2020年07月27日

嘱託殺人容疑の医師へ、患者から130万円提示か (金には責任がつきまとっている)


嘱託殺人容疑の医師へ、患者から130万円提示か  

(金には責任がつきまとっている)

(ALS)の女性患者が昨年11月下旬、計130万円を50万円と80万円の2回に分け、同容疑で逮捕された医師山本直樹容疑者(43=東京都港区)の口座に振り込んでいたことも判明。

大久保容疑者は昨年5月、自身のブログに「『安楽死は500万(円)』なんてふっかけても支払えないでしょう」「リスクを背負うのに、まったくのボランティアではやってられません」と投稿していた。


金はカルマとして具体的に責任としてある、だから金のやりとりから人間のことをみるとわかりやすいのである
金を受け取ることで責任が生じていたのである
それをカルマ論で私は追求して来た

原発事故でも福島県の漁業組合は特に船主などは事故前にも多額の補償金をもらっていたそれで原発御殿が建っていたと周りの者がうらやましがっていたのである
漁業権という権利自体も海の資源保護が目的として与えられている
そうなれば東電に漁業権を売り渡せるものではない、原発が建った時、漁業権を売り
事故前に補償金をもらっていたのだ
事故後なら海を汚して魚などとれないとなって補償しろとなる
現実にそうなっている、でも事故前にももらっていたのである

それを言うのはこの辺では東電の原発のために故郷に住めなくなった大被害を受けたからである
その責任を問うときなぜ漁業権を東電に売り渡したのだとなった
それは漁業組合のものでもない、今になればこれだけ広範囲に被害があったのだから
みんなて市町村でも県でも管理するものでありまたその是非は県民であれ広範囲で決めねばならないものだった、なぜならこれだけ広い範囲で放射線の被害があったからである

それは漁業組合だけではない、船主だけではない、官僚でもそうである
警察とか検事とかが天下りしていたのである
官僚がそうでありまたマスコミでも宣伝費で莫大な利益を得ていたのである
原発は金を産むものでありその金を目当てにあらゆる人が群がったのである
それが事故になって黒い金となって責任が問われたのである
でも実際は何も問われない、東電の幹部でも罰せられなかったのである
地元の人は金をもらっても故郷に住めなくなるなるとかの罰があったから責任を果たさせられた、でもそうして東電の幹部であれ天下りした特権階級は罰せられなかったのであるそれだけの金をもらっていたのだから責任があり罰せられるべきだがなかったのである
何かその責任を厳しく問うものもない、マスコミ自体はできない
みんな莫大な金をもらっていたからできないのである

金をもらえばいい金になればいいというのが現代社会である
でもこゆ金には明確な責任がともなっていたのである
母の実家の墓を三百万で守ってくれと言って死んだ人がいた
私ももらう権利があったがもらわなかった、でもそれで助かったと思った
墓を捨てても墓は何も言わないとしても
「お前は三百万もらった」だから墓を守る義務があるとなるからだ
するとなかなか墓を捨てることはできなくなる
それよた何か無形のものが死んだ人を供養する無形のものの責任が課せられているともなる
別に墓がなくても愛する家族だったら心の中で愛しつづけることがあるからだ

金はもらえればもらうのがいいとしてか考えない、でも金は明確にその額だけの責任が課せられている、額が大きければ大きいほど責任が重くなっているのだ
それが何らかで後でカルマとなって苦しみとなって現れることがある
ただここでの医者の嘱託殺人の問題は金としての問題でもあったことだと気づいた
安楽死がいい悪いという前にこれは金をもらっていたということで責任が問われる

「『安楽死は500万(円)』なんてふっかけても支払えないでしょう」
「リスクを背負うのに、まったくのボランティアではやってられません」と投稿していた

これは純粋に患者が苦しんでいるから殺して楽にしてやろうというのではない
すでに金をもらって殺すということの罪が問われる
そこに罪の軽重が生れる
そこで情状酌量とはなりにくいともなる
金が欲しくて殺したのかとなるからである、もし金をもらっていなかったら医者にも同情されるものがあるともなる
純粋に相手の苦しみをとりのぞいてやりたいという動機になるからだ
でも金をもらってやることは違ってくる
金が欲しいということが動機でありそこが大問題になる

