2020年09月19日

時代が変わる時大失業になる (明治ー戦後ーそしてコロナウィルス)


時代が変わる時大失業になる

(明治ー戦後ーそしてコロナウィルス)   

時代が変わる時、大失業時代になる、明治には侍がなくなり失業した
するとその人たちを受け入れる職業が必要になる
侍は知識人でもあるから学校の教師になったとかある
また侍は武道にたけているから警官になる者も多かった
一番多かったのは北海道開拓に入ったことである
なぜなら伊達藩では亘理の侍は今の北海道の伊達町に集団で移住したからである
その時代に北海道はフロンティアになっていたのである
この変化も大きく北海道は日本のフロンティアとその後もなっていたがそれも過酷であり失敗した人も多いのである

ただなぜそうなったのか?その時代はもともと農業中心の社会であり農業が主産業だからそうなった、だから農業の問題は土地があることであり土地がないとできないので広大な土地を必要としたから北海道に移住したのである
それは満州でも同じだった、戦前も農業中心の社会だから土地を求めて移住した
満州は寒い土地でもそこで米作りまでしたのである
今はどこまでもトウモロコシ畑であり米作りには適していない土地である

そして戦前の主産業は絹織物であり養蚕でありそれも農業だったのである
だから桑畑はどこにでもあった、私の家の裏も桑畑だった
それで今の伊達市辺りで蒸気機関車ができると煙で桑がだめになるからと中止する運動も起きている
とにかく今でもいたるところに兜屋根の養蚕した家が残っている
どれだけ養蚕をしていたかである、それはなぜかというとアメリカに絹織物を輸出していたからである、私の母親は原町紡績で十年糸取りして働いていたという時もそうである
それは工業でもあったからそうなった、そこで生産されたものは横浜まで運ばれてアメリカに輸出されたのである、そして驚くべきは原町紡績の工場まで引き込み線が引かれていたのである、それは運ぶのは鉄道になっていたからである
車がない時代は輸送は鉄道がになっていた、それで原町は機関区になっていたのである

戦後になり焼け野原になりこの時も6,249,908人も引揚者が本土に帰ってきた
その人たちに職業はない、その人たちを受け入れたのは開拓だったのである
だから本当に戦後の引揚者が開いた部落がどこにでもある
この辺でも例えば浪江町の津島とかでもそうである、飯館村でも木戸木という不便な所でもそうである、それは戦後の引揚者が作った部落である
それでかえって山村でも人口が増えていたのである
ただこれも過酷であり半分は撤退した、これは大きな戦後の歴史だった

つまり時代が変わる時大失業時代が来る、産業の大きな変化がくる
それが明治に起こり戦後に起きた、戦後は電器産業に変わりそこで失業者を吸収した
そして高度成長時代になった、そしてまた70年とすぎてコロナウィルスとかで大失業時代になる、では今度はその失業者をどこで受け入れるのか?
耕作放棄地とか膨大である、でも農業時代ならその荒地でもまた回復しようとするが工業時代になるとそれもない、すると何が失業者を受け入れるのか?
それが深刻な問題になる、なぜならドイツでナチスが起きたのは大量の失業者が生まれたからである、職がないということは食べることもできないとなる
そこで兵士にして職をもたせて戦争するとまでなった、失業の怖さは戦争までなるということである

日本では電器産業でも衰退したという時どこで失業者を受け入れるのか?

それが大問題になる、銀行でも金融関係でも失業者が生まれる、それはIT化とか機械化でも生まれて来る、人がいらないという時代になり失業者が生まれる
おそらくもう新たな産業が生まれることはむずかしくなっているかもしれない
そうなると人口を削減するともなる、人口もやはり時代によって調整される
日本でも人口が減るということはそれだけの人口を養うものがないからともなる
もし新しい産業が生まれるとしたら戦後のように電器産業とかで吸収されるがそれも見つからないとすると人口を減らすほかないとなる
日本は人口の適正規模をすでに越えていて人口調整が必要になり人口が減っているともなる
ただ人口の不思議はなぜ戦後に食べ物すらないのに団塊の世代とかが子供を産んだのかとなる、もう今より最悪の条件である、食べるものもないのに良く子供を産んだとなるからである、今なら食べ物がないというまではならないだろう
だから人口というのは何か調整機能があり増えたり減らされたりする
それは地球規模で見ても今や人口は地球で養えない状態になっている
だから人口を減らすことがコロナウィルスで働いているのかともみる
となるとそれは自然の作用とかともみる、地球がもう限界にきて人間を減らしているともなる

いづれにしろ大失業時代になると相当な危険な状態になる、治安も悪化する
マルクスが生きた時代も失業者が多かった、それで資本主義の問題は失業が生まれることだとしてその理論を構築した、つまり失業がそれだけ危険なのは職を失ったら食べることすらできなくなるからだ、それで戦争でもしてくれとなる
兵士になれば食べられるとかなるからだ、戦争の原因はそうしたし経済的危機に起きる
日本でも戦争の原因はアメリカによに経済封鎖にもあったというのもそうである
経済的に追い詰められて戦争に追い込まれたともなる

ともかく大きな時代の変化の時である、その時起きるのが大量失業である
それに対応できないと戦争にもなる、その前に治安悪化する
その兆候は現れている、もう老人でも年金がもらえないとか非正規の数も一千万単位とで膨大でありその人たちが困窮すると日本は危険な状態になる、そうなりつつもありコロナウィルスで拍車をかけた
観光業とか飲食業が大打撃になった、観光は地方の産業にもなっていたからである
だから大量の失業者を吸収するものが何なのか?それを模索することになる
ただもうそれもないとしたら人口削減しかない、それで調整するために人口が減っているのかとなる
団塊の世代とか死ぬと人口は相当に減る、そして日本の人口適正規模は8000万くらいだろうとしている、大正時代には6000万くらいであり東京の人口は百万とかであり新潟より人口が少なかった、地方の人口が多かったのである
東京から人口が地方へ移動するというのも時代になる
ただ時代の変わり目には何が起きるかわからない、そこに混乱と犠牲が生まれる
その産みの苦しみを経て新しい時代が来るとなる、その変わり目が今なのである


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真野川の落合橋であった釣り好きで料理人だった人 (釣りする人が本当に多い)


真野川の落合橋であった釣り好きで料理人だった人

(釣りする人が本当に多い)

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真野川-落合橋

真野川の落合橋で何をしているのか川をみている人がいた、鮎の群れを見ていた
その人は相馬市から来た人であり新しい住宅に住んでいる
この辺では前は磯部の人とか知っていた、津波の被害者であり家なくなったのでこっちに建てた、とにかくだから知らない人が増えたのである

その人は近くの前ら住んでいる人を釣り仲間である、その人もかと知って驚いた
本当に釣りする人は多い、そんなにいるのかというくらいである
この前はシシドスーパーの復興団地に住んでいる人も何もすることがないので釣りをしている、遠くまで車で行っている、それで大きな平目カレーをもらったことがあった
これは大きいものだった、こんな大きなものが釣れるのか、これを引き上げるのは大変だと見た

私自身は釣りをしない、でも釣りをしている人は何か自然の中にひたっている感じになり時々サイクリングして話かける、釣りのことで話すると自然のことを知ることになる
私の父親は年取ってから仕事もせずに魚釣りしていた、鮎もとっていたし鰻もとっていたその頃の鮎は大きくうまかった、オカズになっていたのだ
戦後の何もない時代だからオカズになっていたのだ
鰻はミミズを棒に入れて田んぼの畦でとっていた、でもあまりついていって釣りに子供のころ興味がなかった、でも今ふりかえるとそうして鰻を釣るということは不思議である
今は鰻はとれないし鮎も見ないのである

ただ今回落合橋の下の流れに鮎の群れが大量に見えたし跳ねるから気持ちがいい
鮎がいると石の苔を食うから石がきれいになると言っていた
この鮎はここに産卵に来たとか言っていた、ここの流れはきれいである
去年の台風で流れが変わりそれで水がきれいになったともみる、鯉もここにいた
ただ新田川で鮎の稚魚を放したとかも言っていた、そうした鮎が今年はこんなに上ってきたのか?その理由がわからない、その人は川を観察して鮎は何匹かみかけていたという
ただこんなに多くの鮎が今年だけでありそれは一か月前くらいからなのだ
だからなぜこんなに鮎が上ってきたのか理由がわからない
放射性物質の汚染で川の魚は食べるなと言われていたしそれから専門の人が常時ここの水質とか生物とかを検査していた、だか最近は見ないのはどうなったのか?
10年もすぎればやはりもうそんなに気にしなくてもいいのかもしれない
ただ川の放射性物質の汚染がどうなったのかわからない

