双葉町の放射線被害
(森が異常に高いーモニタリングポストは信用できない)
ふくしまの今 2019
4キロ離れてこの数字でありえない、0.08なのである
ただ百メートルもない森は10くらいあるのかもしれない
土台をコンクリートの足で固め、その上に鉄板を置き、そこに検出器を載せている。これでは矢ケ崎氏の言うように、地面に落ちた放射性物質から発する放射線が遮蔽され、肝心の検出器まで届かないのである。
国の放射線量デタラメ測定 文科省動かした科学者らの告発
こういうことかもしれない、コンクリートの土台がありそこからは放射線を検知することはできないからだ
海岸の松は残っていた、多少高台にあり自然の松らしい
でもこれだけ残っていることは不思議である
双葉町で駅の通りなど0・5マイクロシーベルトで低い、でも山田地区から原発方面の森の道を行くと一番高い所で20マイクロシーベルトあるとyoutubeで報告されている
それは東電の人が計ったのではない、一般の人が機械で計っている
それは正確なのである、今や一般の人が放送局のようにして報告しているのが普通であるだからビデオカメラで撮影する人がいた、二人でしていたから放送局の人かと思ったら違っていた
何か双葉町は長く人が入れない地域になっていた、でも今はどこでも入ることができる
ただ入れない場所はアーケードしていて人が守っている
でもたいがいは入れるのである
私が海岸の方に行ったらそういう場所があった、その森の坂の道の向こう側が4キロくらいに爆発した原発がある、だからひっきりなしにトラックが来ていた、4キロとなると一時は死ぬとされた、そのくらいに危険だった
そこで疑問に思ったのが放射線のモニタリングの計測器を見たら0.05マイクロシーベルトと表示してあった、こんなことありえないと見た
それでそこのアーケードで守る人に聞いた
なぜこんなに低いのかと聞いた、その人は結構話できる人だった
何か話できない人がいるし話ししたくない人もいる
なんでもこの辺は津波がきて放射性物質も洗い流したせいだとか言っていた
すると爆発したと同時に津波が来て放射性物質も流れたのか?
これも良く科学的にわからない話である
ただモニタリングポストの値は確実に半分と見ていい、それは飯館村で村民が指摘していた、ごまかしたとしていたからだ
それで私自身も計ったらモニタリングポストの回りは確実に倍以上あった
なぜならモニタリングポストの下の土をとって計っていたからである
低く見せるためにそうしていたのである、そこで大成建設の人が働いていた
そこにごまかすことをしていたとなる
その人が言っていたことはすぐ近くの森は高いと言っていた
それはどれくらいかというとyoutubeでは20マイクロシーベルにもなっていた
それは原発に接近すればするほど高くなっていて最高でそうなっていた
だから原発との距離と比例して高くなっていたのである
近ければ近いほど高いのは当然だとなる
それから森の中の高いのは森に蓄積されやすいということがあるだろう
つた森は除染できないからいつまでも高いとなる
それで7割が森に囲まれた飯館村は森を除染できないので放射線を低くできないのである駅通りとかはやはり除染の効果があり低くなったのか、0.5はまだ低くすぎる
というのは浪江町から双葉町にバスで入った時、浪江町で0・5であり双葉町に入ると
7マイクロシーベルトになっていた、それには驚いた
なぜこうして大きな差が出たのか?
それは原発の爆発で出た放射性物質はブルームとなり雲の塊りのようにして流れたからである、平均に分散するというのではなかった
それとその時の風向きが影響した、東風が春に海から吹きそれが山の方へ向かって吹いたその時運悪く雨とか雪がふり放射性物質が雨と雪とかについて降った
それで山側は高くなったのである
海側は低いということは確かである、それで浪江の東電の人が町長が山の方が安全だからと津島に逃げた、でもそこは一番放射線が高い場所になっていたのである
でも東電の人がいて海側の方が安全だとして町民も従って街の方へ引き返した
つまり海側の方が安全だったのである、海側は低いのである
海の方に放射性物質が流れたからである
だからあそこの海の近くが低いことはわかる、でも0.05というのは納得できないのである
いづれにしろ双葉町にしろ大熊町にしろ回復不可能とも見た
住民は帰ってこない、町は放棄されたとなる、ただ廃炉事業に40年もかかるとしたら
その仕事は延々とつづく、そのための施設が必要でありそこで働く住民が必要になる
原発ができたときから原発の町と化して東電の社員のようになっていた
下請けで働くとかなんらか東電と関係していた、もう東電なしでは原発なしでは成り立たない状態になっていたのである
でも津波であれだけの松が海岸に残ったのが不思議である
南相馬市では特に鹿島区の人工林だった松原は一本の松も残らず消失したからである
あそこは多少高台になっていて残ったのか不思議である
あれは人工林ではなく自然林の松のようだ
双葉町は津波で死んだのは20名くらいである、だから被害は少なかった
海岸には港もないし人もあまり住んでいなかった
久ノ浜のようだったらもっと被害があった、だからその点で津波だけだったらこんな被害になはならなかったのである
いづれにしろこの放射線の被害は森はほとんど除染不可能であり放射線の量が減らない
