晩夏(今日一日の変化を写真にとる)
(草原化して池溏が生まれた写真)
トンボとあとから5、6匹に増えた
陽が没す前に虹の切れ端が雲に出た
夕焼けが広がった
月とノウゼンカズラの花
飛びかいぬ池溏にトンボ喜々として
蝶眠る池溏に映る夏の雲
夏草や池溏に波紋夕暮れぬ
陽は没りぬ虹の切れ端晩夏かな
夕焼けや鉄路の向こう広がりぬ
鹿狼山見えて夕焼け空を染める
今日一日でも景色が変化した、塩崎から六号線の所が津波以降草原化した
一部は田になったが写真のように草原化して池溏(ちとう)が生まれた
これは尾瀬とか釧路湿原にある、もともと海側は広い湿地帯であり津浪の後に湿地帯化ししていくつもの沼ができたことに驚いた
それを写真で相当撮ったから貴重だった、こういう光景はやはり何百年に一回とかしか見られない光景なのである、それで顰蹙をかったが余りにもその変化に驚嘆して心を奪われてしまったのである、正直そこで死んだ人よりその激変した自然に驚嘆してしまったのである
こういう池溏には必ず野生の生物がすみつく、まずトンボが集まり繁殖する、水辺が繁殖に適しているからだ、また蛙が卵をうみおたまじゃくしが泳ぐのを見た
その数も多い、何か波紋があるのはあめんぼうとか生き物がいるからだろう
ここは写真とるにはいい場所である
風景は常に刻々変わっている、だからシャッターチャンスがその刻々にある
それである程度時間をかけないといい写真はとれない
待っていないととれない、すると時間と手間がかかる、これも地元だから構えてできるが旅行になるとむずかしくなる、急ぐからである
でもこんなに刻々と変わる自然には驚く、だから自然を見ているとあきないとなる
夏は特に変化するから写真をとる場面が増える
晩夏であり初秋だがやはり今年はまだ最後の夏が燃え上がっている
今の時代はやはり映像の時代であり映像で記録することが必要になる
それがプログだと日々発信できるからいいのである
それが後で役にたつし記録したものが貴重になる
とういのは何か読み返したり写真を見ても本当に人間は忘れる、自分が書いた文でも撮った写真でも忘れるのである
こんな文を書いていたのかとなり不思議なのである
だから人間は何でもメモしたり写真をとったりと記録することも大事になる
それが一年でも二年でもすぐに忘れる、ましてや10年もすぎたら全く忘れてしまいそこにいたのかもわからなくなるからだ
特に外国などは変わっているし二度と行けないから写真でも記録が大事だったと思う
とにかく今年の夏もそろそろ終わりだが今日も曇っていたとしても暑かった
びっしょり汗をかいたから体にはいい、体温調節ができる
これからは何とか自転車で遠出ができるようになる
これまでは強い日ざしを受けると日射病になるから怖くて出れなかったのである
残念なのは夕焼けが空を染めたがその二分後とかに電車が来た、その時写真をとればいいものがとれた、でも電車とかがとりにくいのは今景色がいいとしても電車が来なかったりしていい写真がとれないのである
いくら待っていてもその時は夕焼けはたちまたち消えてしまったからだ
自然の背景が天候は刻々変わっているからそうなるのである
それで鉄道写真でもいいのは相当に苦労して時間かけて撮ったことは間違えない
ただ見ている人はその苦労がわからないのである
それは何でもそうである、食料でもいくら苦労して作って売っても買って食べる人はその苦労がわからないのである
私のプログにしても一日二回アップすると相当に手間である
それで何かコメントても答えられない状態になっている
何か相手に答えるということは手間であり対話することは実際は相当な労力が必要であるだから対話するとなるとこれは時間をかけてその場限りでないものとなる
それは別にそうした場をもうけないとできないと思った
それでフェスブックもしてみたがやり方がわからないとかなった
何かどうも使い方がうまくできなくなったのである
それにしてもこのうよなプログとかのメデアでも個人的でもこれだけ表現できる時代である、本とか雑誌とかに出すのは普通の人はできない、でもプログとか誰でもできる
このうよなものでも一つの個人の表現の場になりうるのである
ただこれだけで物足りないのでワードプレスとホームページを作り直そうとしたが
とにかく手間がかかりすぎてできないのである
毎日二回アップしていたら他のことができないのである
家事もしているから毎日追われているのである