2020年07月14日

不要不急」が問われた (過剰化社会が是正される―病院に患者も来ない)


不要不急」が問われた

(過剰化社会が是正される―病院に患者も来ない)

コロナウィルスが社会に提起した問題は様々だった
そこで浮き彫りにしたのが「不要不急」という標語だった
不要不急とは無用でいそぎでないことを表す語。不要は不必要、無くてもよいこと、またそのさまを表す語で、不急は差し迫っていないこと、またそのさまを表す語である。

現代社会はこの不要不急が多すぎたのである、無くてもいいものまた少なくてもいいものが多すぎたのである
その一つが医者とか病院で患者過剰になっていた
コロナウィルスでは感染関係の医者とか病院とか看護師とかは必要でもその他の関係ない医者ふ病院や看護師は暇だった、それより患者が来なくて収入がなくなり倒産するのがこれから増えてくるという危機になった
つまり病院に医者に行くほどでもないのに行っていたのである
そして本当はいらない薬まで飲まされて金を使っていた 

そこで医療費が膨大なものとなり国までつぶれるとかまでなっていた
病院が街の医院でも老人のサロン化していたいうのがそうである
それは日本では国民保険があり医療費が安いからそうなっていた、でもそれももう国では負担できない状態になっていた
医者がたりないと言っていたが本当は医者が過剰だったということが判明した
看護師でも過剰だったのである、人手不足が常に言われたが実は今になると失業者が増えてそれも解消してゆくというのも不思議である 

医者とか病院の怖さはこのように患者がいなくなると病気になって病院に来てくれ、病院がつぶれるからと切実なものになる
するとどうなるのか?何か故意に病気の不安をあおりいらない薬を飲ませたりいらない治療をする、さらに医者がありもしない病気まで作りだして治療もいらないのに治療して金を稼ぐとまでなるから怖いのである

そういうことは職業にある、消防士が仕事がなくてわざと火をつけて火事にしたことがあった、暇だから火事にした
警察だと犯罪者がいないから犯罪起こしてくれとかともなる
軍隊だと戦争がないと生活にならないとして戦争を起こしてくれとなる
アメリカの軍産複合体では武器を大量生産しているからその武器を売り消化するには大規模な戦争が必要になる、そのために定期的にアメリカでは戦争を起こしていると言われていたのである、極端になるとそうなるから怖いのである

現代文明社会はあらゆることが過剰化したのである、不要不急なものにあふれるようになったのである
新宿の歌舞伎町の夜の街が批判されたけどそれも不要不急であり必要なものとも言えないでも世の中は誰も修行僧のように暮らせない、だからそうした場を否定できない
要するにこの世には特に文明社会になると無駄なものが膨大に増えてくるのである
もしかしたら本当に必要なものはわずかである
それでも人間は生きることができる、それは動物をみればわかる
最低限のもので自然の中で生きているからである

とにかく文明社会はあらゆるものが過剰化したのである、報道でも過剰化した
ニュースはきりなく毎日報道される、そして忘れられる
そこで一貫して連続して追求されるものはなくなる
次々に新しいもの新しいものを求めて報道される、まさにニュースなのである
またあらゆる人が意見を言う、コメンとする

意見は積み重ねがなく、変動し流動する

知識は積み重なってゆく、意見というものは他の意見に必ずしも積み重なってゆくのではない、知識は成長するが意見は変貌する
「過剰化社会」−D・J ブーアスティン

知識と意見は違う、意見は誰でも言うことができる、いいとか悪いとか言うことができるでも知識は体系的であったりまた専門化してくるから簡単に言えないのである
あることに言うについてもその知識の積み重ねがないと言えないのである
いろいろな歴史についてもそうである、知識の積み重ねがないと言えないのである
だから私は何かいちいちコメントするのがめんどうになりしていない
一方的に書いているだけである
対話するということは二三行コメントするのとは違う、深いコミニケーションが必要になる
それは何かネットではしにくいのである
今はこうして毎日プログに書くことに時間をとられて他のことができないのである

過剰というときあらゆるものが情報でも報道でも日々過剰化している
もうインタ−ネットでyoutubeを見たりしているとテレビは見れなくなる
実際私も見る時間がかなり減った、youtubeの方が有益だとしったからである
今は情報に追われる、でも知識は積み重ねでありまた物事を知るには過去から歴史からみることで深く知ることできる、今のことに追われていると深く知ることはできないのである
だから今はある程度情報を遮断することも必要になってくる
情報の洪水にのまれてしまい、かえって真相が見えなくなる
「沈黙」もまた必要なのである、瞑想も必要なのである
ただ現代文明は沈黙とか瞑想を嫌うのであく、それは空白であり真空を嫌うからである
何かで空白を埋めようとするのである
だからなにかかにかある、広告で埋められたり絶えずそこには音があり何もない空間とか沈黙の空間とかは拒否されるのである
それが具現化したのが大都会である、東京とかになると家とビルで埋め尽くされている
仏教とかでも無を説いたときその無の空間が老子なら無用の用の空間がないのである

教育だって過剰化していた、学校が休校になったけど今ならITで学ぶことができる
youtubeとかは教育の道具として優れている
すると自主学習になり能力をかえって伸ばせるかもしれない、なぜならそこでは教えるのがうまい、特別優れた人が教えているからである
つまり並みの先生はいらないとなるからだ
学校という校舎に建物に集める必要もなくなる、ただコミ二ケーションとかは問題になるでも何か学校だけが教育の場所とするのはふさわくしなくなっていたのである
それは明治の時に教える場所が学校しかなかった、その後もそうだったのである
私の家には戦後のことであり貧乏だから一冊の本もなかったのである
戦前はそれよりびどかった、学校に通いなかった人がいたのである
子守りとかあってそうなっていた、今なら後進国ではまだそういう場所がある
ネパールとかだとボールペンもないのである、だからくれと言われた
そういう社会なら学校は不可欠である、でも文明社会ではもう学校に行くことをこだわる時代ではない、学ぶ環境が整っているからである
つくづく知的仕事には大きな家が必要である、書斎でも必要である
テレワークでもそうである、環境が人を作るのである

人間とはまたこれほど仕事をしなければならないのか?
それも疑問なのである、みんながこれほど働いていることも異常なのである
本当はそんなに働かなくてもいいのかもしれない、でも働くことは強制される
それで無職とかニーとは罰せられるべきだとまでなる
俺たちは働いているのにあついらはのうのうと働かないで過ごしているとかなる
自分自身は30年間引きこもりでありで沈黙の行をしていたからまた異常だった
ただ社会もまた異常なのである

いづれにしろ過剰化社会をコロナウィルスが浮き彫りにした、不要不急のことはするなというのはそうだった
つまり現代社会はあらゆるものが過剰だったのである
その過剰が問題を引き起こしていたし無駄な労苦さえ生んでいたのである
そんなに外国からあらゆるもの食料まで輸入することがあったのかとかこんなに交通が必要だったのかとが問われた
交通も過剰だった、もうリニアなど必要なくなった、急激にコロナウィルスで鉄道すら利用しないことに驚いたからである
コロナウィルスが過剰なオーバーツーリズムとか交通を止めた
車だって過剰化していた、道路でも作りすぎたとかある
いらないもの不要不急なものはいらないというときどうしても必要なものには力をそそぐとなるから悪いことではない、食料は自給が必要だとなればそこに人員を集中させるとかなる、すると農家の人手不足も解消するとかなるからだ

コロナウィルスは謎であるがこれほど社会自体を変えることに驚いた
社会は簡単に変えられないからである、コロナ前と以後の世界は変わってくる
津浪と原発事故もこの辺でまるで違ったものとなった
そのうようにコロナウィルスでも社会は変わり時代が変わる
何かあらゆることが過剰化していた、物でも情報でもあらゆるものが過剰化していた
ただそこに足りないものが常にあった、それから物があふれていても今度はその物が変えない貧困化した日本になっていた
あらゆるものが目の前にあるのに買えない貧困である
過剰に物があっても買えないとなるとかえって苦しいとなる
なければないで暮らすほかないがこれだけ物があってもそれが買えない食べることもできないとなる貧困である、これまた矛盾なのである
過剰に物があっても貧困化すればますます不満がつのるだけになる

