2020年08月13日

米中戦争の危機 (覇権国になるために軍事力と金融で支配する)


米中戦争の危機

(覇権国になるために軍事力と金融で支配する)


歴史検証が弾き出した「米中戦争勃発確率75%」


「トゥキディデスの罠」として世界の覇権国争いがありそれはギリシャのスパルタとアテネで始まっていた、スパルタが覇権国だったがアテネが力をつけて驚異となり迫ってきて戦争にになった  

海上交易をおさえる経済大国としてアテナイが台頭し、陸上における軍事的覇権を事実上握るスパルタの間で対立が生じ、長年にわたる戦争(ペロポネソス戦争)が勃発した。転じて、急速に台頭する大国が既成の支配的な大国とライバル関係に発展する際に、それぞれの立場を巡って摩擦が起こり、当初はお互いに望まない直接的な抗争に及ぶ様子を表現する。現在では、国際社会のトップにいる国はその地位を守るために現状維持を望み、台頭する国はトップにいる国につぶされることを懸念し、既存の国際ルールを自分に都合が良いように変えようとするパワー・ゲームの中で、軍事的な争いに発展しがちな現象を指す[3]。 
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確かにこういうことが世界史で展開された、世界史は覇権国になるために戦争があった

ポルトガルとスペイン
スペインとイギリス
オランダとイギリス
アメリカと日本
アメリカーソ連
アメリカと中国

これらの戦争は海を巡って行われている、そこで軍事力として強固な船団が必要になる
ただアメリカとソ連の場合はソ連は海軍が弱い、港がない、それで日本との戦争でバルチック艦隊はアフリカ回りで対馬海峡にきて東郷平八郎に待ち伏せされて敗れた
ソ連はまたロシアでも港がないということが海を支配できないことで覇権国になりえなかった
確かに米中の対立も東シナ海に勝手に中国が飛行場とか軍事施設を作る、要塞化して海を支配する、すると米中とかまわりのベトナムとかフィリンピンでも支配できるとなる
なぜアメリカとの戦争が太平洋戦争だったかわかる
海を支配することが世界の覇権国になることだからである
イギリスが七つの海を支配したから覇権国になったのである

そして覇権国になるもう一つの有力なものが金融であり世界で通用する紙幣をもつことである、つまりアメリカが覇権国になったのは軍事力とドルが世界の貨幣となったことでもわかる、この二つを握れば世界の覇権国になる
それで香港が金融市場となりドルが支配する、またドルでしか中東の石油が買えないということも大きな利権となる
アフリカの果てまでドルは通用する、アフリカの部族でもドルは通用する
エジプトでロバに乗った少年がワンドーラ―くれというときもそうである
エジプトは一時はイギリスが支配してボンドが通貨だった  
このように必ず軍事力と金融が通貨でもって世界の覇権国になれるのである
だから中国で独自の共通通貨を作るとかなったときアメリカは警戒するし止めるとなる
中国はこの両方の面で覇権国のアメリカを脅かしているのである

オスマントルコのドラマでスレーマンが王となっていたがそれに従う有力な軍人がエジプトに赴任して独自の貨幣を作りそこにその人の顔を彫って通用させた
それにスレーマンが起こり軍をさしむけて殺したとなるのもそのためである
それはローマ帝国でも地方の軍人が独自の貨幣を発行したりしたときも同じようなことが起きていた
貨幣は支配の標しでありそこに王や軍人の顔が彫られるということはその人が支配しているということなのである
ただ日本の貨幣にはそうした支配する人の顔が彫られていない、だから日本の貨幣はヨ−ロッパとかとは違ったものとして作られていた
ただ明治になると維新の功労者とかが伊藤博文とかが紙幣に刷られた

いづれにしろ覇権国争いがアメリカと中国で起きていて戦争になると警告する
それはやはり世界史でそういうことが過去にも起きている
だからまた繰り返すカルマだとなる、「歴史は繰り返す」となるからだ
ただ中国は海に接している海岸線でも長いけど海洋覇権国にはてったことがなかったのである、あくまでも陸の帝国だった、それが今海洋覇権国となり東シナ海に基地を作りそれでアメリカでも日本でも回りとも対立することになる

だから歴史はくりかえす、カルマはくりかえすとなる、日本は米中の狭間で苦しむことになる
ただアメリカでも中国でもその国内を見れば大災害で苦しんでいる、アメリカはコロナウィルスで苦しんでいる、そういう国が戦争できるのかとなる
内部で国内で苦しんでいる人たちが戦争する気になるだろうか?
そしてアメリカでも中国でも数パーセントの人がアメリカの50パーセントの富をもっているとか中国でも共産党の幹部が富を独占しているとかある
そういう極端な格差社会の国民が死ぬことになる戦争を支持するのだろうか?
戦争に命をかけて命をささげるだろうか?
そして共産党の幹部でも巨額の金をもっているから守りにはいる、戦争したらそうした財産も失うとなるからしたくないとなる
戦争は上の人たちだけでできるものだろうか?
国内で苦しんでいるのにさらに戦争で外部に向かって戦争できるのだろうかというのが疑問なのである
ただ失業したりすると兵士になればそこで食べることはできるとなると志願するともなるそれは別にアメリカのためでもない、金のためにそうするとなる

とにかくなぜ日本がアメリカに原爆まで落とされて三〇〇百万人も死なねばならなかったのか?
これは世界史としてみれば日本がアジアの覇権国ともなり満州の利権をめどぐってアメリカと対立してやはり覇権をめぐる戦争になった
だから世界史の戦争が覇権国になるための争いだというとき米中が戦争になるという分析は納得する、つまり何でもカルマであり繰り返すからである
それは人間の業(カルマ)だとなる、必ず国内でも関ケ原で日本が二分して戦ったように天下分け目の戦いは二つの勢力に分かれる
それは世界でも同じなのである、二つの勢力が必ず利権であれ衝突して争うことになる
それは資源をめぐってもそうである、その覇権争いで勝てば世界を支配できるとなる
するとその国には莫大な富が入ってくる
それが今のアメリカなのである、でも覇権国が変わると世界の富でも奪われて二等国三等国になる 

アメリカでは何百億するクルーザーがコロナウィルスでも売れているという
その人たちは株長者らしい、国民が苦しんでいる時に株でもうけて巨利を得たりしているのも解せないのである、そういう国が果たして国として維持できるのか?
むしろ資本主義が崩壊するという時そうして極端な格差を世界的にもたらした
そういうシステム自体が崩壊してゆく、アメリカでも中国でも貧乏な人が多い、そういう国内事情が両方ともかかえていて戦争ができなるのかとなる
米中戦争になったら両方とも疲弊して経済も衰退する、その時かえって日本が有利になるでもまた日本がその戦争に必然的に巻き込まれて大被害になることもある
日本は板挟みにあい日本国も二分される争いにもなる
ただ戦争になればどっくつかずではいられない、決断が迫られる
津浪原発事故⇒コロナウィルス⇒戦争だともなる
そういう大きな時代の変わり目なのが今なのである 


「富裕層は、所有する富を利用し、貧困層に比べて疫病の流行を跳ね除ける力があります」

別荘もありクルーザーもありとアメリカの富裕層は桁違いでありそういう富裕層に対して不満がつのることは確かなのである、そういう不満な下層の人たちが戦争をする気持ちになるだろうか?むしろそうした富裕層を襲うということにもなる
戦争で死ぬ理由を見出せるのかとなる
ただどうして戦争が起きるのかとなるとこうして世界史では新たな覇権国が台頭するとき戦争になりやいというのは歴史の事実なのである

「海を制するものは世界を制する」と一九世紀後半に説いたのは、当時まだ海軍大国になりきれていなかったアメリカのアルフレッド・セイヤー・マハンであるが、20世紀なかばの世界大戦を経て文字通り「海を制して世界を制した」アメリカの海の覇権状態が、とりわけ中国の南シナ海や東シナ海における活発な活動によって、崩れつつあるように思える

日本がも太平洋戦争でアメリカに敗れ覇権国にはなれなかった、ただその時代から海から空への航空の時代になっていたのである

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2020年08月14日

墓の歴史の再考 (人間は親でも忘れる、墓も継続できない、無縁化する)


墓の歴史の再考

(人間は親でも忘れる、墓も継続できない、無縁化する)

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お墓のゆくえ】 誰とどこに入りたい? 4000人が一緒のお墓に眠る村、抵抗のある人も
8/13(木) 16:00配信

SBC信越放送

みんなで一緒のお墓の理由


「ひとつのお墓に入るのは抵抗があります。ここは嫁いできた村なので私は別のお墓に入りたいと思います。私はこの村に溶け込めずに生きてきました。

他の土地から嫁いできた女性だとそうなることがある
でも別に本当に村で暮らしてもそういうことがあるだろう
ある女性は土地の生まれで生涯貧困であり土地の人に親切にされたわけでもない
むしろ苦しい目に嫌な目にあった人でもある
村人が必ずしも助け合うなどないのである、特に今はない
この村で共同墓地になったのは墓となる平坦な土地が山間でなかったという経済的事情があった、そもそも墓を持てる人は侍とかでありそれも個人名で記されている
家族墓というのは明治以降天皇制国家となったとき作られたものなのである
強制されたものなのである   

だから江戸時代までは家族墓はない、一家の墓はない!

ただ夫婦の墓などはあった、それは明治になっても継続された、夫婦墓は良く見かけるからである
何か私は必ずその土地に行って墓を見ていたのである
つまり墓から郷土史というのが見えてくるからである
そして墓と文書の記録とは違う、墓には人間の実物が埋まっているという感覚になるからだ、結局人間死んで残るのは普通は墓だけだとなる
最後に墓が生きていた標となる
本当に人間は家族でも肉親でも60年一緒に住んでいても死ぬとたちまち不確かな存在になる、私は特別親でも良くされたから家族に深い愛情と思いをもっている
それでも10年とかすぎるとどうしても記憶も薄れて忘れてゆくのである
それで親でも残した財産の方が大事だとかなるのもそのためである

人間の結びつきでもこの世でははかない、親戚関係でも兄弟でもないしもともと薄かったからみんな切れた、これも全くはかない関係だったのである
この世の人間関係も無常であり無情なのである
永続するものがないということである
でも人間はたちまち死んで消えるが不思議には土地は消えないのである
土地には場所には永続性があるのだ、一万年前でも一億年前でも土地は場所は消えない
同じ場所が永続している、すると人間一代などあっというまに終わる
でも土地だけは消えない、それで歴史を偲ぶ時、その土地に外国でも立つことができる
でもそこに生きた人はもう誰もいないのである
めまぐるしく人間は変わってしまうからである、次々に生まれては死んで人は変わってゆく、でも土地には永続性がある

日本がでは姓という時、血縁から起きていない、村の地名が姓となっていた
つまりその村の地名が姓となり一族となる、小林村とあれば小林姓になっていた
只野姓は郡山の多田野村から起きている、日本では姓をたどると村の地名にゆきつく
どこどこの村の出身というのが日本人のアイディンティティだったのである
そして墓も作れない時代は村の共同墓地に一緒に葬られたのである
それがこの辺ではホトケっボとか言われた、または地図では仏方として記されている

とにかく墓でも嫁いできた女性の三分の一が夫の系統の墓に入りたくないというのは驚くそれはなぜか?やはり村になじめなかった女性のように嫌なことが多かったからそうなるだから現世の続きとして墓にも一緒に入りたくないとなったのである
正直人間社会で何か助け合うとか愛し合うとかそんな甘いものはない
村だってそういうことがある、この世に理想的な世界などそもそもないからである
理想的な世界は天国にしかないのである
それはこの世だったら常に心でイメージされるしかないし現実にはない
この世では常にどこであれ醜いものと接するからである
それで私は人間嫌いであり自然と接してアイディンティティ化して人間とは極力接しない生活をしてきた、60まで引きこもりだったのである

