2020年09月01日

世界史をふりかえり未来を見る (西欧文明からアジアの精神文明の再興へ―中国は指導国になりえない)


世界史をふりかえり未来を見る

(西欧文明からアジアの精神文明の再興へ―中国は指導国になりえない)

●大航海時代から始まった西欧化 

大航海時代から世界はグロ−バル化してきたのが世界史である
それはスペインとかポルトガルとかが南米のアステカとかインカ帝国とかを滅ぼしたりしてきたことである、アメリカでも先住民のインディアンがいてアングロサクソン系に白人に絶滅させるほどに侵略された
それで今になり黒人など先住民でもコロンブスの像を侵略者として壊した
大航海時代から世界はヨ−ロッパ化することとして展開したのだ
イギリスが七つの海を支配したということでもそうである
その時ボンドが今のドルと同じになっていたのである
エジプトボンドとかあるときそうした時代の名残りとして今もある
ヨ−ロッパの列強が世界をアフリカから中東から北米南米と進出して侵略して新たな国家を形成したのが大航海時代からの世界史だったのである
中東のイスラエル国家建設でもイギリスとかの力で生まれたのである

次にアジアの植民地化があった、アメリカだと黒人を奴隷化して連れてきたのはイギリス人だった、それで奴隷商人の像がイギリスで倒されたのである
今イギリスにはアフリカとかかの黒人などが来ているから反感となった
こういう大きな世界史の流れは見ておくべきである
アジアはインドから植民地にされて悲惨なことになった、そして東南アジアでもヨ−ロッパ列強の植民地になった、ベトナムはフランスの植民地となった
それでカトリック教会がある、プロテスタント系ではない、ネパールでもミャンマー(ビルマ)でも英語をしゃべる人がいるという時イギリスの植民地となったからである
そして中国はヨ−ロッパの列強にモザイクのように支配されたのである
日本じも満州、朝鮮半島を植民地化したのである

この時アジアでは世界でヨ−ロッパの植民地にならなかった唯一の国だった!

この時世界地図をみればわかる、ヨ−ロッパ列強の植民地として世界がぬりつぶされる
でも日本だけはそうならなかった、これは本当に奇跡的なことかもしれない。
ここだけはやはり日本が世界に対してどういう国だったか知るべきである
もちろん過度の日本讃歌ではない、冷静に合理的に世界史を振り返るべきなのである
そういう大きな世界史の流れがありその中にアジアがあり日本がある
そういう大きな世界史の流れの中に位置づける作業が必要になる
要するに400年なのか500年なのか西と東の文明が交互に興隆してきたという世界史をみなければならない、だからこれまでは西の西欧文明が世界史となったのである
その前はイスラム文明が世界の主流だった、その前は中国文明だったとかなる
明らかなことは西欧文明が世界史となったのが大航海時代からそうなのである

●アジアで唯一植民地化されずアジアを先導した日本

文明の歴史をふりかえれば世界の揺籃の地は今のイラクのメソポタミアとかにあり今の中東地域である、そこの歴史は古い、楔形文字とかすでにあった
文明と認められる要件として言葉はどの民族でも小さな部族でさえある
ただ文字は高度なのものであり文明の要件である、だからマヤ文明とかインカ文明でも文字がなかったのである
日本でも奈良時代以前は文字がなかった、でも奈良時代に中国の唐から漢字を取れ入れて文字をもったのである
そして言語学から見るとインドヨ−ロッパ語族がありそれが主力となっている
英語はドイツ語が基でありそれもインドヨ−ロッパ語族になる
これは文法的に中国でも主語の後に動詞が来るとき共通している、またアイヌもインド
ヨ−ロッパ語族の端に入っている、文法でもhave動詞を使っているからだ
つまりアイヌはヨ−ロッパ系のインドヨ−ロッパ語族になる
何か顔が彫りが深いからそう感じる、インド人とも似ている
アジア人は堀が深くない、平べったいからである、ただ縄文人にもヨ−ロッパ人のように足が長い長身の女性がいた、それは土器に残されていたからだ
ただ中国人で満州族とか遊牧民で背の高い大柄な人がいる、女性にもいる
だからアジアでも人種が多様だからそういう人達の系統かもしれない。

とにかく大航海時代からは西欧文明化されたのが世界史だったことは確かである
世界は西欧文明の挑戦をすべて受けたらがある、それに応戦できたのは日本文明だけだった、これは世界史で特筆するべきものとして注意すべきである

だからなぜ日本だけが植民地化されなかったのか?

これを歴史として解明することが大事だとなる、疑問なのはなぜ技術にしても明治にヨ−ロッパの学問でも技術でも科学でも取り入れてアジアで最初に西欧化できたかである
江戸時代に駕籠で人を運んでいたような時代から技術的にも一挙に進んだかというのが謎になる、ただ江戸時代300年はただ無益に過ごした訳ではなかった
そこにやはり歴史の蓄積があり日本文明の骨格が形成されたとなるからだ
そうでなければ明治維新がありえないのである
ヨ−ロッパの圧倒的な力でも技術力でも植民地化されていたからである
江戸時代は何か歴史の中で忘れられてしまった、それも見直す作業が必要になる
江戸時代と西欧化した日本が歴史的継続として見れないのである
何かそこに断絶があり突如として西欧化した日本が現れたように見える
でも歴史は継続であり江戸時代があって明治維新もありえたのである

中国は西欧化できなかった、植民地化された、それはなぜだったのか?
西欧化というとき日本では西欧文明を漢字として翻訳した
その日本で漢字化したのを今度は中国で使用しているのである、その数も多いのである
中国ではそれができなかった、そこで遅れてしまったのである
日本の文化は明治から翻訳文化だったということが言われる所以でもあった
第一中国とか日本にないもの市民とか訳すにしても市民という実態がないから翻訳しても理解していないのである、言葉があるとしたら必ずその実態があって理解するからであるパスポートに国籍と同じくどこの市に所属するかとを記するのはヨ−ロッパ文明だからそうなる、シテズンシップになるからだ、ところが日本にはそうした市民などいない
町民とか農民とか侍がいたとしても市民は存在しないかったからだ
だからヨ−ロッパ文明の概念を理解することができないともなっていたのである

●資本主義も共産主義も西欧化から起きて同根

そして世界史で注意しなければならないのは資本主義があり社会主義に世界が分断されたという時、それも西欧化されたものとしての分断である
マルクスが階級制とか資本主義を批判した時、実は社会主義にも共産主義も西欧文明から生まれたものなのである、だから同根だとされる
ヨ−ロッパが貴族性が強固にあり階級制があるからこそマルクスは階級史観で世界史を解説したのである、それが宗教のようになったのである
また共産主義がマルクス主義が実は国家を廃止するということでも今の資本主義のグロ−バル化経済と似ているのである、グロ−バル化経済は国家を無くすことだからである
世界のプロレタリア‐トよ団結せよというときそこに国家がないからである
労働者とは資本家しかないのである
それでグロ−バル資本主義でもその世界観とかは同じである
国際金融資本家とかが多国籍企業とかは国家を越えて世界を支配する組織だとなるからだ国家の否定では共通しているのである

つまりソ連でも中国でも西欧化されたものとしての共産主義がありそれは資本主義と必ず対立する思想でもないのである、根は共通なのである
なぜならナショナリズムとか国家を否定するものであるからだ
でも結果は判明した、壮大な実験の結果は判明した、共産主義は一党独裁で対立するものを虐殺する、それは徹底していたのである、権力争いであり対立するものを許さない
思想の争そいのようで一党独裁でありその幹部が権力を掌握するものだった
だから厳しい粛清がありソ連でも千万単位で粛清されて虐殺されたとしている
中国でもそうである、それは天安門でも実証された、反対勢力は許されないのである
殺して抹殺するのが共産主義者であった
でも皮肉なことは共産党員が中国の富を独り占めして幹部が兆もの金を得る不平等の国家となったのである、結局これも人間の欲が消えるわけではないから権力闘争の世界となり権力を得るためにそうなっただけなのである

なぜ中国と日本が共同しえないのか?それは共産主義の一党独裁の国家に従えないということである、いくら大国で経済力があっても恩恵があっても今の一党独裁の中国共産党とは共同できない、日本は従うことはできない、つまり以前として共産主義のイデオロギーでもおしつけてくる、それで思想的弾圧も生れて来る
それがウィグルでありチベットである、思想の自由は保証できない、チベットでもそれは歴史的に風土からでも独自の仏教国となったのでありそれを否定することはその国の存立基盤を破壊する、経済的恩恵を与えてもそうした思想や文化の弾圧に人は絶えられないのである、つまり歴史と風土から作られた文化を否定することに従うことはできない
そこにマルクス主義の世界化の問題が最初からあった
共産主義の理想は中国でも実現されず極端な不平等な世界になった
共産主義も資本主義もその根はヨ−ロッパから発したものである

