2020年07月20日

見逃せない戦後の引揚者の歴史 (大量の失業者が開拓に入ったーコロナで同じ変化が起きている)


見逃せない戦後の引揚者の歴史

(大量の失業者が開拓に入ったーコロナで同じ変化が起きている)

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戦後の引揚者

搬送に負けるということは大きな変化をもたらした、百からゼロになるような大変化だった、戦後の焼け野原であり都市は壊滅して故郷に帰っても働く場所もなくなった
その人たちは戦争の時は兵士であり食べていけたのである、それで

お前たちは外地散々贅沢な暮らしをしたのだから少々苦しい目をみてもあたりまえだ

これも理解できない、戦争で命がけで戦った人たちが贅沢な暮らしをしていたのか?
食うや食わずで戦っていたともあるからだ
ただ戦地には食料でも優先的に送られていたからである
ただ戦争に負けた時、従軍看護婦としてシンガポールの向かい側のマレーシアのジョホールバルに四年間働いた姉は戦争に負けたときジャングルに逃げて地獄の苦しみを受けた
食べ物がないからである                                  
でもそれでも戦争中でも本土から食料が優先的に送られていたのである
それでは本土の人は戦争中どうして食糧を確保していのか?
その困窮はどうであったのか察しられる
本土には働き手がいなくなったからだ、すると残された妻とか女性が働いたことになる
また工場では学生でも若い人も総動員で働いたとなる
だからこの辺の事情がもう一つわかりにくい

ただ引揚者と自分は現実に接している、それは子供の時、小池にいたのである
小池というと近いのである、飯館村とかなると遠い、小池は街から近いのである
そこに一人引揚者の一人がいたのである
私の家で店を始めたとき私の父親が今の双葉の新山で酒屋の丁稚をしていてその時その人と一緒に働いていて知り合った
私は子供の頃、店がはじまったときその人の所に卵買いに行かされていた
自転車の荷台にぬかの入った卵を入れて運んだのである
その頃ニワトリは放し飼いでありまさに庭の鳥だったのである  
その時今の真野川の鹿島区役所のあるところの橋は土橋だった
それでゆれるから怖かった、そして必ず卵を一つは壊していたのである

子供の頃気づかなかったがその人は相当に貧しかった、結婚もしていない
ずっと一人だった、それだけの余裕がなかったのだろう
ただ不思議にその頃そうして開拓に入る土地があったということである
聞いてみると当時は農家の方が豊かだった、なぜなら食料を時給していたからである
農家では味噌を作っていたり納豆でも作っていた、そして何より卵が食べられたことが贅沢だったのである
それで戦後は大鵬、卵焼きとなっていたのである
卵焼きは食べられる時代になったということである                  

とにかく引揚者は戦後の大きな問題だった、兵士あったものが失業したからである
数も多いし就職先もなかったからだ、戦後は何か就職先がない、故郷の田舎に帰ってもないのである、するとなんとか食べるものだけを確保しなければならない
それで開拓に入った、そこて食料だけはなんとか確保しようとしたのである
だからそれは苦しいし貧しいものだった、でもそれしか生きる手段がなかったのである
結果的には半数が撤退した、でもその後幸運に高度成長時代に入り工場とかに就職できたでもその時中卒が集団就職の金の卵として東京とかの中小企業に就職した
その下町の工場は小さいから今のような寮とかはなく劣悪であった
自分自身がそういう工場で学生の時アルバイトしていた
一日中ドリルで穴明ける作業だった、何か自分は学生時代からそうしたロボットのような流れ作業のようなことしか仕事としていない  
大学卒業してもフリーターであり依然として流れ作業しかしていない
それで仕事に異常に嫌悪感を覚えてひきこもりなり旅ばかりしていたとなる
それは仕事がそうしたロボットと同じにされたからであった
その反動からそうなったのである

この引揚者のことを知るということはやはり歴史であり今を考えるのに参考になる見逃せないものがある
時代が大きく変わる時何が起こるかということである
大量の失業者が生れる、兵隊が就職先だったものがなくなると故郷の田舎に帰っても働く場所がないのである、そうしたら食べることもできないのである
だから悪条件でも開拓に入った
でも鹿島区の小池だと街から近いし平坦な土地であり生活するには貧乏でも他よりましだった

なぜなら飯館村とか山に入った開拓は交通の便が最悪だった
大倉から飯館村に入る木戸木という開拓村は十軒くらいあり半鐘がありそこに生活があったのである、私はそこに関心がなく森があり清流がありそこを通る人はいなかった
秘境だったのである、今ある道はあとから作られたのである
その時その清流が消えたことが残念だった、それは原発事故前にありその頃まだ地方は公共事業として道作りをしていたのである
ただあそこはこうつうの便が悪いというより大倉から七曲の道でありそこから草野の村の中心地に行くまでも七曲の道であり不便であるというより閉ざされていた
その頃クルマなどないからどうして草野とかまで行ったのかとなる

なぜこのことをふりかえるかというと時代の変わり目には失業者が大量にでる
兵士という職業を失った人たちが大量に生れ仕事がないのでそうした不便な場所でも食べるために開拓に入るほかなかった、そして半分は過酷であり撤退したのである
兵士というときこれはやはり職業であり戦争中は兵士が最も多い就職先になっていたのである、兵士は経済が苦しくなると貧乏になると戦争でも食べるためになるのである
それは常に歴史でも戦争の歴史でもあるからそういうことがあった

そして今コロナウィルスで失業者があふれる、大きな時代の変化では大量に失業者があふれ職を求めるようになる、だから先日まで人手不足で騒いでいたのが不思議だとなる
どこが人手不足だったのかとなる、病院ですら医者にかからず患者が来ないのでつぶれるとまでなった、つまりこの「不要不急」が今の時代の標語のようになったのである
「不要不急」というとき観光業とかも実はそうだったのである
水商売ではないにしろ水ものだったのである、だから急激に100からゼロに近くなるのも驚きである、京都ではオーバーツーリズムで外国人がふえて困っていたのにもう来ないこの変化も大きすぎたのである

でも思うに今起きていることは大きな社会の変わり目であり焼け野原から始まったような変化に見舞われているのだ
だから東京一極集中から地方へ分散する、すると地方が活性化する
それは悪いことでないのである、大きな変化の時代になるとやはり観光業でも何か大きな犠牲が生れる、明治維新では侍が北海道の開拓に入ったように過酷にもなる
侍という職業を失業したからである
ただ昔とは同じようにはならない、でも食べるものがないからと不便な場所に開拓に入るようなことはない、でも農業をが見直されることはありうる
なぜなら耕作放棄地が膨大にあるからだ、それを活かすようなことがこれから起きるかもしれない
今日聞いたのは仙台の大学に入った人が学校に行かなくてインタ−ネットで授業しているという,テレワークすると同じである、教育も相当に変わる
学校に行くというのではなく十分にインタ−ネットのyoutubeとかでも学べる環境が生れたからである

こういう大きな変革の時代にはやはりマイナスの面だけが目立ち騒ぐ
それは戦後大量の引揚者がどうしていいかわからず開拓に入ったと同じである
焼け野原をみて茫然としている、観光業とか飲食業でもそういう状態になったとき地方はそこに頼っていたから苦しい、でもそこに何か活路を見出すと新しい時代が生れる
つまり地方の再生が起きて来る、その前に戦後の焼け野原のようになってしまうことである、それが観光業にでも起きている、交通関係でも起きている
鉄道すら乗る人が激減したからである、前からローカル線は減少していたとしても新幹線までが激減したことには驚いた
こうなるとリニアなど必要ないとなりこれも大幅に予定が狂ってしまったとなる

ともかくこの辺では津波だと原発事故だとか変化が激しい、それにつづいてコロナウィルスでありそういう激変の時代に突入したとなる
だからこれほどに社会が変わるということには驚く、すると新しい時代を作る、適応するということが大事なになる、それがてかなか老人になるとできなくなる
それで飯館村の村長に立候補したのが40代の外部から来た人だということも新しい時代にはそうなる、今までの考え方ではこれだけ変わればできないからだ
他の避難区域でもとても何か復興といっても老人は何もできない
それで外部から来る若い人たちにまかせるともなる
こういうときかえって前からのしがらみのない外部の人たちが主役になれる
第一飯館村とか人が住んでいないのだから自由に使ってくださいとなる
そこに別荘の様な新しい家を建てても住まないのだからそれは外部から来た人たちにゆずるべきだともなる、そうしなければ住む人がいないのだから村が成りたたないからだ
そういう大きな変化の時代には何か信じられないようなことが起きて来る
それがまた時代が変わるということなのである



posted by 天華 at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2020年07月21日

水害で塗炭の苦しみにある中国南部 中国メディアは「美しさ」を報道 八沢浦が元の美しい入江に戻った!




