2020年08月26日

北海道の寿都町の核廃棄物問題 (3000人の町は限界集落化して維持できない)


北海道の寿都町の核廃棄物問題

(3000人の町は限界集落化して維持できない)

hokkaidouch1.jpg

sutu1111.jpg


popusutu1.jpg
寿都町に確かに行ったことがある、それが奇妙なのだけど記録もないので確かめようがなくなった、岩内町まで自転車で下り岩内から寿都町まで海岸線を行った
弁慶岩とかあるから義経が逃れてやがてロシアの方にわたりジンギスカンになったとかの伝説がある

寿都町の特徴が風がいつも吹いているから本当に風の町である
それは岩内から寿都まで狭い海岸の道を行ったからそれだけは覚えている
日本海側だから日本海に面した本州と気候が似ている
寿都町の歴史が意外と古い、北前船が通っていた江戸時代からあるった
北海道では古いとなる

75 歳以上の割合が最も多くなっています。漁業形態別では、定置底建網漁業では、
40 歳未満が多くなっていますが、浅海漁業では 7 割以上が 60 歳以上となっており、高齢化が
目立ちます。今後の産業の維持のためには、漁業の若返りと人手の確保が必要です。

テレビでは大きな牡蠣の食べ放題とか宣伝していた、昔のニシン御殿を改造して食事する場にしていた、ここで何か売り物になるのはこのニシン御殿と海産物とかである
漁港がありそれが町の中心なのかもしれない、それにしても3000人は少なすぎる
限界集落である、その町が維持できるかとなり放射性廃棄物の処理場が国に指定されてもめているとなる

北海道チャンネルでは反対の立場で応援している、それで牡蠣がうまいと地元で宣伝していた人を取り上げたのである
ここになぜ関心をもったかというと私はここに確かに行ったからである
ただ記録がないから頭に記憶されたことで思い出す、とにかく風が強い場所でありそれでマスコットキャラクター「風太」とかを宣伝している
風力発電もできた、ここは一日風が吹く場所なのである

磯菊や留寿都の風に吹かるかな

海岸にびっしりと延々と磯菊が咲いていたのを思い出している
磯菊がふさわしい場所だった、もの錆びた地域である、家も少ない
泊発電所は岩内町の近くにあり札幌もここでは近い方である

北海道ちゃんねるでは寿都町は公共の建物がそれなりに整えられているから町長の手腕をほめていた、建物は立派なのである
ただこれは飯館村でもそうだが50億円の学校を5人の生徒のために建てたと批判された原発の復興がいくら箱物を立派にしてもそれぶ復興にはならないことも言えた
別に施設が粗末でもそこに人がいれば市町村でも活きてくる
つまり肝心の人がいなくなっているのだ
何か小高でもマルシェとか施設は立派に作ったのである、でも若い世代は帰ってこないのである  

飯館村ではこじんまりした新しい家を建てていた、でもそこには人は住んでいなかったのである、それで別荘だと言われている
要するに建物だけが立派でも復興にはならない、またそれで活気がもどる訳でもないのである、問題は人がいて建物も活きてくるのであり建物を活かすのは人なのである
原発事故の大被害にあったこの辺では肝心な人がいなくなったことが最大の問題だったのである、そのいなくなった地域に立派な建物を建ててもそれで町でも村でも昔の賑わいをとりもどすかとなるとならない
だから不思議なのは戦後焼野原になったとき引揚者が地方に帰ってきた
そこで働く場所がなく不便な地域に開拓に入った
例えば飯館村でもそうである、全国的にそうだった、飯館村の人口を見れば驚く
iidatepopu123.jpg


戦後に増えた、一万一千の時もあった、これはどこでも全国同じである
ということはその時どこでも辺鄙な村でも活気があった、貧乏でも活気があった
団塊の世代は子供で若い人であふれていて活気があった
どこでも子供群れて遊んでいた、それは寿都とかでもそうなのである
人口も6000とかあり更にさかのぼると人口は多かったのである
これは全国的傾向である、ただ北海道の場合は極端なのかもしれない
なぜなら北海道の人口の四割が札幌に集中している
都会に集中してしまうのである、北海道は極端だとなる
なぜ貧乏なのに飯館村で生活できたのかとなると不思議になる
6000人の倍も住んでい時があった、それがどうしてこうなったのか、全国的でもそうであり
時代をふりかえると別に貧乏でも人は生きていけたとなる
今の二倍もの人口をどうして飯館村のような所で養えたのかとなるからだ
ただ山菜だけを食べていたという訳でもないからである

とにかく日本人の問題は少子高齢化だということを指摘する人がいるのもわかる
老人ばかり増えてはどんなことしても昔の様な賑わいをとりもどすことはできない
老人は今毎日病院通いしている人が多いのである
ただこういう場所だから核の廃棄物処理場にするのにはいいと国に見られたのである
それで北海道知事も何も言わないというのはおかしいと指摘する
それはここでも双葉とか大熊地域はもともと森であった場所で仕事がないとして出稼ぎに行かないで暮らしたいとなり東電の原子力発電を誘致したのである
ただこの時はほとんど議論もしない、国と県が結びつき町民でも反対することはなかった漁業者は漁業権を東電に売って事故前も補償金をもらって悠々生活していたのである
事故後も漁業者は補償金が手厚いから暮らしに困ることはない、事故前も御殿を建てて事故後をやはり同じだったのである

そこで寿都町はこの辺と事情が似ていると関心をもった、ただ寿都はこの辺より条件が相当に悪い、もう3000人で町が維持できるのか?
それも老人が多い、そんな町が維持できるのか?建物だけを立派にしても肝心の住む人がいない、若い人は流出した、それは原発事故を起こしたこの辺とにているのである
その条件もこの辺より悪い、この辺だとまだ近くに都市があり働く場所がまだある
そこにはない、ただ泊原発とかで働く場所がありそういう所で現金を収入を得ているのかとなる

ただ放射性廃棄物処理場とかは武田邦彦氏などは安全だとしている
だから原子力発電とは違ったものにもなる、それでもそこは不明であり不安になりふさわしくないとなる、それが漁業者から言われて反対される
でもここでは全くそういう反対の声を聞いたことがないのである
何の疑問もなくただ補償金がもらえるということで漁業権を売ったのである
今その漁業者が反対するのは福島原発の事故があってそうなったとも言えるのかもしれない、一旦事故になるともうその町でも村でもゴーストタウンになることを示したからである

原発には問題がありすぎたのである、核廃棄物の処理でもそうである、とにかくやっかいなものだったのである、でもなぜこれがすすめられたかというと先進国では核の技術をもつことがせまられた、それで福島原発事故後でもベトナムとかイギリスとかに原発を作る予定があったが頓挫した、原発は割の合わないものとなったのである
ただもしこうして原発をやめるとその技術も後退する、つまりもう技術的に後継者もいなくなり維持できなくなる
でもそれが原発の運命だったともなる、あまりにもリスクがあったのが原発だったのである
そして原発をもたらした福島県の政治家の渡部恒三が死んだ、これも原発事故があり最後は有終の美を飾ることができなかった、ただ福島県を汚した政治家とされるだけだったのである、原発はあまりにも巨額の金が動きそれに翻弄されたのである
事故後でもなんで除染に何兆円とかかけるのかとなる、それも徒労のように見える
小さな庭の池の除染に半年以上かける、これも理解しかねるのである
それほど一旦事故になると大被害となりとりかえしのつかない修復できないものとなるのが原発だったのである

