2020年09月13日

江戸時代の時間感覚 (50年で良田とする政策ー津波、原発事故の復興も50年かかる?)


江戸時代の時間感覚

(50年で良田とする政策ー津波、原発事故の復興も50年かかる?)

地頭と肝入とが協議して以下のように合意した。つまり彼らは,耕地が「良田」になるまでに50年はかかると見込み,年貢はこの期間「本銘」( ほん めい
本免:本来 ほん めんの年貢)の1/2〜1/3とすると決めたのである 

本来の年貢率を50%(五公五民)とすれば,この年貢率は250〜1 . 67%であり,しかもそれを50年維持するというのである。 


50年かかるとしたら木の育つのと同じ年月である
江戸時代の時間感覚は今と違っている、でも今でも木が育つには50年かかるから自然の時間感覚は長い、今の時代の感覚はとにかく早い、短期的にしか動かない
今直前のこと今利益になるかどうかがすべてである、それで長期的視野を持てないのである、今すぐ成果を上げろであり2年先3年先も考えない
だから国家百年の計などありえないのである
上に立つ人も政治家でも今得すれば今地位があり得することだとしかないのである

ただこの50年という歳月には驚く、例えばこの辺の農業の復興は放射性物質の汚染で復興するのにどれくらいの時間がかるのか?
それはもう不可能であり耕作放棄地になった、そうなったのは時代もある
江戸時代はみんな農民であり農業で生活する他なかったからなんとか土地を利用して食糧をえなければ餓死してしまうからである
だから戦後でも引揚者が一千万単位でいたとかなるとその人たちはどんな不便な不毛の地にも入って農業するほかなかった、それは過酷なので半分はやめたとなる

ただ時間の感覚が短いと長期的視野で物事がすすめられない、今すぐ成果を上げろとなると落ち着いて事業でも取り組めないのである
会社では金融系だとただ社員にノルマを課してとにかく成果を上げろとなる社員は客をだましてでも投資信託とかを売りつけることになる
それでノルマを果たして認められるからである
でも会社の将来を見て苦境を乗り越えるということ何か時代にあった事業に転換するとか長い目で仕事ができないのである

何かあらゆることで簡単に短い時間で成果が出にくい、株式投資でも10年くらい長期的視野でみないともうからない、なぜなら株は必ず10年単位になれば下がったり上がったりするからである、それでリーマンショックのとき半分に下がった株が元にもどしそれからまた上がった、もしそれを銀行の営業マンが売らなかったら相当にもうかったとなる
どうも長期的視野で事業でも仕事をするということが現代は合わない
それだけ変化が激しい時代だから合わない、また農業とかなると自然のリズムに合わせるから林業でも50年過ぎないと木が育たないとするとそのリズムに合わせるほかないから長期的視野に生きることに自ずとなる

それにしても50年で良田になるというのは長すぎる
おそらくこの辺でも農業とか林業とか漁業でも50年過ぎないと復興するとかなったらそんなこと誰もしない、だから若い人は流出した、農業とかの時代ではないからである
漁業、農業、林業などは衰退産業であり誰も跡を継ぎたくないとなっていたからである
それより原発が収入になるとなっていたので地元は積極的に誘致したのである
工業時代と農業時代の相違があってそうなった

おそらく国家百の計とか言う時代は農業とか林業とかの時代だった、それが江戸時代であり明治以降でも戦前でもそうだったのである
そこではもう目前の利益しか考えられない、今金になるかどうかである
それで何でも急ぐ、そこにも落とし穴があった
目前の儲けを優先するから安全がないがしろにされた

急いで富は得られない

これも真理である、結局原発事故でもそうだった、目先の利益を優先して安全を計らないで大失敗になり大損失になったからである、それで今になって事故のあった原発に津波を防ぐ防波堤を東電で作ったのである
なんだ、簡単に作れたとか見る、そんなものすら科学者が警告していたのに作らなかった
コスト削減のために作らなかった、それが大損失を招いたのである
それはとにかくまず利益優先でありそれしか事業者にも頭がない、長期的視野がもてないのである
原発は一企業の事業というより国家的事業なのだからそんなに利益優先ではできない代物だったのである

そして人間の弱点は自然の時間とかと違って長い時間の歴史を考慮するのが苦手なのである、なぜならもう一年前でも何をしたか忘れている
次々に新しいことが起こり過去は忘れてゆくのが人間なのである
だから自分で描いたプログでもこんなことを書いていたのかと忘れているのである
だからただ何でもいいからメモしろとか記録しろというのは本当である
とにかく人間は忘れやすい、また一人の人間が死ぬと急速にその人間自体を親でも何か不確かなものとなり忘れてゆく、ましてや他人の死など次々に死ぬから遂にはそんな人いたのかどうかともなる、もう膨大な人が次々に死んでゆく、そしてその人がもう本当に存在したのかどうかわからなくなる

すると墓でもあればこの人が存在していたのだ思い出す効能はある
墓がなかったら文書の記録とか言い伝えだけになり実在感がさらに消失してゆくのである
いづれにしろ放射性物質に汚染された復興は本当に長くなる、30年過ぎてやっとセシウムの放射線量が半減するとかなる、もう溜池の除染など徒労だと思う
回りの森から放射性物質がまた流れてきてたまるからである
そこに莫大な金を兆円の金をかけることが無駄だともなる
それよりプルトニウムの毒が消えるのに二万年というのには驚くし何なのだろう理解できない、それほど放射線の被害は恐ろしいものだったともなる

時間の感覚として江戸時代のようであったら50年というのはありえる
でも今なら技術が発達しているから来年でも元にもどないとやっていけないとなる
それよりほかに移って別な仕事を探した方がいいとなり若い世代は移住して残されたのは老人だけなのである
ただ良田にするまで年貢をも低くされたし一応米もとれるとか飢え死にはしないとかありそうして50年かけて良田にするともなった

それも50年間もの先を見込んで年貢を低くしたというのは驚きである
ただ正直今ではこの時間の感覚は理解できないし誰もそんな時間をで物事を考えることもできないのである 、為政者でもそんな時間感覚がない、第一首相でも一年毎に前は変わったりしていたからである、そうなる年期一年とか二年でありその時間で物事を決める
そして自分の利益にすることをすればいいとかなってしまうのである
ただ自分たちの派閥の利権とかで動くとかなる
ただ当時は農業主体の生活だからそういう発想もできたとなる
封建制であり領主が変わらないとか時代の変化のスピードが遅いからそういうことができた
それだけ長い時間で考えることができたし自然とはそういうものであり急激に変えられないという感覚がありそうなっていたのである

ただ一個人の人生でも百歳までの人生を考えられない、だからたいがい若い人は60くらいで死ぬから老後を心配しない
でも百歳人生となるともうどうしていいかわからないだろう、金銭的にもそうだし会社員だった人は退職して何をするのかともなる、それだけの長い人生があるということはライフワークをもって何かを追及するにはいい時代である
たいがい少年老い易く学成りがたしとなっていたからである
でもなかなか老いないとなると老いたとしても先が長いとするとそれだけ余裕をもって生きることができるとはなる



あとがき

国会国立デジタル図書館でこうした論文が読める、最近はアクセスしなかったが何かと電子空間では検索できる、ただ検索の方法がわかりにくい
それでも図書館は意外と調べものに不便なのである
キーワードで調べることもできない、また本を一冊一冊調べてコピーするのが手間なのである
だから図書館にはもうここ十年一回くらいしか行っていない
何か調べたり書き物するには自分の家が図書館になっていないとできない
それが古本が安いとか自分なりの図書館が作れる  

すると学者の論文も読めるから引用して自分なりのものを探求して書けるのである
ただ検索が意外と不便であり方法がわからずにうまくいいものに当たらないということが問題である
インタ−ネットは商業用にもなって商売の宣伝が増えたのでそれでいいものに当たるのがむずかしくなった
ただ国会国立図書館なら学術用の図書館だからいいものに当たるとなるが全部は読めないのである   