本当に釣りは奥深い、それは自然が奥深いからである、海とかを知るには魚釣りがいい
何でも魚を釣れないことも釣りだとしているのもわかる
何か釣りすることは自然に溶け込むことだからである
だから海で釣りする人と時々話したりする
一瞬魚が海ではねたのを見た時感動した、トビウオがはねたのは与那国島に行った時見たあの跳ね方は醍醐味がある、まさに飛ぶ魚である、でもここの海で魚をはねたのを見たのははじめてである、めったに魚がはねるのは見れない

人間は意外と田舎に住んでいても自然のことがわからない、第一田畑でも実際にそこにかかわらないとわからない、私が畑で野菜作りする女性を援助したのはもともと農業を知りたいということがあった、それで実際に聞いてそういうものかと知った
私が自然とかかわるというとき実際の農業とか漁業とか林業を労働でかかわっていない
それをしないのは疲れるからである、まず頭脳労働になると家事でもそうだけど他のことができなくなる、それで疲れて考えることすらできなくなるからだ
人間は何でもできるわけではない、こうして文章を書くだけ疲れると他のことができなくなる

ともかくいろいろな人の話を直接聞くことは知識を広げることである
ただみんながそういうふうに話をできない、小高の人のことを書いたがあの人は話しがうまかったのである、今日あった人も話ができる人である
とにかく魚屋でありプロの料理人だから魚の料理の仕方も知っている
その他の釣りしている人とは違う、料理人から直接話を聞いたことははじめてである
料理は自分てしてみると何か用意するだけで疲れる、それだけ何か様々なものを使うから化学の実験みたいになり何か疲れるのである、そのあとかだつげでも手間なのである

釣り道具屋がかならずありそれが商売になるのはそれだけ釣りを趣味にする人が本当に多い、海がある場所では特にそうなる
なんでも沖に船をだして釣りするのはいやだとその人は言った
なぜかというとここで釣れと決められるからだという、自由がなくなるからだという
つまり釣りする場所も自分で発見してゆくことがありそれが面白いとなる
そこで穴場を発見するということもある

いづれにしろ釣りは自然が相手だからただ釣りするだけではない、釣りしない時間でも釣りなのである、何も釣れなくても釣り自体が自然に溶け込むことなのである
私が釣りをしないのはそれが手間だし時間がかかるからである
私は自転車で移動するのが好きだからじっとしていられないのである
人間は何でもできない、写真でも最近いい写真を撮ろうとしてレンズも買った
でもこれもまたレンズが高いとかこったらきりがなくなると思った
人間そんなにいろいろなことはできない、ただ釣りは自然を知るにはいいのである
畑はめんどうてありかなりの労働になる、釣りは自然を楽しむという感覚になる
それほどの労働とは見えないからである

釣りをして哲学者になった人もいるということはそれだけ釣りは自然とコミットするものだからそうなった、結局暇な老人が増えた時、釣りする人はもともと多かったからさらに多くなったとみる、あの人もしているのかあの人も釣りしているのかと驚きである
パチンコしているよりはいいとなる
私自身は釣りはしないが釣りのことを魚のことをもっと知りたいとなると釣りのことを知ることはそうしした知識を深めることになる

鮎のことで忘れられないのは新潟県の小出で魚野川が前を流れていて大きな鮎が群れて泳いでいた、そこの食堂に入ったら大きな鮎の塩焼きを食べた、それも高くはなかった
その味がよかった、あとは鮎は子供の時に父親がとってきたのを食べたのを覚えている
でもその後は鮎は食べたこともない、それで久慈川に行った人に鮎を買ってきてもらったがうまくなかった、どうも養殖の鮎だったらしい
今はこの養殖の鮎が意外と多いのである、養殖だと大きくなるからだろう
でも鮎は養殖だと味がない、何か熊野で上流で鮎をやいたのを売っていた
それを食べたが本来の鮎の味はなかった、それも養殖だったからだ
なぜなら観光客だと相当な数を出すからそんなに天然の鮎だったら数がとれないから養殖なのである

次々に鮎の跳ねたり落合橋話のはずむ釣りのことかな

落合橋は落ち合うというようにあそこで話するのに向いている、前あそこで話したことがあった、その下の橋になると大きくなり水がきれいに流れていないのである
あそこは話しするのに向いていいなのである
あと土手の道の木陰の道も散歩する人がいて話しするのに向いている
自然の中で話しすると何か話しがはずむのである
その人はプロの料理人だからその方面の話を聞けば料理についても理解が深まる
あの人も結局暇な老人である、こうして暇な老人が増えたのである
そういう人が何しているかというと釣りしている人が本当に多いのである
また勤め人でも釣りを趣味にする人は本当に多いのである



2020年09月20日

虫の音(夜に相馬市まで行く)


虫の音(夜に相馬市まで行く)

山鳩の二羽来たりぬ実りかな

秋夕焼け六万石の城下町

秋柳田町通りの飲み屋かな

秋の灯や職人の家や城下町

虫の音の松にひびきて夜のふけぬ   


夜の道長きや虫の音聴ききにつつ我が帰り来ぬ相馬藩かな


今日は何か月かぶりで5時ころ相馬市に行った、何か暑いとかまた曇っているとか雨とかで行けなかった、やっと涼しくなったので夜に行った
月もでていないから情緒はなかった
でも夕方に秋夕焼けになり夜になり虫が鳴いている
街道の松並木の松は見えないが虫はその松に鳴いている
松は見えず沈黙しているが虫の音を聴いているのである

相馬市だと原町の倍の距離があるから長い、夜の道を虫の音を聴きつつ帰って来た
これが車だと虫の音も聞こえない、全く無視される
ただゴーンと飛ばして去ってゆくだけである
つまり車は自然にやさしくないしまた自然に溶け込まないのである
人間は自然と一体化するとき人間もまた自然の中で映える
たいがい鳥でも何でも自然の中に溶け込み映えているからだ
人間だけ自然と調和しないのである
相馬藩というとき一つの歴史的地理的国だとなる、その中を行き虫の音を聴くとなる
一匹一匹の虫の音を聴く、それはまた人間でもある
狭い範囲だったら虫の音も聞けるとなるからだ

山鳩が二羽くる、そこに今実りの穂がたれる、その時平和がある
鳩は平和の象徴だからである、だから原発の避難区域では田んぼが荒地になって実りがない、それが荒寥としたものを感じる

いづれにしろ相馬市は六万石の城下町である、だから何か目立ったものもない、城さえないが違っている
原町とは感覚的に全く違っているのである、ただそういうことは外から感じないと思う
どこが違うのかとなるからだ、何かそういうことがある
そこに住んでいないとそうしした相違がわからない  
田町通りの柳は大きいからいい、すると何か老人が飲み屋に集まり話しているとかイメージする、でもあそこは新しくなったから路地裏の飲み屋ととは違う雰囲気である
ただ秋柳というとそういうイメージになる

何気ないところにいいものを発見する、見慣れた風景が実は他にないものを感じる
それで真野川の落合橋のことを写真にしたりしてそこで語る人がいたことを昨日はプログに書いた
でもここに住んでいてあそこに何か特別なものがある、何か詩的なものでも美的なものでも感じるものがあるとは見ないだろう 

ただどこにでもある橋としか見ないだろう
とういのは自分自身が最近までこの橋に注目していなかったからだ
すでに老人になりその橋はいつも見ていて通っていたのにそうなのである
ただあそこで鮎が上ってきて見るようになったりしてあの橋は何かいい橋だなと見るようになったのである
だから人げは近くでも何か感じない、ありふれたものでありそんなものが特別だと見ないのである 
それで常に遠くに憧れて遠くに行く、でも近くは見逃しているのである
それは自分自身もそうだったからである

2020年09月21日

原発事故の責任者は誰だったのか? (様々な団体組織の利権を求めると全体を歪める―漁業権の問題)


原発事故の責任者は誰だったのか?