そういうアンバランスがどうして起きたかというとグロ−バル経済というのにもある
世界から食料まで材木でも何でも輸入する、しかし日本が電器製品でも売れないとか
貧困化してくれば買えないなのである
確かに世界中に物がある、でも買えないとなるのである
そういう時代にどういう社会にするのか生活にするのか考えねばならなくなった
エネルギーでも電気でも過剰に使っていた、でも使えなくる、貧乏がわかるのは人口の
5%が毎月の電気水道料が払えない、それで取り立てする人が嫌になってやめたとかあるそこに一番の貧乏が具体化しているのである
そこが節約できないからである
いづれにしろ過剰化社会はつづけられない、コロナウィルスでそれが明らかになったのである
posted by 天華 at 10:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年07月15日

東海道の春の俳句20句 (東から西への春の旅)


東海道の春の俳句20句 (東から西への春の旅) 

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西伊豆や菜の花映えて富士の峰

東海道小田原城や花盛り

茶畑や新幹線に春の富士

駿河湾魚打ち上げ春の富士

春日さす岸辺の広し大井川

東海や紅梅映えて電車行く

街並みの道真っすぐに燕来る 

にぎやかに東海道や花の宿 

海の風橋をわたるや春の城

春の日や天主望みぬ名古屋城

関ケ原越えて近江や春の山

朧月大津に一夜我が泊まる

京の日や枝垂桜の水映る

京の辻鐘鳴りあわれ春の暮

大阪城夕日に映えて花の散る

明石城春の夕日に染まるかな

波静か春の細月洲本城  

西の城いくつたずねて花の宴

宴の後西の栄や城いくつたたし

花散りし栄華の跡や今日も暮る

潮流の瀬戸の島々花咲きぬ

春の日の海に反射し瀬戸田かな

島々の重なり暮れぬ瀬戸の春

釜山なる松によりにつ春の暮

春日さす福岡城跡街の中  

海近み福岡城跡春に来る

桜咲く平戸の入江外国へ

城二百日本の栄花盛り

みちのくゆ慶州までや花咲きぬ 

春の日や洛東江を沿い下る  


東海道-吉田(豊川橋)俳句短歌の紀行文

東海道というときやはりここが日本の幹線道路だった、それは今でも同じである
東海道から瀬戸内海から九州に行き韓国の慶州まで電車で行った
青春18切符で行った、その時韓国の慶州まで桜が咲いていたのである
つまり韓国まで一連のつながりがあるものとして旅したのである
洛東江を電車で沿い下ったのは醍醐味だった
大陸になると川は大きいのである

洛東江

旅をこれほどしたが今は思い出す旅である、この思い出す旅で大事なのはいかに記憶しているかである、人間はとにかく忘れやい、それでいかに思い出として残すかが問題になる今ならやはりデジタルカメラで記録するから楽である
写真はやはり記録としては一番効果的になる
その写真が今ではインタ−ネットで豊富であり見れる、するとその写真を見て思い出すのである、人間は旅してもその人によって見るものが違う、景色でも違ったものとしてそれぞれ記録されている、ここは電車と川を写しているから秀作である
外国ではなかなかいい写真を撮るのがむずかしいだろう、場所とかが問題になるからだ

韓国の桜


●明石城

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淡路島ゆききの舟の友がほにかよひなれたる浦千鳥かな(藤原定家)

明石を詠んだ歌としては. 天離(あまざか)る 鄙(ひな)の長道(ながぢ)を 恋ひ来れば. 明石の門(と)より 大和島見ゆ.

ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ 柿本人麻呂

明石という場所がもともとこういう場所だった、船の行き来がすでに多くあった場所である、でも万葉時代の船がどんなものだったか、それを思う時、今の船の感覚とは違う
だからこそ梶でこいではるばる来て明石の戸に来たときに感懐はより深いものとなる
フェリーにのんびり乗ってくるのとはあまりにも違っていたのである

生き死にを船にたくして天離る鄙の長道を大和島につく(自作)

当時の舟だったら本当に怖い、常に死の危険を感じていた
このように別に万葉時代だけではない、大航海時代の旅は命がけだった
だから船に命をたくしたのである、そしてかなりの人が実際に死んでいる
必ずしも新天地にみんな無事についたわけではないのである
万葉集の歌は雄大である、古今集になると定家のように何か近くを親しく行き来している歌である、天離るという感覚はなくなっている

明石城が印象に残ったのはその城は夕日に映える城だったからである
そして瀬戸内海を船を行き来している、絶えず行き来している
そこが東北とは全然違っている、東北では広い海でも一日行き来するのは本当に二三艘しか見えないのである
瀬戸内海でも狭い海峡に大きな船が汽笛を鳴らして入ってきたときは驚いた
大きな船がそういう場所にまで入ってくるのに驚いた
つまり瀬戸内海は船の道になっているのだ、水道というときそうである
水の道が瀬戸内海にある、そこは船が古代から常に行き来して村上水軍とかも生れた
瀬戸内海は交通路であり潮流は早いのだが天然の港が自ずとできた所である



旅で何か印象に残る場所がある、そこは常に思い出す場所なのである
明石城はそうげある、そこは夕日が輝いて沈む、海が側だから船が絶えず行き来しているそれから淡路島も見える、そういう光景は東北には見ない、東北の海は荒寥として船は一日二三艘しか通わないのである  
船の旅は中国までも船で行ったし韓国にも二回とか行った
船は相当に乗っている、電車の旅もしたが船の旅もした
とにかくそれだけ旅をしたのが自分だった、自分はだから旅人になっていたのである
旅人となると常に旅している人であり遂には旅が人生ともなった人だとなる
そういう人は日本では西行とか芭蕉とか山頭火とかである

ただ現代は交通がこれだけ発達したのだから昔の旅とは違う、何度も行けるし旅する範囲も外国まで広がるのである、そして江戸時代までは歩く旅だったが今は船でも電車でも自転車でも車でも旅をする、ただ車で旅したことはないからここはわからない
旅と言っても何か現代は移動しているだけだともなる
昔は普通の人でも歩いて移動するから旅になっていたのである

東海道をテーマにしたがやはりここは日本の幹線道路である
街の中でも街道がまっすぐに長くつづく道があった
あのような繁華な街並が残っているのは東北にはない
東海道はやはり栄えた道である、瀬戸内海の山陽道でもそうである
瀬戸内海は交通の海でありこれも全く東北の海とは違っている
だから海と通じた城があり港にもなる、船が実際に城に入る水路があり入ってきているのもある、明石城なども相当に海に近いのである

俳句は何か今や一句としては芸術として成り立たない、こうして連作にすると一つの作品として連続したものとして鑑賞できる
奥の細道でも連続したものとして鑑賞するからそれでそれが古典にもなった
だから前にも単発的に出したのはそれをまとめてまた連作にする
それで一連のものとして鑑賞できる、今回は韓国の古都の慶州に行ったからそこでも桜が咲いていたから連続していた、韓国だと日本の歴史と連続しているから地理だけではない日本で桜が咲けば韓国でも咲くとなる、韓国も栄えるとなる
現実に韓国が技術的にも日本の模倣であり中国でも日本の技術の模倣があり発展したのである、韓国の古代の伽耶などはむしろ日本だったらしい
なぜなら縄文時代から日本人が行き来して縄文人のDNAと似ているとか研究者が発表したからである、北方系があるとして南方系は照葉樹林帯の文化圏でありその文化が似ているからだ、肉食ではなく精進料理のようだというときもそうである
肉食はモンゴルの征服でもたらされた、今でも韓国で海苔を作っているのも日本をまねたのである、まねたにしても海に面しているから同じことができたのである

いづれにしろ日本で一番いい季節は桜が咲く時である
私の場合はこれだけ旅したからコロナウィルスで旅できなくても満足である
こうして旅できたのも平和の繁栄の時代に生まれたからである
そして長生きの時代にも生まれたからこうして旅を回想したして作品にする
そういう点でいい時代に生まれたしまたそういう境遇に生まれたから幸運だったとなる
これからコロナウィルスで旅できないとか何か暗雲になり経済的にもいい未来が見えないのである、まず交通がとめられて電車さえ人が乗らないというのには驚いた
こうなると閉じこもる、地域ごとに閉鎖された江戸時代に戻るようにも思えたのである


城の俳句十句(城が意味するものー時代を知らないと見えない)

城の俳句二十句(九州中国関西東海道)

新春2017年(春の城俳句十句)

電車より見る春の城



2020年07月16日

コロナウィルスの謎は人間を越えた力の影響のためか? (神が怒り自然も怒っている)


コロナウィルスの謎は人間を越えた力の影響のためか?