それで自分でも蔵書を検索できればいいと思った
すると検索してそれを編集すると自分なりのものが発表できる
それもまためんどうだとはなる、何かインタ−ネットは便利なのだけど手間なのである
これが省けないのである、それで何とか自分のプログでもワードプレスで見やすくしようとかフェフブックとかしようとしたができない
ホームページを創り直そうとしてもそれもできない、手間でできないのである


posted by 老鶯 at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2020年09月14日

医療の無駄は大きい (4兆円コロナウィルスで病院の収入減るー2025年問題の深刻)


医療の無駄は大きい

(4兆円コロナウィルスで病院の収入減るー2025年問題の深刻)


福祉でも必要でも無駄が多い、とにかく検査するために東京の方に医者に行けとかまた
人間ドッグに入るとか何かと医者通いである
それも無料ではない、負担がある、でもその負担ができない、そしたら普通はそんなに医者に行けなくなる、現実にそうして金がなくて医者に行けないと薬も飲めないとかある

なぜこうなるのか?福祉だと医者がそれほど必要なくてもすすめるからかもしれない
とういうのは医者でも相手が生活保護だったり何か貧乏でも国から補助されたりしていて金がもらえとふんでいるからである、そして別に一般の人でも医者にかかると必要のない医療とかを受けさせられる

現実に近くの病院で認知症をみるCTとかを受けた、でもそれは何の役にも立たないものだった、それは病院でもわかっていた!
それで3万もとられた、3万は安いようで一割負担の後期高齢者だから実際は30万にもなっている!
その人は5万だとしている、でもその負担は大きいのである
結局福島県でCTを撮れる機械があるのは二台だけである
あとはそういう高度の機械ではないのである、それは前からわかっていて金のためにそれをすすめただけだとなる
普通だったら専門家はそのことを知っているから奨めないのである
でも金のためにすすめる、その機械自体が高価だから利用しないと病院経営もしていけないとかなる

つまり何か他でも医療は相当な無駄がある、それが保険で安くなるから気軽にかかるとなる、それが今度は国民健康保険とかのみんなの負担になるのである
なぜ医療費がこんなに莫大なものとなってもう限界だとなるのか?
それはこのように医療は無駄なものが多いのである、延命治療とか終末期医療になるとここでも相当な金がかかる、だからそうした手厚い医療はいいようでも最後は苦しめるだけだとして治療をしない方がいいともなる
ただこの判断は実際はむずかしいから議論になる

でもこれから2025年問題がありそこで団塊の世代とかが病気とか介護になる人が増大するそこで日本の手厚い保険制度がありそれはいいものでも負担しきれないとなり国がつぶれるとまでなる深刻な問題になる
とにかく介護で苦しむ人が増えて来る、この辺では原発事故で介護士がいないとか青森県に送られて介護してもらっている
でもその息子も実は生活が苦しい、でも何か小遣いとか足りない金を送っている
だから親を活かすために苦労しているとなる
これは金銭面だけではない、介護は必ず人手が必要でありそれをすべて金でまかなうことはできない、この辺で認知症の親を息子が殺したという事件でもそうである
こういう事件は日常的に起きて来る社会にもなる

そしてなぜ医療費の無駄が多いのか?
それはコロナウィルスで証明された、不必要でも医療というのは日本では保険制度があり病院にかかれる、アメリカだと金がないと保険に入っていないとかかれない
だからアメリカでは医者にかかれず死ぬ人がでてくる
日本では逆に不必要でも病院に行きみてもらいるからそこで負担が大きくなる
今日本が経済的に落ち込んで苦しくなっているときその負担に耐えられなくなる

コロナウィルスでわかったことは大病院でも軒並み病院にかかる人が減って収入が激減した、それで結果的に4兆円くらい保険の支出も減ったのである
つまり4兆円分は別に病院に行かなくてもなんとか患者が耐えられるものだった
またそうでなくても医者にかかれないから危険だからひかえてそうなったのである
医療にはそれだけ無駄が多かったしそれは言われてきたがそれがなかなか節約できないのは命にかかわることでありあなたはもう治療しても直らない死んでくださいと言えないからである、ただ介護する方になるともう死んでくれとなる

それは自分自身が思ったことでもあった、それは誰でもそうなるのである
一時は二人を同時に介護する恐怖があった、それも意外と一人は認知症でも二年半で死んだしもう一人は5年くらい介護しても一週間前までポータルブルトイレに行っていたので
なんとか介護できた、それがオムツとかなると相当な負担で耐えきれないとなっていた
私自身が何かずぼらでありそういうことに向いていなかったからである
その時自分自身も病気になり二回も入院していたのである
自分自身が病気でも介護する人がいないからそうなった
その時助ける人が自分自身しかいなかった、それでさんざんな目にあった
そのことをプログに延々と書いてきたのである
介護は金だけではできない、人手が必要になる、それも愛情をもてる人でないと本当はできない、でもそうでなくても介護自体が負担なのである
だから早く死んでくれないかなと誰でも思うのである

でも死んでみるともっと親切にしていたらと後悔する人も多いのである
そうして悩むのが介護だとなる、自分の場合は介護して良かったと思っている
最後は認知症になっても私の介護したことを認めてくれてわかってくれて死んだからである、認知症の怖いのは馬鹿になったのとも違う、人間としてわかることがある
この人は冷たくしたとかわかる、すると恨んで死ぬということがあるのだ
そのことが死んだ後に怖いとなる、私がずぼらでも介護できたのは60まで身の回りの世話をしてずっと良くされたからである
それは普通ではありえないことだった、それだけ世話になれば自ずと介護する動機があるだからできたのである、他の人はそうした動機がない、金だけでは介護とかはできない
その金すらたいしてもらえないとなると余計できないとなる

いづれにしろ高齢化社会の問題は病気であり介護であり金もかかる
その金でももう食べることもできないような人がいる、日本全体でも5パーセントが電気水道ガスがとめられる、家賃でも払えない人がいる
5パーセントというと少ないようでも多い、100人で5人であり一千万人で50万いるとなるとそれなりの数になるのだ
その人たち月末に電気、ガス、水道代が払えないのである
それでそれを取り立てる仕事の人が嫌でやめたともいうのもわかる
相手は払えない人たちだからである、そうして最後は住む所もなくなりホームレスとかなる、コロナウィルスではそういう人もでてきた

日本が今や三等国だというときもう福祉とかに金が回らない、医療にも回せない、生活保護でも最低の生活費がもらえない、医療費もただではない、必ず負担がある
そうなると人間は餓死するか、病院にもかかれず早めに死ぬことにもなる
現実そうなっているのだ、もう無駄ができないのが日本なのである
だから高齢化社会は実際は金がないとかだけではない、弱い者は生き残れない
淘汰されていくほかない、手厚い福祉とか医療とかはもう受けられない覚悟が必要になるのかもしれない、それだけ国にも余裕がくなるなからだ

ましてや氷河期などが非正規とかが60以上とか70以上になったらもう悲惨である
生活保護も受けられない、国民保険は雀の涙とかなり死ぬほかなくなる
とても手厚い医療は受けるのは無理になる、だから病気になったら医療も受けられず介護もなく死んでゆくことになる、その未来はもう見えているのである
元気な人は生きてもいいが弱ったら老人は捨てられる、だから健康には気を付けろとなるか貧乏なると栄養すらつけられないのである、だから高齢化社会は闇黒ともなる
それも2025年とするとあと5年だからすぐなのである

2020年09月15日

日本の宿命、地理的に大陸を理解できない (中国に覇権が移行してゆくのか?-中国の戦略)


日本の宿命、地理的に大陸を理解できない

(中国に覇権が移行してゆくのか?-中国の戦略) 

中国は日本を併合するー平松茂雄を読む

日本は地理的にまず世界を理解できない、現代のように世界が身近になっても庶民でも海外旅行しても江戸時代の鎖国のようではない時代に生きていてもそうである
日々世界のニュースに接しても理解できない
その原因が地理にある、どうしても日本の様な島国では大陸のような広大な世界を理解できない、実感できない、それはアメリカでもそうである
たいがいそこには砂漠がある、日本には砂漠がない、また大河もない、すると大河の岸に生まれた文明を理解できない、何か大きなものを理解できない
それは政治とかあらゆることで大陸の国々を理解できないとなる

中国の指導部は何を考えているのだろうというときも理解できない
それで「中国は日本を併合するー平松茂雄」を読んだらなるほどなと思った
中国は日本を併合するという目的をすでにもっていて行動している
中華帝国の再興を目指して計画して実行している
一つ一つのことを見てもそれは中華帝国再興として手を打っている
全体的戦略の一環としてそうしている、国家の計画と意志があってしている
つまり世界支配の目的があり個々のことに対処している
それが大国であり巨大な土地と人民を支配してきた国だとなる

日本だと何か太平洋戦争で大東亜共栄圏とかめざした、でも国家的にそれだけ広い土地を戦略的に計画的に支配するという意志があったかとなるとただ膨張して無計画に拡大しただけだとなる

中国のような広大な土地をどうして支配できるのか?

