東京都知事選挙で山本太郎の創価批判の演説
(創価会員が公明党に反対して除名された)
東京都知事の演説で創価会員が公明党に反対して除名されたとか訴えている
公明党がカジノに賛成するとか国土交通大臣がその法案を通すために奔走していたとか
ある
公明党が宗教政党がギャンブルを積極的に誘致するとかなるとありえないことだとなる
なぜなら創価会員は特に婦人部は夫がギャンブルで苦しんでいる人が多いからである
そういうことを批判して除名される、仲間からもコミニュティからも除外されて孤立させられる
山本太郎の説明でコミュニティから除外されることが辛いということを言ったのは的を得ている
なぜなら創価は団地の宗教とも言われ戦後に東京に地方から就職した人が団地などに入りコミニュティとしてつながりを持ち精神的に安定をもった
だから日々の生活でもそうしたコミニュティの中で暮らしているとそこから除外されたら孤立するとなる
宗教というのはもともとそういうものではなかった、その始祖をみれば釈迦は洞窟で悟りを開いたとかそうした集団化しない、それは後に集団化したのである
集団化することによってそれは強大な組織となり寺は治外法権の不可侵の場となり僧兵によって武装までされた、そこは武士の城と同じだったのである
だからそうした寺院から僧兵が生れ武士になったというのもうなづける
それはヨ−ロッパでも同じだった、十字軍とか武装した信者が騎士団を形成したからである
何か宗教というとそうした武力とか権力とか関係ないとみている
ところが歴史をみればわかる、一向宗でも日蓮宗でも強力な組織集団になり政治集団化したのである、だから信長はあれだけ強烈に戦争で皆殺しするようもなった
それは寺院は武装集団であり権力と対抗するものとして認識されていたからである
信長以降は寺は武士集団の下に所属する管理するものとなったのである
創価はそういう武装集団とにているのである、ただ民主主義になったから平和革命だとか無血革命だとやたらにいう、でも一票とることは至上命令でありその一票をとるために池田先生のためだとなり拠点に集まり祈る、これは明らかに政教一致であり憲法違反なのである
だから一票を得れば成仏して得なければ地獄に落ちると脅すのである
完全に政教一致の団体だからである、それは戦争で天皇が神であり現人神(あらひとかみ)として導いたのと同じである
でも創価の創始者の牧口常三郎は戦争に反対して獄死したのである
そういう歴史があっても今と選挙に勝つことが信仰の最大の戦いとなる
権力を争奪することが目的の団体なのである
それでやっかいなのはそれに反対する者はここでも会員がカジノでも何か公明党の政策に反対して除名されたとかいうのもそうである
その人は地獄に落ちるとか烙印おされ除外される、するとコミニュティからはずされて孤立するとなると訴えている
ともかく宗教と政治が一体化すると何かというと地獄に落ちるとか罰当たると云うになるのが宗教の危険性である、それは個人的にもそうなりやすいのである
本当は私怨でも宗教になると神でも仏をもちだして罰が当たるというのは普通にあるからだ、そんなことに神仏がかかわることはないのである
そこに宗教の危険性がある、それが集団化すると余計にそうなる
てぜなら選挙でもそうだが何であれ逆らうものは仏敵となるからである
そうして集団組織で祈る、それはやがてファシズムとなる
宗教は議論とか反対を許さないものだからである
創価とは本当に前は武装集団であり僧兵であり権力争奪を辞さないともなっていたのである、何か洞窟にこもって修行するとかはない、極めて政治的団体である
だからすべての目標は選挙に勝つことであり一票をとり政治権力でも手中にして日本を支配することである
日蓮の思想自体がそれを容認している、王仏冥合とは王とは権力であり仏は信仰である
それが容認しているのだから政教一致でも教義的に矛盾しないのである
そして東京がその最前線であり東京で勝つことは日本全国でも勝つとなり東京都の都議会選挙でも最大の戦いの場となる
それは宗教団体を認可するのが東京都になっていることもある
ともかく創価があのように増えたのはやはり地方から東京に就職した人達が拠り所を失いそのコミニュティに所属したということが大きい、組織化集団化して座談会とかなにか
家族的なものを形成して仲間意識を作ったのである、団地の宗教と言われたのはそのためである
その成り立ちが本来の宗教より組合とかの感覚になる
でも宗教だからそれがファナティックになりやすい、狂信的になりファシズムとなる
実際は本来の宗教とは何の関係もない、権力争奪を目指す政治的団体である
だからこそ創価会員が公明党の政策でも反対すれば除名され地獄に落ちるとか仲間からも除外されるのである
でもカジノに反対するというのは宗教政党だったら当然だとなる
それもできない宗教集団とは何なのだろうとなる
結局民主主義とは数であり数が権力である、だから選挙でも数でありどれだたけ数を集めるかで勝敗が決するとなれば何であれ数を集めることが日々の戦いになる
だから創価では毎日会員を増やすために運動している
幽霊会員が膨大なのである、その人たちは何の活動もしていない、座談会にも来ない
ただ名前だけの会員である、その人たちに一票をいれてもらうことが戦いなのである
やはり宗教というのは弊害の方が歴史的にも大きかった、どうしても明治維新に天皇を神のようにして日本をまとめたことが後の禍ともなった
それを強く感じるのはどんな神社にも小さな社にも武運長久とか鳥居でも狛犬の台座でも刻まれているのである、だからどれだけ小さな神社でも国家神道の中に組み入れられていた、そこで村人は出征して行ったのである
そして神社団体が江戸時代に寺が優遇されていたとなり廃仏毀釈運動になり仏像が破壊された、これも利権争いだったのである
神社でも寺でも利権団体であり権力機構に組み入れられる、寺は本当に江戸時代は役所のようになり優遇されていた、というのは武士の菩提寺ともなるからそうなる
だからその反動として寺に対して明治維新になり天皇を国家神道化して排撃したのである要するに戦争の原因はそうした政教分離ができないということにもあったのだ
天皇は象徴天皇で権力はないにしてもそれをもちあげて権威を利用してきた歴史がある
だから不思議なのは今の天皇は明治天皇から南朝の楠正成を祭りあげている
南朝の復活であり南朝の系統が今の天皇だというのも歴史の継続だとなる
この辺も霊山は南朝の城でありそこから落ち延びた子孫がこの地域には多いのである
ただそうした歴史を今にも尾をひいているのも歴史である
そして明治天皇は替え玉だったというのも万世一系が天皇ではないのである
明治維新の過ちがあったとすればやはり政教分離が成されていなかったことなのである
靖国神社には朝敵となった武士は祀られていないのである
西郷隆盛でも最後は朝敵となり祀られていないのである
日本の国が天皇の臣下であり臣民であり国民ともなっていなかったのである
ただ国民国家というのはフランスでも他でもみんなそうなった
国家はヨ−ロッパてもハウスブルグ家とか貴族のものだったのである
でも国民国家となったとき国民が今度は全員兵士にもなり国同士の熾烈な戦いになった
そして世界大戦で大量の人間が死んだのである
国威宣揚 武運長久
これは戦争の時に刻まれた文字である、これはどこの神社にも刻まれている
これは大倉の山津見神社とかのものである、
とにかく小さな村の社にも刻まれている戦争の歴史なのである