それで日本を元の活気ある社会にもどすには人口を増やさない限り無理だというのもわかる
国全体を見れば老化して瀕死の状態になってゆく、それは少子高齢化が最大の問題なのだとしている
それでフィリンピンは安定して人口が増え若い人が増える、減らないとして投資をすすめている記事が他の人も書いていたのである
それはなぜ戦後に食べ物もない、最低限の経済でも活気があったというとき若い世代が多いから貧乏でも国に未来があるとみなされていたともなる
団塊の世代がその象徴だったのである、それも今度は老いてゆきお荷物となり負担となるそうした逆の現象となり国が衰退してゆく
それは危機となっている、この辺で避難区域なった場所が一時ゴーストタウンになったように市町村が消滅してゆく、維持できなくなっゆく危機なのである
流出した若い人は帰ってこない、そして町や村でも維持できなくなっている
そうしたことが原発事故で起きたが他でも寿都でも起きている
それは全国的な問題なのである、危機となっている問題なのである   

衰退する日本を一気に逆転させ国力、影響力を活気を倍増する方法がある

posted by 老鶯 at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年08月27日

Rail way in city

Rail way in city

icedway111111.jpg

iced wall

junguluway1.jpg

palacewelcome11.jpg
Honor Guard in palace

japanesehousewaygreen1.jpg
country way

moonab111122.jpg

trinnightcity1.jpg

真野川に鮎の大群が上ってきた (震災以後見たことがなく2018年に鮎を放流した)


真野川に鮎の大群が上ってきた

(震災以後見たことがなく2018年に鮎を放流した)

ochiaihashi1111.jpg
落合橋から見える


2万年前です。 これは、最近のDNA分析から明らかになりました。 同様にDNAの分析から日本と朝鮮半島そして中国大陸のアユが、同じ種であることも分かってきました。
 実は、2万年前の氷河期、日本列島と朝鮮半島が陸続きでした。 どうやら、その陸続きであった氷河期に日本列島で生まれたアユが、朝鮮半島に 渡り、さらに中国大陸に棲息地域を広めていったようです。

 サケと違うのは母川回帰をしません。 その時に一番条件の良い川を選らで遡上を始めるそうです


 (秋)
川の中流と下流の境目あたりで、アユの一生は始まります。
川底の砂利の隙間にある、小さな卵から生まれた幼魚は、
川の流れに乗って、海に下ります。

秋)
昼間の時間が短くなり、水温が低下してくると、
鮎は再び川を下り、下流付近までやって来て、卵を産みつけます。
産卵を終えると、わずか一年の短い一生を終えます。

産卵に全エネルギーを使った鮎は「年魚」の名の通り、一年で生涯を閉じます。


アジアの東部、すなわち太平洋岸の特産魚で、日本を中心に 朝鮮半島の南部、中国沿岸に分布しているが、石の少ない大陸の川には生息しない。
日本では、関東以西の本州、四国、九州に多く、東北、北海道には少ない。琉球列島では 沖縄本島まで分布している。


一生を一年で終わるから、そういわれる。まれには一年で終わらず、次の年まで生きのびるものがおり、いわゆる越年鮎と呼ばれるものである。鮎は短期間のうちに大人になる。その成長は著しいものである。短期間のうちに大人になるには、豊富な餌が必要である

3月末頃から川をのぼりはじめた鮎は、餌が豊富にあるところを求めてどんどん上流へのぼって行く。良い水アカの付くところは、水がきれいに澄み渡り、水温も比較的高く、水が勢いよく流れている、石がゴロゴロしたところである。

産卵が行われた後に、力を使い果たした鮎は、雌も雄も死んでしまう。鮎の死骸は川に流され、河口のヨドミに沈む。川の岸辺に寄せられた死骸は、トビ、カラス、サギ等の餌食になる。

 シラス(イワシ)漁は沿岸部を目の細かい網を2隻の船で曳いて行われている。そのときシラスアユがイワシと一緒に獲られてしまうというのである。

 稚アユの群れの中には見当はずれの方向に行ってしまうものもあるようで、山口県長門市沖の青海島の北側日本海に面した所に夏のころアユの群れを見ることがあるというし、伊豆の大島あたりでも春頃にアユの群れをみかけるそうだ。

 稚アユは、10億分の一というごく微量でも合成洗剤の臭いを嫌がって避ける
 鮎は流量の多い川を選ぶ

 


真野川になぜ昨日から鮎の大群が遡上するのを見た、でもそれは二三日前でありその前には見ていないのだ
なぜこれだけの鮎が震災から津波から9年過ぎて上ってきたのだろうか。
見たのは真野川の中流地域の落合橋のところだった

●2018年に放流した鮎が産んだ子がもどってきた

●何かの原因で真野川にもどってきた

鮎の寿命が一年だとすると2年が過ぎているとしたらどうなるのか、そういう例はまれにあるからそれもありうる
なぜなら鮎の不思議は鮭とにていて生まれた川にもどるというからだ
でも生れた川からかなり離れて遠い川に稚魚が上っていたのも見られた
だから必ずしもそうではないが一般的には生まれた川に上る

確かに鮎を見ると鮭の小型化したような姿になっている、そもそも川魚でも海に生息していたものが川に上り進化したとかなる、岩魚とかもそうである
だからこそ稚魚は海に出てプランクトンを食べる、ただ海から川へ上ると藻などを食べる両方に生息できる、鮎を調べて一番不思議だと思ったのは鮎は日本列島の固有種のようになっている
それはなぜなのか?朝鮮半島とか中国に川があっても鮎に適していない
朝鮮半島も大陸であり河も大きいからである

氷河期に日本列島で生まれたアユが、朝鮮半島に 渡り、さらに中国大陸に棲息地域を広めていったようです

つまり鮎は日本が原産だった!