そういう視野がもてたのか?とてもできなかったろう、ただ無闇に戦線を拡大したとなるそして巨大な中国にのまれてしまったともなる
その失敗は中国とか大陸とかはやはり歴史的にそうした巨大な土地とか人民を支配して来た経験がある、第一万里長城を作るような国を理解できないのである
中国をなにやかにやといっても基本的に日本の島国にいたら地理的に理解不可能である
毛沢東は「中国の人口の半分が死んでも、半分は生き残って、また元にもどってゆく」
こんなことを考えているとなると日本人にはありえないことである
第一14億人がいる人口とその巨大な土地を理解できない、つまり一億人死んでもたいしたことがないと考える、ということは日本人の一億が絶滅させてもたいしたことがない!
こんなふうにみるとしたら空恐ろしいとなる

そして中国人は欧米に植民地化されたことを怨念としている、日本に対してもそういうものがある、一時中国は貶められた、そのことを忘れないというとき大国を維持した矜持が強い、だから中華帝国再興なのである、中国のそうした歴史とか矜持をあまり日本でも考えない、でも現実に中国はそういう意志のもとに戦略のもとに中華帝国の再興を世界的に実現しようとして個々の問題に対処している
そうなるととても日本だけとかで対処できる問題ではない、そして現代は容易に人が移動できるからそうして戦争の前に中国人が大量に日本に移り住んで実質的に日本でも支配できるとなる、そういう計画もある
一帯一路というのもそういう一環としてあり中国の支配を世界的に実現させる戦略なのである

だから日本を属国にさせるというのはもう身近に迫っているのだ
日本は地理的にその脅威から逃れられないのである、アメリカは遠いからまた戦争に負けても人が一部入ってきても住むということがなかった
今や中国人は大量に入ってきて一部団地でも占領しているとかなる
北海道の土地でも買っているし経済的に日本が弱体化しているからそこにつけいってくるつまり中国は計画して戦略的に日本を支配を実質的に始めているということである

それに対抗できるのはアメリカだけだとなる、でもアメリカにしても弱体化している
だから中国と対抗できるのかとなると疑問になる
もちろん中国に弱点がありいろいろな見方がある、内部崩壊を言う人もいる
それもありうる、ただ中華帝国再興の意志があり計画があり戦略があり国家的意志がありそのために団結して全力をあげて戦うということがある
そういうとき民主主義とかは弱いと思った
話し合いだ議論だとか反対意見を聞くだとかしていてもまとまらない、それが民主主義である、でも共産党一党独裁だったら国家の意志とか中華帝国再興とかを反対勢力のことなど無視してできる、その強大な強権でできる
第一あれだけの巨大な国をそうした強権なしでまとめ支配することは不可能だからである
いづれにしろ日本が戦争でも失敗したのは地理的に大陸を理解できないことだった
それだけの広い土地と人民を支配できる戦略もなかった、歴史的に日本はそうした大帝国を作る経験などしていないからである
日本の戦争はせいぜい大陸から内輪もめであり小競り合いでしかないからである
その島国が小国がなぜ大陸支配の戦争ができたのかとなる
それは欧米の進出で中国が弱体化した結果である、草刈り場のようになったためである
でもそれも一時的なものであり再び中国は再興して元の大国の繁栄をとりもどす
もちろん中国にも弱点がありそのことを言う人はいる
中国は巨大なるがゆえに常に三国志のように分裂するとか言われる
それもありうるし巨大だからといって必ずしも有利にはならない、強いともならない

ただ中国が共産革命を成しどけたときから軍事力に重きを置く、軍事国家だとしている
軍事を最優先として軍備拡張をしてきた、それがアメリカに欧米に対抗できるものとして計画して実行してきた、核戦争を辞さない国だというとき恐怖になる
その大国意識が怖いとなる、そうなるとアメリカでも中国は恐れていない
日本に原爆落とされた、それすら恐れないとなる、そうなくとどうなるのか?
中国とアメリカの戦争で核戦争になりとも倒れになる、人類滅亡になる危機である
日本は地理的にその中間にあり必ず核ミサイルが飛んでくる、そうなると大三次世界大戦でありそれは人類滅亡に通じているのだ
そういう危機感がまだもてない、ただ中国にはそういう国家意志があり着々とそれを実現するために政治でも経済でもそのためにある
中国はアメリカを恐れていない、このことは注意すべきである
ソビエト連邦の米ソ冷戦があったが中国はもっと手ごわい、経済の規模が大きいからである、その経済力で世界をのみこむ、ロシアの経済力は小さいかったから世界に影響することがなかった、それでソビエト連邦は崩壊したからだ

中国は三回旅行したけど20年もならないのにこんなになるとは思いもよらなかった
20年前は貧困国であり技術も劣っていた、それが急速に日本の高度成長のようになった
それはグロ−バル化したとき急速に国でも発展する、そのスピードが早いのである
新幹線まで走っているのは驚きである、車両に家畜のように詰め込まれて都会に出稼ぎに出ていた、その差が余りにも大きい、それで今でも中国は日本より遅れているとか見ている人もいる、つまり現代の変化のスピードが早いから理解できなくなるのである
ジャパンアズナンバーワンとか言われたのは20年―30年くらいだった
そして日本は三等国になったとかなる、こうしてまた衰退するものも早いのがグロ−バル化社会なのである、

歴史をふりかえると明治が日本では一番高揚した時代だった、なぜならその時日本だけが欧米の植民地にならなかった唯一の国だったからである 
他は中国でもアジアはみんな欧米の植民地化されたからである
だからなぜ江戸時代から駕籠に乗っていたような時代から一挙に明治維新が成り欧米とも対抗できたのかとなるのが不思議だとなる、その原動力が何だったのか?
それはやはり江戸時代三百年がありその歴史がありそれが必ずしも遅れたというものでもなかったからだとなる、もしそれが遅れたものだったら南米のアステカとかインカとかのように簡単に滅ぼされていたからである
中国すら対抗できないものとなっていたのに日本だけがそうはならなかった説明がつかないのである

ただもう覇権国というのはアメリカから中国に移っていいるようにも見える
アメリカはコロナウィルスでもそうだが経済的にも弱体化している、国も分裂している
格差も極端であり国としてまとまりがなくなっている、もう日本のように衰退国になっているように見える、黒人暴動もあったかいろいろ内部崩壊もある
するとどうしてしもアメリカに頼るだけでいいのかとなる
アメリカが頼れる国なのかとなる、その屋台骨がゆらいでいるのである
ヨ−ロッパでも衰退している、それは前から言われてきた、ただ中国を過度に大きく見るのも問題だとはなる、ただ日本は地理的に歴史的にも中国とか大陸国家を見誤る、理解てきない、つまり人間は地理的宿命から逃れられないのである
それでつくづく野郎自大国が漢に滅ぼされた、漢などたいした国ではないとして青銅の刀で対抗して敗れた、漢の刀は鉄器だったからである
日本とは結局この野郎自大国だったのかもしれない、中国でもアメリカでも大陸国家の巨大きさを地理的に理解できないことが政治的にも失敗するということになる

posted by 老鶯 at 06:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年09月16日

無縁化社会の生まれた原因の歴史的考察 (金の切れ目が縁の切れ目)