(様々な団体組織の利権を求めると全体を歪める―漁業権の問題)

人間はどうしても日々利益を求めて生活している、その利益の集合体が団体組織になる
集団組織になった時、それが全体から見ると全体を歪めるものとなる
権利と利権は違っている、権利とは権理だったのだから何かしら理由があって権利を得ていたのである

それで原発事故で漁業権のことを追及してきた
これは何かわかりやすいかったからである
でも事故前は近くの人は知っていても他の人は知らなかった
つまり漁業権は別に自治体でもそこに住んでいる人でも関係なかった
だから他の人が何も言えない権利だったのである
だから勝手に暴力団が魚をとったりしたら漁業組合では犯罪として警察に訴えることができた

でも何か事故後はなぜ漁業権を東電に売り渡すことができたの?
それが疑問になった、なぜならなぜ漁業権を持ちえたのか?
その理由は資源の保護とかのためであり東電に売り渡す権利ではなかったからだ
ただ魚をとる権利は漁業組合にだけあるとなっていたのである
それは何かそういうことはある、何か邪魔になることがあり一般の人は港などでは釣りをするなとなる
そういうことは理解できる

でもなぜ漁業権を東電に売り渡して手厚い補償を事故前も事故後も受けていたのか?
事故後なら事故を起こして海を汚したなら補償を受ける権利がある
でも事故前も手厚い補償を受けていて周りの人は原発御殿だとしてうらやましがっていたのである
だからトリチウムを流すなとか東電に要求すること自体が今になるとそんなことができるのか?
なぜなら事故前でも手厚い補償を受けていたのだから金をもらっていたのだからその責任がある
だから利権というときみんな金をもらえることはいいことだとして利権団体化する
団体となり交渉して利権を得ればいいとしかなくなる

だから今になると魚を放射性物質で海が汚されて魚がとれないなどと騒いでいるが
もうそういう権利を東電に売り渡したのだからそんな権利があるのかとなる
ただまた東電とそうして組合が交渉すれば補償金をもらえるからだとなってしまう
現実に船主などは津波であれ被害にあってもいち早く立派な家を建てた

魚がとれなくても補償金で暮らせる

こうなっていたからである、今でも別に魚がとれなくても生活には困らないのである
ただ漁師が原発事故で自分はなんのためにここにいるのだろうと問う人がいた
もともと魚をとることで価値があり認められていたのだからそうなった
東電から補償金だけで生活できるとなると東電の社員だとなってしまっていたのである

だからこれはどうしてこうなったのか?
つまり権利が利権となっていたかとにあった、組合を作りそこで団体組織化して利権化してとにかく東電であれ自分たちの利益を計るために交渉する
俺たちの海であり俺たちが権利があるとなっていたのである
他の者は何の権利もないとなっていた、そこに権理ではない、権利がなにかしらrightがあり正しさがあり権利となっていた
魚の資源を守るとかあって権利を得ていたのである

そもそも海は誰の者なのか?

これ自体が問われた、海は漁業組合のものではなかった、それはみんななのものだった
ただそれを具体的な権利となれば自治体のものだったとなる
自治体に許可されて漁師が魚をとる権利を与えられていたとなる
もし漁業権を誰の者かとなると自治体のものとなるから漁業権を売るときは市議会とか町議会でも村議会でも検討して決めなければならないはずだった
でも漁業組合が漁業権を得た結果として漁業組合の責任が問われたのである

だからかえって漁業組合でも自治体で検討して決めれば漁業組合だけの責任ではない
自治体全員の責任だとなっていた、ただ漁業組合とか船主だけに手厚い補償はない
でも漁業権でも東電に売ったとしてもそれは自治体全員の責任だとなる
それで責められることなくなっていたのである
だから権利を要求するのはまさに権利だとしてもその理由を守ることが必須だとなる
漁業権は資源保護のために与えられていて東電に売り渡して利益をえるためには与えられていない、そこが間違ったのだと思う
今になって重い責任が問われていたことに気づいたともなる
それは回りの人もそうだったのである、東電の原発自体が余りにも簡単に自治体の許可もなく建てられたのである、地権者と県の許可とかでも建てられたことがどうしてなのかとなる、そのことについて議論さえされていなかったのである
ただ地元では景気が良くなるととか金になるとかしかなかったのである

でもこのことを批判してわかったことは他の組織団体もみんなこうして権理ではない、リーズンがない、ただ利権を求める団体になっている
そもそも官僚とか政治家とか国の機関自体が利権団体になる
官僚自体が利権の総元締めであり権力をもっているから利権団体になる
警察でもここは暴力装置だから誰も逆らえない利権団体とも化する
一種の暴力団にも変貌する、パチンコ業界に警察の官僚が天下りしたら東電には検察官系とか自衛隊の海上保安庁とかでも天下りしていたのである

要するに社会をみればわかる、あらゆるものが利権団体になる
宗教団体も利権団体にすぎない、だから創価でも神道団体でも仏教団体も利権団体であり宗教を名目にした利権団体にすぎない、宗教自体が利権を求めない
それはその創始者を見ればわかる、なぜ家もなく乞食に似たものでありそこに何か権力があったのかとなる
それでヨ−ロッパではカトリックが利権団体化したから政教分離になった、権力と分離させることになったのである
とにかく社会で利益を得ようとすると利権団体化する、一人では誰も相手にしない
それが10人でも集まれば利権団体となり利益を得ることができる
それでNPOでも10人集めないと認可されないのである
それも実際は利権団体である、なぜなら団体として認められれば国家からも自治体からも金が出るからである、一人には何もでない、だからこそ民主主義など一人は何の力にもならない、利権団体民主主義になっているだけである
それで必ずそうした利権団体に忖度するのである
一票しかないとしたら政治家は相手にしないのである  

マスコミでもテレビ局でも六局だけが許可されて独占していた
新聞でもマスコミでも利権団体でありその独占的利権を守る
そのために政府でも批判しないとなる、なぜなら新聞社に政府が忖度して10割の消費税を8割にしたとかあるからだ、つまり報道するのも利権団体がする
NHKは最も巨大な利権団体である、それで芸能人でもNHKには逆らえない、ギャラがもらえなくなるとかになりNHKが報道する権利を独り占めして多額の報酬を得ていたとなる
それに反発してもそこが巨大なるが故に批判はできなかった
でもインタ−ネットとかyoutubeで盛んに批判されるようになった
それはインタ−ネットとかyoutubeはテレビ局のような巨大な装置など必要ないからである、別に一人でも簡単にできるからそうなったのである
メデアが権力だというときまさにそうだった、メデアはただ媒介する機械ではない
メデアをもつということは権力を持つことだったのである

ただその利権団体民主主義が社会全体を歪めることが問題なのである
そうして権利を得たとしても漁業組合のように今になって責任を問われる
もし自治体で協議してその権利があったとしたら責任は自治体全員になるから責任は問われなかったのである
だから金は責任なのである、ただ金をもらえばいいとなっている
でも金をもらうとそれが責任になる
その責任を自覚しない、金さえもらえればいいとしかない、だからこそ原発は積極的に誘致されたのである、誰もこの辺では反対しなかったからである

とにかく社会にはあらゆるものが利権団体化するともうそれに逆らうことは不可能になる例えば事故前に漁業組合とか船主にお前たちはなんでそんなに金をもらっているのだ
なぜなのだと問う人があったら怖いことになった
漁師など荒っぽい人がいるから暴力沙汰にもなる、だから何か羨ましがっていても何も言えなかったのである
それは他の団体組織でもそうである、利権化した団体に何か言うことはできない
それで放送でも差別言葉だとかが問題になる
盲人団体がありめくらというなとかつんぼというなとか団体から言われるから言えない

でも利権団体民主主義を是正することは不可能に近い
誰が何百万人も信者がいる組織団体に逆らえるのか、十人でも団体組織化するとそれに逆らうことはむずかしくなる
ただNPOなどは小さければそれほどのものにはならない、でも実際の社会の組織団体は規模が大きいからもう逆らえないのである
ただそこで問題になるのは権理であり理なのである、リーズンなのでなしる
法律はめんどうだけどこの理をリーズンを追及しているのである
そこに公正さを求めているから民主主義には法というものが密接に結びついているとなるただそれがわかりにくいから法律のことなど普通は考えないのである