(神が怒り自然も怒っている)

コロナウィルスは何か謎なのである、その正体もわからない、それは専門家もわからないただいろいろ検討中なだけなのである
科学者が万能でないからそうなる、ワクチンができれば解決するとしきりに言ってもそれも実際は不明である
こういうときは謎が謎を呼ぶようになり不安になる
原発事故の放射線被害より謎であり不可解でありとまどっている
それがこれたらどういうふうに影響するかわからないからだ
後遺症で苦しんでいるとかこれから爆発的に増えるとかの不安もある
だからgo to キャンペーンなどしていいのかという疑問にもなる
でも経済的に苦境にたたされて自殺者も出るとか失業者が増えることはより深刻である

本当になぜ次々に自然災害であれ原発事故であれコロナウィルスであれ地球的規模で起きて来るのか?
原発事故は局所的でもやはり世界中に原発があるのだから警告になった
明らかなことは地球規模で何か自然から復讐されているのかとなる
それでコロナウィルスも自然災害とにていて生態系から逆襲を受けているという学者もいる
そもそも原発事故で意外と生態系のことを語らないが最も大きな被害は生態系を破壊したことなのである
空気から水から土から森からあらゆるものが汚染された、するともうその地域で食べるものもなくなる、ただ交通が発達しているから外から入ってくるので生活が続けられているだけなのである
飯館村では山菜とかで放射線量が増えている、それは森に放射性物質が循環して減らないからである、そして今だに食料も生産できない、荒廃したままである

生態系というとき一地域では水とか土とか森でもベーシックファンダメンタルとしてあるそれが汚染されると人間の生物の生存を脅かして住めなくさせる
実際に原発避難区域ではそうなった、田んぼがなくり草ぼうぼうになったとき荒地となったときそこに蛙も水生生物もいなくなり鷺もいなくなった
それで田んぼが回復したとき蛙が鳴き鷺ももどってきたのである
こういうことを東京とかの大都会では感じない、田んぼも自然もないコンクリートのビルに囲まれて生活しているからだ
でも水でも空気でも汚染されれば都会でも生活できなくなるのだ

何か「地球が怒っている」というとき自然からの逆襲とかいうとき人間が地球を汚染して自ら住めなくなるような状態にまでなる
自然に対して人間の技術が度を越えたものとなり自ら崩壊してゆく
そういう現象が津波や原発事故やコロナウィルスでも起きているのかとなる
それとあまり考えないが人間のモラルの荒廃も関連している
なぜならノアの箱舟でもわかるように神は人間のモラルの荒廃に怒り大洪水を起こしたからである、自然災害に神の意志が働いたとなる
そういうことは原発事故がどうして起きたかで追求して来た
人間側勝手に権力を総動員して「安全神話」を作った、そして大事故になった
それも人間側の傲慢であり権力者の傲慢であり事故で打ち砕かれたのである

コロナウィルスは地球規模で起きているという時、グロ−バル経済にも歯止めをかけた
グロ−バル経済を批判して来たけどこれは地球環境も森林なども破壊するものとして働いた、すべていいものとして働かなかったのである
そもそもコロナウィルスは風土病だというとき一地域に限定されて世界規模に広がらなかった、それが交通の発達とグロ−バル化で同時間的に拡散したのである

自然災害とかコロナウィルスでも自然の働きであり何か人間に対しての制限として働き
戒めとしても働く、原発事故が起きたのもそんな危険なもの作るなということで津波で破壊されたともなる
そこに神の意志の働きとして津波まで起きたとかともみる、そういうことが中国の三峡ダムでも起きている
川の流れをせき止めることは自然ではない、それはやはり不自然なのである
ソーラーパネルでも風力発電も自然エネルギーではない、だから自然を歪めるのである
風力発電でも植物の生育に障害が起きるとされているからだ

でも結局何かしら仕事が必要であり金になるとしてせざるをえない
それで職業とはつくづく業(カルマ)だったのである
それが悪いとしてもキャバクラとか水商売関係が非難されるけどそれだけではない
職業自体がカルマだったのである、兵士という職業は国を守るとしてあっても一転すれば戦争になれば人を殺すことをが職業となる業となるのである
医者でもそうである、今コロナウィルスで患者が来ないというとき生活できないとなる
そうするとなんとか患者を作り出さねばならないとなる

本当は警察でも兵士でも医者でも犯罪者がいないと戦争がないとかの方がいいのである
 銀行でもまたゆうちょですらおかしな保険であれ投資信託であれ理解できないものを売るようになった
それは利益がでないからであり追い込まれてそうなったのである
つまり本来はこうした職業はないことに越したことかないのである
その時人間社会は平和だとなるからだ
職業とは何かみんな働くことが善だとしているが業(カルマ)ともなる
それで老子とかは無用の用を説いたのである
老子だと自然の作用にまかせるということで道具すら否定したからである

いづれにしろ

地球が怒っている、神が怒っている

これが現代の地球の状況である、それを鎮めるにはどうするのか?
それは様々な視点でいろいろな分野の人が語っている
ただそこに何か人間のモラルの荒廃という視点からは語られない
それも確実にある、それでも神は怒る、そして罰を与えるともなる
それが現状に起きている災難の原因になっている   

西浦教授が語る「新型コロナ」に強い街づくり


この人は過度な警告で顰蹙をかった、でもこの見解は納得する、ドイツを例にして地域が独立して生活している
他に頼らない自給自足を確立しているというのでそういう社会体制が必要だとしている
これには納得した



posted by 天華 at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

abstract painting about Venice


abstract painting about Venice

Venice expressed by an abstract painting

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Crest of venice

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Haus in Deutschland  

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library in winter 

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railway in winter




ベニスは一番不思議なの都市である、ここは何か芸術都市でもある
商業都市だったのが海に浮かぶ都市としてそうなった
だからその現実の都市からイメージされる
そういうふうに現実なのか架空なのか判断がつかなくなる
それだけ世界の都市で不思議な都市なのである
それが一時は国家でありヨ−ロッパの覇権国家になっていた

黒海からクリミアの港まで貿易をしていた、そこに拠点を作っていた
それでペストもモンゴルが攻めて来てそこからトルコを経てベニスまで広がった
それは中国からイタリアに真っ先にコロナウィルスが広がったのとにている
それも何か因縁だったのかとなる   


This where it's a city that Venice is strangest is also some art cities.
It was that it was a commercial city so as the city which floats on a sea.
So it's imagined from the real city.
Thus I don't judge whether it's real or fictitious any more.
Only that's a strange city at a city of the world.
That was a state and it was a power state of Europe.

A base was being made that place where I traded from the Black Sea to the harbor in the Crimea.
Mongolia also attacked a plague with that, and they felt come and I'm wide to Venice via Turkey from there.
Coronavirus's being spread in Italy first from China for that and, in, I'm here.
Whether that was also any fate, it'll be.

コロナウィルスとSARS


コロナウィルスとSARS

(2003年のSARSの時と今の中国の相違)

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中国の湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、世界でその猛威をふるっている。WHOによると、2020年3月15日時点で、中国を含め144の国と地域に広がり、感染者数は15万3,517人、死者数は5,735人に上っている

蛇、亀、鶏、鳥、犬、猫、猿、狸、穴熊、ムササビ、蛙そして各種昆虫まで売っている。一瞬ドキッとしたのは、ゴキブリを並べて売っている老人を見つけたと思ったときだ。よくよく見ると、それはゲンゴロウとタガメだった。こんなもの、どのようにして、食べるのだろうか? 

