2020年11月08日

日蓮の立正安国論の時代と似ている現在 (家が乱れるのと国が乱れることは似ている)


日蓮の立正安国論の時代と似ている現在

(家が乱れるのと国が乱れることは似ている)



立正安国論にある「国を失い、家が滅んでしまえば、どこへ逃げることができるだろうか。あなたは自身の安全を願うならば、まず四表の静謐(=社会全体の安穏)を祈ることが必要ではないか」

たとえその国に、正しい教えがあったとしても、国王がそれを広めず、僧侶をはじめ、信者たちがそれを敬わず、供養もしなければ、神仏はその国を捨て去るであろう。その代わり、多くの災難が起こり、天変地異や疫病が流行り、飢餓が続いて、多くの他国の兵士が国を侵略し、人々は多くの苦しみを受けるであろう』と書いてあります。

『仁王経』には『国が乱れる時は、鬼神が騒ぐ。鬼神が騒ぐために、多くの民が乱れる。さらに外国が侵略して来る。天変地異も起こり、国の中も悪い賊が人々を苦しめる』とあり、また『この世の王は、過去世に仏に従った功徳によって、現世で王となったのである。そのため、その王が正しい教えに従わないならば、神仏や善神もその国を捨て去ってしまうのである』とあり、起こるべき災難について、『太陽と月の運行が狂うこと、星の運行が狂うこと、さまざまな大規模火災が起こること、異常気象が起こること、暴風が起こること、干ばつが起こること、他国が国を侵略し国内でも内乱が起こること』の七つの災難をあげています。



国が乱れるという前に家が乱れることを私自身が経験した、介護のためにまた自分の病気のために崩壊寸前になったのである
その時自分の家に来たのは悪鬼だったのである、家が乱れ弱体化したとき襲ってきたのである、それは金を求めてそうなった、家がそのために荒らされるだけだった
そのことを延々とプログに書いてきた

なぜそうなったのか?

それは家が乱れたからである、一人は認知症になったり自分自身が病気になったりつづいて家族の一人が介護になったり災難がつづいたからである
こういう時はとにかく連続して悪いことが起きてくるのだ
そして人は同情したりしない、その弱さをついて攻めてくるのである
それが人間の実体なのである、なぜそうなったのかというとみんな金に苦しんでいたからである、事業に失敗した人は借金で苦しんでいる、するとこの際金を得ようと脅迫のようなことをしてくる、また引き入れた人が泥棒だったりある者は金にめんどうみてもらへと言って狂気のようにして去って行った
それくらいの関係しかないこともあったがこのように家が乱れる時、悪鬼が侵入してくるのである                                      

これは家のことだが国家レベルでもそうなのである、国が乱れる時悪鬼が侵入してくる
無法地帯のようになり盗賊でも跋扈するような状態になる
その時、聖人とか善神は去るとなる、国はただ悪鬼の住処のようになってしまうのであるその具体例がシリアである、シリアでは国を失い住む所もなくなくなり悲惨の難民へと追いやられた、まさに亡国の民となったのである
国を失うということはそれだけ恐ろしいことなのである
それは家が乱れると似ているのである、ただ個々の家が乱れても国家があればシリアのようにはならない、国が乱れて国を失えばもう家族も維持できないのである
原発事故でも故郷を失い廃墟と化して修復できなくなった、ただ逃れる場所がありそこに新築の家を建てて別な生活ができた、だからシリア難民と格段の差がある
それで裕福になった人たちも結構多いからである
だから原発事故でも得したとも言われるのである

日本は今戦後70年過ぎて国難の時代になったのである、明治維新は戦争が終わる70年前であった、その時も国難だったがここは奇跡的に乗り切ることができた
そして70年後アメリカに負けて敗戦となり焼野原になった
それから70年過ぎてまた日本は国難の時代になった、国難の時代になると日蓮の時代のように次々に悪いことが起きるのである
疫病はコロナウィルスであり飢饉は経済的困窮であり外国からの日本への侵略などが起きて来る、内憂外患となる
本当にそういう危機が起こりつつある
中国が尖閣諸島をとりにきているしやがて沖縄を占領するとかなる
ロシアは北海道をとりにくるとかにもなる、アメリカは引き上げてその後にそうなる
なんといっても中国は強大でありそれに対抗できない、そして日本は分断される
そもそもなぜ津波とか原発事故とかコロナウィルスとか災難がつづくの?
これ自体が不可解なのである、それは日蓮が言うように人心の乱れがあり法華経に帰依せよと言ったのはそのためである

だから日蓮の立正安国論の時代になる、ここで仏教の教えを基にしている、正法を信じないから国難を災難が起こるとしている、それは国内自体がもう人心の乱れが頂点に達している、金だけを求めて人々は獣のようになっているからだ
金しか何も見えない、そういう時、悪鬼がそれに乗じて跋扈することになる
それがまさに自分の家に起きたことだからである
国が乱れる時も同じなのである、日本はアメリカと中国によっても分断される
自民党がいたとしてもここでもアメリカよりと中国寄りがいる
創価などは異常に中国よりである、それで二階堂氏と協力できたともなる
でもアメリカよりもいるから自民党も二つに分断される、また左は中国寄りである

日本の国内も二つに分断される、明治維新の時は一つにできてまとまることができた
太平洋戦争でも一億総火の玉とかなり挙国一致になった
でも今度は簡単にはいかない、戦前はまだ日本人として一致したものがあったからである今はそういうものがない、ただ金だけを求める日本人になったからである
国はすでに乱れているからだ、何をもって挙国一致になるのかそれがない
そこでカルト教団などが跋扈してさらに乱れる、その人たちは国のことなど関係ない
権力が欲しいだけであり、御利益が欲しいだけだから国のために犠牲になることなどしない、国から御利益を得たいだけである

