2020年07月07日

仙台市と神戸市で感染者(7月6日) (東京からのコロナの拡散が止められない)


仙台市と神戸市で感染者(7月6日)

(東京からのコロナの拡散が止められない)


仙台市は前から感染者が増えると見ていた、だから仙台市に行くのが嫌だった
どうしても東京とかから新幹線でも仕事でも行き来が多いからである
そしてやはり感染者が四名でた
そして神戸市にもでた、ここも大阪と近いから増えることはさけられない
それで知っている人が東邦銀行に勤めている孫がお盆にも来るなと言ったのは正解だったともなる

とにかくこのウィルスは伝染病は地理と深く関係していることを述べてきた
ただ鹿児島市にクラスターが発生したのは意外だった
福岡市が中心となって感染者が増えた、鹿児島となると東北だと青森だという感覚になるからだ
でもなんらか今は交通が発達しているから拡散することはとめられない
よほど交通がない所でとないと無理である、でも現代ではそういう場所はほとんどないのである
どこにでも人が出入りして秘境の村などない、桧枝岐だって今度は尾瀬の観光が開始されたからやはり東京からでも人が入ってくるからだ

そもそも交通が止められない限りウィルスの拡散を止めることは不可能なのではないか?それほどウィルスは交通と関係して拡散されるからである
仙台市は東北でも東京からでも交通の交差するところでありそこは一番危険だと前から思っていた、それが自粛が解除されてたちまち広がった
東京でも感染者百人が四日つづいている
それも検査数を増やしたから当然でありもともと検査しないから低くおさえられていたのである

コロナウィルスを止めるには交通を止める他に方法がない

こうなるのではないだろう?いろいろ対策しても東京や他県からでも入ってくれば感染してくる
だから東京に行くことと東京から来る人を止めない限り感染をとめることはできない
だから関所が必要になる、そこで止める意外方法がない
東京と地方を考えるとき東京から出るな、東京から来るなってしまう
それで地方は安全だとなってしまう
現実に何かこの辺では感染者が何人かすぐ近くで東京かのライブハウスから行った人が感染した、福島市でも最近一人東京と関係して感染した
感染経路をたどるとこうして東京とか他県から来て感染しているからだ

でもこうなると東京から脱出したい、地方に住みたいという人がでてきているのもわかるそういう人は検査して陽性でないなら受け入れる
でも不特定多数の人が県またいで行き来するのは危険なのである
それは地方の安全を脅かすのである
地方では田舎では感染者が極めて少ないから安全だと見る
確かにみんなマスクをしてる、でもしなくてもスーパーでもそれほどこまない
だから距離がとれる、デスタンスがとれる
それで私はマスクしなくても安全だとなり他の人もマスクしなくてもそれで何か言うこともない、店の人でもそうである、ただ一応マスクをするというだけである

感染病で歴史でも村の境に藁人形を置いたりしたのは他から伝染病をもった人を入れないようにするためである
だから境とか関所とかも今になると意味あるものとして再認識された
江戸時代にもどるような感覚になる
ただ人と物の流れをとめることはできない、なぜこんなに毎日車が通っているのか?
それを見ればわかる、物を運ぶことを止めることはできない
ただ人を入るのを抑えることはできる、特に観光とかなると不要不急とかなると止めた方がいいとなってしまう
歓楽街で遊ぶのも不要不急だからやめなとなる
その他病院でも患者が来なくなったという時もともとそれほど行く必要もないのに病院がサロンのようになっていて行っていたというからそれも不要不急だったのである

何か結局現代は交通過剰でありオーバーツーリズムでもあり何か限度を越していたのである、そんなに必要なものがあるのかともなっていた
なくてもすまされるものでも買っていた、それが見直されたということもある
だからその生活が実際はアブノーマルだからニューノーマルに移行するともなった
ただ不思議なのは時代が元にもどるというか後戻りするというかそういうことがあるのだと思った
江戸時代は沈黙と闇の世界である、交通は歩くことであり後は馬があるだけだった
そういう世界にもどるような感覚になる
すると内輪が近くが大事になり生活感覚も変わる、内輪での人間関係が昔の村のように濃密になる、狭い範囲で生きてゆくほかなくなる
すると近くにあるもので資源でも活かすほかなくなる
昔の自給自足的な生活に逆戻りするともなる、そこで人間が地域が見直されるかもしれない、そこでかえってまともな精神形成が成されるともなる

