2020年08月18日

溜池除染に効果があるのか? (飯館村は利権の場になり除染でも業者が暗躍-かつての面影は消失)


溜池除染に効果があるのか?

(飯館村は利権の場になり除染でも業者が暗躍-かつての面影は消失)

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政経東北8月号

ため池の底の除染をするのであれば、水を抜き、表面0-2cmの剥ぎ取りで、90%以上の除去が可能と思われますが、水抜きの際に水とともに表面の汚染土が流れ出る可能性も高く、また山の汚染落ち葉や土壌の流入により、再汚染が起こると考えられます。
山の除染も含めて、広く考えて対処する必要があると思います。

そもそも溜池はこのように森が放射性物質が流れて来る、除染したとしてもやはり森から流れて来る、するとその汚染源の森全体を除染しなければならなくなる
すると切りなく除染をつづけなければならなくなる
それはまるでシーシュポスの岩の神話のように岩を持ち上げてはまた転がされてまた持ち上げるそれが終らない罰とされたと同じである
放射性物質はいくら取り去るにもそうして無限の罰であり徒労のようになる
第一プルトニウムは二万年とか半減するのにかかると言われるからだ
これだけの罰をこの辺では受けたのである
何かギリシャ神話の再現された場所になった、それは飯館村に一番現れたのである
飯館村はもともと原発の恩恵は受けていなかったが被害が一番大きかったからである

そしてそこが利権の場になったことである
補償金も多額でありまたそこに事故処理するために除染でも他にもバイオマス発電とかでもそうである、そこに郡山の会社がかかわりその人が市議会議員であった
バイオマスでも飯館村の木材を燃やすと放射性物質が煙となって拡散される
事故当時に木の皮の放射線量を計ったら3マイクロシーベルトあったから高いのである
それが南相馬市にも影響してくる、第一放射性物質が例えば新田川の上流は飯館村の中から流れて来る、
すると前に放射性物質のフレコンバッグが破れて流れ出たときそれは新田川でも真野川ても泥に交じり流れてくるのである
だから飯館村は南相馬市と一体化して結びついているのである
それで勝手に飯館村で起きることが南相馬市でも被害となる
また田村市にもバイオマス発電所が作られたのでそれて三春とか福島県内でも全国で団体が反対している
どうしても煙となり空気中に拡散して遠くまでも放射性物質が運ばれるからである

飯館村にはかつての平和な日々は消失した、その平和は実はその暮らしが隠されていたことにあったのだ、その時平和があったのである
おそらく生活的には飯館村は苦しい、でも別に私が行ったからとそういう声を聴いたわけでもない、ただ隠されていてただ花だけが映え森につつまれていたのである
私は別に飯館村の人と付き合いもないし知らなかったからである
ただそういう時が飯館村は隠されて平和な村としてあった
もちろんその時不満があるのはどこでも同じである
でもその声を聴くこともなく小鳥のなく声を聴いて帰ってきたのが自分だったのである

今や本当に飯館村はもうこうして補償金で二分されたり事故処理の利権の場となった
とにかく原発の利権は他と違って膨大だからその利権にあずかろうとする人たちが生れる欲がでてくる、欲が刺激されるのである
それで土木建築関係の会社が暴利を得たとかある
それは犯罪であり警察に逮捕されたとかもある
そうして常にそういうふうに補償金でも金をもらうことしか頭になくなる
復興とは補償金をもらうことであり何か汗して復興事業することでもないのである
そうしして補償金で荒廃したのがこの辺だったのである
特に飯館村は10年過ぎようとしてもそういうことが継続されている
それは被害が一番大きかったからである
菅野村長は年でもあり引退した、病気でもあり相当に疲れたとういこともある
浪江町長も死んでしまった、結局原発事故に翻弄されて終わったともなる

ともかく原発事故は汚染水の処理でも溜池の除染でもその処理作用がとてつもない負担なのである、南相馬市の鹿島区の四方が10メートルなのか狭い溜池を除染するのに3月までかかる、半年以上もかかるとういことが信じられないとなる
それだけの手間暇がまた金もかかるのが除染の仕事でありそれもどれだけ効果あるのかもわからないのである
それはただ無駄金を使っているのかとまでなる
それが仕事となり請け負った会社の利権がまた大きいので政経東北で批判しているとなる                
原発事故というのはこれだけもう除染でもお手あげになるくらいの負担なのである
除染しても除染しても放射性物質は消えない、それは岩を持ち上げても持ち上げてもまた岩が落ちてくる、そうした作業が延々とつづく罰を与えられたのだ
それくらい原発というのは神に反逆したものとして罰を与えられたのである
だからこの辺は本当にギリシャ神話の再現の場であり後世にそれも何千年後にも語られる場所になった、その見本として人類史に刻まれたのである