これは発見だった、日本は川魚が食料にかなりなってきた、鮎は子供のとき父親がとってきてオカズになった、その時鮎は大きいものだったのである
その後小ぶりになり震災前は釣りしたとしても食料にはなりにくいものになっていた
ただ釣りを楽しむというだけである

日本列島の不思議は大陸との生態系の相違がありそれが独自の文化を育んた
それで縄文人が朝鮮半島にも渡っていたということもありその朝鮮半島人のDNAに縄文人の系統があるというときもそうである
縄文人はそもそも一万年の歴史があるとしたらそうなる
日本語の謎が解明されないのはやはり縄文人が一万年日本列島に生活していたことにあるのかもしれない、大陸の言葉と共通性がないからだ
未だに結局日本語の謎は解明されず孤立語になっている、ユダヤ民族のヘブライ語とも共通性があるとまでなってその元が不明なのである

ともかく現代は科学であらゆることが解明されたとして見ている
でもこの鮎でも鰻でも魚でもその生態は解明されていない、それは依然として神秘的なものである、謎である
人間は自然をすべて解明したわけではない、生物学的にも生態系となると解明されていない、コロナウィルスでも未知でありウィルス自体が生態系から生まれたのでありその生態系とは何か解明されていない、生物は依然として神秘の領域にある
だからこそ生態系を何か知らないのにその生態系を放射性物質で汚したことが大罪だったとのである
なぜなら人間は生態系に依存して生きる魚とも同類の生物だからである
生態系を汚したら空気も水も土も汚染されたら生きていけないのである
それでプルトニウムの毒が二万年も消えないとか空恐ろしい罰が与えられたのである

稚アユ遡上の要因や条件については、”甲状腺ホルモンの影響”とか”水流や流れの音の刺激”とかいろいろ調査、研究されているが、今までのところ遡上行動がなぜ起こるのかそのメカニズムは解明されていない。

”甲状腺ホルモンの影響とは何なのだろうか?原発事故では甲状腺ホルモンではないが
甲状腺が放射性物質に汚染されると癌になると恐れられた、実際にチェルノブエリではそうだった、子供が癌になり手術されたからである
真野川でも環境省で定期的に水質でも水生生物でも調査している
その報告もされているが調べていない、なかなか専門的になると理解できなくなる
ただ私は専門家ではなく、何でも素人として魚でも興味があるからしているだけである
学問でもトータルなものとして見る時面白いものとなる、興味が尽きないとなる
なぜなら神秘的なものとなり謎になるからだ、ただ科学的知識がない文系なので文系的思考になるのである

たた日本の文化というか歴史でも日本列島の成り立ちがまだ解明されていないだろう
それは大陸とは違っている、朝鮮半島は大陸の一部なのである
だから比較的大きな地震がないのである、地盤が安定しているのである
日本列島は地震とか津浪があり大陸とは相当に違った独自に形成された島国なのである
その地理的独自性から日本の地理でも歴史でも生態系でも関係してくるから総合的に見る必要がある、要するに何でも一専門分野に学問を限ると危険になる

原発でもそうだった、原発事故になり生態系が汚染されたら人間は住めなくなる
その基本が無視されたことが重大な結果をもたらしたのである
コロナウィルスでも経済を無視してありえないのに専門家40万人死ぬとか恐怖を与えたそれは総合的に判断しないからである、ただ今や総合的に判断するにしても誰もできないそんな能力がないからである、私自身も科学がからないとしたら何にも言うなとまでなるただ鮎一つを取り上げて調べてもそれが生態系全体のこととかかわり日本列島の成りたちとかかわり縄文人でもかかわるとかなる
つまり何か石ころ一つでも必ず全体と関係してある、それが石一つだけに注意しても調べてもわからないのである

ともかく鮎があれだけ遡上したことは川が震災から9年半過ぎて蘇ったのかとも見た
ただこの原因はわからない、今年に放流した鮎ではない、だからどうしてこれだけの鮎が上ってきたのか?それが知りたいとなったのである
何か近くの人がこの鮎に餌をやっていると言っていた、その人も放流した鮎ではないと言っていたからそうなのだろう
またなぜ水無川の上流にも鮎が前にいたかというとあそこは遡上できない堰がある
だから運んだと言っている、橲原の川にも鮎がいたからである
とにかく9年以上鮎を見ないのに見たということは川が回復したとかとも見た
それは田んぼが回復して蛙の鳴き声は合唱を聞いた時もそうである
そして蛙が増えくるとそさを餌とする鷺がもどってきたのである

それで生態系が回復したと見たのである、田んぼは生態系に組み入れられたものであり
水がそこに循環して稲が育つ、だから田んぼをただ稲をとるものだけとは見ていけないのである、田んぼは自然の生態系の中に組み入れられた自然とも見るべきなのである
だから田んぼがない田舎は田舎だったのかと見たのである
つまり蛙が生きている、鷺が生きる、川に鮎が生きる、それが生態系が復興することなのである
それは宮沢賢治の詩のように生命が人間と一体化するものとして存在することになる
その詩には童話でも縄文的なあらゆる生命との一体感を謳っている
そういう世界を創作できたということはやはり時代でもある
ただその時は貧乏でありその世界をいいものとして見ていた農民などいない
そんな世界に生きたくないとなる、それは江戸時代がいいとしてもそこで暮らしたら地獄だったとなるのと同じなのである

真野川で鮎の稚魚を放流(2018-5-28)
(放射能の心配はあるが・・・)

二年以上過ぎているからこの時放流した鮎の子なのだろうか?
ただ一年で死ぬとなるとそうともならない謎である 

写真はとったが鮎は映っていなかった、ただ落合橋から確実に見える






posted by 老鶯 at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2020年08月28日

夏の真野川の俳句(鮎がもどり流れが変わる)


夏の真野川の俳句(鮎がもどり流れが変わる)


sagikawa1.jpg
mangawanew22.jpg

0chiaibbbb1.jpg

tonbokuro11.jpg

waterwaku1.jpg

ここから水無川の水が湧いてい流れる
nowaterriver11.jpg

水は川を流れていない



夏の朝川きらめきて流れけり

草深し川面きらめき鷺一羽

カワセミの隠れて消えぬ草深し

清流を朝百匹や上る鮎

鮎百匹川にもどるや泳ぐかな

鮎跳ねて川生き返る流れかな

行き交いぬ落合橋に雲の峰 

涼しさや流れの変わる岸に立つ

涼しさや水無川に水の湧く
                                              
のうぜんの夜咲き星の輝きぬ


沖縄や真澄の空にディゴ咲き海青々と赤さのにじむ


7月までは夏と思えなかった、それから暑くなった、朝から暑いけど夏らしい光景になった、鮎が真野川に大群となって上ってきた、それで毎日真野川に行っている
真野川は去年の台風で流れが変わった、砂利と砂場が増えたのである

世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる

この飛鳥川は小川なのである、ただ真野川でもこんなに変わってしまっこというのは同じである

それで川の中に入りやすくなった、そこで見ていたら鳥がきていた、海の鳥であり千鳥かもしれない、そのさえづりが川にひびいた
それからカワセミも見た、この鳥は結構ここでなくても見かける
でも一瞬にして消える、岸の草深い場所に消えてでてこなかった
これを写真にとるのはむずかしい、つまり鳥が常に来る場所でねらっていないととれないからだ

真野川で思ったことは鮎でも大群が上る、鮎が跳ねて川を上る
その時川が活きていると見た、つまり川に魚がいて川も活きる
魚でも何か川に見かけないのである
新田川でも魚を見たことがないのである

川に魚がいて川も活きる

町や村でも人がいて活きる

自然もそうだが町や村に人が住んでいなければ活きない、それは同じだったのである
川に魚がいないとなればただ水が流れているだけだとなるからだ
それは落合橋に雲の峰が見えて人が行き来している、中学校があるから生徒も通っているそれで橋も活きている、あそこの橋は川が下に見えやすい、ところが下の大きな橋は川がにごっている、ここの川は浅く清い流れになっているからここの橋から鮎を見れるのである