だから人間の問題は金のやりとりで具体的に現れる、その罪を問う時も金のやりとりを見て判断する、それがわかりやすいからである
金には具体的に責任が課せられているからだ
だから法外な金をもらうことはいいようで後で苦しむことにもなる
原発事故では他の人はあいつらは事故の前も金をもらっていたし事故後も補償金をもらってうはうはだ、俺もあやかりたいとか言われるようにもなる
もし東電からそうしたことが金でももらっていなかったら堂々と原発に反対できたのである

例えばコロナウィルスでもGO TO キャンペーンでも二階氏とかが観光組合から金をだしてくれたことで見返りとして多額の政治献金を受ける
するとそれは純粋に観光業者に同情したわけでもない、自分たちの利益になるからそうしただけだとなる
こういうことは政治に普通にある、それがこの世だとなればなる
でもその観光業への金も国民の税金の金であり自ら金を出すということではない
国民の税金でも使うのにも責任が課せられている
でも何か大きな金はかえってその責任がわからなくなる、10万であれ百万であれ一万でもそういう金の責任はわかりやすいからだ
だから予算でも大きな金は何兆円でも無駄に使われるともなる、でもその責任も強く問われないともなっている

ともかくこの事件の注目すべきは金をもらったということにあった

ドラマであれヤクザが金をもらったので人を殺したとういことがあった
金をもらうことで責任が生れ人を殺すことになった、金にはそうして人を殺すまでの責任が課せられていたとなる
金から人間の問題が生じるのが多い、金のやりとりからみるとわかりやすくなる
だから犯罪者は借金していたとかが常に問われるのである
借金とは責任でありその責任を果たすことが強いられて犯罪にまでなる
だから金は怖いものだということである
漁業組合の船主でもそんなことを責任を考えず事故前に多額の補償金をもらっていたのである、それが事故になってそのことが問われた
他の人は自分でも知らなかったのである
だから後でこういうことで暴かれてその責任が問われる、金をもらった責任の重さを自覚させられるから怖いのである
でも普通は金をもらえばいいとしかないのである、責任のことを考えないのである

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山火事も森を再生するために必要である? (人間社会も大きな変革には自然災害も戦争も必要だった?)


山火事も森を再生するために必要である?

(人間社会も大きな変革には自然災害も戦争も必要だった?)

そのため森林は古い巨木だけが繁った状態で固定化され、新陳代謝が停止してしまうこともよく見られる。これはまさに森林の縮退なのだが、ここでしばしば大きな山火事が皮肉にもそこからの脱出を助けることがあるのである。つまり山火事がそうした古い巨木をすべて焼き払ってしまうことで、地表に一時的に陽が戻って若い苗木が育つことができるようになるというわけである

これは興味深い、山火事は自然の摂理でありそれで新陳代謝が起きて来る
すると自然現象にはそういう作用があるのか?
津浪とかでもそうである、何かそこには自然の摂理があり津浪によって人間に甚大な被害があっても自然の作用であり自然としては海が何か蘇る、新陳代謝するということもあるのか?
人間はあくまでも人間側からしか考えない、自然の大きな作用についてはわからないからだ

それで武田邦彦氏が常に自然はでかい、人間が考えるよりごついものであり人間の活動で自然が汚されるということはない、それはあくまでもほんの一部であり自然全体を人間の作用で壊されたり汚したりできないとしている
ただ放射性物質の汚染を一ミリシーベルトにしたのかそんなに厳しくしたら住めなくなるからだ
放射性物質の汚染はまた別だったのかとなる
温暖化はないとしているのもやはり科学者でもそう見る人もいる
人間はとにかく自然といってもその一部を見ているだけなのである
自然全体を感じるとか見ることができないのである
どんなことしても人間の視野は狭い、それは人間が作り上げた歴史でも社会でも一部しか見れないから問題なのである

この原理を人間社会に適応すると

社会の新陳代謝のためには戦争とか民族移動とか動乱とかウィルスとか大きな事が必要

こうまでなる、実際にそうして社会が歴史が進行したからである
人間社会が歴史が変わる時、それで社会も大きく変わる、それがコロナウィルスでもそうだった、ウィルス自体が自然から生まれたものだからである
なぜウィルスがあるのか、これも謎だからである
そして不思議なのはコロナウィルスが若い人は感染しても軽くすみ、重症化して死ぬのは60以上だということである、これだけは明確なのである
だからこれも増えすぎた老人を減らす自然の作用なのかとまで思ってしまうのである
長生き悪いものではないにしろ全体的な生物の生存という面からみると老人ばかり増えるのは生命の維持ではいいものではないからである
そこで生命の新陳代謝のために増えすぎた老人を減らすためにコロナウィルスが生れたともなる

