2020年11月03日

文化の日―晩菊(秋草のフラワーアレンジメント)


文化の日―晩菊(秋草のフラワーアレンジメント)
 
   
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原町の街中

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街中に七八輪あわれ秋薔薇

通りには畑のありて菊の花

我が墓に造花を挿すや文化の日

我が里の草の花摘み飾りけり

晩菊に覆われ墓地の一つかな  


今日は文化の日だった、でも原町まで自転車で行ったら北風が吹いた
やはり冬に入ってゆく、原町の道の駅で造花を買った、なかなかいい造花である
それを我が家の墓地に挿した、何か文化の日ともなる
墓も近くにあると身近になる、花がないから淋しいなとかなり造花を挿したのである

それから草の花、野菊を詰んでそれを壺にさした、フラワーアレンジメントも手間になるなにしろ家事からプログに書く記事からいろいろなことを一人でやるから暇なく何かをしているのである、介護は終わったからその分は余裕がある、でもいぜんとして全部一人でやると余裕がなくなる      

文化とはまず時間でも金でも余裕がないと生まれないのである
私の母親は働きづめで終わって花もいらないとなっていた
ただ40代くらいの農家に嫁いだ女性も花に興味ないのである
おそらく今は花嫁修業などしていない、だから華道など習わないのである
そこがものたりないのである

墓地が晩菊に覆われていた、何かこの菊は華やかである、普通晩菊となると淋しい感じになるからだ、ただ墓地でも眠る場所はこうした田舎がいい、都会の団地のような狭い墓には入りたくないとなる

通りのなかに畑があり菊が咲いている、でもその通りには店がないのである
一軒理髪店があるが他にない、それが通りとは言えない、ただ新しくできた通りなのである、だからこの通りも店ができてもう少しにぎわうといいとなるがそれも無理だとなる
それだけの人口もないしみんなスーパーで買い物をすませるからである

とにかく晩秋なのだが秋が早く終わる、冬がふぐに来る、だから晩秋と言ってもゆっくりと感じない、あわただしいのである
秋がたちまち過ぎて冬になる、こうして時間の季節の感覚が狂うのも困る
そうなると文化の日でも文化を楽しめないとなる、文化とは何か時間でも何でも余裕があって生まれるからである
ただこうして季節感が変わるのは人間のせいではない、自然が天候が変わってしまったからである

投票で決められないアメリカの大統領選挙 (ギリシャは一万くらいのポリスから始まり市民の都市はヨ−ロッパで形成された歴史)


投票で決められないアメリカの大統領選挙

(ギリシャは一万くらいのポリスから始まり市民の都市はヨ−ロッパで形成された歴史

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アメリかの大統領選挙で銃をもって武装していた人たちかいた
その膝にcitizenという字が書かれていた

citizenとは市民のことでありcivilization(文明)のcivilは市民のことである
ここのところが日本人は本当に理解していない、理解できない
なぜならそもそも市民というのが日本には存在しなかったからだ
ところがヨ−ロッパとは市民社会のことである
その市民社会が日本にはないのだから根本的に日本人はcivilization(文明)を理解できないとなる

市民という時、封建制でも領主がその土地を支配する、だから領主の城がある
でも勘違いしているのは市があって市壁がありその内部に市民共同体がありそこは独立した自治体なのである、だからそこは不可侵の領域であり領主も勝手に入れないとなっていた、その門の鍵をもっているのは市長であり勝手に市壁の門を入ることはできない

日本では城がったとしても城は侍を守るものでありそこに住んでいる町民でも農民でも別個の存在である、だから敵が攻めてきても戦うの侍であり町民とか農民は関係ないのである、だから会津でかえって税で苦しんでいた農民がヤーヤー一揆を起こしたのである
つまり侍と町民であれ農民であれ分離していたのである
ヨ−ロッパのように日本には自衛する自治体としての市民がいなのである

だからなぜパスポートにどこの市に所属しているのかを書く、市がアイディンティティとなっているからそうなる
アメリでは市民権を得ることができるが敵とは銃でもっても戦う自衛するということで
宣誓する、つまり市を守るために自衛するために銃でもっても戦うと宣言する
ボリスが警察の意味だけど実際はまさに警察は市では自警団から発していた
市は自分たちで自衛して銃で守る、それが由来なのである