ただ共同墓地を作りそこで墓友とかになるとかあるがそれも不自然だろう
もともと昔の村だったらいろいろあってもそこで共に生きたという歳月がありそれで一体化する、墓友となると不自然になるのである
墓とは何かそれも個人墓でないとしたら共同性としてあったとなるからだ
でも江戸時代にはかえって個人墓であり侍でも一族の墓がないのである
かえって明治以降家族墓一家の墓が生れたのは実は天皇制国家として家族が組み入れられたからである、むしろ村の共同体中心の社会だったら家族墓は不自然になる
そこに何か墓に対して相当な誤解が生まれているのである

いづれにしろ墓参りというときそこに死んだ人がなおいるという場所なのである
だから私の兄は交通事故で死んだ、だから六万で碑を家族墓の脇に作った
でも骨もなにもないのである、でも墓を作ったことでそこにいるとして墓参りしているのである
娘はいたとしてもひどい目にあったとして何の思いもない、墓参りしてくれとして10万くれたが来なかった、ただ十万欲しかっただけなのである
こうして親の関係でも金で簡単にきれる
「金の切れ目が縁の切れ目」であり無常である、死んだ人間はもう金をくれないからである、すると関係ないとなってしまうのである
この世はこういう場所であり家族でも親でも忘れられる、それで墓参りというときお盆でも義務としても墓参りすることに意義があるとなっているのである
そうしないと他に死んだ人でも忘れられる、記憶から消えてゆく
戦死した人でも関心が薄れてゆく、語る人もいなくなる、そして恐ろしいものはそんなことがなっかたとまでなる

人間は本当に忘れやすいのである、第一人間は死ぬと確実に加速して忘却されてゆく
これをまねがれないのである、だから死ぬとこういう人が生きていたのは事実なのかとなる、百年前にでもこの人が事実として生きていたということが驚きにもなるのである
たいがい名もない人は忘れられるからである、また墓が残るとしても今は跡継ぎがいないとか無縁化する、墓を集めた無縁仏もある、つまり墓は破壊して捨てにくいからそうなっている、要するに人間は最後は人間は無縁化する、そんなに長く家はつづかないからである、だから墓は立派なものにする必要はなかった
卒塔婆の様な碑だったら簡単にとりさることができる、その方が良かったとなる
むしろ共同墓地だと昔の村の墓地のように誰かが縁ある人が墓参りするとなるからいいとなる、だから永代供養などできない、その寺自体が消失してゆくからである
つまり人間は無常からまねがれえないのである

墓の種類  

先祖代々でつないでいく「継承墓」
一人で眠る「個人墓」
夫婦二人だけで眠る「夫婦墓」
二つの家系が一緒に眠る「両家墓」
管理の手間が省けて他の人と眠る「共同墓」
樹木やお花の下で眠る「樹木葬」
手元で供養をする「手元供養」
お骨をパウダー状にして海に撒く「海洋散骨」


墓でもこのように多様なのである

お墓の歴史!縄文時代から現代まで15000年を振り返る

ここで注意しなければならないのは家族墓や一家の墓は明治以降に天皇制ができて普及したものであり歴史が浅いとういことである
だから家族墓が核家族とか時代の変化で継続できなくなった
寺もその役割がなくなってゆき維持できなくなる
結局いろいろ墓にこだわってもこの世にあるものはみんな無常化をまねがれないのである

2020年08月15日

太平洋戦争の原因の追究―文明論として (長い目で歴史的視野で見るべき)


太平洋戦争の原因の追究―文明論として

(長い目で歴史的視野で見るべき)


人間に起きることは必ず今起きていることでも過去と関係している
過去が原因になって今起きることである
だかちら今起きていることを今に原因を求めてもわからないのである
病気でもすでにその前の生活に原因があるとされる
不摂生な生活をしていると必ず60以降に病気が現れる
人間は必ず60以降になるとどこか病気になりやすいのである
人間の生活も積み重ねなのである
体でも心でもそうである、いいにしろ悪いにしろその積み重ねが老人になって現れる
人間は天才でないかぎり日々の積み重ねが人間を作る
知識でも日々探求して積み重ねればそれなりのものになる
それは必ずしも生まれつきでもないのである
そして人間は時間だけは平等に与えられている
金がなくても時間だけは平等なのである
だから金持ちでもその時間を活かさなかったらやはり後年何も残らないとなるのだ
金持ちでなくても時間を活かせば何者にかなるのである
その時間がたちまち過ぎる、時間が飛んでゆくのである

このように人間に起きることは継続したものとして見なければならない
だから何か戦争でも突然起きたように見る
それで歴史的に見るとは長い時間で見るということである
それも世界的視野でみる、空間的に時間的に見る

するとなぜ太平洋戦争が起きたのか?      

それはまずインドをイギリスが植民地化した、七つの海を支配するイギリスの侵略がアジアにあった、だから今でも英語を話すのがアジアに多い
そこはイギリスの植民地だったからである、ネパールでもガイドが英語を話ししていた
インドでももちろん英語を話ししている、ただ今はみんな英語が公用語ではない、ただなぜ英語がこれだけ話されているのかはイギリスが世界を支配した時期があったからだ
英語が何か世界の合意で世界に通用した訳ではない
現実に日本語がパラオとか台湾とか朝鮮でも話しできたのは日本がそのとき支配して教育したからなのである、今でも日本語の教育を受けた人たちは日本語を片言でも覚えていて話ししたりする
だから英語が共通語になったのはイギリスが植民地化した国がそうなったのである
もし世界の共通語を作ろうとしたらエスペラントになるのである
それは国の力関係とは関係ない平等なものとして作る人工語になるからだ
英語だとどうしてもイギリスとアメリカが有利になる
その国の人たちは労せずして英語がネティブなのだから有利になる
ところが日本人だと英語を覚えることだけでその労力が大きすぎるのである
その時間を別な勉強にふりさけば有利になる

結局世界史的視野と時間軸で戦争をみれば確かに最初にイギリス帝国が七つの海を支配してアジアを植民地化した、その最初がインドであり次に東南アジアであり次に中国だったのである
アジアに対して欧米が侵略したのが世界史からみればそうだった
だから日本が最初敵と定めたのはイギリスだったのである、それで私の姉がシンガポールの向かい側のジョホールバルの赤十字病院に従軍看護婦して辛酸なめたはのはそのためである、その時シンガポールは昭南島と呼ばれていたのである
イギリスに向かって最初その拠点ともなった地点を攻撃して勝利した
それは大きなことだった、なぜならそれまではヨ−ロッパにアジアはどこも植民地化されていたからである,ベトナムはフランスでありカトリック教会があるのはそのためである

そこで唯一植民地化されていなかったのは日本だった!

日本だけがヨ−ロッパの挑戦を受けて唯一植民地にされなかった国なのである
だからこれは特筆すべきことである、それで明治維新を欧米でも評価している
明治維新はだから奇跡的なことでもあった
圧倒的な力の差があった日本がなぜ植民地化されなかったのか?
ヨ−ロッパ列強によって大航海時代から世界は北アメリカや南米のメキシコでもペルーでもスペイン,ポルトガルによってあっけなく滅ぼされた

だから世界史的視野でみるとヨ−ロッパ文明に対して

日本だけが植民地にならず日本文明は対抗できた!

これは特筆すべきである、そこでなぜ日本だけがそれができたのかと問題になる
それも歴史的時間軸で考察すると江戸時代300年の歴史がその土台にあったとなる
つまり明治維新というのが成功したのは江戸時代がありそこから考察しないとわからないのである
歴史は連続している、人間個人でも必ず老人になればわかるが何でも積み重ねでありその結果として人間でも知識でも技術でもなんでも作られる
また悪いことでも何か必ず因果がある、そして遂に人間の運命も不可解だから前世の因果が今に現れたというカルマ論まで成り立つのでるあ
必ずカルマは苦しみとなって現れるからである
そして個々人でも個々の家族でも必ずなんらかの業(カルマ)を背負っているのである
それが60以降に現れやすいのである
自分自身が四苦八苦したからそれがわかったのである

このように時間の断片とか空間の断片とかで歴史を見ないことである
だから歴史は地歴になったのである、地理は空間であり歴は時間なのである
そして不思議なのは明治時代に日本は一番精神的には高揚した時代だったのである
それはインドが植民地化されて中国も植民地化された
あのような大国が植民地化されたのである
その他のアジアの小国は当然植民地化されて抵抗できなかったのである

主義の政治家は宇宙自然の理に基づいて国是を定む、彼は地理によって天の摂理を察し
歴史によりて国民の天職を考え、時と所を処するに彼の良心と信仰を以てす
彼は国運を恒星の示導に繋ぎ、成否を上帝の聖意にまかす、彼は詩人の大いなるものなり理想を衆生の口に謳う、彼は画伯の秀なる者なり、雄志を地球上に描く、彼は正義のために人類全体の幸福を欲して人類のために国家を愛して故に彼は争闘をつつしむも衝突を恐れず公儀を正すに敵の強弱を考えず・・・・
(内村鑑三ー時勢の観察)

なぜ明治にかえって世界的でありこうした世界的視野で日本が指導的先導的役割りを意識しえたのか?
それは結局その時アジアはヨ−ロッパ列強に植民地化されていたからである
インドでも中国でもそうだったからである、その時唯一植民地化されなかった独立した日本が結果的にそうなっていたのである
そういう時代がこうして内村鑑三でも他でも世界的視野でアジアの先導者として意識されていたのである、それが日露戦争でロシアと引き分けたとか勝利したとかなり余計に日本は大国の道をつきすすんで太平洋戦争に突入したのである
そういう歴史の継続した流れの中に太平洋戦争を位置づける

ただ現代はかえって日本はアメリカに負けてそうしたアジアの先導者だとか世界を視野にした思想は生まれない、要するにアメリカに負けた結果、アジアがイギリスなどの植民地化したように植民地に似た状態にされたのである
その相違は余りにも大きいものだったのである、それでアメリカに負けた結果として
こうしたアジアの先導的役割は消失してかえって一小国の島国となってしまったのであるだから何かこうした雄想は生まれないし時代に合わない、そこに意外と明治がかえって世界的視野があり現代にはないというこれだけグロ−バル化しても起きている
ただ内村鑑三は日露戦争に反対したから太平洋戦争にも反対した
となると非国民となり罰せられていたとなる   

人類のために国家を愛して故に彼は争闘をつつしむも衝突を恐れず公儀を正すに敵の強弱を考えず・・・・

争闘をつつしむとあるからそういうことになる、でもやたらと国家とか人類とかなると今では似合わない、その時代は戦争負けるまで国家なくして個人も家族もなかったからである、すべてが国家のためにあった時代だったからである
それがアメリカに負けてから日本から逆に国家が消失したのである
高度成長時代でも国家はない、あったのは企業戦士となった会社になったのである
それで一時ジャパンアズナンバーワンになったのである
それは経済大国としてであり明治はアジアの精神的指導者としてあった

でも戦後は日本はアジアの犯罪人のようにされて常に中国から韓国北朝鮮から謝罪しろとなるだけである、それはアメリカに仕組まれたものだともなる
なぜなら人道を言うならアメリカの原爆こそが何であれ決して許されないものだからである、アメリカのしてきたことはベトナム戦争でもイラク戦争でも人道的には許されない
そういう国が人権を言うことができるのかとなる
このカルマは消えることがない、それでアメリカは核兵器で自国を守ろうとしている
そうして北朝鮮でも中国でも核攻撃を一番恐れているのはやはり原爆を落としたカルマなのである、原爆を落としたアメリカは終生核に怯えなければならない
そして日本の原子力発電でもアメリカの要請があって作られたとなると何かここにも因縁を感じる

いづれにしろ世界史からみればカルマ論になれば別にアメリカが正義でもなかったのである、第一アジアをヨ−ロッパ列強が植民地にするのが正義でもなんでもないからである
それでコロンブスまでは侵略者だったと差別だったとしてその像が倒されていることでもわかる、歴史は常に見直されるからである
アメリカこそが人道に反する国だったのである、それなのに日本の戦争は人道に反しているとか責めて正義はアメリカにあったというのはただ力関係でそうなったのである
力があるものが正義だとなっているのがまた歴史だからである
ただカルマ論としての世界史となると米中戦争になり中国が日本のように戦争に負けて属国になるようなことがあれば日本の苦しみを理解することになる
本当は日本と大東亜戦争と言われるようにアジアの大義のために欧米と戦うべきだったからである

なぜ日本だけが中国と韓国北朝鮮から責められるのか?

