春時雨、夏の海(梅雨の晴れ間に原町の萱浜まで)
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くさふぐ
松二本街道に影なし夏の朝
あふれ咲く夏菊の黄に赤映えぬ
原町の通りを来たり春時雨
浪しぶき魚つりあぐ夏の海
はねとびし魚を見るや夏の海
釣り人と魚を語る夏の海
6号線夏の雲湧き鹿狼山
玄関の戸にでで虫やこもる家
街道に太くも根付く松にあれ夏の朝行き影をなすかな
五本松から高松を通り原町の通を来て萱浜の方を回り帰ってきた
高松は松とあるごとく確かにそこは一段と高くはなっている
そこに太い松がありあの松はいい松だと見ていた
陸前浜街道として何かにあっていた、松は人間に見える親しい木なのである
街道というと高松から坂を下り新田川の橋をわたり原町の街中に出るがそこをまっすぐ行って四つ葉通りがありあそこが宿場町になっていたのである
そういう古い絵が残っている、そこが街道だった
駅の方に行くのは明治以降の街並みだった
駅から発展した街並みだった
ただ今この駅前通りはさびれている、店を閉じているのも多い
何か活気が感じられない、シャッター通りになったのはどこでもそうである
とうしても六号線の方が便利なのである
やはりスーパーがあるとないのでは相当に違う、駅前にヨークベニマルができたので駅前の活気は多少もどった
それからスーパーキクチのある裏の小浜のいととんぼの店によった
あそこの野馬追カレーうまい、それより日替わり惣菜を売っているのがいい
それも一つ150円くらいなのである
それがなぜかというと惣菜を作る人が日ごとに違っているからだという
スーパーだと同じ人が作っているからいつも同じだとなる
とにかく一人暮らしはオカズに困る、ただ近くだったら毎日でも来れるが遠いから来れないのである
何か雨がふったと思ったら春時雨だった、久しぶりに晴れたが雲が出て雨がふったのは時雨だった、春時雨である、何かこれは街にふさわしいともなる
冬の時雨と春時雨はまるで違ったものである、何かシャボン玉のようにも感じる
それから萱浜の方に行った、そこで釣りしている人がいた
その人は相当に釣りをしている、仙台の方にも釣りに行っている
漁礁を作ってそこに小魚を集めて魚を集めていると魚ことがくわしい
釣りは遊びでも自然と一体になるから釣りの人と話したりする
なかなか釣れないと言っていた
その時海面を魚が飛んでいた
そこの辺でそういう風景を見たことがなかった
与那国島の方に行った時はトビウオが本当に高く飛んでいたのには驚いた
今日見た魚は高くは飛ばないがやはり飛ぶ魚がいる
それを見て気持ちよかった
釣りの人はスズキだとか言っていた
ボラがジャンプする理由は?
ボラは水面近くを群れで泳ぎ回り、水面上を体長の2〜3倍もの高さでジャンプする習性が知られています。外敵や物音に驚いたりであるとか、体についた寄生虫を落とすためであるなど、様々な説が唱えられてます
トビウオだけではない、飛ぶ魚がいたのである
そこでもう一人の人が釣ったのは草河豚(くさふぐ)だと言っていた
これはフグだから危険である、プロでないと料理できない、何か釣り人にとっては厄介者らしい、
一時津波の後に湿地帯のようになり金沢で大量の魚が入ってきて泳いでいた
それはボラだったのだろうかフグだったのか?
大きさはほぼ同じである
一時津波の後に三年前とか魚が相当に釣れたらしい、魚を獲る人がいなくなり増えたためである
釣りというのは何か自然ととけこむからいいのである
それで時々釣り人と話ししたりする、今日はひさびさに晴れたので気持ち良かったからだ
夏はやはり海が気持ちいい、久々に晴れたから自転車で回ってきた
家に帰ったら玄関の戸に出んてん虫がついていた
何か自分にふさわしい、それで急ぐ人は来たるべからじとした