2020年11月15日

冬の日(コーヒーとお茶の相違は文化の相違) (紫式部のフラワーアレンジメント)


冬の日(コーヒーとお茶の相違は文化の相違)

(紫式部のフラワーアレンジメント)


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冬薔薇

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冬薔薇一輪静か石に向く

我が庭に山茶花咲きて冬の陽の静かに移り籠りけるかな 

文化という時、それは食生活でも色椅子多方面にわたる、ただ腹を満たすのが文化ではない、今はあまりにもいろいろなものを食べるし飲む
料理でも人間はただ腹を満たすだけではない、本当の料理は見映えがいいとかいろいろある、そして日本料理と外国の料理は自ずと違っている

例えば新田川ユッサで庭に石がある、そこに冬の陽がさしている
その時確かにコーヒーを飲んでもいい、でも何かそこで抹茶を飲むと心落ち着くとなる
つまりコーヒーとお茶では相当に違ったモノなのである
だから日本ではお茶が芸術となり文化となったのである 
新田川ユッサには茶室が似合う、ただ庭が貧弱なのである 
茶室を作ればそこで一杯茶を飲んで心安らぐとはなる

あそこがいいのは大原の方に行く道に意外と蛍袋とか竜胆も咲いていたのである
だから散策するにはいい道なのである、でも田畑がまだ荒れていることが問題なのであるまた空家化しているのも暮らしが感じなくなり嫌だとなる
ただこれはこの辺だけではない、山村は過疎化して農業を受け継ぐ人がいなくなっているのだ

 stone to stone
   face to face
 man to man
 sunny light in winter
 in closed tea room

抹茶の渋さとかとコーヒーの味そのものが違っているのだ、お茶を飲むとき日本人になり心落ち着くとなる、それが文化なのである
だからコーヒーとパンはあっている、御飯とコーヒーが合わない
それは日本が米とお茶を飲む歴史が長いからである
外国ではパンの歴史が長い

今から8000年6000年ほど前、古代メソポタミアでは、小麦粉を水でこね、焼いただけのものを食べていました。これがパンの原形とされています

米の歴史も長いがパンの歴史も長いのである、そのバンと合うものとして葡萄酒が作られたりした、パンに合うものと合わないものがある
食べ物は文化の基本になる、人間はただ腹を満たせばいいとはならないからである
そこに様々な工夫があって料理が生れたのである

今日は寒い、昨日はあたたかかった、温度の変化が大きい
この山茶花は秋に咲く、冬に咲くのが普通であるが秋に咲く、ただ今年は秋が冬になった感じになるから冬に咲いたとはなる

写真で紫式部をうまく撮ろうとしたがアレンジがうまくいったとはならないかもしれない
フラワーアレンジメントもむずかしいのである、ただ写真だと紅葉の色がこんなにも違ってとれる、写真はやはり絵画とにていてカメラとかレンズで相当に違ってくる
季節の感じを出すには秋は秋らしいもの、冬は冬らしいものを入れる
今なら枯葉を映すことで冬を感じる、薔薇一輪だけ映しても冬薔薇と見られないからだ

いづれにしろ写俳ー写生俳句はデジカメになって新しい芸術分野を作ったのである

2020年11月16日

冬の樹の写真 (写真で発見する変わる見方)


冬の樹の写真

(写真で発見する変わる見方)

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芒が見えるから秋である、まだ枯芒にはなっていない

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冬薔薇

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紫式部

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二本の木の重くも冬日没る

誰が棲む灯ともりあわれ芒かな


この冬の樹の写真は広角で撮ったが自分ながら感動した、そこは毎日通っている場所である、だから特別な場所ではない、でも何か写真にこるようになってから写真を撮ってみて発見があった、カメラから見るものが撮るものが違って見えるのである

ただ写真は構図をとるとかいつも見ている場所でとないとうまくいかないと思った
何かいつも見慣れた場所だといろいろな角度から試しに撮ってみたり構図を変えたりできる
でもこれが遠くになるとそれがしにくいのである、その場所になじまないとできないと思った、この写真は毎日通っているから角度を変えたりして撮ることができたからである
そして広角で撮ったことが成功だった、写真はレンズに左右されるのである
私は別にレンズは二つしかもっていない、それも安いものである
レンズがCAMERAり高いのには驚いた、ええ、こんなに高いのと驚くのである
ただレンズによって移り方も違ってくるのも確かである

とにかく写真はいろんな角度から枚数をとるこはて上達する、でも遠くに行くとそれができない、場所を点々と変わるからである
人間は自然と一体化するというときそれは身近な自然になる
それはいつも見ているしそうしてなじんでいる内に一体化してゆく、アイディンティティ化してゆくのである

この辺の自然でものたりないのは高い山がないことである、阿武隈山脈があるとしてもこれは阿武隈高原であり山というものでもない、高い山がないので風景が引き締まらないのである
写真をとるには自転車ではきつい、車だと機材をもちこみ定点観測できる
それで富士山をとるために車に半年も泊まり込んで撮っていたというのもわかる
それくらい自然は刻々変化するから定点観測しないといい写真が撮れないのである

ただ写真が万能ではない、やはり本当に実感するにはその場を歩いてみることが必要である、写真だけでは実感でないものを知る
ここは毎日通っているからこの写真に我ながら感動したとなるからである

この桜の木は一部が枯れた、何か枯れやすいとか維持するのが苦労らしい、近くの人が手入れしているからだ、でもあそこの桜の樹は太いから見応えがある
樹齢何年かわからないがそれなりに長いだろう、他にも桜の木が土手に植えられても育つのに時間がかかるのである