中国に原爆が落とされればそれが変わるということである
欧米こそ責められるべきであり日本がではないのである
ただ中国と日本が同盟するかとなるとできない、結局また日本は中国の属国となりさらに悪い状態になる、奴隷化にもされる
右なら中国よりアメリカの方がいいとしているからだ
日本が大東亜連合を謳ったが今度は中華帝国の再興の中で日本はその朝貢国に戻るともなるからだ

ただ今世界史的にみれば西欧文明とアジア文明と日本文明を止揚するアウフヘーベンする第3の文明が勃興する、それは実は明治にそういう役割を日本がになっていたのである
だから日本はその時、何かアジアを導く、人類とかを視野に入れた世界的なものになっていたのである、別にグロ−バル化していなくてもそうなっていたのである
ただそれは指導的役割をになった人たちである、庶民はそういうことはなかったにしろ日露戦争ではそういう気分があり日本は大国となったということでその奢りがまた大東亜戦争に向かわせたのである
ただ確かなことは日本はかえってグロ−バル化しても何か明治のような気運というか壮大な雄志とかを失ったのである、小市民的安寧しかないとなる

それはアメリカに負けた結果としてそうなったのである
帝国主義ナショナリズムは否定される時代になったのである
ただ本当は精神的には芸術の分野とかでは本当は今こそ西欧文明と東洋文明が合一したアウフヘーベンした世界が生れる時代だとなる
それはインタ−ネットとかでもそうである、知識の世界が膨大に広がったからである
庶民でも外国旅行に行ける時代になり実際に見聞できるからである
それで私は50以降バックパッカーになって世界を見てきたことでもわかる
それで多少国際性が身についたのである
ただ外国で生活した経験があるものとは相当に差がある、つまり仕事で外国で生活した人は肌で世界を知っているからだ 

主義の政治家は宇宙自然の理に基づいて国是を定む、彼は地理によって天の摂理を察し
歴史によりて国民の天職を考え、・・・

つまり地理と歴史を空間と時間の中で国の方針を定める、それはやはり変わっていないのである、日本は太平洋の島国でありまた中国とアメリカの狭間にありそこに日本の運命と方向が決められていたのである 
ただ戦後は日本の世界史的役割は喪失した、何か日本を常に矮小化して卑小化されるのである、戦争に負けるまでは日本は常に国威高揚の国だったのである
戦争に負けてからは日本は国を語らない、国は常に外国からでもバッシングの対象になってしまったのである、それでも高度成長時代の時は経済で世界に存在感を示せたがそれもなくなったときますます日本は全体に気分的に矮小化して卑小化される国になったのである
明治人がもっていた世界的役割の認識とか意気込みとかが喪失したのである
日本は米中時代になるとどっちに属するとかかであり日本がが独立するとか指導的立場に立つとかはない、ただどちらに属するかと従うかしかないのである
それが全体的日本の雰囲気であり何か逆に日本は戦後はアメリカの植民地国になったのである、そしたら日本の自主性などないのである
それに代わって中国がアジアの盟主として帰り咲いた、日本は世界でもアジアの一小国であり世界的役割も小さいし世界での存在感がないのである

ただ文化面では世界はグロ−バル化したとき融合してゆく、東洋文明であり西洋文明でも融合して止揚されてゆく、だから西と東の文明が500年周期で交代するというのもそのためである、つまり西と東の文明が交代して成熟するには500年の歳月が必要だったとなる、その時間軸ではその端緒についたともなる
だから100年後とか見れば日本が再び勃興して東西の架け橋となり日本の彼は地理によって天の摂理を察し歴史によりて国民の天職を考え・・・というようにその役割を果たす時代が来るかもしれない、アメリカでも中国でも国内問題をかかえているしそれがアキレス腱となり両国とも衰退してゆくともみるからである
ただ日本というのは高度成長時代からバブルにもなり失われた30年とかあり精神的にも委縮している、それがあらゆる方面に影響する
だからコロナウィルスもあり日本自体が大改革しないとますます没落してゆくともなる
ただ今がその大変革大改革の時代になっているともなる
何かあらゆるものが制度疲労とか起こししていて改革が必要になっている
それで津浪原発事故とか自然災害から巨大事故とかが起きてコロナウィルスに翻弄されるとかある、それは大きな時代の変わり目だから起きているのである





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虹の写真をとれなかった(写真の効用)


虹の写真をとれなかった(写真の効用)

ここに雲と虹の写真が今日見たのと似ている
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ここに鉄道がありここを電車が通ればシャッターチャンスだった
でも一時間置きだから通らなかった
でもすぐ電車が来た、でもそのとき雲は暗くなってこんなに赤くなっていない
ただこの赤さはパソコンのソフトで調整したのである
実際に見た感じはこんなふうだったからだ

新築の家十軒ほど夏の雲

自転車に一雨ぬれて虹を見る

三方に夏の雲湧く盛夏かな

消え残る虹を惜しむや時はすぐ

夕陽さし赤々と映えぬ夏の雲 


虹が一雨ふって東の空にかかった、自転車で買い物に行ったら虹がでた
一部晴れていたのでぬれても行った
そしたら虹が出たのだがカメラをもっていなかった、何か肝心な時カメラがないのであるいい写真をとるとき

●カメラの良しあし

●シャッターチャンス

●構図を作る

とかあるがこれらの条件があってもシャッターチャンスがありこれは意外と大事である
カメラがいいものでなくても今回のようにシャッターチャンスを逃すと二度ととれない写真というのがある、それが結構多いのである
特に動いているものをとるのが至難なのである
絶えず動くものとは変化しているからうまくとれないのである
動いているものは自分で構図を作ってとらないとまたいいものがとれない
動いているからこそ定点でとることが大事になる

それで一日定点観測してカメラを構えて置く人がいる
富士山で半年もそうしていい写真を撮るためにいる人がいたとかそれほど富士山でも刻々変化するからそうなるのである
つまり自然は常に刻々変化している、そこでシャッターチャンスが大事になる
その一刻を逃すと二度とその場面をとれないからである
それは前にも経験していた、だからカメラは常時持っていることが必要になる
今はスマホとかもっているから便利である

写真をとるということは記録としても効用がある、なぜなら自分自身とった写真はさらに自分にとって価値がある、どういう場所でどういう季節に時期に撮ったかを記憶しているからである、すると自分が撮った写真から辺りのことを思い出すのである
それで外国旅行は写真で撮ったことが貴重になる
でも私が海外旅行したときはデジタルカメラの時代ではなかったから写真でもとる量が少なすぎたのである、でも写真を見て思い出すのである
今になるともう海外旅行ができないなと思った時貴重になる

いづれにしろシャッターチャンスもそうだがチャンスは人生に本当に一回二回くらいしかないものがある、例えはなぜ人はその女性と結婚したのか?
あの人がなぜあんな不細工な人と結婚したのかとみる
するとそれはその出会いの時がありそのチャンスをものにしたからだとなる
双方がまさにそのチャンスがあってそうなった
別に相性がいいとかなんとか様々な条件よりその時に出会った、チャンスをとらえたからだとなる
そして時間が過ぎるのが早いから二度とそのチャンスがなく消えてしまいまたたくまに老いてしまうのである
だから人生ではチャンスがタイミングが一番大事なのである
なぜならそのチャンスとかタイミングは二度と帰ってこないからである
チャンスとタイミングとは虹のようにたちまち消えてしまうのである

ただ虹でもこの辺は海に面していて必ず山に夕日が沈むとき海の方に虹が出る
それは住んでいればわかる、だから夕立がきて雨がふれば虹がかかりやすいのである
するとそこを狙って虹もとれるとなる、でもそれが結構手間だとはなる

自然を感じるというときやはりもし車だったら雨にぬれない、それはいいものとみる
でも自然を感じないのである、車の問題は風も感じないし雨ももちろん感じない
それは快適なのだけど自然を感じないのである
春雨や濡れて帰ろう・・・とかならないのである
つまり風流がなくなるのである、風流とは風の流れでありその流れを感じさせないのが車なのである
だから私は車が好きではない、車は絵にも詩にもなりにくい、でも電車とかなぜか風景ととけこみ絵になりやすいのである、それで撮り鉄がいる
でも電車は動いているから定点で撮る必要がありこれは結構手間である
旅したとしてもどこを選べばいいのかとか場所の設定とかがなかなかできないし時間がかかる、住んでいる場所ならわかるが旅しているとそれがわからないからだ

ともかく写真は文でもメモするより記憶を呼びだすから貴重である
そしてインタ−ネット時代になるとリアルタイムで放送できる
ただ今回のように場所が違うと虹は見れないから全国的には共有できない
でも月とかは世界で共有できる、同じ月を世界で見れるのである
それでリアルタイムで放送する、それは生放送になる
そうなると手間であり旅しながらまた放送するとなると苦しいとなる
前に文章だけでそうしたことがあった
でもかなり手間になる、でも写真を出すのはそれほどめんをとではないともなる
ただこれは一回もしていない、それだけする気力もなくなった
ほとんど家にいるようになったのが自分だからである












2020年08月16日

武田邦彦氏の評価 (専門以外を語る科学者だから評価できる‐原発も専門家以外かかわれなかった)


武田邦彦氏の評価

(専門以外を語る科学者だから評価できる‐原発も専門家以外かかわれなかった)

疑似科学者批判)

新型コロナ対策からの現実逃避こそが最大の経済損失 


このサイトとかで武田邦彦氏は専門以外のことを盛んに語る、それは信用できないと科学者が詳しく論文のようなものを書き批判している
そこで盛んに「専門以外」のことを軽々しく語るな書いてある
実際はその内容は良く読まないし私自身理解しない、その人が正しいのかもしれない
ただなぜ専門以外のこと病気であれ環境問題であれ経済のことであれ語るなというのは
そのこと自体がまさに専門家以外何も言うなたちいるなとなる

それが原発事故を引き起こした原因でもあった
核のことを知らない者は何も教える必要はない、そもそも何も理解できないからだ
そして原発内は危険だからすぐ近くに住んで不安でも住民は入ることすら許されなかったのである、放射性物質が発せられる放射線のことも何も説明もしない
ただ「安全神話」政治家と官僚と専門の御用学者とマスコミによって強固に作られていたのである

それでそこで原発の中で請負事業していた人も「原発は安全だ」と言っていた
それは言わせられていたのである、だから何か原発は危険だというときまずそうした原発にかかわる人たちからにらまれて住めなくもなっていた、村八分にされていたのである
なにしろ原発は金の成る木でありその金故になにも見えなくなっていたからである
ただ自分自身は30キロ圏内でもないし関心がなかったのである
でも小高で東北電力の原発がすでに事故のあった年に工事がはじまる予定だったから
怖いことだった
そこでやはり小高に住んでいる知っている大工さんは景気良くなると歓迎していたのである、でも小高になると20キロくらいの距離となり事故になったらここも住めなくなったのである

何か逆に南相馬市でも原町区と鹿島区は大熊とか双葉などから人が流入して新しい街が三つできたくらいであり今も建売住宅が建ちつづけている
だから小高を除いて南相馬市は事故があったとしてもそれほどの被害ではなかったともなる
むしろ人口が増えたとかある、ただ小高だけは住民は5割くらいなのか帰っているが老人だけなのである、その住民でも原町とかにも住んでいる、小高に住んでいないのである

そもそもなぜ原発事故が起きたのか?

