2020年08月01日

去年の水害の爪痕 (上真野川―水無川の被害が大きかったー復旧は長くかかる)

 去年の水害の爪痕

(上真野川―水無川の被害が大きかったー復旧は長くかかる)




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これは小池の付近である

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風穴の湯への橋が壊れた

これも不便だったと見た、渡ることができないからだ


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ここはなんとか自転車で通れた


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ここで完全に通行止め

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橲原(じさばら)は草ぼうぼうで田畑は荒れている

ここは回復しないのか ?




上真野川というより水無川である、ここは下の方では普通は水が流れていない、水は下をくぐって流れている、でも上になると水は流れている
小さいようで上になると結構大きな川にも見える
この川のさらに奥は神秘的な場所になる、そこに行く道はなくなっていた

とにかくこの川沿いに道が寸断されていた、それも大きくえぐられて危険になっていた
こういう場所は車は通れない、自転車だとたいがい通れるのである
でも急に前が崩れていると怖いことがある、それは高倉の方でそういう場所がやはりあり危険だった、前は陥没していたからである

去年の水害は思った以上深刻だった、いたるところに水があふれて砂利が流れだして道をさえぎった、木も流された、相当な水量だったのである
それで丸森町で被害を大きかった、何か雨の量が相当なものだったのである

この復旧は長くかかる、新田川でも被害があり壊れた土手は復旧していない
何か災害がつづく、災難の時代なのである

浜通りは海側は午から晴れた、山側はまだ梅雨の雲がある、でもそろそろ梅雨は明ける
長い梅雨だった
posted by 老鶯 at 16:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波水害関係

2020年08月02日

鬼百合とダリヤの写真


鬼百合とダリヤの写真

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庭に咲く鬼百合見れば思い出す強気の姉の家を守りぬ


鬼百合というとき姉の花である、姉は太っていて強い女性だった
だから男でも恐れていたのである、男でも全然怖がらないのである
男の方が怖がってしまうのである
人を見る時真正面からにらむ、話するのにも堂々と話す
それで父親死んだ後、家が守れたし自分も楽したとなる

ただやさしさには欠けていたのである、人間は結局あらゆるものを備えた人はいない
優しい人は気弱になるし何か性格的に欠けるのである
人格的にあらゆるものを備えた人などいないのである
第一人の性格は人間は悪いと見えるものがいい方に働く

でも姉は最後は認知症になり悲惨に死んだ、最大の弱者となったという悲劇である
それには驚くばかりだった、強い人間も最後は弱者になる
ただもし急激に倒れた死んだからそんなことには見えなかったかもしれない
なせなら突然死んだのだからそこに弱さを見せることもないからである
まず病気になったりしたらどうしても弱者になるからである

いづれにしろ花とともに人も思い出すのである、特に花となると女性をイメージする
花にもいろいろありそれが様々な女性をイメージするのである

とにかく家は一人では作れない、男女があり総合的なものとして作られている
そこに家の意味がある、それは会社でも同じである、様々な人が力を発揮して作られる
家は最小限の共同体なのである、これは自治体とか村とか町とか市でも同じなのである
ただそれが現代では大きくなりすぎて一つの共同体として感じられないのである

厚生病院の裏の畑にダリヤが咲いている、その隣の庭も花が咲いている
そこの家は留守だったので写真を自由にとれたのである
写真は結構むずかしい、花は近づいて大きくとるのがコツのようだ
そしてカメラもいいものでないと本当はきれいにとれないことがある

揚羽がとれたので良かった、揚羽と鳥が動いてすぐに消えるからとるのがむずかしいのである

今日はここは晴れた、梅雨はようやく明けた、写真をとるにはいい、ただ暑くなると日射病になるのが怖いのである
老人はこれに気をつけないとまずい、ただ晴れてからっとしているからいいみたいだ


事実を報道しないマスコミ (武田邦彦氏がヒットラーの宣伝工作と同じだと・・ 原発事故と同じく数字のマジックに踊らされる)


事実を報道しないマスコミ

(武田邦彦氏がヒットラーの宣伝工作と同じだと・・

原発事故と同じく数字のマジックに踊らされる)

絶対に騙されないで!政府・マスコミは恐ろしい事実を隠して報道しています。
ある自治体の人が衝撃の事実を打ち明けてくれました…

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原発事故で放射線量というので混乱した、ある学者は低い放射線はかえって体にいいとか言う、すると素人はそういうものかとも思う
それは結局目に見えて現れないからそうなる、放射線被害は十年とか二十年とかさらに三十年とか後にガンになるとか被害が出るとしたらわからないからだ
そして数字のマジックにかかる、数字にいっきいちあいする
数字で恐怖して数字で安心する、でも実際の症状が出るのはずっと後だからただ数字に
踊らされるだけだった

ただ原発事故とコロナウィルスの相違は放射線量は別に機械でも市販されていたから計れたのである、それで自分も放射線のことなど皆目わからなくてもそれで計った
それで確かなことは飯館村では一部泥の所が佐須で20マイクロシーベルトと出たのである、だから飯館村は高いと実感した、それはホットスポットだけではない
全体的にそのくらいの放射線量が出ていたときがあったのだ
だから特別飯館村の被害が大きいものだったのである
そして樋の下からは7マイクロシーベルトとかあった、それは屋根に放射性物質が雨になりたまり下に落ちてきたからである、こういうことも素人でもわかったのである

今回のコロナウィルスは確かに数字を発表している、ところで武田邦彦氏によると陽性者と感染者は別だという、感染者とは症状が出た人であり陽性者は症状が出ないから感染者ではないという、ある自治体の役人が4人陽性者が出たが症状が出たのは一人だった
となると実は感染者は一人だとして報告すべきだと指摘した
自治体の役人も四人が感染者だとしているのはおかしいと言っていたという
つまり実際に問題になるのは症状がでた感染者であり陽性者のことではないという
そこが混乱して何か毎日数が増大してゆくので怖くなる
するとマスコミにテレビにくぎ付けになる、それで視聴率が増える
それがマスコミの目論見であり正確な情報を伝えることをしていないとなる