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「中国政府がhayoulake1.jpgをを決壊させた」映像が公開され 大騒ぎに
                                            
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八陽湖は琵琶湖の6倍

湖の表面積は、季節により146km2から3,210km平方メートルまで変動し、長江の水流を調節する役目を果たす。

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岳陽樓に登る<杜甫>

昔聞く 洞庭の水
今上る 岳陽樓
呉楚 東南にさけ
乾坤 日夜浮かぶ
親朋 一字無く
老病 孤舟有り
戎馬 關山の北
軒に憑って 涕泗流る


春秋戦国時代の呉と楚 呉は今の江蘇省のうち揚子江以南の地 楚は今の湖南・湖北両省の地

7月から9月にかけて長江から大量の水が流れ込み、湖の面積が広がる。通常期の湖の面積は2,820km2(琵琶湖の約4倍)だが、長江から膨大な量の水と堆積物の流入によって増水期は20,000km2(関東平野や四国よりも広い面積)にも及ぶ広さになるという。 


中国で起きている揚子江の大洪水を中国のテレビで国営放送で美しいと報道した
これに民衆が怒っている
でも何か不思議なのは自分自身が同じようなことをしていた
八沢浦が美しい入江に戻ったと津波のことで写真で紹介した
それで顰蹙をかった、なぜならその時、入江になったところに家も浮いていたし
死んだ人もいたからである、赤ん坊が泥に埋もれて捜索して掘り出したとかあった
ただそこは家が密集していないから本当に入江のようになった
たいがい津波はどろどろの泥に埋もれたような光景になっていた
ここだけは違ってきれいな波に朝日がさしてし波がきらめいて打ち寄せていた
それが奇跡のように美しかったのである
この辺は荒い波しか打ち寄せない、入江がないからだ、松川浦だけである
それでいつもここが元の入江にもどったらどれほど美しかったろうなと見ていたが
それが津波で元の入江にもどったときほど驚いたことはなかったのである

それと同じことが今回の揚子江の長江の洪水で起きていた
八陽湖は琵琶湖の6倍、洞庭湖は4倍、太古は3倍である
こうした湖の大きさはイメージできない、ただ太古には行ったことがある
海のように水平線になる、感覚的には三倍とかいっても相当に広い
なぜなら琵琶湖三個分あるからだ、それが6個分あるとすると滋賀県全体が湖になってしまう

琵琶湖は滋賀県の面積のたった六分の一(1/6)である

びったり滋賀県が湖になる計算である
ただもともと琵琶湖広かったからそのときなら5分の1くらいになっていた
大陸とか中国となるとそのスケールが想像を越えているからそこが一番理解しにくくなる国が2つに分かれるくらいのことがこうした洪水でも現実に起きたのである
その時ただ愕然としているだけである
それがただ美しいとして報道するのは自分もしたことである
他に住む人はそんなふうにしか見ないのである
自分自身がすぐ近くでも津波の被害がないからそうだったからである
ただその光景を実際に見れば驚嘆するほかないとなる

ここでは津波の後にも湿地帯化して沼がいくつも生れた、それも結構広い沼が生れた
それも美しいと見た、日本では海岸地帯は元の自然にもどると釧路湿原のようになる
それは美しい光景だったのである
だから自然というのは想像を越えたものでありそこに美も生れていたのである

そしてここで起きたことと同じことを政府が言っていた

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一万年に一回しか洪水は起こらないから千年に一回から百年に一回に訂正した

原発でも御用学者が百万年に一回しか事故は起こらないと数学者が確率論で計算していた
でも400年前にも大津波が来ていたのだからそんなことありえなかったのである
今回のコロナウィルスでも40万人が死ぬとか学者が国民を脅した
何か専門家は場違いなことを言う
ただ政府がまた報道でこんなことを言っているのは日本ではありえない
でも人間は外国でも人間であるかぎり同じようなことが起きるとこのテレビを見た
ただ中国とかなるとそのスケールが違うので理解しにくいのである

ともかく地球大変動の時代が来ている、それはやはり神からの何からの働きがあるとしか思えないのである






posted by 天華 at 08:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 津波、災難の対処

2020年07月22日

貧困化する日本で治安が悪くなる (コロナウィルスでさらに悪化するー大量失業の恐怖)


貧困化する日本で治安が悪くなる

(コロナウィルスでさらに悪化するー大量失業の恐怖)

社会が大きく変わる時、大量の失業者がでる、明治維新では侍が失業して困った
その中でその中で恵まれた人たちは教育関係に入り教師とかになった
あとは官僚とかなになったりした
でも江戸時代から明治に変わっても農業が主産業のとき、やはり農業につくことになったそれで北海道に開拓に入った、その仕事は厳しいものだった

そして戦後と一千万人とか引揚者が日本に帰ってきた
その人たちも失業者になった、それまでは兵士として職をもち食料は国から供給されていたからである

お前たちは外地散々贅沢な暮らしをしたのだから少々苦しい目をみてもあたりまえだ

こんなことがありうるのか?戦争していて贅沢な暮らしがありえたのか?
でもそれだけ日本が貧しいとなると食べることもできないとなれば戦争でもしてし兵士でも食べられるのいいともなる、御飯が食べられるのらいいともなる

そういうことがあったのかもしれない、人間は食えなくなればなんでもする
それで不況とかが深刻になり失業者が大量に増えると社会不安になる
治安が悪くなる、犯罪が増える

そして追い詰められた人間が一番怖い!

犯罪になるのは追い詰められ人間である、たいだい推理ドラマでも犯罪は借金した人が多い、それは借金に追い詰められているからだ
そういう人たちは善悪もなくなる、追い詰められるとまず人のことを考える余裕がなくなる、だから相手を襲うということになる
そういう経験を介護十年で自ら病気にもなり経験して来た
相手の苦しいことなど関係なくなる、金をとることしか頭にないからである
それで盗難にもあっているし責められるだけだった

考えてみると戦争の原因は何かとなると失業が関係している
ドイツでも第一次世界大戦で国が借金して不況になり失業者が増えた結果として社会不安になり戦争になった
戦争に踏みきるというのはその国が相当に追い詰められているからである
日本でもアメリカに経済封鎖されて石油が入ってこないとかなり追い詰められたから戦争に突入した
戦争に意義あるというのもあったとしても日本がそんな崇高な目的があったとは思えないのである、何か経済的に追い詰められて戦争に突入した
それで中国でも国内が苦境にたたされると戦争をしかけてくると言われる
対外的にかえって強硬になり国外に不満をぶつけて戦争になる
それで為政者は責任をとらない、悪いのは外国だとなるのが楽だからである

いづれにしろコロナウィルスでも大量の失業者が出る、その人たちが就職できないことが大問題になる、では侍が北海道に開拓に入ったり戦後の引揚者が近くの荒地の開拓に入ったりするようなことができるのか?
確かに耕作放棄地が膨大だから土地があるからできないことはない、でも時代が違うから無理だともなる
農業は簡単にできない、肥料やら道具代やら天候とかのせいで収穫は簡単にできない
そこに金をつぎこんでも何もとれない、農業の苦労の話を聞いただけで終わりだった

それで猪狩満直のように戦前に北海道に開拓に入って病気になり若くして死ぬようにもなる、引揚者でも半分は撤退したし北海道開拓でも厳しいから撤退する
ただ人間は追い詰められると嫌でも強いられてもそうなる他なかった
働く場所がないからである

高齢化社会でも貧困者が増えている、50パーセントがぎりぎりである
年金だけではやっていけない

そして5パーセントが水道電気をとめられる!

ここに現代の貧困が一番現れている、ボロを着ている人はない、一応食べられてはいる
でも現代の生活で欠かせない水道電気代が払えなくなるのが現代の貧乏なのである
復興住宅の浪江の人が電気をつけていない、節約しているというとき補償金もらったのだからそんなことはないと見ていたが結構苦しい人もいる
つまり苦しくなるとそうなるのである

知っている人は月末に必ず電気をとめられるとか水道とめられると泣きついてくる
そういう人が5パーセントもいる、これは少ないようで多いともなる
なぜなら一万の町があるとして500人がそういう人達がいるということになる
一千万だと50万人にもるなるからだ
それで電気料金をとりたてる人が催促するのが嫌になってやめたという
取り立てる方も相手が払わないから苦労して嫌になったということである
実際老人で余裕あるのは4パーセントくらいだというときいかに悠々自適な老後を生活する人が少ないかである
それで70になっても働くほかなくケガする老人が増えているのだ
やはり肉体労働になると老人はケガしやすいからだ

これから貧困がさらに厳しくなる、コロナウィルスで拍車をかけて厳しくなる
観光業は地方では収入として大きい、それで中国人が北海道に来なくなったりしたら厳しいとなる、福島県だと会津の方は観光業のしめる割合が大きい 
近くの人は水産業で魚を旅館とか飲食業におろしていたがコロナウィルスで影響して売り上げが減ったとなる、ただこの辺では観光業でも松川浦はそうだったが震災で津波で被害になりそもそも観光に来る人はなくなっていた、それと原発事故で放射性物質の汚染で
アサリ取りとかもできないから観光客が来ていなかった
全体的に観光業はこの辺では盛んではない、第一温泉がないからである
ただ野馬追いでも中止になったからその影響もある
ただ復興事業はまだ小高とか浪江とか原発の近くでつづいているからそういう仕事の人たちが来たのでやたらとホテルが多くなったのである
その象徴が原町駅前の十階建てのホテルが建ったことである、この辺では一番高いホテルである、それもコロナウィルスで影響する
猪苗代には千人も収容するホテルがある、これも客が来ないのだから影響が大きい

ともかく地方でもコロナウィルスでももともと苦しかった経済がさらに苦しくなる
そのしわ寄せが老人にくる、まともに年金をもらっている人は少ない
せいぜい二割くらいしか余裕ある生活はできていない
生活保護でも自治体によって差がある、知っている人は5000円しかもらっていない
医療費でも半分が負担である、それより生活保護はこれから支給されなくなる
それだけの財政の余裕がないからだ
だから市町村がつぶれてゆくとかさらに集約して自治体をなんとか維持するほかないともなっている

その人は70であり息子が援助する余裕がない、青森に父親が施設に入っている
それで必ず必要なものがあり金を払っている、つまり今の親世代の息子なども余裕がないから援助できない
するとどうなるのか、もう飢え死ににもなってしまう、なぜなら自治体も生活保護でめんどうみきれないとなっているからだ
だから高齢化社会ではもう介護でも病気でもめんどうみれなくなる
つまり弱い者は捨てられる、そこでまた犯罪が増えてくる
刑務所は高齢者の介護施設のようになっているというときもそうである
そういう人たちは行く場所がないからだ、特養などには簡単に入れないからである

こうして日本が貧困化してくるとどうなるのか?