ということはもし中国がアジアの指導国になるとしたらアジアの思想が必要になる
ではアジアとはなになのか?アジアの思想とは何なのか?それが問われる
アジアといっても広いからである、確かなことはアジアが中東まであるときイスラム世界もかかわるからアジアとはオリエントとは宗教発祥の地でありそこに共通の基盤かあるともなる、なぜなら仏教がインドから発して中国に渡り朝鮮半島に渡り日本に伝播して日本化した宗教になった
中国にその遺跡が残っている、その時代が共通の価値観のアジアの基盤を作ったともなるただその後はアジア共通のものはなくなった
つまり西欧化でありキリスト教を基盤として価値観が世界を覆ったのである

いづれにしろ中国と共同しえないというとき中国が確かに経済的にはアメリカのコピーで成長して巨大化した、でもそれは物質的なものであり精神的なものではない
第一アメリカ自体が物質的であり精神文明とかは形成されていな若い国なのである
ある意味てインデアンを虐殺して殺してきたように今でも銃の国であり野蛮な国なのである、銃をみんなもっているから黒人でも警官は銃で撃たれることを恐れて先制攻撃に出るそうしないとかえって銃で警官も撃たれるという恐怖になっているのだ
それでアメリカ強大な軍事力で先制攻撃してきた、敵対するものをたたきのめすのである

●物質文明から精神文明、アジアへの移行

アメリカには精神文化が育たない、物質文明なのである、宗教でも哲学でも思想でも育たない、野蛮な国なのである、キリスト教国であるとしてもその価値観は拝金主義となり
世界の富を収奪する、多国籍企業とか資本主義でもドイツの修道院からはじまったようなキリスト教の隣人愛からのキリスト教とも違う、だからアメリカからは芸術でも生まれないのである
ただ世界的にみればこの物質主義は世界的なものでありもう精神文明はない
不思議なのはエジプト文明とかは精神文明がありあらゆる動物を人間のようにみなすものがあり環境と生態系と調和した文明だったのである、だからこそ3000年もつづいたとなる現代の文明は世界的に共通している、それは大都会を見ればわかる
世界的に都市は共通している、そこにかつての文化はない、高層ビルがあり交通機関が発達してビジネスの街となっている
現代文明は都市文明であり世界中の都市は外見でも共通しているのである

そしてもう新しい文明は起こらない、文明自体が終わりを世界で迎えつつある
ただ文化はその土地土地があるかぎりその土地独自の文化は生まれ継続される
ただ文明は終わるのである、それはやがてエジプト文明でもマヤやインカ文明でも廃墟として残されることになる
中国文明でも過去の再現なのである、中華帝国の再現なのである
過去の亡霊の再現なのである、共産主義という名を借りた中華帝国の再現なのである
共産党一党独裁の王朝の再現なのである
ただ経済的には肥大化したものでありそこに精神はない、その経済力でもアメリカの技術のコピーであり中国独自のものではない、漢字なら中国独自ものであるが今の中国はみなアメリカのコピーなのである、それは日本のコピーでもある
つまり中国には今はただコピーによって経済が肥大化したものであり世界を導く思想とか文化とか何か精神的なものがない、共産主義自体がヨ−ロッパのコピーである 

ただ21世紀はそうした経済成長とかは限界になっている、自然環境の破壊があり環境破壊がある、それを象徴したのが福島原発事故だったのである
そこに科学義技術社会の限界が現れた、そのために空気も水も土も木も汚染されて住めなくなった、これほどの被害はなかった
科学技術には限界がない、すべてが科学技術が解決するというのは幻想なのである
科学技術は人間をすべて幸福にはしないし問題を解決もしないのである
だから科学技術はギリシャ神話のように人間の呪いにもなっていたのである
日本でもなぜ技(わざ)が災い(わざわい)となったようにそういうふうにすでに意識されていたのである 
要するに人間の限界があり科学技術の限界もあり理想から起きた資本主義が強欲資本主義になり共産主義は大殺戮イデオロギーとなった、それは歴史で証明されたのである
政治だけは依然として何も変わらない、人間の欲の権力闘争となっている
中国は政治の国であり熾烈な権力闘争の国であることは変わりないのである
それが中国人の業(カルマ)だともなる、その権力闘争のために自壊してゆく
それは三国志時代からの中国の歴史だったのである

ただ歴史のサイクルで西が栄える時代は終わったことは確かである
大航海時代から西欧文明の時代でありアジア文明は遅れたものとしてあった
でも今21世紀からは精神文明の時代に移行する、コロナウィルスでもそうした内面化の時代になる、だから瞑想とか自然への回帰になる
西欧の物質文明は頂点に達してまた内面へ精神への回帰が起きる
つまり宗教とか哲学の時代になる、また芸術の時代にもなる  
ただ宗教といっても仏教であれキリスト教でも物質主義にそまっている
むしろ世俗より権力志向であり物質志向である、政治的であり経済中心である
カルト宗教団体が現代の宗教でありそれは物質主義とか資本主義とか社会主義でも
そうした現代の思想に組み入れられたものであり全く精神性はないのである
物欲権力宗教なのである、そこで語られれるものは物欲とか権力しかない
毎日それを得るために祈っているのである、だから現代産んだ異常な世界でありオウムなのである
国家神道でも創価の仏教でも幸福の科学でもエホバでも現代の宗教は宗教ではない
カルトでありファシズムと変化する、それは容易にナチスともなり世界に混乱と闘争をもちこむ
それは現代文明の産物であり本来の宗教とは一切関係ないのである
集団化して政治集団と化して権力をとることを目的としているからだ

20世紀は政治、軍事、経済、科学技術の世界でありそれが二回の世界大戦があり何千万人が犠牲にされた、日本もそうした世界の動向に巻き込まれて戦争になったのである
大航海時代からグロ−バル化が起きて日本もその中に組み入れられて戦争に巻き込まれて3百万人が死ぬ結果になったのである
日本の戦争を日本人の犯罪とするのは間違えである、世界戦争がなぜ起きたのか、それを今問うべきである、それは大航海時代からはじまりグロ−バル化した結果として起きたのである,グロ−バル化とはすべていいものとして働いたのではない、その負の面が今意識されるようになった、それはコロナウィルスでもそうだった
たちまちウィルスでも世界に広まったからである
グロ−バルの負の面が世界中に意識されたのである
それが中国発の武漢ウィルスだったということが象徴している
中国の巨大化が世界中をまきこみ災いをもたらしたのである







2020年09月02日

真野の草原(かやはら)は境界線 (海水温も境界になっていたー台風でわかる)


真野の草原(かやはら)は境界線

(海水温も境界になっていたー台風でわかる)

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本当にこさも不思議である
真野の草原が海水温の境界になっている
海水温まで関係していたのかともなる


今日のテレビの天気予報で台風が来て海水温を出していた
海水温が高くなると台風が発生しやすい
それでわかったことがその海水温でもみちのくの真野の草原の万葉集の歌が歌われた南相馬市の鹿島区がその境界線になっていた
これも不思議だとなる、天気予報を見ていると何か前も何回も境界線になっていることを報告した

今回もそうだった、ちょうと南相馬当りが境界線になっている
マルハシャリンバイの南限の地としてあるのはいかに植物が気候と関係しているかである照葉樹林帯というのは温帯でありこれが亜寒帯だとそうはならない、それはやはりこの辺が境界線なのである、つまり温帯とか亜寒帯の境界線なのである
それが海水温まで関係していたのである

つくづくだから真野の草原(かやはら)が実は萱ではない、むしろマルハシャリンバイが自生していた南限の地でありむしろ萱とかの寒々しい風景ではない
照葉樹林帯の温帯地域にある、すると何か南として温帯地域として意識されていたのである、つまり草原(かやはら)というイメージにあわないのである
それでやはり草原が地名説とした私の説が正しいとなる
何かみちのくだから草原が寒々しい風景が似合うように詩的にイメージしたのである
そこが錯覚の元になったのである

私自身は詩を作ったりしているからそうしして空想的にイメージしやすいのである
でも俳句は正岡子規に習った写生俳句だからそうはならない、それで写生俳句は写真と相性がいいのである

いづれにしろ科学的思考が歴史にも欠かせない、それで天候から温度の変化とかから古代を調べる人もでてくる、そうなると理系になり私にはできないとなる
ただこうして天候を見ていると必ずこの辺が南と北の境界線になっていることは間違えないのである
つまり大和朝廷の支配領域は天候と関係していたのである
気候と一致して境界線があったとなる、つまり人間が作った歴史と自然の境界線が一致していたとなる、境界となる場所の要素として何か自然の地勢とか天候でも関係している
ライン川のように川が境界になったりするのが普通である
そしてこの境界線は歴史でも自然を知る上でも大事な要素なのである

陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを 笠女郎

要するにこの歌は大和朝廷の支配領域になった地として境界として奈良時代に知られていた、実際にこの歌にして慕った大伴家持は陸奥に赴任したともされている
ただそれは明確な証拠がないがそれを論文で出している学者もいる
だからこの歌はとにかく大和朝廷のみちのくの進出がありその境界線として歌われたものだとなる

posted by 老鶯 at 10:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 万葉集

2020年09月03日

architecture as an abstract painting


Architecture as an abstract painting

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ENKAKU temple in KAMAKURA

ZEN TEMPLE

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仏教寺院の正門。寺院は本来山に建てられ山号を付けて呼んだ名残りで、平地にあっても山門という

The main gate of a Buddhist temple. A temple is a remnant originally built on a mountain and called with a mountain name.



