2020年11月06日

全員一致は無効である (規模が巨大化すると民主主義も全体主義になる)


全員一致は無効である

(規模が巨大化すると民主主義も全体主義になる)

その決定が正しいなら反対者がいるはずで、全員一致は偏見か興奮の結果、または外部からの圧力以外にはありえないから、その決定は無効だと考えるのです。

全員が一してしまえば、その正当性を検証する方法がない。絶対的無謬は無いのだから全員が誤っているのだろうが、それもわからない。したがって誤りでないことを証明する方法がないから、無効なのである。

全員一致の審決は無効というユダヤの考え方に学ぶ


民主主義というとき実際は歴史的にもいろいろな形態があった、そもそも話し合いで決めるというときも民主主義になる、何かを決める時とにかく話し合いそれから決める
だから民主主義というのは人間社会では原始的な社会でもあったとなる
ただギリシャのように3000年前とかに制度化されたとか現実に投票方式を採用したとかはない、その時代をみればわかる、どこの国でも専制国家である
エジプトでもそうでありペルシャでもそうだし中国でもそうである
こうした国は領土が広く平坦であり地形的に独裁国家、専制国家になりやすいのである
それだけの巨大な土地を治めるにはそうなりやすい、だからその延長として中国は共産主義となっているが現実に歴史の延長として独裁国家になっている
そうしないと治められないとなっているからだ

民主制というときなぜギリシャに生まれたのか?
それはこうした地形的なものが影響している、ギリシャは山あり海あり島ありとどこまでも平坦な平原とか平地とか砂漠の国ではない、非常に多様な地形なのである
その生活も漁業があり農業があり牧畜があり貿易がありと多様なのである
地形的には日本がと似た所がある、山が多いというのもそうである
そういう地形の中にポリスがうまれた、それも一万とか小規模なのである
だから今の民主主義とは違ったものであるが投票で決めるということは画期的なことだった、それまでは暴力で決めていたからである

それからヨ−ロッパの歴史の中で市民社会が生まれたというのが今日に継続されている
citizenと大統領選挙で争う人たちが服に記していたからである
パスポートでもどこのcitizenなのかが国籍とともに記される
citizenがアイディンティティになっている、日本だったらどこの村の出身かとなっていて市民というものはいなかった、civilizationとはcivilとは市民のことなのである
すると市民を理解しないとcivilizationは理解できないとなる
市民とは領主とかの支配から自由な自治体であり勝手に市中に入ることはできない
それで市長が門の鍵をもっている、日本にはない独立自治体なのである
そしてヨ−ロッパでもアジア的専制というのはなく小国が分立していた
都市自体が一つの国であり都市と都市が争ってもいた、戦争もしていたのである

つまり民主主義が成り立つのは小規模な自治体であり現代のように巨大化すると成りたちにくいということがある、ポリスとかcitizenとか明確な自治体の一員の自覚が消失している、国家となると規模が大きすぎるからその一員となるとそのアイディンティティも明確なものにならない、そしてもはやポリスのcitizenの一員という自覚が薄れる
ただ国民となりその規模が何百倍にもなりそこに所属するという感覚は希薄化する
そうなるとただ数だけが問題になる、数が多ければ正しい、数で決められる
それが正しくなくても別に関係ないのである
だからナチスが民主主義の投票で決められていたのである、要するに数を集めればそれで決められるとなるからだ,カルト教団でも毎日数を集めるために奔走する
その中身はどうでもいい、数が多い方が勝ちだとなるからだ

だから大規模になると民主主義は成り立たなくなる、民主主義から全体主義になりやすいのである、ポピュリズムとかファシズムになりやすいのである
そこでは今度はマスコミが力をもつ、トランプ大統領もマスコミで顔を売って大統領になったとされるからだ、マスコミはある人物を誇大化する、その人物を巨大化する
マスコミが第三の権力となったのはそのためである
何かを判断するにもマスコミに頼るとなったからである

いづれにしろ民主主義は機能しなくなっている、それは余りにも巨大化したからである
なぜ20世紀が世界大戦で何千万と死んだのかいう不可解がある
それは国民国家というのは国民全員のことでありその規模が大きすぎるのである
すると国民国家というのは全体主義になりやすい、だから熾烈な国民同士の戦争になったともなる、全員一致となり戦争になった
そこで反対する者は非国民となり排除されるしそこに住めなくもなる
そういう時代が20世紀であり何千万も死んだとなる

全員一致は無効であるということは必ず何を決めるにしても賛成するものと反対するものがある、でも全員一致は反対する者を認めない、その意見も聞かないとなる
それは原発事故でもそうだった、原発は地元でも全員一致になっていたのである
だからそれに反対する人はいない、もしいたらその地域に住めなくなっていた
そうなったのは利益が金になるということでそうなっていた
人間はまず金になること利益になることで日々活動しているから当然そうなる
庶民はそれ意外のことはあまり考えないのである
ただ利益になること金になることにはさといのである、それは一番わかりやすいからである

原発の「安全神話」は政府とか官僚とか検察とかマスコミとか様々な権力によって作られて押し付けられていたのである
第一自治体は何ら関与していない、原発を作るに際しても議論すらされていなかったのである、それは国ー県ー(自治体)とあるが自治体が省かれていたのである
これだけ重大なことでも自治体が何ら関与していない、国と県で一方的に決められたのである、そこには反対意見は許されない、全員一致となっていたのである
それは戦争でも同じである、全員一致であり反対は許されない、必ず何を決めるにしても賛成があり反対がある、でも反対が許されないことは一党独裁となり全体主義となる
共産主義はソビエト連邦でも中国でもそうだし大国に向いていたのである
本質的には反対を許さない全体主義なのである、宗教が政治にかかわる場合もそうなる
神国だから日本でも戦争に負けないというときもそうである
宗教は絶対だからそうなる、だから政教分離が必要なのである

民主主義が限界にきているというときもう巨大化して数だけが正しい、それがすべてだとなることに拒否反応がでてきているためだともみる
だから票が工作されて不正だとかなる、どうしても数だけで決めるのが限界にきているともなる、数だけで決めることは全体主義でもある、小規模ならそれもありうるが巨大化したからもう数だけで決めるのは限界である、それで票は操作されているとかなる
民主主義が規模が小さければ成り立つけど巨大化すると成り立ちにくい
民主主義は結局全体主義となる、ナチスでも選挙で勝利してファシズムになったのである一人一人の市民とか相手にしていない、大衆を相手にしているからそうなる
大衆をどうして導くかとなるとマスコミで顔を売りそこで大衆受けするものをだしてゆく大衆民主主義になる、それは全体主義にファシズムになる

とにかく全員一致は無効である

このことは民主主義にとって肝心なことである、原則なのである、でも全員一致だとそれが正しいとされやすいのである
民主主義にもいろいろあるがこれは非常に重要なことは確かである


 あとがき

血で血を洗う武力闘争がカンザスで起きた、北部諸州と南部諸州は続々と人を送って住民投票を有利にしようとした
見つけしだい、相手を殺す、南部のプランターはお金と武器を与えて、人をカンザスに送り込んだ、奴隷解放論者のなかには何の利害もないのに自費で大きな聞けをンかえりみず
カンザスに移り住む者もいた、もちろん生命を失ったものもいた
彼らこそ、デモクラシーの殉教者であろう
(悪の民主主義ー小室直樹)

アメリカのカルマとして黒人奴隷の問題が尾をひいている、それで南北戦争がありそれが大統領選挙にも反映される、選挙を有利にしてようとしてここまでしていたのである
それがやはりカルマとして今大統領選挙で起きているのだ

posted by 老鶯 at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層