私が発見したこの中国での広州の見聞録を見れば中国には今まであのような病原菌が発生しないこと自体不思議なことだった。いや実際は発生していても隠されていたのである。今回も政府の役人が隠したことでわかる。中国は表沙汰にならないことがいくらでもあるのだ。10億人もの人間を管理などできない、奥地では何が起きているのかもわからないのだ。中国では飢饉のときは土まで食ったという過酷な世界だから何があっても不思議ではない。

北朝鮮の説、中国の南部では猫を食う習慣がありそこから発生した(5月3日)
コロナウイルス FIP(猫伝染性腹膜炎)

野生動物の売買取り締まり逃れ後絶たず…中国・広東省

大部分の新しい感染症の原因は、全く新しい病原体が出現したということではなく、微生物が宿主に入るルートが新しく生れたか、あるいは検査技術が進んだために、新たなウイルスや細菌が発見されるようになったというものだ。

(人類と細菌の戦い)


コロナウィルスはこうした旧型があり新型のコロナウィルスとして現れた
だから共通性がある、このコロナウィルスは時系列でみれば継続したものとして生まれたただコロナウィルスは中国はグロ−バル経済の主役となったときたちまち世界中に広がったのである

このことは原因不明で死んだ人はかなりの数がいるが発見されずまた今のように報道もされなかった。中国などでは特にそうである。国際化していやいやながら中国も公表し細菌の戦いを強いられるようになったのだ。こうして人の行き来が活発になると
未知の細菌もまた発見され人類を脅かすことになる。国際化ではいいものも入ってくるのだが悪いものを必ず入ってくるのだ。日本の国際化とかは歴史的にも日本人が選んでいいものだけを取り入れ日本流に根付かせたのだ。それが現代ではできないのである。

2ちゃんねるより

中国のインターネットで、
感染者5000人と書いたらつかまった人が居たらしいけど、
感染者が5000人以上居るような予感。
なんか、言論弾圧の国だね。
中国って。

中国政府はGoogleへのアクセスを遮断してる。

【北京4日時事】新型肺炎の感染が拡大する中国では、多くの医療関係者が新型肺炎の予防・治療に奮闘する一方で、地方政府幹部などが職務怠慢で処分されるケースが出ている。
中国は報道規制にでた。インタ−ネットを規制されるのだ。中国でも4千万人がインタ−ネットしているというから数としては日本より多いのだ。

この時は4千万しかいなかった、今はみんなスマホをもっているからインタ−ネットの利用は比べようもなく増えている

先月28日以降発生していなかった新型肺炎「重症急性呼吸器症候群(SARS)」の
疑いのある患者が今月4日発生し、韓国内のSARSの疑いのある患者は合わせて15人に増えた。

 コロナウイルス科ヒトコロナウイルスは一本鎖RNAウイルスで、軽症のかぜ様症状の約30%の原因となっていると考えられていたが、重症化の報告はほとんどなかった。SARSは、この科に属する新型のSARSコロナウイルス(SARS-CoV)(図)により引き起こされる、全身性の感染症である4)。


 私たちがシベリアの営巣湖沼でフィールドワークをしていた90年代でも、現在でも、湖沼には様々な型の鳥インフルエンザウイルスが存在する。冬には天然のフリーザーになるから、ウイルスはそのまま越冬する。つまりカモとウイルスは共生しているんです。

 ところが、そのカモが南に飛来して、他の鳥や動物に感染すると、それら宿主の体で増殖しやすい変異が起きてウイルス感染が拡大する


 
 SARSとコロナウィルスは似ている、同型であり症状も似ている
ただこれは世界的に拡散されなかったのは中国が17年前であり発展していない
2020年では中国がグロ−バル経済の中心になっていた
アフリカでもヨ−ロッパでも一帯一路の中に組み入れられていた
だから一早くイタリアで感染者が出てみるみる増えた
死者も増えた、そこからたちまち近辺にEUに増えた、死者も増えた、イギリスも増えた
そうしてなぜ欧米でこれほど感染して死者数が多かったのか謎である
その反面として日本では今感染者が増えているが極端に少ないし死者数も少ない
これは今にっない増えているから遅く増えてくるのかもしれないからわからない
でもなぜ欧米にあれほどたちまち感染者が増えて死者数も増えたのか?
それが疑問だったがsarsと症状もにているとすると中国とかでその時免疫が作られたのか抗体が作られたのか

そして日本でも実はSARSの被害はなかったのはなぜなのか?
何らかその時実は感染していたが抗体ができていて新型コロナウィルスにかかりにくくなって症状が出ない、死者数も極端に少ないとなったのか?
ただ日本では検査数も少ないので統計的には信用できず不明なのである
検査数をふやしたら増えてきて危機的状態の再現になったからである

何か素人でもわかることはウィルスというのは地理と関係している
人が移動してうつる、ヒトからヒトへうつる
だから基本的に人の移動を止めるほか防ぐ手段がない    

私たちがシベリアの営巣湖沼でフィールドワークをしていた90年代でも、現在でも、湖沼には様々な型の鳥インフルエンザウイルスが存在する。冬には天然のフリーザーになるから、ウイルスはそのまま越冬する。つまりカモとウイルスは共生しているんです。

動物でもカモがシベリアではウィルスが凍結されてうつらないが南に飛んでくるとウィルスをうつす、まさにこれは人間が飛行機で飛んできてうつすのと似ている
つまりウィルスをおさえるには一番効果的なのは

人の移動をおさえること

これになる、それは今まで経験したことでもそうだったのである
それがグロ−バル化してしにくい、国内でも人の移動を止めることができない
経済でも人が動くことで現代の文明は成り立っているからだ
だから人の移動がとめられて電車でもバスでも飛行機でもここが一番打撃になった

カモの事例のようにある場所からある場所へうつるときそこでウィルスがうつりそれが重症化しやすい、そういう性質がある、スペインであれメキシコのアステカとかインカとかが簡単に滅亡したのはウィルスだったとかありインディアンもそうだったというときウィルスはそれだけ怖いものだった
人がある風土で生活している、それが別な風土の所にウィルスをもちこむと大きな被害になる、それがグロ−バル経済になり同時間に世界に広まった原因なのである

とにかく人間は必ず過去でも歴史でも振り返る考えることが必須である
なぜなら10年前でも人は忘れる、私はSARSについてもプログではなくホームページの時事問題の深層で書いていた
その自分自身が書いたことでも全く忘れていたのである
人間は本当に忘れやすいのである、だから記録することが大事になる
自分自身が書いたことすら覚えていないとなる
次々に新しいことが起きるから一年前でも昨日のことすら忘れるのである

津波についてもその7年前にスマトラで大津波があって甚大な被害がでた、その時日本が津波の国なのに関心がなかった
その7年後に東日本大震災で津波が起きた、その時日本ではインドネシアでは津波に日本のように警戒していないからだとか言っていたのである、チェルノブエリの原発事故でも他人事だった
日本の技術は優秀だからあんなことにならないと言っていたのである
誰も警告もしない、安全神話の国になっていたからだ
日本は外国をグロ−バル化しても自分の国のように考えない、中国だと大陸国家だから国際性はまだある
(他山の石)とかの諺もあるし隣国でも世界でも注意している
現代はグロ−バル化の中に否応なく組み入れられているから無関心でいられない
自然災害でも地球は一つのなのだから他国で起きることでも関係ないとはならない
日本はもともと島国でそういう自覚がもていなのである

ともかくなんでも空間的なものと時間的なものとしてみる、それは一体である、歴史でも時間的なものでも空間的に見なければならないしまた空間的でも時間的な歴史からも見なければならない
それは個々人の人生でもそうであり時系列でみる、歴史となるとそれが長くなるから時系列で起きることが理解しにくくなるのだ
年号があったとしてもそれでも時系列で起きることが理解しにくいのである
だから時間的に歴史となると逆になったりしているのである
空間は今でも変わらずあるからその地を踏む気なら踏めるが時間だけは元にもどれないからその理解ができないことが大問題となる
相馬藩政期に二行だけ「生波で700人溺死」と津波で死んだと記されていたが誰も知らなかったのである
津波の後に発見されたのである、そうした重大なことでも忘れられるのが人間なのである


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2020年07月18日

コロナウィルスが問うたもの (ヨ−ロッパの科学技術文明のの限界現象が起きている)


コロナウィルスが問うたもの

(ヨ−ロッパの科学技術文明のの限界現象が起きている)

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科学技術は何でもいいとしてそれ自体に歯止がかけられず発展してきた
ただギリシャ神話の時代にすでに科学技術の危険は神話として伝えられていた
それがゼウスから火を盗んだプロメテウスであり過酷な罰を受けた
だからその時から何か科学技術は危険なものとして認識された
それはイカロスの飛行の墜落でもそうである
どこまで高く飛行しようとして墜落した
それはロケットの墜落ともにている、科学技術の限りない挑戦でありでも人間の力では及ばず墜落した
つまり人間の能力に限界があるからそうなったのである
そして人間の技(わざ)は災い(わざわい)に通じていたのである
この言葉のように日本語ですら技術が災いをもたらすこととして残していたのである

それは福島で原発事故がありそれがまさにギリシャ神話の世界になったことである
空気から水から土から森林からあらゆるものが生態系全体が汚染されたとき人は住めなくなったのである
除染するにもプルトニウムが二万年たたないと消えないという空恐ろしい被害だった
今でも飯館村の山菜の放射線量が増えているのである
森で放射性物質が循環するから消えないからそうなっている