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私が作る抽象画は自分自身不思議に思う、なぜならその最大の不思議が私には絵の才能が全くないからである、だから何一つ絵にできない
それで写真とかいろいろな映像をインタ−ネットで見て組み合わせて切り張りして作っている
でもそれがやはり独自のものになっている、これも創作なのかと見た
自分自身が作っていて創作だからこそつづけている、その数も膨大になる
それは自分自身で創作しているのとも違う
ある意味でAIが作っているのではないかとも思う 

だからこれはコンピュターからインタ−ネットからそのソフトから生まれた芸術だと思うでももしこれがただのコピーだったらやめている
やはり自分自身の創作だからこそつづいているのである
そしてなぜ続けられるのかも不思議になる
それは結局無数にある写真でも映像でもそれを機械的にソフトで変えているだけだからである
もし頭の中でイメージしていたらできない、すでに写真とか画像が無数にあるのも変化させいるだけだからつづいてるのである

The abstract paintings I make are strange to me, because the biggest mystery is that I have no talent for painting, so I can't draw anything
So I make photos by watching photos and various other images on the Internet, combining them, and cutting them.
But it's still unique, I thought it was also a creation
I continue to make it because I am making it myself, and the number is huge.
It's different from creating it myself
I think AI might make it in a sense.

So I think this is an art that came from the computer, from the internet to the software, but if it's just a copy, stop
After all it is because it is my own creation.
And it makes me wonder why I can continue
That's because, in the end, countless pictures and images are only mechanically changed by software.
If you imagine it in your head, you can not do it, because there are already countless pictures and images, it is only changing, so it is continued

生活保護はもらえなくなる (国で予算を減らしている‐困窮する老人)


生活保護はもらえなくなる

(国で予算を減らしている‐困窮する老人)


厚生労働省の調査によると平成30年10月末時点での生活保護受給者は209万人にのぼっており、日本人口の約50人に1人は生活保護を受給していることがわかっています。

簡単に言えば、我々が汗水流して働いた税金からです。内訳について説明させていただきますと、その約75%を国が、25%を地方公共団体が負担しています。

生活保護の減額についてです。10月から1580円も減らされ77650円しか生活費が支給されません。これってひどくないですか?生存権の侵害です。

日本の生活保護受給率(総世帯÷生活保護世帯)は、3.24%(平成27年度)で、10年前(平成18年度)の2.26%に比べ約1%も上昇しています。特に65歳以上が占める割合は年々増加し、高齢者人口の2割超が生活保護を受給しており、今後の社会保障費の増加が懸念されています。(数値は、厚生労働省「被保護者調査」より引用)

2030年問題の本質は、2030年には日本人の3人に1人が65歳以上の高齢者という社会が訪れるというものです。



生活保護は最低限の生活を保証するというけど実際はそうなっていない
最低限の生活の保証としてら一か月の生活費10万は必要である、それでもたりないけど
他に医療費とか援助されるからそうなる
でも今生活保護は相当に厳しい、最低限の保証がされていない
その条件も厳しくなっている

●年金を少額でも支給されていると生活費の援助がない

●医療費も全額負担してもらえない

4万もらっていたとしても5000円とかしか生活費がもらえないとか制限されてしまう
ただこの計算は人によって違うから一概に言えない
いろいろ事情があるからそれを考慮する

ともかくもう最低限の生活保証がされていない、ただ自治体によって一級市とか格付けがありそれによって支給される額が違ってくる
県庁とかある都市や大きな都市は一級になるから額が違ってくる
福島県だと福島市は一級都市になる、何かこういう差別があるのも何なのだろうとなる

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他の県もこんなふうになっている

約75%を国が、25%を地方公共団体が負担しています。

国で負担しているとなるとなぜ自治体で差別しているのか?別に物価が安くなるとはならない、今は地方と都会では物価は同じである、この差別は家賃などを考慮したものなか?ただ自治体の割合が少なすぎる、ということは国の財政が豊かなら生活保護もそれなりにもらえるとなる、でも生活保護の予算は減らされているから実際は相当に苦しい
もう生活保護だけでは最低限の生活もできない

現実に4万の年金をもらっている人でも5000円とかしかもらかない、交渉してももらえない、77650円で生活できるだろうか?最低でも10万は必要だろう
それでもたりない、もう食べることすらできない状態になる
生活保護自体崩壊しているのかともみる
もし10万でももらえるなら生活保護として成り立つけどそれが成り立たなくなっている
そして国の財政も苦しいからこれからも減らされる
つまり生活保護は国で減らしたら75パーセント出すとしたら国で出さなければ成り立たないとなる、自治体で25パーセントではたりないからだ

総数でみると、最低生活費以下の世帯割合は、13年に15・9%だったものが、16年には14・1%と落ち込みます。母子世帯では、13年は85・5%、16年では65・5%です。(表)

この家に住む菅井敬子さん(68才、仮名)が「電気代がもったいないから」と夜間も消灯を続けているからだ。

敬子さんは毎日、夕方頃にスーパーに行き、店員が食材に5割引のシールを貼るまでじっと待つ。今年の暑い夏もクーラーはほとんど使用しなかった。

下流老人とは、生活保護を受ける生活レベルで暮らす高齢者、およびそうなる恐れのある高齢者のことです。現在も増え続けていて600万〜700万人いると推定されます。今の日本には、かつては大多数だった中流は存在しません。ひとにぎりの富裕層と、大多数の貧困層というのが実態です

浪江の人たちが入っている復興住宅で夜に電気をつけない人がいるという
浪江だと原発事故の補償金をかなりもらっているともみたがもう事故から10年もすぎると金でもなくなっている人が増えて来る
そして現代の貧乏とは必ず電気、ガス、水道が止められるのである
そういう人たちが全体の5パーセントもいるということはその人たちぎりぎりで生活している、こうなる人は最低限の生活をしている
それでその電気代とかをとりたてる委託された人がいて嫌でやめたという報告があった
こういう人たちは毎月月末に電気代、ガス代、水道代が払えないのである
そういう人たちが5パーセントいるということはかなり多い、一割にならなくてもそれだけいることはいかに目に見えないが日本人が貧困化しているかの指標なのである 

確かに現代の貧乏は見えにくい、ボロを着ているわけでもない、物乞いしている乞食がいるわけでもない、貧乏は見えにくいのである
貧乏は戦後まもなくでも戦前でも江戸時代でも見えるものとしてあった
戦後焼野原から育った団塊の世代などは本当になにもないところから始まった
水道はないから近くの井戸から水をもらっていた、電気は裸電球一つとかでありトタン屋根の家で冬は風がうなっていたことを思い出す、私の家には本は一冊もなかった
鉄腕アトムとかの漫画を読んでいた、それも買ったものではない、貸本屋から借りていたのである、つまり本でも漫画でも買う金がなかったとなる

貧乏という時さらに戦前でも子守りして学校に行けず文字を覚えらられないという女性がいた、明治生まれで手紙を書けず頼んでいた人がいた、字が書けなかったのだ
それで小説を読んで字を覚えたとか言っていた
それは後進国でも今でも学校に行ける人は恵まれた人だとなっていることでもわかる
人間はもともと戦前まで貧乏な国だったのである、私の母親は原町紡績で糸取りを十年していてその時のオカズはつけものとかであり沢庵とかであり後は味噌汁だけだったとかある、なんでも休憩時間の30分の間に御飯を早食いして死んだと聞いた
そのことが良く呑み込めなかったが遊びたくて飯を早く食べて体を壊したらしい
休憩時間が短いからそうなったのかとなる

戦前になると味噌汁とタクワンとか一汁一菜とかなる
だからそんなもので良く仕事できたと不思議になる
今の最低限の生活でもサシミなどを誰でも食べているからだ
私の父親は明治生れで最後に病気になりサシミを食べれるようになったが食べたくないと言って死んだ、その頃豊かになったのだが病気になり食べることができなくなっていたのである、バナナは田舎では売っていなくて仙台市まで買って食べさせたのである
そういう時代と比べると生活保護でもまた最低でも現代は豊かだとなる

隣の人は私で貸していたが店を出してたが売れるわけでもなく品物もろくなものがなく餓死したようである
家賃が払えないでわずかの金をもってきただけである
ただこの人には息子がいたしそこには金はあったが嫁が悪くて見捨てたとされている
その事情は子供だったのでわからないがまだ幼児だったかである、餓死した人は結構いた時代があった
でもやはりその時代とは違うから比べることができない、もう現代の標準の生活自体できなくなっている,携帯は老人でも必需品であり電気代から水道代からガス代がかかる
それをまかなうだけで今度は食料に回す金がなくなってくるのだ

ただ本当に貧乏な時代のことも忘れられた、私は子供時代のことを思い出して貧乏をイメージするが今の人はもうできない、だから子供時代の生活は不思議だった
炭が燃料であり卵を食べられなかったという時代でもあった、ただ農家の人はニワトリを飼っていたから食べていたからかえって農家は恵まれていたとなる
貧乏になると御飯に醤油をかけて食べるとかもあった、オカズがなければそうなる
こういう貧乏から比べると現代は最低限でもいいものを食べているとはなる