報道とは何か?これが今問われている、インタ−ネットでそのことが常に問われ批判されるようになった、NHKでも事実を報道したりしない、NHKが報道するのを決める、NHKが何かあったらその正邪を決める、そのNHKの報道したことに従うべきだとなる
その報道することでも客観的には報道しない、NHKがマスコミの判断したように報道する、事実があってもそれを脚色したものを報道する
第一まず何か事件があったら編集会議を開きどう報道するか決めるのである
そしてその局のトップがどう編集していいか決める
それで原発事故では津波の被害者と原発避難者がいたが原発避難者側につくことを決めたのである、実際は津波の被害者の方が被害が大きかったのだけど今話題になるのは原発避難者だとしてそうしたのである

おそらくマスコミは国民受けするのを大衆受けするのを率先して報道するのかもしれない原発事故なら原発事故一色になっているからそこに注目して報道する
津浪もそうだが原発事故の方が注目するということで報道したとなる
マスコミは視聴率をとれるものを優先する、話題になりにくいものは報道もしない
それはすべて視聴率優先だからそうなる
誰も関心がない見ないものを報道しても何もならないからである
誰も見ないとしたら宣伝費もかせげないからだ、そんな番組にテレビ局でも会社で宣伝してくれともならないからだ
それはyoutubeでもプログでも同じだったのである
どうにかして視聴率上げることばかりに夢中になる、見る人が多くなればそれだけ評価があがる、影響力も高くなるからだ
それでyoutubeもテレビと同じようになっているところがでてきた
大衆受けする奇抜なものを自ら演出したりする、そういうものが大衆受けするからであるつまり視聴率優先になれば必ずそうなるのである

そもそもなぜコロナウィルスでこんなに混乱しているのだろうか?

●政府の指針

●専門家科学者医者の指針

●マスコミの指針

これらが別れて混乱しているからではないか?
それは原発事故でも起きたことである、だから原発事故ともにていると思った
ただ原発の場合は政府の指針が強力でありそれに専門家や御用学者が従った
それにマスコミも従った、それで強力な原子力村が形成されて安全神話が作られたのである

(アメリカの指針)⇒政府の指針⇒専門家科学者医者の指針⇒マスコミの指針

何か表には出なかったが原子力政策はアメリカの要請でありアメリカの指針があり日本が従ったともなっていた
この構図はわかりやすいものだったのである

でもコロナウィルスにアメリカの指針がかかわったり政府の指針で専門家とか科学者医者が従いマスコミが従いとはなっていない

ただそれぞれの思惑があり混乱している、マスコミの指針はNHKでも視聴率をとるために恐怖をあおるという指針である、それで利益を得るのは原発報道と同じである

視聴率がとれる⇒会社の宣伝費が増える⇒給料が増えるとかなる

だから盛んに数字で恐怖をあおるとなる
視聴率をあげるというときそれは視聴者にも問題があるのだ
ヒットラーだってけナチスだって生まれたのは結局国民が大衆がそれに熱狂したからである、経済もゆきづまり失業者が膨大になり苦しんでいる時ヒットラーが救世主のように見えたのである、それとメデアの力であおったのである
それでピカートはナチスはラジオから生まれた分析した
ラジオとは今ならテレビなのである、音だけの世界とテレビの映像の世界はまるで違う
そのインパクトが違う、それでイラク戦争では油まみれの海鳥をテレビで放送してフェクニュースに世界中の人がだまされたのである
テレビではその回りの状況が映されないことがある  

ツバルなどで見られる海水の湧き出しによる洪水の深刻化は、潮位だけでなく、島の地形土地利用、波力など複数の要因が関わって生ずる現象ですが、そのメカニズムは十分に解明されておらず、現時点では温暖化による海面上昇が主原因と断定することはできません

つまりあくまでも温暖化が原因だとは特定できていない、それはあくまでも推測なのである
ではなぜ温暖化がNHKがこれほどにあおるのか?何か目的があるのか?
それは温暖化商売となるかららしい、つまり温暖化で利益を得る団体があり利権がありそうなる
それは逆に原発が推進されたのは原発が利益になり利権になるからだったと同じなのか?原発は莫大な利益になり利権となったから強固な原子力村が形成されたからだ

ともかくメデアの流すウィルスにかかりそれの方が一番怖いというのがわかる
コロナウィルスの本体よりテレビによりかかるウィルスの方が怖いとなる
そしてこういう混乱状態と経済的困窮時代になるのはヒットラーが生れた時代と酷似しているという、社会全体が不安になりその解決策が戦争へと結びついた
日本がの戦争もアメリカの経済封鎖で困窮して追い詰められた結果として戦争に踏み切ったともしているからだ
つまり戦争は国自体が追い詰められた結果なのである、人間でも追い詰められ人間は本当に怖い、金に追い詰められた人間は犯罪者になるのが普通であり今日食べるものがなければ簡単に人でも殺す、ということは他国でも侵略して食料を得るともなるのである
そういう恐怖の時代が迫りつつあるということである

平和主義というとき何か盛んに平和を言う人はあてにならない
ヒットラーも平和主義者だったのである
それは右でも左でもそうである、平和平和と9条を死守しろとかなる
また創価でも池田大作が平和のことを延々と説く、でも実際は創価でも武装集団とにていて権力争奪にしか関心がないのである
平和というときそれは内心の平和であり私が詩にしたように山鳩が野に飛んできた田畑に人が働いているような光景なのである
平和とは平和を叫ぶことではない、平和な光景であり状態なのである
それが飯館村とかでは原発事故で全く失われたことを書いてきた
そういう光景自体が東京のような場所では喪失した、つまり戦争がない状態が平和ではない、平和は私が田舎で詩とかで追求したことにあった