無縁化社会の生まれた原因の歴史的考察

(金の切れ目が縁の切れ目)

昔から「金の切れ目が縁の切れ目」ということがあったのだから今でも継続されているとなる、でも何かそれは現代では極端化した
具体的な例だと親戚でももともと遠く離れていたから関係が薄い
そもそも地元から遠く離れて住むようになったとき縁が薄かったし遠ざかったのである
人間はやはり地縁、血縁とかがあり日本では狭い村とかの範囲で共同で生活していたからこそ必ず姓の由来が土地の名前から発している地縁となっている
だから姓をたどるとどこどこの村とかの地名にたどりつく

その人との関係は兄でも静岡とかに行ったとき兄との関係は薄れてしまった
それだけ遠いとまず何しているかもわからなくなっていたのである
その子供にしても子供の時一回だけ接しただけだった
だから縁が薄い、というよりは住んでいた土地から離れた時、縁が薄いものとなっていたのである
まず遠く離れていると何をしているかもわからなくなる
近くだと行き来があり何かあっても事情がわかるがもう遠くなると日ごろの付き合いがないからわからなくなる

ただそうなったのは自分の家の問題もあったたから相手だけを責めるという訳にはいかない
もともと金の関係しかなくなっていたのである
だから自分にしても金をくれるものとしてか意識されていなかった
それはわかるにしても親まで金で縁が切れた
墓参りするからと相手が金がないので金をくれたが墓参りは口実であり金が欲しかっただけである、そもそも親にひどいめにあったから親を恨んでいるとかそうなっていたので
親を供養するという気持ちがなかったのだと思う
親でも日本人は特に親でも死んだ人を供養する心が篤い、でも時代が代わり親との関係ですらそうして希薄化した

だから現代は簡単に縁でも切れる、人と人の関係は金しかなくなる、常に人は金になるかしか見ていない、自分が介護とか自分の病気のときその時助けるという気持ちもない
ただ金が欲しいというだけなのである、だから盗まれもした
また困っているのを見て脅迫までしてくる、それは相手も金で困っていたからである
現代はあらゆる面で人間の関係も金銭のやりとりであり金ですべてが計られる社会であるそれで「金の切れ目が縁の切れ目」になりやすい、それも呆気なく親の縁さえきれる、ましてや他人になるとそうである

何かそれでマルクスが商品と人間の関係を説いた、人間が商品化される社会である
人間疎外である、人間は一つの物でありまた金として計られる
それがグロ−バル化社会となれば余計にそうなる、世界中の物が入ってくる
でもそこで別に人間と人間の関係が生まれるわけではない、ただ物を通して金を通して人間がいるというだけになる
第一外国となれば遠いのだから普通は関係しない、ただ物を通して金を通して関係しているだけなのである
だから本来は助け合うなどないのである、それで国同士が争い戦争にもなる
貿易戦争にもなる、それは物を通してか金を通してしか関係していないからである
互いに利益があるときは協力してもそれがなくなれば「金の切れ目が縁の切れ目」になる
でも何かこういうことは人間としてあるべき姿なのかとも思う

なぜなら江戸時代などみれば人間と人間の関係は物とか金だけでは計れないものがあったなぜそもそも強固な主従関係が結ばれたのか?
第一今なら主人のために死ぬなどありえないのである、ただ金による雇用関係になった
つまり雇う者と雇われる者は一時的な金銭関係として結ばれているだけである
それも時給いくらかとかで計られているだけである
雇う方もすぐにやめさせることもできるし雇われる方も給料が多い方があればすぐにやめるとかの関係になる
そこの人間関係は金であり人間関係でも一時的なものになる
ただ会社になると長いから何らか人間関係が生まれる、でもその関係も会社を退職すると切れる、継続しない、でも不思議なのは農村社会では先祖が山にいて春になると田植えの時期に山からおりてくるとかの信仰がある
ということは死んでも先祖はその土地に生きつづけているということなのである
現代では工業社会とか商業社会になるとそういうことない、長く継続される関係がないのである、すべては物を通した金で計られる一時的な関係なのである

結局無縁社会とか孤独死とかが現代を象徴している、現代社会は無縁化しやすいのである東京のような大都会だったら土地との縁はない、漂流者のようになる
ただ金があって人がある、人は物ののように処理されるとなる
ただ不思議なのは無縁化というときいかにそれが過去を見ればありえないことだったかを知る、なぜなら誰か外から来た人が村とか商売するとき無縁の場をもうけてそこで市を開くとなっていたからである、わざわざ無縁の場をもうける、そこが神社だったとのである神社というとき縁を結ぶ場だからそれも変だとなる
でも簡単に村によそ者が入り商売はできなかったのである
おそらくそういうよそ者は村の人間関係を壊すということがありそうなった

今はあらゆるものが自由でありむしろそういう社会は田舎でもない、何をしているのか仕事でもわからない、家を建てるにしても大きなハウス会社が遠くから来てプラモデルのように一週間くらいで組み立てるだけだとなる
その土地とは関係ない人が自由に出入りできるのである
そうなると土地との関係も希薄になる、固定しない流動化する社会になる
それはまた遊牧民的社会にもなる、常に人は移動する、定着しないからその土地で濃密な人間関係を結ぶ必要はないのである
それで欧米人は狩猟遊牧民だから自分を主張して喧嘩もじさない、議論でもする
そこでうまくゆかなけれは別な土地に移ればいいとなるからだというのもわかる
日本が和を尊ぶというときまず狭い範囲の村で生活するとなると争うことはできない
何かちょっとした争いでもいつも一緒にいるのだからきまづくなるからである
嫌な人がいても離れられないというデメリットもある
嫌な人が合わない人がいるからと離れるわけにいかないからだ

ただ何でもいい面と悪い面が生じる、現代はもう人間関係は索漠としている、物と金でしか計れず人間関係はすぐに「金の切れ目が縁の切れ目」となることが日常的になる
それは田舎でも同じである、第一田舎でも農業とかに従事しているのは一割くらいだとなる社会だからである、あとは会社員だからである、その会社ですら一時的な関係だとなる会社は変わり安い、時代の変化を受けやすい、グロ−バル競争社会になると余計にそうなる
ところが農業中心の社会はその土地に根ざすから変わらない、だから江戸時代では農民だけでは職人でも十代くらいつづいているのである
職業自体が変わりないというときそうなりやすい、親の跡を継ぐ人が多かったからだ
そして誤解しているのは長屋でも実際はその住民は変わらなかったという
何かふいと見知らぬ人が浪人のような人が来て住むような時代劇があるがそういうことはなかったのである
今のアパートとかとは違っていたのである、こうして常に過去は歴史は誤解されるのである

江戸時代の封建制とかヨ−ロッパの中世とかでも主従関係があり人間関係は継続的であり貴族でも何代でもつづいていた、農民社会では三代つづかないと土地の人に認められないというときそういう社会だったのである
つまり人間関係は三代くらいつづかないと作れないということである
長さが関係していたのである、物とか金のやりとりはその場その場で終わるが人間関係はそうはならない、家族自体が子供の時から長い関係でありそこで人間関係結ばれる
血縁でも子供の時離れたとか一緒に暮らさないと兄弟ですら兄弟とは思えない他人になってしまうのである
例えば家にで雇う手伝いさんとかでも信用するために十年とか必要だとされる
特に家に入って働くからそうなる、今はまず十年も長く働くことは普通はない、十年も働けばその家の一員のようにすらなるだろう、だから今の雇用関係とは違っていた、つまり人間の信頼関係を結ぶには長い時間がかかるということである
それが現代でぱできないから家に入って働く人は一番危険だとなっているのである

封建制が成立したのはそういう濃密な主従関係とかが成立したのはその土地に根付き長い一代だけではない、人間関係の故である
だから現代社会を見直すとき常に歴史をふりかえり過去との比較が必要になる
つまり現代社会を理解するには江戸時代を知る必要がある
するとなぜ現代の無縁化社会と江戸時代を比較してその相違が見えて来る
もちろん江戸時代はすべていいとかではない、何が失ったのかということが見えて来る
失われたものが実は過去にあった、過去の社会にありそれが現代で失ったと見えてくるのである