こういうとき日本はたちまち中国であれ抵抗力もなく占領されるのかもしれない
そして難民になるという人もいる、それだけの危機が見えるとういこともある
そんなことありえないというが何が起こるかもしれない
日本は金を愛すが日本を愛す心を失っているからである、明治から戦前は愛国心があったからだ、それを否定する人がいたとしてもやはり日本は国土愛とか愛国心の強い民族なのである、それも喪失したときどうして国を守れるのか?だから危機なのである

posted by 老鶯 at 10:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

小菊の群生写真 (新しいレンズを買ってとった)


小菊の群生写真

(新しいレンズを買ってとった)

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下は一部をきりとった、それでま違った見方ができる


新しい中古のレンズを買った、それで試し撮りした、一万六千くらいだけどこれは前よりいいレンズかもしれない、レンズは多すぎてわからない、レンズごとに撮った感じが違っくるとなるとカメラ本体もそうだがレンズが大事になる
ただ自分は本当に簡単なカメラしか使っていなかったからわからなかったのである

これは陽が雲に隠れ落ちてゆくころを撮った写真である、太陽はすぐに雲に隠れた
田た撮った時は陽がさしていた、写真はこうして陽の挿し具合とかで微妙に変わるのである、だから変化するから刻々変わるからそのチャンスを逃さないようにすることだとなる

本体はソニーのα6000でありそんなにいいものではない、でもきれいにとれるのはレンズも関係している
背景がぼけているのがいいのである、私が撮るのは花が多いから背景がぼけるのがいいのである
今回は5、6枚とって一枚が成功したとようである

ただ季節的には晩菊である、でもそんな感じはしない、にぎやかである
だから晩秋とは感じない、菊はにぎやかに咲いているというだけである

でも不思議なのは身近な所でも写真になるところがある
身近だと何かありふれて新鮮さがないからである
でも写真にとるものがある、写真を撮ることによって美を見出してゆく作用があると思った、だから写真の趣味が一番多いことが理解できた

ここは街の通りなのだけど店もない、畑がありそこにこれたけ小菊が咲いていた
菊だけ咲いてにぎわっているとなる、ここでは人がたりないある
ただここだをとれば美があるなる
タグ:小菊の写真

2020年11月10日

山津見神⇒羽山津見神(羽山戸神)の関係 (なぜ羽山神社が多いのか?)


山津見神⇒羽山津見神(羽山戸神)の関係

(なぜ羽山神社が多いのか?)



よく似た名前の神…ハヤマツミ(麓山祇・羽山津見神)

死んだカグツチの体から生まれた神の1柱が「ハヤマツミ神」です。ハヤマは「山の端」という意味で、山の麓、山の入り口という意味です。「ハヤマツミ神」と「ハヤマト神」はほぼ性質が同じがかなり近い神と考えていいでしょう。

日本では山に穀物神が住んでいて、その神が里の畑に下りて、畑に宿って穀物を育てると考えていました。だから山は異世界の入り口であり、良い穀物神を宿す山は特別視したわけです。それが「ハヤマト神」だと思います。

『古事記』だけに出てくるマイナーな神に羽山戸神という神がいる。系譜は大年神(オオトシ。『古事記』において須佐之男命と神大市比売(かむおおいちひめ・大山津見神の娘)の間に生まれた)と天知迦流美豆比売(アメチカルミズヒメ)の間に生まれた神と言う。

羽山戸と羽山津見(麓山祇)は「羽山」の部分を同じくし、『日本書紀』訓注に「麓、山足を麓と曰ふ。此に簸耶磨(はやま)と云ふ」とある。よって、「羽山津見」のハヤマは端山の意で、山の麓に解され、奥山津見に対応する、と言う。地名には、羽山、葉山、早馬等があり、「は(端)、やま(山)で、平地に接する山のこと」とか、「山の端」の意



相馬地域に多いのは綿津見神社である、それと対となった山津見神社がある
それは飯館村までつづいている、飯館村の佐須にある山津見神社は有名である
また綿津見神社も対なしてあり小社ではない、なぜこの神社がこの辺で特別多いのか?
それがこの辺の古代の特徴である

そして次にわかったことは羽山神社というのがまた多いのである
これは山津見の神から生まれたものとしての系統である
山津見と羽山は一体である、なぜなら羽山津見神というのもあるからだ
山津見のの前に羽を置けばそうなる
それで「本邦小祠の研究ー岩崎敏夫」があるのもそのためである
それだけ羽山神社が多い、また地名としても多いから研究の対象となった

それは山津見神と一体のものであり元来は山津見神から派生した神であった
この羽山神が多いのは稲作と深く関係していたからである
山が水の供給源であり稲作には水が欠かせないから信仰の対象になった
それが奥山ではない里山となっていたのはそこが生活の拠点となっていたからだろう

ただ水の不思議は奥山だと平地で水がないときも水が流れている、山には水が絶えることがないのである、その水が里に流れて来て春には田植えがある、それで先祖が春には山からおりてきて実りをもたらすという信仰が生まれた

とにかく日本の神社の淵源をたどると古いのである、古事記まで連なる古いものなのである、そしてこれらの神が出雲系だというのも不思議である
神々の由来をかずねると出雲にある、そして蝦夷と呼ばれた人たちは出雲系だとしている大和より先に出雲があったとなる  
丸森町にも山津見神社があり羽山神社があり祭りが行われるている
これは全国的にも多い神社なのである、一地域のものではない、その系統をたどってゆくと古事記の記述にたどりつく、

羽山戸(端谷間門)は羽山(端谷間)か山戸(谷間門)に分けられてもおかしくはない。おそらく後世になり、山と谷間(やま)が混同するようになり、ヤマは「山」に一本化され、谷間(たにま)は苗字が多少残っているようだ。