そもそもなぜ人間社会は混乱になるのか?そこに人間社会の限界がある
イ―カロスが実は迷宮から脱出しようとした高く飛んで墜落したのである
この世はそもそもその時代から迷宮だった、その迷宮から科学技術の力で脱出しようとして墜落したのである、それはコロナウィルスでワクチンを作りこの混乱から脱出することともにている
つまり科学技術にも限界があり解決できないということなのである
だからこの世は最終的に自壊して滅びると予言されているのである
何かすでにコロナウィルスでも政治も機能しないし専門家科学者でも機能していない
こうした混乱に乗じて視聴率をあげるためにマスコミは扇動するだけだとなる
つまり機能不全に陥る、そして多機能不全で社会全体が崩壊する
つまりそこにファシズムが起こり戦争にもなる、そういう危機的状態になっている

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迷宮から脱出しようとして墜落したイ―カロス


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加治将一ちゃんねるを見ていると何か武田邦彦氏の言うことと一致している
日本は感染者がふえても死者の数が極端に少ない
その理由が良くわからない、でもそれは欧米と比べてはっきりしている

それでなぜこんなに政府でもマスコミでも感染者が増えていると騒いでいるのか?
用心することにはこしたこことがないということもある
でも過剰に恐れさせているのである
普通に手を洗うとかマスクするとかしていればそれほど恐れるものではないという
でもどうししても恐怖心を持つのである
それは人間の心理的な影響であり心理学の問題である
恐怖心というのはそういうものだとなる
その恐怖心で社会全体が委縮させられたとなる
もちろんコロナウィルスなど気にするなというのではない、その対策に従うべきである

でも日本人に必要がない、ワクチンをアメリカとイギリスの製薬会社に6千万人分注文したというのもなぜだろうとなる
全く治験(ちけん)もしていないのに危険もあるのに注文した
これも不可解なのである

これもアメリカがGEとかの会社がお古の原子炉を日本に売るために日本に原発を作らせたとかと同じなのか?
欧米には必要でも日本でぱこれだけ死者数が少ないのだから必要ないとなるからだ


posted by 老鶯 at 10:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年08月03日

奈良県の旅をふりかえる (奈良県は人口減少が大きい-奈良は田舎だった


奈良県の旅をふりかえる

(奈良県は人口減少が大きい-奈良は田舎だった)

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人口減少は、各都道府県を代表する都市であるはずの県庁所在地さえ例外ではない。青森市(220位)、秋田市(368位)、長崎市(382位)、奈良市(460位)などは、20%以上の人口減少が予測されている

奈良県= 御所市 宇陀市 大和高田市 桜井市 天理市

これだけ奈良県内の市が減少する市になっている、500以内にある
ここは他より多いと見た

将来「人口が激変する」500自治体ランキング

地理の感覚は実際にその場を踏んだり電車でも行かない限りわからない
何か今や記憶としての旅をつづけている
奈良とか京都には4回くらい行っている
だから地理的に実地に行っているからイメージできる、御所市となると何か駅として記憶したが奈良中心部からかなり離れていると意識した
そこから吉野の方に行ったからである

奈良中心部でも奈良市でも田舎だと感じたのは回りに田んぼがあったことである
これは意外だった、もっと繁華なところだと思っていたからだ

それで奈良市の中心部の郊外に三重塔がありそこに蓮華が咲いて夕暮れに雀が塔にとまっていた

三重塔雀の群れて蓮華かな 

ここは斑鳩町なのか、回りは田んぼだった、ここは奈良市からだと遠すぎるから違った場所だったのか?
ここで写真をとる人がいた、この句のように何か奈良市でも田舎の感じがあった
だから奈良と京都は相当に違っている、京都にはもう田んぼはないからである
だから奈良だと万葉集の昔を偲べるのである

奈良だと御所市を記憶しているのは一時その名前が御所となっているからであった
それで記憶した

一時を御所駅とまり秋の暮

奈良県で最も人口の少ない市、御所(ごせ)市は、大阪府南河内郡との境にそびえる「葛城山(かつらぎさん)」と「金剛山」という2つの山の麓にある町。日本の初代天皇である神武天皇やヤマトタケル、高天原など神話の世界に登場する非常に由緒ある町です。

御所市は置き薬として有名な胃腸薬「三光丸」発祥の地でもあります

『紀氏家牒』の「五処里」の地名は、
「神森」→「御森」→「三室」のことで、このミモリの「御諸(みもろ)」を音読し、
「五処(ごしょ)」→五所(ごしょ)→御所(ごせ)に転じたものか。

江戸時代、“大和の売薬”で知られ、有名な家庭常備薬の製造
や行商に携わるものが多かった。

吉野の近くに「薬水」という駅がありそこが気になっていた

薬水には、「薬水の井戸」と呼ばれている、ふしぎな伝承を残す井戸(湧き水)があります。

弘法大師が、宇陀の室生寺と高野山のあいだをゆききしていたころ、あるときこの村を通りかかると、村の人たちが大勢疫病にかかってこまっているのをみてあわれに思い、このふしぎな井戸を教えてくれたという

ところがそののち、無信の人が、この水で米をといたり、むつき(ふんどし)を洗ったりなどしたので、そのたたりをうけて失明してしまったようなことがあった。それからというものは、人々はこの水をこわがって、ちかよらなくなってしまった

これも不思議な物語である、疫病というのは常に恐れられていた、どうしてもその水を洗濯したり洗い物すると水が汚れる
意外と今は山の清水でも汚れている場合がある、上流で獣が住んでいて汚したりするからである、ばい菌でも出やすい、この辺では清水は放射能汚染で飲めなくなった

秋の灯や電車去りゆく薬水

何かこうして駅名だけが記憶に残っていることがある、特に電車の旅はそうなのである
そしてまた電車の旅も忘れやすいのである
ただ距離的に奈良からかなり離れているなと意識しているし奈良から京都までも一時間とかあったのか結構遠くも感じた、この距離感覚は電車でわかりにくくなる

とにかく奈良は今や関西でも田舎だとされる、でも関西は大坂でも京都でも奈良でも歴史があるから違っている、京都からすぐ近くでも滋賀県は風光明媚で田舎なのである
奈良県は山に囲まれて広い、吉野まであり魅力的である