危機感がもてない人間 (津波も原発もコロナも戦争も危機感をもてない)


危機感がもてない人間

(津波も原発もコロナも戦争も危機感をもてない)

まず津波に危機感をもっていなかった、この辺では津波が来ないという確信になっていて老人は逃げなかった、400年前に津波で700人溺死と記されていたがそれこも忘れられていて津波の以後に発見されたのである
ただ宮城県側では津波の危機意識があった

女川原子力発電所の建設にあたって、記録が残っているものだけでなく、
文献調査や聞き取り調査、考古学的調査、堆積学的調査によって、過去においてどの程度の規模の津波が三陸沿岸を襲ったかを調べた。

それによると、日本海溝で発生した大規模津波としては貞観津波(869 年、マグニチュード 8.6)、慶長津波(1611 年、マグニチュード 8.1)、明治三陸津波(1896 年、マグニチュード 8.5)、昭和三陸津波(1933 年、マグニチュード 8.1)などがあることが分かった。

明治三陸津波(1896 年、マグニチュード 8.5)、昭和三陸津波(1933 年、マグニチュード 8.1)などがあることが分かった。

近くで大きな津波が明治とかにもありそれで危機意識をもっていた、その相違は大きい
そして女川原発は東北電力が作ったのだから地元であり地元に通じていた
東電は遠くであり幹部でも安全を最初から計っていた、それで危機意識が薄れていたのである

そもそも人間は危機意識をもてない、津波のような空恐ろしいことが起きるという危機意識がもてない、もし危機意識をもったらあんな海岸線に住むことはできないからだ
村ごと根こそぎ津波に流されたからだ
もしそのことを頭にイメージでもできたらとても住めないのである
でもなぜかそんな危機意識も持たず平気で住んでいた
ここには津波が来ないとして老人は津波が来ても逃げもしなかったのである

人間は何かこういう大きな危機をもてない、日々の生活で交通事故になるとか何か事故が起きるとかはもつにしても津波などの巨大な災害をイメージできない、ただ三陸では明治にも一万人死ぬとか津浪で経験しているから危機意識をもった
でも相馬地域では危機意識を持てなかった

でも実際原発の煙突がすぐ目の前に建っていたら怖いこということがある
でもそれでも危機意識は希薄だったのである
「安全神話」が作られて安全だと思っていたのである
これだけ危険なものが目の前にあっても危機意識がもてない
それが人間の弱点になる、危機意識がもてないからのんびりしている

それは個人的にもそうだった、自分のことを延々と書いてきたが自分の家が介護とか自分自身の病気とかで崩壊寸前にてり死ぬほど苦しみを味わった
でもそのことは危機意識があれば予想できたことでもある
でも楽でありその楽に安住していた結果全部一人で負担を背負うようになったのである
それは予測できたことだが何もしなかったとためだとなる

とにかく危機意識がないということはコロナウィルスでもそうである
なんだたいしたことがないじゃないかとなり人が普通に外出して騒いでいるとなる
人間は人がバタバタ死ぬようにならない限り危機意識がもてない
若い世代になると症状が出ないとかなり警戒もしないとかなる
つまり人がバタバタ死ぬようにならないと危機意識がもてないのである
放射線の被害でもそれが十年後なのか二十年後なのか三十年後とかなるともう危機意識がもてない、人が放射線でばたばた死ぬようになると危機意識をもつ
それが人間の弱点なのである

危機意識というとき別に大災害でなくても人間が死ぬということを知っている
そしたら若い時から求道すべきだとなる、人間はなぜ死ぬのか?
死なない命が永遠の命があることを知るべきだとなる
でも危機意識が薄いから若い時は飲めや歌いやでたちまち貴重な時間が過ぎて求道する
時が消失する
他のことでも常に人間はチャンスを逃している

もちろんそうして危機意識を持てないから平然として生きていけるのだともなる
そんな恐怖を日々感じて生きていたら生きた心地もしなくなるからだ
とにかく人間は大きなことに危機意識をもたない、戦争があったのは70年前であり3百万人も死んでいる、それも忘れて日本が攻められるとか戦争になる危機意識はない
原発の「安全神話」とかにて事故は起きないとか戦争はないとかなるからだ

将来的に目に見える危機はある、2025年問題の介護が増える危機である
そういうことはすでに起きている、40過ぎた独身の人は親を施設に入れても備品などにかかり苦しいのに金を送っている、もう一人の母親も金が無くせびるとかある
つまり団塊の世代の子供の世代が親の介護になるのが2025年なのである
それはすでにはじまっている、その人たちは金もないのに親の負担を強いられるとなる
そして氷河期世代とかの老後は本当に地獄が見えている
また引きこもりなども親が死ぬと地獄になる、それは自分自身が地獄の苦しみを味わったからわかる、でもその用意は全然されていない
でもある時必ず親は死に援助は受けられなくなるのである

ただ人間は本当に危機意識を持てない、そして突然に不幸が容赦なく襲ってくるのだ
病気でも突然やってきて動けなくなったりする
そういう人がこの年になれば普通に近くにいるからだ
いづれにしろ人間の造りだすものがいかに安全でないか、でたらめなのか原発事故で知った、すでに技術者が配管が老朽化して危険だと指摘していたが東電ではとりあわなかった東電自体が危機意識をもっていなかったのである
十数メートルの津浪が来るという専門家の警告にもとりあわなかった
これも危機意識がなかったからである