Tomのスペース

このサイトの説明が的を得ているのか?
山(やま)とあるがこれは当て字である、日本人がヤマと言った時、山を発見したのは谷間のことだったのである、谷間からは水が流れて来る、それは稲作に欠かせないものだったからである、高い山を意識したのではない、生活に密接なものとして谷間(やま)を発見したとなる、そこから羽山信仰が生まれた、奥山は別なな世界だった
南相馬市の鹿島区の栃窪村にも羽山神社がある、それは奥山ではない、村の入り口であるただ奥山から水が平地に流れて来る地点でもある

なぜこの神に注目するというと第一大和(やまと)というとき山戸であり山の入り口なのである、そして大和と言ってもそれが生まれたのは小さな一地域のことでありそれが日本を意味するようになった、つまり日本にとって山の入り口とか羽山の地域が重要な地域だったのはそこから水が流れてきて稲作に欠かせないものだったからである

いづれにしろなぜ綿津見神社と山津見神社とそれに連なる羽山神社が多いのか?
これは日本がの成り立ちと深く関係しているのだ、綿津見神社とは海の神であり海を離れて日本はありえないし、また山津見神社があるとして山を離れて日本はありえないのである、海彦山彦の神話もそこから生まれて来た

その生業(なりわい)を 雨降らず 日の重(かさ)なれば 植ゑし田も 蒔(ま)きし畑も 朝ごとに 凋(しぼ)み枯れ行く そを見れば 心を痛み みどり子(こ)の 乳(ち)乞(こ)ふがごとく 天(あま)つ水 仰ぎてそ待つ あしひきの 山のたをりに この見ゆる 天(あま)の白雲 わたつみの 沖つ宮辺(みやへ)に 立ち渡り との曇(ぐも)りあひて 雨も賜(たま)はね

ここでは山だけでない海にも祈っている、それは綿津見神なのでる、山だけでは、海に向かっても祈っていたのである

posted by 老鶯 at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

資本主義社会で商品化されて切り売りされる人間 (全人間を生きるにはアウトサイダーになるほかない)


資本主義社会で商品化されて切り売りされる人間

(全人間を生きるにはアウトサイダーになるほかない)

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材料として人間は商品化され切り売りされる

このサイトは引用もできないのか?人間が派遣されるのではなく、人材が派遣されるという、資本主義社会の冷酷な現実をこの人はいつも書いている
確かに人材というとき材は材木であり木のことなのである、木は一つの生命体であり
森の中で生きている時は全体として森の命として存在していたのである
でも一本の木が切られて材料となるとき森の全体の命から切り離された材料になったのである、商品となったのである
それで森に生活していたソーローはその森の木をただ商品として見ている商人に怒ったのである、ソーローは森の住人であり森全体の中で生きていたからである

資本主義の矛盾を冷酷さはマルクスが人間の商品化を人間疎外として指摘していた
だからめずらしいことではない、人間はみんな商品にされているのが資本主義だとなる
だからそれは社会全般でそうなっている、婚活とかも人間を商品化しているという感覚になる
商品として価値あるものが男女とも選ぶ市場を形成しているからである
それは遊郭の遊女でも商品として並べられて選ばれて金で買われていたのと同じである
一見婚活は現代的合理的なものとして見られるがやはり資本主義的現代社会の一端として現れたものである
そこでなかなかうまく選ぶことができないというのはどうしても男女とも商品化するとき商品価値が高いものを選ぼうとする、すると互いに望みが大きくなり選ぶことがむずかしくなる、そして選ばれる最高の商品はみんなが欲しい商品なのだから簡単に手に入らない競争も激化して手に入らない、でもいつまでも相応の人がいいとはならず高望みして決まらないとなる、つまり人間が商品として陳列させていることなのである
婚活を主催する人は昔なら仲人なのだがその商品をすすめる商売人となっているのだ

何かこのことに興味をもったのは私は森を詩で追求して来た
木の詩も書いてきた、それでその見方が面白いと思ったのである
このサイトではもともとユニークな見方をしていたのである
なぜ現代社会ではこうして人間が商品として能力にしても一部が切り売りされるのか?
それは資本主義社会だからというのでもない、現代文明がたどりついた結果なのである
文明そのものが非人間的なものである

人間が派遣するのではない、人材を派遣する

このことがまさに非人間的なことなのである、人間というとき森のように全体のことであり人材とはその森から切り離された木という材料にすることである
その時森という全体の命から切り離されたものとなり生命としては死んだものともなる
第一森全体を派遣したりできない、森は全体でありそれは一つの命として存在しているからである

また人間を派遣するいうとき、人間とは全体のことである、部分のことではない、なぜなら人間一人は様々な要素があるからだ、家族の一員であれば妻であったり母であったり
家族の中の一人として機能している存在である
その家族という全体から抽出して一部の能力を人材として採用するのが会社なのである
そもそも社会の仕事は人間的なものを切り離してある一部分の能力だけを見て採用する
人間全体を見る人はいない、そんなことしたら会社が成り立たない
ただ高度成長期はそういうことがあった、家族全体の福祉とかを担っていたのである
だから運動会とか社員旅行とか様々なことで家族のようにもなっていたのである
それは会社が高度成長で終身雇用ができてそうなっていたのである
人を雇うとその人の頼みとか聞いているときりなくなるのである
何で困ったとか助けてくれとか病気だから休ませてくれとかな本当に切りなくなる
でも資本主義社会では冷酷である、もう働けないからやめてくれと首にされるだけなのである、そして代わりはいくらでもいる、いないなら外国から連れて安く働かせればいいとなる

とにかく人間は資本主義社会だけではない、社会主義社会でもどんな社会でもこのようなことが起きている、奴隷がいたこともそうである、現代社会はあからさまな奴隷ではないにしろ商品化されて奴隷化されているのである
だから社畜だとか自ら言っていることでもわかる、それがわかっているからそう言っている
では資本主義社会の人間商品化から脱するにはどうすればいいのか?
それは皮肉にも株でもなんでもいい、一億円くらい稼いでこの社会から離脱してアウトサイダーになることだともなる 