ただ全国の人口減少地帯になっていた、中心部の奈良市さえ人口減少500の都市に入っていた、また観光地なのにホテルが少ない、京都とはずいぶん違った場所なのである

いづれにしろ旅の記憶をたどるときインタ−ネットは便利である
こういう謂れがあったのかと再確認する、するとより深く知ることになる
でもまず旅はその場所に行かない限り知ることは不可能である
電車でも距離感覚がある程度わかる、地図を見ただけではわからないのである

とにかく私は日本だと隈なく旅しているからイメージできるのである
それで回想して旅をつづけているのである

奈良俳句集

こんな感覚であった、田舎の感じなのである

その時平城宮跡は空地になっていた、今は再現して大門などができた
その時は何もないただの空地だったのである、それすら残されないことにもなっていた
ただ歴史的遺産として残す運動があり残り今は大門などが再現されている
だからまた行ってみれど違った印象になる

大仏に蝦夷の鎮護や秋深む

大仏は蝦夷征伐で日本を統一されると犠牲になった
その人たちの霊を鎮めるためのものでもあったのだ
そして南相馬市の鹿島区の万葉集の歌ともかかわっていたのである
そこでみちのくの真野の草原の歌を偲ぶと歴史としてつながりを感じるのである

人口減少というとき福島県が500の中に入っていないのは解せなかった
震災とかで減ったと思ったが実際は減り方が意外と少なかったのである








夏の雲とスーパーヒタチ

 夏の雲とスーパーヒタチ

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クリック拡大

夏の雲湧きあがるかなスーパーヒタチ一路仙台へ走り去りゆく

午後4時30頃スーパーヒタチが通る、だからその時間にねらって写真をとる
その背景が違うと同じでなくなる
今日は夏の雲が出て光が雲間からさす、ただこのとき電車は相馬市の方へ行く
でも原町へ行くようにも見える、これが写真からはわからない
動画だったらわかるのである
電車がやはり場所を選定してねらってとるととれる
今回は偶然だったがカメラがあったので撮った

連休はいっぱい乗っていたけどまた少なくなった、10名も乗っていない
こういう状態がいつまでつづくのか?
交通関係は苦しい時期がつづく・・・

2020年08月04日

南相馬市の鹿島区の溜池除染 (除染費用は莫大であり無駄?)


南相馬市の鹿島区の溜池除染

(除染費用は莫大であり無駄?)

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 放射性物質を取り除くための除染作業の予算はどんどん積み増されてきた。2014年度予算案には4924億円が計上され、これまでの総額は1兆8899億円にのぼる。しかし、除染作業は計画通りに進んでおらず、費用の総額は5兆円以上になるとの試算も出ている。

 単純作業を繰り返して年間1ミリシーベルト以下という目標値を目指していくのだが、「雨が降れば道路や排水溝などは再除染が必要になる」(同前)といったことはざら。つまり1ミリシーベルト以下は“終わりのない旅”なのである。

 「作業員はみんな、『なんでこんな無駄なことをしているんだろう?』

●大熊町/清水建設・大林組などのJV、契約額151億2000万円
●南相馬市/大成建設などのJV、241億2900万円
●富岡町/鹿島建設などのJV、573億3000万円 

単純作業ばかりの巨額事業、競争相手もいない入札で業者はボロ儲けできる仕組みなのだ
※SAPIO2014年4月号
 

水無河原を下り小山田に出る細道の小さい溜池で除染がはじまる
そこで驚いたのはその除染する期間である

来年の3月までする!

そこの溜池は本当に小さいのである、四方5メートルくらいしかないかもしれない
だからそこがため池とも見えなかったのである
ただの沼かとも見ていた、それほど溜池にも見えなかったのである
それに8月からはじめて来年の三月までかかる
それが信じられなかった

こんな小さな溜池にそんなに時間がかかるのか?

溜池は大きなものがある、あまり大きなものは除染はしない、できないのである
そして溜池は本当に多い、大小の溜池が無数にある
この前は屋形の方で溜池除染していた、そこは隠れたよう場所にあった
だからわからない場所にも日本では溜池がある
でもここよりは大きいのである

そもそも溜池の除染は有効なのだろうか?それに疑問を呈している人もいる
放射線を計ったら減っていなかったとか郡山市でも300億円かけて減っていないとか報告している
それを私が感じたのはここは良く通る秘密の場所でもあった
お気に入りの場所でもあった、小高い丘がありそこに樅の木が立っていて実はそこは荒れているが鹿島区ではいい場所なのである、でもそれを発見したのは最近だったのである
別にこの道を舗装するとかではない、ただ来年の3月までかかることに驚いた
そんなに時間をかけることは費用もかかる

それでこんな小さな溜池を除染する意味があるのか?効果があるのか?

それは結局人間はその場に立ち実地に見なかいかぎり実際はわからいと思った
その溜池がいかに小さいかは実感できないのである
それはテレビで写してもわかりにくい、それでテレビの放送は常に映像で誤った情報を流しているのである
その場のことはその場に住んでいるか立ってみないと実感できないのである
広い場所でもテレビでみるのは狭い画面だけだからである
狭い場所でも広い場所と勘違いすることもある

とにかくいかに場が重要なのか、それは「場の現象学」を読んで納得した
報道でもなぜ誤解が生まれるのか、それはその場を実感できないことから起きていたのである
場とは一部を切り取ったものでもない、全体から意識しないとわからない
部分を映してもわからないのである、何か事件があって一部分を映してもその周りは実は何もない日常の風景がある、でも一部分だけを取り上げるとそれがわからなくなる
全体が甚大な被害に見えてしまうのである
それがイラク戦争で油まみれの海鳥一羽を映しただけで世界に大反響がありイラク憎しとなったのである
ところが回りは何も石油に汚染されていなかったのである
それも作られた映像だったのである、テレビの報道はこれだけ誤解されやすいのである
でも影響力が大きいから問題になるのである、それでテレビの報道を鵜呑みにするなとなった、まさに鵜が海鳥一羽の油にまみれた映像が世界にイラク憎しという印象を植え付けたからである、つまり映像の時代は映像に左右される、それが誤解を生むのである