それから水無し川はからからだけど堰の下にの隅から水が湧いて流れていた
水無川は流れていなくても下を流れてここから出て来ていたのである
それはなんとも涼しいものだった
近くでも意外と知らないことが多いのである、ここははじめて発見したからである
それで写真とる絵になる場所があると思った
今遠くには行けない、日射病になったことで怖くなったからである
でも近くならいい、近くにも自然があり見るべきものがある
そういう点写真の趣味はいいのである、釣りの趣味もいいがこれはじっとしているので合っていない

とにかく暑い、これは沖縄だと思った、熱帯であり熱帯夜である
それで沖縄にいる熱帯地域にいる感覚になった、夜でも暑い、するとのうぜんがまだ咲いている、星が月が輝いている、熱帯地域にいる感覚になる
星でも熱帯の星である、この辺では熱帯の感覚はない、沖縄を知るにはやはり熱帯の感覚である、だから沖縄は日本では東南アジアであり熱帯であり本州とは別な世界であり魅力あるとなる、北海道もまた別な国の感覚になる
それで日本は熱帯から寒帯まである自然の多様性に富んでいる
大陸などからすると相当に自然自体も独自なのである
ヨ−ロッパだったら熱帯となるとアフリカに行くほかない、エジプトとかもそうである
外国に行くほかないからである

熱帯というとき沖縄だと赤い花が多い、それが似合っている,ブーゲンビリアとかディゴの花とかである、その赤さが空の青と海の青に映えているのだ
ただ沖縄には二回くらいしか行っていないのである
ディゴの赤は赤でも明るい赤ではない、沈んだような赤である
これはインド産だったのである、それでなるほどと思った
インドらしい花である、ブーゲンビリアは明るい花であるがこれは赤でも違った赤である法体地域には熱帯らしい花が咲くしまた花は熱帯原産が多い
この花一つとってもつくづく地域性がありそれが文化を育んでいたのである

この赤い花とヒンズー教とかも一致するし蓮の花がお釈迦さまの花だというときもそうである、そして北海道は高山に咲く花が平地に咲く、寒帯地域だからである
文化はその風土と密接に関係している
それでベ―トベンの音楽を理解するにはドイツの大地を踏まねばならないと言うのもわかるのである、文化とはcultureはcultivateでありその土地土地の自然を耕すことで生まれたものだからである
日本でも俳句とか短歌を理解するには日本に一年最低住んでいないと四季の変化がわからないし肝心の季語がわからないとしたら理解しようがないからだ 

今日もとにかく朝から暑い、それでまた河原に行って写真をとりたい
落合橋の雲の峰は映っていなかった、こういうことがある
だから写真を撮ることはシャッターチャンスが大事になる
写俳はまさに写真と俳句を組み合わせた写生だからである
写生というとき写真と絵は違う、現実の写実が写真なのであり絵はイメージされたものだからである、だから写真を絵にしたがこれは写生ではないのである
なぜなら雲の峰は夕暮れに遠くに見えたからである
雲の峰は夕暮れに今たつ、今日も朝から晴れているから写真とるにはいい
でも遠くには行けない、近くでも夏は変化するから絵になる

digoflower1.jpg

無責任民主主義 (一票には百万分の一の責任しかない―誰も責任はない)


無責任民主主義

(一票には百万分の一の責任しかない―誰も責任はない)

民主主義がなぜ機能しなくなっているのか?
選挙だって投票しても何もかわらないとかなる
それは結局一票の価値とか責任は百万分の一に過ぎないからだ
要するに百万分の一の責任しかないのである
それでも一人が十票分を投票できるとなれば10人分でありそれなりに力をもち責任を持つようになる
だから選挙の時は一票など当てにしていない、団体票を組織票を当てにしている
カルト教団であろうが何であろうがまとまった票を得ることが政治活動なのである
投票する方でも何か一票だからと何の影響もないとなり責任も生じない
要するに投票しても投票しなくても同じだとなっているのだ
だから有名な影響力ある武田邦彦氏などでも棄権している
その人が言論で影響力があるからそっちの方に熱が入る、言論の方が責任があるし影響力があるからそうなる

民主主義の発祥の地のギリシャにしても一万くらいのボリスであり一人一人が見えるような社会で起きた、それが巨大化すると民主主義が機能しなくなる
ただ民主主義は必ずしも選挙だけではない,社会システムとしての制度である
でもその最大の中核となる選挙がもう一票が百万分の一とかなると責任もなにもない
また選ばれる人も一人など相手にしない、マスを相手にする
それは様々な利権団体なのである、それで二階堂氏が観光業者の団体と関係していて
go to キャンペーンを政策にして実行した
そしてその団体から献金を受けるとしている

こういうふうに民主主義は利権団体と必ず結びつきまとまった票を得て当選する
民主主義というとき民が主だとしているけど実際はこうした利権団体が主となっている
そして利権団体化するとただ利権だけを得ようとする
それが民主主義では権利民主主義なのである
権利はもともと権理と明治に訳していた、それがただ権利となった
そこには正義もなにもないのである、利権を得ればいいしかなくなったのである

再三取り上げているけど船主とか漁業団体が漁業権を東電に売り多額の補償金を原発事故前も補償されて原発御殿とか建てていたということが事故後にわかった
だからここだけではない、民主主義とは利権団体の民利主義とかなる
つまりプライベートの意味が奪うという意味でありまさに自分たちの利権のために公の財産を私的に奪う権利なのである
それで公共的なものがそうして利権団体に奪われるものになったのである

例えば入会権でもそうである、それは村の共有地でありそこで山菜でも木を燃料とするにも家の材料にするにも共有であり誰かの土地ということはなかったのである
一個人の土地ではない、今でも観光客が勝手に山菜をとるなというとき資源保護とか村の財産を守るためにそうしている
それは漁業権でも本来はそういうものだったのである
それが明治以降に資本主義となり民主主義となったとき個々人の所有に分割された
そのために今になると無数にそうして個人の土地があり山全体を利用しようとしても
できない、もう誰の土地なのかわからないものにもなっている
つまりここでも公共の共有の土地がプライベートされ奪われてそうなったのである
こうしてかえって山は昔のように入会権があり共有であったのが私的所有にプライベートされて何もできなくなったという事情がある

民主主義が機能しないないというとき自治体でも機能してない
この辺で原発が作られるとしてもそのことについて市町村で議論されない
それがわかったのは小高町にすでに東北電力の原発が作ることが予定されていて事故が起きた年に工事が始まろうとしていたのである
でも小高に原発が作られることすら私自身も知らなかったのである
つまり広く知らされることも議論することもなかったのである
事故を起こした原発でも土地所有者と県の許可くらいで決められたのである
そこには何の議論もない、一方的にただ地元の人たちに「安全神話」を吹き込み一切の批判を許さなかったのである
ここにも民主主義など全然なかった

福島県の報道機関はマスコミとなるが何も機能していない、第一福島民報は出資比率で県が半分であるとしたら県の言うままになり国のいいなりになるだけである
これは日本全体でも報道はマスコミは民主主義が機能していない
何かマスコミはまた巨大な装置をもつ六局が独占していた報道の利権団体だったのであるNHK自体がそうだった、報道するということで巨大な権力、第三の権力となっていたのである、それで宣伝費とかで収入が入る、すると金をくれるところに忖度するとなる
それがわかったのはインタ−ネットとか特にyoutubeの影響が大きかった
なぜならこんな簡単に名もない個人がテレビ局のように放送できるのかと不思議だった
でもマスコミとたいして変わらないしかえって説明など新鮮だったとなる
そういうことはある程度の知識があれば誰でも一個人でもできるということだったのである