でも原発事故以後には否応なくそうしたことをみんな一般の庶民でも考えざるををえなくなったのである
だから漁師でもなぜ魚もとらないで私はここにいるのだろうと問うときまさに私は何をすべき者だったのかを自問するようになった、哲学するようにもなったとなる
いづれにしろ社会はこの利権団体によって歪められる、コロナウィルスでも医師会という利権団体が検査しなかった、検査させなかったとかも言われる
医師会とか薬剤関係でも強力な利権団体であり逆らうことはできない
でもなぜそういう権利が与えられているのかと問う人はいないしただ利益になればいいとかしかならない、すると原発事故のようなことが起こる
誰も逆らうことができない、そのままにしているとそうしした組織団体が権力を己が物にしてしまいみんなの害になってくる

それは宗教団体でも同じである、そういう団体組織に対抗できないことが問題なのである
政治家が力をもっているようでも現実の行政を予算でも握って動かしているのは官僚だとしている、ある官僚は政治家より力が強い、人事権ももっている
それで政治家の言い分とかは通じないとしている
官僚自体最も強力な利権団体であり省庁でもそれぞれに利権化して争っているというのもそうである
利権団体組織しろ理にかなった権理を求めているならいい、実際はただ利権を利益を求めるだけだから問題なのである
盲人の権利を求めるのはいい、でも社会に生きるにしても一般人のあって生活している
すると全部盲人のためとか障害者のために社会があるのではない
だから自ずと制限が課せられてもしょうがないとなる、でも団体組織化すると何でも訴えることでき社会に要求できるとなる

ただそうした利権団体でも何か抑える方法がないのである、そしてそうした利権団体組織は責任もとらない、マスコミでもフェクニュースを流したからと責任もとらない
組織団体はまた責任をとらない仕組みだともなる
なぜならそれだけの人数がいたとしたら誰の責任になるのか?
赤信号をみんなで渡ればこわくないとかなるのが現実である
つまり法律を破っても別に数が多ければそれが正義だともなるからだ
実際このことが一番怖いことになっていたのだ
なぜなら赤信号とは法律のことであり渡るなということでありそれをみんなの力で違反してもいいとなるからだ、みんなの力こそが第一であり法律は関係ないともなるからだ
数の力こそ正義だとすべてなってしまうのである、現実はそうなっているのだ
民主主義はただ数の多寡でで決められればそうなっいるし現実はなっいるのだ
その理を問われることがないからだ

民主主義がすべて数で決まる時そうなってしまう、そうしてナチスが生まれ社会はどん底におちいる、でも結局戦争で三百万人死んだとか原発事故で故郷に住めなくなったとか必ず責任はとらされるのだ
だからこそいくら巨大な団体組織に逆らえないとしてそのままにしていると国民自体が全員戦争のように責任をとらされる
そういう自覚が国民一人一人にできていないのである
ただ利権を得ればいいとか金になればいいとかしか考えないで行動していると必ず責任はとらされる、それが原発事故で判明したことだったのである

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敬老の日ー長生きではその意味が問われる (ただ長生きしても価値も意味もない―新しい老人観が必要)


敬老の日ー長生きではその意味が問われる

(ただ長生きしても価値も意味もない―新しい老人観が必要)

高齢化社会になると百歳以上も増えてくる、これまでは百歳生きたとなると凄いなとそれだけで価値が認められていた
でもこの数が多くなるとまた見方が変わってくる、百歳など普通でありいくらでもいるとなれば価値がなくなる
だから今やそういう段階に来ている
パークゴルフをしている人が多い、この辺でも広いパークゴルフ場が作られた
そこは広いから見晴しもいいからそこに老人が集まる、社交場にもなる
それをとやかくは言わないしそういう場があってもいいとなる

ただなぜ高齢化社会になって老人どうのこうのといろいろ言われるのはそれが今までの老人と違ったものになっているからである
今までの老人は人生50年とか70年でもそれで老人がとやかく言われない
その生きた人生を語れば死んでいたからである
だから長い老人の生を問われない、60まで70まで生きた人生を問われるだけである
ただ百歳となると今での人生とは違う、100歳まで生きる価値と意味を見出す、また社会に提供しなければならなくなる
ただ健康に長生きすれば価値と意味が生まれるとはならない時代になった

でも一般的にそういう価値と意味を作れるのか?

これが問題になるが会社を退職したら何をしてそれができるのか?
趣味とかもありそれで意味と価値を見出すこともありうる
ただみんな趣味に向いているわけではない、それで私の家族の一人が公務員を退職してから何もしなくなった、何か仲間で貼り絵などしていたがそれは向いていなかった
看護婦だったから人の世話に向いていた、でも一切何かそういうことをしなくなった
家事すらしてくれる人がいたのでしない
毎日何かテレビを見ているとかであり何か合ったこともしていない
ただ毎日怠けていたとなる、怠け人間になったとなる
ただ一緒にいてそのことに私は気づいていなかった

それに気づいたのは認知症になったときなのである
それでなぜそんなふうになったのか?病気でもあるがその原因が55歳くらいで役所を退職してから何もすることもなくなっていた、家事もしない、何か頭を働かせることもしない体も働かせない、怠け者になったのである
でも85才まで生きた、でも55才で退職したら30年もそうして何かやりがいもなくただ怠けていたとなる
せめて家事でもしていれば良かったがする人があったのでしなかったのである
そのうちボケて来たのかとふりかえり思うようになった
それは病気にしろボケた原因が認知症になった原因がそのように生きがいもない、家で何もすることがない、家事もしないということにあったのかもしれない
家事はしてみれば結構頭使うからである、その他趣味もなかったから余計に頭を使はないそうして認知症になったのかとふりかえり見る

認知症の原因はわからないにしてもそういうふうに退職して何もしない、趣味もない、家事もしない、ただテレビを見ているとかなると認知症になりやすいかもしれない
それが30年もつづけば相当に影響する、つまり退職してからの生活に問題があったとなるまず会社を退職するとその人の役割りは消失する、地域とかで何かボランティアなどするにもできない、地域社会自体がもうないからである
すると家族しかなく、妻の後をついてゆくだけとかになる
それで妻からもうざいとなり嫌われる
ただそれが70くらいまでならなにやかにやあってもそんなに問題にならない
百才まで生きるとなるとそうはならないのである
私はこう生きたとか語っているうちに死んでしまうからである

でも百歳になると新たなその年月の価値と意味を発見して作り出さなければならなくなるそれがパークゴルフとかで作りだせるのか?仲間とそこで楽しみまた動くことで健康にはいい、でも外部から社会全体からみる、若い世代から見てもパークゴルフに費やされる人生をどうみるだろうか?
一日遊んでいていい身分だとかともみる、でもその老人たちを養う金を年金を払っているのは若い世代だとなりそういうことをしている老人を価値ある、意味ある人と認められるのか?
これが70歳くらいで死んだら何も言わない、何かそうして見ている時間がないうちに死んでしまうからである
百歳まで生きるとしたらそうは見ないのである
そこで何のために生きているのか、ただ人の迷惑のために生きている人もででくる
切れる老人とかいろいろな問題老人が社会を歪める
ただ自分にしても百歳まで生きることがイメージできないのである
あと10年くらいは生きるだろうとはなっているが百歳となると長すぎるのである

だから高齢化社会というのは今まで経験していないことであり模範になるものもない
またその価値と意味も作りだされていない、だから金銭面だけではない、何か精神的にもそこまで生きる価値と意味を作りださなけれ社会ではただ下の世代にとって重荷とされるだけになる
私の場合は認知症になっても介護したのは特別世話になったからである
60まで食事でも用意してくれたし好きなことをさせてくれた
だから介護になったとき自分はそれが苦しくても当然だと思うようになっていてできた
完全ではないにしろ懸命に介護したのである
それで最後にわかってくれて本当に今になると良かったと思う
それだけ世話になった恩返しを少しでもできたとふりかえるからである
正直これからは親孝行したいとき親はなしにはならない
親の介護は必ずありその恩でも返さなければならない、報いなければならない
それがまた高齢化社会でもある、諺は時代を越えて通用するものだがこれは通用しない
親孝行したいとき親はなしでなく親の世話を強いられるとなる

敬老の日というときそれは今までのとは違うものになっている
敬老というときただ長く生きたものを敬うべきだとしていた
でも今までは長く生きても短い、70くらいだとまだまだ元気な人が多い
全然老人に見えない人もいる、髪も黒くふさふさしているのに驚く
個人差があるにしてもなんかあの人が老人なのかと見えないのである
私と同じ年なのにそうなのである