なぜ引きこもりとかがこれだけ多くなるかと言えば人間の商品化とか奴隷化が嫌だからともなる、親でも援助してくれれば働かなくてもいいとなるからだ
それは問題あるにしろ商品化とか人材派遣とかそういうことからまねがれない
そうならないためには金があればできるとなるからだ
親に援助されていてもそれができればその方がいいとなる
そうなったのが自分自身だったのである、20代では底辺労働者だったけど30以降は働かず旅ばかりしていたし会社にこきつかわれこともなかった
その間は人材とされることもなく自然とアイディンティティ化する詩を書いてきたとなる森全体を生きようとしてきたのが自分だったとなる

ただこういうことはすでに2000年前から指摘されていたのである
老子とか荘子の思想がそうである      


「樗と呼ばれる大木があって、その太い根元は節くれ立って墨縄の当てようがなく、
小枝はかがまって定規にかからない。
道ばたに立っているのだが、通りかかる大工は振り向きもしない」というのです。

要するに無用の木なのです。

『荘子』では、「そんな木は無用なるが故に、用材として伐採されることがない。だから大木になる


人材にするも人材になりえない、材料になりえない人間を無用の木に例えたのである
無用の木こそ本来の木の命を生きるものであった、木という全体を生きるものだった
でもそれを人間社会から見ると無用になるのである
そうなるためには引きこもりになりアウトサイダーになるのである
そして最もあるものには値段がつけられないしまた無料なのである
景観は最も素晴らしいものでも金で計れないしそれに直接金を払う人はいない
景観のいい場所のホテルとか旅館とか温泉はその景観によって価値がでる
でもそもそも景観自体は無料なのである、最も価値があるものがこの世では実は無料なのである、富士山が見えるからといって富士山に金を払う必要はないのである

いづれにしろこの世に適合すること自体働くこと自体、人間の人材化であり部品化であるそれはどんなに優秀な人でもそうである、医者にしても人間の体を全部知る人はいない
体の一部分の専門家であり全部のことはわからないのである
これだけ複雑な文明で人間はみんな機械の部品のようになっているのである
だから職業につくこと自体部品化をまねがれない、人間存在の卑小化なのである
働くかないものは生きる価値がないとかされるが全人間的価値を志向すると社会の一員となることは社会の部品化なのである
宗教でも会員一人となるとき認められるが一人だと誰も認めないのである
それで天才的人間はアウトサイダー化したのである

一般的には天才でなくても老後は会社人間を離脱して全人間として生きるべきだともなるいろいろなしがらみを脱して大自然に融合する、それが可能になる
老後も働くというのは問題である、経済的な問題がなければそれが可能になるのである
社会のためにとかボランティアするにしても利益なしでするべきでありただそこに生きがいを見出すのである、ただボランティアには様々な問題があり簡単にはできないのであるだから荘子の無用の木になれとなる、社会の用なきところに自然の大いなる用があるとなるからだ、社会の用とは人材として一部を切り取られた用だからである
全人間としての用は社会には決して与えられない、それだけ複雑でありもう社会というのは怪物であり全体は知ることは不可能だからである

2020年11月11日

晩菊、冬薊、芒(冬の写真三枚)


晩菊、冬薊、芒(冬の写真三枚)

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晩菊やふるさとの小径飾り暮る

晩菊のここに落ち着き咲きて暮る

残菊のあまたや暮れむ田舎かな

十数輪ここに暮れむや冬薊

夕日さし芒なびくや電車行く



写真とるようになってから何でもないものをカメラを通してみる、すると見えないものが見える、またカメラで肉眼では見えないものを見ようとしたりする
だから意外とカメラの効用は大きい、今まではただ撮り記録するだけだった
今は一シーンでもより効果的に美的に画家のように残そうとする

その一つの例が冬薊の写真である、最初薊だけを撮っていた、でもそれだと季節がいつかわからない、それで枯れた葉を映し背景に枯野があり冬の没する陽がさして明るくなっていた、これで季節がわかるともなる

もともと自分は正岡子規の写生俳句から俳句をはじめたし短歌もアララギ派とか写生を基本にしてはじめた
だから写俳という分野が生まれたことは新しい芸術の分野が生まれたのである
それはデジタル化されたカメラが生まれた時生まれた
なぜならいちいち現像していたらとても表現できないからである

デジタル化するとインタ−ネットとつながり即座に発表もできるからだ
インスタグラムなどでもそうであるし他のSNSでもそうである、ただ自分はしていないいちいち答えるのがめんどうになるからだ
毎日こうしてプログに出すだけで時間が撮られるからできない
家事を全部していると何かかにか仕事がありできない

何か晩菊とか残菊というとき淋しい感じになるが実際は多く咲いているとそういう感じでもない、ただ晩菊とあれば淋しいという感じになる
やはり年取ると晩菊であり残菊をイメージする、何かここに落ち着きたいとなる
でも経済的に毎月電気水道ガスを払えない貧乏になると落ち着けないともなる
それが田舎の問題でもある、ある程度の資産があり貯金でもあり余裕がないと田舎でも落ち着いて暮らせないのである

どうしていい写真を撮るかというとき今回芒の写真をとった、これは鉄道のレールの近くでありこれを電車と一緒にとるといいと見た
だから次はそれを試してみよう、写真はある場所を選び構図を選らびとる
だから旅して移動していると写真はとりにくいと思った
地元なら構図を何度も同じ場所に行くから設定できるからいいのである
写真をとることは結構な労働なのを知った


2020年11月12日

国(くに)とは何なのか? (古代から国造(くにのみやっこ)から考察)


国(くに)とは何なのか?