今までのテレビ局はマスコミが権力をもったのは莫大な資本がないとできない、それで権力をもったのである
民主主義が機能するにはやはり報道が大事になる、知らされなければそもそも何もわからないし判断しようがないからだ
だから知らないままに20キロ圏内に東北電力の原発ができるようになっていた
そしたら事故になったら住めなくなったのである
これも怖いことだった、でもなんら知らされないし議論もないままに建設が始まるところだった、小高の人でも誰も反対しない、ただ金になるからいいとしかないのである

重要なことが知らされない、議論もない

これでは民主主義も何もない、全体主義の独裁と同じだったのである
日本の報道の自由率はとても先進国とは思えない低さなのである

国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は21日、2020年の「報道の自由度ランキング」を発表した。調査対象の180カ国・地域のうち、日本は66位(前年67位)だった。

これが民主主義の自由の国かとなる、もう江戸時代との見ざる、聞かざる、言わざると同じではないか?
こうしたことから社会は歪められて悲惨な結果となった、戦後アメリカの民主主義を取れ入れてもそれは利権団体主義であり本来の民主主義ではなかった
ただ民主主義という言葉だけであり実質はともなっていなかったのである

要するに利権団体主義となるとき利権だけに金だけに目がゆく、その正当性とかrightに目がむかないのである、それが漁業権とか他の権利でもそうである
漁業資源の保護が本来の役割りとして権利が与えられている、入会権とかでもそうだった権利は権理だったのである、法律でもreasonを重んじる
ただこの理屈となるとめんどうになる、でも万人にでも納得する正当性があって成り立つ団体だからといってすべて通るとなるのも民主主義ではない
でも現実はそんな正当性は関係なく利権団体主義となり数が多いものが権力をもつ
そして一票を投じたとしても百万分の一の責任しかないから無責任になる

また選ばれた議員にしても別に責任を自覚しない、議員自体が利権を得ることを目的として政治家になる、そして何かあれば選んだ選挙民が悪いとまでなる
民主主義では選んだ人にも責任がるとなる
そうしして誰も責任をとらない無責任社会となった
それより侍だったら一心に責任を感じていたから切腹までしたのである
それで庶民は侍になりたくないというのもわかる
そんな責任をとてもとれないからである、原発事故では実際誰も責任をとっていない
官僚でも政治家でも東電の幹部でもマスコミでも御用学者でも何か月給を減らされたとかもないのである  

こうした無責任社会の弊害は大きい、大衆というものも全く責任とは関係ない匿名集団である、それで数学的にも集合にはならないという、駅とかに集まる不特定の集団は集合にならない、それは一時的に集まり離散しているからである
そういう大衆がやがてナチスのファシズムとなったのが現代である
ナチスはヒットラーはそうした無責任な大衆から生まれたとされているからだ
要するに大衆には責任がない、ただ騒ぐだけだとなる

ただデモになり死ぬこともあるからその時はやはり命がけだと責任をとっているとなる
すると投票よりそうしたデモが民主主義なのかとなる
でもそれは暴力になるから民主主義ではないとなる、それでもそうしなければもう社会は変えられないともなれば暴力にもなる
つまり投票では社会は変えられないとなるからだ
民主主義はすでに機能しなくなっている、アメリカでは数パーセントの人が半分の富を収奪しているとかありそれも変えられないとすれば民主主義は機能しない、デモで暴力で変えるほかないとなる、その時民主主義はもう成立しなくなっているのだ
だからそうしてデモが巨大化すると国自体がその暴力によって変えるとなり選挙は無駄だとなり否定されるようになる、民主主義はもう成り立たないのである

ただいくら無責任民主主義でも人間社会は必ず責任を誰かがとらされるようにできている
この辺では原発事故で故郷に住めなくなった、これが最大の被害だった
戦争でもやはり三百万人死んだとか必ず甚大な責任をとらされた
無責任民主主義でも責任から人間は逃れられないようにできている
だから最初から責任をとれるような社会にした方が間違いがないともなる
みんな無責任であっても結局誰かが大きな責任をとらされるからである
それで一人に十票の投票権を与えればそれだけ責任は自覚される
しかし結局平等主義になりそれがまた不平等になるのである
でも民主主義が機能しなくなっている、それを解決するにはどうするのか?
それが問われているのである

利権団体民主主義が社会を歪める
(GO TO キャンペーンもそうだった)

責任をとらされる人が一番真剣になる (責任をとらない人は信用できない)

2020年08月29日

自然災害など人間社会に起きることの不思議 (神からの罰として起きることもあるのか?)


自然災害など人間社会に起きることの不思議

(神からの罰として起きることもあるのか?)
      

死⇒原罪⇒罰

認知症(難病)⇒罰

津浪⇒原発事故⇒罰

コロナウィルス⇒罰

オリンピックの中止⇒罰

人間に起きることは不可解なことがある、なぜこうしていろいろことが起きたのか自分自身の一身上でも不思議なのである
家族が認知症になったことでもそうである、なぜこんな病気に見舞われたのか?
こんな悲惨な病気に見舞われたのか? 
何かALSとかは業病であり神の罰だとか言って顰蹙を買った
カルト教団だと常にそういうことを言うがその教団でもそういう人はいくらでもいる
不運に死ぬ人などどうしても普通の人より多いからそういう場に入り不幸から逃れようとするが実際はさらに不幸になっている人も確率的には多いのである
認知症になって自分は悪いことはしていないと言っていた
でも身内だから言いにくいが傲慢なところがあったことは確かである
その傲慢さが銀行からも金を下せないという悲劇になった
金をいくらためてもそうなったら金の価値は無になってしまった驚きである

でも大概の人は老人ではそういうことを言う、むしろ悪いことをしてきたからそう言っているのだ、まず悪いことをしない人などいないからである
ただ病気がみんななるしその因果関係はわからない
別に信仰深い人でも病気になっているし死んでいるからである
会社だって団体でも悪いことしている、カルト教団自体が宗教を装い悪いことをしているこの世自体がブラックなのである
それで人々の心がみな悪いとしてノワの洪水が起きた
それは神が起こした大自然災害だったのである 
ただ人間はこの世に生まれて災いからまねがれることはできない
ヨブの苦難は神が苦難を与えたのであり信仰の試練として与えた
そして苦難を乗り越えて神に祝福されたのである

個人的にも神に守られるということはある、自分にしても何回か死んでいたようなことがあった、それが死ななかったのは神が助けたのかとなる
お前はまだ死んでいけないとして助けたのかもしれない、ただ死ぬ危険は交通事故にあった、三回くらい自転車で転んで強く打ったからそれで死ぬことがありえた
三本の前の歯が折れた、他でも頭を打って死んでもいいときがあった
でもこの交通事故で死ぬ確率は多いのである、この世では今まではイスラエル民族を神が守った、でも新約時代になると個々人を守るのが神になった