要するに老人観が変わってしまったのである、今までの老人観は通用しない
これだけは確かである、それでいろいろと誤解があり若い人も老人をどう見るか戸惑うとなる、それは老人がまた多すぎるからこんなに老人ばかり必要ない、税金とられるのも嫌だというのもわかる
第一そんな老人ばかりで社会が成り立つのかともある
ということは今や老人は今までのように社会から隠居するかにはなれない
社会の一員として価値と意味をもたないとただ無駄なものとして早く死んでくれと言われるだけになる
百歳まで生きてどうなるのだとか見られる、何のために生きているのだとか言われる
だからパークゴルフしてそれが社会にとって何んの意味があるんだともなる
ただ老人はそんなことで何も思っていない、当然の権利だと思っている
若い世代は老人に尽くせとしか思わないともなる

ともかくこれだけ老人が多いということは老人は長い生きしたからといって百才まで生きても敬われたりしない、今までの敬老は通用しないのである
だから敬老の日も何か時代に合わなくなっている、それはただ長生きしたから敬うという前時代の観念なのである
ただ正直高齢化時代、人生百年時代の社会がどうあるべきかを社会自体で示されていないしまた老人でも作りだしていない、それは人生百年とかの時代を経験もしいないからである、だから新しい老人像とか老人観とかを作りださねばならない時代になったのである
金銭的問題も深刻だが精神的な問題としても問われているのである

何か自分にとっては長生きすることはいいことである、今までしてきた探求追求してきたことを作品化したりもっと学問的にも芸術的にも深められるからである
まず「少年老い易く学なりがたし」とかあり

芸術は長く人生は短し

ヒポクラテスが医術について言った言葉。医術を修めるには長い年月を要するが、人生は短いから勉学に励むべきである、がもとの意〕 

何かを究める時、時間がかかるのである、その時間がたりないからこういう言葉が生まれた、人間は本当に何するにしても時間が短すぎるのである
60くらいあっという間にすぎる、遊んでいても何もしなくても過ぎる
自分の場合はただ旅していただけで過ぎてしまったのである遊戯三昧で過ぎてしまったからだ、ただそれも無駄ではなかった、それで旅を思い出して今作品化しているのである

これから会社を退職してからでも百才まで生きるとしたら人生が二つあることになる
ということは儲けものだともなるがまた重荷にもなる
ただ確かなことはいろいろと理解することが多くなることは確かである
人間はつくづくいろいろなことを知らない、経験するにしてもわずかなことしかしていない知識も膨大でありわずかなことしか知りえない、だから常に学ぶ必要がある
知識を広めるまた深めることが必要になる、すると時間がかかるから百才まで生きることはそれができるからいいとなる
でも百才の人生を有意義に他者かも若い人からも認められて生きれる人はそんなにいるのかとなる、何もすることがなくボケる、認知症になるという人も増えて来る

平成29年度高齢者白書によると、2012年は認知症患者数が約460万人、高齢者人口の15%という割合だったものが2025年には5人に1人、20%が認知症になるという推計もあります。

これも恐ろしいことである、こんな社会がどうなるのか?まさに悪夢である
認知症の人を介護することは経験したからもう地獄になるからだ
私は二年半で終わったから助かったけどそれが長引いたら地獄になる
隣の原町で認知症の母親を殺した50代の男性がいた、こういうことは頻繁に起きて来るから高齢化社会の暗黒があり悪夢になる
なんらかこの認知症を治す方法があるのか?これはコロナウィルスより怖いともなる
これはなんとか治まるとして認知症は治まらないからだ
90以上になったら半分は認知症になる、その症状はさまざまでもやっかいな病気だからそれが介護負担となり家族まで崩壊するから怖いのである
自分自身がその家族崩壊を経験したからである  

こうなると敬老どころではなくなる、老人は殺せ始末しろとかまでなる
何でもいい面と悪い面がでてくる、ただ百歳人生というのはイメージできないのである
そういう社会は何か今までの老人観とか通念では理解できないものである
だから新しい老人観を高齢化社会の見本を作りださねばならないとなる
ただそういうふうに社会でも老人でも自覚していない、パークゴルフでもしていればいいとかくらいである、でも会社退職してからでは何かそうした人生百年には備えられない
精神的にもやはり若い時から備えねばならないともなる
会社員としての人生があったとしてももう一つ60から40年の人生があるとしてそれに備えねばならないともなる
ただ人間が老人になるとわかる、それはいくら長生きでも死ぬということである
死を常に感じる、すると今生きているということが本当に貴重だとなる
なぜなら明日はもうここにいない、また明日はもう人とも永遠に別れて二度と合わないという意識になるからだ、常に死を意識するから若い時とは全然違った感覚になるのである


2020年09月22日

マスコミの印象操作にのせられる (連休の人出は京都くらいで他は増えていない)


マスコミの印象操作にのせられる

(連休の人出は京都くらいで他は増えていない)


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一月万冊

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宮崎と鳥取と京都と愛媛と神奈川で増えている
あとは10%-20%と減っている
つまり元にもどっていない、東京はもっと減っている
東京は警戒しているかことがわかる
なぜなら40%とか減っているからである
だからみんな警戒しないのかと見たがまだ警戒していたのである



ここのyoutubeで今回の連休の人出が増加して満員になっていると映像で見せた

するとテレビを見ている人はどう思うのか?

あんなに人が一気に出てきてコロナウィルスが増えなのか?それを自分自身も一番思ったただコロナウィルスがこれほど騒がれているのだからそんなに増えるのかという疑問だった、まだ用心してもいいとも見た
ある程度は観光と飲食で窮地にたたされているのだからしょうがないとも見ていた

でも一月万冊で詳しく分析していた、統計的に分析していた、その情報は官報で報告されていた、つまり前と比較して東京内でもまた地方でも20パーセントは減っている
元にはもどっていない、ただ京都だけは例外であり元のにぎわいになっていた
だからテレビを見る限りずいぶん増えた、何か感染者が増えないのかとと見る
つまりテレビの映像操作でそうなる、一部分をとりあげてそこだけをクローズアップするだからあたかも人が増えたと直感的にそう思う
その詳しい内容はテレビを見る人は検討しないからである

それで一月万冊というのも何かわからなかったがそれなり適格に現状を分析して指摘している、意外と最初youtubeはふざけているのかとも見た、でも真実をついているなと見方が変わった、マスコミはなぜ人が増えたとういことを示したいのか?
それは視聴率をとるためである、ただ人があまりでないとなると何も訴えるものがなく見ないからだという
確かに人があれだけ出ているのかとなればとにかくそのことを見てみんな自粛に疲れて
外に出るようになったのだと見る、でも東京内でも渋谷の交差点でも実際は増えていない20パーセント減っていて元に戻っていないのである
それは政府から統計で正確な数字がでているから間違えない、だからマスコミではある部分を誇張して報道する、それは放送局の意図があってそうしている
人は出ていますが前と比べるとまだ元にはもどっていません、20パーセントは減っていますとは報道はしないのである
そうなるとなんだ増えていないのかとなり注意して見ないともなる

とにかくテレビの問題は第一印象に訴えるメデアである、第一人でも顔が映る、するとまずその人が言うことより顔から第一印象から判断する
この人はこんな顔しているのかとなり顔を見るのである
でもプログだと顔が見えない文章だけだとなり文章から判断するのである
その相違も大きい、どうしても映像のインパクトが大きいからそれで判断する
イラク戦争でも油まみれの海鳥一羽を映しただけで強烈な印象操作があり世界中がイラクが悪い、フセインが悪いとなったからマスコミの影響は恐ろしいものである
それは油にまみれた海鳥は作られた映像だったのである
その周りは別に油に汚染されたわけでもなかったのである

テレビはマスコミは何か正確に事実を報道しない、事実より何か目をひくものを報道するインパクトのある映像を出して視聴率をとろうとする
ただそれはyoutubeでも行われている、何か人を恐れさせるとかのタイトルを常に出す、するとやはり人は怖くなり見るということがある
それが人間の心理である、安全ですよ何も心配ありませんよとなれば誰も見ないのであるだから視聴者にも問題がある
何か強烈な刺激を得るために見るということがあるからだ
そしていつもテレビを見ているわけではない、ほんの瞬間的に見て終わりだともなる
またその詳しい内容を検討する時間もないからしない
だからある程度暇がないとそういう検討ができないのである
だから瞬間的な映像の印象操作にひっかかりやすいのである

