嘱託殺人容疑の医師へ、患者から130万円提示か
(金には責任がつきまとっている)
(ALS)の女性患者が昨年11月下旬、計130万円を50万円と80万円の2回に分け、同容疑で逮捕された医師山本直樹容疑者(43=東京都港区)の口座に振り込んでいたことも判明。
大久保容疑者は昨年5月、自身のブログに「『安楽死は500万(円)』なんてふっかけても支払えないでしょう」「リスクを背負うのに、まったくのボランティアではやってられません」と投稿していた。
金はカルマとして具体的に責任としてある、だから金のやりとりから人間のことをみるとわかりやすいのである
金を受け取ることで責任が生じていたのである
それをカルマ論で私は追求して来た
原発事故でも福島県の漁業組合は特に船主などは事故前にも多額の補償金をもらっていたそれで原発御殿が建っていたと周りの者がうらやましがっていたのである
漁業権という権利自体も海の資源保護が目的として与えられている
そうなれば東電に漁業権を売り渡せるものではない、原発が建った時、漁業権を売り
事故前に補償金をもらっていたのだ
事故後なら海を汚して魚などとれないとなって補償しろとなる
現実にそうなっている、でも事故前にももらっていたのである
それを言うのはこの辺では東電の原発のために故郷に住めなくなった大被害を受けたからである
その責任を問うときなぜ漁業権を東電に売り渡したのだとなった
それは漁業組合のものでもない、今になればこれだけ広範囲に被害があったのだから
みんなて市町村でも県でも管理するものでありまたその是非は県民であれ広範囲で決めねばならないものだった、なぜならこれだけ広い範囲で放射線の被害があったからである
それは漁業組合だけではない、船主だけではない、官僚でもそうである
警察とか検事とかが天下りしていたのである
官僚がそうでありまたマスコミでも宣伝費で莫大な利益を得ていたのである
原発は金を産むものでありその金を目当てにあらゆる人が群がったのである
それが事故になって黒い金となって責任が問われたのである
でも実際は何も問われない、東電の幹部でも罰せられなかったのである
地元の人は金をもらっても故郷に住めなくなるなるとかの罰があったから責任を果たさせられた、でもそうして東電の幹部であれ天下りした特権階級は罰せられなかったのであるそれだけの金をもらっていたのだから責任があり罰せられるべきだがなかったのである
何かその責任を厳しく問うものもない、マスコミ自体はできない
みんな莫大な金をもらっていたからできないのである
金をもらえばいい金になればいいというのが現代社会である
でもこゆ金には明確な責任がともなっていたのである
母の実家の墓を三百万で守ってくれと言って死んだ人がいた
私ももらう権利があったがもらわなかった、でもそれで助かったと思った
墓を捨てても墓は何も言わないとしても
「お前は三百万もらった」だから墓を守る義務があるとなるからだ
するとなかなか墓を捨てることはできなくなる
それよた何か無形のものが死んだ人を供養する無形のものの責任が課せられているともなる
別に墓がなくても愛する家族だったら心の中で愛しつづけることがあるからだ
金はもらえればもらうのがいいとしてか考えない、でも金は明確にその額だけの責任が課せられている、額が大きければ大きいほど責任が重くなっているのだ
それが何らかで後でカルマとなって苦しみとなって現れることがある
ただここでの医者の嘱託殺人の問題は金としての問題でもあったことだと気づいた
安楽死がいい悪いという前にこれは金をもらっていたということで責任が問われる
「『安楽死は500万(円)』なんてふっかけても支払えないでしょう」
「リスクを背負うのに、まったくのボランティアではやってられません」と投稿していた。
これは純粋に患者が苦しんでいるから殺して楽にしてやろうというのではない
すでに金をもらって殺すということの罪が問われる
そこに罪の軽重が生れる
そこで情状酌量とはなりにくいともなる
金が欲しくて殺したのかとなるからである、もし金をもらっていなかったら医者にも同情されるものがあるともなる
純粋に相手の苦しみをとりのぞいてやりたいという動機になるからだ
でも金をもらってやることは違ってくる
金が欲しいということが動機でありそこが大問題になる
だから人間の問題は金のやりとりで具体的に現れる、その罪を問う時も金のやりとりを見て判断する、それがわかりやすいからである
金には具体的に責任が課せられているからだ
だから法外な金をもらうことはいいようで後で苦しむことにもなる
原発事故では他の人はあいつらは事故の前も金をもらっていたし事故後も補償金をもらってうはうはだ、俺もあやかりたいとか言われるようにもなる
もし東電からそうしたことが金でももらっていなかったら堂々と原発に反対できたのである
例えばコロナウィルスでもGO TO キャンペーンでも二階氏とかが観光組合から金をだしてくれたことで見返りとして多額の政治献金を受ける
するとそれは純粋に観光業者に同情したわけでもない、自分たちの利益になるからそうしただけだとなる
こういうことは政治に普通にある、それがこの世だとなればなる
でもその観光業への金も国民の税金の金であり自ら金を出すということではない
国民の税金でも使うのにも責任が課せられている
でも何か大きな金はかえってその責任がわからなくなる、10万であれ百万であれ一万でもそういう金の責任はわかりやすいからだ
だから予算でも大きな金は何兆円でも無駄に使われるともなる、でもその責任も強く問われないともなっている
ともかくこの事件の注目すべきは金をもらったということにあった
ドラマであれヤクザが金をもらったので人を殺したとういことがあった
金をもらうことで責任が生れ人を殺すことになった、金にはそうして人を殺すまでの責任が課せられていたとなる
金から人間の問題が生じるのが多い、金のやりとりからみるとわかりやすくなる
だから犯罪者は借金していたとかが常に問われるのである
借金とは責任でありその責任を果たすことが強いられて犯罪にまでなる
だから金は怖いものだということである
漁業組合の船主でもそんなことを責任を考えず事故前に多額の補償金をもらっていたのである、それが事故になってそのことが問われた
他の人は自分でも知らなかったのである
だから後でこういうことで暴かれてその責任が問われる、金をもらった責任の重さを自覚させられるから怖いのである
でも普通は金をもらえばいいとしかないのである、責任のことを考えないのである