2020年07月02日

梅雨籠り(梅雨から梅雨晴れの日)


梅雨籠り(梅雨から梅雨晴れの日)

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都草スーパーヒタチ来るかな

老鶯の家近く鳴き籠るかな

夏の日や日影に休み昼の月

煩いなく木陰に石の二つかな  


草深く雨しととふり梅雨籠る老鶯の鳴く声今日も聞くかな

草深く老鶯鳴きて雨しとと今日もこの道我が行けるかな  

長々と日影の道の涼しかな我が親しみし通ふ道かな

そちこちにでで虫道をさえぎりて田舎の道を今日も行くかな

この道の人も通らず池映る紫陽花のみそここに静まる   
                          

梅雨籠るという季語があった、これは使ったことがなかった、季語は多いからみんな使えないのである、梅雨の季語でも十くらいある、それだけ日本人は季節の変化に敏感なのである

老鶯というとき何か自分の俳号にしていた、というのは草深い田舎に住んでいるからである、草深いというとき隣の原町とか相馬市はそうはならないのである
一万くらいの町だと草深いともなる

日影に休んでいたら昼の月がでていた、何かこれが自分の生活だった
仕事もしないでどこかぶらぶしていた、そして家に帰れば食事が用意されていた
今違うのは食事の用意が大変なのである、家事も一人だから追われるのである
その間にプログを書くと毎日が何か追われる生活なのである
それは介護になってからもそうであり終わってもやはりつづいている
でも多少余裕があり日影に休んでいると昼の月がでていたのである

川子の道は人が通らない、というよりは今はどこでも人は歩くのを見ないのである
ただ車だけは実際は通っている、どんな辺鄙な場所でも通っている
でも車だと人が通っているという感覚になれないのである
車は人と接触しない、ただ通り過ぎて行くだけだからである
何か車というのは常に遠くに行く、心も常に遠くに行くという感覚になっている
それで近くにあるものを人でも風景でも見ないということがある

今日は農家がありその向かい側の池に紫陽花が写っていた
それを見る人は誰もいない、農家でも人影もみない、何かそれでかえって紫陽花が水に深く映っていた、それを見ていたのは自分だけだったとなる
田舎の道をさえぎるのはでで虫である
この辺が都会とはあまりにも違っているのである

これからまだ梅雨がつづくのか、今日は梅雨の晴れ間なのか、梅雨が今年は明けるのが早いともいうがどうなるのか、梅雨籠りの日がつづいたこの頃であった




人生百年時代の高齢化社会の暗黒 (社会に無用化された変な老人が増えるのと死ぬまで働かされる老人)


人生百年時代の高齢化社会の暗黒

(社会に無用化された変な老人が増えるのと死ぬまで働かされる老人)


その女性は来るたびにとなりに変な老人がいることを愚痴る
何か異様な恰好して笑ったり何か言うと警察を呼んだりする
そこに何か異常性を感じる、80近い年齢だろう
そして大声でわめいているときがあるという
それが狭いこの辺では住宅だから余計に気になり苦しんでいる
それで騒音でアパートで殺人まであった

何か現代は高齢化社会なのだから老人が社会で問題になる
それは経済的にもそうだしそれだけではない、老後が長くなったせいなのである
それで50歳で一区切りでそれから50年が第二の人生だという人もいる
それだけ人生が長くなるとそれに備える人は経済的にもまたそれだけではない
その長い時間を費やすものがないと変な老人になる

そういう老人は回りで相当に増えているだろう
前は正論じいさんとかがいた、法律関係の仕事をしていて法律をたてに文句を言っていたのである、他にも何か町会議員なのかやめた人が勝手に川の掃除したのかなにか市の許可なくして川を勝手に変えたことでも問題になったとかいろいろある
それは本当に一部であり社会全体では増えていることは間違えない
この人も市町村の議員なのだから議員だったらいうことを聞く人もいたのかもしれない
でも議員でなくなったらただの人となっていたから通用しない
つまり権力をもたないと実社会では何もできないともなる
だから民主主義では一人では何もできない、10人でも100人でも集めれば政治でも動くのである
だからカルト教団でも人を集めるために票するために活動している
NPOで10人集めないとできない、認められないのである
ボランティアをするのにも権力が必要であり善意だけではできないのである
議員という権力を失って何もできなくなったとも言えるのかもしれない
ただその事情はわからないがそういうことはありえる

なぜそうなるのか?

それは老後が長くなってもすることがない、会社を退職するとすることがなくなる
地域でもそうした老人を受け入れることもない、また若い人が老人に頼ったり尊敬したりもしない、ただ若い人が税金を払って生かしている邪魔者、ごくつぶし、無用のものと見ている、だから早く死んでくれという気持ちになっている
そういうふうに老人に対する風当りが強いのである
それは口に出さないにしてもそういう気持はいつか現実に出て来る
日頃からそう思っているのだからそうした念が必ず表に現れる

例えばボランティアでも自分が駅でたまたま無人駅化したので案内などしていた
そしたらそんなことするな、必要ないと地元の女性がどなりつけてきたのである
でもその時、風で遅れたから案内していた                        

でも結局無人駅のボランティアで経験したことは余計なことをするな!