とにかく20世紀は科学技術の時代だった、それも原子爆弾が日本に落とされたようにそれが核戦争となり人類滅亡の危機になった
福島の原発事故もそうである、これは世界中にあるからいつ事故になったり何かあれば戦争でも核戦争となり人類は滅亡する
そしてなぜそんな恐ろしいものを科学者でも発明したのかとも問われる
アイシュタインは広島の原爆でそれを作りだしことで反省した
剣をとる者は剣で滅びるというときまさに人間は核兵器で滅びるとなる
ただ一方で平和利用はよしとされた、それで電気を作ることは奨励されたのである
でもそれも実際は危険なものだったのである

ただ人類的にみるときなぜ人間はこうした科学技術を制御できないのか?
核の様なものでなくても技術の発展は発明でもそれを止めることができないのである
技術の発展はいいものとして止めることができない、またそういう思想もないのである
車でもどこまでも早く走らせようとしたり飛行機でも音速で走らせようとしたりリニアで飛行機並みのスピードで走らせる、ただ原理としては浮上させるのは摩擦をさけるためでありそれは素人でも意外とわかりやすいのである
必ず摩擦でスピードが出なくなるからだ、重力が働いて限界が生れる
すると無重力の状態にして浮上させて走るというにしようとするのは摩擦の関係でわかるまた空気抵抗があり新幹線の車体はあのように流線形になる
何か理系でなくても原理的思考でわかる場合がある
常に風の抵抗とか摩擦とかは感じているからである

でも技術の発展がそれがすべていいものとして必ずしも働かないことは現実として20世紀で証明された、それは甚大な影響をもたらして地球環境でも破壊して汚染して人間が住めない世界を作り出すようになったのである
それで今なぜ水害でも三峡ダムとかでも崩壊が起きるとかなるのか、つまりダムでも溜まったら放流せざるをえない、すると洪水が起きる
ダムもまた不自然なものとして人間の技術で作ったものだからそうなる
常に人間の技術は自然に逆らうものだからそうなる

そしてコロナウィルスでもこれは科学技術とは関係ないにしろ科学技術がもたらした交通の発達の結果として空間が狭められたことにより人間はグロ−バルに自由に行き来することから同時間に世界中に広まったのである
それは船による大航海時代からアメリカのインディアンとか南米のアステカとかインカとかが簡単に滅んだのはウィルスが関係していたということでもわかる
人間が移動するとウィルスも同時に移動してゆく
そして移動した先でウィルスは猛毒化してゆく
ウィルスは風土病とされたときある地域内にとどまっていれば広がることはなかったからである、だからシベリアのカモにウィルスがいてもそこでは共存していた
でもそのカモが移動した先でウィルスが伝染したのである
つまり一地域の風土内でウィルスは適応して悪さをしなかったとなる

だから不思議なのはコロナウィルスが人間の文明活動を科学技術によるグロ−バルな経済活動を停止させた、そしたら交通事故もへり大気もきれいになりベネチアでは海水もきれいになり魚が泳ぐのが見えたとなる
それだけ人間の文明による活動が科学技術で拡大して限界に達していたのである
また人類の人口増加も地球で養いないような状態となっていた
それでこれから食料不足が来て飢饉が来るとなる
何か地球が人類でも限界状態になっていたのである
そういうときにコロナウィルスによりそうした活動が魔法のように止められたことが不思議なのである、それでこれは神の意志が働いたそうなったのかとも見た
小川未明の「眠い町」のような働きをコロナウィルスはしたのである

いづれにしろ人間の技術の危険性はギリシャ神話でも指摘されていた
神話とか聖書でもそうだがそれは人類普遍のものとして予言して警告していたのである
それから老子の思想でもそうである、道具を否定して小国寡民かいいというときもそうである、つまり中国で一億もいないときにそう見ていたのである
そんな時でも人口が多い見ていたのである
それかその十倍以上になっている、道具を否定してもその道具が核兵器まで発展した
それが限界に達していたのである

ただこの科学技術を制御する思想とか何か減らす思想というのは西洋にはないと思う
何か常に増やす思想であり経済でも増やして拡大してゆく思想である
それは資本主義の思想である、だから世界大航海時代をヨ−ロッパが築いたのである
そのことが植民地にしたということで黒人からも否定されてイギリスの奴隷商人の像が引き倒された
黒人にしてみればヨ−ロッパのしたことは許せないからである

今世界史的には変換の時が来ている、欧米は衰退してアジアが興隆するサイクルになる
それは500年とかの周期で起きるという時、そういう時期になる
中国がインドがまた興隆してくる、ただその先駆けとして西欧化した日本が興隆したとなる
ただそれは科学技術の面だけではない、思想的な面でも転換の時期である
西欧的資本主義とか成長拡大路線の縮小化なのである
アジアに宗教は生まれた、宗教はやはり共通したものがありキリスト教でも仏教でもイスラム教でもそれはアジアから生まれたものなのである
キリスト教がヨ−ロッパから生まれたようにみる、あれだけの教会があるのだからそうみる、でもそれはヨ−ロッパ的キリスト教でありそれはカトリックに代表される
それは極めてローマ帝国から発祥した政治的なものだったのである
本当のアジアの思想は仏教でも老子の思想でもキリスト教でも共通しているのである

アジアが人間の根源であり文明の源でありヨ−ロッパ文明ではないのである
だから人間の人類の歴史はアジアに帰る、アジアがすべての母胎だからである   
イスラエルとかエジプトでもイランでもイスラム圏でもオリンピックではアジアの代表になっている、現実に歴史でもヨ−ロッパはアジアの辺境として発展した地域だったのである,ヨ−ロッパはイスラム圏の辺境であり貧しい地域だったのである
学術的にも技術的にも遅れた地域だったのである
数学でも代数はアラビアから生まれた、ゼロの観念はインドから生まれた
ただそれらが忘れられたのはヨ−ロッパが文明の中心となったのが20世紀だったからなのである、それは主に科学技術の成果がヨ−ロッパから生まれたからである

それでアジアとは何かもわからなくなったのである、アジアは遅れた地域だというしかならなくなったのである、その象徴が中国がヨ−ロッパの植民地化したことである
あれだけの大国が衰退してヨ−ロッパに支配されアメリカにも支配されるようになったのである
それで今反撃に転じているがマルクスの思想をイデオロギーとしてもこれもヨ−ロッパの思想である、だからアジアの思想ではないのである
中国がアジアの指導者になる、一帯一路とかであるとしている
でも中国自体がヨ−ロッパのアメリカのコピーでしかないのである
科学技術でもそうだしイデオロギーにしてもそうである、それはアジアの思想ではないのである
だから中国はいくら大国でもアジアの中心となる、過去の栄光をとりもどすとしても力だけではコピー文化ではなれないのである

むしろ日本のみが西欧文明の挑戦を受けて西欧化した唯一の国だったのである
だから日本もアジアでありアジアを先導したともなる
ただ戦争に負けて今度はアメリカ主導の世界となったのである
でもアメリカはヨ−ロッパ文明の延長でありアメリカ文明というのはないのである
アメリカは成熟した文明になっていない、ただ物質的に科学技術が突出して発展した国なのである、そこに精神文化は形成されていないのである
だからアメリカには宗教でも哲学でも芸術もないのである
ただエジソンのような科学技術の発展のみがある
精神的に成熟した深い文明はないのである、だからプラグテズムの実用主義しかないとなる、それ以外は眼中にないとなる
その科学技術が世界的に環境でも破壊して限界に達したのである
アメリカ国内でも西へ西へと進んでアジアに達しても戦争とかて進み続けたのがアメリカだった
日本との戦争もその一環だった、なぜならその後にベトナム戦争がありイラク戦争があったからである
それで地球を一周してイスラエル建国がありアジアを征服したという感覚になっていた
それで今度は中国台頭してアメリカは西への侵攻からアメリカファ―ストになり世界進出を制覇をやめたともなる

何か自然には自然の法則があり理がある、天理がある、それを破る時災いが生れる
ただ科学技術には限界がないものとして科学者が神にもなろうとしたのが現代の文明だった、そこに制限はないのである、だからイカロスのように墜落するのである
ヨ−ロッパの思想には減らすとか無用の用とかインドの無の思想とかゼロの観念がないのである、確実に原子とかあり世界は物質で埋め尽くされる、用の世界しかないのである
それはギリシャからヨ−ロッパが発展したのでありアジアの聖書から発展したとはなっていないのである、根本的にヨ−ロッパのものとしてキリスト教でも解釈したとなる

