は普通にいてもその経験が新鮮なものだったのである
何か畑に実りがある、そのことに深く感激して土地と自然と一体化する喜びを詩にした
まさにそれは経験して理解したのである
本当に自然と一体化するアイディンティティ化するには農業を実地にしてみないとわからないといことである、その時人間は自然と深くコミットして自然を理解するのである
その理解は経験から生まれたのであり経験しない限りわからないのである
つまり本当に大地とは何か自然とは何かを体で知ったとなる
ただ実際は相当な過酷なものであり妻は60前に死に本人も62才くらいで死んでいる
パンは贅沢だとなると普通の生活ではないからだ

じゃがいもを掘る
そのじゃがいもは
わたくしの最終の 悲しみと憤りであり
最終の共感と連帯である
祈りである
はだしの足を 土の中に突っ込んで
びろう葉帽子の下で一鍬一鍬 じゃがいもを掘る


経験という時奇妙なのは私がした無人駅のボランティアだった、たまたま無人駅となり人にわからないことを聞かれたから教えていたのである
それで駅長とかJRの人とかかわったのである
そしてわかったことは駅長とかは駅のことを知らない、現場を知らないということであった、そこにいつもいないからわからない
駅でわかったことは上りと下りのことが意外とわからないのである
だからそのことを良く聞かれた、それで跨線橋にその行く先を記すものを示した方がいいとJRの人に駅長に言ったらそういう表示をするものを作ってくれたのである

それが同じように線路をまたいで向かい側の待合室にも上りと下りの表示をしてくれたのである
都会だと必ずそれは何々行きとして表示してあるが田舎駅ではない場合があるのだ
それは久ノ浜で自分自身が下りて上りと下りがわからなくなった
表示するものがなかったからである、つまり意外と上りと下りがわからないのである
それで不安になる、久ノ浜では今でも誰も言わないので表示されていないのである

この現場とその現場にかかわらないことは東電のような巨体企業でも起きている
現場の電気関係者が千人とか働いていていろいろ現場のことを知っていたのである
技術者もいて配管が老朽化して危ないとか指摘して原発は危険だと警告していた
でも現場の人から言わせると何かを上の人に言えなかったという
なぜなら仕事をもらえなくなるからだと言っていた、決めるのは上の人であり現場の人ではないからである
こういうことは他にある、社長だからといって何でも知っているわけではない、かえって現場のことはわからない、駅長だから駅のことをすべて知っているわけではなかったのである、つまり社長でもすべてを経験できないからそうなっているのである

人間を作るのは経験である、例えば聖書でも隅から隅まで読んでもわからない、神学部に入ってもわからない、そして聖書は学問ではない、何か現実に起こったことを神の事績として記した書なのである、つまり経験されたことを記したのである
だから奇跡が多いという時それが現実に起きたことだからである
まず奇跡がなかったら聖書も成り立たない、つまり神が人間のことに関与して奇跡を起こした物語が聖書なのである、そして聖霊がくだらない限り理解不可能である
そのことによって全能の神がいることを理解するからである

こういうことは別に聖書だけではない、優れた作家とか何か指導者とかでもそうである
何か実地に経験したことから書いているから訴えるものがある
第一悲しむとしても本当に血の涙を流すような経験しないと悲しむということがどういうことかわからない
本当はキリストを理解するとしたら十字架で血の涙を流すほかないという厳しさが要求されるともなる
何か人生でも最も重要なことは経験しなければわからない
なぜ戦争のことがわからないものとなったのか?
それは戦争を経験していないからだとなる、戦争という異常なことはいくら聞いても理解できないのである、人を殺したり殺されたりすることが日常になる世界は理解できないのである

ただ正直人間の経験は極わずかである、職業にしても無数にあるとき経験しているのは極わずかである、すると相手のことが理解できないとなる
自分の場合は引きこもりのようになっていたから社会的経験がなく親の介護で塗炭の苦しみにあった、それは今のニートとか引きこもりが親が死んだ時自分と同じようになる
本当に誰も助けない、そて親子共倒れになる地獄になる
それはすでに予想されるものだったのである
ただこれも奇妙なのは引きこもり一つの経験だったということである
なぜなら社会から隔離して人と会わないという生活はまさに隠者の生活であり
禅僧のように寺に引きこもるとにていたのである
それは精神的修養であった、だから何であれ人間は経験なのである
引きこもりだってプラスに働くものがあるから人生のことは何がいいとか決められないのである

ただ結局人間は何かを理解するには経験しない限り理解できない
津浪でもこれも経験しないかぎりわからないものだった、それを経験した時その恐ろしさを知った、原発でも事故など起きないと安全神話を信じていた
それももろくも打ち砕かれて経験から知ったが時遅しとなっていたのである

つまり結局人間は経験からしか学べない、その経験を伝えるものが歴史なのだが津波に関しては何も伝えられなかった、相馬地域では700人溺死としか記されていなかった
その詳細は全く不明である、つまり誰もその経験した人が語り伝えられなかったのである歴史は簡単に言えば経験を人に語り伝えることなのである
何かしら人生で人は経験する、それを語り伝えることなのである
語り伝えるだけでは歴史は消失するから文書で残すということなったのである
津浪に関してその文書すら二行しか残されなかったのである
そうした経験が語られ伝えられていればこなん大被害にはならなかったのである
だからこの辺で起きた原発事故でも語り伝えなければそんなことなかったとまでなる
そして原発は安全だとまでまたなってしまうのである
やはり十年も過ぎると人間は十年一昔であり忘れやすいのである
何か地元でも関心がなくなるのである、今はコロナウィルス一色だから余計にそうなったのである