2020年09月11日

大麻逮捕の伊勢谷友介容疑者 注目される「ナチュラリスト志向」 (芸能人でも、引きこもり,ニートとか無職は異常人格になりやすいー ただ現代社会自体が異常である)


大麻逮捕の伊勢谷友介容疑者 注目される「ナチュラリスト志向」

(芸能人でも、引きこもり,ニートとか無職は異常人格になりやすいー
ただ現代社会自体が異常である)

それに伴い、ナチュラリスト的な思考がどんどん強くなっていたことも事実です。周囲の人たちには、自然回帰志向のヒッピーのコミューン的な雰囲気もあって、その流れから“大麻礼賛”論者になっていったのではないかとも言われています」

なぜこの事件を取り上げたかというと逮捕された人の部屋を見たら何か装飾品を自分なりに作っている、ということはアーティストでもあった
芸能人はアーティストの部類に入る、そして彼が独身でありまた家庭もない
50近くになっているのにそうである
すると家庭環境がノーマルではない、父親ともなっていない、そこからして人並みとははずれている
何かナチュラリストとかは前も女性の芸能人で大麻をしていて沖縄の島で男性とも集団生活していた
何か普通の家庭をもたない女性であり何か社会常識からはずれた生活をしていたのであるそれと今回も似ていた、この人が飯館村に来て子供と一緒に写真に写っていた
原発事故ではいろいろな人が入ってきたからである

この事件になぜ私自身が興味をもったのかというと何か前から何度も言っているように私自身の生活も社会からはずれた生活をしていて異常化したと述べてきた
30前は底辺労働者であり浮浪者でもあった、でもその時は仕事していたとなる
30以後は全く仕事はしない、旅ばかりして家に引きこもる生活を30年もしていたとなる
そこから何か異常化してこの人と同じような状態になった

なぜこうなるのかというと芸能人とかは現実の社会で仕事をしているのとも違う
ドラマの俳優だとしてもそれは架空のものである、現実を生きるのではない
仮想現実を生きるのが人生となってしまうからである
それで現実と仮想の世界の区別がつかなくなる、ゲームにばかり没頭するとかもそうである
インタ−ネットでもまた仮想現実の世界だともなる
そういう仮想現実が人生になるとき人間はとうなるのか?その人格形成はどうなるのか?何か変な方向に向かってゆく、大麻に溺れるとかいうときその人は大麻を悪いものと思っていない、多少思っても大麻は許されるものだと思いこんでいたことは確かである
大麻は違法ではないと思ってあえてしていたのである
そういうことが世間で世界的にもあり大麻は違法でない国も出ているからだ
かえって体にいいとか精神を活発にするとか思い込んでいる

私自身が大麻をしないにしてもそれは軽微なものとしてこの人はしていたのである
こういう人は引きこもりとニートとか無職とか大量にいる
芸能人は何か社会からはずれた世界であり異常化しやすい、何かエキセントリックになるつまりアーティストになる
現代は何かアウトサイダーとなることが一般化した社会でもある
こういう種類の人が百万単位とかいることになる
ただこの人は引きこもりではない、社会にも認められているし自活しているしそれでナチャルリストとして活動して学校すら経営にかかわっていたのである
何か自由な教育を目指していた、それは自分にも共通していたのである 
そして小人閑居して不善を成すとなる、閑居することは小人にはむずかしい
必ず変な方向に行ってしまう、それは自分自身がそうだったからである

ただアウトサイダーを論じる時、ゴッホとかゴーギャンとかニーチェとか上野霄里とか
ヘンリミラーとかその人たちはまぎれもなく天才である
天才がゆえにエネルギーが大きく普通の平凡な人間になれない、社会に適応できずにあのような超人的志向になったのである
現代社会自体が文明自体が何か異常人格者を産みやすい、なぜヒットラーが生まれたのかを分析すると複雑な巨大な文明社会で人間がアトム化して原子化して無数の部分化して
人間性が失われたとか批判される
シュペングラーの西洋の没落でもそうである、数学的に分析したからである
人間はまた数として見れるだけであり一人の人間など何億人分の一でしかない存在であるただ巨大な高層ビルを見上げていま蟻にすぎないとなる
それで天才はエネルギーがあり能力もあるからそういうことに耐えられないのである
それで強烈な反文明人間になったのである

そもそも現代文明自体が何か仮想現実のように見えてしまう、東京などではそうである
ニュヨークなどでもそうである、これが現実なのかという感覚になれないのである
そこは別な惑星に来たのかと思えるとなる、そこはとても人間が住む世界なのかともみるでも現代人はそうした大都会に住んでいる人が多いのである
その存在は無数の点の一つの点でしかすぎないのである
私自身もそういう生活に耐えられず引きこもりになった、引きこもりは社会と離脱して一人になる、すると無数の複雑な部品として生きるのとは違う
社会だと常に人に頭を下げる生活になるが無職で社会とかかわらなければ何か部品としての自覚がなくなり自然と同化してニーチェのような全人間を目指すようになる  