いづれにしろそこの溜池がいかに小さいか実地にその場所に立たない限りわからない
自分自身もこんな小さな溜池を半年以上も除染作業するのかと驚いたからである
その費用も大きい、ここだけではない除染費用は莫大なものになった
それで潤ったのは大手のゼネコンでありまたその下請も恩恵にあづかった
でも必ずしも除染として効果があったかどうかは疑問なのである
するとなぜそんな莫大な金を国で税金で使ったのかということ疑問になる
除染という目的よりゼネコンに仕事を与えて金をくれるかとまでなる
除染だけではない、何か国で使う金は巨大な無駄がある
オリッピック自体が無駄であるともなっていた

ではなぜオリッピックをするのか?

それは電通とか様々な会社組織団体が金になるからだとなる、もちろん観光でも外国人を呼べるということもあった
オリッピックで景気を良くするという狙いがあった
でも別に福島の復興とかは関係なかったのである、福島を聖火ランナーを走っても別に福島がそれで復興したとはならないからである

ともかく今回のコロナウィルスでも金の使い方が無駄だったと指摘される
GO TO キャンペーンも旅行する人もそれを受け入れるや旅館でもとまどった
それも自民党が観光業者から献金されるからそれで予算から金を与えたともなる
だから何か国の事業でも無駄がある、その無駄は巨額になるのが国の事業なのである
そもそも原発自体が国の事業として必要だったのか?
それ自体必要ないものだったのである、だから肝心なことに金は使われず莫大な無駄なものに金が使われて効果を発揮しないのである
それは飯館村でもそうだった、5人の生徒のために50億円の立派な建物を建てても村の復興にならないとかなった
だから金をいくら使っても必ずしも効果があるとはならないのである
医師会の会長なのかテレビで言っていた、いくら装置とか機械とか病院という建物を用意してもそこで働く医師と看護師とかがいなければ何にもできない、そのためにはそういう人の訓練ができていてできる
予算で建物とか機械を用意してもそれ利用する人間が問題だと言っているのも同じである
ただ政治は利権で動く、予算を金を回して自民党の有利なようにする
それが権力をもつものの役得だとなる

人間はこうして巨額な無駄には気づかない、毎日十円でも損だとか心配しても気をつけてもこれだけ巨額な金の無駄使いには注意しないのである
そしてまた人間は自分自身が得か損かしか関心がない、得になればいいしかない
だから原発は得になる金になるということで誘致されたからである
そこに政治の問題がある
報道するというときやはり現場からその土地に住んでいる人から報道するのが効果的である
そこで「相馬新報」の意義がある、外から見えないものが見える
もちろん外の人がかえって見えるものがある、でも実地にその場を踏まないと実感できない、これだけは確かである、旅でもその場に立たない限りその場のことがわからないからだ、地域としても多様でありわからないことがある
ただ溜池の除染は他でもしていた、でもこんな小さな溜池で半年以上も除染の仕事をしていることに驚いたのである
一か月くらいで終わるとも見たからである

ただ水で放射線を遮蔽するとかそこをコンクリートにするとか放射線を防ぐ工事は無駄とは言えないだろう、そうしないと依然として放射性物質からの放射線を止めることができないからだ                                            
屋根の除染などは効果的だった、なぜなら樋の下の土が7マイクロシーベルトとかあったからである、屋根には雨とともに放射性物資がたまったていたのである

それにしてもその除染費用があまりにも莫大なことに驚く、それで他から来た人が別なものに復興のために使うべきだったということもわかる
新しい街作りとかにである、ただその人も事業に失敗した人でありそんな街作りができるのかとなれば疑問ではあった、でも何か復興とかで莫大な除染費用は必要だったのかは言える、それより卑近になるのが南相馬市で補償金とかで鹿島区は差別された
10年間小高、原町は医療費無料であり高速も無料だったのである
それは30キロで区切ったからそうなる、同じ南相馬市でも鹿島区は半月で医療費無料は打ち切られたのである、だからこの差は大きかった
ただこのことを言えばきりがなくなる、福島県全体が被害にあっても補償金はみんなに
払われなかったからである、必ずこうして不公平が生れるのが政治なのである


南相馬市復興事業協同組合 の入札結果・落札情報(落札の傾向)

これがネットでていた、発注したのは南相馬市と福島県だった
でもその金はやはり国の事業として出ているのだろう
環境省の管轄でありそこで予算から配分されて県と自治体にでる
ただ地元の会社だということは大手のゼネコンではないから
地元に金が回っているということが違っているみたいだ

posted by 老鶯 at 12:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2020年08月05日

コロナウィルスの情報過剰で恐怖心が増幅される (マスコミの危険な情報操作)


コロナウィルスの情報過剰で恐怖心が増幅される

(マスコミの危険な情報操作)

情報社会になったというときマクルハーンが世界が村になると言ったことが現実化した
イラク戦争の油まみれの海鳥一羽の映像がテレビで放送されたとき世界中がそれを信じたからである、映像の力をまざまざと見せたのである
情報社会は今住んでいる場所よりグロ−バルになりその場所についてまるでわからないものでも身近になるのである
ところがリアルに感じるのは現実にその場に立って見る時感じる時なのである
それで近くの溜池を除染するのに半年以上かかるということに驚きプログで伝えた
そこは溜池でもない、小さな沼とも見ていた
それでけ小さいのである、それなのに半年以上も除染作業するというのが解せなかったのである
だから現実にその場に立ってみない限りわからないことがかなりある
人間は情報過剰社会でフェクニュースでも信じやすくなっている
第一外国のことなどいくらグロ−バル化して海外旅行してもわからないことが無数にあるからだ、だから外国のことは余計にフェクニュースでもだまされるのである
また錯覚しやすいのである