これはJRからも駅長からも常にとがめられた、でも自分のしたことは多少は駅の改善になったのである、でも誰も認めるものはいなかった
それで今度はあいつは怪しい奴だと警察に地元の人が通報したのである
それでみんなの前で職務質問された、ただそれだけだったのである

だからいかにボランティアというのは個人的にはできない、前の正論おじさんでもそうだし議員をやめた人も個人で勝手に許可なくしたから問題になったのである
別にNPOのように集団化してやればそういうことはなかった
何か現代の社会は個人で何かすることを認めないのである
集団化すれば数を集めれば認める、民主主義は多数決だからである
多数がすべてなのである、集団化すれば容認される、宗教でもそうである
何百万人いるんだということで誰も何も言わなくなる、ただ恐怖になるだけである
それがいい悪いなど関係ないのである
そうしてナチスのようにファシズムになるのが現代なのである

とにかく老後が長いという時会社を退職してでは何か地域のために尽くすとかなにか役にたつことをしようとしてもできない、そういうコミニュティもなくなっているからだ
昔だったら村の長老としてその経験と知識で尊重されていた
でも今はかえって機械頼りの社会になる時、若い人に教えてもらう方にてっているからだまた知識が膨大になり教えることも不可能である、それでむしろインタ−ネットで知識を得るという社会になっている

つまり老人の出番がない!

また一方で老人が金がなくて70までも働かざる得なくなっているのも現実である
それで老人がケガする人が増えている、それで老人にとって過酷な社会だともなる
悠々自適の生活などしている老人は少ないのである
人間は金も必要だが生きがいも必要である、人間は死ぬまで仕事を持つべきなのである
それで90過ぎても医者で現役でそのまま一週間くらいで死んだ
そういう人はいい死に方だったとなる

ともかく変な老人が増えるという時これからますます増える、そういう老人を受け入れる社会ではなくなったからである
だからやたら何の役にもたたない老人がいるなと邪魔者扱いしかないのである
でも社会のために地域のために何か役たとうとしても拒否される
犯罪者扱いにされるのである
それが現代の社会であり老人にとっては高齢化社会でも過酷な現実が待っている

その老人は確かに特殊な異様なものであり肯定はできないし同情はできない、ただそういう老人が増えてくることは確かなのである、それが高齢化社会の暗黒面なのである

金のない老人は死ぬまで働け!

暇な老人は社会に用はない、早く邪魔だから死んでくれ!

これが高齢化社会の過酷な現実なのである、そのことは今の40代以上、氷河期世代になるとさらに過酷になる、年金ももらえない、生活保護も雀の涙くらいしかもらえない
現実生活保護は今は厳しい、5千円しかもらっていなとか現実にある
医療費もただではない、わずかでも年金もらうとそうなるのである
つまり老人はもう死んでくれとなっているのだ、それだけの国に余裕はないのである
ますますそれは日本が衰退してそうなる
もし日本が経済的に余裕があればそうはならないけど日本は衰退するばかりであり三等国になり貧困化しているからだ
何か貧困層ではもう十円二十円を節約する戦後まもなくの貧困にも戻っているからだ

人生百年時代は暗黒である

そのことがこれから現実化して表面化してくる、その兆候として変な老人とか死ぬまで働かねばならない老人とか毎日の食もままならない老人が現実に増えている
その対策を日本の経済自体がここ20年賃金があがらないとかで衰退しているのだから何もできないとなる、政府はもう増えるばかりの老人は見捨てる

(社会の負担となり圧迫するから問題)

abstract mountains


abstract mountains


Why I can make a lot of abstract paintings

rough mountain1.jpg

onetreerock1.jpg

この木があると著作権違反になるかもしれない

なぜならこれだか目立つからである

This tree could be a copyright violation

Because this is noticeable

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ketugo111.jpg
強固に結合された岩

firmly combined rocks

waterfallhigh1.jpg

forestshiberia111.jpg

catedoraru111.jpg


私が原画を基に作りだしている抽象画が不思議になる
山の抽象画とかなると何か地球を変形している感じになる
地球の形を変えている感覚になる
地球を改造しているか感じになる

ただもともとの絵や写真は私のものではない
だから一部著作権違反にもなる

でも明らかにそこに自分自身の創作がある
それはパソコンのソフトであれやはり第二次創作でも創作だとも見る
音楽だったら編曲となる、それで問題になったことはある

ただ私の抽象画がこれだけ大量にできるのはパソコンのソフトで機械的にしているからである、何か自分自身でイメージしたものではない
だからこそ大量に作れるとなる


The abstract painting that I create based on the original picture is a mystery
When it comes to mountain abstraction, it feels like the Earth is deformed.
It feels like the shape of the earth is changing
I feel like I am modifying the earth

But the original pictures and photos are not mine
That's part of the copyright violation

But obviously there is my own creation
Even if it is the software of the personal computer, I see it as a creation evenin the secondary creation.

If it's music, it's an arrangement, and that has been a problem
The reason why I can make such a large amount of abstract pictures is because I use a computer software to make them mechanical, not something I imagined myselfThat's why you can make a large amount