その原因を地元だから延々と追求して来た、でも私は文系であり科学に弱い、だからなかなか追求できないものだった、本当に科学の基本的なことすら知らないからである
つまり科学に通暁していないととても原発は批判できないのである
でも問題なのは専門家以外の人は何も言うな語るなということが事故の原因にもなっていたのである、だからそのことを追及したのである
なぜなら核のことはわからないにしてもすぐ隣に原発があるのだからわからないなりに説明も必要だったのである、でも専門家以外はわからないのだから教える必要もない

また事故は絶対に起こらないのだから何も言うな、事故が起こったらなど考える必要もない、
それ故に事故になったことなど何も対策する必要がない

これほどに東電とか政府とか「安全神話」作った原子力村の人たちは傲慢になっていたのである

つまり専門家以外は何も言うな、理解もできないのだから何も言うな
何も教えることもない、事故は絶対に起こらない、だから事故の対策などする必要がないお前ら何も言うな、
俺たち専門家のいいなりになっていればいいのだ

これしかなかったのである、例えば別に武田邦彦氏は原発にかかわる科学者だった
だから問題がある、専門は材料工学となっている、でも専門家時代といっても原発にしても吉田所長は肝心の復水器のことを知らなかった、それは専門外だからだとなっていたのである
原発のトップがそのことを知らないということは事故になったら何もできないということである、第一原発のことを全部知る人などいない、その一部しか知らないのである
複雑になるとみんなそうなる
医者でも体を部分品としてみて専門家がいる、心臓の専門家、脳の専門家、肺の専門家、血液の専門家、耳鼻科の専門家・・・・でも体は相互に連関している
必ず一部が病気になれ悪くなるとどうしても他の臓器も悪くなり多臓器不全で死ぬのが多いのである

ともかく科学技術の時代は専門家が力をもちすぎたのである、専門家と言っても一つの部分の専門家でありあらゆることに通じている人はいない、福島原発の吉田所長からしてそうだったし社長となっていてもその人がすべてに通じることはもはやできないのである
例えばある土地のことは長年そこに住んでいる人こそその土地のことを気候でもなんでも知っているということがある
それて私は原発が爆発した時、その頃丁度海から東風が吹くからその風に乗って放射性物質が飯館村の方に流れたと理解した
その頃東風を吹くのこの土地に住んで知っていたからである
だからその土地のことを知るのはその土地に長年住んだ人だとなる
いくら専門家でもあらゆることに通じることができないのである

現代が科技術の時代でも様々な専門家がいてある一部分に詳しくても全体に通じる人がいないのである、それだけの能力ある人はもうありえない時代なのである
それですでにギリシャ神話でも迷路から抜け出そうとしてイ―カロスが高く飛んだが墜落したのである、何かそれが現代の科学技術の事故でもそうなることを示したのが原発事故だったのである

専門家以外はかかわるな、何も言う、言う通りにしろ!

こういうのは傲慢なのである、もし全能の神ならそう言える、それで「安全神話」作り事故になったのである

そこま言うなら事故になったのだからその責任とれ!

ずいぶん金も原発から得た人もいるからそれも返せ!

でも誰もそうして責任すらとらないのである、だから人間は全能ではないのだから

事故になるかもしれない、万が一でもあるかもしれない、その対策をしろ!

それすら全くしない、なぜなら「安全神話」を作り専門家集団が批判する人たちを排除できたからである
マスコミでも福島県の新聞でもテレビでも宣伝費で原発から利益を得るだけしかなかったのである、だから福島県のマスコミではどこも原発を批判した記事を書いていなのである事故の後に書くようになったのである
つまりあらゆる人が金のなる木の原発にたかるだけだったのである
それが津波が来て事故になり一挙に崩壊した
あらゆる権威がそこで崩壊したのである
政治家も官僚も検察でも天下りしていたしマスコミも莫大な宣伝費をもらっていたし地元でも金のことしか考えなかったのである
ただすぐ隣に原発がある、そうなるとどうしても不安になる
だから放射線とかわからなくても教えてくださいとなるがそれも全くできないのである
そこはアンタッチャブルの空間であり入ることすらできないのである

そして事故が起きたとき、一番心配していたのは原子炉のことだった
そこで住民のことがぬけおちていた、住民を避難させることもしない
勝手に住民は逃げるほかなかった、それで浪江の人たちは町長の支持で一番危険な山側の津島に避難したのである
でも一部は東電の社員に導かれて海の方が街の方が安全だとしてそっちに避難したの正解だったのである、海側は風の関係で放射線量が低くかったからである
安全神話が作られて事故のことは何も考えない、だから事故があったとき東電の幹部でも政府でもあたふたして何も指示できなかった
東電では原子炉のことを心配していたがそこに住んでいる住民のことが眼中になかったのである、それで保安院は不安院と言われたのである

ともかく現代は専門家の時代というときコロナウィルスでもそうである
専門家が40万人死ぬとか警告してひんしゅくをかった、つまり専門家は今回のコロナウィルスは未知でありどうなるかわからない、それで専門家の方針も定まらないのである
ただ放射線とか原子力については科学者でも専門家でも知っていたが事故にならないとして安全神話を作りその対策を怠ったのである
だからコロナウィルスと違っていたのに知っていて対策をしなかったとなる
だから法律では罪が重くなる、殺人でも故意の殺人と殺す意図がなくても殺人となる場合がある、事故のように起きる殺人もある
原発事故の場合は故意の殺人に似ていたのである、放射線の危険を知っていたけど対策をしなかったからである
高い所に原発を建てたのにわざわざそれを削って低くした、10数メートルの津波が来ると科学者が警告したのに対策もしなかった、他にも電源を地下に置いたりと対策をしなかった保安院は何もそこで支持もしなかったのである

ともかくこれだけの被害がでたのだからその責任はだれにあり何が原因だったのが厳しく追及していないとまた同じことが起きる、戦争のことでもそうである
その原因を深く厳しく追及していないとまた同じ戦争が起きる
そこで現代の大きな問題が専門家支配の社会だということである

専門以外の人はかかわるな!

それも武田邦彦氏は確かに医学とか経済学とか他は専門ではない、でも科学全般に一応通じている、それで科学音痴でもその解説がわかりやすいから納得する
そして文系分野にも歴史でも通じているしモラルも言うからそこで象牙の塔にこもる科学者とか学者とは違っている
つまり社会性があって常識がありそううして専門の分野以外を語るからこそ共感しているのである、専門用語ばかり使っていたらもう原子力の専門家のように素人はかかわるなひっこんでいろしかならないからである
経済のことでも言っていることはそれなりにまともだと思う
むしろ専門用語でむずかしく言う人こそ実は御用学者であり権力側に金持ち側について利益を得るとなる、弁護士でも貧乏人についても金にならないから弁護しないともなるからだ                    

要するに現代文明社会は専門家がいたとしてもその人でも一部分であり全体に通じるものはないなのである

40万人死ぬとウィルスの専門家が言えば社会は混乱する、恐怖でパニックになる

専門家の時代だからそうなる、おそらく普通だったらこんな恐怖を与えていいのかと
考えるかもしれない、でもそれを考慮しない専門家だからそうなった
科学が社会にどう影響するから考慮しないのである
もちろんそれを言うなら核を研究して原子爆弾を作りだしたアイシュタインなどはそれを反省している、現代は科学技術の影響力が大きくなりすぎたのである
そういうことによって社会を恐怖に陥れることにもなった

逆に原発でも全く危険がないと「安全神話」を作ったのも専門家集団である
それでインフレインザと比べて日本では患者数も重症者や死者が少ないのにこれほど騒いで経済でも混乱させているのかとなる
原発には電気を作るとか将来の核兵器を作るために備えるためだとかの明確な目的があるでもコロナウィルスには被害が少ないのに騒いでいるのだろうとなる
マスコミは視聴率を稼ぐ目的で恐怖をあおるのはわかる
でも他は良くわからない、専門家でもコロナウィルスについては見解が一致していない
未知だから対策しようがないということもある
でもそれからすると原発は明らかに危険を専門家はわかっていたしただ対策をとらないから責任が重かったとなる
コロナウィルスは未知なのだから誰も専門家でも責任がとりようがないということがある素人にも何なのか説明できないからである
原発は明らかにわかっていても専門家以外は説明してもわかないから専門以外の人は従えばいいとしかなかったからである 

いづれにしろ武田邦彦氏が専門以外のことを軽々しく語るな!

これこそ一番専門家の傲慢さがででいる、それを批判するのはいいとしても私には詳しい内容がわからないにしてもそのことは傲慢だと思う
そのことから「安全神話」が作られて故郷にも住めなくなったからである
それは専門家集団の責任でもありその責任をとればいい、でも放射線の被害はすでにチェルノブエリでも証明されていた、だからコロナウィルスのように未知ではなかったからである
武田邦彦氏が言っていることはすべて正しいとはならないことは言える
でも専門以外のことを言うな語るなというのはまさに専門家社会の傲慢が如実に現れている、ただ私は正直科学的な反論となるとわかりにくい、だからといって素人でも何も言うな、知っても理解できない、従えばいいというのは納得しないのである
もしそれを専門家の人が言うなら、事故になったりしたら腹を切れ!と約束するならいいそれは覚悟あって言っていると見るからである
でも実際は誰も責任をとらない、検察官僚でも天下りして東電から利益を得ていただけでありなにも責任をとっていないのである

こうなるとこの世の中は政治家でも官僚でも科学者でも政治家でもマスコミでも信じられない!