要するにミニマリストとかが見直されるというよりそうならざるをえない時代になる
もう世界から物が入ってこないしそれを買うだけの経済力も日本になくなる
そうしたら自前で食料でも材料でも供給するほかなくなる
それで外国貿易がなくなるということはない、今までの形ではない別な形での貿易になるそれが何かはわからないがそういうことに否が応でも強いられるということである
それがニューノーマルなのである

原発でも東京からもたらされた、大事故になりこの辺では住めなくなった
東京でなくても東北電力が小高に建設する予定があり工事がはじまるとき事故になって中止になった、だから必ずしも東京だけのせいにすることはできない
でも東北電力と東京電力では違いがあった
東京電力の電力が東京に送るものだった、それもどうして福島に作られたかというと東京の安全を第一にしてリスクをとらないためであり東京のエゴだったのである

でもつくづく人間にはカルマが返ってゆく、そうした東京の身勝手な行為がカルマとなって返ってゆく

東京の人は地方に来るな、福島に来るな!

これこそそのカルマだったともなる
もちろん地元でも金に目がくらんで原発を誘致したのだからカルマがあった
ただそのカルマの責任は故郷に住めないということで支払わされた
東京はそのカルマを支払っていないから今度支払うことを強いられたともなる
カルマは必ず苦しみとなって現れてその時自覚するのである
東京は今はそれを自覚させられているとなる
放射能がうつるからと福島の人を差別したときもそうだった
今度は東京の人は来るな、コロナウィルスがうつるというのがまさにカルマだったのである


posted by 老鶯 at 14:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

仙台市と神戸市で感染者(7月6日) (東京からのコロナの拡散が止められない)


仙台市と神戸市で感染者(7月6日)

(東京からのコロナの拡散が止められない)


仙台市は前から感染者が増えると見ていた、だから仙台市に行くのが嫌だった
どうしても東京とかから新幹線でも仕事でも行き来が多いからである
そしてやはり感染者が四名でた
そして神戸市にもでた、ここも大阪と近いから増えることはさけられない
それで知っている人が東邦銀行に勤めている孫がお盆にも来るなと言ったのは正解だったともなる

とにかくこのウィルスは伝染病は地理と深く関係していることを述べてきた
ただ鹿児島市にクラスターが発生したのは意外だった
福岡市が中心となって感染者が増えた、鹿児島となると東北だと青森だという感覚になるからだ
でもなんらか今は交通が発達しているから拡散することはとめられない
よほど交通がない所でとないと無理である、でも現代ではそういう場所はほとんどないのである
どこにでも人が出入りして秘境の村などない、桧枝岐だって今度は尾瀬の観光が開始されたからやはり東京からでも人が入ってくるからだ

そもそも交通が止められない限りウィルスの拡散を止めることは不可能なのではないか?それほどウィルスは交通と関係して拡散されるからである
仙台市は東北でも東京からでも交通の交差するところでありそこは一番危険だと前から思っていた、それが自粛が解除されてたちまち広がった
東京でも感染者百人が四日つづいている
それも検査数を増やしたから当然でありもともと検査しないから低くおさえられていたのである

コロナウィルスを止めるには交通を止める他に方法がない

こうなるのではないだろう?いろいろ対策しても東京や他県からでも入ってくれば感染してくる
だから東京に行くことと東京から来る人を止めない限り感染をとめることはできない
だから関所が必要になる、そこで止める意外方法がない
東京と地方を考えるとき東京から出るな、東京から来るなってしまう
それで地方は安全だとなってしまう
現実に何かこの辺では感染者が何人かすぐ近くで東京かのライブハウスから行った人が感染した、福島市でも最近一人東京と関係して感染した
感染経路をたどるとこうして東京とか他県から来て感染しているからだ