ともかく今の社会は何か人間の関係が希薄である、そこで何が起きて来るのか?
簡単に市町村でもばらばらになる、一応家族の絆があっても市町村自体のつながりは希薄である
そして金さえあればどこに住んでもいいし受け入れられるし別にそうなら原発事故の復興などめんどうだと他に移った人たちがいる、それで仙台で補償金をもらった金を資本金にして成功した人もいる
つまり土地に縛られた社会とは違うからそうなる、もちろん放射線が怖いということで批判はできない
でも土地の縁でも人間の縁でも切れやすいのである
そういうものより金が優先される社会である、そういうことが無縁化社会となり孤独死となりまた継続性のない一時的な人間関係になる、だから江戸時代の封建制社会が果たしてただ遅れていた社会なのかどうかもわからない
それは物とか金とかではない、人間関係を重視した社会だともなるからだ
その人人間関係の方が人間にとっては大事なものだともなる
だから何でも進歩したとか社会はならない、ただ社会は変わっただけであり進歩したとはならない
ある面でぱ人間全般から見れば後退したともなる、無縁化社会とか孤独死とか人間は物のように捨てられるとなるからだ


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虫の声、夏菊、コスモス、実り(ようやく秋となる)


虫の声、夏菊、コスモス、実り(ようやく秋となる)

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陽の昇り朝や実りに露光る
                                             
障害者ここに住むかな虫の鳴く

秋の蝉近くの墓地にひびくかな  

墓地ありて先祖見守る実りかな
 

行き来する落合橋や夏菊にコスモス咲きて季節移りぬ                                                  

のうぜんのあまた咲きしも遂に散り一輪残り秋となりしも

近くにそ鳴きにし虫の数匹やその声の今日も我にひびきぬ   

夜通しに虫一匹の鳴くその声を我は聞きつつ眠りけるかな

夜の更けて一匹鳴きぬ虫の声心にひびき残りけるかな   


虫の声が真夜中まで夜通し一匹鳴くのを聞いていた、何かそれは一人の人間の嘆きとか苦しみとか訴えを聞いているともなる
つまり多数ではない、一人の人間としてその虫の声を聴く、それが人間的だとなる
そもそも人間は多数になるともうその声はただ騒音になってゆく
威圧的なものとなり虫の声というものではない、だからカルト教団などは一人一人の声を聴くなどない、ただ一票になる数を集めることだけである
ただ一匹とか数匹とかだとなんとか虫の声でも聴けるとなる
集団になるともう聞けない、疲れるとなる

障害者が住んでいる住宅がある、ここに障害者が住んでいるということを知る
それだけでも何かいいのかもしれない、みんな実際はそういう人を知らない、無関心だともなるからだ
今年の夏は蝉しぐれとかひぐらしとか鳴くのを聞いていない、何か夏から秋なのか
そういう季節の変化がわからなくなっている
ただ今鳴く蝉は秋となる

落合橋という名前がいい、どこにでもあるものだがここで落ち合うというのがいい
だから地名は心にも影響するのである、何か詩的なものがないようで見慣れた風景は絵にならないようでも
実際はそうではない、ただ身近だありふれて美が発見されないのである
盛岡だと橋の街であり有名だけど名所でなくても見るべき感じるものがある、ただ発見されていないだけなのである

実りの季節であり稲田の中に墓地がある、すると先祖が見ているという感覚にもなる
だも街中の墓地にはそういうことはない、でもすぐ近くだから墓地の前を通る
そこに自分の家の墓がある、墓も身近なのである
それでときどき花をさしていないと淋しいなとな花をさしたりする
でももし墓地すら墓すら遠くにあるとそうは感じないのである
だから何でも遠く離れててしまうと死者すら遠いものとなり忘れられるのである
関心をもつのは今そこにあるものなのである

墓参りの効用はとにかくそこで死んだ人を思い出す、死んだ人が存在したことを確認するということである、それだけでも効用がある、そうしないと人間は次々に目前のことに追われて死んだ人を忘れるからである
人間ほど忘れやすいものはいない、だから人間は過去に起きたことでも記録していなと忘れる、その時何があったのかも忘れる、ましてや次代の人は過去に何が起きたのかわからなくなる、それでこの辺で400年前に津波があり溺死した人が700人と記録されていた
それで津波があったということを知ったのである   

今日はむし暑いからまだ夏でもある、ただ秋でもある、そういう季節の変わり目だけど
最近はその境目がはっきりしないのである




貨幣の謎を解明するには狭い社会で考える (グロ−バル化経済の通貨は巨大な詐欺の経済)


貨幣の謎を解明するには狭い社会で考える

(グロ−バル化経済の通貨は巨大な詐欺の経済)

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貨幣が何なのか?これか本当にいろいろ考えてみてもわからない
今の社会がどういう仕組みなのかもわからない、それがわからないのはあまにも巨大なグロ−バルな世界経済だから知りえようがないのである
もうとても人間的なスケールからはるかに越えたものとしてある
株でも為替でもそれを知りうるものはない、だからプロの機関投資家ももうけていなというのでわかった、誰も知りえないものであり株式市場とは博打場なのである

カナダ国債が石油とれるからいいと買った

アメリカのリートがいいと買った

為替変動があるら今度は日本のJ-reitを買った

その時リーマンショックで上がった株を勝手に売った

それで地銀の営業マンを信じられなくなりJ-reitを一月に売った

そしたらコロナウィルスで半分くらいまでJ-reitが下がった

次にコロナウィルウィルスで一旦落ちた時、買うことを奨めてきた

本当にコロナウィルスで株が上がった


これだけの変化があり結局何がなんだかわからないとなってしまう
別に損しなかったけどもうついていけないとなる
株は機関投資家のプロでも儲けられないとしたら普通の人はもうけられいとみるのが普通である、つまりプロすらわからないのが株の世界なのである
まさに博打であり何か世界情勢とかなんとかいろいろ考えても勉強しても無駄だとなる
そんなことよりただイチカバチカ賭ける、何も考えることなく運まかせでもいいとなる
また銀行がすすめるものなどもその営業の人をあてにしても無駄である
それよりAIの方がもうける確率が高くなる
とても株では世界情勢とかいろいろ分析してもわからないからだ
要するに運だとなってしまうのである
これはなぜそうなるのかとういうと人間が未来を予測できないということからきている
その一番いい例がコロナウィルスだった、2020年は大きな変化が起きるとはみんな言っていた、でもコロナウィルスで世界がパニックになるとか予想した人は一人もいないのである
有名な大投資家も航空会社に莫大な金を投資して大損したのもそのためである

ともかく資本主義であれ共産主義であれ民主主義も崩壊したというのは本当である
何かそこには理想がありそれを目指して世界が動かされた
資本主義とはもともと修道院からはじまったキリスト教から起きたとウェバーは説いた
他人を助けるための経済である、東洋だと経世済民になる
共産主義でも世界を席巻したのはそこに理想があり平等社会が実現するということがあった、それらはことごとく失敗した
共産主義はどれだけの人間を虐殺したか?これも空恐ろしいとなる
権力争いとなり反対派を暴力で殺す、結局暴力主義だったのである
ヤクザの抗争とたいして変わらなかったのである、ただ理論だけは理想があってもマルキシズムでもそれはあくまでも理想であり結果は惨憺たるものだったのである
どっちにしろ格差社会となり富は極一部の人が一人占めする、資本主義でも他人の労働を食い物にするものとなった、それはキリスト教の精神と全く反する世界となってしまったのである