結論はこうなってしまうのである、専門家でも絶対ではないからである
では何を信じればいいのか?それは自分で考え判断するほかない
また全能の神により頼むほかないともなる
それで聖書ではこの世からの脱出をテーマにしていたのである
この世とは誰も支配者でも科学者でも大衆でも信じられないということである  


注意

私は武田邦彦氏を批判しているサイトを良く読んでいないしわからない面がある
科学にうといのでわからない
それにも一理あることは言える
でも私がいいたいたことは専門家以外の人は何も言うなとか知りえないとかのことであるそれは原発事故の当時者にもなったから批判しているのである
そうしたらただ専門家以外の人は無力でありただ従っていればいいとなる
でも原発事故のようにそうしていたら故郷にも住めなくなった
でもその責任は誰がとるのかとなるからだ
そこが一番の問題でありそれで追求しているのである



posted by 老鶯 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2020年08月17日

原子力賠償法では国も東電も免責されている (原発は金のために利用されまた核武装するためのものでもあった)


原子力賠償法では国も東電も免責されている

(原発は金のために利用されまた核武装するためのものでもあった)

無責任な形で運営されていた。これが一番の原因であると私は思っています。もっと具体的に言うと、どんな事故があっても、誰も責任を取る必要がないという法律があった。一応の歯止め(原賠法の“穴”)があったのですが、この歯止めは気が付かないような形でできていた。それをいいことにして、原発を運営する責任者の気が緩んだ。どんなにいいかげんな経営をやっていても、責任はかかってこない。その上に報酬はとり放題。
(原賠法と電気事業法)そのものの欠陥と原発を運営する人達の堕落による人災、つまり、社会制度の欠陥と東京電力の経営者と役人のモラル・ハザードにもとづく人災だというのが、今のところの私の結論です。

国策である原子力政策、原発政策について、日本のリーダーを自任してきた国策大学のエリート達は、誰一人として日本の国家、日本国民の立場に立って考えた者はいないということです。すべて自分達の利益、自分達の生活のため、自分達を守るために国民を騙したり、国の金を不正に使ってきた、つまり、日本の国と国民とを食いものにしてきたということです


このサイトでは原子力損害賠償法では東電は責任がなく国すら責任とらないとしている
法律となるとわかりにくくなるがここのサイトでわかりやすく説明している
会計士であり金の出入りから見ているからわかりやすいのである
国が責任をとらないというときそれは刑罰に処せられないということだろう
その賠償額は何兆円になっているからだ

とにかくもともと原発は金の鳴る木でありそれに政治家をはじめとして官僚でも企業でも群がったのである
それは読売新聞社の日本テレビの創始者の正力松太郎がテレビ局を作るための資金源として活用されたのである
その正力松太郎から中曽根前首相と利権として原発が受け継がれたのである

そして原発は電力供給より核兵器を作るものとしてアメリカによって押し付けられたのが始まりなのである、
核武装するために原発が作られたともなる

そして原子力損害賠償法では東電も国も責任をとらないと明記されている

そんなことがありうるのかとなると一応国会で審議されて反対されたがその法案が通ったのである、それは自民党が多数だから法案を通すことができたとなる
つまり法律とはこうして時の権力者によって強者によって作られる
そこに何か正当性もないのである、歴史でも戦争に勝ったものが正義となるのと同じである、アメリカに別に正義があって戦争したわけではない、強者が弱者を支配するということで戦争があっただけなのである
日本の戦国時代だって別にそこに正義を主張などししていない、強い者が勝ち支配者になるというだけである

だからなぜ東電でも国でも誰も原発事故で罰せられないのか?

それは原子力賠償法で時の自民党政権がそういう法律を作っていたからだとなる
それを作れたのは自民党が政権をとっていて多数だからその法律が通ったとなる

すると法律とは何であれ悪法でも多数決だから時の政権が決めたことが通るとなるのか 

原発で事故が起きても国は責任をとりません、東電もとりません

そう国会で審議して決められたからです、それはまさに民主主義にのっとって法律でも決められたから正当なのです

そのためにこのサイトでは別に責任をとらされないとして緊張感もなくもともと無責任体制で作られたとしている

もし事故になったら全財産没収とか処刑する、死刑にするとかなったら真剣になる

これは別に責任をとらされることもない、適当にやるかとなっていたとしている

本当に東電では誰一人として幹部でも責任をとらされていない、国でもそうである
そのことが納得できないものとして10年過ぎるのに理解できないのである
それはこういう法律の下に原発が作られたからだとなる
だから法律もいい加減なものである、何を根拠にそんなことが決められたのか?
自民党の中曽根前首相とか他の利権のために決められたにすぎないともなる

そもそもなぜ日本に50基もの原発が作られたのだろうか?

それはアメリカにおしつけられて核武装するためだとしている
冷戦時代もありソ連に対抗するためにそうなったのか?

今になると事故の原因は明らかになる

●高く土盛したのにわざわざ低くしてその上に原発を作った

●地下に電源を作った

●十数メートルの津浪が来ると科学者が警告した、でも対策しなかった

この三つが事故の主な原因だった、それはコストをかけないためにそうしたのである
それでその時の出世してなったのはコストカッターと呼ばれた社長だったのである
原発はまず危険なのだから要塞のようにしないと危険なのである

そもそもなぜ地下に電源を作ったのか、それはアメリカをまねたからである
アメリカでは地震がない東側に原発を主に作った、それで一番恐れていたのが竜巻だったからである、ここに風土の相違がありそれを考慮しなかったのである
こういうことは別に専門家の科学技術者だけではない素人でもわかるものだったのであるまず日本は地震が多いのだから地震対策が第一になる
普通だったら日本に原発は作れないものだったのである
ただ御用学者は地震にしても壊れないように事故にならないとしつこく言っていたのである

そして致命的だったのは津波を全く考慮していなかった 

これが致命的だったのである、なぜならこの主な事故の原因は津波が原因になっていたからである
津浪を全く考慮しない、イメージしないで作ったから大事故になった
でも大地震が来たら必ず津波も来る、だから科学者は10数メートルの津波が来ると警告していたのである

それで東北電力では三陸とかで津波を経験しているから5メートル高くして作った
結果的にぎりぎりで津波からまねがれたのである、これも恐怖だった
でも内部報告では地震の時にすでに破壊されたとしている
つまり地震だけでも爆発が起きたともしている
内部で工事していた電気工事者は1000人もいて配管などが痛んでいたと言っていた
そして事故になったときその電気工事者をみんな帰したとしている
その人たちは事故処理にあたらなかったのである 



1)異常に巨大な天災地変
 (2)社会的動乱
 「異常に巨大な天災地変」とは、一般的には日本の歴史上余り例の見られない大地震、大噴火、大風水災等が考えられる。例えば、関東大震災を相当程度(約3倍以上)上回るものをいうと解している。
 原子力損害賠償制度に関する国際条約としては、OECDのパリ条約とIAEAのウィーン条約があるが、前者では「異常に巨大な天災地変(agravenaturaldisasterofanexceptionalcharacter)」が免責となっているのに対して、昨年9月に採択(未発効)されたウィーン条約改正議定書においては、第W条パラ3において従来免責とされていた「異常に巨大な天災地変」が免責となっていない    

 ドイツ(パリ・ブラッセル条約締約国)
 免責事由はない。不可抗力免責を一切認めない。これは原子力損害のような大規模被害の際には、企業の利益よりも被害者救済が優先すべきという理由による。
 パリ条約締結に際しても、従来からの立場を変えず、原賠法で同条約の規定を排除した。 
(4)スイス
 ドイツと同じく、戦乱、異常自然災害とも免責とならない。
(5)米国
 連邦法である原子力法(プライス・アンダーソン条項)では戦乱のみ免責である。異常自然災害について規定はない。責任保険でも戦乱は免責だが、自然災害は異常なものであっても事業者が有責となればてん補される。

(6)カナダ
 免責は戦乱のみで、異常自然災害は免責とならない。

国際的なスタンダードは巨大天災、災害でも免責しないである
ただこれらの国には津波などは想定していない、でもやはり自然災害はありうる   


いづれにしろ日本では原発を金儲けのために利用され安全はないがしろにされたのであるその金が国家予算並みの莫大なものになっていたからである
そして安全を計らないのはコストのためであり金をかけたくなかったからである
まず津波だけではない、地震国であっても地震にも備えられていなかったのである
だから地震ですでに破壊されたものがあり津波が来なくても同じような結果になっていたという内部告発者の報告がある


ともかく「安全神話」を政府から官僚から東電から御用学者からマスコミからと強力に形成していたわりには肝心の対策は何もしていなかった
第一科学技術の時代に神話ということ自体納得できないものだったのである
つまり科学技術者はそんなイメージ的な神話を作り出すとういことがおかしなことだったのである
なぜなら科学技術者なら万全の対策をしていますとしてその対策を示して安全を言えるからである

地震にはこういう対策をしています、津波にはこういう対策をしています
だから安全ですというのが科学技術者なのである、神話ということ時代何か目くらましするものだったのである、それは文系の人の言うことなのである
とにかく原子力賠償法は国でも東電も免責のために作られたものである
そして原発を作る人たちが自分たちの私欲のために利用したことが過ちだったのである
そこにはアメリカがからんでいた、何か太平洋戦争もアメリカとの関係が悪化して戦争になった、そして原爆が落とされた、次にまた原発がアメリカによっておしつけられたということもあった,アメリカとの因縁で起きているということもある
アメリカの植民地のようにもなったのが日本だからである 

そうは言っても原発を拒否することもできたのである、それはやはり国民が決めることだったのだが国民でも自民党を選んだとすると自民党の政策に従うほかないともなる
だからこういうように国家的なものになると民主主義でも機能しなくなる
上から一方的に国民の知らないままに重要な法案が決められてゆく
それでこれだけの被害があったのに「免責」という法律があり責任はとらなくてもいいとなっている、これが被害者だけではない、国民として許されるだろうか?
国民にしても事故処理に20兆円とかの莫大な費用をつぎこむ、それは国民の税金なのである、だから原発に関してはもっと国民自体が関心をもつべきだったとなる

原発のやっかいなのは核装備として作られたことである、そうなると防衛上必要となり
右と左で対決する、政治的問題になる、ただ電気を供給するというだけではないものとなり簡単にやめることができない、実際に右では核武装のために原発をもつべきだとしているからだ、だから国民の総意で国民投票とかで決める問題だともなる
選挙になれば必ず自民党が勝つからである、すると原子力賠償法のようなものを勝手に作り責任はとらなくていいとかなる、自民党の都合のいいように作られるだけだとなるからだ
とにかく国家の命運がかかっているようなものが原発でもあったのだ、実際に事故が起きたとき吉田所長が東日本に人が住めなくなると言っていたからである、それだけの危機を専門家だから感じていたのである
その割にはあまりにも安全対策をしない、ただ「安全神話」を形成してそこに莫大な金をつぎこんでいたのである
そしてあらかじめ事故があっても責任はとりませんと免責を原子力賠償法で作っていたのである
これほど国民をないがしろにしたこともない、そして金を得る私的な利権のためにもはじめから原発は利用されていたのである


posted by 老鶯 at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2020年08月18日

契約と免責事故を知れ! (原発の安全神話は人間が作り崩壊した)


契約と免責事故を知れ!