では一身上でもまた社会でもこんなに災いが連続して起きるのか?
津浪などはあまりにも恐ろしいものでありこんな災いは想像もつかないものだった
ただ津波でも三陸では明治に起きていて一万人死んでいるとかある
だから別に今だけに起きたことではない、でも余りにも大きな被害だから神からの罰なのかとまでなる
それが確かに原発事故を起こしたことでそうだったとも解釈した
核そのものが原子核を破壊して熱をだす危険な操作だったから科学者がこんなことするべきではないと言っていたからである
また遺伝子操作などもそうした危険があり何が起きて来るかわからないのである
すると予想もつかない災いがまた起きてくるかもしれない
オリンピックの中止もコロナウィルスで起きた、これも広告屋の電通とかの利権のためにあるとか言われた
オリッピックは平和の祭典ではなくなっていた、商業主義でありもうけのためにするのである
だから中止されてもいいものだったともみた、それよりまだ復興していない東北に力を注ぐべきだと思っていたからだ

人間はそもそも神のタブーを禁止したことをして災いをもたらした
それはアダムが智慧の実を食べた結果として神から罰せられた、原罪を負った
つまり何々をしてはいけないということを神が禁じたことをした結果として災いが生まれたのである
それはプロメテウスがゼウスから火を盗んで過酷な刑に処せられたとかも同じである
タブーを破った結果として過酷な刑に処せられた
それは原発事故でもそうだった、プルトニウムの毒が二万年消えないとかそのために除染しても除染してもできない、森から放射性物質は出てくるからである
それはまるでシーシュポスの神話と同じだと述べた
岩が転がり落ちてきてそれを持ち上げてもまた坂から落ちてきて延々と岩を持ち上げる罰を与えられたのである、それは何の意味もない苦行を課せられただけである
それはやはり過酷な罰だったとなる、カルマだったともなる

この世の謎というとき人間社会に起きることは何かすべて合理的に判断できない
確かにこの世に起きることには原因と結果があり、何か原因があって結果がある
事故だって何か必ず原因があり原因が追究される、そして機械が壊れてもその原因がわかれば安心する、でも原因がわからないと何なのだろうとなる
コロナウィルスなどは正体不明だから不安になっている
どうしてそれが生れてどういうものなのかわからないから不安になる
何でも原因がわかれば病気でも直せるとなり安心する
そのために人間は原因を追究している、それで人間はいつかは死ななくなるとかまで言うことになる、科学が万能になると思っているからだ

例えばレバノンに逃れたゴーンのレバノンであんな大事故が起きて悲惨なの状態になったのはなぜなのか?その原因は何なのかとなる
ゴーンに罰が当たったとかともみる、悪人に逃れる場所がないともなる
その因果関係があるとするとそうなるのか?
神が罰したとかなる、何か宗教の場合はカルト教団でも常に罰があったと批判する人を言うのである、だから政治でも批判できなくなる、レバノンでは宗教政党がいくつかモザイクのように支配していて政教分離していなから政治でも批判できないとしている
アメリカの黒人暴動でもそうである、そもそも奴隷として連れてきたことに原因があるからだ、それがアメリカのカルマとなっているのである

コロナウィルスウィルスでもウィルスとは何なのだろうとなるとこれもやはり神の自然界のタブーを破った結果として自然の復讐だともされる
人間が入ってはいけない、または触れてはいけない生物がすむ領域に侵入した結果として起きたとなる、そして風土病でありその土地土地に限定されたものだったがグロ−バル化でたちまち広がる、だからグロ−バル化とか交通の発達にも負の面があったともなる
つまり何でも原因があり結果があるともなる、それは科学的思考でもある
ただ科学と宗教がありそれは確かに一つの根で共通している
もともとは宗教であっても呪術であってもやがて効果のある薬を植物から見出して飲ませる、すると効き目があるとして薬が発展する、ただ祈ったり護符とか与えても病気は治らないからである
ただの紙切れでも与えるということは今でもどんな宗派でも行われている
でもそんなもので病気は治らないから今は宗教者は信頼されていないのである
それで宗教は衰退して科学技術の自体になり科学者が神官に聖職者になったのである

要するにこの世に起きることに神の関与があるのか?

なぜこのように様々な災いが生れて来るのかという原因がわからないからそうなる
もし科学でも何でも説明できればそうかとなるができないからこそ自然にも人間界にも神の関与があるのかとなる
旧約聖書では明らかに神の関与があり神が自然でも変えて選民であるイスラエルの民を導きだした、救い出したのである
そういう物語が基本的なものとして形成されている、それが奇跡なのである
モーゼでも脱出がテーマであり海を割り道を作ったというという奇跡でもそうである
そんなことありえないというがその奇跡を否定したら信仰自体成り立たなくなる
聖書とは神が人間でも自然でも関与したことを記したからである
ただ新約聖書からはそうした奇跡の物語はあまり記されなくなって科学の時代になったのである、なぜなら結核を治したのは科学者であり医者だったからである
それで科学者が神官になり聖職者になったのである

でもコロナウィルスでも以前として未知のものが生まれるとそれは何なのか解明できないから不安になる、そうなると科学で解決できないととなると祈るということにもなる
それしか方法がないからだ
でもなぜこれほどいろいろなことが一身上でも社会でも起きて来るのか?
末世になるとそうした災いが生まれるというのもわかる
一身上で駅でボランティアしていたがそれで何ら認められることなくかえって駅長にも
地域の人にも認めらなかった、そして怪しい人として警察に通報されたりした
要するに勝手駅に何かするなとされたて終わったのである
そしたらコロナウィルスで鉄道が利用されないという信じられないことが起きた
これも何なのだろうとなる
人と接することができないということも何なのだろうとなる
これも罰だったのかと勝手に私怨として見ることにもなる
宗教というのは何かそういうふうに相手が批判したりすると必ず罰当たるとかいうのが普通でありそれが個人でもそうなり危険なのである
原因と結果を宗教的解釈する、すると科学的思考とは違ったものになる
例え自分に非があっても罰当たったとか喜ぶのである、宗教はこうして悪人に悪用されてきたのも歴史である

ただ神が人間界に関与するというときなぜ第二次世界大戦のような悲惨なことを見逃しているのか?

原子爆弾を落とすようなことを見逃しているのか?