本当に治安が悪くなり犯罪者が増える、そして金持ちでも安泰ではない、犯罪にあう確率が高くなるのだ、塀を鉄条網で囲って私兵を雇い守らねばならなくなる
格差社会というのはそれだけ金持ちにとって生きずらい危険なものとなる
枕を高くして寝れなくもなる、この貧困化に追い打ちをかけたのがコロナウィルスだったのである

そしてこういうふうに窮迫している人にとっていかに十万を給付されることが助けることになるかわかる
なぜなら10万もらえるとなればそれでその十万をあてにして電気水道代でも払えるとなるからだ、この人は10万がもらえるとなればとる方もあてにする
だからベーシックインカムも考えるようになったのである
生活保護はすぐに供給できない、それで困る人たちがいるしいろいろ問題があるからだ
いづれにしろ日本は冬の時代に入っていたがそこからさらにぬけだせなくなる
地方創成も言われたが観光業が頼みの綱でもそれもたたれた
そしてどこに光明を見出してゆくのか?それがまた問い直されているのである 

コロナによる経済的ダーメージが長期化すると
高齢者の悲惨さが際立つことになる (鈴木傾城)


posted by 天華 at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

コロナで問われた観光立国の政策 (北海道チャンネルで批判したことに同調)


コロナで問われた観光立国の政策

(桜北海道チャンネルで批判したことに同調)

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このyoutubeで北海道観光について疑問を呈している
観光立国という政策ににも反対している
これは何か今の時期に言うことはあまりない
ここでは観光立国より日本は物造りで栄えたのだからそうすべきだとしている
そして一兆二千億の金をつぎこむのは無駄だとしている
無理して行きたくない所に金まで出して行かせることはないとしている
金を出さなくても魅力が場所には行くとしている

観光で気づいたことは水ものだったとういことである
一挙に90パーセントも減る、ばったりと外国人でも来なくなる
これも信じられないことだった
北海道は外国人に人気があり外国人専用のリゾート地と化している場もあった
それで地価が上がったりした

そもそも観光立国となるようだ国も終わりだとなる、それはギリシャを見ればかわる
観光意外なにもない、産業がない、観光しかない、そしてヨ−ロッパでもそこは保養の地でしかない、誇るものは過去の栄光の遺跡しかないのである
だから経済危機になり国がつぶれるとまで一時なった
観光しか売り物がないということはそう言うことなのである
観光があったとしてもそれは付随的なものであり主要なものとはなりえないのである

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ホテルリステル猪苗代

地上18階/地下1階建 全370室

このビルを見たら凄い、こんなのあったのかとなる
千人くらいとまれるし一日の維持費だけで何百万だとかも言っていた
だからこんな大きくなると今回のように外国人でもぱったり来なくなると影響が大きすぎる、またこれだけの投資をしたということにも驚く
それだけ客を見込んでいたということである、これは別に投資したのは大手であり地元ではない、でもはずれたとなるとその損失も大きすぎるし地元の影響も大きすぎる
それはイオンとかともにている、そのために地元の商店街が廃れたとなる
ただ観光ではかえってこじんまりした割安なゲストハウスとかもありそれはそれなりに利用されるから違っている

でもこういうのを見るともはや前にも述べたが旅の宿とは関係ない、こんな巨大なホテルに泊まっても旅の情緒を味わえないだろう
団体旅行向きでもある、もうホテル自体を楽しむとなるのだろう
そこに娯楽施設があり楽しむ、景色を鑑賞するとかあってもそこですることがまるでデズニーランドのような娯楽施設なのともなる
私はこういう場所に泊まったことがない、私はただ泊まれればいいというだけだった

それで湖南町福良の蔵の宿に自転車で行って泊まった、それが情緒があったとなる
それは民宿でもあった、自転車旅行はホテルは泊まりにくい、汚れている場合もあり
受け入れにくい、だからテントに寝たりするのが多かった

いづれにしろこんな巨大なホテルの客室を埋められるのかとなる
今回のコロナウィルスはそれで観光業界が打撃になった
急激に90パーセントとか減る、そしたらもう一日電気代とか何百万かかるとした維持できないのである
それから交通関係も航空会社も鉄道もバスでも観光がとまるとその影響が大きすぎたのである、だからこんなことを予想できなかった

私は旅が人生ともなっていたから観光とか旅館とかホテルでもかかわりがあった
ただ金がないので温泉旅館にも泊まったことがない 
ただ一回くらい北海道の辺鄙な旅館に泊まって体を休めたことがあった
あとは何か泊まって楽しむことはしていない、一夜の旅の宿にすぎなかった
ただ一回だけ山形県のホテルで自転車でも泊まれた
断れると思ったがいいですよと泊めてくれたのである
その女将は親切だったのである、だからこうしてそんなホテルで自転車旅行者に気づいかいしてくれるのは例外的だろう、そもそも自転車旅行者はそんな所に行かないからだ
ふさわしくないからだ、ただここはホテルでも女将がそういう気遣いをもっていたのである、つまり前にも書いたがホスピタルから発したもの病院にもなりホテルになったからである
建物でもこれだけ巨大化するとそうしした心は失われてしまうだろう

いづれにしろ現代は交通の発達で旅はなくなったのである
旅するという時、その労力が大変なものになるしかえって金でもかかるとなる
自転車旅行がまさにそうなのである、それは少なくても一週間はかかる
すると会社員ではできないとなるからだ、二三日ではないからだ
それで歩く旅をしている人もいるがこの労力も大変なものになる
私自身は一回も歩く旅をしていないからだ
そうしたホテルに泊まることはもう旅ではない、ただリゾートで体を休めるとかうまいものを食べたいことしかない、そして旅の記憶が残らないのである
何か食べたとかは刹那的なものでありそれっきりで忘れるからである
つまり人生とは最後は思い出しか残らなくなる
でも現代の観光はそうした記憶が残りにくいのである 

何か観光というとき私は日本中ならほとんど旅したからいろいろふりかえる
北海道にはほどんど行った、最初は北海道から旅をはじめたからである
その後も電車でも自転車でも行った、苫小牧から稚内までも行った
これが長く一か月かかった、だからこうして旅ばかりしいると社会からはずれたものになった、そういうことができたのも家族に恵まれたためだったのである
それでもそこで地理を体で知ったりと本ではない知識が身についたとなる
まず地理は実地にその場を踏まなければ知ることができないからである
だから何もしなくても世界でも実地にその地を踏むことは外国を理解する第一歩なのである、ただ外国も旅したが広すぎて一部になった
それでも50歳以降旅したことは遅かったが外国を理解するには不可欠だった

そして60以降は介護になり何もできなくなったしまた旅する気力もなくなったのである
旅は何かやはり忘れやすい、でも何か印象に残った場所は忘れない、そういう場所はごちゃごちゃした都会ではない、自然が映える場所である、でも明石城が記憶に残ったのは
前が海で船が行き来して夕陽が映える光景だったからである、そういう場所か東北の太平洋岸にはないからである
もうこの年になると鳥のように飛んで歩くより牛のように一歩一歩住んでいる場所を歩き土地と一体化することに向いている
だから旅は滞在型の旅がいいとなる、一週間くらいある場所に滞在する
ヨ−ロッパだったらバカンスである、どんな土地に何か見出すものがある
その見出すものが近くでもあったが発見されなかった、灯台下暗しだったのである

北海道テレビというのも面白い、youtubeだとこうした地域のチャンネルが生れる
プログでもそうである、するとそこで地域に根ざした人が語ると違ったものになる
なぜなら人間はその生活している場所と深く関係して知らずに住んでいるからである
基本はその場所に生活している人がいて観光がある
その生業があり日常があって外から来る人の観光がある
それが観光がその地域の主体となってそこに住んでいる人が観光に頼り観光が生活そのものになると本末転倒になったともなる
だからコロナウィルスでばったり人が来なくなってもうつぶれるとなってしまった
日本でも観光立国はおかしいものだしオリンピックだって一時的なものでありそれより恒久的なものを目指すべきだというのが正論である
そういうことがマスコミでは言わない、それをこのyoutubeチャンネルで言っていたので
感心したのである

結局一兆二千億とか援助しても観光組合の利権団体にその金がながれるだけだとかその見返りにまたそうした利権団体から自民党に献金される構図になる
この辺で莫大な金が復興に使われた、除染でもゼネコンに何兆円と使われた
そしてまたゼネコンから自民党に献金される、何か政治はそういう構図になっている
でも結局そうししても福島の復興はなかったのである
だから金をいくら使っても必ずしも復興になったり効果的にもならないのである
金が万能のようでも金だけではどうにもならないものがある
ホテルリステル猪苗代でも巨大な城のようなものでもそれが無用化することもありうる
リニアでもこれだけ交通でもコロナウィルスで利用しないとなるといらないとなる
何か戦艦大和のように一戦も交えず海の藻屑と消えることもありうる