(原発の安全神話は人間が作り崩壊した)


その中に必ずといっていいほど記載されているのが「○○について、当社は一切の責任を負いません。」というフレーズです。こういった、当事者の一方又は両方が責任を負わないことを明言した部分を「免責事項」といいます

たとえばウェブサービスを利用する際にも、実は契約が交わされています。それが利用規約を提示することにより契約の「申込み」を行い、それに同意することによって「承諾」したという形を使った「約款による契約」です



この事件によってデータが消失し、多大な損害を被ったユーザーも多数いたのですが、結局裁判でファーストサーバが多額の賠償を命じられたという話は全く聞きません。
むしろファーストサーバの免責規定が有効に機能したので賠償額は非常に低額に抑えられたようでして、現にファーストサーバは今も倒産することなくサービス提供を継続しています。

第35条(免責)
(略)
6 当社は、本サービスに関連して生じた契約者及び第三者の結果的損害、付随的損害、逸失利益等の間接損害について、それらの予見または予見可能性の有無にかかわらず一切の責任を負いません。

地震・噴火・津波などの天変地異が原因の場合は、多くの保険契約で損害が免責事項とされ、保険金は支払われません。


契約の基本はこの免責にあるのかもしれない、なぜなら責任を問われることが一番問題だからである

例えば契約を正式に手続きを踏まないと給料ももらえない、不払いになっても損になるだけである
知っている人は食堂に雇われても給料が払われなかった、そこは暴力団が関係していたとなる、でも個人だからそうともならない、ただそういう人が経営していたとなる
それを何度も文句を言っても支払われなかった
そこで正式の契約をしていないからである、契約書もないのである
となると雇い主は勝手に給料も支払わなくてもいいとなる
それで六カ月働いたのに給料をもらえなかった、六カ月も要求しなかったのも働いた人の手落ちだった、一か月働いて給料もらえなかったら普通はやめているからだ

ファーストサーバがデーターを消失しても責任を問われなかったのは免責事項のためだった、最初からデーターが消失しても責任をとらないとしていたからだ
インタ−ネットではそういうことが結構ある、データーを消失しやすいからである
でも最近はインタ−ネットでも簡単にデーターが消失しない
さくらレンタルサーバーでは一回だけデーターが消失したが回復したのである
十年間としていてもデーターが消失する危機はこの一回だけだった
だから何か安心できるのである、そして北海道にデーターを保存する建物を作った
それは大坂だと地震とか危険があるからだ
それだけ備えしているとなるとさらに安全だとなる
今になるとデーターの保存は守られている、なぜならデーターの消失はこれは致命的になるからだ
もしデーターがいつか消えるのではないかとなると一番不安になる
だから普通はデーターを自分で保存している、それも相当に手間なのである

いづれにしろ契約の基本はこの免責事項にある
なぜなら会社にとっても何かあった場合そこが一番問われるからである
そこで人が死んだりするからである
だから素人でも法律がわからなくても免責事項だけは見ていた方がいいとなる
何かあった場合、どこまで責任をとるのかを見ていた方がいいとなる

それで銀行でも投資信託とか金融商品を売りつけるとき説明しないというだけで説明責任を問われて裁判になったのである
まず銀行のこの投資信託とか金融商品を売りつけるのは本当にいい商売なのである
絶対に銀行は損しないからである

銀行は損しない、手数料は確実に入る、客が損しても銀行は絶対に損しない!

要するに売るにしても客に対して何の責任もないのである
ただ何かどうしても営業の人が売ることでかかわるからその人間に対して責任を問うようになる、私がかかわったのもそうだった

リーマンショックでその時8年前半分になった株を投資信託のJ-reitに回した
その時私はどうかと思った、でも何の説明もなくその株を回した
それから株はどんどん上がったのである、だから売らずに待っていれば相当にもうかったのである
それ以来その営業の人でも銀行でも信じられなくなった
要するに投資信託とか株を買ってもその責任は一切銀行はとらないのである
全責任はなんであれ客がとるのである
言い訳はいくらでもいえるのが株式の世界だからである
要するに適当に売ってあとでいろいろ言い訳など言えるからである

その営業の人は実際は株式とか投資信託とかでも手続きはできてもほとんど知識として知らなかったのである
銀行では支店長も株のことは知らない、そもそもそういう仕事をしていないし証券会社ではないのだから蓄積がないからである
そしたら株のことを投資信託でも知らない商品を扱うこと自体それは許されるのかともなる
それで奇妙なことにその営業の人が信じられなくなりJ-REITを一月に売ったのである
そしたらコロナウィルスですぐに半分に下落したのである
これにも驚いた、とにかく株式の世界はリスクがあると思った
石油がいいとしてカナダの国債を買った時も急激に石油が下落したのである
これも信じられないくらい下落したのである、だから本当にリスクのある世界である
そのリスクは別に銀行の責任ではない、それで損しても客の責任なのである
だから銀行は何の責任もとらない、説明しなくてもその説明責任もとらない
要するに手数料だけは入ってくる商売なのである
ただそういうものだとして客の全責任で買うほかないものだということである

原子力賠償法でも国でも東電も免責事項があり責任はとらないと明記してある
故に責任はとらず誰も逮捕されていないのである
でも不思議なのは普通は会社があるとして銀行でも客との契約がある

原子力賠償法とは誰との契約なのか?

それは国民との契約なのである、ただわからないのは原発を建てた地元住民との契約があったのか?県との契約があったのか?
地元住民と契約をかわしたのか?、自治体と契約を交わしたのか?
ただなぜ「安全神話」を作りそれを住民に押し付けた、安全神話には何の責任もない
絶対に安全ですよと言ってもその責任はどうなるのか?

要するにこの世のことは人間にはすべて責任がもてない

何が起きるか予測できないからだ

「安全神話」は神が作ったものではない、人間が作ったものだから崩壊したのである
人間が作るものは絶対ではありえないのである
機械を作ってもなんでも壊れることがある、何かの不慮の事故があり絶対にとは保証できないから免責事項が必ずある
実際に国と東電は免責事項があり責任をとらないとしているからだ
だからこそ真剣にならず適当になっていたのである

つまり日本の戦争でも宗教がかかわると天皇が現人神(あらひとかみ)として日本は神の国だから絶対に勝つとなっていた、でも負けたのである
そしたら天皇は神ではない、責任をとれとなるところだった
それで私は神ではないとして人間宣言したのである
何かこれとも似ているのである
常に免責事項があるのは人間のすることは絶対ではない過ちが必ずあるからそうなっているのだ、どうしても不可抗力のことがでてくるからそうなるのである
だから神に対して誓うなというときそれが実行できない、人間に対して誓ってもそれができない、人間は絶えず嘘をつくからである
まさに「安全神話」がそうだったのである、その神話とは人間が作ったものである
また戦争でも天皇が神だから勝つというときそれは人間が作ったものだから負けたのである、つまり人間のすることは不完全さをまねがれないのである
神のみが本当に契約を果たすことができる、だから契約というのが聖書の基本にある
つまり契約とか誓いを果たしうるのは全能の神しかいないということである
人間のすることはみんな信じられない、不完全なのである
コロナウィルスについてもそうである、専門家がいろいろ言ってもわからない
だから何を信じていいのかわからないのである

とにかく原子力賠償法というのもいいかげんだったのである、なぜなら免責のために作られていたからである
そしてその契約とは誰のための契約だったのか?、国民なのか、地元住民なのか、自治体なのか、県なのかそれも良くわからない、第一地元住民にしても自治体にしても県にしてもそこち住民がいる、その住民にその契約を作る時合意しなければならない
でもそうした説明すらしていないのである、専門家は説明しても原子力のことなどわからない、無駄だとなっているからだ
それで一方的に「安全神話」作り危険なことを知らせない、教えないようにしていたのである、もちろん事故を想定もしないから避難指示もしなかった
そのために浪江町では山奥の一番危険な放射線が高い津島に町長の命令で避難したのである、それは全く事故を想定していなかったからである    

地震・噴火・津波などの天変地異が原因の場合は、多くの保険契約で損害が免責事項とされ、保険金は支払われません。

確かにこういうことが免責事故として普通ある、でも原発に適応しにくい
もしものことがありそれが致命的にある、実際に事故になった時、吉田所長は東日本が住めなくなると言っていたからだ、それほどの被害があるものを作ること自体危険であり誰も責任などとれないのである
そうしたら原発を作らない選択こそ安全を計る唯一の道だとなる
そうすれば国でも責任をとる必要がないからである

ただそうして危険なものをそこまでして作らねばならなかったのか?

それは核武装のためであるとなると日本国防衛のために必要なのだとなると別問題になるのである、それは別な論議になる、日本は核武装が必要なのかどうかというと議論であり原子力発電が必要なのかどうかとは違った議論になるからだ
ただ人間の成すことに絶対ということはありえない、それを「安全神話」を作り絶対に安全だとして何の対策もしない、それこそ責められるべきだった  

科学技術は絶対に安全はありえない!

それは人間の作ったものだからである、専門家も神ではないからである
だからこそ人間のすることは不完全だから免責事項が不可欠なのである
あたかも科学技術で人間が神のようになったことが傲慢だった
それが打ち砕かれたのである、それはこれからも起きる
人間は不完全であり未来に何が起きるか予測つかない、コロナウィルスでもそうだった
そして人間は必ず免責事項があっても責任をとらされる
確実に罰せられるのである、それも過酷な罰となったことがギリシャ神話にある
火を盗んだプロメテウスの過酷な罰である

人間の成すことには必ずカルマがあり責任があり罰が与えられるのである
つまり必ず責任を免責しても実際は責任をとらされる
戦争では3百万人が死んでその責任をとらされた、原発事故では空気も土も水も汚染されて故郷に住めなくなるという罰が与えられた
でも国の政治家とか東電が一番責任があるのに罰が与えられていないのである
免責事項があり罰が与えられていないのである
でも歴史の中で時間の中でその人たちも評価され罰せられる
正力松太郎とか田中首相とか中曽根前首相とか地元の原発を誘致した議員とかが罰せられる、すでに地元の議員でも評価がガタ落ちになったからである
犯罪者のように見られるようになったからである








posted by 老鶯 at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

溜池除染に効果があるのか? (飯館村は利権の場になり除染でも業者が暗躍-かつての面影は消失)


溜池除染に効果があるのか?

(飯館村は利権の場になり除染でも業者が暗躍-かつての面影は消失)

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政経東北8月号

ため池の底の除染をするのであれば、水を抜き、表面0-2cmの剥ぎ取りで、90%以上の除去が可能と思われますが、水抜きの際に水とともに表面の汚染土が流れ出る可能性も高く、また山の汚染落ち葉や土壌の流入により、再汚染が起こると考えられます。
山の除染も含めて、広く考えて対処する必要があると思います。

そもそも溜池はこのように森が放射性物質が流れて来る、除染したとしてもやはり森から流れて来る、するとその汚染源の森全体を除染しなければならなくなる
すると切りなく除染をつづけなければならなくなる
それはまるでシーシュポスの岩の神話のように岩を持ち上げてはまた転がされてまた持ち上げるそれが終らない罰とされたと同じである
放射性物質はいくら取り去るにもそうして無限の罰であり徒労のようになる
第一プルトニウムは二万年とか半減するのにかかると言われるからだ
これだけの罰をこの辺では受けたのである
何かギリシャ神話の再現された場所になった、それは飯館村に一番現れたのである
飯館村はもともと原発の恩恵は受けていなかったが被害が一番大きかったからである

そしてそこが利権の場になったことである
補償金も多額でありまたそこに事故処理するために除染でも他にもバイオマス発電とかでもそうである、そこに郡山の会社がかかわりその人が市議会議員であった
バイオマスでも飯館村の木材を燃やすと放射性物質が煙となって拡散される
事故当時に木の皮の放射線量を計ったら3マイクロシーベルトあったから高いのである
それが南相馬市にも影響してくる、第一放射性物質が例えば新田川の上流は飯館村の中から流れて来る、
すると前に放射性物質のフレコンバッグが破れて流れ出たときそれは新田川でも真野川ても泥に交じり流れてくるのである
だから飯館村は南相馬市と一体化して結びついているのである
それで勝手に飯館村で起きることが南相馬市でも被害となる
また田村市にもバイオマス発電所が作られたのでそれて三春とか福島県内でも全国で団体が反対している
どうしても煙となり空気中に拡散して遠くまでも放射性物質が運ばれるからである