結局この世に理想社会は絶対に生まれない、その理由は人間の欲が消えないからである
共産主義にも資本主義に理想がありはじまったが結果的には強欲主義となり格差社会となった、一部のものが莫大な富を得て階級社会にもなった
自由主義とか民主主義がいいようでもそれももう機能していない
選挙にしても暴力で決めるよりはいいにしてももう一票投じたところで何も変わらないとなる、百万票の一しかの影響力がない、数によって決まるからシルバー民主主義とかカルト宗教団体民主主義とかなりみんな無力感をもち投票率は50パーセントとかいうときすでに民主主義も成り立たなくなっているのだ

第一民主主義が成り立つのはギリシャのポリスのような一万くらいの直接投票の場で成り立つものだったのである、それが百万とかの単位となるともう成り立たないのである
社会というのは狭い範囲で生活して見るとわかりやすいのである
だから貨幣のことを考える時狭い範囲で考える
地域通貨のようなものを考える
すると例えばベーシックインカムとかMMT理論とか狭い地域で考えるとわかりやすくなる

貨幣でも紙幣でも特に紙幣なら紙なのだからいくらでも作れる
地域に銀行があり日銀のようなものがあって紙幣を刷って分配したら裕福になるのかとなる
決してならないことは確かである、なぜならそれは狭い地域でしか通用しないからである何か買いたいものがあっても狭い地域でしか買えない、すると狭い地域では足りないものがあり外から買うにはその地域通貨を紙幣を広い世界で通用する紙幣と交換する必要がある、するとそのレートがいくらになるのか問題になる
それはその地域での価値なのである、その地域で何か売れるものがあればそのレートは高くなる、つまりその地域通貨は紙幣は高くなるのである
でもその地域で何か価値あるものが作れない、資源でもないとしたら技術もないとしたら高くならないのである

これはグロ−バル化経済でそうなっている、石油がとれるとか車が作れるとか技術があるとかでその国の価値がありその国の貨幣や紙幣が高くなるのである
資源もない、技術もない、あるのは労働力だけだとなるとその労働力を外国人労働者のように他国に売る他ないのである
そしてベーシックインカムとMMT理論だと金は紙幣はいくらでも作れるから配分すればいいとなる、でもそんなことが可能なのか?
それは狭い地域で考えるとわかる、紙幣ならいくらでも作れる
でも現物を何かを食料品でなんでも生産して作り売るとなると簡単にはできないのであるだから一地域にいくら紙幣を作りばらまいてもそれで豊かになれないのである
狭い地域げベーシックインカムも行ったらもう生活は成り立たなくなる
紙幣などいくらでも作れる、それで働かなくても紙幣で物でもなんでも買えばいいとなるからだ、もしその紙幣がその地域だけてはない、外部でも利用できるなら別である
そもそもが外部には通用しない紙幣だから価値がないのである
そし狭い地域だったらみんなが気づく

紙幣なんか紙にすぎない、こんなもの持っていても何のたしにもならない
蔵に米でも積んでいた方がいいとなる、物を貯えていた方がいいとなる
紙幣など銀行にあづけても価値がない

そういうふうになってしまう、狭い地域だと経済でも何でも見えるものとなりわかりやすくなるのである、経済の規模が国家規模なり世界規模になると見えなくなりわからなくなる、それで国家自体が政治家とか官僚が詐欺集団だということが言われるようになる
それがわからないのはあまりにも経済でも巨大化して見えないからである
その仕組みでも庶民になるともう理解することは不可能である
それは知識あるものでもそうである、だから機関投資家とかプロでも株ではもうけられないのである

そういう社会自体に問題がありだからグロ−バル経済というのは市場でも株式でも世界的カジノのようなものになっているのである
不正が見えない、そこで大儲けしているのが巨額の金を動かししている一部の人たちだとなるのである、そこで極端な格差社会になっているのはギャンブルで馬鹿勝ちしている人がいるということである
それが狭い地域なら見えるからそんなことは続けられなくなる
つまりこの博打はペテンだとなり誰も参加しなくなる、もうグロ−バル経済はそうなってゆくと思う、今一人勝ちしているドルだって信用しなくなる
なぜ一人勝ちしているのだとなり中国でも他でも反発するからである

これからの経済はブロック経済になる、そしてあらゆるも物の交換より狭い地域での人間を重んじる、人間関係を重んじる経済になる
それは江戸時代の封建制社会にあった、なぜ主従関係があり君主のために命までささでたのかということである、そこには長い年月で育成された人間関係があったからである
それは確かに俸禄もあったにしろ人間関係が優先された社会だったのである
人間関係の絆が強固に作られていた社会だったのである
なにか東北の震災以後に絆が言われたが実際の社会に絆がなくなったからこそ言われたのである
絆というとき物を得るための絆ではなく精神的絆なことでありそれが消失したから盛んに言われたのである

いづれにしろ資本主義であれ共産主義であれ民主主義であれ崩壊している
もうそこには人間のモラルもない、ただ強欲主義があるだけである
共産主義はただ権力を得るための闘争でありそれが暴力主義なのである
第一毛沢東は銃口から革命が生まれるというときもそである
暴力なくして革命はありえなかった、それで中国は欧米に暴力で軍事力で屈服されたからそれを根にもっていた、それで軍事力で負けない国を作ろとした
だから核兵器でももつしアメリカに軍事力でも対抗することを進めて来たとしている

ともかく資本主義とか民主主義とか共産主義の理想主義は崩壊しているのである
その次に来るのものは何かとなると地域的文化的ヒューマン社会だとなる
それは狭い地域で社会で成り立つ、それを基本とした社会である
そこに人間性の回復もありうるとなる
そもそもルネサンスもヨ−ロッパの都市共同体から生まれたものであり例え富がフィレンツに集中したとしてもそれが浪費されなかったのは狭い都市内での富の流通だったからだともなる

アメリカに富が集中してもそれが巨大なる故に実を結ばない、極一部の金持ちによって富が浪費されるだけとなってしまう、地域だったら等分に配分されることがありうるからだまず田舎でも突出した金持ちは住めない、そんなことしていたら住めなくなるからだ
必ず周りにもその富を配分しないと住めないからである
それはグロ−バル経済と違って近くで見えるからである
グロ−バル経済になればそんな人がどんな暮らしをしているかわからないからである
そこでそんな人が存在していてもわからないから見えないからありえる
それで太宰治の生家は田舎であり大地主でありどうっなったかというと煉瓦の高い塀を作って小作から襲われる
ことを恐れて作ったのである、相当に恐怖していたことがわかる

これからの時代はそうして共産主義とか資本主義とかグロ−バル的なものではない
狭い範囲でも足りる世界、ミニマム社会とか節制社会とかなり物欲を求める社会ではない心を大事にする、心とはココのことなのである、その住んでいる場所から発想するアイディンティティを求める社会である
もろちん昔の村ではない、やはり広域的なものになるがその範囲は狭くなる
大きくなってもせいぜい道州制のようなものになる
そうなると社会を見えるものになりその問題でもわかりやすくなり不正はできない
だれか世界市場でギャンブルで馬鹿勝ちするようなことはなくなるのである
そて封建社会のように人間関係こそ人間の絆こそ物より金より大事にされる社会である
Human scale economyとかなる 、economyの起源が家政だったとから原点に戻るともなる  

無縁化社会の生まれた原因の歴史的考察 (金の切れ目が縁の切れ目)





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2020年09月17日

abstract way(venice waterway)

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無駄が多すぎる社会−税金の無駄使い) (でも無駄は税金となって国民の負担になる-無駄な行政)


無駄が多すぎる社会−税金の無駄使い)

(でも無駄は税金となって国民の負担になる-無駄な行政)

何かこの世の中無駄が多い、金が有効に使われない、医療費がこれほど莫大なものになって国がつぶれるとまで言われるのもそうである
福祉関係でも無駄が多い、そして肝心なことに使われない
何か行政でもそうである、加治将一氏のyoutubeでハンコなどいらないとしているがその担当大臣のIT大臣がハンコ議連の主導者であり利権を推進する者となっているというのも矛盾である
除染にしても何兆円もかけて効果あるのか?郡山市では300億円無駄にしたとかある 