コロナウィルスでも毎日感染者の数字を報告する、すると否が応でも恐怖心を植え付ける人間は恐怖心をもつとそれが伝染しやすい、そして集団的パニックになりやすい
群集心理がある、それでyoutubeでさえタイトルを見させるように恐怖心をあおるものにする、株が暴落するとか、預金封鎖があるとか、極端になると人類滅亡するとかである
そういうことはやはり恐怖するから見るのである
だから今テレビはコロナウィルスのことがわからなくても毎日感染者の数字で恐怖をあおる、それがどこまで危険なのかわからない、ただの風邪だ、インフレインザより怖くないと言う一流の学者がいてもそうなのである
その人自体のyoutubeもまた恐怖をあおることをタイトルにしているものも矛盾なのである

要するに何にもありません、事件もない、怖がることもありません、とかなれば誰も見ないのである、恐怖するから見る、コロナウィルスにかかったら怖いとかもう恐怖心が植え付けられている、それはテレビウィルスでもある、テレビによって恐怖心が増幅されるのである,コロナウィルスにいろいろ言ってもその正体がわからないからそれでますます恐怖心が増幅するのである
だから何かこれは心理学的な問題もある、人間の心理の構造がそうなっている
全員が怖がるとき一人だけ冷静ではいられないからだ
それで自粛警察とか魔女狩りとかにもなる
田舎だと一人でも出たら村八分とかなり恐怖する
このコロナウィルスはそうした心理的影響が大きい、それは不可解なものであり人から人へ伝染してゆくからである
実体のウィルスより過剰に吹き込まれた恐怖心が全体に伝染してパニックになってゆく
それもコロナウィルスが不可解であることから余計にそうなる
学者の言うこともまちまちであり憶測に過ぎないからである

どうしても学者が安全だという安全派より危険だという危険派が多くなる
それは人間の心理構造からそうなっているのだ
人間は確かに事実があっても恐怖心が先行する、その恐怖心がありもしない幻像を作り出すのである、それは精神病理でもある
それが群集心理にもなる、それでナチスとかカルト教団とかの危険な集団心理が生れる
今宗教というとき人間の心理的問題でありもう改悛とかなんとか関係ないのである
罰当たるとか地獄に落ちるとかも心理的に恐怖を与えるだけであり会員にとどめるためにそうしているだけである

コロナウィルスでも確かに外国を例にすれば日本でも同じだとなり恐怖する
つまり外国でも隣の村と同じように見ているのである
もちろんそういうことも必要である、地震でも津波でも地球は一つなのだから他国で起きることは日本に関係する、でも逆にこのコロナウィルスは日本では重症者とか死者が少ないのである、ということは世界全体が一様に適応されるわけではないこともある
でも今や世界のことは隣の村で起きたと同じように影響しているのである
そして過剰に情報に作用される、

例えば犯罪でも性犯罪でも実際は10万人に1人で起きたことでも隣にそういう人がいるともみる、それで通報されることも現実に経験する
なぜなら犯罪はニュースになる、でも平和になにごともなく生活することはニュースにならないし見ないのである、するとテレビでは視聴率をあげるために危険なこと恐怖することをとりあげる、するとみんなが見るからである
情報化社会の危険はそこにあった
ただ自分自身にしてもなぜこんなにいろいろな災いが生れて来るのか?
自分自身の一身上でもそうだった、家族が認知症になり介護となり自らも病気になった
それから他者にはただ責められるだけであり金をも止められるだけだったのである

津浪があり原発事故がありそしてコロナウィルスである、一体これは何なのかとなる
これほど災いが続くのは何なのか、それで人類滅亡の兆しなのかと言うことも真実なのかとまでみる
本当に聖書の予言のように人類滅亡の兆しが起きてそうなっているのかとなる
コロナウィルスもその一つとして人類に襲いかかってきたのかとなる
これも不可解だからそうなる、こうした災いはやはりそこに神の意志が働いているともみるからだ
人間を越えた力が働く、それで自然から復讐されているとか神の怒りの結果そうなったともする、それもありうるとも思うからだ
人間社会はモラル的にも退廃しているからである
新宿の歌舞伎町とかから拡散されたのもそうである、差別するわけではないがそこにモラルの退廃した場所だからである

とにかく時代の変わり目でありそこに様々な事が起こり時代が変わる
そういう時期にあることは間違いない、こういうとき戦争で3百万人死んだとか犠牲者もでる、失業者が大量にでるとか経済も混乱する
そうして治安が悪くなるのも怖い、その混乱に乗じて利益を得ようとするものも出て来る戦国時代のようになるかもしれない、ただこの世とはもともと火宅の世であり平和などなかったのである、この世は必ず地獄がもたらされるようになっている
そこから逃れようがないのである、それで聖書のテーマが出エジプトではないがこの世からの脱出を説いたのである
だからコロナウィルスもその災いの一つであり人間が苦しむのである


スーパーヒタチのデザイン


スーパーヒタチのデザイン
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写真の時代はまた絵を見直す時代にもなる
写真なのか絵なのかわからなくなる
私は本当に絵の才能はゼロである、でも何かこうしうてデザインするのが好きだった
でも絵具を使っては全くできない、でもパソコンのソフトだと次から次にできる不思議である          

それはなぜなのか?写真が絵になっているからそれを加工するとデザインするとまた別なものに変化するからである  
だからソフトを使いこなすと新しい創作ができる
問題はソフトをなかなか使いこなせないことなのである
才能というより今やいかにソフトを使いこなすかだともなる
AI時代はパソコンのソフトで才能を拡張するのである
今回もソフトで使っていない機能を使ってこれができたのである

常磐線というと太平洋側を通る、でも海が見える場所がほとんどなかった
でも新地駅から山下駅と高架橋になり海が見えるようになった
電車から金華山とか牡鹿半島も見えるということもある
ただまだ一回もスーパーヒタチに私は乗っていない
ただこのスーパーヒタチの車両に魅せられたとなる

海と草深いみちのくの感じを出そうとしたデザインである、
他の写真でも加工すると別なものになる
それは全く絵の才能がなくてもできる
要するにいかにソフトの操作に習熟するかが問題なのである
ARTとはまさに技術のことだったのである

2020年08月06日

原発事故とコロナウィルスとの比較 (専門家集団と政治家官僚の関係ー専門家が国家を指導するのか?)