だからコロナウィルスでもそうである、もう前のように危機意識がない、なれたとかあるたいしたことないじゃないかとなり人が普通に出ている
それも人がバタバタと死なない限りそうなる、それが人間なのである
そこにまた人間の危険性がある、コロナウィルスは未知のものだから対処がむずかしい
経済活動も継続せねばならないというのもわかる
ただ人間というのは危機意識を持たないことがとりかえしのつかないことになる
それは個人的にもそうだし大局的なものでもそうである
「中国何んか攻めてこない、アメリカが守ってくれる」とかなり危機意識がもてない
でもその潮目が変わってきたのである、アメリカはバイデンが大統領になり日本を捨てるというのもそうである
国防でも危機意識がもてないのである、だから核武装しろとかではなく危機意識がもたないことが怖いのである

そして人間の失敗は個人的にも国でも奢りになるとき失敗する
相手のこと敵のことがわからない、それで青銅器主体の野郎自大国が鉄器をもった漢に滅ぼされたのである、それは日本がアメリカに戦争で負けたのとにている
アメリカなどたいしたことがないとかなり大敗北になってしまった
アメリカのことをほとんど知らなかったからである

では具体的にどうすればいいのか?それもあるがまず危機意識をもつことが肝心なのである、もし危機意識を持てば備えることができる
女川原発では身近に明治にも一万人死んだとかの津波の被害があったから危機意識がもてたのである、その他はそういう危機意識をもてなかったのである
相馬地域では津波は来ないという確信にもなっていたからである

ともかく危機は現実になる、それがどういうふうにしてくるかわからないが現実になる
それは個々人でもそうである、それを自分は経験した
その時地獄の苦しみを味わうのである、今でも苦しみに自分はうなされているからだ
ただ人間は危機が目の前にあっても自覚できないのである
だからこそ生きていられるともなる、でも危機意識をもたないことがやがて致命的になることは確かである

だからコロナウィルスにどう対処するのか、それはわからない、ただの風邪だという専門家もいるしそんなに恐れるものではないというのもわかる
ただコロナウィルスでもそうだがバタバタ人が死なない限り危機意識を持てないのであるだから今やなれてウィルスを恐れない、それは被害が大きくくならない限り危機意識をもてない、津波や原発事故はまさにそうだった

これだけの空恐ろしい被害がでて危機意識をもつようになる、そうでなければ危機意識をもてないなのである、それも時間がたつとだんだん忘れられる
すでに津浪でも原発事故でも十年一昔になり記憶が希薄化してゆく
この忘れるということも人間の弱点である、3百万人も死んだのにその戦争の記憶すら希薄化しているのである、風化しているのである
ここにまた人間の危機があるとなる、危機意識がもてなくなるのである
それがまた大惨事につながることになる
つまり歴史は繰り返すであり、またカルマは業でありその業はくりかえされのである
それが人間の宿命なのでる,ウィルスも歴史上何度も襲ってきて大被害を与えていたからである
それも人間のカルマだったとなからだ

posted by 老鶯 at 13:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年11月17日

消費と節約ー緊縮財政の失敗 (金は天下の回りもの)


消費と節約ー緊縮財政の失敗

(金は天下の回りもの)


お金を貯蓄に回すのではなく、買い物でお金を使うことは、お金が滞ることなく回ることになりますので、みんなにお金が回りますから、社会経済全体にとっていいことですよ。
経済を理解することは本当にむずかしい、例えば消費という言葉が翻訳が良くなかった
消費には消すということで悪いイメージとして使われた
それは江戸時代は物不足で節約、倹約の時代がつづいたから消費ということが悪いものとしてイメージされてこういう漢字を当てたのか?

消費というとき前は生協から伊達の醤油とか買ったことがあった、生協はやめたのでヤクルトでも売っているので買った
別に醤油など安いものでもいいとも思った、でもこれはいいものだから買うとなる
するとそれを生産している伊達市とか生産地に金が回る、売れるということで励みになるまた売る方でもヤクルトでももうけになる、つまり消費することで金が回るということである
もし節約して贅沢しなくてもいいとかなると金が回っていかないのである

金は天下の回りもの

こういうとき節約ではなく消費して金を回すということかもしれない、また金は一か所にとどまること個人でも貯めることは良くないものとしてこの諺が生まれたのかもしれない第一天下というとき日本全国から世界をイメージする、世界に金が回ることで世界が栄えるともなるからだ

消費することは何か非生産的イメージがまとわりついている
それで日本人が貯蓄好きというのは江戸時代からの継続としてすりこまれてそうなった
人間は意外とそうした習慣は歴史で作られたともなる
だから江戸時代が今と関係ないということはない、お上に従順だというのも江戸時代の継続として日本人の国民性を作ってきたからである
現代にも江戸時代の影響があり国民性を作ってきたとなる、それはいい面にも悪い面としても継続されている
消費が悪くて節約、倹約がいいというのは江戸時代に培われたてものだからである

そして徳川幕府が明治維新で倒幕派によって変わられたのは経済政策の失敗だった
そういう理論も成り立つのは政治と経済は密接に結びついているからである
つまり緊縮財政による節約、倹約の精神により経済が停滞してそれが幕府が行き詰まった原因とされる見方がある、経済というものが何かわからないからそうなったとなる
でも庶民の中では「金は天下の回りもの」という諺が生れていたのだから必ずしも節約、倹約をいいものとしてはいないともみれる
お上による節約、倹約が奨励されていたのであり庶民はそう思っていなかった
お上により贅沢が禁止されていた、いい着物を着るなとかいろいろ贅沢が禁止されたことがあったからだ、そこで贅沢は良くないものだ、消費は悪いものだとということが日本人に刷り込まれたともなる