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何か今や高価もないことに予算が無駄に使われる、五輪などまだしようとしている
そんなもの国民は望んでいない、望んているのはマスコミとゼネコンなの利権にかかわる人たちだけである、電通などもそうである
万博などでもそうである、高度成長時代になるとき日本が戦争から復興したということで意味があった、日本はこのように復興しましたと世界に示すイベントで意味があった
今なんのためにそんなことする必要があるのか?
ただ観光で外国人を呼ぶためだともなっていた、それもコロナウィルスで停止されたのはこれは神の意志、天の意志だともなる

何か天意とか神意があり災いが起きて来るともなる、原発だってこのまま安全神話で日本に増えたらいつか事故になりもう日本に住めなくなっていたかもしれないからだ
日本は大陸と違って狭い国だからである
だから日本経済というのは高度成長時代が終わり不景気になったけどそもそもあらゆるものが過剰になったためだともなる、それが膨大な無駄になる
それは豊かになると中国でも膨大な食べ物を捨てているから中国政府ですら無駄するなとなった、中国だった昔は餓えて土を食ったとか小説にあった、餓えたら人間の肉も食う
そういう過酷な環境なのが中国だった、それで食べ残して食糧を捨てるというのはありえないことだったのである

こうして無駄が増えたのはやはり豊かになったからである、豊かにならなければ無駄をしようがないのである、江戸時代の生活を見たら紙一枚でも蝋燭の残り粕でも糞尿でも何でも一切無駄はせずに利用した、そうしなければ生きていけなかったからである
もったいないとなり捨てることはありえないのである
ただ逆に日本が貧困になるともう10円20円を節約している人もいる
昔に戻った生活にもなる、やっと食べて命をつないでいる人もいる
一方でまだまだいくら貧乏でも無駄がある社会になった

医療費の無駄というとき高価な機械を買うとその元をとるために実際は何の効果もない
見てもわからないのに認知症になったからと脳を写真をとる
でも脳の精密な写真を取れるのは福島県に二台くらいしかない、そもそも見ることもできない機械でみる、3万だとしても保険がきくから十倍にもなる
それが保険料の負担となり医療の負担にもなる
何か福祉関係だと医者ではどうけ国で出すのだからと人間ドッグに入れとかなる

でも無料ではなかったのである、そんなのを見ても何も役にたたないという医者もいる
ただ高価な機械だからそれを使わないと金にならないと困るからそうなる
福祉関係では生活保護とかの関係では強制的に病院でそうさせられるということもある
また普通の人でもいらない薬を飲まされることもありかえってそれで体の調子が悪くなったという人もいる、高血圧の薬などがそうらしい
薬関係でも会社でなんとか売らなければ利益にならない、するといらない薬でも売るとなる、それは医者や病院を通じて売るからそこにリベードが入るとなる
30万とか50万かかるとしたらその分を別なものに回す、貧しい人はまともな栄養をとれないことに問題がありそのためにその金を使った方がいいとなる

なんか現代は無駄が多いのである、その無駄も金は税金として国民が負担させられているのである、だからもっとこの無駄に国民が監視して減らすようにしなければならない
でもハンコ一つとっても無駄を減らせないのである、そこに利権があり議員でもそうしした利権団体の応援がないと票を得られないので忖度するとなる
でも国民はそうして税負担となり自分自身にその無駄が決して無となるのではない、有となり税となり支払わされるのである
無駄はただの無駄ではない、その無駄のために税金で負担させられているのである
その自覚をすべきであり税負担を減らすためには予算とかの無駄を減らすべきなのである

いづれにしろ日本は貧困化するとき無駄はもうできない、医療費ももう無駄はできない
それはコロナウィルスで4兆円が病院で収入が減ったというときその分は実際は無駄だったことが判明したからである、別に病院に行かなくても良かったのに行っていたともなる結局補償しすぎるとそれが無駄になる
南相馬市では小高と原町では十年間も医療費が無料だった、鹿島区は半年打ち切られた
それで軽いものでも病院に行く人が多かったという、病院が老人のサロンのようになっていたということは言われてきた
そういうことで膨大な医療費がかかり国がつぶれるとまでなっていたのである
ただ正直人間は病気に一番弱い、ひどい便秘になり困り2500円もする薬を買った
まさに自分自身が病気になるとそうなるからなかなか病気に関ししては言えないとはなるどうしても効くいい薬が欲しいとなるからだ

ともかくこれからは行政でも医療でもあらゆる部門で無駄は日本がではできなくなる
貧困化してそんな金がないからである、金の無駄はできないのである
おそらくコロナウィルスとかで余計に無駄はできない社会になる
まず観光とかができなくなり交通関係は大損失になった
これから人はあまり移動しない時代になる、あまりにも移動が激しい時代だった
それももう限界だったのである、だからリニアなどももう時代に合わないから停止すべきなのである
なぜそんなに早く行かなければならないのかわからない、それは社会で必要もなくなった時ただ膨大な無駄なものとして捨てられるかもしれない
戦艦大和も飛行機の時代になりその巨体を一発も大砲を打つこともなく海の藻屑となったようにもなる

もう早く早くとか遠くへ遠くへの時代は終わった、コロナウィルスでそれが現実化した
そんなことにエネルギーを費やす時代は終わった
若い人たちでミニマリストとかなるのもわかる、若い人は時代の最先端をゆく、時代に敏感だからである
何か金も実際は相当に余っている、その余った金が行き場がなくなり株式市場に流れている、銀行では投資先がなく金がだぶついている
金余りなのである、それで景気など良くなっていないのに金が増えている、その金も実は実態のないものである、景気が良くなって金が増えたのではない
むしろ日銀でも金をばらまいていて金の量が増えているのでありそれで株が下がらないだけなのである
金は紙幣はしょせん紙切れでありだから今金の値段が上がっていることが理解できるのである、金の行き先が株式と金と現物に向かう、投資先がないので資本主義も終わりだとしている

いづれにしろこれからは禅宗のような禅僧のような生活になるかもしれない、デスタンスをとれとか近づいて話すなとかそれは座禅を組んで瞑想している禅僧と似ているからだ
宗教でもカルト教団のように集団化して示威行動して世間を威圧する
それは利権を要求する団体にすぎない、それで韓国で集会を開いたキリスト教のカルト団体がコロナウィルスを広めてその指導者が謝るはめなになったことでもわかる
キリストは二三人集まるところに私がいると言った
そうなると十人でも多い、それが百人になり千人になり対には十万人にも集まるとなる
そこに神も仏もいない、ただ利権団体と化して示威行動して圧力かける団体にすぎない
そこに一切の宗教的なものはないのである
だって釈迦だって洞窟で悟りを開いたからである

ともかく時代が変わる時、価値観も変わる、無駄はできないというのもそうである
何か増やすより減らす思想になる、それが老子の思想でもある
だから中国には老荘思想があり禅宗も中国で生まれて日本に入ってきた
それは東洋思想の流れをくむものであった
無用の用とかいう思想はヨ−ロッパからは生まれえないものだった
仏教の空の思想もそうである、とにかく文明になると無駄なものが増えると言っていたのも老子である
無駄なものは無駄で終らない、無駄なことに労働力でも費やされるのである
だから労働がすべていいものではない、莫大な無駄なことがありその無駄のために貴重な時間と労力が費やされているからである


加治将一
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名前だけで何の働きをするのかわからない大臣を批判する

時事問題の解説としては優れている、こいうふうに解説できない
だからマスコミを見ているより思考脳が鍛えられる
要するにマスコミがオピニオンリーダーとかなり愚かな無思考人間を洗脳して操作していたのである
それがなかなか気づかなかったがカウンターメデアがyoutubeになりそうかと気づいた人がかなりいる
youtubeはやはりテレビだからわかりやすいことが武器になる
ただもっと深いことを理解するには本を読むとか文章になる
でも要点がわかるからいいとなる

とにかくオピニオンリーダーは必要である、それがマスコミになっていたことがメデアの大きな問題だったのである
だから個々人でメデアをもつ意義が大きいと思った
なぜならこうしたプログでも自分の意見が言える場となっているからである
すると何か発言することで発言力というかプロのジャーナリトとして活動しているという意識をもつようにもなる
だからこんな大きなメデアでもそれなりの発言の場が与えられることは民主主義の発展には力となるものだと思った
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2020年09月18日