奇妙だけど人間は本当に貧乏になるとつまり電気、ガスとか水道を使えなるともなる
電気は石油とか石炭を燃料としているがそれは外国から入ってくる、輸入しないと買えないものである、でも日本が貧乏になれば買えなくなるのである
電気はただ生まれのではない、燃料が必要でありそれが日本にないとしたら電気を作れないのである、ソーラーパネルとか風力発電があるようになってもそれでは工業用にはならないからである

このように現代の貧乏は電気、ガス代、水道代が払えなくなる、それが貧乏として一番切実に現れている、そうして家に住めなくなったり家賃が払えなくなったりする
でも戦前とか戦後まもなくは水道もない、電気もない、ガスもない生活していた
本当に竈があり木材を燃やして米をたいていた、原始的な生活でもあった
裏には水が流れていてそこで洗濯していたというのも今ではそんなことをしていたのが思い出せなくなる
だからそういう時代は家事に時間がかかる、今なら電機製品で一人でもできる
それて東京では中産階級でも女中を二人雇っていたとかある
私の母親は原町紡績で働いた後は東京で女中で働いたからである
二人の女中が普通の家庭ですら必要だったのである、それだけ家事に労力がかかったのである、だから女性の仕事は女中にもなっていたのである

いづれにしろその時生活保護もなかったようである、だから乞食が多かったのである
そもそも生活保護とはなになのか?
市町村があったとしたら困っている人をみんなで助け合うという趣旨である
そうなるとその困った人が何でそうなったのかとかみる、ギャンブルで身をもちくずしたとかなんとか事情がいろいろありそんな人を助ける義務があるのかともなるからである
だから今でも生活保護を受けるとなると審査が厳しくなるのである
要するにみんなで困った人を助ける気持ちをもてるかとなるからだ 
そしてしこの人が本当に困っているのかとなると見分けるのもむずかしいのである
ただこの人は本当に困っている、そういうふうに同情されればみんなで助けるとなる
自然災害のときなどはそうである、原発事故でもそうだった、こういうときは同情されやすいから援助もされる
ただ国家で援助するとなると大きくなるから見えなくなる、それでも自治体から25パーセントと出ているから回りの眼が厳しくなる、田舎ではとくにそうなる
でも生活保護は国で75パーセント出していることを注意すべきである

地方自治体でも地方交付税とかあり市町村の財政は国が大きく関与している
だから国自体が貧しくなるとその影響は日本全国に及び生活保護もできなくなる
そもそもいくら福祉でも税収が入らなければできない
ただ生活保護が必要なのは犯罪者になるのを防ぐことだというのもわかる
もうこうして貧困化してくると犯罪が必然的に増える、そして治安が悪くなるから余裕がある金持ちにも影響するのである、もう枕を高くして眠れなくもなる
だから格差社会は怖いものなのである、そのことを金持ちは自覚しない、すると害が金持ちに及んでくる、ただ確かなことは国自体が貧困化することが福祉にも金を回らないということでありするといかに国を豊かにすることが問題になる
貧困は一部の人の問題ではなく国全体の問題であり国が豊かにならないと解決できないともなる

いづれにしろ生活保護はこれから氷河期世代とかが老人になったときもう成り立たなくなる、経済が停滞してゆけば余計にそうなる、そんな財源がなくなるからだ
生活保護を受ければいいというがその内容は今や最低限の生活保証はされないことを知るべきである、生活保護はもう最後のセーフティネットにはならない、
そして年金も微々たるものだとするときどうなるのか?
それは恐怖の時代になる、犯罪者が増えて治安が悪くなり暴動のようなものも起きて来る金持ちでも襲われるから貧困者だけの問題ではないのである

2020年09月04日

コロナウィルスは人の交流度合いと一致している (人から人へ感染するので交流をさけるほかない)


コロナウィルスは人の交流度合いと一致している

(人から人へ感染するので交流をさけるほかない)

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北海道はもともと中国人が多く来ていたから別として他は人と人の交流の度合いに比例している、これは間違えないのである、数学的な問題として割り出されている
最初は宮城県でも少ないとかあった、そして青森から感染者が出たとかあった
その青森とか秋田で最初に感染者が出たのは仙台市から行った人が感染させたのである
だから最初の内は人との交流度合いが明確に出ていなかった

でも予測できたことはまず仙台市があれだけ東京から来る人も多いから東北では一番多くなると思っていた、東北地方を見ると青森が35、秋田50、山形78、福島172、宮城226となっているがこれは人の交流度合いからみれば本当に数学的に比例している
秋田は過疎地域だと常に指摘されていたからだ、青森でもそうである
山形県もそういう地域である

宮城県と福島県は東京と人的交流が一番多い県

東京と人的交流が多いとどうしても感染者が出やすいのである
最近福島県では郡山市が多くなった、郡山市は東京に近い、新幹線で一時間もかからないとかなる、だからやはり人的交流が東京と多いからそうなる
それは宮城県なら仙台市が人的交流が多いのだから多くなる
福島県と宮城県が多くなるのは本当に数学的比例の問題であり予測できたのである
コロナウィルスは何かわからないにしてもそもそもウィルスは人的交流から割り出されることは判明した

当然東京圏内は多いことは最初からわかっていた、茨城県が少ないなと見ていたがやはり多くなった、群馬県と栃木県を見ると群馬県が多い、群馬県の方が東京圏と交通でも結ばれていて多くなるのがわかる、栃木県となると交通的に不便だとなり少ない
これは明らかに人的交流と交通と比例しているのである

ただ日本海側の福井、石川、富山が多いのはやはり大阪圏との交流が多いからかもしれない、東京圏との交流ではなく大阪圏との交流だろう
現実に最初滋賀県が少なかった、あんなに近いのになぜだろうと見ていたがやはり多くなった
初期の段階では明確に数字とならなかったが今になると数学的正確さで割り出されているのである
岐阜県が山の地域でも多くなったのはなぜか?
名古屋中心に広がったからだともみる、つまり人口密度の高い大都市中心に感染してゆくなぜなら三密というように人口が密集している地域は人から人へ感染するのだから当然そうなる、名古屋から人気の白川郷へはかなり山の方に入るがやはりそこには観光客が中国人でも人気で行っていた、それで多くなったのかとみる
他でも四国では少ないのは四国も過疎地域のようになっているからだ
福岡県は福岡市中心に広がった、ただ宮崎県とか鹿児島県が多いのはなんらか理由がある概して人的交流の度合いによってそれも大都市からの交流度合いによって感染者が数学的比例でほぼ正確に割り出されている

江戸時代の末期のコレラの流行でなぜ会津若松市中心に広がったかとなると白河街道と日本海からの北前船が来て阿賀野川の水運があり人的交流があり広がったのである
ほとんど交通も人的交流もない桧枝岐では感染者は出なかったのである
そこは秘境だったからである、田島方面には会津若松市から感染者が広がった
ということは田島方面にも参勤交代で江戸までの街道があったとしても人的交流は少なかったとなる

こうみてくるとウィルスの感染を防ぐ最大の効果的方法は人的交流を減らすこと止めることだとなる

でもこれは現代では最大の難題なのである、それは世界的にもそうでありこれだけ交通が発達して人の交流をとめることができない、それでなんとか観光でも人を呼ばざるを得ない、GO TO キャンペーンになったのである
人の交流をとめることはもう地方でも生活できなくなるからだ
でも本当にこうした世界的にも国内でも人の交流が過剰になるのがいいことだったか見直される
そういう自分でもこうして全国を分析できるのは日本国内を隈なく旅行していたからである、私の場合実感として地理がわかる、地理はやはり地図を見てもわからないからである
結局このコロナウィルスとは何だったのか?

何か人の過剰な人的交流をとめるものとなった、世界的にもそうである、また観光の見直しも迫られた、観光は水商売だったのである、別に地域にも根ざしていなかった
外国人に頼ること自体そうだった、このようにぱったりと来なくなる影響は大きすぎたのである
それで近くの人に安く泊まってくれと政府で金をだしたら近くの人で泊まる人が増えたというときそれが本来の正常な状態だったのかもしれないと気づいた
なぜなら宿泊料が高いからである、でも東京の金持ちなら4,5万でも泊まってくれる
それで商売になる、近くの貧乏人は相手にしないとなる
それは外国人でもグロ−バル化するとそうなる、金を落としてくれる人がお客様であり近くの貧乏人は関係ないとなる
また現代の宿は旅人を歓迎しない、何であれ金のない人間を歓迎しない、江戸時代辺りなら歩いて旅していたのだから疲れたでしょうとなり足を洗ってくれたりみんな金でも安くても泊めるとなる、そこにもてなしが生まれたのである
それは金持ちを特別にもてなすということはない、みんな平等だったのである
旅人をねぎらうものとしてあった、それはホテルがホステルでありホスピタリティであり病院になったことでもわかる