原発事故とコロナウィルスとの比較

(専門家集団と政治家官僚の関係ー専門家が国家を指導するのか?)


現代は科学抜きでありえない時代である、すべての問題が科学と技術と密接に結びついている、それを具体的に理解したのは私の住んでいる場所で起きた原発事故だった
原子力とか核とか放射線が毎日のように話題になった
だから文系でも知らないですまされなかった
コロナウィルスでもこれも理系であり科学の分野である、これも知らないですまされなくなり素人でも知ろうとした
ただ専門的なものはわからないから口出すことはできない
それで現代の評論家とかニュースの解説者は科学者でないとできない
それも専門の科学者を批判するとなると普通の人にはできない、理系でも相当に優れた人である、だから武田邦彦氏はノーベル賞もらったしんや氏をコロナウィルスのことはその専門ではないからわかっていないと批判したのには驚いた
それだけの自信が自らも研究者だから言えたのである

今回吉村大阪府知事がポピドンヨードでうがいするとコロナウィルスの細菌を拡散させない効果があると実験で出たと言った時もそうである
それを今度は専門家がそんなに効果があるものではない、かえって副作用もあり危険だと指摘した
つまり文系である吉村知事が安易に公に発言したことで問題になった
それでそのポピドンヨードが売り切れた店が出て来た
何か原発でもそうだった

政治家ー専門家(科学者)

専門家は理系でありそこで専門家が重要な役割を果たす、そもそも政治家とかは文系がほとんどだから専門的にわからない、すると専門家に従うほかないともなる
ところが専門家の言うこともまちまちである、統一されていない
それはコロナウィルスが未知のウィルスだからそうなっているのである
そもそもポピドンがいいと実験して推奨したのは専門家だからである
ただその専門家の言ったことを公の場で知事が発言すればそれは一つの政策として実行することにもなる、それでなんとかいい薬がないかというときそれに飛びついたのである

ここで政治家と専門家とがどういう役割をするのかが問題になった

そもそも政治家は何なのか?

その役割は何なのか?例えば政治家で権限をもつのは権力をもつのは予算の配分である
それは具体的に金を扱うからわかりやすいのである
どこにどれだけの金を配分するかを決める、それが政治家の権限なのである
それで研究費とかに金を出すのは配分するのは政治家の仕事だとなる
その裏には官僚がいるから陰の実力者は官僚だとされる

でも十万配布を決めたのは政治家である、また50億かけて飯館村の5人の生徒のために学校を建てたのは村長だった、また原発を作ると決めたのも科学者でも技術者でもなかった、政治家が決めて科学技術者に作らせたとなる
ここでも政治家と科学技術者(専門家)の問題が浮彫にされたのである
原発はアメリカが古い原子炉とか原子力関係のノウハウを教えて売りたいとかフランスとか協力して原子力を西側で欧米でその技術をもつということで力を得るためだった
それで日本がアメリカの属国に近いから政治家が従ったとなる

でも本当はそこに原子力の科学技術者が重要な役割を果たすべきだった

その決定には安全が最も大事だから科学技術者(専門家)の意見を重視すべきだった

それで湯川秀樹博士は時期が早いとして原発を作ることにその時は反対していたのであるつまり日本には原発の技術がなかったからである
福島の一号機の原子炉はアメリカのお古であり危険なものだったのである
また科学技術者でもいろいろ分野がある

失敗は東芝の技術者だったか、原発を建てる所を高くしていたのに電源を下にすると不便であり
コストがかかるとその高くした場所を削った

それから十数メートルの津波が来ると東電が依頼した科学者が警告していた

この二つのことが大失敗の原因になっていた
これらはコストがかかるとかで決定されていたのである、この失敗が致命的な失敗になったのである            

これは誰の責任なのか?

政治家なのか官僚なのか?

保安院がいたとしてもそれは飾りであり何の役にもたたなかった、安全を計るためならわざわざ高くして所に原発を作ることをしていたのにわざわざ土をけずって低くしたとき
保安院が危険だから高くして作れと支持するべきだったからである
保安院は何の役にも立たなかったのである
また十数メートルの津波が来るとして提言してもコストがかかるので実行されなかった
その時も保安院は何の役割も果たしていない、何か安全を守るというけど何にしていなかったのである、東電の言うなりであり政治家も何もしていない

結局そうした責任はどこにあったのか?

東電にあったとしか言いようがない

なぜなら保安院に官僚にあったとしても何もできない状態にあった、そういう権限もなかったともなる、そうした専門的なことにかかわることができなかったともなる
保安院の官僚は科学技術者ではない文系の法律関係の人だったとなるからだ
ただ官僚でも理系の人がいるしその人たちはやはり安全のことで食品でも支持している
指示する権限はもっていたのである、でも実際に工事するのは東電の支持でされていたのであり何か指示することもなかったのである

なぜならせっかく高く土盛りして原発を建てた、それを低くしろと命令したのは東電の幹部なのである、でも東北電力では副社長が10メートルでいいとしていたのをこの辺は津波が起きるから5メートル高くしろとしたときその命令が通り高くした結果ぎりぎりて津波からまねがれたのである、これも危機一髪だった
その5メートル高くしろとしたのは別に保安院とか政治家と官僚でもない
その人たちは何らかかわりなかったのである、おそらく会議にすら参加しないないのである
だからどのように政治家か官僚が原発にかかわったのか知るべきだとなる
結果的に東電とか東北電力で政治家とか官僚と関係なく独断で工事して作ったとなる
ただ東電でも東北電力でも原発に関しては国家的事業であり事故があった場合は補償することになっていた、つまりそれだからこそ原発を建てたとなる  
ここでは国家と民間との問題も生れていたのである