それで私は天才でも何でもないがそうして社会から離脱して生活してきた
そして自然と山や木や石とアイディンティティする詩を書いてきたのである
それは社会から孤立してきそうしてきたのである
ただそれで異常化してきたことは確かである
何らかそういう芸術家は狂気化してゆく、ニーチェもそうでありヘルダーリンでも最後は塔に閉じこもり精神病になってひきこもるようになった
ベ―トベンでも社会性がなかったとされる
芸能人でも芸術家でも共通したものがある、それで何かエキセントリックなものになってゆく

ただこれは芸能人とか芸術家だけの問題でもない、別に結婚して子供を育てた60くらいになってもその夫婦が奇形化した人格になっていた
妻も異様な人格になっていた、情もない人間になっていた
それは子供の時から三人母親が変わったということがありそうなったのか?
経済的には恵まれているからどうしてそんな信じられない人間になったのか理解できないもうとても人間として付き合えないという人間になっていたからだ

だから別に異様な人格になるのは正常のルートで生活していてもなる
それより現代文明人はもう異常化しやすい、まともに人格形成ができない
その模範となるものもない、それでカルト宗教団体があれだけの数を集める
それはやがてファシズムとなりナチスのように世界を混乱させるようになる
現代の文明自体がもう複雑怪奇であり迷宮でありそこでまとも人格形成することは不可能にもなっている、文明自体がもう病理現象だともなる、だからうつ病が現代病になっているのもわかる
オウムが生まれたのもやはり現代文科学技術文明があってこそである
その土壌から必然的に生まれたとなる
ただ創価の場合もカルトなのだが貧乏人とか庶民を相手にしていたのでオウムのようにはならなかった、そこにまだ常識が保たれた、でもやはりナチスになるファシズムになる
団体なのである

現代はもうまともな人格を形成することは不可能だろう、そういう社会ではない、誰もこの社会をしりうるものはいない、第一一万の町でも何を仕事にしている人なのかわからないのである、都会なら江戸なら隣は何をする人ぞともなる
でも田舎でも今は同じなのである、それは戦後に余計になそうなった
つまり江戸時代から戦前までは農業主体だから農民は自然と結びつき共同体を形成していたからその地域で何をしているかわかっていたしアイディンティティをもつことができたしかしもう今はできない、何か震災以後この辺は外部から移り住んだ人たちが多いから
都会かして余計に何をしてしいる人か近くでもわからないのである

芸能人とか芸術家とかの異常性を指摘したが現代文明自体が異常だとなる、そしたら異常人格者が生まれているのが普通だとなる
それはここの問題ではない全体の問題としてそうなっている
社会からはずれても異常化するのだが社会にあっても異常化しているのが現代なのである学者でも象牙の塔に閉じこもり突然40万人がコロナウィルスで死ぬというのも異常だったそれは社会を知らない、象牙の塔に閉じこもって研究しているからである
そこでも社会性をはぐくむことができないのである 
専門馬鹿が普通にいる、その専門用語を使っているともう他者は煙にまかれて理解できない、特に科学者と対話もできない、専門的なことがそもそも理解できないからである
それでお前は核のことがわかるのかと言われればわかないとなり原発には立ち入るなとなるだけなのである
お前は何も知らないし理解できない、お前は無能にすぎないとなるだけである
その専門家でもまた全能でないから過ちを犯すのである

だから何か江戸時代とかの方が全人間として精神を育む人格が形成されやすいとなる
そこでは他人でも何をしているかわかるし理解するからである
それで塾の教師を見る時、人がいいのか人格者なのかを見たというのもそうである
医は仁術というのもそうである、モラルが高い人を評価していたとなる
現代はモラルなと関係ないのである、医者なら病気を治す人、手術がうまい人であり人格など関係ないのである、別に悪徳医者でも技術が優れていれば評価されるのである

そうはいっても人格というのはやはり社会性がないと培われない
なぜキリストが30まで大工だったのか?これも不思議なのである
神の子でも神話の様な人物ではない、大工として働いていたのである
またいくら神の子でもそこで社会の一員として働く必要があり働いたのである
そこで社会の一員としての自覚が生まれ人に教えを垂れることができたとなるからだ
とにかく現代は知識とか技術は格段に進歩した
でも肝心の人格は形成されない、そういう環境がないのである
そして現実でも仮想現実のようになっていて変な方向にゆく、自分自身がそうだったのである、だから関心をもったとなる





posted by 天華 at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

原発事故の大罪は生態系を破壊したこと (生態系を破壊したら人は生きていけない)


