2020年08月03日

夏の雲とスーパーヒタチ

 夏の雲とスーパーヒタチ

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夏の雲湧きあがるかなスーパーヒタチ一路仙台へ走り去りゆく

午後4時30頃スーパーヒタチが通る、だからその時間にねらって写真をとる
その背景が違うと同じでなくなる
今日は夏の雲が出て光が雲間からさす、ただこのとき電車は相馬市の方へ行く
でも原町へ行くようにも見える、これが写真からはわからない
動画だったらわかるのである
電車がやはり場所を選定してねらってとるととれる
今回は偶然だったがカメラがあったので撮った

連休はいっぱい乗っていたけどまた少なくなった、10名も乗っていない
こういう状態がいつまでつづくのか?
交通関係は苦しい時期がつづく・・・

奈良県の旅をふりかえる (奈良県は人口減少が大きい-奈良は田舎だった


奈良県の旅をふりかえる

(奈良県は人口減少が大きい-奈良は田舎だった)

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人口減少は、各都道府県を代表する都市であるはずの県庁所在地さえ例外ではない。青森市(220位)、秋田市(368位)、長崎市(382位)、奈良市(460位)などは、20%以上の人口減少が予測されている

奈良県= 御所市 宇陀市 大和高田市 桜井市 天理市

これだけ奈良県内の市が減少する市になっている、500以内にある
ここは他より多いと見た

将来「人口が激変する」500自治体ランキング

地理の感覚は実際にその場を踏んだり電車でも行かない限りわからない
何か今や記憶としての旅をつづけている
奈良とか京都には4回くらい行っている
だから地理的に実地に行っているからイメージできる、御所市となると何か駅として記憶したが奈良中心部からかなり離れていると意識した
そこから吉野の方に行ったからである

奈良中心部でも奈良市でも田舎だと感じたのは回りに田んぼがあったことである
これは意外だった、もっと繁華なところだと思っていたからだ

それで奈良市の中心部の郊外に三重塔がありそこに蓮華が咲いて夕暮れに雀が塔にとまっていた

三重塔雀の群れて蓮華かな 

ここは斑鳩町なのか、回りは田んぼだった、ここは奈良市からだと遠すぎるから違った場所だったのか?
ここで写真をとる人がいた、この句のように何か奈良市でも田舎の感じがあった
だから奈良と京都は相当に違っている、京都にはもう田んぼはないからである
だから奈良だと万葉集の昔を偲べるのである

奈良だと御所市を記憶しているのは一時その名前が御所となっているからであった
それで記憶した

一時を御所駅とまり秋の暮

奈良県で最も人口の少ない市、御所(ごせ)市は、大阪府南河内郡との境にそびえる「葛城山(かつらぎさん)」と「金剛山」という2つの山の麓にある町。日本の初代天皇である神武天皇やヤマトタケル、高天原など神話の世界に登場する非常に由緒ある町です。

御所市は置き薬として有名な胃腸薬「三光丸」発祥の地でもあります

『紀氏家牒』の「五処里」の地名は、
「神森」→「御森」→「三室」のことで、このミモリの「御諸(みもろ)」を音読し、
「五処(ごしょ)」→五所(ごしょ)→御所(ごせ)に転じたものか。

江戸時代、“大和の売薬”で知られ、有名な家庭常備薬の製造
や行商に携わるものが多かった。

吉野の近くに「薬水」という駅がありそこが気になっていた

薬水には、「薬水の井戸」と呼ばれている、ふしぎな伝承を残す井戸(湧き水)があります。

弘法大師が、宇陀の室生寺と高野山のあいだをゆききしていたころ、あるときこの村を通りかかると、村の人たちが大勢疫病にかかってこまっているのをみてあわれに思い、このふしぎな井戸を教えてくれたという

ところがそののち、無信の人が、この水で米をといたり、むつき(ふんどし)を洗ったりなどしたので、そのたたりをうけて失明してしまったようなことがあった。それからというものは、人々はこの水をこわがって、ちかよらなくなってしまった

これも不思議な物語である、疫病というのは常に恐れられていた、どうしてもその水を洗濯したり洗い物すると水が汚れる
意外と今は山の清水でも汚れている場合がある、上流で獣が住んでいて汚したりするからである、ばい菌でも出やすい、この辺では清水は放射能汚染で飲めなくなった

秋の灯や電車去りゆく薬水

何かこうして駅名だけが記憶に残っていることがある、特に電車の旅はそうなのである
そしてまた電車の旅も忘れやすいのである
ただ距離的に奈良からかなり離れているなと意識しているし奈良から京都までも一時間とかあったのか結構遠くも感じた、この距離感覚は電車でわかりにくくなる

とにかく奈良は今や関西でも田舎だとされる、でも関西は大坂でも京都でも奈良でも歴史があるから違っている、京都からすぐ近くでも滋賀県は風光明媚で田舎なのである
奈良県は山に囲まれて広い、吉野まであり魅力的である

ただ全国の人口減少地帯になっていた、中心部の奈良市さえ人口減少500の都市に入っていた、また観光地なのにホテルが少ない、京都とはずいぶん違った場所なのである

いづれにしろ旅の記憶をたどるときインタ−ネットは便利である
こういう謂れがあったのかと再確認する、するとより深く知ることになる
でもまず旅はその場所に行かない限り知ることは不可能である
電車でも距離感覚がある程度わかる、地図を見ただけではわからないのである

とにかく私は日本だと隈なく旅しているからイメージできるのである
それで回想して旅をつづけているのである

奈良俳句集

こんな感覚であった、田舎の感じなのである

その時平城宮跡は空地になっていた、今は再現して大門などができた
その時は何もないただの空地だったのである、それすら残されないことにもなっていた
ただ歴史的遺産として残す運動があり残り今は大門などが再現されている
だからまた行ってみれど違った印象になる

大仏に蝦夷の鎮護や秋深む

大仏は蝦夷征伐で日本を統一されると犠牲になった
その人たちの霊を鎮めるためのものでもあったのだ
そして南相馬市の鹿島区の万葉集の歌ともかかわっていたのである
そこでみちのくの真野の草原の歌を偲ぶと歴史としてつながりを感じるのである

人口減少というとき福島県が500の中に入っていないのは解せなかった
震災とかで減ったと思ったが実際は減り方が意外と少なかったのである