それが不可解なのである、例えば日本が神の国だとしたら奇跡で原子爆弾を落とす飛行機を何らかの力で墜落させてもいいとなるからだ、それもなかった
ただベトナム戦争ではなぜ圧倒的な力があったアメリカが勝てなかったのか?
そこには神の力か働いたのかとなる
聖書では力の強いものが必ずしも勝つ歴史ではない、弱い者でも神が関与すれば味方になって勝った歴史なのである、それを記したのが旧約聖書である
ともかくこの世に起きることはすべて原因結果があるとしても合理的にも説明できない
すると神が関与したのかとなる、ただ神が関与したとなるときこの世を変えることではない、神はこの世から選ばれた人を救い出す脱出させることを奇跡を通じてすることであるだからそもそもこの世を変えることは不可能である 

むしろこの世は欲でもって滅びるとされているからだ
この世が改革されて天国になることはない、滅びがあるだけだとなる
ただ改善の努力はつづける、でもそこに必ず不可抗力なものがある
それはなぜなのか?それは人間の根本的な罪が払拭できないからである
共産主義でも資本主義でも極端な格差社会になるのもそうである
人間の欲が限りなく肥大化してそんなことになる、ほんのわずかな人たちが巨額の富を得てどっちにしろ貧困者が増大していることでもわかる
平等を目指した共産党の幹部が何兆円もの金を得ている
これほど矛盾したこともないのである
つまりどんな主義であれ社会を変えることが不可能なのは人間の欲が消えないからである科学技術でも人間の欲のためにありそれで原発は金の成る木となりあらゆる人が政治家でも官僚でもマスコミでも御用学者でもその欲のために群がった
そこで危険は無視されたのである、それは地元の人たちも同じだった
原発事故の原因もいろいろあってもその中で人間の欲がありそのために事故が起きたともなるからだ


天変地異がなぜつづけて起きるのか?
(悪を暴き出す面はあった、地球を浄化するためなのか?)

2020年08月30日

未来を見通せないで株でも失敗 (パソコンも最初はオタクのオモチャだった-日本は先を見誤り衰退)


未来を見通せないで株でも失敗

(パソコンも最初はオタクのオモチャだった-日本は先を見誤り衰退)

colonaeconomist111.jpg

bankinvest1.jpg

1995年秋にWindows 95が発売された、ところがこの前にパソコン通信が行われていた
前哨戦としてあった、その時私はたまたま富士通のワープロで通信機がついたのを買ったそれは偶然だったのである
でもその時パソコンをしていたのはマニアであり理系のオタクが多かった
だからかえって選ばれた優秀な人たちがしていたのである
そこで前哨戦として開発に協力していた、なぜならその時パソコンは高価であり一台40万くらいしていたからである
私は理系でもないけどそんなことをしていたのはたまたまだった
そして引きこもりで一日部屋にいて暇があるからできたのである
それでワープロで富士通の親指シフトを覚えて親しむようになった

そもそもパソコンを発明したのはビルゲイツとかジョブズとかでありその人は理系のマニアのような人でありそれがこれだけの世界に拡散して不可欠のものとなった
ただその時こんな通信が主流となる世界になるとは予想できた人はいないのである
日本はなぜITで遅れてしまったのか?
科学者が言うには先を見通せなかったとしている
その時アメリカで二人の天才が先を見通していたから今日がある
技術でも先を見通せないと遅れて後進国になってしまう

でもこの先を見通すことが本当にむずかしいのである
例えば時代が変わると産業も変わる、戦前は絹織物が輸出品でありいたるところに養蚕が行われていた、それで今でも養蚕をした家は一目でわかる、兜屋根の家だからである
2階で養蚕をしていたからである
絹織物が主要産業であり私の母は原町紡績で10年間糸取りをして働いていた
それでその原町紡績の工場の敷地内まで引き込み線がしかれていて横浜の方まで運ばれていたのだ、その時原町は平と並んで機関区になっていてこうして絹織物とかまた木材とか石でも資源が運ばれていた、平機関区からは常磐炭田があり石炭が運ばれていた
石炭がエネルギーをまかなっていたからである

戦後は産業が全く変わってしまった、電器製品となりそれが日本で輸出できて高度成長時代を築いた、でもこれもまた産業がITに変わった時日本は遅れることになった
つまりこの先の産業が何になるのか見誤ったとしている
最初はおもちゃのようなものでオタクがしていたようなものが全世界に普及するとは思っていなかったのである
だから先を見誤ることは致命的になるのだ
投資でも先を見込んで投資する、でも必ずリスクがある

それを私は別に投資とか株などする気もなかった、何にも知らなかった
たまたま親が死んで遺産が入ったことで貯金に利子がつかないとかで始めただけである
私は何にも勉強もしないし知らないで銀行の営業マンが投資のプロだと思ってまかせたのである
でもその人は別にプロでもなんでもなかった、素人並みだったのである
第一地銀は株とかにはそもそも経験もしていないし知識の積み重ねとかもないのである
だから支店長が株のことはわからないと言っていたのである
銀行は今まで金を集めればいいだけの仕事だったのである
それが株に手を出して投資信託とかで手数料をとる商売になったのである

株でわかったことは先を見通すことがどれだけ大事なことかであった
なぜならなぜカナダの国債を買ったら急激に石油の値段が下がった
それは今もつづいている石油とかは高いものだっから石油のとれるカナダの国債は安全だと思っていたのである
それがあんなに下がるとは思いもよらなかった、そこでかなり損した
ただアメリカに投資したリートはトランプ大統領になり円安になりもうかってとんとんになった
このうよに急激なにかある株は急落するリスクが怖いのである
ただリーマンショックの時買った株が上がったときそれを今度は銀行の営業マンは勝手にJ-reitに回した、それは自分のノルマがあり売買する度に手数料が大きいからである
その時自分は株が上がっているのに売るのはどうかとも思った
ただ自分で判断せずに営業マンにまかせたのである
結局素人の場合、こうして営業マンによりけりとなってしまう
その人は親身になりまかせる人だったらこうはならない
でもそういう人は滅多にいない、ほとんどいない、銀行のもうけを自分のノルマとか優先するからである
あくまで投資は自分で判断するものであり他人まかせではできない、第一銀行などでは
リスクをとらなから真剣にもならない、ただ適当に売って手数料とればとしかないからである

それでも今度はコロナウィルスでJ-reitが急落した、半分に下がったのもショックだったところが私は一月に売ったのである、それはなぜかというとコロナウィルスで判断したのではない、地銀の営業マンが信じられなくなったのである
それは株が上がっている時勝手に売ったからである
そのことで信用できなくなったので売ったのである
そしたら二月から急激にコロナウィルスで下がったのである
株も下がったのである、その時地銀の営業マンはチャートを見せて今買いだとして株を買うことをすすめてきた、でも営業マンを信じられなくなったからのらなかったし第一コロナウィルスで混乱して景気が悪くなっている時さらに下がるとも見たからである
そんな話しかなかったからである

でもその時買っていたら相当にもうかったのである
このように株式の世界は変化が激しすぎるのである、もうついていけないともなった
そして素人の場合は営業の人によりけりでありいい人にあたればもうかる
でもそういう人はめったにいないし営業の人自身も株の世界はわからない
リスクがわからない、誰もコロナウィルスのことを予測した人など一人いなかったからである、ただこのリスクは営業マンがすべての責任を負うことではない
なぜなら株とういものを理解している人が判断すべきでありその責任は客にあるからだ
だからちゃんと説明することが必要なのである
勝手に株が上がっているのになぜ売ったのかということが納得できなかったからである
それで信頼できなくなったのである、でもそのことがかえってJ=reitを売り損をまねがれたとなるのも皮肉である

株で確かなことは下がった時が買い!