原発事故の大罪は生態系を破壊したこと

(生態系を破壊したら人は生きていけない)


原発事故の最大の罪は生態系を破壊したことである、その罪はあまりにも大きすぎたのである、だからこの辺はギリシャ神話のような世界となって歴史に記されることにもなったこれは人類的災禍でありその象徴が自分の住んでいる場所になるとは思いもよらなかったプロメテウスが火を盗んで過酷の刑罰を受けたことやシンシホスの石を無限に持ち上げて無駄な労役を課せられる、それは放射性物質と森で循環するし取り除けないからである
そしてプルトニウムの放射性物質が二万年消えないというのもそうである
平和な山菜料理が自慢だったん飯館村の被害がその象徴だった
最近胃がんで死ぬ人が60以下の人に増えているというのもその被害がでてきている
飯館村は一か月くらい20マイクロシーベルトとかあった、村長が避難させなかったからだ、これも手落ちだった
私の住んでいる南相馬市でも二日くらい20マイクロシーベルトとかあった
それで何かわからないから外を出歩いていたのである
ただ二三日でこの辺は急激に低下したのである

そもそもなぜ人間にはこうした災厄が起きてくるのか?
自然災害あるとする、自然に起こることは自然作用でありそれをとめることができない
かえって止めると自然の一生物である人間にとっても害になる
例えば最近外国で大きな山林火災があり森が燃やされる、でもそれは雷が落ちたとか自然作用なのである
それが自然作用だとするときそこに何か意味がある、何か自然にとって必要だから山火事が起きる、というのは山林が燃えると灰になり肥料になる、すると山林が燃えた後は肥料になった土地が肥えて木でも植物でも育ちやすくなる
とするとそういうふうにして自然をリフレッシュするものとして山火事もあるのかと見るそして人間は山火事を見てその後に木でも植物でも生育が良くなるので焼畑を思いついたのかもしれない、人間のしてきたことは自然から学んできたからである

でも人間のしてきたことは逆にこうした自然に逆らうものとしてもあった
それがこれまでは小規模なものだったが大規模なものになり自然を破壊するまでになった人間は生態系を破壊するまでの力を持つようになった、人間は自然に自然の作用に適合するのではなく自然を変えてしまう力をもつようになったのである
それが20世紀とか以降に顕著になりグロ−バル経済が拍車をかけたのである
だから熱帯雨林でも木が伐採されてオランウータンの住む森がなくなったりしている
グロ−バル経済によって世界の自然は相当に破壊された、森も消失した
このことがコロナウィルスとかとも関係していた
何らか人間は侵入してはいけない森とかに入りそこで動物と接触してウィルスに感染したとされるからだ、そしてウィルスが風土病だというときもそうである
その地域地域にあった病気が世界に伝染したのである

つまりグロ−バル化とは地球に境界をなくすことである、でも自然には明確な境界があり成り立っている、それぞれの風土に適応して生物が生息できるからである
そういう生物が生息する境界をなくすことはできない、その地域の風土に適応してしか人間は生きられないからだ

人間はあらゆる境界を無くした

それが災いをもたらしたともなる、コロナウィルスでもそうである、もう一地域の風土病ではなく世界の風土病となりその伝染を止められないのである
日本を日本の風土がありそこに適応して歴史を作ってきた
日本の風土は島国であり世界と違って特殊である
それで魏志倭人伝に牛、馬、虎、豹、羊、鵲無しと記されていた
大陸と島国の相違は日本は食料でも海産物主体であり肉食しないし家畜がいなかった
また地理的にも平原とか砂漠がないことが特徴である
日本は海と山との世界、海彦山彦の自然である
そこに大きな長大な川はない、また平原とか砂漠がないことは交通には適していない
山と山にさえぎられて閉鎖された世界に生きていたとなる

また海があっても地中海のように交通の海になっていない、大陸では平原とか砂漠とか川は交通路でありそれで常に文物でも流入してくるのである
それを証明したのが中国の秦である、始皇帝が最初の中国の統一国家を作ったからであるそれは兵馬俑のような大騎馬軍団で統一したからだ
つまり平原とか砂漠があることはそこは騎馬軍団で一気にモンゴルのように世界帝国になる地理なのである
地理的条件が歴史を作っていたのである 
そのマイナスとしてモンゴルがヨ−ロッパに進攻してペストがもちこまれてヨ−ロッパでは三分の一が黒死病で死んだのである、モンゴルはそのペストにかかった死体を城の中に投げ込んだというから恐怖だった、まさに細菌兵器として利用したのだからコロナウィルスでも細菌兵器だという説があり人間は戦争になると手段を選ばない、原爆でもそうだった

