2020年08月07日

夏の月、ひぐらしー(夏から秋への俳句)


夏の月、ひぐらしー(夏から秋への俳句)

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石黙し庭の日影や黒揚羽   

黒揚羽今日も四五羽やこもる家

渓流に和してひびきぬ蝉の声

村一つひぐらしの声ひびき暮る

ひぐらしや人なお奥に住みにけり

ひぐらしや向かい岸よりひびくかな

夏燕一人暮らしやレストラン

川の水豊かに流れ夏の月

夏の月街中に棲み草深し

涼しきや路地裏の道猫に月


ここに生きここに死になむ命かなひぐらしの声ひびきて暮れぬ


黒揚羽毎日四五羽来ている、庭でも狭いから人一人しか通れない
でも二階だと庭が見えないが下だと庭が見える、すると鳥とか蝶が来るからいい
そこに石は黙している
何か慇懃な黒揚羽がここに似合うのである、そして石は黙しているとは自分のことなのである

自分はとにかく人と会うことが苦手であり会うだけで疲れるのである
それで引きこもりで30年間がいたからだ、その時家族は三人であり二人以外付き合いがなかった、それは人と付き合うのが疲れるからである
ただ自然に接するにはやはり石が黙しているように木が黙しているように山が深く沈黙するように沈黙して自然と一体化する
だから人と会って騒いだりすると自然に接するには自然の声なき声を聴くにはだめなのである
それで「静けさや岩にしみいる蝉の声」となる、ただこれは旅で芭蕉が俳句にした
だから旅でも自然に集中しないかぎりこういう俳句はできない
曾良が道中に一人いただけだからこの句ができた
もし団体旅行で騒いでいたらこの句はできないのである

ひぐらしというとき秋なのである、お盆は秋である
でもまだ夏である、これから夏である、だから暑い、ぐったりして最近昼間は寝ている
でもヒグラシは秋の季語なのである
温暖化とかではないと思うが季節感がおかしくなった
ことしは梅雨が長いのでそうなった、一時は寒いくらいだった
だから今から本格的な夏とみる
ひぐらしが鳴いても秋となると季節感がなくなる
ひぐらしは何か晩年にふさわしい、もう死が近づいている
ここで死んでゆくのだなと自覚する、老人の不思議はもう死があるだけになる
この世とはもう本当に一時的にわずかなの時間いるだけなのである

川の向かい岸からひぐらしの声がひびく、それがなんとも心にひびく
向かい岸にも人が住んでいるとかなんでもないことが心に感じる
老人は感傷的になる、涙もろくなる、なんでもないことでも感じる

二三日前に夏の満月がでていた、それが河原に光っていた
夏草が茂る河原に光っていた、雨が降ったので水は豊かに流れていた
あまり川に水は流れない、でもこの辺では真野川は大きな川なのである
水量が豊かだというとき大陸の川である
また日本でも大きな川がありそういう川に夏の満月が光るのがふさわしいとなる
新田川は浅瀬であり満月を映すとはならない川である
浪江町の高瀬川はいい川である、二つ川が街中を流れている

今日は原町の高見ホテルのレストランに行った
燕が飛んでいた、そこは広いのである、だから距離をとれるからコロナウィルスを防ぐにはいい、他では狭い所があり一回だけ行ったが同じ名の高見食堂がありそこは人が密着する他ない狭さである
日本は食堂でも飲み屋でもレストランでさえ広く場所をとれないことが問題なのである
狭い所で人が密着すればどうしても感染するからだ
だからあそこはコロナウィルスを防ぐ場としては最適である
ただ料理は同じでありあきる

でも一人暮らしはどうしても外食の方がいいのである、簡単でいいのである
料理はとにかく手間なのである、料理に凝ったら後何もできなくなる
プログに書くだけで手間なのである、手間だけは便利になっても省くことはできない
一人暮らしは料理が問題なのである、原町だと一人暮らしにはいい
いろいろ一人暮らし向きのものがあるからだ、まず鹿島には弁当屋もなくなったから困るのである
一人暮らしは気軽である、これから一人暮らしが増えるし増えている
夫婦でもどっちか死ぬと一人になるのである
だからソロ社会になるというのもわかる、一人は気軽である、でもまた一人はいろいろと困ることがある
孤独死などもそうであり一人だと何か家でも誰もいなくなると不安になるのである
それで外出もしにくくなるのである