ともあれこのコロナウィルスに対応するにはどうするのか?
それは不思議だけど移動しないことなのである、定められた一地域の風土に収まりそこから出ないことなのである、その地域の風土に即して生活をする、自給自足することを基本とすることなのである、だからそうして地域地域は離れて交わらず小国寡民になっているときウィルスに対応できる
小国寡民とういとき人口がまばらで少ないのだからソーシャルデスタンスがとれる
人口が多い大都会とかは密集ししてデスタンスがとれないからウィルスの感染を止めることができないのである
だから大都市そのものが自然の理にあわない、生態系を無視している
そこに自ずと災いが生れる、だから東京から脱出して分散して住むのがいいのである
そういう大変化がはじまる、それをうながしたのがコロナウィルスだとなる

グロ−バル化⇒小国寡民

資本主義⇒欲望の制限、アジアの宗教へ帰る

科学技術社会⇒環境破壊⇒核戦争の恐怖⇒制限の思想

このようになるがコロナウィルスの不思議は小国寡民というとき大都会の密集した生活の否定なのである、そこではどんなことしたってソーシャルデスタンスはとれない
つまり感染を防ぐことができないのである、もし分散して住んでいればそうはならないのである、そして世界中が交わることはいいこととなっていたが本当にそうなのか?
それが悪い面として露骨に現れたのがコロナウィルスだったのである
グロ−バル化というとき何でも食料でもあらゆるものが入ってくる
それで牛から豚からパンかはワインからあらゆるものを食べるようになった
もともと中国は大陸国家でありないものはなかった、それで動物でもあらゆるものを食べていた、何かがつがつしている、それはまた人口が増えたことにもよる
遊牧民だと家畜を飼う文化は動物を食べる、動物との接触が身近になる
それでどうしてもウィルスに感染しやすいから発生源となり世界に広まる

おそらくエジプト文明時代からウィルスはあり感染が広がっていた
ローマ帝国が衰退したのはウィルスのためだったという人もいる
現実にウェルギリウスの農耕詩に家畜がばたばたと苦しみ死んだことが記されている
そこでは一村が廃村になったりしているから今と同じことが起きた
そして日本にはもともと魏志倭人伝で牛、馬、羊がいない特殊な国として認識されていた日本人は漁労民族であり家畜を飼っていないし食べてもいなかった
ただ鹿などは狩りして食べていたのである、でも海産物主体の食生活でもあった
それが世界で見れば特殊なのである
人間はそれぞれの風土にあった生活を強いられている、それで体も作られている
日本人の腸が長いのは穀物を消化するためでありまた欧米人が肉を消化する酵素がでるというときもそういう食生活だったからである
その食生活から体が作られてきた、日本食世界でいいというとき日本人が長生きだというとき何かそうした風土とか食生活とかから体が作られてきたからである

西欧文明は科学技術文明でありアメリカはその延長の文明であり独自のものではない
確かに技術は発展して世界を導いたとしてもアメリカはヨ−ロッパの延長なのである
それでヨ−ロッパ文明が限界に来たときアメリカもその派生なのだからゆきづまるとなるただではアジアとは何か?それが西欧文明一色になったとき見失われたのである
これまでもただアジアというと中国であれインドであれやたら人口だけが多い貧しい国だけだとなっていた、中国は豊かになってもやはり半分くらいが依然として貧困なのであるいづれにしろアジアというとき何なのか、アジアに再び新しい文明の復興があるのか?
それが模索されているがとても中国がその指導国とはなりえない
依然として政治体制としては王朝国家でありそれに共産党のマルキシズムのイデオロギー国家でありそこに新しいものは起きていない
旧弊な政治体制の継続でありそこにただ欧米からコピーした科学技術があるとなる
人権なともそこにはない、強圧的に権力で周辺の少数民族を弾圧する
チベットとかウィグルとかの次はその周辺国に及び日本もその範囲に入っている
そして中華帝国の古代の先祖帰りとなる、そんな世界観を受け入れるのか
それで日本でも大きな抵抗が生れる

いづれにしろ大きな時代の曲がり角にきている、そこで大きな混乱が起きる
自然災害も起きる、三峡ダムの崩壊とか原発のような巨大事故も起きる
コロナウィルス禍でも時代の変わり目に現れた災難である
そのためにこれまでの世界まで変わる、時代の節目にそうした大きなことが起きる
そうしてミクロ的なことではなくマクロ的に世界をみる
そこで日本の立ち位置を知る、ただ人間は常に目前の事象に事件に追われる
だから大きな視点で見ることができないのである
毎日目前のことに追われる、大きな視点で未来を見るということができないのである
こういうときは大きな変革が要請されるから犠牲もともなう、でも明治維新でも侍は侍でありたいと固執した、西郷隆盛はそのために旧勢力の侍にもちあげられて西南戦争で死んだのである
世界史は結局旧勢力と新勢力の争いなのである、それは国内でも起こり世界でも起きる
ただ必ず新勢力でも国々に歴史があり復古にもなる
日本でも天皇とか神道の復古があったからである、中国も王朝の復古になっているからだそこに新勢力の課題がある、人間は全く新しい世界を作りえない
必ずその国の歴史があり文明の挑戦と応戦があり歴史は展開する 

小川未明 「眠い町」

これは何かこうしてがむしゃらに科学技術社会化したものを止めるということにある
コロナウィルスもこの童話のようにな魔法の砂で交通がとまり文明の活動が一時的にとまった、そしたら交通事故がへり水もきれいになり空気もきれいになったからだ
これは神が魔法の砂でウィルスでとめたのかとも見た
何かそうした不思議な作用が自然にはあり自然は科学者によってすべて解明されていないのだ
コロナウィルスがいろいろ変異しているというのもそうである、このウィルスは新種であり謎であり解明されないからそうなる  


神の技と人の技

(Human beings unite with the universe and become a Giant)

時に人の技を安め
その技をとめよ
大いなる無用の空間にこそ
神の真の用がある
大いなる山は沈黙して
太陽は静かに輝き移る
人の技は限りなく疲れる
決してその技は完成しない
神の技はすでに完璧に完成している
人はただそれを讃える者としてある
その広大な海、山々、宇宙
そこに自ずから神の歌が響き渡る
精妙にして雄大なる楽が鳴り響きわたる
時に人の技を休めて
大いなる神の歌に耳を傾けよ
荘厳なる沈黙にひびく神の歌を聞け
一大ハーモイのシンホ二ィーを聞け
山は今日も深く黙しつづける
その内に向かって強く堅固に不動に
神の技はすでに完成して与えられている
人よ、なぜなお人の技を付け加えて労するや
無用の用のなかで人は大きくなる
汝は神の子にあらじや
汝に糧は与えられしにあらじや
神を賛美する者なれば・・・


結局人の技には限界が生じる、文明でもそうである、でも神の技は無限である
すでに地球自体を知りえようがないしまだ詠われていないことでもわかる
依然として未知であり神秘なのである
それが田舎でもすぐ近くにそうした人の踏み入らない神秘な場所がある
それはただ発見されないだけだったのである
人生百年でもそうして発見されないことは無数にある
要するにこの世とは永遠に発見と創造の世界なのである
決して未知がなくならない、神秘もなくならない、新たな発見は創造はつづく
そして全能の神は新しいものを作り出す、新しい道を作り出す
それは人間の技ではなしえないものを新たに作りだすのである
神は確かに見ることはできない、でも神には人間のような限界はないのである
つまり創り主の神の創造は終わっていないのである
それは人間が不完全なことにも現れている、コロナウィルスのように未知の病気で死んだり社会が混乱するのもそうである、人間の技が科学技術でもイカロスのように失墜するのである、神は決して失墜することはないからである
そこに人間の技の限界があり文明もまた不完全であり何かの原因で過去の文明も滅んだのである

自由自在に空を飛べるイーカロスは自らを過信し、太陽にも到達できるという傲慢さから太陽神ヘーリオス(アポロン)に向かって飛んでいった。その結果、太陽の熱で蝋を溶かされ墜落死した。

本当にギリシャ神話のようなことが自分の住んでいる福島で起きた
だから神話のような場所になったのである
なぜなら二万年もプルトニウムの毒が消えないとかなっているからだ
まさにゼウスから火を盗んだプロメテウスの過酷な刑罰の地にもなった
だから神話が語るものは現在にも及んでいる
つまり二千年前三千年前でも神話で予告していたのである
それが現実化したのが自分の住んでいる場所だったということでショックだったのである

posted by 天華 at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

温暖化でネッタイシマカが東北で生息する範囲 (真野の草原と真野氏の登米までの進出の地図と一致)