でもこうなると東京から脱出したい、地方に住みたいという人がでてきているのもわかるそういう人は検査して陽性でないなら受け入れる
でも不特定多数の人が県またいで行き来するのは危険なのである
それは地方の安全を脅かすのである
地方では田舎では感染者が極めて少ないから安全だと見る
確かにみんなマスクをしてる、でもしなくてもスーパーでもそれほどこまない
だから距離がとれる、デスタンスがとれる
それで私はマスクしなくても安全だとなり他の人もマスクしなくてもそれで何か言うこともない、店の人でもそうである、ただ一応マスクをするというだけである

感染病で歴史でも村の境に藁人形を置いたりしたのは他から伝染病をもった人を入れないようにするためである
だから境とか関所とかも今になると意味あるものとして再認識された
江戸時代にもどるような感覚になる
ただ人と物の流れをとめることはできない、なぜこんなに毎日車が通っているのか?
それを見ればわかる、物を運ぶことを止めることはできない
ただ人を入るのを抑えることはできる、特に観光とかなると不要不急とかなると止めた方がいいとなってしまう
歓楽街で遊ぶのも不要不急だからやめなとなる
その他病院でも患者が来なくなったという時もともとそれほど行く必要もないのに病院がサロンのようになっていて行っていたというからそれも不要不急だったのである

何か結局現代は交通過剰でありオーバーツーリズムでもあり何か限度を越していたのである、そんなに必要なものがあるのかともなっていた
なくてもすまされるものでも買っていた、それが見直されたということもある
だからその生活が実際はアブノーマルだからニューノーマルに移行するともなった
ただ不思議なのは時代が元にもどるというか後戻りするというかそういうことがあるのだと思った
江戸時代は沈黙と闇の世界である、交通は歩くことであり後は馬があるだけだった
そういう世界にもどるような感覚になる
すると内輪が近くが大事になり生活感覚も変わる、内輪での人間関係が昔の村のように濃密になる、狭い範囲で生きてゆくほかなくなる
すると近くにあるもので資源でも活かすほかなくなる
昔の自給自足的な生活に逆戻りするともなる、そこで人間が地域が見直されるかもしれない、そこでかえってまともな精神形成が成されるともなる

要するにミニマリストとかが見直されるというよりそうならざるをえない時代になる
もう世界から物が入ってこないしそれを買うだけの経済力も日本になくなる
そうしたら自前で食料でも材料でも供給するほかなくなる
それで外国貿易がなくなるということはない、今までの形ではない別な形での貿易になるそれが何かはわからないがそういうことに否が応でも強いられるということである
それがニューノーマルなのである

原発でも東京からもたらされた、大事故になりこの辺では住めなくなった
東京でなくても東北電力が小高に建設する予定があり工事がはじまるとき事故になって中止になった、だから必ずしも東京だけのせいにすることはできない
でも東北電力と東京電力では違いがあった
東京電力の電力が東京に送るものだった、それもどうして福島に作られたかというと東京の安全を第一にしてリスクをとらないためであり東京のエゴだったのである

でもつくづく人間にはカルマが返ってゆく、そうした東京の身勝手な行為がカルマとなって返ってゆく

東京の人は地方に来るな、福島に来るな!

これこそそのカルマだったともなる
もちろん地元でも金に目がくらんで原発を誘致したのだからカルマがあった
ただそのカルマの責任は故郷に住めないということで支払わされた
東京はそのカルマを支払っていないから今度支払うことを強いられたともなる
カルマは必ず苦しみとなって現れてその時自覚するのである
東京は今はそれを自覚させられているとなる
放射能がうつるからと福島の人を差別したときもそうだった
今度は東京の人は来るな、コロナウィルスがうつるというのがまさにカルマだったのである


posted by 老鶯 at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層