飯館村にはかつての平和な日々は消失した、その平和は実はその暮らしが隠されていたことにあったのだ、その時平和があったのである
おそらく生活的には飯館村は苦しい、でも別に私が行ったからとそういう声を聴いたわけでもない、ただ隠されていてただ花だけが映え森につつまれていたのである
私は別に飯館村の人と付き合いもないし知らなかったからである
ただそういう時が飯館村は隠されて平和な村としてあった
もちろんその時不満があるのはどこでも同じである
でもその声を聴くこともなく小鳥のなく声を聴いて帰ってきたのが自分だったのである

今や本当に飯館村はもうこうして補償金で二分されたり事故処理の利権の場となった
とにかく原発の利権は他と違って膨大だからその利権にあずかろうとする人たちが生れる欲がでてくる、欲が刺激されるのである
それで土木建築関係の会社が暴利を得たとかある
それは犯罪であり警察に逮捕されたとかもある
そうして常にそういうふうに補償金でも金をもらうことしか頭になくなる
復興とは補償金をもらうことであり何か汗して復興事業することでもないのである
そうしして補償金で荒廃したのがこの辺だったのである
特に飯館村は10年過ぎようとしてもそういうことが継続されている
それは被害が一番大きかったからである
菅野村長は年でもあり引退した、病気でもあり相当に疲れたとういこともある
浪江町長も死んでしまった、結局原発事故に翻弄されて終わったともなる

ともかく原発事故は汚染水の処理でも溜池の除染でもその処理作用がとてつもない負担なのである、南相馬市の鹿島区の四方が10メートルなのか狭い溜池を除染するのに3月までかかる、半年以上もかかるとういことが信じられないとなる
それだけの手間暇がまた金もかかるのが除染の仕事でありそれもどれだけ効果あるのかもわからないのである
それはただ無駄金を使っているのかとまでなる
それが仕事となり請け負った会社の利権がまた大きいので政経東北で批判しているとなる                
原発事故というのはこれだけもう除染でもお手あげになるくらいの負担なのである
除染しても除染しても放射性物質は消えない、それは岩を持ち上げても持ち上げてもまた岩が落ちてくる、そうした作業が延々とつづく罰を与えられたのだ
それくらい原発というのは神に反逆したものとして罰を与えられたのである
だからこの辺は本当にギリシャ神話の再現の場であり後世にそれも何千年後にも語られる場所になった、その見本として人類史に刻まれたのである

飯館村とか浪江町とかはほとんど復興していない、帰ったのは一割とかにみたない、
飯館村はそれより多いとしてもほとんど老人である
ただ奇妙なのは老人には放射性物質はほとんど影響しない、それでキノコを食べているという老人がいた、どうせまもなく死ぬとなれば放射線量のことなど気にしないからであるただ致命的なのは子供に放射線は影響が強くでるとか遺伝子に影響するとかが深刻だったのである、なぜならそうなると世代が継続できない、そこで村自体がもう継続できなくなる、町でもできなくなるからだ
コロナウィルスだったら老人が死んで若い世代に影響がないとするとそれで市町村でも継続できないということはない、だからそれほど騒ぐものなのかとなる
今少子化で子供自体が減っている時コロナウィルスでも子供に影響したらもう国すら持続できないとなり深刻なものになっていた

いづれにしろ飯館村は一番残念だった、もう前のような平和な村はない、かつての面影は消失した
こうして何か利権の場になり欲で動く人たちが遠くからも集まり内部では補償金でもめて二分するとかずたずたなのである
人間の欲が露骨に現れてその風景もフレコンバッグとか田畑も荒廃して草ぼうぼうであり神社でも捨てられて幽霊が徘徊している感じになる
猿の群れが人をおそれず歩き回りイノシシがそこらじゅう掘り起こしている
無惨な風景となってしまった、そして奇妙なのは別荘のような新しいこじんまりした家が建てられた、でもそこには人は住んでいないのである
後は古い家は幽霊屋敷のように残されたとなる
飯館村の復興は相当先になる、もう百年後とか二百年後でもみなければならない
その時飯館村に人が住んでいるかどうかわからない、ただ別な形で逆に復興しているということもありうる、それはもう老人にはわかならい、死んでしまうからである

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シーシュポスの岩




posted by 老鶯 at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2020年08月19日

福島県コロナの感染者が会津にでない不思議 ((スペイン風邪を分析して地理を見る)


福島県コロナの感染者が会津にでない不思議

(スペイン風邪を分析して地理を見る)

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●会津に感染者が出ない謎

福島県のコロナウィルスで不思議なのは会津にまだ感染者が出ないのである
これは岩手県のようにここだけなぜ感染者が出ないのか?
最初は南相馬市から東京のライブハウスに行った人から感染者が出た
その人はすぐ近くだったから驚いた
でも会津では未だに感染者が出ていない
郡山市などが多いのは交通の要所だからわかる、中通りが出やすいのもわかる
新幹線が走り東京との交通が頻繁だからである

でも会津でも東京から会津鉄道がありそれなりに観光でも来ている
会津は観光収入が多い、会津の江戸時代のコレラの流行で考察したが会津若松市中心に拡散した、それで田島の方には逆に栃木県の方からではなく会津若松市から城のある所から伝染していたのである
また白河街道が江戸時代は主要な道路で新潟から阿賀野川も道路の役割りを果たしていたからそこを通じて人の流れがあり感染が広がった
新潟には北前船が入ってきて遠くからも感染した人が入ってきて伝染した
長崎からコレラは入ってきて感染者が増えたからである

でも不思議なのはなぜ会津で感染者が出ないのか、これが不思議なのである
人の行き来はやはり相当数ある、でも福島県で唯一感染者が出ていない
これには何か理由があるのだろうか?
県でも実際は満遍なく感染者が出ているのではなく出ていない地域がある
ただ東京から拡散してその周辺から感染者が徐々に増えた
茨城県が最初少なかったがやはり増えた、予想したのは東北では仙台市が多くなると診たかその通りになった、あれだけ東京から人が流入するのだから感染は増えるとと思った
ともか感染者はコレラでもそうだが交通と深く関係しているのである

江戸時代でコレラがあれほど会津の城ある所から感染者が増えたのはその当時福島県は会津中心の社会だったかもしれない、今見ている感覚と違っていたのかもしれない
福島県は福島市に県庁が置かれたがここに何か藩があったとか城があったとかないのである、郡山市にもない、三春藩があり郡山市は明治以降に発展したのである
中通りだと二本松が10万石で中心だったとなる
会津は30万石くらいだとすると中心が会津にあった
でもコロナウィルスでは一つのエアポケットのようになっている
この原因は何なのだろうと不思議なのである
今ならどうししても会津でも人の交流があり交通でも発達しているし感染するはずだからである

ただ全国の感染者を見るとやはり東京を中心にして大都市を中心にして感染している
東北では仙台中心であるが青森とか秋田とか岩手県は少ないのである
それは全国を見ても四国などでも感染者が少ない、大阪中心に感染者が増えたのはそこが人口密集地帯であり交通の要だから当然だとなる
ただ金沢など日本海側は比較的多いのもやはり交通の関係かもしれない
大坂京都ととの交通が古代からある場所だったからである
大伴家持が赴任した場所でもあったから古代から奈良と京都と交流があったからである
そして滋賀県が最初大阪に京都に近い割には少ないと見ていたがいづれ増えるだろうと見ていたらやはり増えたのである
何かこれは地理を見ていると予測できるのである
私は地理に興味がありそうなると見ていたのである 

●スペイン風の全国への感染  

最モ早ク發生ヲ見タルハ神奈川、靜岡、福井、富山、茨城、福島ノ諸縣ニシテ、之ト相前後シテ埼玉、山梨、奈良、島根、ヤ島、等ノ諸縣ヲ襲ヒ、九州ニ於テハ九月下旬ヨリ十月上旬ニ渉リ熊本、大分、長崎、宮崎、福岡、佐賀ノ各地ヲ襲ヒ、十月中旬ニハ山口、廣島、岡山、京都、和歌山、愛知ヲ侵シ、同時ニ東京、千葉、栃木、群馬等の關東方面ニ蔓延シ、爾餘ノ諸縣モ殆ント一旬ノ差ヲ見スシテ悉ク本病ノ侵襲ヲ蒙レリ、

神奈川、三重、岐阜、佐賀、熊本、愛媛等ニ流行再燃ノ報アリ、次テ十一月ニ至リ東京、京都、大阪ヲ始メトシ茨城、福島、群馬、長野、新潟、富山、石川、鳥取、静岡、愛知、奈良、和歌山、廣島、山口、香川、福岡、大分、鹿兒島、青森、北海道等に相前後シテ散發性流行ヲ見、爾餘ノ諸縣モ漸次流行ヲ來スニ至レリ」

1920-22年には33-35歳の年齢域でピークを示している.男子では1917-19年と1920-22年との両期間で年齢ピークの位置が異なっているのに対し,女子ではいずれの期間においても24-26歳の年齢域でピークを示している.また,女子のピークが男子に比して高いことも特筆に値する

日本におけるスペインかぜの精密分析(インフルエンザ スペイン風邪 スパニッシュ・インフルエンザ 流行性感冒 分析 日本):(東京都健康安全研究センター)

神奈川、靜岡、福井、富山、茨城、福島ノ諸縣というときここに東京が入っていない
神奈川というとき横浜市が神奈川である、その時東京より横浜の人口が多かったかもしれない、確かなことは東京から拡散していない、後から東京に拡散したのである

そしてここでも不思議なのは宮城県が出ていない、感染者が少ないのである
今なら仙台市が感染者が増えて東北に広がる、それは最初から見えていたのである


横浜市 1920(大正9年) 42万  

東京  1920      36万  


(A) 仙台市
■(B) 仙台圏 

1920年(大正9年)118,984 320,770   

福島市

大正09年35762   

郡山市

大正09年26218  

会津若松市

大正09年45492 


これでみるとスペイン風邪が流行した時に横浜市が東京より人口が大きいのである
つまり横浜市から文明開化が起こり人口が増えて次に東京が人口が増えたのである
おそらく神奈川から増えたというとき横浜市が中心に増えたとなる

福島県では会津若松市が一番人口が多かった、つまりその時でも会津若松市が福島県の中心的存在ともなっていた
仙台市はすでに11万だから多い仙台圏となると32万だから多い

●東北の感染拡大地図

仙台市にも広がったが仙台市が特別多いとはなっていない
新潟県が多いからその方面から伝染したのかもしれない
それは江戸時代のつづきだったともなる
最初に仙台市が増えるようなことはない
鉄道とか交通が発達していないからである

次の感染地図を見ればわかる

spanishvirus1.jpg

spanish222.jpg

新潟県が多いのは江戸時代の延長にもなっている
1920になるとやはり宮城県は福島県より増えている
ただ福島県の方が先に伝染している
宮城県は後だということは当時の交通が影響している



仙台市にも広がったが今だと仙台市から東北へ拡散するが当時は福島県から拡散した
当時の交通は確かに鉄道は通っていたとしても主に貨物輸送であり人がそんなに乗らなかったのである、今のように観光旅行などしていないからである
文人などが一部していただけで庶民はしていないのである
ただ大正時代生れでもその後成年になって東京に行く人が増えたのである

いづれにしろウィルスは交通と深く関係していた、それは確実にそうである
だから最初は東京に近い茨城県が少ないと見たが増えた
大坂京都に近い滋賀県が少なかったがやはり増えたのである
つまり人口が多い密集地帯から拡散するのである
でも仙台市がそうならなかったのは交通が活発でなく人の行き来が今と違っていたからだと推測する、江戸時代だと北前船とかで新潟県から会津の方へ人の流入があり感染が広がったからだ、ただスペイン風邪でも新潟県が多いのである   