マスコミは事実だけを報道しない、マスコミの意図があって報道を編集しているのである日本中が観光客であふれ元にもどった、GO TO キャンペーンは大成功だったと政府に忖度した報道だともなる
でも実際は京都だけが成功したとなっていたのである
ただテレビの印象操作はわかりにくい、何が意図なのかわかりにくいのである
何度も取り上げるがNHKで原発事故の避難者が飯館村の人が相馬市に避難してトマト農家に雇われなかったと飯館村の人が語った時、瞬間的になぜそのトマト農家は雇わないのだ困っているのに雇わないのだと冷たい農家だと見ている人は怒るようになる
の理由は相馬市では津波で大きな被害を受けた、そのために津波の被害者を優先的に雇ったのである、それは人間として当然のことだったのである
別に冷たい農家でもない、でも視聴者は印象操作されてそう見ないのである
別に飯館村の人をどうこういうのではない、地元で公平に判断すればそうなる
その事情がわからないとテレビ局の意図通りに見ることになる
もともとNHKでは原発避難者側にたった報道をすると意図して決めていた
だから下の人は上の人が決めることですからと言っていた

とにかく今マスコミがインタ−ネットでyoutubeなども出てきて常に批判の対象にされるようになった、マスコミの報道が社会を歪めるからそれを是正しようとインタ−ネットで発言する、youtubeで気づいたことは簡単にテレビ局になれのだということである
プログなどはそうだがテレビ局に簡単になれるとは思わなかった
何か説明するのでもマスコミのテレビ局とたいして変わらない、政府の統計の数字を出して比較しているからわかりやすい、別にマスコミのテレビ局だけができると思っていたが一般の素人でもテレビ局になれるのたと見た
ただどうしても取材力がたりないのである、取材することは相当にむずかしい

マスコミ批判が噴出しているのは肝心なことを知らされないでそれが国民の命取りになる命まで失うということがあるからだ
それは福島原発事故でも肝心なことが報道されなかったからだ

東電の科学者が10数メートルの津波が来るから防波堤を作れ!

このように警告していたがそれも知っている人は地元ではほとんどいなかった
もしそれを大々的に報告していたからみんな津波が来るのかと警戒してそれが頭に入っていればすぐ避難した、でも相馬地域では津波は来ないと確信して逃げないで死んだ人がいたのである
それは肝心なことが報道されなかったからである、まず原発に関しては政府の隠蔽があり重大なことが知らされない、中に立ち入ることもできない
ただ全国でもそうだがマスコミは東電からまた電事連でも莫大な宣伝費が出されているから危険を報道しなかった、つまり本当は県民を国民を守るべきマスコミが宣伝費をもらうからと権力をもつものに忖度して報道しないのである
別に防波堤など作れたのである、今になって実際に作ったからである

それから漁業組合とか船主とか漁業権を東電に売り渡したことを何度も私は指摘してきたこれも一切報道されていない、これはやはり肝心なことだったから私は指摘した
なぜならもし漁業組合でも海が汚染されて魚がとれなくなると反対したら原発は建てられなかったからである、でも事故前も補償金をもらい原発御殿を建てていたかと後でわかった、ここも肝心なことでも報道しない、ただ事故前だったら報道はできない
漁業組合から抗議が来るからだ、それは他でも様々な利権団体がありそこから抗議が来るから報道できない、それで利権団体民主主義と私は批判した

ただ報道にしてもそこに住んでいる住民の民度が高くならない限り報道の質を高めることはできない、住民の命がかかわることがあり報道の役割りを住民も参加しないとできないただインタ−ネットとかでは別に金がかからない、手間はかかっても無料だから誰でもできる、ただ取材は簡単にできない、原発を取材させろといっても一個人はできない
権力がないとできない、それで政府では常に隠ぺいしている
書類でもすべて黒塗りにして隠蔽したからである
つまり必ず隠蔽があるのはやましいことがありそれを隠すためなのである
それは重大な事実も報道されないということになり住民でも国民でも被害を受けることになる、命を失うとか故郷に住めないとかなる
ただそれは住民でも国民でも民意が高くならないとそうなる
ただ利益になればいいとかなればとりかえしのつかない今回のようなことになる

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2020年09月23日

戦後の焼け野原ー広島、長崎原爆ー原発事故復興 (東京の焼野原を経験した白鳥省吾の詩から)


戦後の焼け野原ー広島、長崎原爆ー原発事故復興 

(東京の焼野原を経験した白鳥省吾の詩から)

歴史では大きな惨禍があった、やはり最大の惨禍は戦争だった
戦争でぱ300万人が死んだからだ、そして最大の悲劇は広島、長崎の原爆だった
これは人類的悲劇としての惨禍だった、その罪は人類的罪であり消えることがない

ただ今回の福島原発事故もチェルノブエリの惨禍に継ぐものであり人類的惨禍として記録される場所になった
でも広島と長崎の原爆との相違がある、不思議なのは広島では原爆で十万人死んだとされる、一瞬にして灰塵に帰した様はこの世とは思えない悪夢だった
だから福島原発事故とは比べることもできない悲惨なものとしてあった
福島原発事故では関連死とかあってもそれほどでもなかった、津波の方が死者が多かったから死者からみればそんなに被害に見えない
だから外からは誰も死んでいないとかされて深刻に見えないのである
たた被害の状況が違っていたのである

何か広島原爆でも長崎原爆でも瞬間的放射線の被害だった、そこにはもう草木も生えないとされて絶望した、でも意外と復興が早かったのである
それはどうしてだったのか?それは原爆でも瞬間的なものであり放射線の被害もそれほど強いものではなかったからだったともされる
ただ瞬間的に壊滅的被害でありその悲惨な状態は地獄そのものだった
だから被害が少ないとかではない、被害の状態が違っていたのである

それはどちらも都会の被害だった、都市が一瞬にして壊滅した、でもなぜ思った以上早く回復して復興したのか?戦後の焼野原でもそうである


被爆時に約35万人だった広島市の人口は一時14万人を割り込んだが、8カ月後の46年4月に17万1000人まで回復した。原爆で半壊・半焼以上の家屋は9割に達し、住宅建設は重要課題だった。  

当時から広島県の基幹産業は製造業でした。 しかし、原爆により大きな被害を受けたのは爆心地に近い住宅地に混在していた中小・零細工場でした。
それらの中小・零細工場は事業継続・事業再開ができず、中小・零細工場の数は激減しています。

例えば、爆心地から約5.5km離れた三菱重工業の工場は、被爆の翌日から生産が再開されたとのことです。

このように、あれだけの被害を受けながらも、市内周辺部の主要工場は早い段階で生産再開ができたことが、広島の経済再建が早く進んだ一つの要因だったようです。

広島県は労働者の内、工場での職工の比率が全国平均よりも高い域でした。

実は原爆により14万人の方が亡くなったものの、工場労 働者は大幅に減少することがなかったようです。

外部からも労働者の流入があったようです。 (これが工場労働者数が減らなかった原因かもしれません。)

鉄道も復旧が進めれ、原爆投下3日後には被害の少なかった地域の電車の運行が再開されています。お金の無かった人には運賃を取らず運行したという話もあったそうです。
昭和25年6月には朝鮮戦争が勃発したことで、自動車や缶詰の生産が増え、特需がありました。

また、昭和27年4月に新造船が解禁になり、広島県内に集積していた造船業が活性化しました


鉄道も復旧が進めれ、原爆投下3日後には被害の少なかった地域の電車の運行が再開されています

これも驚きである、なぜならここでは常磐線が開通するのに10年近くかかったからである、それが三日で回復したとなるからだ、その相違も大きい
そして労働者が流入してきた、それは工場がそれほど被害がなく働く場所があったからである

これと比べると福島原発では都会ではなく工業地帯ではなく田舎で起きたことで違っていた、まわりは田畑であり農業地帯である、すると放射性物質に汚染されたときそうした田畑とか山林とか海の漁業資源が汚染されたことが違っていた
だから飯館村では田畑は草ぼうぼうの荒地になって荒廃したが工場がありそこで勤めは継続されて住んでいる人がいたのである
田畑だけだったと勤め先もなくなるから住めないとなっていた
何かこの辺が大きな相違だった、かえって放射線の被害はチェルノブェリでもわかるように住んでいた場所に住めなくなることがあった