(古代から国造(くにのみやっこ)から考察)


くに‐の‐みやつこ【国▽造】 の解説
《国の御奴 (みやつこ) の意》大化の改新以前における世襲制の地方官。地方の豪族で、朝廷から任命されてその地方を統治した。大化の改新以後は廃止されたが、多くは郡司となってその国の神事もつかさどった。くにつこ。こくぞう。

東の毛野(けぬ)、西の筑紫・豊・肥の君姓国造などさまざまであり、一律に行われた編成ではないことが分かる。

国造はそれぞれの国造の祖神たる神祇の祭祀を司り、部民や屯倉の管理なども行った。国造族の子女を舎人や釆女として朝廷に出仕させており、紀国造や上毛野国造などのように外交に従事したりもした。また、筑紫の国造(筑紫国造)のように北九州を勢力下に入れ朝廷に反抗する者や、闘鶏国造のように解体された国造も存在する。


国(くに)を考察するときそこが最小の国からの行政単位としてあった
だから国造(くにのみやっこ)が中央から派遣された
ただもともとそこに何らか国が形成されていないとそれもできない、その地域に国が形成されていて国造が中央から派遣された、第一荒野のような所だったら派遣しようがないだろう

浜通りでは石城(いわき)、染羽(しめは)、浮田が国造りが置かれた地域である
染羽(しめは)は浪江辺りであり浮田は南相馬市の鹿島区である
だから古代になるとこの三つの地域はすでに一つの国が形成されていたとなる
そこに何らか国となる人口があり人々がそれなりに住んでいたとなる
一番古い国があったとなる 、これは毛野系統なのである

ただクニというとき県(あがた)がありムラがありマチがありミヤコがある、クニというのがどれくらいの範囲なのか明確ではない、国造りのクニは狭い範囲なのである、浮田などになるとそこは相当に狭い、一つの村くらいなのである
だからクニという今の感覚では狭すぎるとなる

会津嶺の国をさ遠み逢わなはば偲びにせもと紐結ばさね

万葉集にのっている国では会津が一番古いとなる、でも会津というとき広いのである
それだけの広い所が国として意識されていたとなる
だから国造(くにのみやっこ)が置かれた国とも違って大きいとなる

そもそも国意識がどうして生まれたのか?

それは何か風土と密接に関係している、どちらかとうと四方山に囲まれた地域が国として意識されやすい、だから会津が国として古代から意識されていた
そして日本は地形的に山が多く山に囲まれている、そこに小国(おぐに)という地名が多い、阿武隈山中にも小国がありそういう場所なのである
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山超えて小国とあれや春の日やバスにおりたち一時ありぬ

福島市に行くのだがここでバスで降りた記憶があるからだ
それから小国町もありそこは遠かった、さらに青森県の黒石市から温湯(ぬるゆ)温泉へ雪が積もっている時バスで行った、トンネルをぬけるとそこにも小国とあった
こんな奥に小国があるのかと不思議だった、そこは十和田湖に近い場所でもあった
つまりこのように日本に小国という地名が多くそこを一つの国として意識していたのである、だからもともと国はそうして小さい隔絶した山に囲まれた辺鄙な所だった
そこで自給自足して暮らしていたとなる
それにしてもそこまで行くのはバスしかないのだから難儀する、車があれば別だがバスは不便だからである

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クニというとき村とも違う、村は群れるからきているから人の匂いがする
クニは区切られたとか一つの区切られた地域であり自然をイメージする
でも国というときその範囲が拡大して来た、すでに会津嶺の国でもそうである
だから日本全体が国となったのもそうである、でももともと国造りが派遣された場所でありそこは何か狭い場所なのである
今の意識とは相当に違ったものと感じる   

柳田は〈ヲグニ〉の特徴として「生活品は塩さえも土地に産することがあり、武陵桃源の隠れ里のごとく、彼らが自得自讃の根拠あることを感ぜしめる」と記しました

日本は山が多いからそういう隔絶した場所にも住んだ、だからそこで小国という意識が生まれた、そこで自給自足して生活していたからである
飯館村などがそういう地理にあり海側からすると峠を越えるのが容易ではない、地理的に隔絶されている、そこは貧しい地域だったともなる、ただ森が多いから炭焼きなどで豊かになった人もいる、木材が豊富だからそれで伊達との争いもあった

いづれろにしろ私は国にこだわるのはその土地と一体化してアイディンティティ化するのが国だからである、ただ故郷ととなると古い里なのだから狭すぎるのである
国というときもっと大きな自然がありそこでアイディンティティ化する場なのである
だからこそ日本国となるのもそれだけクニが広い範囲として国土として意識されたからそうなった、ただ行政的単位ではない、クニとはだから福島県だったら会津とは一体化できない、浜通りと会津とは全く違った風土と地域だからである
だからそれを国として意識することは無理なのである、ただ一応福島県内にあるから親密感はあるとはなる、でも地理的には相馬地域なら宮城県と仙台方面と一体感が海を通じてあったのだ、それは津波で意識された、だから宮城県の津浪の歴史を地理的一体のものとしてもっと郷土史で探求していればよかったとなる

ただ一時私はスマトラ津波の時相馬市に松川浦から津波が来て奥まで砂がボーリングで発見されたとありそのことを書いた、それは貞観津浪のものであった
慶長津波のことは何ら記録されていなかったのである、相馬藩政史に二行700人生波(いくなみ)で溺死としるされていただけなのである
それも津波の以後に発見されたのである、だからここは津浪の記録の空白地帯になっていたのである                              

ともかく地理と歴史は不可分に結びついている、だから地歴なのである
それで日本国内なら隈なく私は旅行しているから地理はわかるのである

posted by 老鶯 at 10:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

余裕のない人は他者を省りみない (自分のことしか頭になくなる―日本は貧困化しているから)


余裕のない人は他者を省りみない

(自分のことしか頭になくなる―日本は貧困化しているから)