温暖化でネッタイシマカが東北で生息する範囲

(真野の草原と真野氏の登米までの進出の地図と一致)

nettaishimaka12.jpg

赤は関東であり温暖化が著しい
薄茶色は東北で温暖化してネッタイシマカが生息できる範囲


真野の草原は境界線である、気候的に歴史的にも



ウイルスを媒介したのは、熱帯地域に生息するネッタイシマカ。感染した人を蚊が刺すとウイルスが蚊の体内に取り込まれて増殖。その蚊がウイルスを運び、他の人に感染を広げる。これまで感染が拡大した地域は赤道付近に限られていたが、温暖化の影響でネッタイシマカが生息しない日本でも感染リスクが高まっていることが分かってきた。

ここに地図のオリジナルがでている、コピーできないので参照してください


このウィルスが温暖化で広まってゆくことを警告している
もともと熱帯産だけど東北地方でも温暖化で広まってゆくとしている
つまりウィルスは温度とか湿度とかの影響を受ける
寒い所に生息するものもいる、シベリアの凍土にもウィルスが生息していて最近発見されたのである、だから温暖化で凍土が溶けるとそのウィルスが現れて人にもうつるのかと心配しているがそれは起りえないとしている
でもなぜそんな凍土の中でもウィルスが一つの最小生命体が生きられるのか謎である

ここで注目したのは万葉集の歌が残された南相馬市の鹿島区のことである
その海老浜はシャリンバイの北限地として有名である
この辺ではいたるところにシャリンバイを植えているし見られるのである
ただ津波で海老村は消失した
このシャリンバイは奄美大島産であり熱帯性である
だから真野の草原の万葉集の歌が残された地点は気候の境界線だったことを追及して来た東北でもあたたかい場所でありそれでここが南の植物が生息できる限界地点であり境界になっていた

これはまた歴史的境界線にもなっていた、歴史をは地歴であるしまた風土とも関係している、特に気候は注意すべきである、緯度に注意すべきである
緯度が違うと暑さ寒さが違ってくる、それで文化も違ってくる
阿武隈山脈の地域が温暖化してもこの蚊が住めない地域になっているのは例えば飯館村になると400メートルの標高差が平地とあるからだ、寒いからこの蚊は生息できないとなる

とにかく照葉樹林帯というのは緯度と深く関係している、この緯度上に共通の文化をもっていたのである
そしてなぜこの辺にやたら綿津見神社と山津見神社が多いのかということである
それは飯館村まで綿津見神社と山津見神社が主要な神社なのである
それは相当に古いのである、それで佐須とは明らかに焼畑地名である、他にも飯館村には焼畑地名があるからだ、そこは森がおおっていて焼畑に適していたのである
その焼畑の技術は照葉樹林帯に住む人たちがもっていてできたのである
それが安曇族とか海洋民族でありその人たちが日本に船で渡ってきたのである

そしてもう一つの渡来人がツノガノアラシトの伽耶国の王子の名前でありそれが産鉄族であり砂鉄で鉄作りをする人たちだった
ツノとつく地名は点々とあり津神社となっているのは読み方はツノ神社である
相馬市の松川浦の津神社はツノミツ神社でありこれもツノガノアラシトである
そして大和王権がその後に鉄作りに関与してきた
それが真野氏なのである、南相馬市の鹿島区の真野郷の由来ではないかというのもそのためである

その真野氏が石巻に到達してやはり和邇山(わに)とか地名を残しているし木簡にも真野と記されたものが発見されたのである
そこに萱原という地名があり真野という地名も残っているのである
これは真野氏の移動の跡なのである
そしてこの真野氏は北上を上り登米まで行って製鉄業にたづさわっていた
なぜならそこにも真野という木簡が発見されたからである
そして不思議なのは温暖化で気温が上がりネッタイシマカが生息する場所になるとしている

そしてこの地図の不思議はその登米から平泉が近いのである
つまり平泉がみちのくの古都となったが今は岩手県内になるが何かその位置が地理がこうして古代から中世にみちのくの都になったことを暗示している
すでに古代から黄金の道があり湧谷に黄金が出て奈良の大仏の鍍金に使われた
それで

天皇(すめろき)の御代栄(みよさか)えむと東(あづま)なる
 陸奥山(みちのくやま)に金(くがね)花咲く

という歌が歌われた、鉄と黄金を求めた道があった、北上川はその道になっていたのである
でも平泉から北になると温暖化しにくい場所になる、寒い場所になりネッタイシマカ生息できないと地図ではなっている

とにかく動植物でもそうだが生物が生息できる緯度はその文化が違うのである
そして照葉樹林帯文化がその文化を共有するものとして日本にその跡を残したのである
温暖化すると関東地方は本当に熱帯化する
ただ温暖化というのはないという学者もいるからそれはわからない
ただもともと南相馬市でも栃窪とかから真野川をさかのぼってサンゴの化石が発見されたから熱帯であった、フタバスズキリュウが生息できたのも熱帯だったからである
古生代になると相当に暑かった熱帯だったのである
そうした気候の変化がありこれも歴史に影響している

ともかくこのコロナウィルスはいろいろなことを導きだした
だから不思議だとなる、私は生物学などわからなにしても何かこれも文系でも地歴と関係してくる、地理と歴史と関係してくる
私は地理に興味がある、日本でも世界でも旅したからである
それでウィルスは地理と関係が深いことを知った、つまり地理の通り感染者が増えたのである
最初は東京から感染者が増えてその隣県に広まる、そして最初から仙台市は危険だと思っていたらやはり最近になって仙台市が増えてきた
それも地方では東京と関係して感染しているのが多いのである
これも交通と深く関係して起きていることなのである
ただ北海道は例外である、あそこは中国人が大量に観光に来ていた結果なのである

ウィルスは風土と深く関係している、だからもともと一地域の風土病だったが人間が行き来すると人とともにウィルスが伝染する、それでモンゴル軍がペストをヨ−ロッパに運んだ、クリミヤの港から今度はベニスに伝染した
そしてヨ−ロッパの三分の一がペストで死んだから恐ろしいとなる
今回も中国と関係を深めたイタリアからヨ−ロッパにたちまち拡散した
だからウィルスでも歴史は繰り返すというのは本当である
津浪でも自然災害でも繰り返して起きてきたことなのである
ただ人間は忘れやすいので忘れたころに災害が来るとなる

ともかく津波がきて津波のことを関心をもつ、ウィルスでも異常なほど関心をもつ
それは結局生命にかかわるからである、何か素人でわからないにしても恐怖になりその正体を知りたいとなるのである
そういう契機になったことは確かである 


manotome222.jpg
登米市(とめ)の登米(とよま)まで製鉄集団の真野氏が移動した (奈女加多(行方)が移動している)

こうしてインタ−ネットでも情報とか研究がでていると素人でも研究に参加できる
今回はNHKだった、他でも津波の学者の論文を読めたことは参考になった
こうして素人でも学術的なことにも参加できるようになったのである

そもそも資料が読めないとしたらどうにもならない、図書館は調べることがしにくいのである
いちいちコピーしたりめんどうなのである
そして時間がかるから何年も行っていない、家事とかで忙しいし時間をとられるから行かなくなったのである


posted by 天華 at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2020年07月19日

スーパーヒタチが真野川の鉄橋をわたる (約午後5時ー川面に光が反射する写真)


スーパーヒタチが真野川の鉄橋をわたる

(約午後5時ー川面に光が反射する写真)


trainsunshine111.jpg

superhitachiriver.jpg

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この写真は車の通る六号線の橋の上で撮った、ちょっと危険だった
でもそこからしかいい写真がとれないのだ
撮り鉄になると危険な場所になる場合がありとがめられた

ただいい写真は撮る場所が肝心である
それば日ごろ見ている場所だったらねらってとれる
でも遠くになるとその撮る場所がわからないのである
これは日ごろ通っている場所だから構図ができていたから撮れた
ただ午後5時だから暗い感じになり一枚は手を加えた

とにかくこのスーパーヒタチは絵になる
でもまだ一回も乗っていないのである
まだ梅雨が明けないから行く気がしない
今日は晴れたのでチャンスだと思いとった
良かったのは日曜日で六号線の橋をトラックがあまり通らなかったことである
橋の脇の狭い道から撮ったから危険になる