消費というとき実際は生産と結びついている、パソコンを買うということはこれは使いこなすことが苦労である、でもこれによって知的生産が飛躍的に増大したのである
インタ−ネットができてから情報は膨大に流通するようになった
知識の量は江戸時代の一億倍とかにもなったかもしれない、情報洪水の中に日々いる時代である
パソコンを買うことでもカメラを買うことでも消費ではない、知的なものでも情報でも芸術としても生産することである、生産するために消費するのである
ギャンブルなどは消費になるが他は何かかえって消費は生活を向上するためにある

節約、倹約するのはやむをえずそうしている、もうぎりぎりの生活をしている人は節約も倹約もない、食べるものすら減らしている、電気を使わない人もいる
そういうのは節約でも倹約でもない、貧困を強いられてそうなっているだけである
余裕があれば人は消費する、生活向上のために消費するのである

資本主義社会では貯蓄というものをいいものとみていない、必ず投資することで経済が回るようになっている、第一銀行に貯金していても必ず銀行でも投資しているのである
なぜ高度成長時代に7パーセントとかの高い利子がついたのか?
それは金を貸す投資する会社がいて利益を出して利子を払っていてくれたからである
その時銀行はただ金を集めるだけで良かったのである
いくらでも借りて利子を払ってくれる会社があったからだとなる

でも今何が起きているのか?金あまり状態である、金があっても銀行だと貸す会社がないとかなり金をもうけられない、その余った金はどこに行っているのか?
株式に回ってコロナウィルスでが大量の失業者が出るとか餓死者が出るとか言う反面
株だけは上がっているのはなぜだろうとなるからだ
みんな苦しんでいる時になぜ株だけが上がり株を持っている人だけが得しているのかとなるからだ、それは何か不条理になる
経世済民が経済だとすると全く反しているのが現実なのである
ここにも資本主義社会が行き詰まっていることが現れている
つまり資本主義社会では投資先がなくなるとどこかでバブルが起きる
オランダでぱチューリップバブルが起きたり日本だと土地バブルが起きたり絵画バブルが起きたりする、余った金が投資先がなくなりバブルが起きる、今は株のバブルが起きているのかとなる、会社が景気が良くて株が上がっているのではないからだ
そしてこのバブルはすべていつか崩壊する、泡のように消えるとなる

経済は江戸時代は米中心の社会であり石高制であり米が貨幣にもなっていた
それが社会に適合できず封建制の徳川幕府が崩壊した
明治からは輸出産業として生糸が絹織物が輸出産業となりアメリカなどに売れた
それで経済が回り富を蓄積して戦争の武器などを作り太平洋戦争になった
次にアメリカに敗れて今度は電器産業が興隆して輸出産業になり高度成長時代になった
ジャパンアズナンバーワンの時代になった
それもバブル崩壊で終わり失われた30年になって日本は衰退した
辛うじて自動車産業が輸出産業となり日本の経済を支えているとはなる

日本はITに遅れて次の時代のイノベーションができなかったのである
物つくりはしてもこのITは別なのだった、情報社会についていけなかったのである
つまり経済成長するには節約でも倹約でもない新しい時代の産業を作ることだったのである、それに後れをとったから日本は停滞して衰退したとなる
今は物作りだけではない、情報化社会に日本が遅れたためだとなる
結局消費が悪いとかではなく節約、倹約しろというのは江戸時代からすりこまれた思想である、そういうものが歴史的に作られていて心の態度をマインドを作る
それは簡単に変えられないものだということである
ただ庶民から出た諺には何か普遍の真理がある
「金は天下の回りもの」ということがそうである、金は貯めるのではなく回さないと豊かになれないということである 

高齢化社会の問題は老人が金をもっていても使えないことなのである
何か新しいもの、機械を買ったが使いこなせないのである
また老人用の商品がないというのも消費できないことになる
スマホなども字が小さくて使いにくいとか何か老人は新しいものを使いこなせないのである、パソコンは長年しているから使いるがスマホはまた別なのである
だから老人が金をもっていても消費しないから金が回らないということがある
それで日本でも経済が停滞するとなる、高度成長時代は生産も増大したが消費も旺盛だったのである、だから高度成長経済になったのである
電機製品が欲しい、車が欲しい、家が欲しい、うまいものが食べたいと消費も旺盛だったのである、その団塊の世代などが老人になると消費できないとなったのである
また老人自体が貧困化していることもある、高齢化社会では何か経済も停滞してしまうのである

ただ意外だったのはヤマハのYPJ-XCは老人向きだったのである
最初マウテンバイクで若者向きと見ていた
でも乗ってみると平地でも走るのが楽なのである、それで病気になった人が運動に買ったそれだけ楽なのである、だからこういうものは高いにしても金がある老人なら買うとなる他の物は何か使いこなせなくなっている、それが高齢化社会の問題なのである

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 ヤマハ-YPJ-XC

これは老人向きだった

posted by 老鶯 at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

アクセスされた外国の謎 (少数でも中味のある、将来も読まれるものを発表してゆく)


アクセスされた外国の謎

(少数でも中味のある、将来も読まれるものを発表してゆく)                 


OrgName:        Massachusetts Institute of Technology
OrgId:          MIT-2
Address:        Room W92-167
Address:        77 Massachusetts Avenue
City:           Cambridge
StateProv:      MA
PostalCode:     02139-4307
Country:        US   → (アメリカ合衆国)

全米屈指のエリート名門校の1つとされ、ノーベル賞受賞者を多数(2014年までの間に1年以上在籍しMITが公式発表したノーベル賞受賞者は81名で、この数はハーバード大学の公式発表受賞者48名を上回る[11])輩出している。最も古く権威ある世界大学評価機関の英国Quacquarelli Symonds(QS)による世界大学ランキングでは、2012年以来2019年まで、ハーバード大学及びケンブリッジ大学を抑えて8年連続で世界第一位である。 