南相馬市の感染者が比較的多いのはなぜだろう (ウィルスは交通と人口に密接に関係)

   南相馬市の感染者が比較的多いのはなぜだろう 
  
  (ウィルスは交通と人口に密接に関係)

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南相馬市はいわき市より多い

 県は17日、新型コロナウイルスに感染して県内の感染症指定医療機関に入院していた70代男性2人が死亡したと発表した




南相馬市 60代 男性

南相馬市 50代 女性

浪江町 50代 男性

浪江町  60代 女性

南相馬市 30代 男性

南相馬市 60代 女性
   
南相馬市 10代 女性

南相馬市 40代 女性

南相馬市 30代 男性
  
浪江町 40代 男性

相馬市 60代 男性

南相馬市 20代 男性

南相馬市 60代 男性

南相馬市 80代 女性

南相馬市 60代 女性

相双   50代 男性

南相馬市 30代 女性

南相馬市 70代 女性

南相馬市 50代   男性 

浪江町とあるのはやはり移り住んだ人だろう
 

      
なぜ南相馬市とかで人口に比例して感染者が多いのか?
郡山市とか福島市は人口が多いのだからそれに比例して多くなる
南相馬市は人口が少ないのに多いとなるから注目する
相馬市は5名で少ない、相双とは相馬と双葉地域でありでも双葉地域には浪江町でも双葉町でも大熊町でも富岡町でも人がまだわずかしか住んでいない、一割も住んでいない
だからそこでの感染者数とは復興住宅に移り住んでいるから他の市町村に移って感染したとも考えられる、その場所に住んでいないからである
すると南相馬市でももともとそこに住んでいる人ではなく原発事故で避難した人が移って南相馬市でも増えたとなる

それを証明したのが南相馬市の自分の住んでいるすぐ近くで感染者がでた
それは東京のライブハウスに行った人からうつった
その家族の家は窓が壊されたとかして住めなくなり他に移ったという
何か他にも家があったらしいとか裕福な家だったからうつったと言っていた
南相馬市で多いのこうして外から移り住んで人が多いためだとなる

何かウィルスの感染は人口密度とか交流密度とかと比例している
郡山市は人口が多いし東京との交流も多い、交通の要である、そこから会津若松へと鉄道がでている、だから会津でも最近増えてきた
郡山市が一番多くまた福島市が多いのはわかる、でも南相馬市がそれについで多いのはなぜだろうとなる
その原因は原発事故で避難した人たち復興住宅に住んだ人たちが多いからなのだろうか
でも考えてみると南相馬市に移り住んだ人たちでも浪江町の人だった浪江町となり南相馬市民にはならないのである、ただ移り住んで南相馬市民となった人もいるだろう
その辺がこの辺ではわかりにくい、ただ南相馬市が多いのはそういう事情があるかもしれない、ただ浪江町とか富岡町とか感染した人の出身地を出している
でもその人たちも移り住んだ場所で感染したともとれる

いづれにしろ南相馬市は意外と多いとみたのでなぜだろうと疑問をもった
一部は東京から来た人たちによってうつされたとも報告されている
南相馬市ではまだ外部から工事関係者が来ているからだ、ただそれもかなり減っているからどういう経路で感染したかわかりにくい
年齢で50代以上が多い、東京では40代以下が多い、若い人は外に出る範囲が広い
それで新宿の歓楽街で広がったのである
地方では若い人より50代以上が多いだろう
それは年齢的に50代以上が多いからだから人口比率なのかもしれない。
男性と女性の比率でもたいして変わりない、ただ50代以上が多いことは確かである

いづれにしろウィルスの感染者は数学的にみれる、人口比率とか交流度合いとか交通の関係で見れる、江戸時代に会津若松からコレラが広がったことでもわかる
それは新潟からでも北前船が来て阿賀野川で交通があり白河からも街道があり会津が交通の要であり人口も多かったからである
その時郡山市は人口が少なかったのである、大正時代に人口が増えた   


会津の人口 

1899年 明治32年 30,488 

郡山市の人口推移

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郡山市はもともと藩がない、三春藩があり白河藩があり二本松藩があり城があるが郡山にはない、新興の都市だった、戦後になって急速に人口が増えた都市である
それは地の利にもよっていたのである
東京にも近いことからも発展した、新幹線で一時間くらいで行くとしたらここから仙台市に行くより近いとなるからだ
ただ普通列車で行くと郡山市から磐越西線で途中スイッチバックの中山駅があった
だからそこで会津まで遠いという感覚が生れていたのである
何かそれが思い出となる、でもそのスイッチバッグもなくなったのである

いづれにしろウィルスはもともと人口密度と交通とか密接に関係していた
江戸時代にコレラが会津若松が多くなり広がったのはそのためである
会津若松の城下町が交通の要となっていたからである
それが郡山市が次に交通の要となり人口が増えたから感染者が多くなったのである
だからウィルスの感染は予測できる、仙台市から最初秋田の方に移動した人がうつしたということでもわかる、仙台市は増えると思っていたがやはり増えた
それは人口密度とか交通の関係から予測できたのである

ウィルスの感染を防ぐには人の交流をとめるほかないのである
それが現代ではとめられない、江戸時代でもやはり止められなかった
江戸時代なら人の交流度合いは今と比べれば格段に低いのに止められなかった
関所もあったしそれでも止められなかった
となると現代はもう人との交流は止められない、不可能だともなる
だからこそGO TO キャンペーンになったのである
観光業でも生活できないとなれば死ぬとまでなる深刻になる
現代は意外と交通がこれだけ盛んになればもう止めることはできない
交通が発達して人が行き来する交流することはいいことだと思っていた
でもそのこともコロナウィルスで見直されたのである
それは時代の変化もうながすものだったということになる 

福島県コロナの感染者が会津にでない不思議 (スペイン風邪を分析して地理を見る)

    

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松と倉のカフェー金沢の一番星の秋



松と倉のカフェー金沢の一番星の秋




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奥に蔵が見える

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揚羽が飛んでいる

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揚羽来て我が休めるや松と倉

松に倉季節変わりてうろこ雲


秋の蝉ここに鳴きにき我が命残れる時を惜しみて聞きぬ  


何か観光課の人が一番星の庭を撮影していた、観光課だから宣伝するためなのだろう
あそこは野馬追いにも出ているとすると古い農家である
だからあれだけの広い庭がある

あそこは入り口に松がありそれがいいのである
そして蔵がある、それで松倉となる、そういう苗字もある
一番星というのは似合わない、ここの特徴を現していないからである
命名にもセンスが必要だとなる
何かこれからの時代、センスが必要になる、観光だってそうである
何かを発見するセンスが必要である、花屋のことでもセンスが必要だと書いた

これからの時代は何か芸術的センスとかが必要になる、つまり確かに食べる料理も大事であり基本である、でも何かハードの時代からソフトの時代に移行している
建物でも頑丈に作るハードの技術が基礎になる
でも豊かな時代になると装飾にこるとか家具を選ぶとかなる

だから喫茶店とかでも景色のいい場所にあるといいのだ
ここは景色がいいというわけではないが広い庭と松があるから目印となる
ただ原町には海が見える場所に喫茶店があればいいなと思っていたが何か津波の危険があり建てられないとか言っていた
でも海が見える場所にあってもいいとなる

前はカレーでも1000円近くしていたが500円では安い、丼物も500円である
あういう所は普通は高くなる、場所代で高くなる
安くしたのはなぜか?やはり人が入らないからかもしれない
テイクアウトもしている、ただ三種類くらいしかない
あそこは近いから気軽によれる、息抜きにはいいとなる
相馬市はずっと行っていない、暑くて行けない、今日もむし暑かった
まだ残暑である
でも空にはうろこ雲が出たから秋でもある

写真でわかったことはとにかくいろんな角度から多角的にとってみることである
松と蔵が偶然に一緒に映っていた、まさに松倉だとなる