新型コロナウイルスによるホテル・旅館の倒産まとめ 

全国で41社が倒産し負債総額828億円

※6 月 30 日時点


posted by 天華 at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年07月23日

The coffee shop is a viewing platform


The coffee shop is a viewing platform

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私は喫茶店が好きである、喫茶店でいいのはそこで食事するとかではない
ただコーヒーを飲むとかではない、喫茶店の価値はその場所にある
それで都会の喫茶店は自然の景色が見えないのでいやなのである
何か穴倉に閉じ込められた感じになる

いろいろな価値があるとして自然が展望できる、自然が回りにあると喫茶店でれレストランでも価値が生れる
価値を作り出すのは料理とは限らないのだ
それで相馬地域の喫茶店を四つくら紹介した、そこは自然の展望台にもなり自然があるからいいのである

やはり見晴しがいいと気持ちいいとなる
それで今回の抽象画は架空の喫茶店であり展望台なのである

とにかく映像の時代でありインタ−ネットでは写真でも絵でもいくらでもでている
するとそれらを組み合わせて別なものを作ることができる
切り張りして再構成するのである、だからこれも創作なのである
ただどうしても著作権違反が一部で生じている
それでもその本人の創作なのである、音楽だと編曲になる
これもコンピュターからまたインタ−ネットから生まれた新しい芸術である

I like coffee shops, what I like about coffee shops is not to eat there
The value of a coffee shop is not in the place where you just drink coffee
That's why I don't like the urban coffee shop because I can't see the natural scenery.
It feels like you're trapped in something

You can see nature as it has various values, and if there is nature around, you can create value in coffee shops and restaurants.
Cooking doesn't always create value
That's why I introduced four coffee shops in the Soma area, because it's a natural observatory and there is nature.

After all it feels good to have a good view
So this abstract painting is a fictional coffee shop and an observatory
and a viewing platform

Anyway, it's the age of images, and on the Internet, you can see as many photos and pictures as you like.
Then you can combine them to make another one
It is cut and reconstructed, so this is also a creation.
However, there are some copyright violations
Still, it's the creation of the person himself, it's arranged by music
This is also a new art born from the computer and the Internet

2020年07月24日

メデアの変化が現代の大きな変化 (マスメデアから個人ベースになる対話的メデアへの変化)


メデアの変化が現代の大きな変化

(マスメデアから個人ベースになる対話的メデアへの変化)


おそらく20世紀というかwin95からのパソコンの大衆化と変化とメデアの変化の時代だった、そこからインタ−ネットの情報化時代に大きく前進したからである
でもその前哨戦としてワープロがあり私自身はワープロからはじまったのである
私は悪筆であり自分自身が自分の字を見るのが嫌だった
それでワープロをはじめたのである、それはwin95がでる前でありその富士通のワープロに通信機能がついていたので偶然に通信をしていたのである
それは富士通のパソコン通信だった
でもそこに集まった人たちは草創期のパソコンマニアだった、それを操作する人は非常に少なかったのである、だから理系の技術者も多かった
それだけパソコン自体が高いし誰でも買えるものではなかった、40万くらいしたものがあった、そのパソコンでもしょっちゅうフリーズしたりしして使いにくいものだった
私はパソコンはwinの時はじめたのでありそれまではワープロの通信機能がついているものでしていた、それで富士通の親指シフトでしていた
これでテキストが打ちやすい、文章にするのにスムーズだから使っていた

なぜこうしてこういうことにはまったかというと私は機械が苦手ある、理系でもない
するとそういうものにはまるということはない

悪筆でありそれが嫌できれいな字にしたいからはじめた

これがワープロの動機であり通信というのは付随したものとしてはじめたのである
そして私は無職であり引きこもりだった、だから家に一日中いるからそこに時間をさけたからできた
何か人間は苦手なことがかえっていいように作用することがあるから不思議である
中国でスマホがあれだけ普及したのは固定電話をもつのがめんどうだったからである
それは他の後進国でも固定電話よりスマホが無線が便利で普及した
つまり何かそうして不利なものが有利なものになってゆくことが人間界にはある
中国がITの先進国になったのはスマホが電話代わりになったことが出発点だったからである

確かに引きこもりは社会的脱落者であり目の敵にされる、でも奇妙なのは引きこもりが悪く作用するとしても良く作用することもある
禅僧とかに私は同調する、なぜあのように一人沈黙するのか?
それは沈黙して瞑想することが修行だからである、沈黙することは精神の修行なのである人間はあまりにも口が軽すぎる、そして口からどれだけ悪いものがでてくるか
口は災いもとなのである、そして沈黙することは自然と同化することであり一体化することなのである
なぜなら山でも石でも木でも沈黙している、だから自然に通じるには沈黙が必定なのである、でも社会人として生活することは必ず何か営業でも嘘をつく
そういうことが強いられるのである、利益第一になるからどうしても嘘ついても相手がわからない投資信託とかいろいろな金融商品を売りつけるとなる

まずパソコン通信は文字だけで文章だけで会話する、これは今までにない会話のしかただったのである、だからこの世界を理解すること自体できないものだった
そこからメデアの変化が進行していたのである
つまりテレビは大衆を相手にしたメデアであり、6局によって独占されていた
この影響は本当に大きいものだった、なぜなら茶の間を独占していたからである
そしてマスメデアは大衆メデアだから常にどれだけ視聴率をとるかでその価値が決まる
それで硬いものは放送しない、大衆向きに作られている
だから大衆洗脳装置ともなっていたのである
テレビを見ていると知らずテレビ局に洗脳されるのである

そしてテレビ局は明らかな意図をもって放送している、ニュースでも放送するものと放送しないものがある、大事なものでも放送しないことがある
それはテレビ局でどんなニュースを放送するか決めるからである
だから6局によってマスコミが裁判官のようにもなっていたのである
それで武田邦彦氏がダイオキシンは害がなかったのにマスコミのキャンペーンでねそう思いこまされたとして怒っている
また温暖化はないとしてNHKの放送を常に批判している
それは科学的客観的なものではないのである            

マスコミには科学者の客観的態度がない、常に武田邦彦氏は科学者としてデーターを重んじて科学的事実から判断する
マスコミの報道はそうした科学的に追求するものではなく温暖化とかを作り出しているとしている、それは科学的なものではない、恣意的に作り出しているのである
マスコミは中立ということはないし報道でもない、NHKでも編集会議を開きそこでトップがその方向性を決める
だから原発事故でも原発避難者側につくとトップが決めて番組を作りをしていた
津波の被害者より原発避難者を重んじるとして番組作りしていたのである
するとそれを見る人は原発避難者側に同情するようになる
マスコミはそうして放送する権利を独占していた、そしてただ事実を放送するのではない必ずニュースでも取捨選択して解説でもNHKがその内容を決めて編集して決める
だからもともとニュースでもその見方は多様になるがマスコミは一方的になる
そしてマスコミは何か裁判官のようになり常にいい子になりマスコミの言うことは正しいとなりおしつけられる、そこに批判は許されなかったのである
マスコミには悪がないように見える、でもそこに悪があった
それは原発事故で莫大な宣伝費を東電などからもらっていた、それで事故が起きたとき朝日新聞ですら中国にマスコミの幹部が全部東電に招待されていたのである

マスコミは誰かの主張でもない、それは組織全体の主張として作られる
でも不思議なのはyoutubeとかプログとかインタ−ネットは前から個人をベースとして主張される、マスコミはマスが対象のメデアである、だから大衆受けするのものとして放送する
でもインタ−ネットでは個々のメデアであり個々人のメデアである
個人をベースにしてニュースでも解説している
つまり常に私はこう思うという主語があるIがあるメデアである
マスコミは常に我々はとかみんながとか放送する、その相違があるのでこれは何なのかとマスコミの放送に慣れた人はとまどうことになる
自分自身がyoutubeについて何かイマイチからないものがあった
テレビで個人が主張することが理解できなかった

でもyoutubeだとみんながではない、私はこういう経験してきて勉強してきてとか個人をベースにして語ることになるのが違っているのだ
武田邦彦氏は科学者としての経験が篤いから科学がわからない人には科学とはそういうものかと理解するようになった
その科学もマスコミで報道するのとは違う、なぜならその科学についての報道を常に批判しているからである
ただ有名なノーベル科学賞をもらった人まで批判できるとなるとそれだけの自信がないととてもできない、だから素人の人はそういう人が言えば何も言えなくなる

ともかくyoutubeとかプログでも個人をベースとして対話するメデアなのだ
だから対話する時その人がどういう人なのか、プログに書いているとわかりやすくなるのである、この人はこんなことに興味をもちそんな経験をしてきたのかわかるからである
ともかくそうして個人をベースにして放送しているのがインタ−ネットでありyoutubeでもそうである、一人の局など今までありえなかったからである