森の中で放射性物質が循環する、木の葉が散って落葉になっても放射性物質は消えない
セシウムは30年消えない、プルトニウムは二万年消えないという恐ろしいものだったのである、ただ見えないから意識化することがむずかしい、でも機械があれば誰でも計測できることが違っていた
コロナウィルスとなると計測できない、だからそのことで不安が増すのである
そしてその感染者の数におびえていることは同じだったのである
とにかく数値が問題になるのである、数値に一気一憂する
でもそんなに心配しなくてもいいというのはコロナウィルスの場合であり放射線量は素人でも正確に測れるのである、それは科学に詳しくなくても素人でもわかるのである
だからわからない素人は何も言うなというのは間違っていた
私が駅のボランティアでJRの駅長でも管理している人に仙台行きといわき行の表示を跨線橋にしてくれと言ったらしてくれたからである
原発ではそういうことはありえないのである
だからそこは完全なブラックボックスになっていた、安全神話というブラックボックスになっていた、それがどれほど危険なものか、今になってわかったのである
ただ時遅しとなっていた
この世の中は権力というのは怖いものなのである、権力によって科学でもゆがめられる
社会も歪められる、そのく権力が誰が持つのか、それが大問題なのである
原発の場合は権力をもっている全部で「安全神話」を作りブラックボックス化した
政治権力、官僚の権力、科学者(御用学者)、マスコミ・・・・・
これらが一体となり安全神話を作った、こうなると誰も逆らうことができなくなっていたのである、カルト宗教団体とか創価なども一枚加わっていたし意外と宗教団体は原発に抵抗しない、推進派になっていた、創価の場合は大成建設と富士山の正本堂建設で受注して密接な関係になった、つまり権力と権力は結託して利益を計る
利益でみんな結び合うのである
そして創価の雑誌の潮とか第三文明では原発を宣伝して宣伝費をもらっていたのである
何でも御利益ならとりつくからである、そして利益を配分するということでは同じなのである、第一仏教でも神社でも御利益宗教である、集団化すればみんなそうなる
御利益を配分するには東電のような有力企業にとりつくとなる、それは暴力団ともにているとなる
官僚は天下り先が東電でありマスコミは電事連からでも800億円が宣伝費として出ていた、それでマスコミで反対することはなかったとなる
東電によって爆発したとき朝日新聞ですら幹部が中国に招待されていたからである
民主主義でもマスコミが報道を独占したように公平な報道もなかった
ただマスコミはテレビ六局で報道を独占していただけである
なぜら他は報道はできなかったからである、なんかyoutubeが生れて双葉町をビデオカメラをもって取材していた、放送局だと思ったら違っていた
別に個人的youtubeで双葉町のことを報道している、それが参考になる
つまたテレビ六局時代の独占は終わったのである
こうしたプログなど誰でもできるしたいしたことないともみる
でも意外と文章でも写真でも主張したり報道できるのである
つまりマスメデアとメデアでありその内容よりメデアであること報道する装置をもっていたことによって権力をもったのである
だからテレビウィルスが強力なものとなったのでてある
このようにあらゆる巨大権力が合体して一体となればそれに逆らうことは不可能である
「安全神話」とか創価の選挙の不敗信仰とかも似ている、戦争中の現人神(あらひとかみ)信仰の不敗神話もそうである、それはあくまで人間が作ったものであり絶対に安全などこの世にないのである
だからこそ津波であれバベルの塔のように崩壊したのである、神によって打ち砕かれたのである、この世の権力がいかに巨大でも全能の神にかなうことはないのである
絶対安全などこの世に人間の力で作りだせないのである
原発というのは確かに事故なのだがそれは巨悪でもありそれが津波によって自然災害によって暴かれたということがあったのだ
まずこれだけ巨大化した権力になると対抗できないからである
だからこそ神の力によって砕かれたのである、つまり神がどこにいるともなるがなんらか神が人間に作用することがある、コロナウィルスでもグロ−バル経済をとめたようになんらか神の力が働いたのかとも思うからである
第一世界的なグロ−バル経済など止めようがないからだ
そんな力もまた人間にはない、でもこのまますすむと世界中でグロ−バル経済、資本主義経済の横暴が覆い地球自体が滅びるとまでなる、生態系が破壊されるて住めなくなるとまでなる、その実例が原発事故だったのである
一時吉田所長が東北に住めてくなると恐怖したからである
そんな空恐ろしいものを作ったことが問題だったのである、だから罰当たったともなる
神からの警告として津波があり原発事故になったともみるのである
新しくできた原発伝承館を見た、600円の入場料をとられた、映像がほとんどであり見るべきものがなかった
そういう映像は前に見ていたからである、ただここも建物だけは立派だった
中味はなかった、何か建物とかは立派になった、駅でもエレベーターがあるのでうらやましく思った
それは避難区域になったところは建物だけは立派なのである
でもそこに住む住民がいないのである、そのアンバランスが何か原発事故の復興を象徴していたのである