福島県会津へのコレラの流行 (伝染病は交通と密接に結びついていた)


yokohamarail11.jpg


汽笛一声(いっせい)新橋を
はや我(わが)汽車は離れたり
愛宕(あたご)の山に入りのこる
月を旅路の友として
(新橋)


鶴見神奈川あとにして
ゆけば横浜ステーション
湊を見れば百舟(ももふね)の
煙は空をこがすまで


愛宕(あたご)の山に入りのこる
月を旅路の友として

こんな感覚は今はない、ビルに埋まっているからである
ここで横浜ステーションとしていることが文明開化の地だからそうなった

posted by 老鶯 at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

社会が変わると価値観が変わる (ニートとか引きこもりとか増え遊戯三昧も追求されるネットの時代)


社会が変わると価値観が変わる

(ニートとか引きこもりとか増え遊戯三昧も追求されるネットの時代)

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安倍首相と日本人がかかっている呪い。嫌な仕事、結果が出ない仕事を辞めたくても辞めれない・・・呪いはどこから来るの?作家今一生さんと一月万冊清水有


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スーヅの時代は終わった(加治将一)


何かインタ−ネットで特にyoutubeの発言を見ていると不思議になる
今日の月一万冊での対話でもそうである
特に遊戯三昧という禅宗の言葉が面白い、何か遊びでもそれを追及して行けば悟りの境地にもなるとかなる
遊戯とか遊ぶことなど無駄であり社会人から拒否される
また禅宗は座禅するということはデスタンスをとることである、そして大声でしゃべらないことである、そうして沈黙していることが修行なのである
そうしないと棒で叩かれる、だから私はキリスト教とか聖書の神に基づいているとしても禅宗が好きなのである、向いている
それは30年間引きこもっていたから寺に入らないにしろ禅宗の修行僧のようになっていたのである
例えば遊戯三昧というとき自転車とかで旅したとするとそれは雲水となる
自由な旅を追及したとなるからだ
でもそういうことができたのは家族に恵まれたからである
あなたのしたいことをしなさいとなっていたのである
普通働かなかったら働け働けとなって親に殺されたりもしているからだ
私にはそういうことは全くなかった、だから特別な家庭環境でそうなったのである

そして今になるともう死んでもいいとう歳になってまたコロナウィルスで今までの社会常識が変わる、他でもAIの社会になるとコンピュターが仕事するからすることがないからみんなけアーティストになれとかいうのも奇妙なことだと思う
その人は歌が好きで歌手になりたいとしている、でもすでに60代なのである
加治将一氏でもスーツの時代が終わったというときまたスーツを着ているのは詐欺者に多いというときも今までの価値観とは違う、会社員がほとんどだとするときスーツなしではありえないからだ
私はスーツなど着たこともないのである
そしてスーツを着ている人は何か逆に胡散臭いということが確かにある
パリッとして正装しているからスーツを着た人は信用できるとなる
そういう人は社会人として常識あり信頼されている
その恰好を見て人は判断するからだと言われてきたのである
つまり人は何であれ見た目だとか言われているのが普通だったのである
だからこういうことを盛んにyoutubeとかネットで言われるのは何か不思議なのである
別にアウトサイダーならいい、それがまるで時代の先端を行くのがアウトサイダーだとなっている
アウトサイダーとなれば社会で天才と言われる極わずかの10人足らずとかの人間のことを言っていたのである
例えばニーチェとかゴッホとか宗教ではキケルゴールとかの単独者のことである
それは極めて少数者でありそれは歴史にも残る人として評価されている
上野霄里氏などもそうだった、それは一時師として私は仰いでいたからである

とにかくアウトサイダーとして生きることは実際は至難なことでありむしろ天才とか優れた人のことを言っていたのである
それがなぜか普通の人がそうしたアウトサイダーとかになる
まず無職だということがその条件だからである、ところが現代はニートでも引きこもりでも百万単位でどこにでもいる、田舎でもいる
良く同類なのか、そういう人と田舎でも逢う、風体からしてその人は仕事はしていない
何か髭をはやしてふてぶてしい、だからそういう人は何なのだろうとなる
またコトオジという子供部屋おじさんというのとも会う、その人は毎日ぶらぶらしているだけである、だからそういう人となぜか私は逢うのである
でもそういう人は何なのだろうとなる
でも今でもそういう人を世間はどうみているだろうか?
毎日苦労して働いているのになぜぶらぶらして働かないのだと大きな不満をもっている
そういう人は死んだ方がいいともしている
また現実にホームレスに暴力をふるった人がいてそれは会社員の人が苦しんで働いているのに何もしないでいるホームレスに不満になり暴力をふるったとしている

ただまずスーツを着ている人間を詐欺師だというのも驚きである
でも本当はスーツを着ていれば信頼されるというよりそれによってだますということがあった
なぜなら銀行でも保険の勧誘でもまた営業になればみんなスーツを着ている
それはユニホームのようなものである、それで信頼されるものとなっていた
でも実際はそういうユニホームにだまされるとういこともある
だから警官の恰好をして人をだました詐欺者がいたというのもそうである
もしよれよれの服など着ていたらなんだこいつはとなり相手にしないからだ
でも団塊の世代となるとみんな会社員でありスーツを着ないでは仕事ができないのであるただこうしてスーツを着ている人が詐欺者だということも一面あった 

カルト教団とかでは勧誘するときそうしてみなんスーツを着てまるで会社員のような恰好してくる,創価ではそういうふうにスーツを着てまるで大企業の社員のようにして勧誘していた、創価ではとにかくナチスのような雰囲気の世界でありみんな統一された服装にもなる、そこに一切の自由はない、中国の共産党とも同じである
その人たちも人民会堂ではスーツを着ている、ただ多様な世界だから民族衣装の人もいることは違っている
スーツを着ている人は詐欺者というのは本当に意外でありその人でも不動産とかの商売をしていたのだからスーツを着ていたのではないか?
この人については何か理解できないものがある
ただ比較的欧米とかでの生活経験ある人は自由な考えとか態度の人が多い
それで外国で生活経験を積んだ方がいいというのはわかる
たいがい日本を客観的に見れるのはそういう人達だからである

インタ−ネットの発言はもともとマスコミのように制限されていなかった
自由な発言の場として発展した、でもこんなことをみんな言っていいのだろうかとなる
それが今の社会にアフターコロナに必要なのだとか言うのもそれはもう昔のアウトサイダーとかではない、社会自体そういう価値観を受け入れるようになったからだともなる
そもそも百万もニーととか引きこもりがいること自体異常である
でも数が多ければ正常になる、ナチスでもそうなったからである
その時はみんなそれが正常だったのである、だから創価などもそれと似ている
みんな創価の会員になったらナチスと似たものとなるからだある
そうなるのじゃないかと一時は会員が増えたので危険があった
回りをみてもみんな創価の会員だとなっていたらそうなるのである

いづれにしやスーツでも制服とかを着るのはその時その個人の個性とか自由は奪われているのかもしれない、警察でも自衛隊でも何かユニホームを着ることは全体主義に通じている、実際にファシズムの全体主義になれば警察とか軍隊が戦争の時のように強権をもって統制してくるからだ、それは歴史で実験済みである
ただ世界的にもスーツを着ているのがスタンダードになっているからスーツを否定することは何なのだろうとなる
日本の伝統を重んじるなら和服を着ろというもの理屈である、なぜなら民族衣装こそその国の伝統文化だからだとなる
スーツは民族衣装ではないからである

ともかく今インタ−ネットでそんなことを盛んに言うのはこれまでの価値観が変わりそうなった、今までのように経済成長も望めないし一生大企業でも勤めていれば役職につき給料もあがり社会的地位を得て社会に認められるとういものでもなくなったからだという
それでダークネスで「どこの馬の骨かわからなくなる」これも大企業でも富士通でも45歳でリストラになるとかなればそうである
お父さんは一流企業で働いてる自慢もできなくなる
それは実際に厳しい社会でもある、一生安泰な世界はなくなる
職人なら腕一本という時代になるのとにている、大きな後ろ盾の会社とかはあてにならなくなるからだ
俺には一人で稼げる腕があるとなればそうなる

でも確かに遊戯三昧という禅宗の考え方は面白い、遊戯でも究めればなにものかになる
それは自分自身が流れ作業との底辺の仕事を嫌い旅ばかりしていたからわかる
旅でも追及して行けばそれは旅人として名を遺す人ともなるからだ
社会からはずれても西行や芭蕉や山頭火とかなり一つの世界を究めたとなるからだ
だから一つの世界を究めるということは人生では大事である
ただそれはスーツを着ているようなユニホームも制服を着ているような人には無理に思える、その人たちが個性を出すことは禁止されるからだ
同じ歩調で統一される、それはカルト教団でも同じである
そこには全く自由はなくなるのである、集団で必ず行動してナチス的になるからだ
共産党も中国のように同じなのである、一人一人が細胞というときもそうである
政治とかはみなそうなりやすいのである、また宗教も集団化すれば一人一人は細胞にすぎないのである、一票という頭数だけになる
中味は個性とかなんとかは一切無視されて数として数えられるだけだとなる

とにかく人生は70年も生きると価値観がまるで変ることがある
それは戦争に負けた日本で起きた、国家が最大の価値であったのがそれが全く失われたからである、その代りに企業戦士となり会社にすべてを捧げるともなった
会社に帰属していることがスーツをきて一斉に出勤することは何か軍隊の変形したものなのかもれない、今になるとそれは何なのだとなるのも不思議だとなる
スーツの時代は終わったというのは会社員の時代が終わったとういことなのか?
それも簡単には受け入れられないだろう、でも今時代が大きく変わってゆくことは確かなのである
だから私こそ遊戯三昧に生きてきた、ただそこで小人だからこそ閑居して不善を成すとなったのである
以外と今でもニートとか引きこもりとかは様々な見方があるにしろいいものと見られないそんな人間がなぜいるのだろうとまだなっている、みんな働いているのに働かない人間は許されないとなるからだ、ただ原発事故とかなり異常事態になりみんなが復興のために働くことが求められたときはやはり働かない人間は責められても仕方がないとなる
現実は外から来た人たちが仕事でもボランティアでも働いていたのである
肝心の地元の人たちは働かないからこそそう言われたのである

ともかく人生大事なことはぶれないことである、右でも左でもいい、それを貫けばその人は何者かになる、だから遊戯三昧でもいいのである
でもそれが社会からはずれたものだから貫くこと自体相当に優れた人でないとできない
私はたまたま家庭環境に恵まれたからなれただけなのである
おそらくニートとか引きこもりとかも食べさせる家族がいて成り立っている
そういう豊かな時代だからこそ生れ人たちなのである
時代でも70年も過ぎると明治維新があり70年過ぎて戦争があり戦争にまけて価値観ががらりと変わった、そしてまた70年過ぎて価値観が変わる
そういう大きな時代の変わり目となり技術でもインタ−ネットとかスマホとかが成熟してきたことでも変わったのである
だから人生はこうして変わるからこれからは遊戯三昧でもそれを追及していけば何者かになるという時代になる
その表現の場としてインタ−ネットがプログでもyoutubeでも生まれたとなる
そして規制のマスコミは古くなり衰退メデアとなる
そういう先を見越すことがこれからは大事である、だから銀行でも半分がなくなるとかなるのも時代である、公務員がいいとした時代も終わりつつある
東大の優秀な人は官僚を目指さないとかあり意外と公務員は人気がなくなっているのだ
これも時代の変化なのである