マスコミとは対話できない、そこには個人もいないし私がこういう経験をしてこういう場所に住んでいてとかないからである
人間はその住んでいる場所の影響も大きい、だからその見方も場所によって変わってくるのである、おそらく隣の市でも町でも違った見方になる
それが全国となると広いし世界となると広いから場所の感覚が理解できないから実感できないのである
つまりテレビの画面からはいくら旅の番組を放送してもその場所に立つとかその場所に住むという経験がないと理解できない
日本には砂漠がない、すると砂漠から生まれものを理解てきない、砂漠からなぜエホバが神が現れたのかも理解できないのである
この場所だけは本当に多様なのである、一地域でも本当に多様なのである
そこでそこに住む感覚が違ってくるのである

いづれにしろ20世紀はここ30年くらいは情報革命の時代だった、それはコンピュターと通信の世界が普及してそうなった
それは個人をベースとして対話するメデアだからそれは今までにないものだったのであるだからこれは新しい文化だからなかなかなじめないものなのである
ただ若い時から慣れ親しんでいればそれがノーマルとなる、ニューノーマルなのである
でもそれになじまないものはアブノーマルな世界になる

ともかくインタ−ネットの世界は個人をベースにした対話的メデアである
だから相手と個人として対話する態度が必要になる
でも武田邦彦氏のように科学者となると対話すること自体むずかしくなる
なぜなら文系だと科学的なことがわからないからである
ただ武田邦彦氏は文系にもわかりやすいよちうに説明しているし自らも文系の素養をもっているから対話をなんとかできるともなる
科学者とかなかなか対等に対話が文系はできないからである

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二人は同世代である、だから同じ世代として通じるものがある
でもその経験がそうとうに違っている、すると個々人の経験から語る
それで違ったものになる
ただここに欠けているのは場所性なのである、武田氏は名古屋だとしてもその場所性が
ほとんど示されていない
加治氏は北海道出身でも不思議なのはアメリカ出身となっていることなのである
アメリカ人ともなっている、北海道出身という場所性はほとんどないのである
私自身は常に自分の住んでいる場所をベースとして書いている
場所を離れて自分自身もないのである
場所をアイディンティティとして常に語っている
インタ−ネットでは地域メデアでもある、その地域地域に根ざして発信している
でも何かもう一つのその地域のことがわかるものが見つけられないのである
私のプログを読めば相馬という地域が見えるものがあると思うからだ

なぜyoutubeがもう一つなじめないのか?それは話すことが中心であり文章ではないからでもある、どうしても話すことと文章にすることは違うからである
でもボードに文を書いて説明するとわかりやすくなる
話すだけだともう一つ理解しにくいと見た
もう一つは短編になるので長い文のように一貫したものを把握にしくいことである
二人は本も出しているからそれを読めば理解は深まる
だからyoutubeであれプログであれ本であれ表現の仕方が違ってくる
そこで伝える内容も違った印象をもつのである
それはメデアが違うからそうなる
でも個人がこうしてメデアをもつことは今までなかった、個人がテレビ局になることはありえなかった、だから何かとまどうものになっている
私自身はしゃべることが苦手である、でも家に閉じこもって書くことは向いている
人に会うのも苦手である、だからひきこもりになった
何か人と会うとひどく疲れるのである、それで今つきあっているのは一人しかいないのである

電車と藪甘草(写真)


電車と藪甘草(写真)

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10輪ほど藪甘草や電車行く


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みちのくへスーパーヒタチ藪甘草


藪甘草というとき何か田舎くさい感じの花である、あつぼったく農民の感じのような花である
だから普通電車が似合う、普通に利用する日常の電車である
ただ写真ではこき花が大きくとれない、前も花は遠くからだと大きくとれず映えなかった
だから大きくして加工するほかないのである
十輪ほどというときそれは人が十人くらいだともなる
ただこの列車は六両だから本当はそれなりに人が乗っているとみた
でも写真で見たら乗客が見えないのである

だから人も映ると活きた写真となった、生活感が出る
ここに人が乗っていないからただからの電車が走っているように見えた
人間はつくづく人がいなければ生活していなければいくら電車が走っていても活きない
それは原発避難区域で人がいなくなった飯館村でも感じた
空家だらけであり別荘のような新しい威を建てても人が住んでいないのである
生業もない、だから村が死んでいるのである

でもスーパーヒタチは今日は連休で相当に乗っていた、写真の車両は満員のようにも見えた
ただマスクをしているから警戒はしている
やはり東京から仙台の方の移動がある、でもまた東京から人が来るとコロナウィルスを運ぶから困るのである

沖縄の与論島では10人くらい感染者でて騒いでいる
医療体制がないから対応できないとかなる
こうした離島となると問題である
でも沖縄とか観光収入をに頼っているから来てもらいたいとなる
そういう時代は何か本来の生活ではなかったともなる
外部から来る観光が頼りの生活はうウィルスには弱かったのである

そうでなければ離島こそウィルスには一番強い場所だったのである
人から人への感染はないからである
それで江戸時代のコレラの流行では福島県の桧枝岐(ひのえまた)は感染しなかった
そこで米を食べられずソバが主食でイモリを焼いて燻製にしたものを食べていた貧しい地域だったからである
ただそういう孤立した場所はウィルスには強かったのである
人間社会はそもそも何が良く作用するかわからないのだ
いいものでも悪く作用したりする、だから辺鄙な地域は嫌だとなるがそこにもいいことはあるのがこの世なのである

離島というとき波照間島とかにも行った
そこで井戸が枯れた所がありそこに人が住んだ跡があった
シマでは水不足に苦しんでいたのである

ともかく東北にも結構連休で人の流れがある、そこでまたコロナウィルスの感染者が増える
仙台市はまたわずかでも増えたからである、それは前ら予測されていたことである


2020年07月25日

資本主義社会から変わる社会は何か (役割で人を評価する、金では評価しない社会)


資本主義社会から変わる社会は何か

(役割で人を評価する、金では評価しない社会)

●資本主義が機能しなくなった

今コロナウィルスでも何かおかしいのは職をなくしたとかいろいろ困窮している人がいるのに株が上がっている、景気が悪いのに株が上がっている
それでさらに格差が広がる、人が苦しんでいるのに株主はもうけている
人々が苦しんでいるのに株主社会である資本主義では株主に影響はない
その金を国からの国債から株に流れてきた金だとしている
実態経済とは関係なく金が右から左に流れて利益を得る、それがグロ−バル社会で行われる、そこに巨額の金が流れてコロナウィルスでも巨利を得た国際資本家もいたのである
そこには道徳なき経済になり弱肉強食の経済である

こういう資本主義社会はもうこれ以上つづけるとどうなるのか?
アメリカのような暴動が起きて来る、贅沢品を売っていた宝石店が壊されてねらわれたりする、黒人だけではない、不満分子が格差社会で増大して暴動になったのだ
アメリカでのコロナウィルスの被害は大きかった、それでさらに底辺層は困窮していたからである、富裕層は別荘に逃れて優雅に暮らしていたとか言われる
またこういうときでも大儲けできるのがグロ−バル経済である

アメリカ型の資本主義がありそれは株主優先である、そこに働いている会社員や労働者は重視されない、ただ時給いくらかで働かさせられるシステムの中で奴隷化された人たちである、それはシステム機械の部品のうよなものでいつでも取り外されて補うことができるとみている
そもそも時給労働自体が人間を安く部品のように使う労働なのである
そしてアメリカ型資本主義では株主優先であり会社は労働者のものではない、株主のものなのである
だから現実を生きて得するには株主にならないと資本主義社会では裕福になれない仕組みになっているのだ


ただ資本主義社会はもう金があっても金余りであり投資先がないから行き詰まっている
中国が投資先になったがそれももう発展したので投資先にならない
日本でも高度成長時代が終わり投資先がないから銀行でもつぶれるとかなる
金を貸す先がないのである、それだけ新しい起業がないのである

銀行の役割が喪失した

これが根本的な原因なのである
それでコロナウィルスで銀行は資金がないとして融資を頼まれるで政府では奨励しているが銀行ではそういう会社に投資しても見返りがない、高度成長時代だったら金を貸しても必ず見返りがあった、利子をつけてももどってきたのである

●江戸時代は役割社会

だからこれから社会はどうなってゆくのか?
もう旧来の資本主義グロ−バル社会は継続できない、一応継続しても別なものに変わる他ないのである

What's your responsibility?「あなたのやるべきこと(役割)って何?」という使い方もできます。日本語だと「役割」と一言で済ませることはできますが、英語だと、roleやresponsibilityだけでなく、chargeも使います。In charge of A「Aの担当で」の用法です。What are you in charge of?で「あなたの役割は何?」と使うこともできます。

働くという時、最近job型になるという、日本の社会はメンバーシップ型であり仲間内で協同を共同を重視したものとなっていた
それは農耕型でもある、みんなで村人が田植えしたり稲刈りしたり草刈りをする
それは今でも草刈なとはつづいている、農業とは人手がかかり共同するものだったのである、そういう感覚で会社が生まれた、なぜなら社(やしろ)に会すが会社だからである
会社のビルの屋上に社があったりするのもそうである
それは株主優先の資本主義社会の会社ではないのである
job型は英語で調べるとわかるがworkとは違う、何か一時的に仕事するとかある部分を担当して仕事するとかある、そのニュアンスが違うのである
欧米人はjob型でありそれぞれの専門性の仕事を重視する
仕事でもある特定の仕事をできる人をjobとして雇うのである