ケンブリッジ市にマサチュウセッツ工科大学がある、そこからアクセスがあった、おそらく原発関係だろう
でもここは相当に優秀な大学である、ノーベル賞受賞者は81名というのには驚く
一時外国からも原発で注目されたようだ
ただ私は文系なのだから研究に役立つような知見が得られるのだろうか?
ただこういう大学からアクセスがあることはやはり私のプログがテーマとしていたからだろう
でも前からすると最近ページビューは半分に減った、ただ訪問者は300以上とかなんとか維持している

そしてなぜか世界中からアクセスが増えた、世界からのアクセスは必ず忍者の分析で出る
日本はもれるのが多い、ただedとあると教育関係のアクセスが多い
つまりアクセスが減っても良質な人の何か目的がある人のアクセスがあるとなる
その世界からのアクセスはここ何日かつづいている、それは原発関係ではない
抽象画関係しか考えられない、抽象画が認められて世界からのアクセスが増えた、その国も多様なのである
パナマとかウクライナとか今日はルクセンブルグとかからもアクセスがあった
それは一回限りではないことが特徴である、だから何か抽象画が注目されたのだと思う
抽象画とか絵画とか写真は言葉がわからなくてもわかるからだ

ここでわかったのはインタ−ネットは世界的な表現の場だということである、それは前からわかっていたがこんなにアクセスがあることで注目されていることを認識したからである

ただ正直アクセス数が相当数減った、半分以下とかなった、訪問者はそれほど減っていないにしてもこれだけ減った
その原因はこれまで津波とか原発関係でずっと増えていた、震災から十年過ぎて関心が薄れたのである
あとは俳句とか短歌だと関心があるのは少数者である、詩などでもそうである
こういうのはアクセスが増えない、ニュースとかは増えるがそれも新聞のようにテレビのようにならないのでアクセスが少ない
だからどうしてもアクセスが減ったのである、ただアクセス数は関係なく中味のある、代々読まれるようなものを出してゆく
たいがいyoutubeでもプログも一過性になるのは価値がないのである
その時その場限りになってしまうからだ、そういうものが膨大に多いのである
ニュース解説でそこに歴史的に考察して普遍性がある解説が必要なのである、それは相当に経験とか学識とかがないとできない
それができているのは五六人しかいない、それは自分が毎日アクセスしている、ただ他にいるがそれは自分はアクセスしていないのある

でも何か百万とかまでアクセスがあるのはそれは芸能人のようなつまらないものなのである
だからアクセス数からだけでyoutubeでもプログでも判断することはできない

正直特別関心がある人とか何か俳句とか短歌でも詩でも創作しているとか宗教なら求道心があるとかそういう人たちを対象にして発信する、ただ数だけを集めるのではない、中味がある、その場限りのものではないものを追及する
youtubeなどでもそれはその場限りで消えてゆくものが多いだろう、何か何度も読まれ代々読まれるものを目指す
そうなると少人数になる、そういう人たちを集めて内輪で研鑽すするというのも考える  
これからどうするかは来年のことになる、何とか詩集は出したいと思っている、これにしてもなかなか一般的には理解されない
でも膨大なものになったのでまとめたいとは思っている


2020年11月18日

橲原渓谷と真野川上流 (大倉から佐須ー霊山の道は通行止め)

橲原渓谷と真野川上流

(大倉から佐須ー霊山の道は通行止め)

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橲原(じさばら)渓谷

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大倉から佐須-霊山の道

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この二つの道は自転車でも通れなかった
ここは通れても奥は通れなかった



この二つの道は当分通行止めほ工事している所もあるがまだしてない所もあり
長引く、工事が難工事になっている、崖崩れであり高いからである

この辺は今は紅葉であり景色のいい場所なので残念


posted by 老鶯 at 19:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

大倉で出会った南三陸町の津浪の被害にあった人の話


大倉で出会った南三陸町の津浪の被害にあった人の話

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この辺の被害は大きかった



今日大倉であった人は宮城県の人で志津川の人であった、今は南三陸町になっている
その人は土木関係の仕事をしているらしい
志津川で現実に津波で家が流されたという、そこに家を建てようとしても土台が問題で困っているとか言っていた
南三陸町も被害か大きかった

何かアメリカの友達作戦でフィリンピンから船がきて援助にきた
それは衛星からの写真で上陸地点をピンポイントで決めて上陸したという
気仙沼でも船が入れないが軍事用の船だと上陸する船が容易してあるからできる
つまり緊急時には日本でも自衛隊が橋を作ったりして道路を整備して車を通せるようにした、そういうことが軍隊ではできる

何かその人はいろいろ詳しい人だった、会津の阿賀野川から放射性物質が流れて新潟の河口に放射性物質が蓄積されて放射線量が高かったという
会津はたいして被害がないと見ていたがそういうこともあったのかとなる
阿武隈川の河口は放射線量が高かった
なぜなら放射性物質はセシウムなどが泥に付着して流れるからである
そこじ河口が異常に高かったのである
それと同じことが阿賀野川で起きたのか、でも会津はそんなに放射線の被害がないと見ていた、ただ実際は広範囲にあったともなる

あの辺の地形はすぐ後ろが山になっている、そこでその山を這い上がるように津波が押し寄せて上った、津波はこの辺でも坂があった所に津波がその坂を這うようにして高く上ったことに驚いた、だから津波は地形に影響されるのである
水の流れが地形によって予想もつかないものになっていたのである