でも原爆の場合は一時的に10万人死んでも回復が早かったのはかえって都会でありその生活は工業で成り立っていたから仕事も継続されたし他から工場があるから労働者が入ってきたのである
ここでは農村地帯でありまず土と水が汚染されたら第一次産業の農業と林業とか漁業はできなくなった、この相違が大きいのである
第一次産業は生態系に依存していたからである
ただ農業とか漁業とか林業は衰退産業になっていてそれで跡継ぎがいないともう金にならないからやめたいしかなかった
だから漁業関係者になると東電に漁業権を売ったり何か金になれば農家でも土地を売りたいとかしかなかったのである
こうした相違がその後の復興に大きく影響した

でも電車が三日後に回復したということが信じられないとなる
その復興のスピードは早かったのである、また朝鮮特需があることで工場が活気をとりもどして戦後に働く場を回復して労働者を吸収した
一方で工業地帯でないところは引揚者は開墾に入った、この方が過酷だった
なぜなら半分は撤退したからである

いづれにしろ原爆の被害とか焼野原になった戦後の復興がなぜできたのか?
それはこうして状況が違っていてそうなった
かえって今回の福島原発事故の回復ができないのはそき当時の時代環境が違っていてそうなった、放射性物質の汚染というとき一番農業とか林業とか漁業に影響したのである
そして水とか土を汚染されたら住めなくなったのである
では広島とかではなぜそうならなかったのか?
それは意外と一瞬に恐ろしい壊滅状態になっても放射性物質の被害はそれほどでなかったのである、それは土が汚染されたら農業ができないとなっていたが工業地帯であり仕事は継続して復興したとなるからだ
だからもしかしたら原発は都会の近くに作っていたらそれほど被害がなかったかもしれない、それで東京に原発を作れというのは正論だったのである
田畑もないし農業とか漁業とか林業はほとんどないからである
ただ江戸時代だったら回りから食糧でも供給されていたから生活できなくなっていた
でも工業時代になると外から食料が入ってくるから別に仕事はあり生活できたともなる

とにかくなぜ戦後の焼野原から日本が復興したのか、それは様々な条件があり幸運があり時代の影響によってそうなった、朝鮮特需というのも日本の工業を回復させたことで大きかった、戦後は日本は幸運だったのである
ただその幸運も長続きはしない、まず幸運は長続きしない、必ず不運がやってくる
今はコロナウィルスであれ経済の衰退であり不運が重なっているのだ
だから戦後の焼野原のような状態にもなる、大失業時代にもなる
そこからの回復はどうなるかというと見えてこない
戦後の焼野原でも原爆でも広島ではすぐ電車も走り工場は稼働して労働者が集まり先が明るいものとして見えていたのである
10万人も悲惨に死んでもう回復できない、草木も生えないと見ていても実際はすぐに回復していたことがあった、それがふりかえると理解できなくなっている

なぜ戦後の焼野原になり大量の引揚者が帰ってきた職もなく開墾に入った
そんなときどうして子供が大量に生まれ団塊の世代が形成されたのかとなる
今ならまず食べるものがないということはない、その時は食べるものがなかったのであるその時貧乏でも子供の数が多いし何か活気があったということも不思議である
子供が多いということは貧乏でも活気が生まれるということがあった
今のように老人ばかり多いとどうしても活気がないのである、未来もないとまでなる
なぜなら老人は過去に生きるものであり子供と若者は未来に生きるから根本的に生きる態度が違ってくるからである

原発事故の復興を考えてきた、その参考になるのが次の詩である

日本の中心として都市の壮観を示した東京も
思わざる震災に焼けただれ
今は茫々たる焼野原

ああしかし
崩れたるニコライの
その台座に据えられる者は
形なき呪いの神でなくして
灰塵の中から新しく生まれるくる力の
祝祭の神であらねばならなぬ
(灰塵の中からー白鳥省吾)

駿河台に立つニコライ堂は当時の東京の名所であり象徴的建築だったからこういう詩が生まれた
これはこの辺の復興とも関係している、もうその焼野原にうちのめされて絶望する
また呪いともなる、それは津波の被害でも同じである、ただただ呪いとなっている
東電を呪い、国を呪い、また自然でも呪うとなったのがこの辺である
てもそのようにただ嘆くだけでも呪うだけでも復興はありえないのである
かえってその灰塵の中から原爆の被害地ですら希望が生れていた

だからその希望を作れるのかとなる、それが建物だけは立派になり復興した
大熊町とかでも立派な役所ができた、双葉では立派な駅ができた
飯館村では50億円かけて立派な校舎を5人の生徒のために建てた
それが復興となるのか?
回りは人は住んでいないし廃墟の街、ゴーストタウンになっている、草ぼうぼうの荒地と化している

要するに建物だけは作れても仏作って魂入らずとなっている、人が住んでいないのだからただ建物だけか立派でも復興はしていなのである
そしてただ呪いだけがある、不満だけがあり延々と被害者であり補償をしてくれ金をくれしかなくなった、それを否定はできない
でもこの詩のように何かそういう状態でも呪いだけではなく何か新しい希望が生まれないと作れないと復興はないということである
ただその時代がありかえってこの辺は復興がむずかしくなっている
意外と戦後の焼野原でもふりかえると広島ですら三日後に電車が走り工場は回復してかえって労働者が流入して活気が生まれていたのである

ここではみんな故郷から離れてゆく残されたのは老人だけなのである
人が復興をになうとしたとき肝心の人がいない、ただ建物だけが立派に復興しても肝心の人が町にも村にもない、子供もいない、そこに復興があるのかとなる
そしてここは永遠に呪いの場として記録されるだけともなるのか?
それは大きな問題である、でも現実は復興はここにないことは確かである
それは時代の影響もありこの土地だけの問題ではない、コロナウィルスでもそうなように日本自体が大きな変革が求められている
それで戦後の焼野原から回復したのはなぜなのかということが参考になる
経営者はゼロベースが始めろというとき戦後の焼野原から復興したようにそうしろとなるつまり古いものを一掃して新しいものに作りかえる、社会自体を変えなければ復興はないとしている、だから戦後の焼野原から復興した日本をふりかえりそういう時代を参考ちするとなる                              

ただ新しい時代がどうして作られるのか?

これはその時々の条件が違うし簡単にはいかない、過去を参考にするにしてもまた違った状況になるからむずかしいのである
posted by 老鶯 at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

読書の方法はまず記憶させること (場所を変えて何度も読むーページを飛ばして読んでもいい)


 読書の方法はまず記憶させること

 (場所を変えて何度も読むーページを飛ばして読んでもいい)



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寝る時に本を置いて何回も目を通す、部分的にでもららぱらとめくり読む
すると頭に記憶されやすい



どうしたら読書で本を読んでそれが効果的になるるのか?
本は私立図書館ができるくらい集めた、特にアマゾンで古本の安いのを集めた
でも何か積読になり読んだで印をつけていても読んだことを忘れている
ここを読んだのかという記憶もないのである
だから本を読むより本を集める蒐集家になっていた
そうなると本を読んでいるのではない、まるで古本屋のようになっている
書店とか古本屋では売る人は内容まで良く知らないからである

でも読書してその本の内容を理解すること自体が相当に努力が必要になる
またその方法もある、それは寝る時、二階の寝室で必ず本を読み目を通す
それも同じ本なのである、そこでその本を何回も寝るときに目を通して読んでいたらそれが頭に記憶されることがわかった
ただ全部を読むというのではない、その一部分でも読む、眼を通す、何かそうしているとその本の内容のことが頭に記憶されてくる

それは食べ物でも何かゆっくりと食べてその味を覚える、味わうというのに似ている
うまいものだったら何度も食べたい、そしてその味を深く味わうとなる
本はやはり作者の苦労した知識がつめこまれている、それは一生をかけた知識がまとめられている、すると読む方でもすぐには理解できない、ただ何回もそうして読んで目を通していると頭に記憶されて理解するようになり今度はその本についての感想を書き自らの文脈にとりいれるのである

だから知的仕事というのは大きな家が必要なのである、狭いワンルームも必要でもまた気分転換になる部屋だ必要になる、何か知的仕事をするとき家族でも邪魔になることがある第一家族がいると子供でも妻でも集中することができなくなるからだ
部屋の中でわたわたしたり妻でも気をつかうとしたら知的な仕事はしにくい
集中しにくいからである
私は結婚もしないし家族はいても別に干渉されることもなく自分の部屋があり引きこもって知的な仕事をしていたとなる
瞑想もしていた、この瞑想だって家族がいるとしにくくなるだろう
それで何か後世に作品として残したりした人は芸術家などでも独身が8割だったということが納得がいく、それだけ作品作りに集中しないとできないためである
ただそういうことがわかっていて助ける人が妻でもいれば別である
でも子育てとかありそうなると家で知的仕事に集中できないということがある