ただjobという時、そこにも専門性があるとししてもworkとは違う、workにはいろいろな意味がある言葉である
workは働くというとき機械が働くとかなれば機械が動きワークする、作用する、機能するとかなる、つまりワークには社会の中で機能するとか作用するとかの意味になる
そして作品の意味があることが重要である
何であれ製品を作品を仕上げるとういう意味がある
つまりワークにはlifeworkとかあり一生を通じて作品に仕上げるとういことがある
それは芸術家だとわかりやすい、画家だったら自分の作品をしあげることが仕事でありその仕事は死ぬまで継続されるのである
それは途切れることはない、会社で退職して途切れることはないのである

そしてworkには社会に機能するとか作用するというとき役割があるというふうにもなる
役割とは責任のことであり社会で責任ある部署を担当することである
また役割はroleというとき人間の役割はrollする、回ってくる、同じ役割でなくて役割が回ってくるということがある、だから人間の仕事は必ずしも固定されていないのである

そして役割というときまずその共同体であれコミニュティであれ自治体であれ役割を持つことである、株主になるとか会社員とかではない、それぞれの役割を社会でもちそれで評価されることである、金を第一とする前にそうして社会で役割がありその役割で評価するそういう社会が江戸時代だったと思う
侍には侍の役割があり農民には農民の役割があり職人には職人の役割があり農民には農民の役割があった、そして限度を重んじたのはその役割を果たすことが第一であるためである、それが封建社会だとなりそんな社会は不自由だとかなる
でも古いものでもそこには何かしら参考にすべきものがある
それで歴史から学ぶというときそうである、なぜこんなに資本主義社会は乱れるのだろうか、弱肉強食であり経済とかでもその意味は経世済民なのにまるで違ってただ金あるものだけが威張る社会に疑問になる

役割というときその役割に責任がありその役割を誠実に果たす勤めるということが職業倫理になる、その人の役割があり責任がありそれを果たすことで評価される
金で評価されるわげではない、まず社会の中で役割がありその役割を果たすことでその社会の一員となれる
そこでは人は役割で評価されるのであり金で評価されるわけではない、江戸時代なら庄屋でも村人をまとめる役割があり侍がいて米を税として納める役割がある
それは階級社会で格差があるとかなり否定される
でも江戸時代はそうして役割で評価されたのであり金があるかないかではない 

●AI化と機械化で人間の仕事がなくなる社会では役割社会になる

こういうことはAIで仕事がなくなり仕事をもつ人は特権階級になるという
なぜ仕事がもてなくなるかというと仕事が機械化されAI化されてなくなるからだ
すると社会で仕事ができている人は例えば給料が高いとか金で差別化しているが仕事をもっている人と持っていない人で差別される
別に給料はベーシックインカムで仕事しなくても払われる一応食べていける
でもそういうふうにして仕事がない人は社会に役割がない人として尊敬も何もされない
あの人は仕事ができるということは社会にとって必要不可欠の人であり尊敬されるとなるそれを感じるのは退職した時、何の用もなくなるとにている
一応年金で暮らせるのだが社会にとっては用のない人になるからだ
それで妻もそういう人と長い老後を暮らすのは苦痛になる

だからそれぞれに役割があり仕事する、でもその役割を果たしていない、その責任を果たしていない、マスコミにもその役割があったが果たしていない 
そもそも男性には男性の役割があり女性には女性の役割があって社会は成り立っていた
男性と女性が能力を競うことではない、それぞれの役割りをこなすことであった
だから男女平等社会とは役割社会ではなく男女が能力を競うとなり歪なものとなったのだだから役割社会ではまず与えられた役割に忠実であることが望まれる
科学者も専門家でも役割があったが果たしていない、ただ金を政府から得ようとするだけだとか言われる、予算をとるためにだけに働くとかなる 
つまり金融資本主義になると金だけを追及する、金を得たものが勝ちだとしているからだ何か役割をもつことではない、金をまず得ることが優先される
そして金を多く持つ人が資本主義では主導権をにぎる、役割でももしそれがたいして金にならなければ評価しないのである

そうしてたいして役割もない、責任もない人が巨万の金を得て富を一人じめするようになる、それはすべて資本主義では金で評価するからである
その役割は社会で大事です、だから勤めてくださいとかならないのである
金になるかならないかで重要度を決めているからである
もし役割を重視するならそこで働く人もその役割を果たすために勤める
そこに職業倫理も生れる、なぜならその役割を果たすことが仕事になるからである
医者には医者の役割がありその役目を果たすことが先決になる
でも実際は金にならないとしてコロナウィルス患者を拒否したとなるとその役目を役割をはたしていないのである

役割が先にありその役割を果たすということで金がもらえる、金がついてくるというのがいいのである、そこで医者の役割は重要だとして評価される
でも医者が金が得られないとしてコロナウィルスの患者を拒否するのは役割を否定したのである
役割というとき先に役割があり役割が与えられて人は働く
役割とは天職かもしれない、天職を役割として与えられたのである
そこにミッションが使命が生れるのである
それでこれからAIとか機械化とかロボットが働くようになる時社会で役割をもって働いている人はエリートになり優秀なのものとして評価されるという

他の者は仕事を失いベーシックインカムで生きるとしても社会では評価される者とはならない、確かに一応基本的な生活はできてももし社会に役割がないなら生活はできても劣等民とされてもしかたがないとなる
それは差別でも格差でもない、社会にその役割を見出されない、担うことができない
だから別に格差社会からそうなったのではなく、役割をもった仕事がない人となり劣等民とされるのである
そういうふうに時代とともに働き方とか価値観が変わるのである
ただ正直どんなことしても人間の理想社会など作れない、そこに暗黒が生れ矛盾が生まれるのである、神の国でしか理想社会などありえないのである
だから神が作り与える御国でしかそうしたことは実現しないのである
ただ自然がなぜ調和しているのか、人間だけがなぜ調和しないのか?
自然は神の業(わざ)によって調和している、それもそれぞれに様々なものが生物から無生物から無機物から宇宙があって調和している、それは何かそれぞれが役割りが課せられていて調和しているとなる

地理にしてもその土地土地の役割りがある、それは恵みである、グロ−バル化とはそうした外国でもいろいろな土地の産物の含みを得たとういことである、ただそれは度を越したものになり問題になったのである
恵みとはめぐることでありそうした土地土地の恵みがめぐってきたのである
またそれぞれの土地には国にはその国が果たすべき役割がある、例えば日本だとどうしても中国という巨大国家がありアメリカに日本は征服されたがその中間にあってその仲をとりもつという地理にあり地政学になる
それは明治維新の時、アジアを代表するものが日本になりヨ−ロッパ文明とアジアを代表する国になった
そして今また中国が巨大化してアメリカと対立するとその仲をとりもつ役割を担っている
そういう地理にあるのが日本なのでありそこに役割がある
だから地政学的役割がありそれを果たすことが政治的使命だともなる
いづれにしろ人間は国でもそうだし役割を神から課せられているのだ、それがミッションともなる
とするとそのミッションを果たすことが人間の役割りだとなる

In charge of A「Aの担当で」の用法です。What are you in charge of?で「あなたの役割は何?」と使うこともできます

つまり役割りとはchargeのことでもある、それは責任でもありまたカルマだともなる
生れたときからすでにそうした役割を課せられているchargeされているのだ
長子は特別の役割りを課せられているから家での待遇も違うそれは生まれた時からそういう役割を課せられている、
責任も課せられた人なのである、長子は常にどこの国でも重んじられてきたからである

国でもその地理からchargeされたものがある、それが中国とアメリカの仲をとりもつ、ヨ−ロッパとアジアの仲介者として日本があったことでもわかる

長子は特別の役割りを課せられているから家での待遇も違う
それは生まれた時からそういう役割を課せられている、責任も課せられた人なのである
長子は常にどこの国でも重んじられてきたからである
国でもその地理からchargeされたものがある、それが中国とアメリカの仲をとりもつ、ヨ−ロッパとアジアの仲介者として日本があったことでもわかる

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posted by 天華 at 15:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年07月26日

米中戦争の脅威で迫られる日本を世界史的視野での考察 (独立を維持したベトナムに習う)


米中戦争の脅威で迫られる日本を世界史的視野での考察

(独立を維持したベトナムに習う)   

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SakuraSoTV

世界覇権は中国に!?[桜R2/7/25]


今日のさくらTVで中国のことを議論していた、その中でベトナムで会社経営している人の話がリアルだった
ベトナムは常に中国の脅威と向き合ってきた、でも独立を保ってきた
だから漢字も使用した時期があったが今はしていない、そこで漢字を使っているのかと
私自身がベトナムを訪ねて親しみを覚えた
逆に中国化されないために漢字を使用しないということもあったのかと思う
ベトナムは8千万人もいる、それなりの大国である
その気質としてベトナム戦争ではアメリカに抵抗してアメリかを追い払った
それは長い歴史で中国という大国と直接戦った歴史がありそれでその気概が受け継がれて独立を保ったとのかとみる
アメリカに対抗できて降伏しなかったからだ
ただフランスの植民地になったことがあった、それはなぜだったのか?
日本軍がベトナムに入りフランスとも戦い追い払ったとなる

いづれにしろ今中国は世界の覇権国としてアメリカと戦う、戦争にもなるという恐怖がある、だからなぜベトナムはそれだけ抵抗できて独立を保つことができたのか日本も習う必要がある、これも地理が関係している
陸続きだとどうしても他国の侵入があり防げないのである
中国自体はそうした他国の侵略の歴史があり万里長城ができたからである
中国とはアメリカのように多様な人種のグロ−バルな国であった
第一モンゴルが攻めてきて支配したがそれは中国でもない、満州族が支配したこともありそれも中国ではないとなる
中華というとき別に漢人だけの国ではない、漢人の回りの多様な民族の集合体としてのグロ−バルな国のことである