1896年(明治29年)6月15日 明治三陸地震 - 岩手県綾里(現・大船渡市)で津波の遡上高38.2m、死者不明者22,000人。津波地震とされる。ハワイおよびアメリカ西海岸でも遠地津波が観測された。
1923年(大正12年)9月1日 大正関東地震(関東大震災) - 津波の最大波高は静岡県熱海で12m。数百人が犠牲となる。
1933年(昭和8年)3月3日 昭和三陸地震 - 死者・不明者3,000人。

この辺が非常に被害が大きかった、もともとここは津波の常習地帯でありだから女川の原発は5メートルくらい高くしてぎり4ぎりで助かったのである
そこはすぐ近くが明治にでも津浪で2万人くらい死んでいるのだから危機意識があった
石巻でもそうだが仙台から相馬地域とかいわき市の方になるとそうした危機意識がもてなかったのである
だから津波が来ないとして老人は逃げることもしなかったのである

そして400年前の津波の記録が二行だけ相馬藩政記に津波の後に学者が発見したのである
そこに津波でなく生波(いくなみ)で700人溺死と記されていたのである
その津波はたまたま伊達藩に来ていた三河藩の人たちがその津波を経験して伝えた
それ以後慶長津波となり津浪という言葉が普及したのである

ともかく女川原発はすぐ隣で明治にでも大きな津波の被害があったのだから危機意識をもったのである
宮城県でも石巻から仙台市の海側とか名取でも亘理でも山元町でも三陸のような危機意識がもてなかった
それは400年前とかになり忘れてしまっていたからである

とにかく三陸は湾がありそれが穏やかで風光明媚になっていた、でもそれが津波には弱い場所だったのである、陸前高田の広田湾でも南三陸の湾でも穏やかであり風光明媚である仙台からの海沿いにはそうした湾が入江がないことが景観としてものたりないものだったそれで南相馬市の鹿島区の八沢浦が前の入江になったときほど驚いたことはない
そこは明治以降に干拓されて田んぼになった場所だったのである
それが江戸時代の入江にもどったのである、穏やかな波が朝日がさしてけきらきらは寄せてきたのを見た時、奇跡が起きたのかと見た

ただその時その入江に家が浮かんで被害があったのでそこで被害にあった人からの抗議があった、それも当然だったけどとにかくたいがい津波は悲惨な光景しかなかった
でもそこは家がないのでそういう無惨な光景ではなかった
きれいな入江になっていたのである、もちろん湊という所では40軒が消失して村が壊滅したとかあったがどろどろとした津波の無惨な光景ではなかったのである

津浪原発事故から十年すぎると一昔であり忘れられる、何か報道があっても地元で被害があっても関心が薄れたのである、人間は忘れやすいのである
ただ原発事故の放射性被害とかは継続しているので関心がある
津波の被害自体は何か地元でも関心がなくなっているのである
次々にまた新しいことがコロナウィルスなどが起こり忘れられてゆくのである
それが人間の問題である、こうしうて災害も忘れてまた大きな災害にあい苦しむとなる
だから歴史を知るということが大事なのである
でも戦争で三百万人死んだというのも七十年過ぎるとそれが実感できなくなる
これは津波の被害より大きいのである、こんな大きな被害でも忘れてゆくのが人間だとなる、だから天災は忘れたころに来るという格言が生まれたのである

posted by 老鶯 at 20:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 津波、災難の対処

2020年11月19日

大倉から真野川渓谷の紅葉


大倉から真野川渓谷の紅葉  

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大倉の碑
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これに気づかなかった、葉山祭りと有名だったら葉山という地名があった


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冬の日にここに動かず鎮まる石

冬日さし大倉に並ぶ古き碑 

大倉に古き碑並び落葉かな


一時に紅葉陽に映え美しき渓流の音下よりひびきぬ

山に入り冬の蝶あわれ一つ飛ぶまもなく消えむさらに分け入る山

大倉に三匹ほどの虫の音を耳をすまして聞きて帰りぬ


大倉への坂を上る所にこの大きな石が隠れるようにしてある
この石は貫禄がある、だからいつも注目して見ている
でも他から来た人だと隠されるようにしてあるからわかりにくいのである
その隠されているところがいいとなる

大倉から霊山の方に行こうとしたが去年の水害で交通止めになり行けなかった
普通は自転車だと行けるが奥の方がさらに崩壊が激しく行けなかった
でも紅葉はきれいだった、写真を撮った所は車では入れない所がある
この工事は長くつづくから当分は通れないのが残念である

大倉の消防署とかあるとこにこの碑が並んでいた、寛政とか慶応とあり江戸時代のものである、大倉の歴史は古い、葉山祭りなどがあり古い、葉山橋とかあった
でも今はどれくらいの人が住んでいるのか、ただ新しい牛舎が作られていたからまた牛を飼うことを始めている、だから人は住んでいる
でも減ったことは確かだろう

とにかく霊山まで行けなかったことは残念である、紅葉の盛りであり歴史の道となっているのがこの辺だからである

abstract painting-iced man

                          
 abstract painting-iced man

 (世界からのアクセスが増えた-Increased access from the world

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Budda mountain


頂き(いただき)はいただくなのである

いただきますとなる、それは何を意味しているのか?

天から食べ物をいただくということなのか?