東電⇒高くした所を低くしろ

東北電力(副社長)⇒5メートル高くしろ


でも考えてみると国家的事業だから補償もするのだから国は安全にはかかわるべきだった
保安院でも口出しするべきだったとなる、その権限もあった

東電で土盛りした高台に建てるのをわざわざ土を削って低くしたとき
そんなことするなと支持できたのである、その権限もあったはずなのである
また十数メートルの津波が来ると報告されたときその対策をしろと命令できた
予算的にできないなら国で援助することもできたのである
なぜなら事故に成ったら20兆円とかの事故処理費用が税金でかかったからである
だからその責任は政治家にも官僚にもあったとなる
また官僚は検察で警察でも東電に天下りして利益を得ていたからである

政治家(官僚)−専門家(科学技術者)

この関係が科学技術の時代には必ず問題になる、でも政治家でも官僚でもその権限があっても役割を果たせなかった、東電を監視することはできなかった
ただ東北電力でも副社長の一存で5メートル高くしてぎりぎりて津波の被害からまねがれた、一方東電ではわざわざ高くした土を削って低くして大事故になった
それを決定できたのは東電であり東北電力であり政府とか官僚とか政治家でもなかった
つまり科学技術の時代は専門家の方が力があり文系的な政治家とか官僚でも力がないから知らないからなんら力を発揮できなかったともなる
要するに現代社会を牛耳るのは科学技術集団であり専門家集団だとなる
政治家でも官僚でも原発では金をだしても何も力を発揮できなかったからである

コロナウィルスでもそうなのである、これもやはりウィルス関係の専門家がいて政治家がいて官僚がいてこの関係がどうなっているのかわからないのである
だから吉村知事が専門家の知見をわずかの実験結果を鵜呑みにして発表した結果問題になったのである
何か今の科学技術の時代はこうした専門家は表にでてこないが現実の社会を支配しているのは専門家集団だとなる
ただ今回のコロナウィルスについては専門家でも未知であり解明されていない、ワクチンも作れないから混乱している、専門家集団でも力を発揮できない
原発では専門家はコロナウィルスよりは知っていたからこそ危険であっても電気を作りだしていたのである、そこでの専門家の力は強かったとなる
それで「安全神話」が作られたのである

いづれにしろ専門家集団がワクチンでも作れるようになったらその力はまた増す、つまり実際の社会の実権を握っているのはこうした専門家集団であり理系の集団であるともなるそれをイリイチは指摘したことは功績だった
専門家というとき例えばマスコミも報道の専門家なのである
テレビで六局しか報道できないということでもそうだった
つまり報道する権限はテレビ局六局にしか与えられていなかったからである
その権限は巨大なものとなり第三の権力ともなっていたのである
特にNHKはまさに国民を指導する木鐸ともなっていたのである
それで今インタ−ネット側から常にマスコミは批判されるようになった
youtubeとかで個人でもテレビ放送できるようになったからである

他にも専門家集団は理系だけではなく、いろいろある、法律家などもそうかもしれない
法律なしで裁判もできないのだから当然免許をもった専門家集団でありそこを頼らない限り何もできない、国民はただ専門家に頼らない限り何もできないとなっているからだ
だからコロナウィルスにしても常に細菌学の専門家が問題になる
でも放射線より今回のコロナウィルスは未知だから専門家も何か役にたたない
それで素人でもいろいろ言うというとき専門家がワクチンを作れないからである
そして経済活動をとめることがかえって自殺者を出すとかなり経済優先になる
専門家がそれは危険だとしても専門家自体が今回はわからないからそうなっているのだ
特に日本の場合は重症者と死者が極端に少ないから当然そうなるのである
つまり専門家より政治家とか素人の国民の意向が反映されるとなる

つまり吉村知事がポピドンが有効だというとき確かに別な専門家が異を唱える
でもそれも必ずしも説得力がないのは有効な手立てを専門家が示していないからである
だからそれも試しにしてもいいじゃないかとなる
本当に今回のコロナウィルスでは専門家の力の無さを露呈したのである
ただ政治家でもウィルスの素人でも自粛しろというくらいでレベルが同じなのである
何か明確な指示ができない、対策ができないのである

いづれにしろ現代が科学技術の社会だというとき専門家集団に社会は牛耳られているというのは確かである、それは主に理系でありそこで素人は何も言えない、手も出せない
その専門家集団内には立ち入ることもできない、原発がすぐ近くにあっても素人は入るな危険だから入るなとなって何もできずに住むことすらできなくなったのである
常識的に近くに原発があって危険があるとしたら一番心配なのはそこに住んでいる人である、でもその人は全く原発にかかわることもできなかったのである
ただコロナウィルスに関しては専門家自体がわからない未知なものだから力を発揮しないいろいろ言ってもそれが素人レベルにも思えるのである
そもそも専門家自体が憶測で言っているだけだからである
ポピドンにしても副作用があるから使用すべきではないという人もいればまた慎重に扱えば効果があるかもしれないともいう、明確にならないのである
だから原発の時と似ているようでそういう点で違っている
でも何かやはり似ている面もあり比較すると見えるものがある



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この図のように専門家が国家より上に立つことがある、そもそも国家とは何なのか?
その存在意義はなになのか?
なぜなら国家より専門家が上に立ち指導するとなれば国家とは専門家が国家の指導者だともなる

何かそういうことで国家の代表たる政治家と専門家が対立するとしても専門家に従うのが国家であり政治家だともなる
つまり国家とは国民のことである、国民が意志決定することである
でも国民と言っても数が多いからその代表者が政治家が決めるとなる
それで経済が苦しいと国民が訴えればコロナウィルスも怖いがどっちを優先させるかとなると国民の意向だともなる
でもまた国民自体が対立する、コロナウィルスに伝染するから観光でも規制すべきだとかなるからだ
国民自体の利害とかの対立があり政治家は国民に等しく対応できないのである

専門家時代の幻想 (イリイチ)

この古本はAmazonで7000円していた、やはりそれだけ価値があるからだろう




posted by 老鶯 at 11:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層