飯館村とか浪江町とかはほとんど復興していない、帰ったのは一割とかにみたない、
飯館村はそれより多いとしてもほとんど老人である
ただ奇妙なのは老人には放射性物質はほとんど影響しない、それでキノコを食べているという老人がいた、どうせまもなく死ぬとなれば放射線量のことなど気にしないからであるただ致命的なのは子供に放射線は影響が強くでるとか遺伝子に影響するとかが深刻だったのである、なぜならそうなると世代が継続できない、そこで村自体がもう継続できなくなる、町でもできなくなるからだ
コロナウィルスだったら老人が死んで若い世代に影響がないとするとそれで市町村でも継続できないということはない、だからそれほど騒ぐものなのかとなる
今少子化で子供自体が減っている時コロナウィルスでも子供に影響したらもう国すら持続できないとなり深刻なものになっていた

いづれにしろ飯館村は一番残念だった、もう前のような平和な村はない、かつての面影は消失した
こうして何か利権の場になり欲で動く人たちが遠くからも集まり内部では補償金でもめて二分するとかずたずたなのである
人間の欲が露骨に現れてその風景もフレコンバッグとか田畑も荒廃して草ぼうぼうであり神社でも捨てられて幽霊が徘徊している感じになる
猿の群れが人をおそれず歩き回りイノシシがそこらじゅう掘り起こしている
無惨な風景となってしまった、そして奇妙なのは別荘のような新しいこじんまりした家が建てられた、でもそこには人は住んでいないのである
後は古い家は幽霊屋敷のように残されたとなる
飯館村の復興は相当先になる、もう百年後とか二百年後でもみなければならない
その時飯館村に人が住んでいるかどうかわからない、ただ別な形で逆に復興しているということもありうる、それはもう老人にはわかならい、死んでしまうからである

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シーシュポスの岩




posted by 老鶯 at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

契約と免責事故を知れ! (原発の安全神話は人間が作り崩壊した)


契約と免責事故を知れ!

(原発の安全神話は人間が作り崩壊した)


その中に必ずといっていいほど記載されているのが「○○について、当社は一切の責任を負いません。」というフレーズです。こういった、当事者の一方又は両方が責任を負わないことを明言した部分を「免責事項」といいます

たとえばウェブサービスを利用する際にも、実は契約が交わされています。それが利用規約を提示することにより契約の「申込み」を行い、それに同意することによって「承諾」したという形を使った「約款による契約」です



この事件によってデータが消失し、多大な損害を被ったユーザーも多数いたのですが、結局裁判でファーストサーバが多額の賠償を命じられたという話は全く聞きません。
むしろファーストサーバの免責規定が有効に機能したので賠償額は非常に低額に抑えられたようでして、現にファーストサーバは今も倒産することなくサービス提供を継続しています。

第35条(免責)
(略)
6 当社は、本サービスに関連して生じた契約者及び第三者の結果的損害、付随的損害、逸失利益等の間接損害について、それらの予見または予見可能性の有無にかかわらず一切の責任を負いません。

地震・噴火・津波などの天変地異が原因の場合は、多くの保険契約で損害が免責事項とされ、保険金は支払われません。


契約の基本はこの免責にあるのかもしれない、なぜなら責任を問われることが一番問題だからである

例えば契約を正式に手続きを踏まないと給料ももらえない、不払いになっても損になるだけである
知っている人は食堂に雇われても給料が払われなかった、そこは暴力団が関係していたとなる、でも個人だからそうともならない、ただそういう人が経営していたとなる
それを何度も文句を言っても支払われなかった
そこで正式の契約をしていないからである、契約書もないのである
となると雇い主は勝手に給料も支払わなくてもいいとなる
それで六カ月働いたのに給料をもらえなかった、六カ月も要求しなかったのも働いた人の手落ちだった、一か月働いて給料もらえなかったら普通はやめているからだ