今はまず本当の旅人は歓迎されない、ただ不思議なのは三回くらい歓迎された
それは阿武隈山中を自転車で行った時、山の中に昔の万事屋(よろず)がありそこでご飯と味噌汁を御馳走になった
ただ買いものしたところでそんなことしてくれるのかといぶかった
今の時代そんなことありえないのである、見知らぬ旅人をねぎらうなどありえないのである、むしろ観光客ではない金を与えない者は嫌われる
そこは別に宿でもないのである、だからいかに宿でも今や旅人をもてなすとかねぎらうとかはなくなった、ただ金があるなしで判断される、だからホテルでもそうである
でも山の中のホテルで自転車で行って泊めてくれたことは不思議だった
そもそも自転車旅行では観光ホテルなどで泊めないからである
普通はそんなところに泊まれないとして旅している
たまたま山の中で何もないので寄ったら泊めてくれて親切してくれたのである
そこの女将がそういうもてなしの心があったのである

だから経営者とか上に立つ人が大事になる、駅でも駅長は大事である
無人駅でボランティアしていたのに駅長は受け入れず目の敵にされて排除されたからである、そこに何ら考慮するものはなかった、そしてコロナウィルスで鉄道が大打撃になったそこでもう遠くから人と話すこともできなくなった不思議がある
これは私怨にはなるがやはりもてなすという心がそもそもJRにはないのである
それは他の人も言っていたからである、ただ正確に運行することには努力しているのである鉄道事業はサービス業とみていない、その点私鉄だとサービス業の心があるかもしれない
だから駅でも無人駅で改札でも機械化して効率化を計る、でもそこに人間の情が消失するのである

とにかくコロナウィルスは現代の社会を見直すきっかけとはなった

遠くより近くを大事にしろ

それは近くの人をもてなすことはない、金を落としてくれる人を優先する
それはグロ−バル社会で起きたことである、まず近くの人を大事になる
それが人間としての基本である、今や近くの人より遠くの人が大事になっているのだ
そういうことは必要でも基本的に人間の生活は近くが日々生活する場なのだからそこがだいじになる、遠くとの交流とか経済でも必要である
ただそれが余りにも過度になって近くの交流が希薄になったことも確かである
だからそういう点を見直すということにもなった、別に観光でも旅でも外国旅行でもできることはいいことである、ただそれが過度になりすぎて近くがないがしろにされたということである

それで芭蕉の句の

語られぬ 湯殿にぬらす 袂(たもと)かな

この句が不思議なのである、そもそもなぜ奥の細道が古典になったのか?
それは東北という地域への深い共感を芭蕉がもったからだとなる、今の旅人にそういうことはない、ただ今は移動でありあとはグルメだとかなるからだ
この時代に農民が労働でともに疲れた体を癒していた
そういう人達に同情していたのである、そして東北人は寡黙であるということもここにこめられていたのである
でもなぜこれだけ江戸から来たのに東北人に共感したのか不思議だとなる
それはやはり時代のためである、江戸時代を知ることは今やむずかいしからだ
別に東北でなくても農民の暮らしが苦しいことは眼にしているし知っていたからである

結局今の時代は金の時代でありすべては金で計算されて金のないものはもてなしもなにもないのである、江戸時代となるとそういう面はあったにしても何か情的なものが色濃くあって違っていたとなる、まず現代では何か情がなくなったのである
人間の情が通わないのである、それは旅は道連れなどもないからである
旅人同士が情を交わす場とかがないのである、それはまず歩く旅ではないからである
歩いて旅していれば道の辺の花とかもみる、人間的感覚になる、でも車とかで飛ばして行けば目に入らない、キレてふっ飛ばしてすぎさる

それで車から突然「馬鹿野郎」と怒鳴られる、これも自転車だと危ないからそうなるも当然だかこうして人間同士に情が通わないのである
歩いていてぶつかったらすみませんとかなりそこに会話が生れて人間としてのやりとりがあるが車時代になればそういうこともない、交通事故になるからそうなる
そういう車というのがどれだけ人間の心まで変えてしまったかということである
だから機械は人間の心を変えるということがある
ただ機械をすべて否定はできない、ただそれによって失われたものがあったことを知るべきである
みんな情も失うような殺伐として世界になったのである
それがコロナウィルスで示されたことは気付かされたことは不思議なのである













posted by 老鶯 at 09:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年09月05日

蝶と熱帯夜の花と月ーノウゼンの写真(季節感が狂ってしまった)


蝶と熱帯夜の花と月ーノウゼンの写真(季節感が狂ってしまった)

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これはノウゼンだけど夜撮ったのでこんなになった
実際は紫色だったが色をソフトで変えた
こんな花が熱帯でも咲いているだろう


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この蝶の名前がわからない、白い筋がある

鶏頭が咲いているから秋なのだが一昨日も暑かった




夏の蝶写真にとらえる瞬時かな

朝の蝉今日も買い物自転車で

熱帯夜外にでて花を見る

真夜中にノウゼン見るや月光る 


写真で見るのと肉眼で見るのは違う、カメラによって機械によって見えないものが見えるだからカメラは常時携帯する必要がある
近くでもシャッターチャンスになるものが結構あると思った
それだけ自然は多様なのである

今年はまだ真夏である、そして夜は熱帯夜である、もう沖縄にいると同じである
夜も暑苦しい、それで真夜中に外にでて涼む、すると満月がでている
ただ黒い雲が流れて隠された
写真にとったがノウゼンはこんな色ではない、でも花は熱帯でこんな色のが咲いているかもしれない、花というのは南国系統が多いからである
椿でも南国系統だからである、椿の種類は多いからである

わかったことは南国系統の花はまさに熱帯夜のような暑い場所で映えるものである
だから熱帯夜にふさわしい、日本だと沖縄は南国であり南国系統の花が咲く
それも暑いからその花にふさわしいものとして咲く
だから風土によって様々な花があり風土にあって花は咲くのである
つまり花が咲くのがふさわしいのはその風土を知らないと本当はわからない
南国系統の花が多いというとき暑い所で見ないとわからない

沖縄だとなぜ家の作りでも開放的であり月光がさしこんで明るくするのが似合っている
熱帯の月はまた違っているのである、熱帯地域に住んでみないとそうした感覚はわからないのである
日本では一応沖縄のような熱帯地域もあり北海道のような寒帯の地域もあるからその風土を経験できる、ただ暑いのは苦手なのである、なにかぐったりした

今年は蝉が鳴いていても最初8月になってひぐらしが鳴いたと聞いた
でもその後ヒグラシが聞こえないのである、蝉しぐれというときヒグラシである
それもない、だから季節的におかしくなっている
それはここ十年くらい異常に暑くなっているのもそうである
四季が狂ってしまって俳句でも季語が通用しなくなる
9月でも熱帯夜なのである





墓とは何なのか? (墓は人間の最後に訴えつづける場)

墓とは何なのか?

(墓は人間の最後に訴えつづける場)


墓とは何かと追求して来たけどこの年になると家族でもみんな死んだし親戚でも死んだしまた身近で知っている人でも死んでゆく、だから死が日常にもなる
でも墓とは何なのか?
それを具体的に感じたのは母の実家の25歳で肺結核で死んだ人である
母の兄になっていたのだろう、その墓の前に立つとき常に死者から聞こえて来る声がある
「俺は生きたかった、もっと生きたかった、無念だ、無念だ」という切実な声である

他にも31歳で戦死とかの墓もあった、そこからもそうした声が聞こえて来る
つまり墓というのはそこに依然として死者がいるという感覚になる
江戸時代の墓でもそうでありだから私は墓をいつも見ていたのである
江戸時代の墓があればそれは歴史的遺産にもなる、それで死んだ人の年号をみる
そこが一番大事だからである
江戸時代になると歴史的遺産であり何か聞こえるものがない、歴史の記念碑のようなものになる

でも明治から家族墓になったとき一家の墓になったとき個人もそこに埋められて 墓碑銘に記される、個人でも個人墓はなく家族墓になっているのが日本である
江戸時代でも個人墓か夫婦墓であるのに家族墓になったのは明治政府の強制があったためであり庶民が望んだわけでもないのである
つまり家族墓は歴史が浅いのである、第一侍の墓はみんな個人墓であり家族墓はないのである、ここが誤解しているのである

おそらく明治になったとき家族を日本の国の基としたためにそうなった
そして天皇を親として国民は赤子として子供として国家をまとめた
国家とは国の家になるからだ、そこで家を継ぐ長男が重んじられた、それは外国でも同じである、長子は特別な存在であるのは家を継ぐものとしてあったからだ
長男は家をまとめるものとしてあった、だから必ずしも戦後の法律が相続でも兄弟平等にしたのはいいとはならない、そういう文化の方が何か人間にとって大事なことがあるからだ、なんでも新しいものがいいとか外国のものがいいとはならない、国とか地域のアイディンティティは長い時間で作られたものだからである
それで法律の基が風習とか慣習にもなっているのもわかる

とにかく墓があると不思議なのはその人の訴えるものがある、姉は従軍看護婦としてシンガポールでその向かいのジョホールバルで働いた
そのことが忘れられないから死ぬ直前までそのことを語っていた
認知症になってもその四年間は忘れられなかったからである
生前もそうなら死んでもそうだともなる、墓には良く陸軍二等兵とかなんとか軍の階級をしるした墓がある、今になるとそんなことに何の意味があるのかとなる
でも戦前は戦争中はそれが名誉とされたからそう記されているのである