東南アジアでも一時カンボジアのアンコールワットは巨大な帝国の中心地としてありその栄光の跡として遺跡を残したのである
その壁画に中国人の兵士の像が刻まれてたい、つまりその時カンボジアでともに戦った中国人がいたということである
東南アジアは中国の影響が直接的になる、陸続きだからである
中国資本が入って華僑でもその国を牛耳ることにもなり反発される
日本でも中国人が多数入ってきたがそこまでは成ったことがない、でもこれから日本が弱体化するとそうなることが懸念される

日本が今中国にどう向き合うか問われている、コロナウィルスでもそうだし米中戦争が本当に現実化しつつある、すでに冷戦に入っている
中国は経済発展しないときこうはならなかった、後進国として見ていたからである
それは十数年前に中国に行った時は鉄道でも貧弱であり地方から流民化した中国人が家畜のように車両に詰め込まれて運ばれていた、実際に車掌が鞭で打っていたから家畜だったのである、それが中国で生きる過酷さだったのである
それが今や新幹線からITから宇宙旅行からと日本の技術を凌駕しているから驚嘆する
こんなに急速に国も変わるものかとみる
(三日見ぬ間の桜かな)となる
人も変わるが国もこんなに急速に変わるものだと驚きになる
技術的に日本は後進国なのかとさえみる

こうして中国が巨大化すると世界の覇権争いになる、今度は米ソから米中の覇権争いになる、その狭間にあるのが日本なのである
米ソの冷戦のとき日本は漁夫の利を得ていた、朝鮮戦争でもかえってそれを契機に日本は浮上した、ベトナム戦争でも特需となり得をした
それで高度成長時代を築いたともなる
でも日本はバブル崩壊で失われた30年となり中国が台頭してきた
そして中国が世界の覇権国になろうとしてアメリカと深刻な対立になった
アメリカは戦争を辞さないとまでなっている

その時日本はアメリカにつくのか中国につくのか問われる
親中派が自民党にも多い、まず自公政権の公明党は創価は前々ら親中派なのである
どうしてあれだけ親中派なのかわからないが中国様様なのである
それで公明党と二階が結びつきコロナウィルスな国民に十万の給付金を決定したとされる日本がの外交でむずかしいのはアメリカにしてもアメリカ自体が混迷して衰退している
もちろん中国でも巨大であり一つではない、それで覇権国の争いで争う時、どっちつかずではいられないだが両方が倒れるということがあるという説明がある
そうなると漁夫の利を得るのが日本だとなる

ただ今回はそうはいかない、アメリカはイラク戦争の時のように血の同盟を求めて来る
実際に中国との戦争となれば血の同盟で本当に命の犠牲を求める
それでこそ同盟だとなるからだ、また中国でもアメリカと切ることを要求してくる
どっちつかずではいられないだろう、傍観もできない
戦争に成ったら飛び火してミサイルでも飛んでくる、アメリカ軍の基地があるのだから当然だとなる
背後のアメリカは強国なのときは安泰だった、でも今やそうとも言えない
中国軍はハイテク化しているし侮れないとしている、その見方はいろいろでも中国は技術力がアメリカと伍するほどになっているのだ
そうしたら簡単にアメリカが勝つと中国は分断されるとかなるのか?
それは予断を許さないのである
はっきりしていることはその火の粉が日本に飛んできて日本が戦場にもなる
また日本でも国論が二分する、アメリカにつくのか中国につくのかせまられる
それはヨ−ロッパでも同じだという、イギリスはアメリカについた
ドイツは思案中だとしている
ヨ−ロッパでも分かれている、まさに米ソ冷戦時代と同じである  

とにかく世界は動乱の時代に入った、それは日本でも自分の一身上でもそうだった
家族のことで苦しみ次に津波原発事故で回りが苦しみそして今度はコロナウィルスで苦しみ遂には戦争にもなり最悪の事態になり大きな時代の変化となる
それは明治維新と同じであり戦後の焼野原のような大変化になる
ただそれが日本にとってすべて悪く働くとは限らない、つまり中国でもアメリカでも両方が戦って国力が弱体化することもありうるからだ
ただとても朝鮮戦争とかベトナム戦争とかのようにはいかない
イラク戦争の時は日本は金だけをだして直接戦闘には参加しなかった
つまり血の同盟としてアメリカ軍と一緒に戦わなかったのである
今度は地理的にそうはいかない、すぐ隣でありミサイルでもすぐに飛んでくるからであるまた海軍がすでに尖閣諸島でも占領するからである、今でもすでに中国海軍が尖閣諸島を手中にもしている、日本は何もできないとしている

日本はもともと地理的に国力でも中国の属国になりにくい距離にあった
海で囲まれていてそれが事前の防壁となり日本は侵略されることからまねがれていた
でももう航空機とミサイルとかの時代になるとそういう自然の防壁は役にたたない
ただ確かなことは日本は西欧化するときアジアで唯一植民地化しなかった国であり
西欧文明を最初に取り入れた国である、その時いろいろな用語を新しい漢字を作り翻訳したのである、それを中国で取り入れたのである
中国にはそうした西欧文明の精神を取り入れることはできなかった
だから日本を経由してその漢字をとりいれて理解したとなる
だから中国から唐から漢字をとれいれたときのように中国を尊敬していないのである
なぜ中国人が日本に来て唐の時代の中国を尊敬して今の中国を尊敬しないのかと問われる
それは中国は独自のものを作りだしていない、みんなアメリカとかヨ−ロッパのコピーなのである、その政治にして共産党王朝であり古代から変化していないのである
ただマルキシズムを取り入れたのだがそれはヨ−ロッパの思想なのである
中国独自の思想という時老子の思想とかまた禅宗の思想なのである
そこには私でも共鳴している、でも共産主義はヨ−ロッパの思想でありアジアの思想でもないし中国の思想でもないのである

ただ言えることは何かアジアが復興するというとき新しいものが求められている
それが何なのか?それがなければいくら軍事力でも技術力でも欧米並みになっても
覇権国となっても力だけでありそれで世界をリードすることはできない
西欧文明が世界を導いたのはやはり科学技術だけてはない、総合力としての文明であり
そこには宗教もありキリスト教もありそれで世界を導いたのである
中国は王朝国家であり何ら政治的にも変わっていないである
過去の栄光の中華帝国の再興なのである、それに世界がついていゆくのかとなる

中華帝国の再興は過去の亡霊である

文明は伝播してもその同じ場所で再興していないから過去の亡霊に憑かれているともなる

科学技術でも経済力でもそれだけで世界の覇権国となり導くものとなりうるのか
だから価値観の対立だとなりその価値観を共有することで戦いとなるとされる
まず中華帝国の価値観を共有することは周辺国ではしない、それは時代錯誤なのである
そこが中国の最大の問題なのである

いづれにしろ世界史的視野から見ると文明は一旦栄ても再び栄えることはない
ギリシャ文明があれほど栄えたのに今はただ遺跡だけである
確かにギリシャ人は文明が栄えた時と同じ言葉を今も使っているのである
でも今なにも見るべきものがない、何か作り出すもの工業製品もない、ヨ−ロッパ文明の発祥の地として過去を回想するだけである
文明は移転する、伝播するの法則である、ギリシャ文明からローマ文明にまたゲルマン文明へそしてキリスト教でも南方のローマで政治と一体化したカトリックとドイツを中心としたプロテスタントと分れた
そのプロテスタントシズムが基となり資本主義が生れてアングロサクソン中心の文明がユニバーサルなものグロ−バル化したのである
アメリカはそうでありカトリック系は南米とフィリンピンとかでありそこは停滞した国になった
マックスウェバーがプロテスタントシズムを資本主義の精神だと説いた時がそうである
そういう精神の態度がエトスがアメリカへ移住した人たちによって実現された
ただその資本主義ももう銀行で投資先がないとかゆきづまった、極端な格差社会になり
資本主義の終わりが言われるようになった
                                                                              
ともかくエジプト文明は終わりギリシャ文明は終わりローマ文明も終わった
ただ西欧文明は一連のものとして継承され発展してきたのである
ただアメリカ文明はその継承というのではなく何か物質とか技術に特化したものであり
そこから精神文明は生まれていないのである
つまり科学技術文明であり精神文明ではない
文明というとき精神文明が根底にあり生まれた、エジプト文明でもそうでありキリスト教文明もめうでありイスラム文明もそうである
インドのヒンズー教が仏教になり中国に伝播して仏教文明が作られて日本にも伝播されたのである
つまり宗教があり文明が形成されたのである 
文明は常に伝播して発展してゆくのである、周辺国に必ず伝播して独自のものとして発展するのである
現代の文明は科学技術文明であり精神文明ではない、それで新しい文明は生まれないとなる

19世紀ドイツの思想家は文明と文化をはっきりと区別して、文明は機械、技術、物質的要素にかかわるものであり、文化は価値観や理想、高度に知的・芸術的・道徳的な社会の質にかかわるものだとした。この区別のしかたは、ドイツ思想界には根付いたが、それ以外の場所では受け入れられなかった。…… 

現代文明は物質の荒野と化したのである、それは東京とか密集した大都会が世界中で同じようになっている、
文化は価値観や理想、高度に知的・芸術的・道徳的な社会の質にかかわるものだとした