日本語は謎である



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iced man into frozend rock 

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hidden waterfall

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世界からのアクセスが増えた

セーシェル、パナマ、ベルーナ、スイス、スエデーン、ルーマニア、ボーランド ロシア
ドイツ、カナダ、台湾、香港、韓国、フランス、イギリス eu、アメリカ、ルクセンブルグ

抽象画の部のアクセスが増えた、国名も増えた、セーシェル、パナマ、ベルーナとかルーマニアは変わっている、そんな国があったのかとなる
ただインドからのアクセスがない、ということはインタ−ネットがまだそんなに普及していないからか?
中国も大きいのにアクセスが少ない、おそらく抽象画の分野の興味が少ないのか?
インタ−ネットの検索にのれば世界からアクセスが来る
抽象画でも画像検索に出ればアクセスがある

アメリカは前からアクセスがあった、ただ一時多かったが急激に減ってわずかだった
ただ今度はいろいろなこれまで来なかった州の人が来ているのだ
今までは単発的にアクセスがあったが継続してアクセスしていることは興味をもって見ているとなる

インタ−ネットは世界的な表現の場だというとき音楽とか絵の分野ではそうなっている
他の詩とかなるとむずかしいから翻訳できないからアクセスがない
でもグーグルの翻訳が進歩したからそれで読んでいるのかもしれない
原発関係でマサセッツ大学からアクセスがあった、でもグーグルの翻訳でも日本語を読むことはむずかしい、でもインタ−ネットは世界的なものであることがこれでわかる

だから音楽部門だと何百万のアクセスが世界からある、それは音楽は言葉と関係なくわかるからそうなる 
ただ私の抽象画は全く絵が絵が描けないのにソフト操作でしている
つまり全く絵の才能がなくても創作できているのが特徴である
つまりれはAIか作った作品だともなる

Increased access from the world

Seychelles, Panama, Belluna, Switzerland, Suedeen, Romania, Borland Russia
Germany, Canada, Taiwan, Hong Kong, South Korea, France, United Kingdom eu, USA, Luxembourg

Access to the abstract painting department has increased, country names have increased, Seychelles, Panama, Belluna and Romania have changed, I wonder if there was such a country
But is it because the internet is not so widespread yet because there is no access from India?
China is also big but has little access, maybe there is little interest in the field of abstract painting?
Access comes from all over the world if you search the internet
Even abstract paintings can be accessed by searching for images.

The United States has been accessed for a long time, it was only temporarily high, but it decreased sharply and was slight.
But this time, there are people from various states that have never come.
Until now, there was one-off access, but it is interesting to see that it is being accessed continuously.

When the internet is a place of global expression, it is so in the fields of music and painting.
There is no access because it is difficult to translate other poems
But maybe I'm reading it because Google's translation has improved
It was accessed from Massachusetts University because of the nuclear power plant, but it is difficult to read Japanese even with Google translation, but this shows that the Internet is global.

So in the music sector, there are millions of accesses from all over the world, because music can be understood regardless of words.
However, my abstract painting is done by software operation even though I can't draw at all.
In other words, the feature is that you can create even if you have no talent for painting.
Wife This is also a work made by AI

2020年11月20日

国家存亡の危機 (国家を今まで考える必要もなかった)


国家存亡の危機

(国家を今まで考える必要もなかった)


戦前は日本国民が国家のことばかり考えて行動していた、何事も国家のためだった
国家こそ最も重要なものであり国家があって家族があり個々人もあった
だから戦前は四六時中国家のことを考えていた
経済でも絹織物の生産はアメリカに輸出して外貨を稼ぐものとしてあった
それで軍事力を強化していたとなる
国家が最優先課題であり他は二の次三の次になっていた
そんな社会は全体主義であり間違っていたということを今では言う

でも逆に戦後はアメリカに負けてから日本から国家がなくなったのである
国家というのは常に否定されるものとしてあった
戦争を悪いものだ、戦争をした人は犯罪者であり罰せられるべきだ
世界から日本は謝罪しろとなって日本の外交もそうなった
日本は悪いことしたから謝れとなり賠償金を取られることになった
でも日本はそういうことに対して逆らうことはなくなったのである
日本は戦後に焼野原になりアメリカに支配されたとき国家自体消失していたのである

だから左になると9条で国家を守れとなった、それが可能だったのは米ソの冷戦で日本はアメリカに守られていたからである
だから高度成長時代があり平和な時代が70年もつづいたのである
平和の時代を享受できた時代だとなる
それは時代の幸運でありでもそれももう続かない
70年過ぎた結果、国家存亡の危機に直面する
それは明治維新の時も国家存亡の危機だった、太平洋戦争も国家存亡の戦争をアメリカとして負けて焼野原になったが幸運にも高度成長時代があり70年の平和がつづいたのである

でもそれも終わった、70年毎に大きな変革が起きる、明治維新から七〇年で太平洋戦争でアメリカに負け焼野原になった
そして立ち直ったがまた七〇年過ぎて大変革の時代になる
そのために津波と原発事故とかコロナウィルスとかの災難にも襲われる
それは時代が変わる時、そうした自然災害も起きて来るとなる
つまり動乱の時代になる

そして国家というのをこれまでは意識したり考えたりする必要もなかったのである
それはあまりにも国家を意識した戦前とは大違いだったのである
国家は常に否定するものとしてあったし国家は悪いものだということがすりこまれたのである
ただそれは国際情勢で幸運がもたらしたものだったのである
今や国家存亡の危機になれば嫌でも国家を意識せざるをえない時代になったのである
でもその変化はまた大きい、それで今まで通りのままに流される
第一そもそも国家というのが日本人が意識しなくなったときどうして意識させられるのかとなる、左からは国家否定がある、国家自体を意識することもできなくなっていたのである

それも現実に中国が攻めてくるということが迫っている、インドの国境では二〇人もインド人が死んでいるのである、だから尖閣でも実際は海警が中国人の軍隊が武装して来る
そういう危機的状態になっているときアメリカが守ってくれるともならない
日本人が池を血を流してこそアメリカもその背後から助けることができる
アメリカが先頭に立って血を流すことはしないのである