これは広角で連続で写真をとった、何か写真をとることも仕事である
相馬新報というときプログでも私的なものでも記者になっているからだ
何か文系は就職先がジャーナリストとか報道とか出版関係とか銀行とか何か限られている
ただ相馬新報とかで自由に自分の考えを述べるというのはやりがいがある
収入はないけどこれはブロガーとかユーチュバーとか新しい仕事になった
それで一か月百万とかの収入があるというのも驚きである

それで大勢の人に見てもらうために奇抜なことをしてつかまった若者がいた
これもマスコミと同じだったのである、マスコミだって視聴率をあげるために芸能人に
そういうことをやらせているからである
テレビが個人化したテレビというのもありえないことだった

ただマスコミの番組作りは鉄道でも旅の番組でもつまらない
何か食事とかありきたりのことしか映していないのである
何かかえってマニア的に廃線の旅とか何かこったものにする
でもテレビはとにかく万人向きだからいつも食事とかばかり映しているのである
万人向きだということはかえって今はつまらないものになる

youtubeだと何かマニアックなものあることを追及する、トンネルの旅とかなにかテーマをしぼり番組作りする
そういうことをしやすいのである、自分は鉄道が好きだからそういう番組作りをしたいとなる
ただ動画となると手間が大変だからできない
それで写真には今こっている

春時雨、夏の海(梅雨の晴れ間に原町の萱浜まで)


春時雨、夏の海(梅雨の晴れ間に原町の萱浜まで)

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matunihonss12.jpg

ここまでクリック拡大


haramachistreets1.jpg

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fugukusa1111.jpg

くさふぐ

garounatunew.jpg

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松二本街道に影なし夏の朝    

あふれ咲く夏菊の黄に赤映えぬ

原町の通りを来たり春時雨
                                                
浪しぶき魚つりあぐ夏の海

はねとびし魚を見るや夏の海

釣り人と魚を語る夏の海

6号線夏の雲湧き鹿狼山

玄関の戸にでで虫やこもる家


街道に太くも根付く松にあれ夏の朝行き影をなすかな    


五本松から高松を通り原町の通を来て萱浜の方を回り帰ってきた
高松は松とあるごとく確かにそこは一段と高くはなっている
そこに太い松がありあの松はいい松だと見ていた

陸前浜街道として何かにあっていた、松は人間に見える親しい木なのである
街道というと高松から坂を下り新田川の橋をわたり原町の街中に出るがそこをまっすぐ行って四つ葉通りがありあそこが宿場町になっていたのである
そういう古い絵が残っている、そこが街道だった
駅の方に行くのは明治以降の街並みだった
駅から発展した街並みだった

ただ今この駅前通りはさびれている、店を閉じているのも多い
何か活気が感じられない、シャッター通りになったのはどこでもそうである
とうしても六号線の方が便利なのである
やはりスーパーがあるとないのでは相当に違う、駅前にヨークベニマルができたので駅前の活気は多少もどった

それからスーパーキクチのある裏の小浜のいととんぼの店によった
あそこの野馬追カレーうまい、それより日替わり惣菜を売っているのがいい
それも一つ150円くらいなのである
それがなぜかというと惣菜を作る人が日ごとに違っているからだという
スーパーだと同じ人が作っているからいつも同じだとなる
とにかく一人暮らしはオカズに困る、ただ近くだったら毎日でも来れるが遠いから来れないのである

何か雨がふったと思ったら春時雨だった、久しぶりに晴れたが雲が出て雨がふったのは時雨だった、春時雨である、何かこれは街にふさわしいともなる
冬の時雨と春時雨はまるで違ったものである、何かシャボン玉のようにも感じる

それから萱浜の方に行った、そこで釣りしている人がいた
その人は相当に釣りをしている、仙台の方にも釣りに行っている
漁礁を作ってそこに小魚を集めて魚を集めていると魚ことがくわしい
釣りは遊びでも自然と一体になるから釣りの人と話したりする
なかなか釣れないと言っていた

その時海面を魚が飛んでいた   
そこの辺でそういう風景を見たことがなかった
与那国島の方に行った時はトビウオが本当に高く飛んでいたのには驚いた
今日見た魚は高くは飛ばないがやはり飛ぶ魚がいる
それを見て気持ちよかった
釣りの人はスズキだとか言っていた  

ボラがジャンプする理由は?
ボラは水面近くを群れで泳ぎ回り、水面上を体長の2〜3倍もの高さでジャンプする習性が知られています。外敵や物音に驚いたりであるとか、体についた寄生虫を落とすためであるなど、様々な説が唱えられてます

トビウオだけではない、飛ぶ魚がいたのである

そこでもう一人の人が釣ったのは草河豚(くさふぐ)だと言っていた 
これはフグだから危険である、プロでないと料理できない、何か釣り人にとっては厄介者らしい、
一時津波の後に湿地帯のようになり金沢で大量の魚が入ってきて泳いでいた
それはボラだったのだろうかフグだったのか?
大きさはほぼ同じである
一時津波の後に三年前とか魚が相当に釣れたらしい、魚を獲る人がいなくなり増えたためである
釣りというのは何か自然ととけこむからいいのである
それで時々釣り人と話ししたりする、今日はひさびさに晴れたので気持ち良かったからだ
夏はやはり海が気持ちいい、久々に晴れたから自転車で回ってきた

家に帰ったら玄関の戸に出んてん虫がついていた
何か自分にふさわしい、それで急ぐ人は来たるべからじとした





2020年07月20日

6号線でホンドキツネが交通事故で死亡


6号線でホンドキツネが交通事故で死亡

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これは犬ではないだろう、口とか尻尾がキツネなのである
その体毛とか色もキツネ色と言われるものである


これはキツネである、犬とにているようでも違う
北海道では日常的にキタキツネを見る、これはホンドキツネである
本州に本土に生息するキツネとなる
生息の地図を見ると全国的に生息している
でも2003年とかか最新で今はどうなっているかわからない
キツネは震災の時、荒地と化した田んぼを一目散に走っていた
それは犬だと見えたがキツネだった 

原発事故で人が町からもいなくなったとき猿とかイノシシでも街の中にでてきた
人がいなくなると野生の動物でも植物でも元の自然にもどる
草ぼうぼうとなり放置していると木が育ち森になってゆく
チェルノブェリではヘラジカとかがもどり増えた、狼ももどってきた
だからこの辺でもそういうことがあった
猿でもイノシシでも街にでてきたり人家を荒らす
飯館村とかでは畑がイノシシに荒らされていた
浪江とか双葉とか大熊とかは田畑が荒地化したから野生の動物が住みやすいのである

ただ事故前でもキツネはいたのかもしれない
これは夜行性とかありなかなか見れない、タヌキと結構みかける
キツネは犬と間違えやすい、今回死んだのも犬かと見た
でもこれはキツネだろう
口がとがっているからだ
何か精神病をキツネ憑きとか言ったのは口がとがっていることが似ていたからだろう
キツネの昔話が多いから昔は日常的にキツネと接していたのだ
子供の頃、近くのニワトリがキツネに襲われたとか話題になった
すると街の方にも来ていたとなる

人間はなかなか自然のことを今わからない、田舎に住んでいてもわからない
農業しているのは田舎でも一割にみたないからだ
みんな会社員になっているからだ
私の父親は何か戦後仕事がないのか、イタチとりしていた
そのイタチを飼っていたことがあった
その皮をとるためであり屋根に干したりしていた
そして母はイタチは人に絶対になれないと言っていた、餌だけをとり人になつかない
そのイタチも逃げた、イタチは今でもみかける、すぐ街中の川の土手でもノウサギを見ただから野生の動物は結構いる
原発事故で農家が空になり捨てられた所にカモシカを見たのは驚きだった
それ八木沢峠に行く手前の大古とかであった
これも原発事故の影響で人家近くに来たとなる

動物でも交通事故は無惨である
口を空いて断末魔の形相だった、普通に死んだらこんなふうにならないだろう
キツネはまだ田舎にはいる、ただキツネを子供の時でも見たことがない
キツネがニワトリを食べるとか聞いてもキツネそのものを見たことがない、これは犬と間違いやすい
カモシカは橲原(じさばら)の八木沢に行く薔薇坂で見た
意外と平地におりてくるときがある
動物でもやはり注意してみているべきである、動物もやはり生態系に依存して生きている

posted by 天華 at 09:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層