いづれにしろ生態系を壊すことはそれが人間も生物の一種だから原発事故で故郷にでもその土地に住めなくなるのである
これほどの被害はない、いくら貧乏を言っても昔は貧乏でも第一住めなくなったら終わりである、それは一地域だけではない、人類全体及んでくる
人間の恐怖は地球規模で生態系の破壊が起きて人間が住めなくなることになるからだ
そこに人間の罪深さがありそれが過酷な刑罰としてギリシャ神話に残ったのである

東京のような大都会は世界でもそうだがもう生態系から分離している、そこには森もないし田畑もない、生態系を意識できない、人工的空間に生活している
でももしその水を供給する山とか森とかが放射性物質に汚染されたら水さえ飲めなくなるのだ、そういうことが東京で一時騒がれたのである
海産物主体の日本の食生活も海が汚染されて食べられなくなる
現実にトリチウムを海に流すとかその問題は継続されている
原発事故の罪深さはそうしてもうその土地土地に住めなくなる、ついには日本にも住めなくなることである、現実に吉田所長が原発が爆発した時東日本には人が住めなくなると言っていたのである、そんな恐ろしいものを作っていたのである

そのことはやがて核戦争が起きたり事故になっても人類は地球に住めなくなるということを示唆していたのである
東日本が住めなくなるということはそれだけの甚大な取り返しのつかない被害になるいうことである
だからなぜそんなものを作ったのか、そういう被害を考慮しなかったのか?
いろいろ原因があってもその出発点からして科学者でも警告して停止すべきだったとなるそれは原爆を落としたことと同じである、なぜ科学者はそうした恐ろしいものを作り現実に武器として使用したのかとなる、あとからアイシュタインなどが反省したが遅かった

コロナウィルスでも生態系から復讐されているというときも人間は生態系を破壊して来た結果そうなった、そういう技術力をもったときそうなった
例えばまず縄文時代だったら遺跡の発掘でもわかる、津波の来た地点には人は住んでいなかった、自然に適合して住んでいたから津浪の被害には全部とは言えなくても被害にあわなかったとなる
でも海側を開拓して田にしたときそこは被害にあった、松原も人工林では根こそぎ津波で消失したことには驚いた
でも自然側からすればそこはもともと海だったのだか元の海に戻したということである
自然が必ずしも無慈悲とも言えない、むしろ人間側が自然に適合しない生活をした結果だともなるからだ

20世紀とかは人間の技術でも経済でもグロ−バル化して巨大化した結果として地球の生態系を大規模に破壊して来た、その逆襲を自然から受けているという時、コロナウィルスでもそうだとする、なぜならウィルスは自然の一生物だからである
つまりウィルスとも共有しなければ人類は生きていけないからだとしている
ウィルスにもいい作用がありそれは自然の作用だともなる
単なる異物として取り除くものでもないとしている
地球で異物となったのはむしろ人間であり人間の過度に発達した科学技術とか巨大化したグロ−バル経済なのである

そのグロ−バル経済と一体化強欲資本主義はもう限界でありマネゲームとかなり金融資本主義となり崩壊しつつある、もうそんなことをつづけたら地球自体が持たないとなり
巨大な自然災害が頻発しているともなる、コロナウィルスもその一つなのである
ますますその自然災害も苛烈になる、そして文明が滅んでゆく
エジプト文明が3,000年もつづいたのは自然と適合する文明だったからである
ナイル河を利用して洪水でも実は泥を広大な河岸に運び肥沃な土地とした
一見洪水が悪いように見えてもそれは自然の作用でありそれがエジプト文明を作っていたのである、それは山火事でも同じである、樹々が灰となり肥沃な土地となり生育が盛んにしたと同じなのである

エジプト文明の不思議は高度な科学技術をもっていた、ピラミッドは現代の技術でも建てられないとしていることでもわかる
そして生態系を重んじる文明だった、あらゆる動物が神の化身となり牛までミイラ化して人間と同じように葬られている、それは偶像崇拝となっていたがそれでも生態系と一体化したものとしてありえた文明である
だから「エジプト文明はナイルの賜物」となったのである
生態系と一体化した文明なのである
それで原発事故で一時この辺から蛙と鷺はいなくなった、田畑は荒地化したからだ
でも蛙が鳴き、鷺が戻って来た時、生態系が回復した
田畑は生態系と切り離されずあった、だから蛙がいなくなり鷺がいなくなることは生態系が破壊されたことによってそうなったのである
人間は蛙も鷺でもいないなると実は人間も住めなくなることを示していたのである
空気も水も土も森も汚染されたら住めないのである
未だにそうして避難区域になったところは回復していないのである
現代文明が滅びるという時まさにこの辺が原発事故で現実化したのである

posted by 天華 at 10:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連