それはアメリかにも受け継がれた、だからなぜ銃でもって武装して膝にcitizenと書いてあったのかそれはこうした歴史があるからだとなる
また銃はアメリカの歴史ともかかわってくる、つまり誰も守ってくれない、そこには警察もいない、それで牧場でも自力で守らなければならない、それが西部劇である
だから銃をもって自らを守るとなり銃は欠かせないとなっている

つくづく今の問題は必ず歴史と関係してくる、日本の問題でもなぜ天皇があれほどもちあげられたのかも皇国史観になったのも歴史だからである
そして歴史は必ずくりかえす、カルマとなる
宗教と政治のことで権威と権力のことを書いたが世界史でもどうしても国を治めるためには武力だけではできない、権力だけではできない、その上に権威が必要でありそれが宗教の権威を利用したとなる、カトリックの歴史は権力と宗教的権威が一体化したのである
それで神聖ローマ帝国とかなったりする、日本だと天皇が神としての権威があり神国だとなったのとにている、天皇は宗教的権威であるからだ

人間は今の問題をみるとき必ず歴史をふりかえりみる必要がある
なぜなら歴史は必ず同じ事をくりかえしているからだ、歴史もカルマなのである
それはヨ−ロッパの歴史でも同じである、何かわかりにくいが人間として同じカルマをくりかえしているのである
だから歴史を知るということは現代を知るにも欠かせないとなる
それは必ず過去からの継続として現在があるからそうなる
歴史を解読できれば現在も見えてくるのである

いづれにしろ日本には都市がないというとき江戸時代でも領主が殿様がいてお上がいてその下に庶民の自治はなかった、村はあったが村民はいたが市民はいなかった
だから自治ということが欠けているのである、お上によって作られるという意識が強い
上からの権力によってそれに従うということになる
それは原発事故でも現れた、強力な国の権力によって安全神話が作られた
そこに自治体は何ら関係していなかったのである、自分たちで市を守るという意識もなかった、そして住めなくなったのである

やはり歴史的にないものを理解できない、日本人は自分たちの市を自治体を守るという意識に欠けている、自治の精神が希薄なのである
それは歴史的にそうだったからである、第一ボリスというときギリシャの都市国家から
ポリスから始まっているからその歴史が古いのである
そこにすでに強力な市民意識が形成されていた、一人一人が国体というが市と一体化していたのである、それは一万くらいの人口だからそうなったのである

このプリエネ市の最も注目すべき建築はエレクジアステリオンすなわち全市民がそこに議席をもっていた
 都市 羽仁五郎

議員だけではない全市民の議席があった、そういう座席が建築として建てられていたのである、これが3000年前と課なのだから驚くとなる
なぜなら世界史となると大帝国の歴史であり専制君主の歴史だからである
ギリシャはこうして他の国の歴史とはまるで違っていたとなりその継続としてヨ−ロッパの歴史があるともなる
ただそういう民主主義の発生の地から今の民主主義をみると結局一万の都市と百万とか千万の都市となるとそれが国の規模になるともう民主主義も機能しなくなったとなる
こうした民主主義が成り立つのは規模が小さい時だからである
だからヨ−ロッパの歴史でもアメリカでも世界中で大衆民主主義とかファシズムとかになり
膨大な人間が戦争で死んだのである

つまりアメリカでも分裂するのは規模が大きすぎる、そして余りにも雑多な人種でも人でも交じり一体化できない、何かを決定する力はただ数だけだとなる
その数でも操作できるから郵便投票とかは信用できないとかなんとかもう投票すら機能しないのである、それは世界中で起きていることである
すべては数の問題として処理されるだけである、だからカルト宗教団体でも一票を得ることであり数の確保だけに奔走するとなる
要するに数が権力となり数によってすべてが決まる、それが限界にきた
だから数で決めるな、もう銃で決めろ、暴力が大統領を決めるのだなってしまう
投票自体が機能しなくなった、日本だって50パーセントしか投票しないとしたらもう投票という民主主義の根幹を成すものが機能していないのである
ギリシャの一万くらいのポリスとは余りにも違っている、一人一人が議員のようになりその座席も用意されていたのとは余りにも違うのである
posted by 老鶯 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層