墓とは何か?墓などいらないという時代にもなった、それはとりもなおさず家族の繋がりが薄れた結果なのだろう、無縁社会とか孤独死が増えるのもそのためである
震災以後に絆、絆とか言われたけどそれはむしろ社会に絆が失われたからだろう
震災以後原発事故にしろ絆は外部の人たちに生まれたが内部では補償金でもめて分断したのである、南相馬市では特にそうなった
そして先日小高の復興住宅で孤独死した人が発見された
それはなぜなのか?避難区域になった人は本当に家族もばらばらに住むようになった
そこで取り残されたのが老人なのである、本当に老人だけが残されてシルバータウンになったのである、ここでも家族の繋がりから先祖の繋がりから分断されてそうなった
それで墓でも故郷に置けず移している人もいる

墓は家族墓だとしているとき墓とのつながりは家族のつながりであり先祖となのつながりでありもう一つ大事なのことは土地とのつながりなのである
なぜならその土地に埋められたということはその土地との因縁があって埋められたとなるからだ、でも東京とかは墓地がないから遠くに墓地を作る
するとそこは土地の因縁とかはない場所なのである
こうして現代人は土地とのつながりも失ってしまったのである
アイディンティティになるものがなくなっている、ばらばらの個人となりアトムとなったそれに拍車をかけたのがグロ−バル経済とか資本主義とかである
そこで通用するのは金だけだからである
金さえあれば国など関係ないとする社会だからである
それでこの辺では多額の補償金をもらった時、仙台市とかに移り住んでそこでアパート経営とかして成功した人がいる、資本金が入ったことでそういうことができた
そこに代々住んでいても簡単に故郷でも捨てられるという時代になった
ただ放射線の被害があると言えば許されるという特殊な事情があったとしてもどこにでも住んでいいとなると東北では仙台市に住みたい人が多いのである
だから震災以後仙台市に移り住んだ人は多いのである

人間は過去とのつながりがあって生きるものである、それが歴史である
歴史という時、国とか世界とかの大きな歴史もあるが個々人でもその人の生きた人生が歴史である、家族でも歴史がある、それは庶民で語り継がれる、それが人間の営みである
人間はそうして家族でも祖父母がいて親がいてと生はつづいてゆく
だから先祖とか歴史と切り離して人間の存在はありえないのである
動物は一代だけの生だけど人間の生は何千年もさかのぼり連綿として続いている生なのである

でも墓が今や取されるときそこに何もなくなりただ物語だけが残るのである
すると物語がhistoryがstoryが歴史だともなる
それしか残らなくなるからだ、遺品とか残っていても庶民になるとそれも価値がなくなるでも物語は語り継がれからそれが歴史だとなる
母の実家はともかく複雑であり闇黒があった、その結果として不和の家であり結局そこに残された者も異常化していた、300万円でその家の長男は「墓を守ってくれ」と言って死んだ、それを託されたのはその家族につながるものだったがその縁も耐えた
私自身も今は墓参りしていない、結局本当に不和の家でありそれが子孫にも影響したとなる、それを頼まれた家族の一員だった女性はその墓をどうするのかわからない
なぜならもう一つ墓を父親の墓もあるからだ

ただその父親の妻はその子を恨んで死んだのである、その子は普通ではない、常識すらない異常化していた、だからその人は人間なのかとも思った
いろいろあっても世話になった母親はひどい娘だわと言って最後に自分に電話してきて死んだのである、本当になぜあんなひどい娘になったのかわからない
まず生活的に貧乏したことはないからである、大事にされすぎたということがあってもなぜそんなになったのか理解できないのである
ただ私の家族ではかかわっていないしもめていたから何かと言えない
その継続として分断されて縁も切れたとなる

その実家の家族での悲しい物語は後妻に来た女性が恐ろしく気が強くて母が語ったのは
「子どもの時俺の作った弁当は食えないのか、実の母親でないからなのかとか言われその弁当をぶちまけられた」これはひどいと思った
私の母親は何かこうして不運というか不幸だったのである
でも最後養老院で目がみえなくなり何か異常化した、そして母を呼んだ
そして「悪かったな」と言って泣いていたという
それからその死体がもともと解剖を頼んだので骨となって自分の家に来た
そして母の実家の墓に埋めたのである
つまりこれがその墓の物語なのである
ただ結核になった兄を世話したのはその後妻だったのである
だからすべてを悪いとはされない、ただ継母でありそういうことがあった
こんなことをされたら一生の傷となったろう
たから母は不幸だったとなる
実家の家の物語はまだつづいている、でもやがて墓は捨てられるだろう
その時何が残るのか?こうした物語だとなる

墓とは何かというとき、そこで必ずそこに生きた人のことを思うことは確かである
そして供養するということは確かである
いろいろあっても死んだら供養することである
そして人は死者の前で厳粛ならざるをえない、死者の前で偽ることはできない
死者は今や冷徹な目で凝視しているからだ、その死者に向かって偽れることはできないのである
だから私が苦しかったけど良かったなとつくづく思うのは特別良くしていれた親に最後介護して感謝されたことである、最後は認知症になった姉もわかってくれた
認知症は正気になることがあるから怖いのである
私に冷たくしてくれたとかわかるのである、それが死んだ後も尾を引くから怖いのである
あなたは墓参りするけど私に何をしてくれた、病気の時冷たくしたことを覚えているよ、良く平気で墓参りできるな、私はあなたの心を知っているよとかなる、そうなると墓参りだってできなとなる、そこに介護の大きな問題があったのだ
介護と死はつづいたものになっているからだ
だから最後に私に感謝してくれたことで救われたのである
それは自分は特別良くしてもらい世話になったから介護もしたのである
十分ではないにしろ努力したのである、それはそれだけの動機があったからできたのである
それで墓参りでもできるし今でも遺影に向かって話しかけている

それが恨んで死んだりしたらどうなるのか?

死者とまともに向かい墓参りでも供養ができるだろうか?

死者は冷徹に見つめているからだ、その心を死者に対して偽ることができないからだ
それは怖いことでもある、墓とは何なのか?
それは死者が訴える場所であもある、死者は何かを訴えている、それはもう声にもならないが訴えているのである、それを具体的に残しているのが墓だとなる
ただ墓がなくなってもその物語はヒストリーとしてストリーとして残るのが歴史だとなる

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墓地に倒れていた墓

俺にも名前がある、俺を忘れないでくれ、捨てないでくれ

最後に墓が叫んでいる

死者は最後に墓として残り訴えている

これも捨てられる墓になる、倒れたまま誰も直さないからである
こういう墓も増えてくる、墓の無縁仏になる
そういう墓を集めている場所もある


2020年09月06日

芭蕉の奥の細道の解説 (なぜみちのくをこれほど深く理解できたのか?)


芭蕉の奥の細道の解説

(なぜみちのくをこれほど深く理解できたのか?)


芭蕉の謎はなぜ奥の細道でみちのくを深く理解したのかということである
東北というとき芭蕉の奥の細道でその紀行文と俳句でみちのくとはこういうものだとまで世間から見るしまた地元でもそうなのである
だからなぜそこまで深くみちのくと共感したのか不思議になる
確かなことはやはり江戸時代に生きていたのだか別に日本人が別な世界に生きていたわけではない、農民中心の社会で生きていたから農民的な資質が日本人を形成していたのである

まず現代の旅だったらこんなに深くみちのくと東北と共感する旅などできない
第一今は豪華なホテルとかに金持ちはとりりリゾート気分になる、グルメだとかなる
そこで金持ちは4,5万の旅館にとまる、旅館というのはホテルでも高いのである
それでコロナウィルスで外国人でも観光客が来なくなりGO TOキャンペーンで半額とか宿泊料を援助したら地元の人たちが泊まったのである
ということはもともと地元の人たちも利用したかったのだが高いのでできなかったのである、これもグロ−バル経済とか広域社会とか東京中心社会とかで起きたことである
何でも金持ち中心にして金で計られるのが現代社会だからである
地元の人より金を落とす外国人が大事だとなっている

それは日本がだけではない外国でも同じなのである、外国に売るために物でも何でも売るためにそうしている、そういうことは江戸時代でもあった
東北では江戸に米を送るために米を生産していた、伊達藩はそうして石巻港から船で江戸に米を送りかえって飢饉になったのは米ばかり作っていたからだともされる
他の作物を作っていれば地元では餓えることもなっかとされる
それは現代だとコーヒーを売るためにコーヒーばかり作っていたらコーヒーの値段が安くなったりすると地元でコーヒーは食料にならないから飢饉になるのと似ている
こういうことはグロ−バル経済で世界中で起きているのだ

卯の花を かざしに関の 晴着かな

白河の関に入りこの句を詠んだのは何か派手な花ではない、人があまり注意しない花である

世の人の 見付ぬ花や 軒の栗

須賀川で隠者の家をたずねたというのも不思議である、何かそれがみちのくにふさわしいともなる、東北人は寡黙であり目立たない存在だからである
派手なものがない、ただ伊達政宗だけは例外だった、それで伊達政宗は東北人ではないとしている、演技しているし役者のようでもあり伊達者として派手なものの象徴となった