これだけは確かである、なぜならリーマンショックでもあれだけ下がったのに上がったからである、10年単位くらいで上がり下がりがある、だから下がった時は買いなのである
これは法則に近いのである、でも老人になると先がないから投資には向いていないとなる庭に木を売るにしても成長するのに6年だとか8年だとかなると待てないからである
それより成長した木を植えるようになるからだ
先を見越すと言いう時どうしても時間をみなければならない、最低でも10年は必要になるとなると老人には先がないから投資は向いていない
ただ先を見通すことが成功することなことは確かである
それが日本ではできなかったから衰退して没落するとまでなったのである
それで盛んに今政治家は未来を語る、未来のビジョンを示すべきだという
それがないから日本はますます衰退すると科学技術者は言っている
技術に関しても未来を示されないから日本はITで遅れて衰退したとしているからだ

ただ未来を見通すことがむずかしいのは株だったらコロナウィルスを予想した人は一人もいなかった、ビルゲイツなどはウィルスに研究費を出していたからある程度見通していたとなる、未来を見通すという時、例えば米中戦争になるといってもそういう兆候があっても本当に戦争になるか判断できない、未来はどう展開するかわからないのである
つまり必ず未来は思わぬ展開になる
これだけは間違えない、何か私自身のことでもそうだった
引きこもってワープロで通信していたり旅ばかりしていて遊戯三昧の人生だった
でも今になると本当にベーシックインカムでみんなアーティストになれということが信じられないとなる、なぜなら団塊の世代は猛烈な企業戦士として会社のために働いたからである、すると私などはその正反対でありそんな人はその時まれだった
でも今になるとなぜ引きこもりとニートが百万単位でいるのかとなる
それは仕事になじめない人がひきこもる、私の場合は底辺になり流れ作業などばかりさせられから仕事嫌悪症になり旅ばかりするようになった、それも家族に恵まれたからできたのである
でもそうしたことでも今になって役立っている、ところが会社一筋の人は退職すると何が残ったのかとなる?
何か語ることがあり社会に示すものがあるのかとなるとないともなる
それで退職すると妻についてゆくだけで何もやることがないとかなっている
だから人間とはつくづく近い将来でもさらに遠い未来となると見通すことはできない

未来には何が起きるかわからない!

これは銀行が硬い職業で地域ではエリートだったのがもう必要なくなるとかもなるのもそうである、このように社会は変化なのである
自然も変化である、近くの川も去年の洪水で大幅に流れが変わった、砂地が増えた

世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる

世の中に本当に常なるものはない、自然も常ではない、それは津波の被害をみればわかる村自体がいくつも消滅したからである、これほどの変化はなかったからだ

posted by 老鶯 at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年08月31日

雲の峰、夏の海(一羽の鴎の詩-落合橋、金沢の砂)


雲の峰、夏の海(一羽の鴎の詩-落合橋、金沢の砂)

summercloudbbb22.jpg

summercloudbig11.jpg
真野川の落合橋

seasidesand111.jpg

原町金沢の砂浜

クリック拡大




雷鳴りて鮎の跳ねる流れかな

あめんぼう流れつつ輪を描くかな 

夕陽さし落合橋に雲の峰

(電線にとまる鳥)

里の秋烏鶺鴒雀かな


一羽の鴎

砂浜に鴎一羽
遠くより飛び来て
遠くへ去りぬ
砂浜の足跡は
よす波に消されぬ
あとには夏の海が広がり
波は崖に打ち寄せひびく
鴎は空に大海に
かなた飛び去り消えぬ 
鴎は今いづこにありや
ただ波のひびきと
青い空にその一点
白い鴎は消え去りてなし
鴎は天地を宿として
はるかな旅をつづけている  


真野川に鮎が跳ねて上る、その時雷が鳴る、雲の峰が落合橋にいくつか見えた
いかにも夏らしい、昨日はまた暑かった  
鮎が跳ねて上ってゆくのは気持ちがいい、あめんぼうが流れにいくつもの輪を描いてい

でも曇っていたので自転車で金沢の浜に行った
人は結構日曜日なのでいた、それでもっと海に近い場所があり行ったら砂浜が広がり崖になっていた
ここは元の自然のようになっていた、砂浜があったからだ、一応金沢には砂浜がある
右田浜にはなくなっている、松原もなくなったから淋しい
金沢でも前は松原があったのだ
その時まだあの火力発電所はできていなかった、それで烏浜から原町に出る所に自然の砂浜があった、そこを歩いていた
それが全く変わってしまった、自然もこのように大きく変化する

一羽の鴎が飛んできた、砂浜にとまり歩いた、またすぐに遠くへ飛び去った
そして広い海と波のひびきがあるだけだった
何か鴎とかは気持ちがいい、大きな海と一体化したのが鴎である
常に大きな海がある、その海を自由に飛んでいる感じになる

その点人間は自然と一体にならない、何か隣に異常な老女かいて悩まされている
普通ではない、何か不満があり騒いでいるという
今そうした異様な老人が増えている、キレる老人でもそうである
退職すると老人の役割りもなくなる、また子育ても終わると女性の役割りもなくなる
それで何もしないでただ不満をぶつけるだけになる
その老女は本当に異常である、隣だから逃げるわけにもいかない
近所つきあいもしないで何かわけのわからことを口走り変な恰好して迷惑な飾り物をしたりしている、そんな人が警察を呼んだりして苦しめているというのも変である
そんな人のために警察が来ているのも変である
第一何も迷惑かけなくても通報されれば警察は来るというときそうである
結局警察はそうした事情を呑み込めない、土地の事情も知らないからそうなる
それで自分自身も駅でボランティアして怪しいとして通報されたからだ

田舎だとまずその土地の事情を知ることが必要になる
そうしてあまり近所付き合いとか他でも介入することは問題になる
都会のようにはいかないと思う、それで土地の有力者は田舎では有利になる
警察でも一目置くからである、またそうしないと警察でも仕事がうまくできないということはある
ただこの迷惑老人は田舎だからではない、どこでも高齢化で起きているのだ
ますますそうした人が増えてくるのだ

とにかくこうした人間と鴎を比べるとあまりにも差がありすぎる
そんな人間は消えてほしいとなる、でもそういう人間はいくらでもいるのだ
だからなぜ人間はこんなに醜いのだろうとなる
それは常々思っていることだった、動物より人間は醜悪になるのはなぜだろうとなる
蛇のように隠れていればいいが人間は隠れることはない、醜悪でも隠れないのから困るのである

結局なぜ私は旅ばかりしていたのか?それはこうした田舎の人間の醜悪さを嫌悪していたからである、旅をしていれば鴎のようになり接することがないからである
田舎にいるにしても一時的なことでありあとは去るだけだから良かったのである
ただ今は旅はできない、何か疲れてしまったからである
でもつくづく近くでも知らない所が未だにあることの不思議である
あそこの砂浜は注意して見ていなかったからである
今は何かこうした砂浜がない、鹿島にも松川浦にもない、ここはまた砂浜がある
ただ東北電力があるので自然の景観とはならない、でも砂浜が広がっていたので気持ちいいと見たのである

今日は涼しいから助かった、暑くてぐったりして昼間でも寝ていた
これからは自転車で遠くに行けるかもしれない、やはり運動できないことは体に悪いからだ