自然災害は常にありそれによって易姓革命が起きるという中国の思想は人間を変えるのは自然でありまたそこに神の意志もあるとなる
人間がいくら変えようとしても限度があるからだ
原発を止めようとしても止められない、でも津波が来て止められたともなるからだ
中国では今三峡ダムが崩壊するとか大洪水で苦しんでいる
大陸の洪水は水が簡単に引かないないのである、だから長期の被害になる
巨大な湖のようになって水が引かないのである

世界中に起きていること気候変動でもそうして生命の新陳代謝のためなのか?

自然の活動は地震でも津波でも火山の爆発でも大雨でも大きな地球的自然の活動である
それらがないのが好ましいとしても地球規模ではそれは自然の活動でありそれは生命の新陳代謝だとなる
だから山火事までそうなのかとなる、一旦焼け野原にすることで新しい森が形成される
木でも剪定するのは木を切ることでかえって木の伸びる力が出るという
木の花でも腐ったりしたら葉でも早めにとらないと栄養が他の蕾とか伸びる枝とかに回らない、自然には常にそうして新陳代謝する作用がある
それは人間社会にもあるのかとなる

なぜなら戦後の焼け野原に生まれたがなぜあの時食べるものもないのに子供が大量に生んだのか、誰もそんなとき子供など生みたくないし育てたくないとなるのが普通である
でも戦争から男たちが引き上げて大量の子供が生まれたのである
それは実際は理にかなったことだった、焼け野原になっても次の新しい時代を作るものともなったのである、戦争で既得権者が例えば地主などが一掃されたとかあり社会変革が起きた、そして高度成長時代になり人手はいくらでも必要になったのである

だから社会が変わる時、何か大きな事件などが起きる、自然災害も起きる
それは次の時代の産みの苦しみとしてあるともなる
それが今の動乱の時代になっているのかもしれない、日本では社会でも70年ごとに大きな変化に見舞われる、明治維新から70年で太平洋戦争になり次の70年が今の時代だからである、だからここ十年くらいは大きな変化の時代になる
そこで戦争のような混乱や苦難や大きな自然災害でも起きて来る
何か米中戦争になるというときもそうである、自然災害が頻発するのもそうである
コロナウィルスでもそうである、こうした災難の後に新陳代謝が起こり新しい時代が生れる、つまり森の再生には一旦山火事が起こりそれで新たな森が新生する

それが人間の歴史でも社会でも起きるということである
それは自然の作用であり神の意志が加わっているのかともなる
人間だけではとても一旦作り上げられた社会を変えられないからそうなっているのである
いづれにしろ高齢化社会は社会が停滞しやすい、新陳代謝が起きにくいのである
技術的にもそうである、高齢者がIT技術を使いこなせないことが新しい社会を作れないとかなる、その是非かあっても老人はどうしても新しいことについていけないのである
だから明治維新で活躍したのは20代とか30くらいの若者だったのである
激変する時代になると老人は既得権にしがみつくだけである
今金をもっているのが老人だけで金があっても使えないということがある
自分も何かやろうとして登山のリュックを買おうとしたがもう登山もできない
電動自転車の長距離用のいいものがでたから買おうとしたが体力的にできない
海外旅行もできる気力もない、携帯の翻訳機を使おうとしたがこれも使っていないとか
何か利用しようとしてもできないのである      

だから老人は一部でも金をもっていても消費できないという問題が生れていたのである
つまりそれは経済が停滞するということなのである
もちろん投資などもめんどうでできないのである
貯金していれば利子がついていた時代が一番良かったのである
たた人生百年時代が悪いわけではない、それだけ長ければライフワークをもてば凡人でも相当なことができる、結局何するにしても時間がかかるからである
才能がなくてもやはり根気よく勉強していれば身につくことがあるからだ
人間はやはり時間を一番無駄にしていることが老人になって気づくからである
新陳代謝できない高齢化社会はやはり大きな問題なのである
posted by 老鶯 at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層