伊達とは「豪華」、「華美」、「魅力的」、「見栄」、「粋」などの意味を表す用語。もともと「男立て」のように「男を立てる」こと、意気を示して男らしく見せようとすることを「だてをす(る)」と言った。[1]ばさらやかぶきに通じ、現代で言えばやんちゃに類似する語感であろう。民間語源説として、秀吉に死装束で面会した伊達政宗のエピソードがよく知られる。この俗説から、旧仙台藩領の宮城県民や岩手県南部の住民は「伊達者」と言われる。派生語として、「伊達男」、「伊達眼鏡」、「伊達巻」、「伊達心(華美や遊興を好む心)」、などがある。

宮城県人は語尾にだっちゃとかなるから言葉自体も何か押しが強いとかなっているのだ

でも芭蕉が注目したのは共感したのはそういうことではない、東北はみちのくの庶民は貧乏である、それは西のように大阪城とかのように京都でも豪華な文化が栄えていない、それだけの経済力とか政治の中心地になったこともないからである
だから卯の花とか隠者の家の栗の花とかに注目していた、それがふさわしいともなる
とにかく人間は時代が違うとその雰囲気ががらりと変わるから理解しがたくなる
江戸時代がいくら元禄時代でも新田開発で全国的に豊かになったとしてもその雰囲気を知ることは不可能である

ただ元禄時代は全国的に新田開発で栄えた時期であることは確かである
それで葛尾村にも元禄の碑があり新田開発を記念したものだったらしい。
相馬市の新田にも元禄の碑があった、そこも元禄に新田開発した地域だったのである
つまり元禄時代は全国的に新田開発がされて豊かになった時代なことは確かである
でも東北となると江戸や京都とか大阪の華やかさはないのである
そもそも貧乏で地味なのであり伊達政宗は例外だったのである
むしろ西の豊かさに対して力に対して虚勢を張り伊達者を装ったとしている

ともかくなぜ芭蕉の奥の細道が古典となりその魅力が衰えないのか?
それはその時代でしか感じ得ないものを紀行文と俳句で現したからだ
それは現代では感じ得ないものであり二度と経験できない時代の産物だから価値が増しているとなる、たいがいはその時代の産物でも価値がなくなる
新しいものが次々に出てくると古いものは忘れられる、芸能関係とか大衆的なものはそうである、歌謡曲でもなつかしんでももうその時をなつかしんでも人も歌も忘れられる
現代のように時代の変化が激しいと余計にそうなる

なぜ芭蕉の奥の細道が古典となりこれほど時代を経ても読まれつづけるのか?

●自然との合一

●歴史の人間の無常

●東北人への共感

この三つがあったからだともなる、平泉では歴史の人間の無常を俳句にした

夏草や 兵どもが 夢の跡

五月雨の降(ふり)のこしてや光堂 

ここに平泉が鎌倉幕府に攻められて堂塔伽藍が消失した、それでも光堂は金色堂は残された、それも芭蕉が訪れたときは500年近く過ぎていたのである
だから500年も過ぎていたらそれは遠い過去であり第一地元の人でも忘れていたかもしれない、その時観光などないから余計にそうなる、ただ金色堂は価値あるものとして唯一残されていたとなる
ただ夏草や兵どもがゆめの跡というときまだそこで戦った侍のことをイメージしている
これは今になるとできない、おそらく夏草が今より広く深く茂っていた
そして五月雨が鞘堂に降っていて自然の風化と時間の風化にも消えず残っていたということになる、ここで歴史の人間の無常を俳句にしたのである

それから自然の合一というとき山寺の俳句で

静けさや岩にしみいる蝉の声

これは自然との合一である、岩に蝉の声が一斉に鳴く蝉の声がしみいる
そこには一匹の蝉ももれなく岩にしみいってゆく、その岩という時山寺だと岩の山だから一つの岩ともならない、今でもこの岩は変わらずにある
それから羽黒山に行った時は

語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな

湯殿山は出羽三山の中では奥之院として位置付けられ、羽黒山、月山で修行又は、参拝した後、最後に行き着く霊地とされます。その為、その霊地は絶対に神聖な場所である必要性から「語る無かれ、聞く無かれ」との戒律が守られ、霊地を見た人は絶対にその姿を他人に言ってはいけない。見てない人は絶対に他人から聞いてはいけない。と決められていました 

こういうことも不思議だとなる、霊地とは聖地とは口を身もつつしみ入る場所である
今はそんなことは全くなくなった、あらゆる人が観光目的ずかずかどこまでも入ってくるからである、自然であれ修行の場であれ禁制の場所はない、もう修行の場はなくなった
そこは観光でもうける場所である、それで京都の寺でもコロナウィルスで観光客が来ないとして政府に援助をしてくれとなった、給付金をくれとなったのである
寺は観光の場所で外国人も来て大儲けしていたのである

ただこの句はそもそも東北人は寡黙でありそれで語られぬとは苦労したけどそのことを語らない、それは大正生まれとかは総じて苦労したから知っている
その苦労をあまり語らない、忍従しているのである、それは見習うべきであるとなる
私の母親も大正生まれでそうだった、気質的なものもがあるが忍従を強いられたからだ
江戸時代だったら苦労はみんな相当なものだった、それで農民は労働の苦労を湯治に来て癒していたのである、つまり温泉は観光の場所ではない、日ごろの労働を苦しみをいやす場だったのである、それで東北には湯殿の碑が多い、それは湯治とかに行っていたからである

晩菊やここの村にも湯殿の碑(自作)

湯殿の碑は東北に多いのである、それは湯治で東北の農民が行ったからである、湯治とは湯で治すともありそこは病気療養の場でもあった、温泉の起こりが鹿が怪我して怪我を治すために温泉につかっていたとかが由来があるから同じである
温泉は場所によって効能が違っているからだ
それはつまりホテルがホステスとなりホスピタルとなったと同じなのである
それが今は観光となってしまってのである
だからコロナウィルスでGO TOキャンペーンで半額とか宿泊料を援助したら地元の人たちが泊まったのである
本来はそうあるべきなのだが観光地化してそういう心自体失っていたとなる
ただ金持ちと外国人のためのものになってしまった

だから旅というときとても芭蕉のような旅はもうできない、その土地と共感しえないのだ歴史と風土とか自然とも共感しない、車とかでも鉄道ですら歩いて旅したときは余りにも違っている、途中はとばされた目的地に早く着くことだけが気になる
辺りの風景とか人間に目をとめない、ただ早く早く過ぎてゆくだけである
そして車だとキレる、歩いている人間でも自転車でも目障りだとなる
それはまた交通事故になるから当然そうなるのであり人間が自体が悪いともならないのである、つまり機械によって人間の性質まで人格まで変わってしまったということである
もう現代に情はない、だからその土地の人と自然でも共感する旅はないのである
歩いて旅したり自転車の旅している人は異端者でありかえって怪しいものとしてマークされたりするのである、犯罪者ではないかとまでなっているのである
でも本当の犯罪者は今はみんな車を使っているのである、でも車はマークしにくいのである








秋の蝉、芙蓉(近間の道)


秋の蝉、芙蓉(近間の道)

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今日の真夜中のノウゼンカズラと月


このベンチまた休むや木陰かな

揚羽舞い芙蓉に実り鳩の来る

この道や慣れにし通う秋の蝉 

昔よりありにし家や秋の蝉   


蝶を追い花を見につつ雲立ちぬもう一夏を我は生きなむ  

注-鳩は山鳩である


ここ十年以上近間を行き来しているだけである、人間は最後は近間が大事になる
ついのすみかとなるからだ、近間は若い時から常に平凡でものたりないものを感じて来た自然でもそうである、この辺では高い山がないからものたりないのである
でも人間は平凡な中に感じるものがあり日常は平凡なのである
ただ70年もいきれば必ず大きな事件でも災害でも起きるものだと思った
津浪や原発事故やコロナウィルスでもそうである
70年ごとに人間社会では大きなことが起きる、そして社会ががらりと変わることがありうる、それが今なのである

ただ私の生活は毎日慣れた道を行くだけである、でもそうして慣れた道を行くと秋の蝉が鳴いていると心にひびく、そしてこの家は昔からあった家だなと何でもないことでも感じるものがある
原町では道の駅の脇の公園で木陰のベンチで休んだ、そこで小高の人と話したことがあった、あそこはいい木がありいい場所である
そうして何かあるなんでもない場所でも愛着を感じる
それはもう死も身近にみえてくると人間はどんなささいなことでもそこがかけがえのないものに思いてくる、場にしても人にしてもここにもういなくなるとか人にしてももう会わないとかなるからだ
その時誰しも何気ないものでもいとおしく思うのである

こういうことをまず若い時は感じない、田舎なんか平凡でつまらない、飽きたとかなっていた、それで私のように旅ばかりして遠くに憧れるだけだったのである   
そして顔を知っていた俳優が二人死んだ、70才だった、こうしてともかくテレビで親しんだ俳優も死んでゆく、あの人も死んだのかとなる
いくら長生きでも70ともなれば死ぬ人が多い、でも高齢化だと70以上でも首相になったり大統領になっている、アメリカも高齢化である、80近くで大統領が勤まるのかともみる