私自身は国家をそれほど意識しない状態がいいと思う、私自身追及してきたのは国家ではなく風土と一体化した(クニ)である、これまではアメリカの庇護の下にまた中国が台頭する前だったからそれができたのである
中国の脅威はもう身近に迫っている、中国の厄介なのはアメリカと違って隣であり中国人が日本に住むことである、それが現代では可能になっている
大量の移民政策で中国人が日本に住むことができる、それが今までとは違っている
それがやっかいなものとなる、アメリカ人は日本に住むのは極少数だから日本社会を支配するまではならなかったのである
でも中国人は違う、日本に住んで日本人を直接支配するようになる
中国の要人が主要な地位を得て日本人を支配するのである

結局日本人はあまりににも七〇年間平和になれて危機感が消失したのである
それは津波でも原発事故でもそうだったのである
津浪はこの辺がは来ないとして逃げないで老人が死んだ、原発事故も「安全神話」を作り事故が起きないと権力で作った、それが一挙に崩壊したのである  
何か日本人は危機があることを忘れていたのである
つまり危機感がないことが大惨事になったのである
それだけ平和だったのが日本であった

でもその時代が終わった、国難になり動乱の時代となる、コロナウィルスもそうである
動乱の時代になると様々な災難に襲われる
そして日本人は日本人のモラルが戦後消失した、金しか経済しか関心がなくなったのである
国家は常に否定されモラルも消失していた
原発事故でもモラルが消失していたからだともなる、技術的問題があるにしても「安全神話」を作り危険をごまかしていた、見せないようにしていたのである
つまりモラルが消失していたことが大事故につながったともなるのだ

そしてこの辺の原発事故の復興でもモラルが消失してできないということもある
家族がばらばらになり老人が取り残されて妻がいないから女性をひきこみ退廃している
何かモラルが崩壊して復興もありえない、何か一眼となって復興しようというものがないのである、あるのは補償金をもらうことで団結することだけなのである
でもまたその補償金は南相馬市なら三〇キロ内と外では大きな差がありそこでもめて一体化しないのである
だから原町区と鹿島区では一緒になり東電に訴訟したりできないのである

いづれにしろ日本は様々な点で内部的にも危機である、モラルも消失して愛国心などない金を愛すことはあっても第一国家とは何か意識できないからである、意識させなくされていたからである、だからそうして心の問題としてモラルの問題として日本は危機になる
その方が大きな問題ともなる、日本人が一つになり戦う意識もないのである
だから日本が滅んでいないのが不思議だと右翼の人が言うのもわかる
心がないからすでに日本人は滅亡しているともなる

ただ本当に中国が攻めてきて危機に瀕した時、救国の英雄が現れるかもしれない
それがまた日本だともなる、自分の場合は年だから無理である
動乱の前に死んだ方が楽だとなる、ても確実に動乱の時代が来る
様々な災難はその前兆なのである、日本は心から立て直す必要に迫られている
日蓮が正法を法華経を信じよとしたのは国の問題も心の問題として起きるからそう言ったのである、ただカルト教団はこれも御利益とか金しかない、愛国心など一切ない
自分たちが得にすることしかしない、国のために犠牲になるような人は一人もいないのである  

そもそも愛国心ということ自体が死語になっていないか?
戦後は自己愛しかなくなっていたのである、それは国が平和だからありえたのである
でも国家存亡の危機になると自己愛だけではもう国家を維持できないのである
だから日本が滅んでいないのが不思議だともなるのである
ローマ帝国が滅んだのも贅沢にふけり軟弱となりモラルが消失したからである
そこに蛮族が侵略してきたのである
日本も同じなのである、モラルが消失したときそこに蛮族ではなにしろ中国とかが攻めてくるということである 

とにかく人間の弱点は常に危機感をもてない、確かに一時的にはもつ、でもすぐ忘れる
戦争で3百万人死んだとしてもそれもあいまいとなり忘れてゆく
津浪の被害でも十年過ぎると地元でも関心がなくなる、常に事件があり関心が移ってゆくからである、だから人間が常時危機感を持つとは不可能だともなる
コロナウィルスでもなれて大したことかないとなるのもそうである
それはあらゆることでそうなのである、常時危機感をもって生きることはできない
ただそれでも危機は確実にくる、容赦なく襲ってくるともなる
そのことは津波でも原発事故でも証明されたのである 

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鈴木傾城

武闘派の意見だけど結局日本人は戦争に負けて自立心とか日本精神とか消失した、日本人としてモラルも消失した、軍事力とか経済力もあるが精神の面でもう滅んでいるのかとも見えるのだろう、それが危機なのだけど日本人は自覚していない
だから中国にでも簡単に侵略されて滅びて亡国の民になるともなる

日本がはこれだけ自然災害のあるクニなのに津波でも危機感がなかった、原発事故でも「安全神話」を作り日本の技術は優秀だから事故はないとして安全を怠った
それは戦争にもいえる、アメリカに頼るだけでありそのアメリカも撤退する
すると巨大化した中国とどうして対峙できるのか?
それは軍事力とか経済力だけではない、心の問題として危機感をもっていないのである
それでエレミヤが北から攻めてくるとして警告していたが民は無視して聞かれなかった
その危機感がないことが最大の問題だったのである
それは余りにも平和に慣れ過ぎてしまったためである、戦後の七〇年間は特別恵まれた時代だったのである、それも終わり激動の動乱の時代へと突入する
その時本当にあっけなく日本は滅んでしまうかもしれない恐怖になる、現状を見ればそうなる、危機感がないからである

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posted by 老鶯 at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層