その女性はガスの風呂を使っている、それでずっと私自身がユニットバスの水を一旦だしてからまた入れ替えてガスでたいていた
それてユニットバスの水がその度にいれかえるので水道料が高くなったのである
それをなんとかしようとしてその女性に聞いたが良く話を聞かない
それで二年以上かそれ以上水道料を高くしていたのである
ただ私は風呂には春から秋でも一週間に一回くらいしか入らないからそんなに水道料はかかっていなかったのである、だからそんなものかと見逃していたのである
そしてオイタキ機能を使っていたのだがこれはお湯が出るとばかり思っていたのである
これはお湯が水とともに出るわけではなく水をあたためる機能だった
それに気づかなかったのである、これは長くは使わないからである

そのことを見回りにきたイワタニの人に聞いた、そしたらオイタキで使用した水を温めることができると知ったのである、それを知らずに使っていたのが大失敗だった
ただ一週間に一回くらいだったから水道料金にはそれほど影響しなかったからそのままにしていた
でも今年は早く寒くなったとか何か年で冷えやすくなったとか風呂に入る回数が倍以上にもそれ以上にもなった、それでいちいち水を全部出して新しく風呂をわかすことが金がかかると思って困っていたのである
とにかく今日見回りの人が来て聞いて助かった,風呂を利用する頻度が多くなるからだ

いづれにしろ人間は余裕がない人は相談相手にもならない、第一その人は毎月電気ガス水道料金を払えないからそのことで常に頭一杯になっている、自分のことで頭一杯になっている、そういう人は他人の話など良く聞かないのである
そして機関銃のように困ったことを訴えるのが日常なのである
でも相手が困っていてもその話を良く聞かない、聞いている余裕がないのである
自分のことで毎日精一杯だからである

こういうことは自分が介護している時や病気のときでもそうだった、相手はその苦しいとか困ったことが見えない、第一その人も事業に失敗してただ頭の中が金だけになっていただから相手が苦しんでいても自分のことで一杯であり余裕がないから他者の困っていることは関係ないとなる
なんか家族が病気になったり自分が病気になったりしてから自分の身に起きている
日本が貧乏になるときこうして余裕がない人が増えて来る、金に追われる人が増えて来る
そしてどうなっていくのか?

犯罪者が増えてゆく、犯罪者とはもともと悪い人とは限らない、人間は追い詰められると犯罪者になるのである、明日食べるものがないときわずかの金でも襲い殺すこともある
それが生物だとなる、餓えたら襲ってくるのである
日本が貧困化することの恐怖はそこにある、ともかくみんな余裕がないとなるときそうなる

統計ではかえって富裕な人が金銭的にも余裕がある人達の地域で助け合うというのもそうである、貧困者が集まる所では犯罪が増える、助け合うこともできない
みんな余裕がないからだ、だからわずかの金でも奪うということもある、物でも奪う
貧困者同士は助けあえないのである、電気水道ガス代払えないからとして金をくれと言ってもないからである

でもそういう人と付き合うことは犯罪の予防にはなる、それでも全く他人のことを思いやる余裕もないというとき一方的になり肝心の自分は何もしてくれないとなる
何もしなくてもいいがちょっとした助言でもしてもらえない、ただしてもらったことはある、でも相手のことを良く聞く余裕がないから親身になって聞いてくれないのである
だからかえっていいことがなく損が多いともなる

なんか生活保護は最低限を保証して犯罪を予防するものだとか言われる
それもそうだと思う、もうぎりぎりに追い詰められれば人間に善悪はない、食べるために襲ってくるとなるからだ
ただ日本自体が貧乏になる時そういう余裕がない人であふれる、その時どうなるのか?
いくら余裕がある人がいてもそういう人が多くなると安穏としてはいられなくなるのだ
極端の格差社会になると犯罪が増える、金持ちも誘拐されたりする
それが一番怖いから生活保護の制度がある
しかし今生活保護は本当に厳しいし簡単にもらえないしもう門前払いになる
もらっても医療費は無料とかだけになるが実際は医療費も無料ではない、二割三割負担されているのである

とにかく家族がいたときは自分はめぐまれていた、家族の介護とかなって本当に苦しくなった、それを自分を気遣ってくれる人もいなくなりこちらが気づかい世話する立場になったからである
そして家を維持するときいろいろなことがある、今回のことはその一部なのである
他でも何か自分は世事にうとくわからないことがあり失敗しているからだ
だから引きこもりとかニートとか大量にいるけど両親とか死んだら地獄になる
その例が自分自身だったのである

ともかく現代の問題として機械の操作ができなくなることがある、特に老人は機械の操作が苦手になる、だから新しく買った機械が使えなくて失敗した
ただ今までしていことはパソコンでもできる、でもスマホとなると私自身でもしにくいからしないのである、他にも機械をうまく操作できないことがある
これが現代の老人の大きなハンディキャップとなっているのだ
現代はある面では老人が高齢化社会でも生きにくい社会である
老人向きの商品も売っていないとかいうのもそうである

ただ不思議だったのはヤマハのYPJ-XCは老人向きだった、最初マウテンバイクだと見ていたが全然違っていた、普通の道路が走り安いのである、第一27・5のタイヤとなると大きい、するとマウテンバイクとしては使いにくいのである
それで一回り小さいさらに改良したマウテンバイクが発売された、これは60万もしているこれならどんな悪路でも平気だとはなる、何かプロ用だともなる
現代の問題は老人にとっていろいろな機械が操作しにくいということがある
かえって若い人に教えてもらうとなり老人が何か役立たないとされるのである

ただ老人には経験したものがありそれは活きる、私は全国を旅したからそのことで今日も国造りのことで小国の地名のことなど書いたからである
こういうことは経験しないと書けないのである、その場に行かないと書けないことなのである、だから依然として老人は経験したことで何か教えることがある
だからプログでもyoutubeでも老人が発言している、その内容は若者より心にひびくものとなる、アメリカに十五年仕事していたとかいう経験はなかなかできない
私自身は外国生活していないからそこに差が生まれたのである