芙蓉が咲く道がある、そこに揚羽が盛んに舞っていた、この芙蓉はあまり大きい花でないのでものたりないとはなる
そこに秋となり実りそめた稲穂が色づき垂れる、自転車で行くと涼しさを感じる
ただまだ夏であり夏も感じる、帰ったらぐったり疲れた、それは陽がさして午後からかえって暑くなったからだ 
それでまたぐったり疲れて寝込んだ、まだまだ暑いのである

やはりカメラは常に携帯する必要がある、シャッターチャンスが近くにもある
ただ正直人に見せるような写真はいいカメラでないとだめだなと思った
でもそうなると写真とることで手間になる、いい写真をとることはやはりセミプロになってしまう、雑誌にのるようなものだともう写真とることに集中しないとできない
ただ今では素人でもいい写真はいくらでもでている
でも残念なことは写真はすばらいしのだが俳句とかそえてもそれがほとんど駄作なのである
写真はかえって若い人がうまい、でも俳句とかなると駄作が多いとなる
両方がうまくなるのは結局人間にはむずかしいのである


2020年09月07日

平和とは何なのか?ー原発事故で失われたもの (揚羽舞い芙蓉に実り鳩の来る)ここに平和があった


平和とは何なのか?ー原発事故で失われたもの

(揚羽舞い芙蓉に実り鳩の来る)ここに平和があった

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人間はこのように美しくまた実りがある場所には寄ってくる、山鳩も来て平和だなとつくづく思う
実りとは食料とかになるものがある、生活がある、その地域で成り立っているとか見る
田んぼがあり実りがあればこの土地に実りがあると見る
ただ現代のおかしなのはその土地土地でとれたものを利用していない
米にしても全国から入ってくるからいい米を買って食べる
今は地元の米を食べていない、栃窪は山の方で水がいいからと前は食べていた
今はそうとはならない、農家では食べていてもみんなそうはなっていない
そして原発事故以後この辺の米は飼料米になっている
それはもともとうまいという米でもなかったこともある
米でも全国の競争にさらされて地元の実りがそのまま地元の生活につながらないのであるそれは野菜類でもはそうである、果物でもそうである
グロ−バルに全国的な競争の中で売られているからだ

だから土地と人間が分離しているともなる、それは何か不自然なのである
ではまずい米を食べろとなると地元の人でもできない、農家の人すら遠くでとれた野菜でも買っているとなるからだ
要するに食料でも全国的分業になっている、それで長野県のキャベツ農家は億の金をかせいだとかなる、昔だったらその土地土地で自給するほかなかった
それは江戸時代から戦前とか戦後まもなくでもそうだった
交通の発達でグロ−バル経済になり地域経済ではなくなったからだ
それで小農が多かった、わずかの土地でも利用して畑にして田んぼにしていたのである
そういう小農は成り立たなくなった、だから全国で膨大な耕作放棄地が生まれている
農業といっても簡単にできない、土地があっても簡単に収穫できない
農業というのは土地が資本であってもそこに道具や機械や労働の手間が大きいのである
それと農業はまたいろいろ揃えてもソフトの面がノウハウの面が重要になる
これも簡単に覚えられないし身につかない、それで素人がちょっとした畑をするにもなんにもとれず終わることが多い

そのために農業は代々の農家が継ぐのが有利なのである、そこでは農業するための経験が積み重ねられているからだ、何もない所から始めるのは至難だとなる
江戸時代だとほとんど親の職業についていた、それは江戸時代はあまり変化がない時代だからそうなっていた、職人ですら十何代もつづいていた、その系譜もあるのを見た
だから結婚するにしても同じ職業の人と結婚することが多かった
職人仲間は職人と農民は農民とか商人は商人同士の結婚になる
そうなると安定した生活になる、経営では経営コンサルタントが商人の娘を雇いというときがそうである、全然違った職業になるとなかなか理解できなくなるからだ
でも不思議なのは江戸時代でも離婚は多かった、金銭でやはりもめて離婚になっていた
だからいかに結婚自体がどれほどむずかしいものか知る

ともかくこの俳句でも平和とは何かというとき平和平和とか叫ぶことでもない、カルト教団のように絶えず集まり示威行動することでもない、平和とは日常の状態でありそこに平和がある
山鳩が来る、実りがあり芙蓉が花が咲いている、その時調和した風景をみて心がなごむのである
それを特に感じたのは飯館村だった、原発事故で田畑は荒地になり草ぼうぼうになり放射性廃棄物の積まれた村となり平和な光景が全く失われた
何か先祖が眠る墓まで嘆いているという感じになったのである
そして村人は補償金で分断されて住まなくなった、50億円で5人のために学校を作っても肝心のその子供は村に住んでいないし若い世代も住んでいないのである
平和な光景が全く失われてしまったのである、何か戦争があって荒廃した村のようになってしまったのである

飯館村というとき草深く森深く花が隠され咲いて村は貧しくても何かひっそりと隠されていたとなる、それが荒廃してしまった、飯館村の責任ではないが現実にそうなってしまったということである、そこにはもうかつての平和な光景がないのである
飯館村では山鳩がふさわしいと見ていた、森が深いから森に山鳩が帰る、それが平和に感じられたのである、ただ別に山鳩が飯館村にいなくなったわけではない、でも人間の営みがなくなったとき山鳩とか自然まで影響したのである
自然と調和した村だとすると村が荒廃して自然まで影響されてそうなった
もし自然のままの原生林だったらそうはなっていない、それはそれで純自然を見て感嘆するとなっていたのである、一旦人が住むと人の営みがなくなると自然まで荒廃した感じになるものだとつくづく見て思った

それは南相馬市の鹿島区でもそうである、前にいい古い松原があり実りがあり調和していた、それが根こそぎ松原が流された、そしてソーラーパネルとか風力発電の場であり全くその面影すらなくなったのである、これは津波の結果であり人間の罪ともならない
ただ今では海岸地域も稲穂が実っているからある程度回復したが松原はと戻ってこないともなる
とにかく生業を返せとか裁判したことでもわかる、生業とは何か生まれてある業だとなると農業とか漁業とか林業とかになる、それは自然と密接に結びついてあったのである
職人の仕事でもそういうことがあった
それか根こそぎ失われたということがある、その時平和も失われた
与えられたのは補償金でありそれで平和な光景は回復しなかったのである
ただ遺産争いのように村自体が分断されてまた家族すらばらばらになったのである
それで小高の復興住宅で孤独死があったとかなる、他でもある
そこにかつての平和な光景がない、もちろん昔が理想だとかはない、ただ今と比べると平和な光景があったことは確かなのである、それが飯館村に一番象徴的に現れたのである
それが原発事故のむごさだったのである

とにかく芙蓉が咲き蝶が舞い、実りがある、山鳩が来る、この光景に本当に平和を感じた芙蓉というとき飯館村ににあっていた、大きい花で大らかに咲いていたからだ
人間が自然と調和するとき本当は美しい平和がそこに実現していたのである
とても大都市とか工場地帯に平和を感じないのである、それをすべて否定できないにしてもそうである、それが光景としては平和に見れないのである
ただ現実問題としてそうした村とか飯館村とかで住むとなると苦しい
不便だから住めないと実際はなっていた、時々外部から訪れるだけだからいいとなっていたのである、第一病院すらないのだから不便だとなる
だからまず車がない人はとても今は辺鄙な場所には住めないのである

畑にそ実りのありて花々も美しく映えて平和のあらむ

まず実りがあって花々も映える、その実りが生業でも消失したとき平和は失われた
別に原発事故がなくてもこの辺では耕作放棄地が特に多い、それは全国的で後継者がいなくてそうなった、それは全国規模の経済で農業があるようになったからである
すると一地域でその土地を活かすということができない、でも長野県のキャベツ農家のように実際に全国的に成り立つところは億の金を稼いでいるのである
そして実際は8割の農産物はこうした大規模の農家で作っているのである
だから小規模な農家は経営的にはもう成り立たなくなっているのだ
それが地域地域を荒廃させているともなる、グロ−バル経済で日本の森がこんなに豊富なのに荒廃したと同じである
だからこういう経済は何か不自然であり歪みをもたらしたのである
それは観光のことでも外国人が優遇されて肝心の日本人が優遇されないというのもそうである、それはグロ−バル経済だったらどこの国でもそうなったのである
温泉宿は農民の疲れを癒すものとして東北だったら湯殿とかに湯治に村人が行ったのである、それが外国人相手になったのが現代である
それがコロナウィルスでぱったりと来なくなって困ったとなる
何かグロ−バル経済とかこうした広域経済には問題がある、それがコロナウィルスで見直されたことも不思議だとなる、関所まで必要だとなると昔に戻ることにもなる
昔の様な生活をしなければならないとまでなったからだ

いづれにしろ人間は介護で四苦八苦したが家族が苦しいとか困ったかとかそういう場にはよりつかなくなる、それはみんな経験している
何かそういう人とかかわる被害を受けるし苦しみを受けるし損だと思うからである
でもそこに実りがあり花が咲いて山鳩でも来る、それが平和な光景であり観光客でも来るとなる、もう飯館村とかには行きたくないとなるのが人情だからどうにもならない
荒廃した村で心も荒廃してしまうということである 
原発事故の罪深さはそこにあった、平和な光景を壊してしまったのである

















posted by 老鶯 at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連