ファーストサーバがデーターを消失しても責任を問われなかったのは免責事項のためだった、最初からデーターが消失しても責任をとらないとしていたからだ
インタ−ネットではそういうことが結構ある、データーを消失しやすいからである
でも最近はインタ−ネットでも簡単にデーターが消失しない
さくらレンタルサーバーでは一回だけデーターが消失したが回復したのである
十年間としていてもデーターが消失する危機はこの一回だけだった
だから何か安心できるのである、そして北海道にデーターを保存する建物を作った
それは大坂だと地震とか危険があるからだ
それだけ備えしているとなるとさらに安全だとなる
今になるとデーターの保存は守られている、なぜならデーターの消失はこれは致命的になるからだ
もしデーターがいつか消えるのではないかとなると一番不安になる
だから普通はデーターを自分で保存している、それも相当に手間なのである

いづれにしろ契約の基本はこの免責事項にある
なぜなら会社にとっても何かあった場合そこが一番問われるからである
そこで人が死んだりするからである
だから素人でも法律がわからなくても免責事項だけは見ていた方がいいとなる
何かあった場合、どこまで責任をとるのかを見ていた方がいいとなる

それで銀行でも投資信託とか金融商品を売りつけるとき説明しないというだけで説明責任を問われて裁判になったのである
まず銀行のこの投資信託とか金融商品を売りつけるのは本当にいい商売なのである
絶対に銀行は損しないからである

銀行は損しない、手数料は確実に入る、客が損しても銀行は絶対に損しない!

要するに売るにしても客に対して何の責任もないのである
ただ何かどうしても営業の人が売ることでかかわるからその人間に対して責任を問うようになる、私がかかわったのもそうだった

リーマンショックでその時8年前半分になった株を投資信託のJ-reitに回した
その時私はどうかと思った、でも何の説明もなくその株を回した
それから株はどんどん上がったのである、だから売らずに待っていれば相当にもうかったのである
それ以来その営業の人でも銀行でも信じられなくなった
要するに投資信託とか株を買ってもその責任は一切銀行はとらないのである
全責任はなんであれ客がとるのである
言い訳はいくらでもいえるのが株式の世界だからである
要するに適当に売ってあとでいろいろ言い訳など言えるからである

その営業の人は実際は株式とか投資信託とかでも手続きはできてもほとんど知識として知らなかったのである
銀行では支店長も株のことは知らない、そもそもそういう仕事をしていないし証券会社ではないのだから蓄積がないからである
そしたら株のことを投資信託でも知らない商品を扱うこと自体それは許されるのかともなる
それで奇妙なことにその営業の人が信じられなくなりJ-REITを一月に売ったのである
そしたらコロナウィルスですぐに半分に下落したのである
これにも驚いた、とにかく株式の世界はリスクがあると思った
石油がいいとしてカナダの国債を買った時も急激に石油が下落したのである
これも信じられないくらい下落したのである、だから本当にリスクのある世界である
そのリスクは別に銀行の責任ではない、それで損しても客の責任なのである
だから銀行は何の責任もとらない、説明しなくてもその説明責任もとらない
要するに手数料だけは入ってくる商売なのである
ただそういうものだとして客の全責任で買うほかないものだということである

原子力賠償法でも国でも東電も免責事項があり責任はとらないと明記してある
故に責任はとらず誰も逮捕されていないのである
でも不思議なのは普通は会社があるとして銀行でも客との契約がある

原子力賠償法とは誰との契約なのか?

それは国民との契約なのである、ただわからないのは原発を建てた地元住民との契約があったのか?県との契約があったのか?
地元住民と契約をかわしたのか?、自治体と契約を交わしたのか?
ただなぜ「安全神話」を作りそれを住民に押し付けた、安全神話には何の責任もない
絶対に安全ですよと言ってもその責任はどうなるのか?