今は猫一匹と一人の老女とつきあっているだけである
それでも何か人と接することが自分には疲れるから異常だとなる
この猫は餌食べるにしてもなつかない、手がかからないからいい
自分自身がこの猫と似ていたのである
人にかまわれるとか嫌なのである、月の性質がある、猫と月はにあっているのだ

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高見ホテルのレストラン

ここは広い、距離がとれる、悠々として座り食事できる
だからコロナウィルスには場所としては最適なのである







コロナウィルスも人間のカルマだった (スペイン風邪から戦争へ向かった時代を知る‐カルマはくりかえす)


コロナウィルスも人間のカルマだった

(スペイン風邪から戦争へ向かった時代を知る‐カルマはくりかえす)

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人間は過去になると忘れやすい、人間の問題は忘れやすいことである
何か大きな事件があってもその時は夢中になって見ている
でもまもなちく忘れてゆく
なぜ忘れるかというと日々新しいことが起きて変わってゆくからである
それで歴史的に大事なことでも忘れてゆく、それで儀式のようなものでもいいから大事なことを忘れないようにする
もう戦争でも自ら体験した人はいなくなる、するとますます忘れられる
戦争に実際に参加した人もいなくなる
すると戦争の話を親とから聞いただけが戦争の記憶になってゆく

私の姉は従軍看護婦としてシンガポールの向かい側のジョホールバルで四年間勤めた
それは傷病兵を世話するとか地獄の様な場所だった
そこで死んでゆく人もいたからである
最も悲惨だったのは日本軍が負けてジャングルに逃げた時だった
そこで食べ物もないので悲惨だった、そのことを死ぬ直前まで語っていたのはどうしても忘れられないものだったからである

とにかく戦争でも75年も過ぎると忘れられてゆく、この忘れることがまた怖いのであるなぜなら津波は相馬藩内であった、それも400年前であり慶長津波だった
記録として「700人生波(いくなみ)で溺死」と記されているだけであり学者さえ知らなかった、津波の後に発見されたのである、生波とは津波のことである、慶長津波以後に津波となったのである
その津波についてもう誰も語り継ぐものはなかったのである
ただ文書の記録として二行だけ相馬藩政記に記されていたのである

人間は生きても百年生きても短い、なぜなら歴史は長いからである
だから老人でも津波のことを経験していないからこの辺は津波が来ないと確信までしていた、それで老人は逃げなかったとなり死んだ人が多い
つまり百年生きても百年の記憶しかないから津浪に関して全く伝えられていないから来ないという確信になったのである
そういう重大なことでも語り継がれない、忘れられるのが人間なのである

コロナウィルスにしても百年前にスペイン風邪があり世界で実際は4000万人くらい死んだのではないかと言われる、実数はもっと多いとされている
その数には驚く、日本でも38万人死んだということは多かった
大正時代であり人口は今の半分くらいであった
歴史をふりかえるとその前に

大正7年(1918) スペイン風邪が大流行する
          第一次世界大戦が終結
大正12年
(1923)     関東大震災
昭和4年
(1929)      世界恐慌が始まる   

※(1929年10月21日、ニューヨークの株価暴落がきっかけとなり世界的な不況が発生する
明治が終わり大正7年から時代的に暗いムードになっていた
そしてそれが太平洋戦争へと向かっていったと分析する人もいる
何か今の時代と似ていると分析するのもわかる
津波があり原発事故があり約10年過ぎてコロナウィルス騒ぎがあり失業者が大量にあふれるとかその前から日本経済はすでにバブルから停滞して回復していない
それに追い打ちをかけるようにスペイン風邪があり関東大震災があり世界恐慌となる
スペイン風邪が先に来てその後関東大震災が来たからここは逆になっている

私の母は関東大震災の揺れを経験している、百歳まで生きたからである
大正4年生まれだったからである、だから大正時代というとき親しみを感じるのである
明治と違って大正時代は暗い時代でありそれがさらに継続して太平洋戦争になったのかとみる

でもスペイン風邪とか津波のことは忘れてしまうのか?