とにかく自分で思いこんでいるより直接きいてみることである
これは命にかかわる、医者行かないで聞かなかったの手遅れにり死ぬところだった
つまり良く聞かないこは死ぬこともある
たた聞く相手が問題なのである、ここではそなつくたガス屋に聞くべきだった
ただユニットバスを作った会社とガス屋違っていの問題だった
でもとにかく聞かないおやゆびサイン失敗したのである

2020年11月13日

冬の日に大原を回る (暮らしと生業がないと村も活きない)


冬の日に大原を回る

(暮らしと生業がないと村も活きない)

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新田川ユッサの庭

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冬の蝶
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ユッサから大原の道


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空家の斎藤家が見える
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大原の幽霊屋敷

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この柿の木は古い

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寒雲や老婆一人の通り行く

冬日さし石の二つやお茶を飲む

木の葉散る大原の道墓地を見ゆ

残菊や太原の里の小径暮る

大原や老木の柿今もなる

大原に数羽飛びけり冬の蝶 

大原や薊に蝶のとまりけり

竜胆の隠され咲きて山の村           

大原と大谷村や冬の暮  

太原に空家残りて冬の草

冬の日にのろのろ歩む亀ととも

大群の烏終結冬日没る


前田から遠田とありぬ冬の日や大原のくらし空家残りぬ

冬の日や杉の木立に隠されて大原の人ここに眠りぬ

大原に生きて死すかなその人のなおここにあらむ冬の日暮れぬ 


橲原から山の中の新しい道を行き大原を回った、新田川のユッサで休んで回ってきた
この辺では橲原村とか大原村は街から離れていて山の村となる
ただ原発事故以後田畑はまた回復していない、荒地のままである
ただ最近放射性物質の貯蔵した土が運ばれて元にもどりつつはある

でも何か山の村という感覚にともしなくなっいる、それは原発事故があったからだけではない、そもそも山村とかはグロ−バル経済とかも影響して木材は利用されないとか農業は金にならないとか様々な時代の影響で衰退して過疎化した

ただではもともと山の村とかさびれたところだったかとなるとそうではない
山には木材があり炭焼きなどをしていたときはにぎわっていたのだ
その証拠が今の人口の倍くらいどこでも生活していたのである
特に戦後は引揚者が職がなく辺鄙な場所に開墾に入ってきた
鹿島区だと寺内にその開墾者が入った人の碑がある
街から近いのにそんなところに開墾する場所があったのかとなる
自分は子供の時そこに知っている人がいて店をしていたとき卵を買いに行ったからそこに引揚者が開墾に入ったことを知っている、それは相当に貧しかったのである

大原村の中心は前田というある場所である、前田とある場所は早くから開かれた場所である、それと対比しして遠田となると遠い田であり前田から遠い場所なのである
地名として残っているから明確である
つまり日本人は田を作り米を食べることでどんな所でも田にしたのである 
大原遠田という地名がありかなり奥である

とにかく大原では南相馬市の病院に入院していたとき斎藤氏と同室でありそれでその窓からいつも大原の方をながめていたのである
その人もまもなく死んだ、そして杉木立の中に隠されるように墓地がありそこに眠っている

そしてその住んだ家は空家になっている、入院していたとき猫のことを心配していた
すでにその時から一人で住んでいたのである、息子は街の方に住んでいるからである
それで何か後継ぐことで息子に言い残すことがあったらしい
一軒の家はなぜか壊されないで幽霊屋敷のようになって残っている
その風呂は煉瓦の風呂でありそういう風呂を作ったということはそれなりに金があったともなる
なぜなら戦後の風呂は私の家では鉄砲風呂であり父親が手作りでその風呂屋を作ったのである、だから煉瓦の風呂となれば贅沢だとなる
いづれにしろあそこの幽霊屋敷は壊さないのはなぜかとなる、本当にあそこからは幽霊が出てくる感じなのである

なぜ原発事故と関係なく山村は衰退して過疎化したのか?
何か大原であれ橲原であれ栃窪村であれそれは飯館村とは違って街が近い、だから今になると街が山の方へ拡散して山の村として自立してはいないのである
街の延長のようになっている、特に石神村などは市街化した村なのである


ともかく日本の山村が過疎化しているというとき時代の変化でそうなった
村でも昔はそれなりに繁栄して自立した面もあったのである
暮らしといっても農業は主とならずみんな会社員となる
木材も外材になり利用されないとかなにかと活気がないのである
何か山村が空洞化する、原発事故以後は特にそうなった

でも不思議なのはどこの山村でも今の人口の倍以上ありその人口を養うものがあった
それが時代の変化のなかで村が空洞化してしまったのである
ただ街の延長として存在するようになっている、だから村の魅力が消失する
村の残影だけがそこにあるような感覚になるのある
昔は村は生活の場所であり生業の場所であり人間がそこで生き死ぬ場所だったのである
もちろん外との交流があったにしろ基本的に村は自立していたとなる

ただ今でも地形的には橲原村と大原村は奥座敷なのである
それで深野のユッサはいい場所にある
今日はその庭の石二つを見て休んだ、そこで飲むお茶は落ち着くとなる
ただ正直あそこは景観的にも庭も貧弱だとはなる
もっと大きな庭とか森を感じるものがあるといいとなる
ただ何か小鳥が飛んできたからそれなりに自然がある場所なのである

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イオンに行く所の家で飼っているリクガメは大きい、ゆっくりと歩いている
60才とかいうのも驚く、もっと長生きするらしい、すると飼っている方が早く死ぬということがある、亀は万年というのは本当だった

烏の大群が電線にとまっていた、何羽いるのか百羽はいる、なぜこんなに集まったのか?原町は広いから烏も多いとなる

ともかく今日は風もなくあたたかくて良かった、自転車は風に弱いし寒さも弱いからである
だから冬とい感じもなかった


2020年11月14日

原発事故の避難区域に誰でもいいから人が住むべき (人が住むことによって荒廃からまねがれる)