ともかく知的仕事には私立図書館になるくらいの本を装備してゆく必要がある
たとえ読まなくても必要なのである、必ず文書を書くとき引用したり必要になるからだ
そして何か自分の探求しているものを新たに発見する
白鳥省吾の詩は津浪とか原発事故とか大災難を経験したので自分にとってもこの辺の人にとってもぴったりの詩だったのである
でもそれは忘れていたし覚えていなかった
ただ寝室でそれを手にぱらぱらきランダムに読んでいて発見したのである
このように本は何かその人なりのものを追及している時、ぴったりなものが発見することがある
だから私は詩集でもある程度集めていたのである、それが役にたったとなる

本を読むことは本を読んだままにしては活きてこない、自分なりの説を展開する時の補強となるとき活きてくる、それぞれが探求して追及しているものがありその過程で補強するものとして活きるのである
ただ正直本は読むのではない、他者の説とか文脈の中に圧倒されて自分の説とか見解でも消失してしまう危険がある、やはり強力自説を展開する人ならそうはならないのである
でも何か本は内容があるとのみこまれてしまうのである
そしてただその本の著作者のコピーのようになる
そうなると読書が有効なのかどうかわからない、ただコピーしているだけになるからだ

それでインタ−ネットだと本の感想をでも気軽に書けるから書いてみる
すると何かただ一方的に読まされるだけではない、そこで自説を展開して協同作業のようになる、別にインタ−ネットでは気軽に他人の意見でも参考にできるから協同作業がしやすいのである
ともかく知識が膨大であり理解するのはわずかである、本は今いくらでも買える
別に書店がなくても買える、図書館に行かなくて本は買って読める
でも本を読むだけで終わったら読んだことにならない、その本を読んで自説を展開することが本を読むことなのである
なぜならどんな天才でも偉人でもキリストでもシャカでも先人が師がいて教えを説いたからである、キリストは聖書を読んでいたときそこに予言者がいてそれを学んだ
シャカもヒンズー教がありそこから学んだ、常に先人があって学んでいるのである
どこのく世界でも先人はいる、仕事するにしても必ず先人がいてそれで教えられて学んでいるのである、だから職人でも師弟関係ができるのである

いづれにしろ一冊の本を理解することは相当な努力が必要になる、そのコツは定期的に寝る時でもいいから何度も目を通す、それも全部ではない、一部でも理解する部分を目を通して頭に記憶させることが大事なのである
それで家が大きくて部屋がいくつかあるのがいいとなる
知的な仕事は才能があるにしても環境が大事だとなる
高校まで自分の家には一冊の本もなかった、子供の時は漫画だけを借りて読んでいた
子供部屋おじさんが話題になるがそもそも団塊の世代で子供部屋をもっていた人はまれだろう、ほとんどいなかったろう、そうなると自分の好きなことを探求できないともなっていた

私の場合は大学を出てから家で引きこもったとしてもそこで知的探求する場が与えられていた、それは大学の時大きな新しい家を建てたからそうなった
だからそこで知的探求する場が与えられていた、ただ本は田舎で買えなかったことは相当なハンディだった、仙台市に行かないと専門の本はなかったからだ
今ならアマゾンでも何でもいくらでも買える、この差は大きかった
本が読めないとしたら知的探求は不可能だからである
才能は確かに生まれつきがあるとしても何らか本を読むにしてもこのように努力しないと理解もできないのである 

そういう繰り返しが反復して理解するようになる
特に記憶することが先にあり記憶として定着させるために寝る時に本に何度も目を通すのである、するとそれが頭に記憶として定着する
この記憶するということが大事なのである、なぜならすぐに人間は忘れるからである
でも毎日そうして本を何度も全部ではなくても読んで目を通していると記憶される
すると記憶したことによって自説を展開する時、その記憶したものか活きてくるのであるつまり頭の中で構築されやすくなるのである
この方法は試ししてみるといい、ただ広い家がないとしにくいことはある
でも寝室で何冊か本を置いてランダムでもいいから読み記憶させることはいい方法なことを発見した

2020年09月24日

abstract flower-vegetable flower


abstract flower-vegetable flower  

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vegetable flower  




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花だけでは栄養にならない、野菜が人間には必要
花だけを見ては生活できない
そこで野菜の花もある
花に野菜の栄養分がある


Vegetables are necessary for humans, not just flowers
You can't live by looking at flowers alone
There are also vegetable flowers
Flowers have vegetable nutrients

函館の思い出ー矢車の花、フランス菊―啄木の歌にロシア人の墓


函館の思い出ー矢車の花、フランス菊―啄木の歌にロシア人の墓

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矢車の花は函館に合う花である、それは啄木が歌にしたからそうなった
でも何か函館はハイカラな街であり街全体がヨ−ロッパ風にもなっているエキゾシズムがある
やはりあの坂がいいのだろう、坂を上ったり下りたりして港がある、船がある
その風景は独特である、だから函館に魅せられて何回か行った

北海道には十回くらい行っている
北海道が外国人に人気があるのもわかる、やはり外国人でも魅力を感じる場所なのであるただ北海道のような風景は外国に多い、でも外国人は北海道に魅せられるから来ていたのである  


立待岬に浜百合咲き轟ける波の音かな啄木の墓 

外人墓地大きな岩にロシア人ここに埋もると鉄の十字架


函館の街の西の端にある「外国人墓地」は、日米和親条約が締結され(1854年)、半年後の開港が決まっていた函館の港を視察に訪れたペリー艦隊の一行の中の水兵2名が死亡し、彼らの埋葬場所として提供したことに端を発する。この一帯が正式に外国人墓地に定められたのは、米、英、デンマーク、ロシア、ポルトガルの在函五カ国領事が開拓長官に外国人墓地の永久保全を求める願書を提出し、それが認められた明治3(1870)年のことだ。

 1913年11月14日付『函新』は、函館税関では、漁期になると数千人のロシア人が往来するため、商船学校嘱託の露語教師浪江良平を講師に招き、税関職員に対して翌年3月までの4か月間、毎日午前11時から1時間、露語講習会を開くことになった、と報じている。

あの岩の墓はロシア人のものだった、千人も来たというのも驚きである
つまり函館が栄えていたとき相当の外国人が実際にここに来ていたのである
外国人を入れる窓口となっていた、それは横浜と同じだったのである

旅の問題はその時そこの歴史とかがわからないことである、後で調べたりするがなかなかわからない、30年前以上になると記憶も定かでなくなる
でもインタ−ネットができて記憶をたどりやくなった
この歴史を知ると知らないでは相当に印象が違ってくる
なぜデンマークとかポルトガルの人までここに来ていたのか?これもやはりそれだけ函館がその当時国際的な港だったことを証明している

これは前にも書いたがここで付け足してまた書き直す必要がある
旅は旅する前と旅している時、旅をふりかえることがある
ただこの旅をふりかえることがむずかしい、忘れるからである
30年過ぎて思い出すとなるとむずかしくなるからだ

ただ立待岬に啄木の墓があり崖に浪の音がとどろく、それがふさわしい場所だったとなるなぜなら啄木の一生は苛烈であり27歳で死んだからである
それで立待岬に波が打ち付けてその墓にも轟いているとなる
啄木も明治という時代が生んだ天才だった、明治は日本がにとって特別な時代だったのである、その後は何か大正でも昭和でも戦前は日本は領土でも拡張するのだが時代としては暗く感じる、それは戦争で負けたからそうなったのである
明治時代は日露戦争にも勝っていたから高揚した時代、日本の夜明けの時代だったのである、ただ日露戦争で奢りとなって太平洋戦争では負けたともなる

結局人間は時代の子である、これをまねがれえようがない、時代時代を生きるのが人間である、ここで運不運も生れる、戦後だと団塊の世代は高度成長時代を生き氷河期世代は非正規となり恵まれない時代を生きざるをえなかったとかある
これからも時代に運不運がありそれは逃れようがないのである
戦争では才能ある有為な生年もえなく戦場の露と消えたからである

とにかく函館には矢車の花があっている、また北海道にいろいろな花が咲いている
高山植物も平地に咲いている、ハクサンチドリが宗谷岬にも咲いていたからである
高山地帯に咲く花が平地に咲いているのが特徴である
北海道は電車でも行ったし自転車でも行ったから思い出の地だとなる