要するにこの世のことは人間にはすべて責任がもてない

何が起きるか予測できないからだ

「安全神話」は神が作ったものではない、人間が作ったものだから崩壊したのである
人間が作るものは絶対ではありえないのである
機械を作ってもなんでも壊れることがある、何かの不慮の事故があり絶対にとは保証できないから免責事項が必ずある
実際に国と東電は免責事項があり責任をとらないとしているからだ
だからこそ真剣にならず適当になっていたのである

つまり日本の戦争でも宗教がかかわると天皇が現人神(あらひとかみ)として日本は神の国だから絶対に勝つとなっていた、でも負けたのである
そしたら天皇は神ではない、責任をとれとなるところだった
それで私は神ではないとして人間宣言したのである
何かこれとも似ているのである
常に免責事項があるのは人間のすることは絶対ではない過ちが必ずあるからそうなっているのだ、どうしても不可抗力のことがでてくるからそうなるのである
だから神に対して誓うなというときそれが実行できない、人間に対して誓ってもそれができない、人間は絶えず嘘をつくからである
まさに「安全神話」がそうだったのである、その神話とは人間が作ったものである
また戦争でも天皇が神だから勝つというときそれは人間が作ったものだから負けたのである、つまり人間のすることは不完全さをまねがれないのである
神のみが本当に契約を果たすことができる、だから契約というのが聖書の基本にある
つまり契約とか誓いを果たしうるのは全能の神しかいないということである
人間のすることはみんな信じられない、不完全なのである
コロナウィルスについてもそうである、専門家がいろいろ言ってもわからない
だから何を信じていいのかわからないのである

とにかく原子力賠償法というのもいいかげんだったのである、なぜなら免責のために作られていたからである
そしてその契約とは誰のための契約だったのか?、国民なのか、地元住民なのか、自治体なのか、県なのかそれも良くわからない、第一地元住民にしても自治体にしても県にしてもそこち住民がいる、その住民にその契約を作る時合意しなければならない
でもそうした説明すらしていないのである、専門家は説明しても原子力のことなどわからない、無駄だとなっているからだ
それで一方的に「安全神話」作り危険なことを知らせない、教えないようにしていたのである、もちろん事故を想定もしないから避難指示もしなかった
そのために浪江町では山奥の一番危険な放射線が高い津島に町長の命令で避難したのである、それは全く事故を想定していなかったからである    

地震・噴火・津波などの天変地異が原因の場合は、多くの保険契約で損害が免責事項とされ、保険金は支払われません。

確かにこういうことが免責事故として普通ある、でも原発に適応しにくい
もしものことがありそれが致命的にある、実際に事故になった時、吉田所長は東日本が住めなくなると言っていたからだ、それほどの被害があるものを作ること自体危険であり誰も責任などとれないのである
そうしたら原発を作らない選択こそ安全を計る唯一の道だとなる
そうすれば国でも責任をとる必要がないからである

ただそうして危険なものをそこまでして作らねばならなかったのか?

それは核武装のためであるとなると日本国防衛のために必要なのだとなると別問題になるのである、それは別な論議になる、日本は核武装が必要なのかどうかというと議論であり原子力発電が必要なのかどうかとは違った議論になるからだ
ただ人間の成すことに絶対ということはありえない、それを「安全神話」を作り絶対に安全だとして何の対策もしない、それこそ責められるべきだった  

科学技術は絶対に安全はありえない!

それは人間の作ったものだからである、専門家も神ではないからである
だからこそ人間のすることは不完全だから免責事項が不可欠なのである
あたかも科学技術で人間が神のようになったことが傲慢だった
それが打ち砕かれたのである、それはこれからも起きる
人間は不完全であり未来に何が起きるか予測つかない、コロナウィルスでもそうだった
そして人間は必ず免責事項があっても責任をとらされる
確実に罰せられるのである、それも過酷な罰となったことがギリシャ神話にある
火を盗んだプロメテウスの過酷な罰である

人間の成すことには必ずカルマがあり責任があり罰が与えられるのである
つまり必ず責任を免責しても実際は責任をとらされる
戦争では3百万人が死んでその責任をとらされた、原発事故では空気も土も水も汚染されて故郷に住めなくなるという罰が与えられた
でも国の政治家とか東電が一番責任があるのに罰が与えられていないのである
免責事項があり罰が与えられていないのである
でも歴史の中で時間の中でその人たちも評価され罰せられる
正力松太郎とか田中首相とか中曽根前首相とか地元の原発を誘致した議員とかが罰せられる、すでに地元の議員でも評価がガタ落ちになったからである
犯罪者のように見られるようになったからである








posted by 老鶯 at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連