これがないのである、だからむしろ文明はグロ−バルに画一化したものであり文化は多様性なのである、なぜなら場所というのは無数にあり多様だからである
だから地方都市から田舎から新しい文化は生まれるのである
つまり文明の時代は終わったのである、米中の覇権争いは機械、技術、物質的要素の争いでありそこに文明の基礎となる精神文化がないのである
第一中国の老子の思想があるとして中国自体がその思想と関係ない、マルキシズムはやはり唯物論となっているごとくそうである
アメリカも物質主義であり唯物論なのである、だから資本主義であれ社会主義であれそれは唯物論なのである、文明の支えとなる宗教はないのである
そこにただ巨大な軍事力でも技術力で争う、そして最終的には核戦争で両方とも自滅するともなる

では日本はどうかというとそれは日本人自身がわかっていない、ただ日本文化として
敵味方塚)があることは世界でありえないことである
敵を殲滅することが普通である、中国では敵を許さない、死んでも許さない、墓を暴いてまで罰している、それほど民族同士でも同じ国民でも熾烈な争いになる、弱肉強食なのである
だからキリストの言う「汝の敵を愛せよ」というのはこの敵味方塚に現れているのだ
それが日本で日本で実現されていたのである
日本は高度成長時代はやはり技術面で有利になった繁栄した
しかしそれも衰退して貧困化している、では日本はどうなるのか、日本の使命は日本が自然と歴史で培った文化にある、それが普遍的なものとして世界に共有される
私自身でも田舎で自然と一体化するアイディンティティ化することを詩作することでしてきた、自然に調和があり人間はそこで安心立命を得るのである

それは東京とか大都会にはありえないのである
そこは迷路であり迷宮であり脱出できないのである
そしてその迷路からイーカロスは翼で高く高く飛んで脱出しようとしたが墜落したのである、迷宮から脱出するのも技術の力だった、でもその技術でも限界があり高みから墜落したのである
それこそ原発事故でもあったのだ、原発を操作する力が人間にはなかったのだ
また核を破壊するなどのしてはならないことをしたことにより罰せられたのである
遺伝子操作などでも思わぬことが起こる、そこに人間の限界があった
そのために過酷な罰を与えられたのである
そういう神話的場所になったのが自分の住んでいる場所になったのである  

とにかく新しい文明はもう起こらない

資本主義は終わる                  

グロ−バル化経済は終わる

そして文化の時代になる

地域に根ざした文化は多様に発展する 

こうみると何か中国とアメリカの力による科学技術力の争いは前時代的であるし中国は古代中華帝国を夢みた再興なのである
でもそれはまさに誇大妄想なのである、文明はその地で復活して再興したことがないからである、伝播して発展することはある、仏教でも韓国を経由して日本に伝播されても韓国の仏教と中国の仏教でも日本ではまた日本独自の仏教として発展したからである


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2020年07月27日

山火事も森を再生するために必要である? (人間社会も大きな変革には自然災害も戦争も必要だった?)


山火事も森を再生するために必要である?

(人間社会も大きな変革には自然災害も戦争も必要だった?)

そのため森林は古い巨木だけが繁った状態で固定化され、新陳代謝が停止してしまうこともよく見られる。これはまさに森林の縮退なのだが、ここでしばしば大きな山火事が皮肉にもそこからの脱出を助けることがあるのである。つまり山火事がそうした古い巨木をすべて焼き払ってしまうことで、地表に一時的に陽が戻って若い苗木が育つことができるようになるというわけである

これは興味深い、山火事は自然の摂理でありそれで新陳代謝が起きて来る
すると自然現象にはそういう作用があるのか?
津浪とかでもそうである、何かそこには自然の摂理があり津浪によって人間に甚大な被害があっても自然の作用であり自然としては海が何か蘇る、新陳代謝するということもあるのか?
人間はあくまでも人間側からしか考えない、自然の大きな作用についてはわからないからだ

それで武田邦彦氏が常に自然はでかい、人間が考えるよりごついものであり人間の活動で自然が汚されるということはない、それはあくまでもほんの一部であり自然全体を人間の作用で壊されたり汚したりできないとしている
ただ放射性物質の汚染を一ミリシーベルトにしたのかそんなに厳しくしたら住めなくなるからだ
放射性物質の汚染はまた別だったのかとなる
温暖化はないとしているのもやはり科学者でもそう見る人もいる
人間はとにかく自然といってもその一部を見ているだけなのである
自然全体を感じるとか見ることができないのである
どんなことしても人間の視野は狭い、それは人間が作り上げた歴史でも社会でも一部しか見れないから問題なのである

この原理を人間社会に適応すると

社会の新陳代謝のためには戦争とか民族移動とか動乱とかウィルスとか大きな事が必要

こうまでなる、実際にそうして社会が歴史が進行したからである
人間社会が歴史が変わる時、それで社会も大きく変わる、それがコロナウィルスでもそうだった、ウィルス自体が自然から生まれたものだからである
なぜウィルスがあるのか、これも謎だからである
そして不思議なのはコロナウィルスが若い人は感染しても軽くすみ、重症化して死ぬのは60以上だということである、これだけは明確なのである
だからこれも増えすぎた老人を減らす自然の作用なのかとまで思ってしまうのである
長生き悪いものではないにしろ全体的な生物の生存という面からみると老人ばかり増えるのは生命の維持ではいいものではないからである
そこで生命の新陳代謝のために増えすぎた老人を減らすためにコロナウィルスが生れたともなる

自然災害は常にありそれによって易姓革命が起きるという中国の思想は人間を変えるのは自然でありまたそこに神の意志もあるとなる
人間がいくら変えようとしても限度があるからだ
原発を止めようとしても止められない、でも津波が来て止められたともなるからだ
中国では今三峡ダムが崩壊するとか大洪水で苦しんでいる
大陸の洪水は水が簡単に引かないないのである、だから長期の被害になる
巨大な湖のようになって水が引かないのである

世界中に起きていること気候変動でもそうして生命の新陳代謝のためなのか?

自然の活動は地震でも津波でも火山の爆発でも大雨でも大きな地球的自然の活動である
それらがないのが好ましいとしても地球規模ではそれは自然の活動でありそれは生命の新陳代謝だとなる
だから山火事までそうなのかとなる、一旦焼け野原にすることで新しい森が形成される
木でも剪定するのは木を切ることでかえって木の伸びる力が出るという
木の花でも腐ったりしたら葉でも早めにとらないと栄養が他の蕾とか伸びる枝とかに回らない、自然には常にそうして新陳代謝する作用がある
それは人間社会にもあるのかとなる

なぜなら戦後の焼け野原に生まれたがなぜあの時食べるものもないのに子供が大量に生んだのか、誰もそんなとき子供など生みたくないし育てたくないとなるのが普通である
でも戦争から男たちが引き上げて大量の子供が生まれたのである
それは実際は理にかなったことだった、焼け野原になっても次の新しい時代を作るものともなったのである、戦争で既得権者が例えば地主などが一掃されたとかあり社会変革が起きた、そして高度成長時代になり人手はいくらでも必要になったのである

だから社会が変わる時、何か大きな事件などが起きる、自然災害も起きる
それは次の時代の産みの苦しみとしてあるともなる
それが今の動乱の時代になっているのかもしれない、日本では社会でも70年ごとに大きな変化に見舞われる、明治維新から70年で太平洋戦争になり次の70年が今の時代だからである、だからここ十年くらいは大きな変化の時代になる
そこで戦争のような混乱や苦難や大きな自然災害でも起きて来る
何か米中戦争になるというときもそうである、自然災害が頻発するのもそうである
コロナウィルスでもそうである、こうした災難の後に新陳代謝が起こり新しい時代が生れる、つまり森の再生には一旦山火事が起こりそれで新たな森が新生する

それが人間の歴史でも社会でも起きるということである
それは自然の作用であり神の意志が加わっているのかともなる
人間だけではとても一旦作り上げられた社会を変えられないからそうなっているのである
いづれにしろ高齢化社会は社会が停滞しやすい、新陳代謝が起きにくいのである
技術的にもそうである、高齢者がIT技術を使いこなせないことが新しい社会を作れないとかなる、その是非かあっても老人はどうしても新しいことについていけないのである
だから明治維新で活躍したのは20代とか30くらいの若者だったのである
激変する時代になると老人は既得権にしがみつくだけである
今金をもっているのが老人だけで金があっても使えないということがある
自分も何かやろうとして登山のリュックを買おうとしたがもう登山もできない
電動自転車の長距離用のいいものがでたから買おうとしたが体力的にできない
海外旅行もできる気力もない、携帯の翻訳機を使おうとしたがこれも使っていないとか
何か利用しようとしてもできないのである      

だから老人は一部でも金をもっていても消費できないという問題が生れていたのである
つまりそれは経済が停滞するということなのである
もちろん投資などもめんどうでできないのである
貯金していれば利子がついていた時代が一番良かったのである
たた人生百年時代が悪いわけではない、それだけ長ければライフワークをもてば凡人でも相当なことができる、結局何するにしても時間がかかるからである
才能がなくてもやはり根気よく勉強していれば身につくことがあるからだ
人間はやはり時間を一番無駄にしていることが老人になって気づくからである
新陳代謝できない高齢化社会はやはり大きな問題なのである
posted by 天華 at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層