原発事故の避難区域に誰でもいいから人が住むべき

(人が住むことによって荒廃からまねがれる)

集落全体が「山に呑まれて」、道路も藪で覆われて、獣や蛇が出るので、怖くてとても墓参りになどゆけないということでした。人間が住んでいると、それだけで自然の繁殖力はかなり抑制されるのですが、ひとたび無人になると自然が堰を切ったように文明の痕跡を覆い尽くしてしまう。

日本にはいま100万人の「引きこもり」がいるそうです。その人たちに過疎の里山に来てもらって、そこの無住の家に「引きこもって」もらう。里山だと「そこにいるだけで」、里山を自然の繁殖力に呑み込まれることから守ることができる。

これを感じるのは原発避難区域になった所である、特に飯館村とか浪江町とか双葉町とか大熊とかが人の住まない地域になった
そこがどうなったのか?空家だらけでありゴーストタウンや村になった
人が住まなくなるとみるみる自然に逆に浸食されて草に覆われて竹でも下から生えてくるとか自然に呑み込まれるとんいうのは本当である

だから飯館村とかに住んだ科学者なのかまずとにかく人を住まわせるべきだというのは本当だと前々から私も言ってきたのである
人が住まないことはあれほどに荒廃させてしまうのである
だからともかく何であれそこに人が住むことがそうした自然の浸食荒廃を食い止めるというのは私も思う
そのことをずっと書いてきたからである

放射線の被害があるからそれも強く言えないが、荒廃を防ぐにはとにかく引きこもりでもいいそこに人が住むことが肝心だというのは賛成である
ただ住むとしてもでは町や村を離れた人がそうした何もなくなった場所に住むことはもう簡単にできない、10年も過ぎれば生活が別になってしまったからである
子供でもすでに十年過ぎれは他の土地になじんでいるからである

ただここで言っていることはとにかく歩哨としてでも誰でもいいからそういう場所に人が住むことに意義がある、それは西部開拓で一人でも人が住んでいてそれが荒廃を防いだというのもそうである
つまりそういう場所に一人住むことはどれだけ意義があることになるかである
もしそういう場所に住めば一人でもその一人にその土地の歴史とかを担うことになってしまうのである、死者もそこにいるからである、墓地もあり墓参りもしないと先祖も見捨てられたとなり幽鬼のようにさまようことになる
神社などもお参りしないとそれが死んだものとなり呪いともなるかもしれない、墓も同じなのである

一旦人が住んだ場所ともともと自然だけの場所とは違う、一旦人が住むとそこに人が住まなくなると何か一段と淋しくなり荒廃して幽鬼が彷徨っているようになる
つまり何か浮かばれないものがゴーストタウンをビィレッジを彷徨っているとなる
だからともかく一人でもいいからそういう場所に住むとその人がそうした荒廃を防ぐともなる、それだけの意義が与えられとなる、だから新しいフロンティアだというのもわかる

例えば何か自分自身は親に恵まれていた、それでみんな家族が死んでも家が残っている
その家には依然として家族がいる感じにもなる
つまり家があることの幸福を感じた、そして親に感謝するのである
そして家というのは単なる箱ではない、ものではない、ものだとしてもそのモノがモノが憑くというモノになっている、それぞれの家には歴史がありその土地を語っていたとなるだから一旦人が住まなくなると廃屋になるとそこには何か物の怪がいて幽霊が棲んでいる感じになるのである、それだけその家に執着するものがありそうなっているともなる
廃屋でもそう感じる、もし家が壊されたりするとそういうことは感じないのである
ただの更地となってしまうからである

アメリカの西部のような信じられない広大な世界ではそこに一軒の家でもあればほっとする、それが原発事故の避難区域と似ていると言えば似ている
そこになお人が住んでいることだけで救いを感じるのである  


家の歴史

家は北風を防ぎ広い廊下に
冬の陽がさしてあたたかい
我が家は地元の木材で作られた
50年前にもなり古くなった
でも十分に住める
この家は親が与えてくれたもの
親はいつもこの家を自慢していた
それぞれの家には歴史がある
そこに営まれた人生がある
家というのはただ人の住む箱ではない
思い出がつまっていて
そこに苦労があり楽しみがあった
家は冬になると重みを増す
まるでその土地に根付いた木のように
北風が吹いてその土地にさらに根付く
また代々つづく家には重みがある  
人間はとても一代では富は築けない
代々重ねたものがありそれが家の重みとなる
冬には家が大事である
寒さと北風を防ぐから
そしてヨ−ロッパなら暖炉であたたまる
そして回想にふける
家は冬に重みをます
その家とともに人間も重みを増す
何か受け継がれるものがある
そして先祖もその家にいる
それが古い家なら特にそうなる
死者もまた以前として家に棲んでいる
それだけ家は人間と一体となっている 


このように家にはそれぞれ歴史があり何かその土地を語る
私の家はなぜ早く建てたかというとこの町で一番低い場所にあり伊勢湾台風の時か、
もう屋根の下まで水につかってひどいめにあった、その後も川が氾濫して床上浸水になった、それで二階を建ててそこに水害の時逃げるということで家を早めに建てたのである
つまりそれぞれの家には何かこうして歴史がある
これも自分の家の歴史であり町の歴史でもある、一軒一軒の家が市町村の歴史なのである郷土史なのである、だから古い家は学者の調査対象にもなるのである
そういう家の歴史が失わせたのが原発事故だったともなる
ただ津浪でも根こそぎ村が失われたのだからそこで歴史が消失したとなる
それは自然の作用だったが原発事故は人為的なものでありその被害の方がここで大きかったのである

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大原の廃屋

これは原発事故で廃屋になったのではない、その前から廃屋だったのである
この家は本当に幽霊屋敷である、ここから幽霊が本当に出て来る感じであり不気味なのである
依然して家族がいなくても幽霊が棲みついている感じになる





posted by 老鶯 at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連