それは一過生の被害だからかもしれない、津波も瞬間的に大被害となる、でもつづけて被害はない、コロナウィルスでもそうである
それは大被害でも忘れやすいのかもしれない、意外とウィルスのことなど話題にもならなかったからである
でも例えばウィルスでも結核だけは常に語られてきた、それは国民病とも言われ恐れられていた、その被害者が常に家族でも近くでもいたのである
母の実家の墓には25歳とかで結核で死んだ人がいた
その墓誌を見る時、何か生きられなかったくやしさがその年齢から感じる
でも今は墓参りにも行かない、何か嫌になったからである      

同じ親戚でも肺の手術した人がいて生涯はそのために障害者になっていた
それは戦後のことでも結核だったのである、つまり結核は常に身近な病気であり若い人が死んだから悲惨なものとして見ていたし伝えられたのである
戦後にそれがウィルスとして細菌だったことがわかりその病気は消えないにしてもかかる人はまれになった、ほとんどなくなったとも言える              

ただなぜ結核だけはスペイン風邪のように忘れられなかったのか?

それは江戸時代でも明治時代からでも常にその病気にかかる人がいて悲惨なことを目撃していてそれで語られていたのである
石川啄木もその結核で死んで怨念を残して死んだからである
つまり記憶に残ることは継続されることであり一過性だと忘れやすい、それが大きな被害でも忘れやすいともなる
人間はその目でじかに見ているものは語る、でも一過性のものは被害が大きくてもその時だけだから忘れやすいのかもしれない
それで語られずに記録でも記憶でも断絶してしまうのかもしれない
こうして人間は忘れやすいのである、だからこそ忘れてならないものがありそれがわかるのは結局津波でもコロナウィルスでも同じことで苦しむことによって実感する
それがカルマなのである
カルマは個々人でも苦しみとなって現れたとき自覚するからである
何もなければ自覚してないのである

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今の時代はまさに津波でもそのカルマが苦しみとなって自覚させられる
またウィルスでもそうである、忘れていたことでも同じことが起こり苦しむ時そのカルマを自覚するのである
人間は必ずカルマを自覚させられる、カルマはこの世から消えることがない
カルマはこの世の終わりまで消滅しないのである
それは確実である、この世はそういう場所なのである
天国はこの世に実現しないからである
むしろこの世は滅びると予言されているからだ
この世は個々人でも国でも団体組織でもカルマを受ける場所なのである
コロナウィルスもカルマだったのである

ともかく歴史を知ることは大事である、コロナウィルスでも日本でもスペイン風邪で被害がありその前に幕末でもコレラの被害があった
ただそれを忘れていただけなのである、だからどう対処すべきなのか?
それを歴史をふりかえり考える、それが歴史に学ぶことなのである
何か大正時代から関東大震災があり世界恐慌があり戦争となる
その歴史のカルマを繰り返すのかともなる
なぜなら米中冷戦に入りとか険悪な空気が流れて戦争に日本でも巻き込まれるかもしれないからだ、それで時代もカルマを繰り返すともなるからだ   

そして人類が滅びるまでカルマは消滅しない!

これが人間の宿命だったのである、自然災害だってなくなることはないし様々な争いであれなんでもあれなくならない、平和は一時的でありまた争いとなりカルマを業をくりかえす、それが人間なのである
個々人を見ても国を見ても世界を見てもそうである、人間の業火は消えないのである
国と国の平和もありえないのである、そしてその業火は原爆でもあり核戦争となり人類は滅亡するともなる、それが人間の宿命だったともなるのだ

posted by 老鶯 at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層